二人は狂気みどろの世界で旅をする

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旅は盲目

 科葉諸友 

 

 

 ある日世界は狂気に沈んだ。

 狂犬病の原因は伝染する微小構造体だった。狂牛病の原因は伝染するタンパク質だった。狂人病の原因は伝染する狂気だった。

 

 元々人々は狂気を溜め込んでいた。そしてある日、誰かの狂気が弾けた。何とか平静を装って常識的に社会生物を全うしていた水面下、どうしようもなく積み上げられた不条理。静かな教室で突然雄叫びを上げたい。真面目に講義をする教授の頬を引っぱたきたい。階段なんて使うのをやめてベランダから飛び降りてしまいたい。全てを投げ出して死んでしまいたい。そんなどうしようもない衝動、狂気がこぼれ出した。

 そして、それは伝染していった。狂気に満ちた叫びを聞いて、狂気に沈んだ患者を見て、あるいはそれらを動画越しで見てその狂気に触れた人々は、無意識に見ないようにしていた自分の中の狂気に気がつき、気が触れた。次々と人々は狂気に侵されていった。

 

 昨日まで真っ当に生きていた人間が今日では発狂し他人の首を絞める。世界はそんなふうになった。だから、彼女にとって幾分生きやすい世界になった。

 彼の頭に血が留まり赤く染まる。彼女の手は力みつづけ、指先が白くなるほど。しかしやめない。

 

 

 こんな世界だから。

 

 

 散々暴れていた彼の身体から力が抜けていく。目がぐりんと回り、白目を向いたまま止まる。

 

「……死んだ」

 

 やったあ。小さく呟いた。彼女はついに彼を殺した。安堵して、跨っていた彼の上にぺたんと腰をつける。反動で死体が揺れるが何も反応を返さない。本当に死んでいるようだった。

 力を込め過ぎたせいで手が痛む。ぷらぷらと手を払って力みをほぐす。

 

「間に合ってよかったぁ」

 

 今や毎日五人に一人は狂気に至って、そのうち六割は何らかの行動の結果死んでいる。彼女がいるクラスも、既に半数が狂ってしまった。このままでは彼が狂うのも時間の問題だった。だから、彼が狂ってしまう前に殺した。

 

「えへへ。ねえ、死んじゃったみたい。かわいそうに、狂気に当てられたんだよ」

「そりゃあご臨終。お前の狂気に殺されたな。で、どうすんだこいつ」

「誰」

 

 彼女が振り返ると、荒れた学校の教室の中、机の上に仰向けに乗っかりダラりと手足と頭を下げている男がいた。

 

「俺だ」

「なーんだ、流転(るてん)か」

冬華葉(とうかは)、殺したからには責任を取らないといけない」

「こんな世界だよ。私が殺したなんてバレないよ」

「でも俺が見てる」

「……えー、なにそれ」

 

 冬華葉が不平の意を示す。折角、責任なんてものがない世界になったのに。

 

「責めてるわけじゃないさ。人を殺すこと自体は別には悪いことじゃない」

 

 流転はそう言って、くるりと一つ寝返りをうち、そのまま机の縁から落ちて地面に身体を叩きつけた。

 

「うぶぇっ」

 

 しばらく身体を丸めて硬直した後、地面に蹲ったままよろよろと机に手を伸ばし、そこに置いてあったパイプを取る。

 

「火くれ」

「はいはい」

 

 パイプの先にライターで火をつける。流転はしばらく葉っぱの煙で肺を満たして、それをゆっくりと吐いてから口を開く。身体は相変わらず地面に横たわったままだ。

 

「死体はな、しかるべき処理が必要なんだよ。特に嫌いな奴の死体は。冬華葉、お前こいつのこと嫌いなんだろ」

「大嫌い」

「だったら尚更、処理が必要だ」

「なんで」

「感情鑑定士がやって来るからな。そいつのことを好きな奴なら、それは狂気が原因になるけれど、そいつを嫌いな奴の犯行ならそれは殺人になっちまう」

 

 感情鑑定士なんてものはいない。薬のせいなのか狂気のせいなのか、流転は訳の分からない常識を騙った。

 

「それに、警察が死体を回収したら葬儀が行われて、死体は正当に供養されちまう」

「うーん、それは確かに嫌だね」

 

 せっかく殺したのに、安らかな眠りを享受されるのは嫌だ。死後も苦しんで欲しいし、真っ当に天国に行くなんてやめて欲しい。冬華葉は彼のご冥福さえも嫌悪した。

 

