篝火の消えぬキヴォトスより   作:ぞんぞりもす

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平行線の行き先

 カガリは先生が歩いていったあと、どうにか敵の視界を遮りながら、大回りをして先生のもとへ近づいた。そこまで離れていなかったことと、大きめの瓦礫や倒壊した建物の配置の運がよかったことと、トリニティの地形をしっかりと頭に入れていたことが幸いした。

 そしてタイミングを考えて、煙幕を張った。

 

 

「――離れて!」

 

 

 先生を背に、カガリは猛然と引き金を引いた。

 無駄なく敵の体や頭に銃口を向けた。撃った数と同じ数だけ当たった。早業だった。しかし時間の猶予がなく、全員に攻撃できたわけではない。ゴルコンダ製のマガジンの二つ目を装填してから何発撃ったのか覚えていない。このまま撃ち続ければ、先ほどのように、いつかスライドロックがかかるだろう。

 カガリは唇を噛む。

 

 

 狙われなかった面々は次々にカガリへ冷徹な鉄の先を向けた。

 引き金を引かれれば、たちまちそこには熱が走る。カガリは血に染まる。焦りが汗となって頬から滴る。

 サオリは動かなかった。

 

 

(冷静だ。何も考えずに近づいてくれたら楽だったのに)

 

 

 カガリは胸中でごちる。

 サオリが近づいてくれれば、誤射を恐れた敵が撃ちづらくなる。そして自分は一方的に撃てる。事態は理想通りに運ばない。だからカガリは今、必死の思いで引き金を引いているのだ。

 

 

(集中砲火を食らったらまずい。ヒナを逃がしたあとにまた戦わないといけないんだ……!)

 

 

 血走った目がカガリを捉えた。カガリはそこにも容赦なく弾丸を撃ちこんだ。サオリが体勢を崩している間に自身は煙の中へ身を引いた。

 

 

「貴様……! 先生を囮に使ったのか!?」

 

 

 カガリは念のために先生がたどったであろう経路を進んだ。

 煙幕の中を弾丸が突き進む。カガリの背中に無数のそれが注がれた。

 

 

「――ぐ!」

 

 

 先生が身を隠していなければ、もしくはカガリが先生の盾になっていなければ、先生は蜂の巣にされていただろう。

 カガリは痛みに背を反らしてしまう。歯を食いしばって耐え、踏ん張って切り返し、目測で弾丸を浴びせる。記憶と直感と経験を頼りに灰色の中で銃撃する。何人かに当たったようだった。そして手榴弾を置いてその場から撤退する。誘爆しなかったのは奇跡だった。

 

 

(やる! あらかじめ相手が逃げる場所を考えて、その移動経路を予測して、煙幕の中でも撃てるようにシミュレーションしてた……! 勝てるかこんな相手に……?)

 

 

 反転して先生のもとへ走っているカガリの背中に今度は爆風が押し寄せる。置いた手榴弾が起爆したのだ。

 波となった空気によって吹き飛ばされ、カガリはなんとか着地したのちにごろごろと転がった。瓦礫に突き刺さったり、骨を折ったりすることはなかった。手をついて立ち上がろうとして、一度失敗してうつ伏せに倒れる。

 

 

(体に力が入らない……! 意識が朦朧としている……!)

 

 

 戦いが始まってから、カガリは歯を食いしばってすべてを耐えてきた。それはここでも同じだった。

 力を振り絞って立ち上がり、物陰にいた先生を誘導して、手近なビルの中へ入る。それでも足りないと思って、もう何回かビルを抜けた。幸い敵との遭遇はなかった。包囲に穴をあけたかいはあった。

 

 カガリはビルの内部にあるテナント――どうやら服屋のようだった――のさらに中にある従業員用のこぢんまりとした場所に先生を案内した。テーブルとパイプ椅子とおしゃれな布地がいくつか目についた。

 

 

「――っ!」

 

 

 先生の視界に入らないように、部屋の隅に血痰を吐く。なんの衝撃かは不明だが内蔵にまでダメージが入っていたらしく口から血が吹き出した。手で押さえたらべっとりと跡がついた。押さえきれなくなったものが床に赤い染みを作った。

