篝火の消えぬキヴォトスより   作:ぞんぞりもす

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誘惑の妥当性

 カヨコは隊員から聞き出した情報を話していった。大事な話とはいえ悠長に立ち止まっていることはできないので、速歩きくらいのペースで三人は移動している。

 

 カガリたちを襲ったのは、ピサの斜塔よりも地球の地軸よりももっと傾いた経営をする小さな会社だった。一世一代の勝負として自前の戦車やドローンを投入して襲いかかったのだった。これは万魔殿(パンデモニウム・ソサエティ)の議長が、カガリに対して正式に懸賞金をかけたためだという。

 

 どうやらカガリはそれだけの金額に見合うだけの憎悪の対象になっているようだった。実感がわかないという顔で「ふーん」と流したカガリを、カヨコは横目で見てからため息をついた。

 

 

「私もその賞金首速報っていうの? を見たけど、まぁ、生死不問って記載もなかったし、首を届ければいいのか、それとも写真を送ればいいのかとか条件とかもまったくなかったから、マコトが勝手に出したんだろうね。生死不問だとしても、ここじゃ殺人は殺人として裁かれるはずだし、生け捕りにされる可能性のほうが高いかなぁ」

 

 

 情報の重さを理解していないのはまずい。しかし、重さを理解したせいで精神がすり潰されるのはもっとまずい。追いこまれていると本人が言っていたのだ。これ以上は負荷をかけないほうがいい。

 カヨコはそう判断して、以降は何も言わなかった。

 

 無言のまましばらく歩いた。

 廃屋群を抜け、森を移動し、やがて温泉街のような場所に出る。

 

 そこは人知れず歳をとった郊外だった。風雨にされされた通りはたくさんの人や車に揉まれ、それによって瓦礫が砕けて破片となり、また砕け、さらに風雨にさらされ、そうして細かくなったような感じがした。

 シャッターの有無にかかわらず、すべてが錆びていた。少し風が吹くだけで悲鳴のような音が辺りに響き渡る。カガリはイブキが案内してくれた隠れ家に近い雰囲気を感じた。が、あちらにはちらほらと背の高い建物があったが、ここは平屋、長屋が多いように思う。

 

 前を歩いていたイブキが突然振り返る。

 

 

「カヨコお姉ちゃんは、どうして学校に来ないの?」

 

 

 カヨコは足を止めた。睨みつけるようにイブキを見ると彼女は小さくなって、たどたどしい口調で謝った。カヨコはそこで我に返って、謝った。

 カガリは一連を不思議なやり取りだと思って眺めていた。カガリの感性からいえば、イブキが気に障ることをしたと思えなかったからだ。普段のカヨコの言動を思い返しても、今のは妙にちぐはぐだった。

 

 伸びやかな月光が降り注いでいる。きらきらと光の粒子が見えそうなほど、寒々とした夜だった。

「まあ歩きながら話そうよ」カガリが歩きだすと、二人も足を進めた。

 また、しばらく無言だった。明かりの灯っている自動販売機を二つ通り過ぎたとき、不意にカヨコが口を開く。

 

 

「勉強はあんまり嫌いじゃないけど、人の集まりが煩わしいから」

「僕も人の集まりはあんまり好きじゃないけど、でもカヨコはライブには行くんでしょ? 何が違うの?」

「それはだって、好きなバンドだし……。それに、私が人の集まりって言ったのは、私を誤解する人の集まりってことだから」

「……分からなくはない、のかな? まあ煩わしさはあるかー。でも誤解を誤解のままにしておくと、後から取り返しのつかないことになりそうだよねー」

 

 

 カガリにもそういったところはあるでしょ。カヨコがそう返す前に、カガリは「僕もそういうところがあるからアレなんだけど」と言った。カガリは悔やんでいる様子も自嘲している様子もなかった。

 そこを直そうとしているのかどうか、カヨコは聞けなかった。もしも直そうとしていると返答された場合、自分だけが取り残されるような気がして聞けなかった。

 

 周囲の平屋は雨風にさらされ、小さな生き物の侵攻を受け、ひびが入ってあるものが多い。色も褪せている。かつては栄えていたであろう、今となってはすべて忘れ去られてしまった場所を、三人は進んだ。

 

 