「だろうだろう。そんなわけで、旅をしよう」

「旅」

「旅だ。世界中を回って、こいつに相応しい、もっとも惨めで残酷で穢らわしい死体遺棄場所を探す旅だ」

「いいね」

 

 それは名案に思えた。だって楽しそう。

 

「でも、どうやってこいつを運ぶの」

「こんなこともあろうかと、知らない大学生からあるものを貰ってきた」

 

 そう言って流転はやっと立ち上がり、教室の隅に行くと、人ひとりが入る程の大きなキャリーケースを引いてきた。

 なんでも、流転がここに来る途中、このキャリーケースを持っていた青年が電車を止めたらしい。飛び散る血肉とその場に残ったキャリーケースを見て、流転は青年がそれをプレゼントしてくれたのだと解釈したらしい。

 

「じゃ、詰めるか」

「おー」

 

 二人が意気揚々とキャリーケースを開けると、中にはぎっしりと人毛が入っていた。どうやら件の青年は突如狂気に犯され突発的に自殺したのではなく、前々から狂っていた口らしい。誰の毛だろうか。

 

「うーん、どうしようか」

「別にいいんじゃね。衝撃吸収してくれそうだし」

「それもそっか」

 

 それに、キャリーケースを残した人もそれを望んでいるように思えた。よし、この誰かの毛も一緒に連れて行ってやろう。

 人毛をそのままに二人で彼をスーツケースに詰める。少し背骨を折ることで問題なく収まった。

 

「じゃ、いくか」

「いえーい」

 

 

 

 ゴトゴトガラガラ。ゴットンガットン。キャリーケースを引きずって歩く。荒れた教室を出て、階段を降りて、校舎を出て。明確な行き場所も遺棄場所も定めずに歩く。

しばらく歩いて軽トラックが路駐しているのを見つけた。こんなご時世でまだ正気に囚われて働くとはお疲れ様だ。

 

「丁度いいな」

「何が?」

「歩き疲れたって話」

「体力なさすぎ。シャブやってるからだよ」

「うっせー」

 

 流転がポケットからスマホを取り出す。有名動画投稿サイトで「狂気」で検索をかけ、一番上に出てくる動画を開く。削除され、再投稿され、また削除され、匿名の奴らが再度アップして、また削除され、イタチごっこの末にサイト側が諦めた、それ。

 

「おはよう、おっさん」

 

 それを片手に、流転は軽トラの窓を開けタバコを吸っていた中年に話しかけた。

 

「あ、なんだ坊主。てか今は昼だろ、ガッコーはどうした」

「んなことはどうでもいいんだよ」

 

 話しかけておいて随分な返答と共に、流転は中年にスマホを突きつけ、それの再生ボタンを押した。

 そうして、狂気が溢れ出す。イカれちまった奴らの叫び声。それに当てられ、次々と連鎖的にイカれだす奴らの、唸り声、呻き声、錯乱した意味をなさない言葉共。

 

「な、なんだよ、ああ、あ」

 

 中年に浮かんだ困惑は混乱に変わり、思考なんてものはすぐにできなくなる。

 

「あ、あああああああ」

 

 中年は狂気に陥った。アクセルをベタ踏みする。サイドブレーキのせいで車は進まない。

 

「いなあいああああんんあああああっ」

 

 ドアを開けもせず、窓からずり出る。地面に落ちると、叫びながら走り出す。そうしてどこかへ消えていった。

 

「うし。軽トラ、快く譲ってくれるってよ」

「うっわー、悪っ」

「お前が言うな人殺し」

「えへへ」

 

 表面がまともな者ほど、溜め込んだ狂気は大きい。少しの衝撃によって簡単に狂ってしまう。流転や冬華葉のように元々イカてる奴らの方がまだ狂気への耐性は強いようだった。

 

「俺が運転する」

「免許は?」

「俺はまだ十七だ。免許取ってたら違法だろ」

「無免で運転する方が違法じゃない?」

「どっちにしろ違法なら何も問題ないだろ」

「え。あー、そうかも」

 

 流転が運転席に座ると、キャリーケースが助手席に座り、冬華葉は荷台に立った。

 

「なんで荷台なんだよ。逆だろ」

「やってみたかったんだもん。トラックの荷台に立つの」

 

 荒れた街の中、時々落ちてるゴミやら家具やら死体やらを避けながらトラックは進む。

 窓を開け、流転は冬華葉と話しながら運転する。真っ白な肌に良く映える冬華葉の黒い艶やかなロングヘアーが風に靡く。

 