 

 

「麗しい乙女が吐いてる姿なんて、見ちゃ駄目ですからね……!」

 

 

 カガリは微塵もそんなことは思っていないが、とりあえず言うだけ言った。自分を乙女と定義することで、意識していないと混濁してしまう自我を保つ。

 体のどこかから血が出ているようで、赤く彩られた床に静かな水音となって滴る。口の中に残る血を舐め取って嚥下する。苦い顔になる。壁に肘から手までをつけて、さらに額をそこに当てる。意識して何度も深呼吸をする。それでも呼吸は浅く早い。

 

 少しの間だけそうしていた。

 

 

「よし……!」

 

 

 カガリは確信した。最短は無理だ。今の自分にあの包囲は突破できない。スマホを取り出してセナに連絡を入れる。

 最低限の休息は取った。カガリは対角線の位置に座りこむ先生を見下ろした。テーブルが邪魔で胸から上しか見えない。

 

 

「僕が変身中に攻撃してくるような悪役で、よかったですね……!」

「ありがとう、カガリ」

「まったくですよ、ほんと。ろくな話を聞きません……! あなたからは」

 

 

 息も絶え絶えの様子で、しかしカガリは笑みを崩さない。生気が薄れ、半ば唇を引きつらせるようにしていた。光のない部屋は暗い。それが一層カガリに消えてしまいそうな儚さを与えていた。

 

 

「毎日走りこみをしているんですが……今度からは、怪我した状態で走ったほうがいいですかね……?」

「喋っちゃいけないよ」

「うるさいのは、僕の取り柄の一つです」

 

 

 やっと整い始めた息。声にもいつもの甘さがまじった。「先生」と名を呼び、その人の元へ歩き出す。

 壁に背を預けて座りこんだ先生。ずっとヒナを持っていることがつらかったのか、彼女は冷たく硬い床に寝かされていた。

 カガリはしゃがんで――その際にバランスを崩して――片膝立ちになって、先生を見つめる。先生が聞きもらすことがないようにゆっくりと話し始めた。

 

 

「僕が先生に連絡を入れてからここを動いてください。この建物の、入ってきたほうと逆の出口から出て直進です。十字の交差点を四つ進んだら五つ目を右に曲がって、また四つ交差点を突っ切ります。五つ目の交差点近くの建物に身を隠してください。アクションが起こるのは五つ目。覚えやすいでしょ? セナには連絡を入れました。最短は無理だ」

「それじゃあカガリは……」

「ここからは別行動です。僕が囮になります。そのほうがヒナが逃げられる確率が高い」

 

 

 息を吸う。唇が不快だったので舌で舐め取ると土埃や血を口の中に入れてしまって、余計に不快な気分になった。デストロイヤーに手を伸ばして、すっかり冷えた銃身を抜く。少し膨らんでいる。が、振り回すにはちょうどいい大きさだ。

 軽く振ったり握り心地を確かめたりしているときに、物言いたげに先生から見つめられていることに気づいた。

 

 

「先生は僕をこのままにしていくのが怖いかもしれない。でも、僕は行きます。止められる筋合いはない」

 

 

 不敵に笑う。

 

 

「先生には成すべきことがあります。僕への身勝手な心配で足を止めるのと、自分の成すべきこととヒナの信用。どっちの天秤が傾いてますか? あなたは――先生ですもんね? 生徒の信用を裏切るようなまねはできませんよね? もちろん僕だって信じている。先生がここからヒナを運んでくれるって」

 

 

 理不尽に二択を提示し、相手を視野狭窄に陥れる。意趣返し。カガリはよくないことをしている自覚はあったが、悪いことをしているとは欠片も思っていなかった。

 ベルトを通している穴に銃身をむりくり通し、手近な場所にあった細長い布で結んで固定した。

 眉を寄せて「それは」と言い淀む先生にほほえみを向ける。

 

 

「もともと開催されていたお祭りに、ちょっと血の要素を足すだけです。僕のことはそんなに心配しなくても大丈夫ですよ」

 

 