「便利屋のみんなもそうだけど、先生からはときどき教えてもらってるんだよ。経営のこととか、まぁ、いろいろ」

「先生もなんだかんだみんなのこと気にかけてるよね~」

 

 

 人ごとな口調は、まるで自分のことを勘定に入れていないみたいで。実際にそうなのだろうとカヨコは思う。端正な横顔は、なんの表情も浮かべていなかった。

 

 

 三人は自動販売機の電源が消えた場所を境に引き返し、ぎりぎり電気が通っている旅館に潜伏することを決めた。

 部屋を吟味し、できるだけ光が外にもれないような奥の部屋に荷物を置く。一○人ほどが寝られそうな大きさの和室には、テレビやポット、冷蔵庫と一通りの電化製品が揃っていた。

 

 

「イブキ、探検したい! ね、行こ? カガリ先輩! カヨコお姉ちゃん!」

 

 

 街と同じように時代に取り残されてしまった電化製品を興味深そうに触っていたイブキは、やがて飽きたのか、そう言い出した。音が聞こえるくらい羽が元気に動いていた。

 どんな設備があるか分からないし、確認も兼ねてまあいいだろう。渋々頷いた二人を置いていくペースでイブキは探検を楽しんだ。

 

 ガスコンロは使えなかったが、カセットコンロと燃料はあった。蛇口をひねると水が出る。大浴場や卓球台があり、他にも娯楽スペースがある。珍しいことに書斎や蔵書室らしき場所もあった。

 途中から二人は乗り気になって話を進め、イブキがお腹が空いたと口を開くまで探検は続いた。

 

 

 部屋に戻ってきて、カヨコは中身を軽くしたリュックサックを背負う。

 

 

「コンビニで食料とか弾薬とか衣類を買いこんでくるよ。手榴弾とかも必要なら買ってくるけどどうする?」

「スモークグレネードはあったほうが助かるかも。わりと使ったし」

 

 

 様子をうかがうように部屋の出口とカヨコを交互に見たカガリ。それをカヨコが見咎める。

 

 

「ちょっと。ここで大人しくしてるんだよね? カガリが外に出る意味、分かってる?」

「分かってはいるんだけど」

 

 

 カガリの目の前にかがんで、指を顔の前に突きつける。

 

 

「じゃあ待ってて。それに怪我してるでしょ。休んでたほうがいいよ」

「ばれてたか……」

「不自然にコートの前閉めてるし、血のにおいがするし、付き合い長いし、これで気づくなってほうが無理あると思うよ」

「そこは優しい無視っていうかさ……?」

 

 

 自分は分の悪い話し合いをしていると自覚している。自分が外に出たらいらぬ戦闘が起こって潜伏場所を変えなければならなくなるかもしれないことも分かっている。

 不安げなカガリの表情はそれを如実に伝えていた。その様子からカヨコは、押せばカガリは折れると考えた。

 

 ぷいと無視して立ち上がると、カヨコの予想通り「はい……」という諦念のこもった声が聞こえる。無視って今じゃないんだよ、と突っこむ気力もないようだった。

 

「休んでて。いい?」振り返ってカガリに優しく言う。項垂れていたカガリはこくりと一度頷いた。

 

 

「あと、必要だと思ったら手当てもすること。前に『できるだけ見られたくない』って言ってたし、なんでもかんでも心配するのはかえってカガリの負担になると思ってこれ以上は言わないけど、道具はそこにあるから」

「うん、ありがとう。傷を見て決めるよ」

 

 

 カガリは顔を上げて、しゃんとした表情で礼を言った。

 よろしいとばかりに大げさに首を縦に振ったカヨコは、イブキとともに宿を出た。

 

 

「イブキは一緒に来る?」

「うん! 行きたい! プリンが食べたいの!」

「それならすぐに行こっか。あんまり買いすぎちゃ駄目だよ」

 

 

 こんなふうな、仲のいい姉妹のようなやり取りがカガリの脳には残っていた。

 服を脱いで傷を確認しながら、深くため息をつく。神経を張っていたことに気付けないほど神経を張っていたようで、一人になった途端、周囲の重力を一手に引き受けたように体が重くなった。

 

 普段はイロハやマコトといったフィルターを介して世間に触れているイブキのことが、カガリはどうにも好きになれなかった。

 感情の傾きを無邪気にぽいと投げ渡してくるところも苦手だった。

 