「で、どこ行く」

「東京」

「理由は」

「行ってみたいからっ」

「いいね、じゃあ行先は決まりだな」

「行き方はどうするの」

「わからん。羅針盤の第二世代が回転を続ける限りは、北に走っていけばテレポートできるさ」

「それもそっか。じゃあ、出発っ」

 

 二人はどちらが北なのかを知らない。

 

 

 

「Welcome to the メルティランド~」

 

 冬華葉の歌声とマリファナの煙が風に流れる。快晴。むき出しの大地に燦燦と太陽光が降り注ぎ、冬華葉のアルビノ特有の真っ白な髪に反射する。奇麗な赤い目が愉快そうに微笑んでいる。

 

「ご機嫌だな」

 

 運転席からパイプを覗かせた流転が言う。

 

「晴れは過ごしやすいもの。まるでこの世界みたい。流転もそうでしょ」

「まあ、晴れはいい。雨よりも好きだ。葉っぱがしけないからな」

 

 二人の旅は三日目に入る。世界が狂いだして二週間ほどといったところだろうか。人は沢山死に、生きてる奴も大半が狂気に脳をやられ、狂気に感染しなかった奴は元からイカれてるような奴ばかりだったため、社会はまともに回らなくなった。だから冬華葉はご機嫌だった。

 社会が回らなくなったとはいえ、まだ数日のこと。物理的に見たところの世界の荒れ具合はそこまででもなく、ほとんどの道は問題なく走行できた。今日も、流転が運転、冬華葉が荷台のスタイルで旅は進む。

 

「大麻吸いながら運転って危なくない」

「飲酒運転は禁止されてるけど、吸大麻運転は禁止されてないから大丈夫だ」

「確かに……て、ああっ」

 

 ところどころに大きいゴミと人の死体が落ちている以外は何ら問題のない快適な道を走行中、前触れなく冬華葉が声を上げた。

 

「どうした」

「メロンパンが切れた」

 

 世界が狂ってから、二人は基本的に欲に忠実に好き勝手やってきた。その結果が極端な偏食であった。冬華葉はお菓子かメロンパン以外食べないし、流転は炭酸飲料以外飲まない。

 

「え。滅茶苦茶買ったはずだろ」

「滅茶苦茶食べたの」

「なるほど」

 

 食べたい時に食って寝たい時に寝る。刹那主義を極めし者どもは、急遽スーパーへ

買い出し、もとい万引きをすることになった。勘を頼りに何か食べ物がありそうな方向に走ること数十分、二人は大型スーパーにたどり着いた。

 

「メロンパン~メロンパン~メメメメロロロロメロンパ……」

 

 独特な歌を歌う冬華葉が躍りながら店内に入るが、そこでぴしりと固まる。

 そこには店の入り口を閉ざすように人の死体とカートやらレジの精算機やらで作られたバリケードがあり、その向こうから濃い髭を携えた中年男性じっとこちらを見ていた。驚くべきはその死体の数で、十や二十はくだらない。

 

「めろんぱん……」

 

 冬華葉は怯えの意を込めてメロンパンと鳴いた。

普通なら110に電話をかけるべきなのだろうが、ここは狂った世界だ。こんなこともあると受け入れるしかない。何より、この狂気みどろの世界で警察が正常に機能している筈がない。

 

「……あー、スーパーでお買い物しに来たんだが、お取込み中だったか」

 

 しばらくのにらみ合いの均衡状態の末、流転が話しかけた。

 

「……どうやら、その様子だと狂気に侵されていないらしいな。まさか同業者がいるとは、やはり人生何が起きるか分からんな。特に、イカれちまったこの世界だと」

 

 意思疎通が可能なあたり、どうやら相手も正気のようだった。

 

「食い物、というかメロンパンが欲しいんだが、持って行ってもいいか」

 

 流転が交渉を続ける。

 

「持っていく、か。まったく、酒と窃盗は二十歳になってからだぞ。高校生がやっていいものじゃない」

「窃盗は二十超えても違法だおっさん」

「薬もな、坊主」

 

 中年が指で腕をトントンと叩く。どうやら流転の注射痕に気づいていたらしい。

 少しの沈黙。そして中年が口を開く。

 

「あー、まああれだ。そうカッカすんなって。別に争いたくて口聞いた訳じゃない。久しぶりにまともな奴に会ったから嬉しくなって、つい口が緩みすぎた。悪かったな」

「……こちらこそ、つっかかって悪かった」

「気にすんな、むしろ生意気なんて若い奴の特権だ。お近づきの印にこれでも受け取ってくれ」

 