 ヒナの頭をひと無でして、屈んでいたカガリは立ち上がる。多少、顔色は戻っていた。自分のコートやヒナに目を移して苦笑した。どれもこれもすっかり傷んでしまった。生きて帰れたら手入れのし直しだ。

 先生は、部屋から出ていこうとしたカガリを引き止めた。

 

 

「駄目だよ。殺人は」

「またですか?」

 

 

 億劫そうに首だけで振り返ったカガリ。

 先生は首を横に振った。きつく目を閉じて、何度も、なんども。

 

 

「ヒナと過ごせなくなる。犯罪だよ。私も擁護できない」

「じゃあ誰が裁くんです?」

「私がなんとかするから」

「――大人なんて信用できませんよ。嘘ばっかり」

 

 

 先生の言葉を遮って断言した。暗く濁った瞳を先生に向ける。

 

 

 カガリは前の世界のことを思い浮かべていた。小学校。中学校。高校。両親や先生はいつもそう言ってくれた。それは何度も、裏切りという実体として、カガリの背中を押した。断崖絶壁から、底の深い地獄へと。

 最初が一番、なんとかなるんだという希望を持ってしまった分だけ落差があった。それから徐々に()()()()()()()()()()()。自分がなんとかするんだという気持ちで生きてきたけれど失敗続きだった。やがて、備えて、そなえて、起こっちゃったら仕方がないと捉えるようになった。

 物がなくなる。居場所がない。言葉の刃を突き立てられる。

 仕方がないなー。

 

 

 カガリはほほえんで記憶に蓋をして、ゆるく首を振る。

 

 その点で言えば、得体の知れないゴルコンダは約束を遵守する。法律よりも重みのあるものとして大切にしてくれる。だからカガリは、ゴルコンダを信用している。彼の見ている世界も好きだった。

 

 体ごと向き直って、考えている様子の先生に続けた。

 瞳は燃え上がっている。先生を捉え続ける。ゆったりとした口調を心がけたが、うまくいきそうにない。内心を反映した熱いものが音にまざってしまう。

 

 

「相手は殺す気で来たんですよ? 先生だって殺されそうだった。それなのになんですか、殺しちゃ駄目って。甘ったれてますよ。相手は殺す気なんです。作用反作用の法則ですよ。同じ熱量を返して何が悪いんです? やられる前にやるのが仁義でしょ?」

 

 

 先生は諭すようにゆっくりと話した。

 

 

「それでも、どうしても駄目なことが、あるんだよ。いいとか、悪いとか、法律がどうとか、そういう範疇の話じゃないんだ。理屈じゃないんだ」

「大人はいつも綺麗事ばかり言う。それで何かを守った気でいる。保身ですか? くだらない。綺麗事じゃ誰も守れない」

「でも、誰も傷つけないよ」

「詭弁だ。誰かが割りを食って苦労しているのに黙っているだけ」

「苦労は傷つくことじゃない。それに、人を傷つけるのは人だけど、それを癒やしてくれるのも、また人なんだよ」

「詭弁だ!」

「カガリはヒナを、守ろうとしているの? さっきツルギに言ったことを考えれば、そうではないよね?」

「それは――」

 

 

 脈絡のない質問に、言い淀む。先生への反抗心から「違う」と言おうとした。守りたかったが失敗したから暴れたいのだと、報復してやりたいのだと、お前たちは禁忌を犯したのだと、言おうとした。

 何が違うのだろう、とカガリははっとした表情になる。冷静に考えれば先生のした質問への答えは「そうです」だ。それでもカガリは、ヒナを守りたかったのだ。そこに揺らぎはないのだ。

 

 しかし今、自分を繋ぎ止めている感情は。

 自分のやっていることがなんなのか分からなくなってしまった。武装した砂の城の一粒ひとつぶが風にさらわれて、空虚な砂浜だけが残った。打ち寄せる波に感情のすべてが流されて、やがて息もできない深い色の海で溺れ死んでしまう。

 なぜそう思ったのか、カガリは説明できなかった。

 

 

