篝火の消えぬキヴォトスより   作:ぞんぞりもす

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灰色の騒動

 そのカフェは、ゲヘナ自治区にあるカガリ行きつけのカフェに外装がよく似ていた。下見の時点で目をつけていた。アーバンジャングルが得意でないカガリは、ウッド調の店を好む。

 

 調印式当日、任を与えられたカガリは、『待ち伏せのため』などという理由を掲げ経費で豪遊しようと画策していた。ひっそりした佇まいに釣られるようにトリニティ自治区の一角にある敷居をまたぎ、アイスコーヒーとプリンのセットを頼んだ。深いグレーの猫のマスターだった。

 

 

 その店は空いていて、カウンターではなくテーブル席に決めたカガリ。前風紀委員長のおさがりのコートを対面のソファにかけ、ウエストポーチもそこに置く。腰を下ろした瞬間に沈みこんだソファの座り心地に思わず声が出た。マスターにがばっと顔を向けると、よかったですねとでも言いたげな笑みを返される。赤い顔のまま、何となくカガリは頭を下げた。憎悪が取り沙汰される二校だが、こんな人もいることにあたたかな気持ちがこみ上げてくる。

 ウッド調の箱庭のところどころに観葉植物が置かれ、まるで隠れ家のようだった。天井から吊るされている丸い照明はまだ点いておらず、優しい光が窓から差し込むとともに、通りを見渡せるようになっている。

 穏やかなジャズが流れる店内は、夜になればさらに浮世離れした様相を呈すのだろう。

 

 

 注文していたメニューが届くまで内装や通りの風景を楽しみ、ここに来た本来の目的を果たすために表情を整える。コーヒーやプリン、女の子用の小さなスプーン、スマホが視界に入らないようローテーブルに置き、自身はソファに深く座ってタブレットとにらめっこ。ヒノム火山を見に行った報告書の作成だ。

 

 

 轟音に意識が向いたのは、報告書を数回読み返して、ゴルコンダからもらったスマホで外部のことをいくらか調べたあとのことだった。

 カガリは肘当てに乗せた腕で頬杖をつきながら目をつむっている。曲と香りに身を委ね、ときおり思い出したように食事を嗜む。そのおいしさに表情がほころぶ。その穏やかな時間に轟音が割って入ったのだ。

 

 

「――何かありました?」

「ニュースに変えましょうか」

 

 

 短いやり取りから生じた緊迫した空気。

 店内には二人しかいない。軽く姿勢を正したカガリは隅に寄せていた私用のスマホに手を伸ばした。

 

 カガリの脳裏には、与えられた任務が浮かんでいた。緊急事態に陥った際に、正面から戦うのではなく、裏の存在を追うこと。さんざん駄々をこねてヒナに了承させた任務。トリニティを訪れたのも、通りを見渡せる場所に陣取ったのも、そのためだった。

 

 自分が任務のために動かないことが二重の意味でよかった。できれば働きたくないし、エデン条約が締結されたらヒナが楽になる。

 しかしカガリがどれだけ嘆いても何かは起きてしまった。祈りが届かないからこそ、現実という、隙間風すら入りこむ余地がない冷たい名称が与えられているのだと思う。ため息一つで気分を切り替える。

 

 

 スマホのロックを解除する。横スクロールとタップを繰り返して検索アプリやSNSをチェック。ホーム画面には、二種類のツーショットが交互に現れた。触れても固い感触が返ってくるばかり。カガリは唇を噛む。長く押しすぎたのかいくつかの項目が出てきた。

 今はこんなことをしている場合ではない。気を確かにして、風紀委員やセナに連絡をする。

 情報収集しているうちにクロノススクールの報道が店内に流れた。興奮した声が届けば届くほどカガリは凪いでいった。

 

 

「ツケって許されます?」言っている最中にも年季の入ったコートを羽織り手榴弾やマガジンのチェックを始める。答えが返される前にウエストポーチをひっつかみドアノブに手をかけた。

 

「それは……」マスターは困った顔で事実その通りの内容を口にした「困ります。払っていただかないと……」。

 

 ノブを回したカガリは含み笑いをする。相手を見上げた真紅の瞳には好戦的な感情が乗っている。

 

 

「市民のためにこれから戦ってくるんです。マスターは品行方正なトリニティ自治区の住民ですから、もちろん諸手を挙げて()()()()()をしてくださいますよね?」

 

 

 だからといって食い逃げは許されないだろう。深いしわが刻まれたマスターの顔にはありありとそう書かれていたが、カガリは無視を決めこんで、街へ飛び出した。人と話すときに貼りつける笑顔はもう、消えている。