 中年はそう言うとジップロックに入った結晶構造の粉末を渡してきた。

 

「おっさんも同類じゃねえか」

「狂わないためにゃ、事前に狂っとかなきゃいかんのよ」

「ま、それに関しちゃ同感だな」

「よし、それじゃあ久しぶりの客人を招き入れるとするか」

 

 中年はそう言うとバリケードの端に木の板をかけ、即興の橋を作った。

 

「歓迎するぜ、若いの」

 

 中年は黄色い歯を見せて笑った。

 

 

 

 しばらく、冬華葉がメロンパンを在庫すべて持ってきたり、流転がエナジードリンクを大量に確保する時間を挟んで、二人は中年と昼食を食べることになった。

 

「俺は多田丑夫(ただうしお)というもんだ。よろしく」

「万物流転だ、よろしく」

「諸行無常子でーす」

「随分とものごとが移り変わりそうな名前だ。ま、名前なぞキラキラネームだろうが偽名だろうがどうでもいいがな」

 

 丑夫はガスコンロの上にフライパンを乗せ冷凍餃子を、流転はまだ食えそうな弁当を、冬華葉はメロンパンを食べながら話が進む。

 

「まあなんだ、話すこともないし身の上話でもどうだ。俺はもともとホームレスだったんだ。起業に失敗して借金抱えて失業してな。生活保護受けるのも癪だったから、ゴミを漁って生きて来た。そしたら、いきなり世界そのものがゴミ箱になったもんだから、この通り好き勝手やらせてもらっている」

 

 そういって中年が見せて来た手には高そうな宝石のついた指輪が五本の指すべてについており、腕には金の腕時計がついていた。よく見てみれば、中年が着ている服も高級ブランドのものだった。

 

「それ、なんか意味あるのかこんな世界で」

「楽しい」

「なら最高に有意義だね」

「そうだろう」

 

 冬華葉の言葉にうなずいた中年がこれまた高そうな日本酒を瓶ごと呷る。

 

「うーん、うまいが、ビールの方がいいな。で、そっちの二人はどうなんだ」

「私と流転は至って普通の高校生。世界がイカれちゃった記念に旅行中ってところかな」

「そりゃあいいな……おお、こりゃ美味い。冷凍食品も馬鹿にならんな」

 

 食事は和気あいあいと進んだ。

 

「そういえば、入口にあったバリケードと死体。あれはなんだ」

「……あれか。狂人どもの死体さ。俺はここ数日ここに居座っているんだが、狂った奴が寄ってきてな。多分、日常的にこのスーパーを利用してた奴らだろうな。どうやら人は完全に狂っちまった後でも、狂う前に体に染みついた行動は忘れないらしい」

「それで、ウサギに群がる奴らを殺したのか」

「……ああ。狂人に関わると狂気が移っちまうからな」

「なるほどな」

「きゃー、おじさんったら残虐」

「生きるためには仕方ないんだよっ。お前らだってわかるだろう」

「……おっさん、こいつの言うことにはまともに返さなくていい。カーテンの金具と同じで、こいつも人殺しだ」

「こんな世界なんだもの。殺したい奴は殺しちゃうよね常識的に考えて」

 

 冬華葉の体感で九割九部の人が狂っている現状での大衆共通思想(じょうしき)はアップデートされている。

 

「ああ、そうか。そりゃあ、こんな現状でまだ狂気に堕ちてない奴らがまともなわけないか」

 

 殺人に罪の意識があったのだろうか。殺人を責めるような冬華葉の言葉に少し過剰に反応した丑夫だったが、返しの流転の言葉で無駄に張ってしまった気を緩ませた。

 

「おっさんはこの後どうする。俺らは旅を続けるが、おっさんも着いてくるか?」

「いや、やめとくよ。流石に俺も、若い男女の二人旅に水差す程無粋じゃない」

「俺と冬華葉は兄妹だ」

「おっとそうだったのか」

「ま、こんな世界じゃ近親相姦も冠婚葬祭も関係ないけどね、お兄ちゃん」

「ライムの効いたリリックで素晴らしいと思うが全く関係ないな。ガンダムも三文字変えればチンチンだ」

「確かに」

「……ところで流転、その、なんだ。こういうのはあまり聞かない方がいいのかもしれんが、その箸の持ち方はなんなんだ」

 

 仲良く話す二人の応酬が終わるのを見計らって、丑夫が聞いた。

 丑夫の疑問も無理はない。流転は中指と人差し指のみを使い箸を摘まむように持ち、それを串のように使うという非常に独創的な方法で食事をしていた。

 