 人質としての役目はとうに薄れており、駆け落ちした相手のように一蓮托生となっているイブキ。ゲヘナ学園に戻るのなら決して止めないのに、なぜだか一緒にいたがっている。

 彼女の本心がまったく見えていないことに、カガリはもう一度深くため息をつくのだった。

 

 

 包帯を巻いてからスマホを見る。小さな四角は無数の扉に繋がっているけれど、いま連絡を取れるのは登録されている数人だけだ。しかもマエストロと黒服は「なんなんだ」と叫びたくなるくらいに意味が分からない。

 先生はいまだにフランシスと会えていないと言う。スクロールの指を速めて数日前のやり取りまで遡った。先生の対応は変わらず親身で、それを突き放すようにそっけない返事をする自分がひどく子どもっぽく思えた。

 

 存在することすら許されない夜は、もう少し続くようだった。

 

 

 

 

 カヨコとイブキは来た道を戻るようにして繁華街のほうへ足を向けていた。自販機や街灯が明るいおかげで、スマホのライトに頼らずとも歩くことができた。

 

 

「まぁったく、何を考えているんでしょうかねぇ、この子は」

「――っ」

 

 

 突如としてイブキから発されたのは、女性の声。となりを歩いていたカヨコはすぐさま距離を取って、ホルスターに収めていたデモンズロアに手を添えた。

 

 

「何の用?」睨みとドスをきかせ、下に目を向ける。

 まるで普段通りの会話のように、イブキらしきものは平然とした口調を保って続けた。容姿に似合わない妖艶な笑みが浮かべられている。

 

 

「おやおや、物騒ですねぇ。すぐに手を出すのはいけませんよぉ? 私はこの通り、今のところカガリちゃんにはなぁんにも危害を加えていないんですから」

「今のところ、ね」

「えぇ、えぇ。今のところ……ですねぇ」

 

 

 カヨコは未来に起こる何かしらの被害を想定して、イブキらしきものは事実を述べているが想定外も起こりうることを含むような意味深な調子で、今のところカガリにとっては無害な存在であることを確認した。

 カヨコはゆっくりと、デモンズロアから手を離した。視線はいまだに鋭いままだ。

 

 

「まぁったくもぅ、怖いですねぇ。私が何をしたっていうんですかぁ?」

「何もしてない――」

「でしょぉ?」

「けど、胡散くさいし、腹の中を見せたことは一度もない」

 

 

 先ほどよりもゆっくりと、二人は歩き始める。

 このイブキらしきものを、カヨコは便宜的に裏イブキと呼んでいた。カヨコが万魔殿(パンデモニウム・ソサエティ)の一年生だったころからの付き合いだった。

 

 

「怪しい行動をしないこと、疑われるようなことをしないことっていうのは、信用されることの対極じゃない。だから私は疑ってる」

 

 

 カヨコの言葉を、裏イブキは蠱惑的な笑みで流した。口元に萌え袖を当てる仕草はイブキもするが、二人から受ける印象はだいぶ異なっていた。

 

 

「いつから疑ってましたぁ?」

「最初から。カガリがイブキと一緒に行動できるわけないでしょ。するわけもないし。あんたの差し金なのはかんたんに想像がついた」

「まぁ、そうですねぇ……私があれこれと手を回したのは事実ですけれども――しかしですよぉ? 途中からはイブキちゃんの意思でカガリちゃんと一緒にいたんですよぉ?」

「どうだか」

「信用ありませんねぇ、私。泣いちゃいますよ?」

「勝手にすればいいじゃん……」

 

 

 裏イブキは立ち止まって泣くことを試みたが、「やっぱり出ませんねぇ」と首をひねってすぐさま歩いた。

 カヨコはそれを無視して、ずっと一定のペースで歩いていた。追いついた裏イブキが口を開く。

 

 

「いやぁ、もしかしたらカガリちゃんにもばれているかもしれません。ときおり妙な視線を向けられてしまいましたぁ。私はイブキちゃんのように天真爛漫に振る舞うことができませんし、無理もないんですけれども」

「単純に年増だからでしょ」

「言いますねぇ。もっと言ってもいいですよ」

 

 

 カヨコは無視をした。

 愉快そうに裏イブキは笑った。艶やかな笑い声だった。冴え冴えとした月が二人の進む先を照らしている。

 

 