 

 

 

 

 調印式の会場が襲われたらしかった。すべてが鮮明なのに、ビルにでかでかと投影されている映像と、それをぽかんとした顔で眺める群衆の間には、次元を一枚隔てた溝みたいなものがあった。嘘みたいに明るい太陽の下を、人の呼気にまみれた灰色のジャングルを、カガリは次元を飛び越えようとひた走った。

 顔を洗おうとして手に溜めたぬるま湯がいつの間にかこぼれ落ちていくように、人の命はあっさりと潰える。自分の手で救えなかった命もまた、そこに含まれているはずで。過去のカガリで言えば自分自身だった。

 

 今はただヒナの無事を()()しかない。だが、ここは、現実だ。それでも胸の前で手を組むことはきっと無駄ではない。湧き上がる諦観を飲みこんで、何度踏みにじられてもそうしてしまうのは、強い思いがこもっているからだ。

 

 

 自身を蝕む思考から逃れるために、カガリはペースを上げる。考えて陣取っていたおかげで、大きな通りを数度曲がるだけで現場に到着した。

 

 

 こんなにも煙が立ち上っているのに、ビルが高いせいで火事だと分からなかったんだ――焦りの臨界点をこえたカガリは冷静だった。一度次元を隔ててしまったことに気づき、ぶんぶんと首を横に振る。

 ぱさ、ぱさ、と頬に当たった金髪からは空気が読めないくらい甘い香りがした。このヘアオイルは、ヒナが「いい」と言っていたものだった。笑顔がよぎる。漠然としたどす黒い何かが腹の中に渦巻き始めた。知らぬ間に、カガリの口は歯ぎしりの音を立てていた。

 

 血痕、散乱した銃と負傷者、瓦礫、爆炎、黒煙。今のところ銃声はない。

 冷静になるためにあえて吐き出す。

 

 

「さっき聞こえたのは、おそらく爆弾の音。ツェッペリン飛行船みたいなのが墜落していたけど、あれはパンデモニウムが使っていたやつだから空襲じゃない。じゃあ何? どこから攻撃された? 爆撃機だって見ていない。映像にもそれらしきものはまったくなかった。不自然すぎる」

 

 

 周囲にはたくさんの人がいた。その誰からも返答はよこされなかった。

 かろうじて直撃を免れた生徒が右往左往している。ゲヘナもトリニティも、同じ学園の生徒にしか肩を貸していないのが腹立たしかった。

 

 

 じっとしててもしょうがないな――言うが先か考えるか先か。否、走り出すのが先だった。何もまとまらぬままカガリは駆け出した。

 道中で慌てて止まって、ホルスターから抜いた愛銃のセーフティを解除する始末。金髪の少女が一人、調印式の会場を当てどなくさまよい始めた。

 

 

 

 

「――ヒナ!」

 

 

 やっと見つけた。希望を浮かべたカガリの顔は、しかし一変する。足を止めて周囲を見た冷静さがカガリにさらなる激情をもたらした。

 

 キヴォトス製の服は強靭だから、少し銃撃を受けたくらいでは破けない。そのはずが、ところどころ破れていて土がついた肌がのぞいている。髪だって体だって丁寧にケアしているのに、それをあざ笑うかのように粉塵が舞い、ヒナを汚していた。

 またヘイローを持つ者たちはそう安々と血が流れないのだ。にもかかわらず足下に広がり続ける命の証。

 

 ヒナは銃床を杖にして立っている。小高い丘の上にいた。カガリに背を向けて下を見ていた。

 彼女の眼前に何が広がっているのか、カガリからは見えない。

 実際には、ヒヨリを筆頭としたアリウス分校の生徒とユスティナ聖徒会の複製(ミメシス)がいた。

 

 

「カガリ、来るな!」

 

 

 一度も聞いたことのない鋭い声。しかし走り始めたカガリの足は止まらない。

 振り返ることもせずにヒナはマシンガンを構えた。

 

 

 向け合う銃口。

 引き金を引いたのは同時。

 

 

 毎分一二○○発。独特の発射音で放たれる弾丸の嵐は、圧倒的な制圧力を誇る。

 それにひるまず、数の暴力を武器に、ありったけの弾を撃ち出す敵軍。一人、また一人と沈黙させられるが、それでも着実にヒナにダメージを与えていた。

 

 カガリは手近な瓦礫の裏に身を隠し、銃撃の様子をうかがいながらヒナへと躍進した。ときおり飛んでくる擲弾がカガリの進軍を阻んでいる。スモークグレネードを投げてヒナを回収する案も考えたが、やみくもに擲弾が飛んできては手に負えないと感じてやめた。