「ああ、これか。中指人差し指以外の指の腱は全部切ってあるんだ。行儀悪いが許してくれ」

「……なんでそんなことを」

「狂気対策。ちゃんとやらないと石ころに襲われて獅子身中の虫の卵を産み付けられちまうからな」

 

 流転の狂気の一端が零れ、戯言へと変換される。丑夫は流転の回答に困惑している様子だった。

 

「しししん……なんだって」

「ああ、流転のあれは気にしなくていいよ。頭がおかしいだけだから」

「まあおっさんの狂気進行度なら必要ないだろうけどな。その様子だと、まだ精々フェーズ2ってところだろう。なるべく狂気に触れないように過ごしてきたみたいだな」

 

 ちなみに、狂気進行度などという用語はないし、フェーズという言葉も流転が勝手に言っているだけだ。

 

「フェーズがなんなのかは知らんが、まあそうだな。というか、狂気は触れたら一発アウトだろう」

 

 丑夫の言うことは正しい。ただし、常人に限った話だが。もとから狂人よりの流転は狂気の汚染を受けにくいし、冬華葉に至っては狂気と仲良くやっている。

 まだ流転の説明に納得のいかないらしい丑夫がさらに質問を重ねようとしたところで、突如流転の身体が激しく暴れだした。

 

「ぐぅ、あっ……」

「お、タイミング良いね。流石は流転。なんかさすがわって名字みたいだよね。差川流転(さすがわるてん)、どっかにいそう」

「なな、なんだ、何が起きているんだ」

 

 困惑する丑夫を置き去りに、流転の身体は踊りだす。そして両手は首へと向かい、それをへし折ろうと動く。しばらくそんな動きが続いた後に、いきなり流転は脱力し倒れた。それを冬華葉が抱き抱える。

 

「はいお疲れさま」

「……ああ、悪いな冬華葉」

「諸行無常子です」

「……悪いな、諸行無常子」

「流転って妙なところで律儀だよね。そういうところ好きだよ」

 

 冬華葉の小麦色に焼けた膝に頭を預けて数秒、やっと呼吸が整った流転が口を開く。

 

「と、まあこの通り、俺は大分狂気にやられてきていて、不定期的にイカれちまう。そしてその時は自分で自分の首を絞めようとする。その時にうっかり死んじまわないように、予め手を握れないようにしてあるんだ」

「……ありえない、イカれてる」

「そうだろう。これなら食い意地が張った幼稚園児に捕まってジビエにされることもない」

「流石は流転だよね」

「おかしいおかしいおかしい」

「……おっさんどうした」

 

 手の跡がついた首をさすりながら自分の自殺対策の万全さを自画自賛していた流転が、様子のおかしい丑夫を怪訝そうに見る。

 

「あっあああーああそんなのっておかしいおかしい」

 

 先ほどまでまともだった丑夫は、いつの間にか意味のない言葉しか口にしなくなっていた。床に仰向けになって寝転がり、子供が駄々をこねるように手足をジタバタさせている。

 

「おかしいのはおじさんの方だねぇ。……流転、これ、どうやら流転の狂気に当てられて狂っちゃったみたいだよ」

「えー。あの程度のしょぼい狂気でか」

 

 流転が先ほど零した狂気はあくまで一時的なものであり、不条理を実行するというよりかは衝動的に体が動いたものだ。いわゆる「魔が差した」と言われるものに近い。

この狂気みどろの世界で未だに狂気に侵されていないのだから、その程度の狂気には耐性があるものだと思っていたが、どうやらそうではなかったらしい。

 

「ま、許容値なんて人それぞれだからね。殺人に忌避感あるくらいにまともなんじゃ仕方ないよ」

「確かに。で、どうする諸行無常子」

「もう冬華葉でいいよ留天律儀(るてんりちぎ)くん。そうだね、郷に入っては郷に従え的な感じで、いっちょ殺しとこーか」

「狂人に関わると狂気が移っちまうからな」

「移した側が良く言うね」

 

レジにあった精算機で丑夫の頭を殴りつぶす。冬華葉のキャラメルブロンドの髪に赤い血が良く映える。

 

「あはは、どーだこれがお金の力っ」

「いや物理法則的な力だろ」

 

 こうして安寧を得た二人は、丑夫からできる血だまりを避けるため少し場所を移し、食べ途中のお昼を再び食べだした。

 

「そういえば、流転はなんで薬物なんてやってるの」

 