「あんたがいま本性を現したってことは、何か大変なことでもあるの?」

「いいえぇ?」

「……じゃあなんで出てきたの?」

「そんなの二人きりでおしゃべりしたかったからに決まってるじゃないですかぁ」

 

 

 銃に手を伸ばしたカヨコを、イブキは「怖いこわい」と言って煽り、宥めた。

 歌でも唄うかのようなエッジのない軽い声が通りに響く。

 

 

「シャーレで別れればよかったんですが、先ほども申しあげましたとおり、イブキちゃんが一緒にいたがったんですよぉ。お優しいことにねぇ。だからついてきたんです。それで、まぁ、いま出てきた理由なんですけれどもねぇ? カヨコちゃんと意見交換でもできればいいなぁなぁんて思った次第なんですよぉ」

「どうせいつも通り、あんたが一人で話すだけでしょ」

「そうとも言い換えることができますねぇ」

「そうとしか言えないんだって」

「まぁ聞いてくださいよ」

 

 

 嫌味を苦にしない裏イブキに、カヨコは深々とため息をついた。今日だけで数週間分のため息をつくような予感がしていた。

「もしもの話をしましょうかぁ」裏イブキは艶やかに口角を上げ、月を見た。

 

 

「もしも、万魔殿(パンデモニウム・ソサエティ)が私を引き取ったとして、そのあとに問題が解決したとして。カガリちゃんはどんな立場になりますかねぇ? そこが不明だったんですよぉ。だからこそ、思いきり攫ってもらって、その上でイブキちゃんが無事だったという事実がほしかった。解決したあとの彼女の立場を思って、ね? 私が自らの意思で一緒にいたのだと思わせれば、待遇も多少はよくなるでしょう」

 

 

 カヨコも可能性を考えてはいた。穏便に事が解決したあと、カガリが便利屋のようになってしまうことを。ヒナがおそらく政治に干渉するとはいえ、胡座をかくことなどできない。

 逆に、今は目の前が真っ暗すぎるだけで、数ミリしかない真っ暗の先に光が差している可能性だってある。

 

 数ミリの真っ暗が光を遮断するほどに高濃度なだけ――しかしカヨコには、そうは思えなかった。暗闇は、ちゃんと、どこまで行っても暗闇のような気がしてならなかった。だから裏イブキの見据えているものに共感してしまった。

 

 

「最悪を防ぐためには、今を錯綜させればよいのです。私はそれを思いつきましたぁ。

 幸い私が盾にされているときの映像は出回っていない。そして私は、いい写真を持っています。便利屋のベッドで寝ているカガリちゃんをツーショットでこっそり撮ったり、料理しているところをこっそり撮ったりしましたぁ。これは楽しく暮らしていると錯覚させられる写真、ですねぇ?」

「カガリの後始末に役立ちそうな写真を撮ったのなら、どうしてそれを持ってゲヘナに戻らないの?」

「戻ったところで、何になります? ゆりかごに収まってイブキちゃんがぬくぬくと成長することには違いありません。

 しかしカガリちゃんの懸賞金が取り下げられる見込みは薄いでしょう。写真に付与されたなんらかの効果を私の写真程度で払拭できるとは到底思えませんし、であれば長い間一緒にいたという事実を積み上げたほうが得策なのではと思ったのです。もちろんそれは、事態が解決するまでカガリちゃんが無事でいることを前提にしていますがねぇ」

 

 

「私も正解が分からないのですよ」悩ましげに裏イブキは言う。「いずれにせよ、物的証拠があるのは強みでしょう。それに食事も取らせてもらっていますし、健康状態も良好、服まで与えていただいているのです。あとは、なるようになるでしょう」

 

 ろくでもない話しかされないと思っていたカヨコは、ことのほか大真面目な話をされて面食らった。

 解決したあとのことを少し考えても、そもそも写真に付与されたものが撤回されるとどうなるのか想像ができなかったため、出だしで躓く。裏イブキの言ったとおり、ただ漠然となるようになるとしか思えなかった。砂漠のような漠然さは、夜と同じくらいの光度でありながら、気味の悪い粘性の予感を孕んでいる。

 

 カヨコは気分を切り替えようと他の話題を探して、ちょうど意見を求めたかったことを思い出した。

 

 