 ヒナは瓦礫の山の上に陣取って、攻撃されることを厭わずに撃ち下ろしている。あえて姿を晒すことで敵の銃撃が散ることを防いでいるのだろう。彼女は肉壁として嵐にさらされ続けた。

 

 

「ぐ……!」

 

 

 すべてのものに許容量は存在する。それを超過する量と勢いを一身に受け続けたヒナが膝をつく。戦いが始まってから三○秒も経っていなかった。

 

「ヒナ!」カガリは被弾も構わずに駆け寄った。丘の上に到着する。見下ろすと敵が広がっていた。

 瓦礫や車、街路樹やベンチの影から様子をうかがっている。この数相手ではカガリの銃撃は無意味だ。苦々しい表情になる。愛銃はホルスターにしまうしかなかった。

 手榴弾のピンを抜いて適当な位置に投擲。投げ返されないようにあえて待って、投げる、下に転がす。その繰り返し。破片手榴弾もまぜたから、有効射程を考えれば、そうかんたんには遮蔽物から出てこれないはずだ。

 

 

「カガリ……ごめん、なさい」

「今は喋らない! 安全な場所まで絶対に運ぶから、抱えられる準備だけしといて!」

 

 

 ヒナは息も絶え絶えだった。それでも、カガリの言葉に少しだけ表情を緩めて礼を言った。

 ヒナのコートの背と膝裏に手を差しこむ。発砲によって熱されたデストロイヤーの銃身と不安定な足場に気をつけながら一息に下りる。

 

 

 気がつけば四方八方から銃声が聞こえていた。一番縋りたい可能性は、無事だった連中と襲撃部隊が交戦していること。前者が優勢なこと。

 

 

 灰に染まった都市を、少女は再びあてどなく走りさまよう。爆撃により倒壊したビルの残骸が、碁盤の目状の都市をさらなる迷路へと進化させている。どこにでも繋がっている交差点には、けれどカガリの求める出口がない。

 

 

 必死の形相。煤けた服と傷んだ運動靴。力も権力も願いもすべてが通じない、鈍重な空気に包まれた箱庭。

 戦争。次元を隔てて観察していた出来事。それは、後ろからクマが迫ってくるような、巨大な存在から逃げるときのありありとした焦燥をかき立てながら目の前に広がっていった。

 

 

 自身の手からヒナがこぼれ落ちてしまうことだけは、なんとしてでも避けたかった。

 ――ゴルコンダ。あなたの言う台本(シナリオ)は、ヒナがここからこぼれ落ちることなのか。

 カガリは問う。誰を責めるわけでもなく、穏やかに問う。誰も責められない悔しさに顔が歪んでいく。

 ――それを防ぐために、今まで頑張って生きてきたのに。ヒナに危険が及ばないようにしたのに……!

 

 

 途中でヒナから先生のもとに向かったほうがいいと助言を受け、トリニティの戦闘部隊が多いほうに向かって進んだ。遠目に先生が見えたとき、歯の隙間から声を出すようにヒナは喋った。

 

 

「先生なら、これを解決できるかもしれない」

 

 

 うわ言のようだった。それきりヒナは沈黙した。意識が途絶えたようだった。焦って脈を取り、気絶しただけだと気づいたカガリは安堵の息を吐く。腕に収まる小さな体を揺らさないようにして走った。

 

 果たして、先生は無事だった。まるで未知の物質で構成されたボディスーツが守ったかのように、不可解なほど、先生だけが無事だった。

 先生のもとにたどり着いたカガリは薄ら寒くなった。彼の周りだけが不自然な安堵感に包まれていた。あの人がいるから大丈夫。それは、宗教を盲信することと何か違いがあるだろうか。

 

 

「ヒナ!」

 

 

 先生はヒナへ走って来た。

 両肩を掴んで揺さぶろうとしたので、カガリはふいと体をそらして先生の手を振りほどいた。先生を見上げる目と表情で抗議する。

 

 

「ごめん……カガリ」

「いえ。持っていてくれるなら任せます。でも変な場所には絶対に触らないでください。あなたに銃を向けなければならなくなります」

 

 

 淡々と告げるカガリ。周囲の目が敵意一色になったことを意に介していない。

 カガリは先生と面識があった。数回当番に入ったことがある。だから、この先生に変な気があることを知っていた。それでもヒナを先生に預けた。ヒナの背中と膝裏に回っている手が何をしでかすか分からなかったため、カガリは警告したのだった。

 

 