 冬華葉は投げたメロンパンを口でキャッチし損ねながら尋ねた。メタリックピンク色の髪が揺れる。

 

「この世界、素面で生きてくには冗談がキツすぎるだろ」

「……そう。私は、今の方が好きだけど」

「いや、今も昔もだ」

「ああ、そういえば流転、世界が狂う前から薬中だったね」

「そういうこと。それに無法地帯に立つ脚立が単調増加したら困るしな」

「あー、確かに困るかも」

 

 

 

 好きに生きている二人にとって時間というものは、精々外が明るいか暗いかの違いしか影響を与えない物である。

 

「眠い」

 

 けだるげにそう言った冬華葉のエメラルドグリーンの目は半開きで、睡魔に襲われている。

 

「じゃあそろそろ寝るか」

 

 今日何時に起きたかも、最後に寝たのはいつだったかも二人は覚えていない。そもそも時間を確認できる器具を有していない。どちらか片方が寝たいと言ったら付き添いでもう片方も一緒に寝るという、ルールとも呼べないような適当な決まりがあるだけだ。

 

「で、どの家にする」

 

 住宅街をトラックが走る。二人が寝るときは基本、知らない家に上がってベッドを借りていた。中に人がいる場合、狂っていたら追い出すし、狂っていなくても追い出す。相手がたまたま鍵を持っていて、追い出された後も図々しく押し入ってくる場合は殺すといった感じだ。

 

「うーん、なんか民家借りるの飽きた」

「じゃ、タワマンにするか。マンション超えて億ションとか」

「それ前やったじゃん。というか、階段で最上階まで登るのは二度とごめんだよ」

 

 ちなみにエレベーターは壊れていた。

 

「同意だな。となると、なんだ。お城とかか」

「えー。遠そう」

「そりゃな」

 

 冬華葉はしばらく思案した後に声を上げる。

 

「いいこと思いついたっ」

「おう。どうすんだ」

「あそこ行こうっ」

 

 そう言って冬華葉は遠くに見えるニトリの看板を指さした。ちなみに彼女は荷台に立っていたので当然流転には伝わらなかった。

 結局冬華葉は口頭で目的地を説明した。

 

「ああ、なるほどな」

 

 冬華葉に連れられてやって来たニトリ内のあるスペースにて、やっと流転は納得を得た。

 そこに並ぶのは、大量の展示品としてのベッドであった。

 

「いやあ、一回ここで寝てみたかったんだよね」

「少し気持ちは分かるかもな」

 

 ばふんっ。荷物(主にメロンパン)をそこらに放り投げ、ベッドにダイブする。しばらく寝転がり感触を堪能した後に、立ち上がりぴょんぴょん飛び跳ねる。

 

「すごいっ、跳ねるっ、すごーいっ」 

 

流転も適当なベッドを見繕い、そこに寝転がった。

 

「ほー、なかなか寝心地がいいな。新品だからか高いからか、もしくは分化全能性があるからか」

 

 流転の瞼が閉じられる。

 

「冬華葉、俺はもう寝るぞ」

「はーい、私もそろそろ寝るよ」

「おやすみ、冬華葉」

「おやすみ流転。小谷墨(おやすみ)さんって普通にいそうだよね、小谷墨流転」

 

 冬華葉の聞きなれた戯言を聞き流しながら、流転は眠りに落ちた。

 流転の寝息と僅かな衣擦れの音だけを残して静寂が訪れる。

 

「ね、流転。好きだよ」

 

 零れ落ちたその言葉は、狂気みどろの世界に溶けて散った。

 

 

 

「メロンパンよーし。炭酸飲料よーし。お菓子よーし。その他日持ちする食料よーし。ガソリンもよーし。メロンパンもよーし」

「じゃ、出発だな」

 

 十分な睡眠をとった後、意気揚々とニトリを出発した二人を出迎えたのは豪雨であった。

 

「どうやら、天候はよくなかったらしいな」

「いいじゃん雨。私は嫌いじゃないよ」

「そう。で、どうすんだ。今日も荷台に乗るのか」

「ああーっ。そうだった、雨だと荷台に乗れないじゃん。雨って最低だね見損なったよ」

「じゃ、今日はキャリーケースと冬華葉を入れ替えだな」

 

 二人は雨の中キャリーケースを荷台に乗せ、その辺に落ちていたロープで固定した。冬華葉は助手席に、運転席には流転が座る。左足をハンドルの上に乗せ、上半身はかなり後ろに倒した行儀の悪い座り方だった。