「写真に付与されたなんらかの効果って言ってたけど、あれが効く人と効かない人って、あんたはどう考えてるの?」

「……神秘を持つものに対して作用し、なおかつ一定の神秘を持つ相手には無効、ですかねぇ」

 

 

 一言ひとことを検閲するように慎重な口調だった。イブキの翼が、風で蝋燭の火が揺らめくように不規則な音を立てる。

 

 

「神秘?」

「えぇ。能力のようなものと思っていただければ、と。例を挙げればヒナちゃんの圧倒的な耐久力や、ミレニアムの暗記脳、また全知。トリニティの戦力的人型兵器、圧倒的な腕力の具現。などなど……ですかねぇ。

 まぁ、見ただけですべてを記憶するギフテッドのような能力が、脳以外にももたらされるとでも言いましょうか。一種の才能。それが神秘と私は考えていますねぇ。イブキちゃんの頭脳や()()()もそれに値しますよ」

 

 

「ふうん」人が一○○の能力値を様々なものに振り分けるのに対し、そもそもが一○○○だとかで桁が違っていたり、もしくはありえないほどに尖った振り分け方がされていることを、一定の神秘を持つと表現したのだろうか。カヨコは考える。

 間を置いて裏イブキは話した。

 

 

「当然、いきすぎた能力には代償もありますがねぇ。明星ヒマリちゃんの脆弱性や、聖園ミカちゃんの非定型な発達、私の二重人格がそれに当たります。……あぁ、ついでに言えば、イブキちゃんは()に気づいていませんよぉ? 知っているのはヒナちゃんとカヨコちゃんだけです。

 とまぁ、そんなところでしょうか。対抗するにしてもそもそもの才能が物を言うんですから、どうしようもないですよねぇ」

 

 

 なぜそんなことを知っているのか。どのようにして情報を集めたのか。カヨコは聞けなかった。裏イブキはいつも、ふらふらとやってきてはべらべらと情報を話した。隔絶した存在なのだとカヨコに知らしめて、情報源を探る気力を削いでいた。

 

 

「話題を変えましょうかぁ。あれ(・・)にまつわる出来事を話したところで、情報が少なすぎて進展しませんし、結局のところなるようになるとしか言えないんですからぁ。いらぬ不安に押し潰されるよりも、現状の最善の話をしましょうということです」

 

 

「二人きりの逃避行を邪魔してすみませんねぇ」と裏イブキはなんの脈絡もなく謝った。色っぽい女性の声で、まったく謝罪の意を感じさせない。

 

 

「別に」

「お詫びと言ってはなんですが、少しばかり、人間関係の話をしたいと思うんです」

「いらない。私のほうが何年先に生まれたと思ってるの」

「まぁまぁ。断られても勝手に話しますのでご心配には及びません。無言でとぼとぼ歩くよりは幾分か気が軽くなるというものですよぉ。カガリちゃんの攻略に役立てばとの思いです。私はヒナちゃんよりもカヨコちゃんを推していますから」

 

 

 始まった。イブキのステージに、カヨコはこめかみを押さえた。幕はすでに下ろされており、スポットライトを一身に受け、司会進行をする人はいない。彼女を止めるすべをカヨコは持たなかった。しかしカガリに関係する話だというから、怪訝な表情を隠さずにひとまず乗ることにした。

 

 

「カガリちゃんは、私の神秘にはあまり反応していないように思います」

「さっき言ってた、可愛さってやつ?」

「えぇ、えぇ。そうです。カヨコちゃんは不思議に思ったことがありませんかぁ? 私のような年齢、外見、頭のよさの住人なぞ、ここには五万といるのです。ではなぜ、私だけがゲヘナにおいてこのような特別扱いをされているのかと。言い表しようのない不可解な現実。またその能力。これも神秘の一つの側面と言っていいでしょう」

 

 

 少し間を置いて――タバコでも咥えていれば、吸って吐くくらいの時間を置いて「みなさん、イブキちゃんには甘いですからねぇ」とわざとらしく言う。

 

 

「カガリは、甘くないと?」

 

 

 カヨコの目に映るカガリは、どちらとも言えない。相性が悪いのは間違いないが、甘さと関係があるわけではないのだし、やはりどちらとも言えない。

 裏イブキは「甘くないですよぉ」と甘ったるい声で言った。

 

 

「カガリちゃんは……他の年下の子たちにも、私と同じように応対をしていますからねぇ。こんなエピソードがあったんです。マコトちゃんが一度、とんでもない横暴をしたことがありましてね?