「セナを呼びました。確か一度会っていたと思うんですが……ゴールデンマグロか何かの騒動のときに」

 

 

 頷いた先生を見上げながら、カガリは続ける。

 

 

「包囲網を抜ける必要があります。僕がなんとかするので行きましょう。ヒナは、これを何とかできる可能性はあなたが一番高いと考えています。だから、セナの車に乗って、ヒナとともに脱出してもらえませんか?」

「――あなた、先ほどから何を勝手に……!」

 

 

 踵を返して歩き出したカガリに怒号がぶつけられる。かなり意図的に感情を抑えていることが分かった。それでもなお分かる苛立ちから、それは怒号と呼ぶにふさわしかった。カガリは無表情のままに振り向く。

 黒い大きな女性だった。存在感を放つ漆黒の翼が毛羽立っている。カガリが面識のない、トリニティの羽川(はねかわ)ハスミだった。

 

 

「何を勝手に先生を脱出させるなどと……! ゲヘナが信じられるとでも!? そもそもあなたは、風紀委員でありながらどこで何をしていたのです! 傷ひとつない! これを仕組んだ首謀者だから怪我がないのではありませんか!?」

角がありますよ、僕には(トリニティじゃないんだから)

「ぐ……! しかし! 裏切り者でない確証はありません!」

「――それ以上話すのであれば、あなた方も敵と見なしますが?」

 

 

 カガリはホルスターから瞬時に銃を抜いた。ハスミに向ける。セーフティは解除されている。

 一拍遅れて、ハスミも銃を構える。互いに頭を狙っている。

 

 

「ハスミ」「カガリ」

 

 

 女性の低い声。大人の男性の声。

 ハスミとカガリはそれぞれ、話しかけてきた相手を見た。視線を様々な人物へ移動させ、周りが自分たちのせいで困惑していると悟り、二人はようやく銃をおろした。

 ハスミを止めた少女が先陣を切って口を開いた。

 

 

「内輪もめをしている場合ではない。風紀委員が責任をもって脱出させると言っている」

「しかしツルギ……! ゲヘナの最高戦力ですら負けたのですよ!?」

「知っている」

 

 

「おい」ツルギがカガリを見た。

「何です?」カガリは切り開くべき方向を見ている。カガリたちを取り囲む襲撃者はじりじりと包囲を狭めていた。それを確認し、顔を歪めながらも、振り返ってしっかりとツルギの目を見つめる。

 

 

「風紀委員長をどこに運ぶつもりだ?」

「これはゲヘナの救護班の言葉ですが、まずはトリニティで応急処置をしてからゲヘナまで輸送すると」

「それなら先生はトリニティでおろせ。ゲヘナまで運ばれると何が起こるか……信用できない」

「だそうですよ、先生。トリニティでおります?」

 

 

 鋭い剣幕の二人。先生はヒナを見つめて、逡巡を振り切るように勢いよく一度だけ頷いた。カガリは先生の機微を察した。「セナに任せるのでヒナはきっと大丈夫です。信じなきゃやってられないですよ」と無愛想に言う。

 会話は再びツルギとカガリに戻った。

 

 

「無事に包囲を抜けられるのか?」

「分かりません。でもやんなきゃヒナは助からないかもしれないんですよ。じゃあやります。僕には戦う理由がある。守るべきものはすでに傷ついた。ならば、その恨みをぶつけるために戦い、攻勢に転じるまで」

「拳銃でか?」

「はい。可能不可能の話はしていません。やると言ったらやれるんです、僕は。言っておきますが、セナに連絡をしたのは僕です。トリニティが先生とヒナを運んでも、セナに見つけてもらえるかは分かりませんよ」

「そのセナというものはこの近くにはいないのか?」

「そう何度も質問するようなら肺が酸素と直接触れ合えるようにしますよ。どうします? ヘモグロビンが大喜びするような刺激的な呼吸、体験してみます?」

 

 

 カガリの声に抑揚はない。浮かべた笑みには無彩色の影が差している。

 

 ツルギはカガリに背を向けた。「背中は死守する」

 カガリもツルギに背を向けた。ウエストポーチを外し、ヒナの上にそっと置く。

 

 

「持っといてください。ちょっと」

「――()()だよ、カガリ」

「いや〜そんなまさか!」

 

 

 カガリは先生を見上げる。細い喉が奏でる甘い音色に、とびきり可憐な笑みを添えて。

 

 

「建物の倒壊による犠牲者が増えるだけですよ?」







※原作のヒナはユスティナ聖徒会の複製が現れる前にヒヨリたちを撃破しています。そして先生と合流しています。
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