 豪雨の中窓を開けるわけにはいかず、締め切った車内で葉っぱを吸うわけにもいかない流転が代わりに覚せい剤を食べながら運転する。

 

「ねえ、覚せい剤って注射して使った方が効果高いんじゃなかった」

「運転中は揺れるから脈に刺せないだろ」

「確かに。じゃあ、私が打ってあげようか」

「絶対外すし不必要に深く刺すだろお前」

「えっ、注射って深ければ深いほどいいんじゃないの」

「なわけあるか。塩素爆鳴気が自家撞着しちまうだろう」

 

 車内には大麻の青い臭いと死体の腐乱臭が浸み込んでいるが、薬物で嗅覚がイカれた流転と頭がイカれている冬華葉にとっては些事だった。

 故障かバッテリー切れか、ワイパーは動かない。流転は豪雨で流れ落ちる滝のような雫越しに運転を続ける。幸い人なら轢いてもいいので、障害物にだけ注意を払って車を進める。

 

「そういえば、なんであいつのこと嫌いなんだ」

 

 足でハンドルを操作しながら、流転が聞く。その手は荷台の方を指さしていた。あいつとは、あの日冬華葉に殺された男のことだろう。

 

「忘れちゃった」

 

 そう答えた冬華葉は気にした様子もない。

 

「忘れちゃったか。……それでもまだこいつが憎いのか」

「憎いね。殺したい程だよ」

「理由も覚えていないのに」

「死んだ人の事なんて覚えていられないよ。でも、あいつのことを憎かったことは覚えてるの。私は過去の私と同一だから、私は今もこいつが憎いんだ」

「なるほど」

 

 晴れでも雨でもトラックは進む。どこかへ。

 

「ねえ流転、今ってどこに向かって走ってるの」

「前」

「なるほど、いいねそれ」

 

 スマホのない現状、現在地の確認は難しかったし、そもそも確認する気もなかった。これはとりあえず移動さえできればいい旅なのだ。

 豪雨の中を進んで数時間、次第に雨が弱まり、遂には止んだ。そこで、動物カフェの看板が冬華葉を吸い寄せたため、一時休憩する運びとなった。

 

「あれっ」

 

 そして、そこで初めて荷台にキャリーケースが載っていないことに気がついた。

荷台についていた固定金具にロープで固定しておいたのだが、その固定金具ごとどこかへ消えてしまったようだった。

 

「探すか」

「いや、いいよ」

 

 冬華葉は即答した。

 

「私たちにすら存在を忘れられて、知らない間にどこかに捨てられる。それも、何の馴染みのない知らない土地。人々は既に狂っていて、当然みんな彼のことなんて気にも留めない。誰にもかまわれず、放置されて腐っていく。それって、最高に惨めで残酷で、社会生物としてまったくもって相応しくない穢らわしい終わりだよ」

「なるほど。ま、冬華葉が満足したならそれでいいさ」

「えへへ、ほんと、ありがとね流転」

「なに、かわいい妹の為ならお安い御用さ」

「……そっか」

 

 旅の目的を達成した二人は、ひとまず動物カフェで祝勝会を開くことにした。

 動物が逃げないように二重扉になっている入り口を開けると、中にはまだ生きている動物たちがいた。ひよこ、ウサギ、猫、犬、蛇、フクロウ、インコ、モルモット、リクガメ、幅広くやっているらしかった。

 

「ふう、やっと薬物休憩ができる」

 

 流転は受付のカウンターに腰掛けると、ポケットから取り出した注射器で覚せい剤を打ち始める。親指が動かないので、中指と人差し指と手のひらを使った少々変則的な打ち方だった。

 

「気持ちいいのそれ」

「ああ。パブリックエネミーがドラマチックにシュプレヒコールしてるぜ」

「あそう」

「スソビキアゲハがタナトスにレティクル合わせてスパイアクションしてると言った方がいいかな」

 

 トリップにつき、しばらく戯言を垂れ流す流転をよそに、冬華葉はカフェ内の探索を始めた。関係者以外立ち入り禁止と書かれたところから優先的に回っていくと、動物たちの餌が置いてある倉庫にたどり着いた。野菜などの生ものは既に腐っていたが、ドッグフードやジャーキーは無事だった。試しに一つ食べてみる。

 

「っうぇええええ。まっず。こんなん犬の餌だよ」

 

 ぺッと口に含んだそれを吐き出し、袋に入った大量のペットフードを持って流転の元へと戻る。

 

「おお冬華葉、竜王戦」

「流転も戻ったみたいだね、トリップから」

 