 何をしたのかはあいにくと、その後のことが衝撃的すぎて覚えていないんですけれども、まぁいいとして。

 こればかりはいつも通りなんですが、まぁそのせいでヒナちゃんの心身に多大な負荷がかかって、大変なことになったんですよぉ。そのとき、イブキちゃん、何をされたと思います?」

「さあ」

「一人の隙をつかれて口にデザートイーグルを突っこまれて、あげくそのまま校舎を歩かされて、万魔殿(パンデモニウム・ソサエティ)の議長室にまで連れて行かれたんですよぉ。それでカガリちゃんは『今すぐやめないと、イブキがどうなるか想像できるか』と脅したんです。私の神秘が効いていれば、普通そんなことしませんよ。あのときは顎が外れたはずです。しばらく痛かった……」

「……それ、万魔殿(パンデモニウム・ソサエティ)と戦争になったんじゃないの? カガリ」

 

 

 大規模な戦闘になったが、すべてカガリが沈めたと裏イブキは語った。イブキ自身は危害を加えられていなかったことと、そんなのやめようと被害者であるイブキがマコトに頼んだことと、おやつの時間が近づいていたことが合わさって、うやむやになったのだった。

 

 

「なぜだか彼女は、そういったものへの耐性があるようですねぇ。いいえぇ、その言い方では語弊が生じますねぇ。効き目が薄い、とでも言いましょうかぁ。

 私はイブキちゃんの見ているものを同じように見ていますから、そこだけが不自然に思えて仕方がないんですよねぇ。少なくとも、イブキちゃんは今までそういった悪意を向けられたことはありませんでしたから」

 

 

 訪れた束の間の沈黙を、裏イブキが破る。

 

 

「おぉっと失礼いたしました。カガリちゃん攻略の話ではありませんでしたねぇ、これは。まぁ、カガリちゃんには不思議な点があると、それだけでも思っていただければと思います」

 

 

 早口でまくし立ててから、顎に袖を当てる。

 

 

「あとは……そうですねぇ。せっかくですし、ヒナちゃんに見せていないカガリちゃんの一面を見せてもらったらどうです? そうすればカヨコちゃん――あなた、カガリちゃんの特別になり得ますよ?」

 

 

 甘ったるい声だった。明らかに毒があると分かっていながら人を惹きつけてやまない薬物みたいだった。ぱっちりと瞳孔の開いた目は、狂気の淵に佇む裏イブキの精神性のあらわれだった。

 

 

「別に特別だなんて」

「本当ですかぁ? 人は誰しも、誰かの特別になりたがるものだと思っていますがねぇ。イブキちゃんの周りなんて、誰がイブキちゃんの特別かで抜いて抜かれてのダービーをしていますよぉ?」

 

 

 あざ笑うかのように裏イブキは声をつり上げた。

 カヨコは薄気味悪さをこらえながら言う。「ずいぶん侮蔑的な口調だね」

 

 

「……まぁ、あなたになら良いでしょう。私も吐き出さないとやっていられないんですよぉ。

 全員、イブキちゃんを撫でた手で人に銃を向けている自覚がないんです。イブキちゃんを抱き上げた白くあたたかくほっそりした優しい手で、人を蹴落とすための企画書にサインをしている自覚がないんです。

 私にはそれが――許せないだけなんですよぉ。苦しみながら、『私はイブキちゃんのためにこんなふうに人を蹴落としているんだよ』って、泣きながら抱き上げてほしいんですよぉ」

「……最低すぎない?」

「だってぇ、そうでもしなければ尽くされることを当たり前と思ってしまうじゃないですかぁ」

 

 

 裏イブキにとってそれは深刻な告白ではない。

 彼女の発するすべての情報から、カヨコは正確に事実を読み取った。そして、異様な雰囲気に飲まれていた。

 

 

「おぉっと、またしても話がそれてしまいましたぁ。それで、人間関係は太陽系に似ていると私は思うんですよぉ」

 

 

 ステーキを食べたあと、紙ナプキンで口もとの汚れを拭うみたいに。自然体で品性を感じさせる話題の転換。内容は毒々しい花にまみれていて、カヨコは話についていくので精いっぱいだった。

 

 