 開きかけた口がそのままの形で固まる。睨みつけても、先生は動じなかった。責めるでも怒るでもない、優しい表情をしていた。

 カガリは脱力して、視線を先生からヒナへ移す。穏やかに眠っている少女は、付着した血や汚れに目をつむれば夜の美術館から抜け出してきたみたいに神秘的だ。どうか無事でいてほしい。

 

 

「カガリが狙っている相手にも、家族がいるんだよ?」

 

 

 正論は、いつだって心を傷つける。

 納得がいかないという感情が、しけった爆弾として心のどこかにしまわれる。カガリのそこは、もうあふれてしまいそうだった。

 

 

「だからなんですか。赤の他人が死んで、赤の他人が悲しむ。だから? そんなの、ありふれたことですよ? 僕にはそれが悪いことだとは思わない。因果応報です。殺す気で来たから、反撃で殺された。それだけの話です。僕の大切な人は傷つきましたよ? じゃあ……って話でしょ?」

「ヒナはきっと、カガリが人殺しになったら悲しんでしまう」

「関係ない。もし殺したのなら、黙っていればいい。そうすれば誰も悲しまない。今なら不幸な事故として処理される」

「そんなのは優しい嘘じゃない。自己弁護のための卑怯な嘘だ。バレないのなら何をやってもいい? そんなわけはないよ。ヒナを悲しませたくないんじゃなくて、傷つけたくないだけなの? カガリの中で、それはどんなふうに違うの?」

 

 

 平行線は決して交わることがない。

 カガリには、自分を守ってくれなかった大人に対する不信が根底にあった。それを下地としてこの世界の両親や先生と触れ合ってしまった。母国語がしっかりしているからこそ第二言語の習得に時間がかかる人がいるように、第一の人生で強固な価値観を形成したカガリは、第二の人生での価値観形成に困り果てた。一人称も、生き様も、価値観も、何もかもを中途半端にしてどうにか生きてきた。

 ヒナの笑顔を見て、ヒナが作ってくれたご飯を食べて、ヒナに笑ってもらって。

 

 自分を自分たらしめている魂の根源を先生から触られそうになって、カガリはそれを突き放した。穢れた大人に触れてほしくなかった。

 首を振って答えることを拒否した。

 

 

「どうしてそんなに、人の命を終わらせることにこだわるの?」

「理屈じゃないんです。決定なんです。これは」

「誰の?」

「僕の」

 

 

 カガリは困ってしまって眉を寄せた。なんと説明すればよいのか分からなかった。

「だって、許せないじゃないですか」帰りの切符をなくしてしまった子どもみたいに、立ちすくむ。どうしようもないのだ。もう。

 

 一度経験したことだから、自分で経験したことだから。()()はカガリにとって軽いものとなっていた。運がよければ、また苦しみに囚われ続ける生が始まり、運が悪ければ、そこで一生が終わって最後にはみんなの記憶から消える。

 これほど素敵な復讐があるだろうか。

 

 

「僕は行きますから」

「カガリ……カガリがその言葉を曲げないのなら、私はヒナを、置いていくよ。そしてセナを説得して一人でトリニティに行く」

「またそうやって」

「――約束して。私は自分の信念も貫くし、ヒナからの期待にも応える。だから、約束して。きっと、なんとかするから。カガリも、ヒナの期待に沿いたいのなら、今は、私と約束して」

 

 

 歯ぎしりの音は先生の耳にまで届いた。

 

 

「……分かり、ました。分かりましたよ」

 

 

 カガリはそれほど迷わなかった。話しすぎたという自覚のためだった。当てつけのように言って、そこを立ち去った。

 

 先生の口から重い息がこぼれ落ちる。コーヒーに入れた砂糖が自然と溶けていくように部屋に溶けていった。それなのに空気も状況もまったく何も甘くならない。

 やがて先生は無事に、セナと合流した。

 

 

 

 

 教師からごめんなさいを言わされた前田も工藤も小林も、みんなやめなかったくせに。言葉なんて所詮、そんなものなのに。だからそれを守る人が尊いのだ。

 みんなそれを反故にしたくせに。のうのうと、生きているくせに。カガリは揺れていた。

 

 死の気配が濃厚な世界に、少女は舞い戻った。誰かの命をチップに乗せた作戦が再開される。

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