「ヒナに見せていない一面を見せてもらったらどう? って話じゃなかった?」

「延長線ですよぉ。太陽が沈んでいる間は月が出る。カガリちゃんにとっての太陽がヒナちゃんやセナちゃんなら、あなたは月となればいい。そう言いたいのです、私は」

 

 

 怪しい店の看板がぎらぎらと明かりを放つ場所まで出た。太陽と生活をともにするような田舎と言って差し支えない場所だ。詳しい場所は分からないが、コンビニはすぐそこだろう。

 カヨコはその事実に胸を撫で下ろした。何度裏イブキに飲まれても、背中を薄気味悪い感触が行ったり来たりすることには、慣れない。

 

 裏イブキはカヨコの様子に気づいていながら、平然と無視して話を続けていた。

 

 

「地球は太陽以外にも、土星や木星などの重力の影響を受けています。また、他の惑星の衛星もありますねぇ? カガリちゃんを地球と見立てて、周囲を取り巻く人間関係を惑星などに当てはめて考えてみるといい。それだけのことです。太陽は知らずとも、他の惑星は地球の他の真実を知っているかもしれない。その存在になればよいのです。唯一無二性など、たったそれだけで担保されますから」

「……それができないから、困ってるんでしょ」

「一度襲ってみたらどうです? 性的な意味で」

「それは――」

 

 

 甘い誘惑だった。カヨコだって、その事実に(・・・・・)気づいている。また、裏イブキの言っていることも一理あると思ってしまった。

 

 

「カガリちゃんは女生徒との接触を極端に避けているふしがありますねぇ? そこに踏みこんでみたらいかがでしょうと私は言っているのですよぉ。なぁに、難しいことではありません。ただ、イブキちゃんが寝ている間に、少し押し倒すだけでいいんです。彼女、力はさほどありませんから、それだけであなたは真実に触れることができます」

「それは――」

「ためらってもいいんですよぉ。しかしそれでは、彼女に触れることはできません。一歩踏み出すからこそ、人は進むことができるし、また失敗してしまうこともあるのです。現状維持に甘んじているだけでは、特別にはなれませんねぇ。よくてキープ、というところでしょうかぁ」

 

 

 どこまでも小馬鹿にするように、しかし関係が進展を迎えるように。裏イブキは自身の歪みを余すところなく示して、倫理観が欠片も残らないほどに砕いて、カヨコの心を踏み荒らした。

 

 

「あなたはあなたの持ち味で戦うしかありません。恋は戦争なのですよ。カガリちゃんと逃げることを決めたあなたには、あなたにしかできないことを、やってもらわなければならない」

 

 

 カヨコは今や喉笛を食らいつかれ、捕食されようとする羊だった。瞳孔の開ききった正気ではない目が、こちら側に来いと手招きしていた。

 冷静さのすべてを導入して、カヨコは内心に抗った。しかし寄せては返す波のように、誘惑が不規則に脳を殴りつけてくる。一度カガリに吐き出してもらえば、確かに唯一無二に近づけるかもしれない。

 イブキの言葉は宝箱を開けるための鍵だった。鍵を使うかどうかの決定権は、カヨコにあるはずだった。

 

 

「……どうしてそこまでするの? 私はたまに話し相手になるくらいで、そこまでの詫びや礼をされるとは思ってない」

「だぁかぁらぁ、言ったでしょうに、ねぇ? 私はカヨコ推しなのですよ。理由など、その程度のもので十分でしょう?」

 

 

「しいてもう一つ挙げるとするならば……」裏イブキが紅い唇を人さし指でゆっくりとなぞった。

 

 

「私にとって最も大切なのは、イブキちゃんの健全な成長です。しかし、彼女の神秘がそれを許さない。ですから、悪意を向けたり、激しい感情を向けたりしてくれるカガリちゃんは、イブキちゃんの成長にとって必要なのです。

 つまるところここで死なれたら――困るのですよ。悪意は正しく対応されれば、心の成長に繋がる。これでご満足いただけましたかぁ?」

 

 

「それでは、あなたもいい夜(・・・)を」艶冶にほほえみ、裏イブキはそう言い残して引っこんだ。唇の(あか)がカヨコの脳に焼きついている。

 呆然とするカヨコを、イブキは不思議そうに見上げた。コンビニが数メートル先にあったことを、カヨコは気づけなかった。

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