 相変わらず言動はあれだが、今度は目の焦点が合っている流転と話しつつ、袋をひっくり返す。中身のペットフードが床に散らばり、動物が寄ってくる。

 

「よーしよし、たんとお食べ」

 

 ガツガツと勢いよくそれに群がる動物たちを見て、冬華葉は零した。

 

「そういえば、動物たちは狂わないんだよねえ」

「まあ、こいつらは人と違って狂気をため込まないからな。キングプロパティ」

 

 両手がうなり、自分の首を絞めている流転が答えた。

 

「やっぱりキチゲは定期的に開放しないとね」

「常時解放してる奴が言うとささやきの回廊があるな。……冬華葉お前、実は人間じゃないんじゃないか。」

「失礼な」

 

 流転は酸欠で気絶した。その後は、二人で雑談をしつつ動物と戯れた。

 帰り際、冬華葉が店に置いてあった犬の置物を窓に投げつけ、ガラスを割った。

これでこの子たちは自由の身だね。そう冬華葉は言った。しかし、飼いならされた動物たちは誰も外に出ようとしなかった。

あるいは彼らにも、いずれは狂気が芽生えるのかもしれなかった。

 

 

 

「さて」

 

 雨は上がったものの、未だ乾いておらず濡れている荷台の上、仰向けに寝転がり右足を高々と上げながら流転が言う。冬華葉はメロンパンを食べていた。

 

「この後どうする」

「なにが」

 

 具体性のない質問に冬華葉が首をひねる。虹色の髪が揺れる。

 

「メタンガスが整った結果きゅうり、いま俺たちは非常に自由でふるさと納税できる。何がしたい」

「メロンパン食べたい」

「いいな。メロンパンが瓦全なパン屋を探すことにしよう。他には」

「うーん、ライオン見たい」

「いいね。テロメラーゼか。他にはなんかあるか」

「うーんもういいや。流転と一緒なら割かしなんでも楽しいし」

「自家撞着なことを言ってくれるな。兄冥利に尽きるよ」

「なにそれー」

 

 戯言を繰り返す流転とそれを気に止めない冬華葉は、死体遺棄という目的を終えても旅を続けることに決め、早速車を出した。

 

「お、やっと雲がどいて日が出て来たね」

「こりゃいいな。葉っぱは晴れ下で吸う召喚術」

 

 運転席には流転、助手席には冬華葉が座る。冬華葉は運転する流転の肩にしなだれかかり、その耳たぶをしゃぶり始める。流転は運転を続けた。

 

「Welcome to the メルティランド~」

 

 冬華葉の歌声とマリファナの煙が風に流れる。快晴。開いた車の窓から身を乗り出した冬華葉の極彩色の髪が風になびく。

 

「お、人だ」

 

 ゴミやら死体やらで溢れる道を無理やり軽トラックで走っていると、道の端を人が歩いてるのを見つけた。中肉中背の女だ。珍しい。全裸だけど、発狂してないし地面を這いずってもいない。まるで正気かのように平然と歩いている。

 

「よーし突っ込めーっ」

 

 冬華葉はなんとなく殺そうと思った。

 

「ビフテキだな」

 

 流転はビフテキで同意の意を示した。

 

「ちょいちょいちょいっ」

 

 女は戸惑った様子を見せつつ、身体を翻しギリギリでトラックの突進を避けた。

 結果、トラックだけがガードレールに突っ込み、破壊し、そのまま誰かの家に激突した。

 

「うわわわわっ」

 

 ガラスが割れる音、金属が変形する音がしてトラックが止まる。

 

「いったぁ……」

 

 エアバックは作動しなかった。勢いよくどこかしらにぶつけた頭が痛い。フロントガラスも全面がひび割れてへこんでいる。横を見てみれば、流転が頭から血を流して気絶していた。ウケる。

 ひとまず外に出よう。なんとか変形したドアを蹴り開けると、先ほどの全裸の女がこちらに歩いてきていた。

 

「ちょっとー、なんで避けたの」

 

 思わず文句を言う。女がクッションになれば、もう少し被害はマシだったはずだ。

 

「えぇ……狂ってないんだ君。……え、狂ってないのにあたしにトラックで突っ込んできてたの、こわぁ」

 

 この人狂ってなかったんだ。狂ってないのに全裸なんだ。こわっ。

 とりあえず、女の肌に傷一つないことが気になった冬華葉は、事故の結果あたりに散らばった瓦礫を手に取り、それで女に殴り掛かった。

 

「ちょ、ちょちょちょ、やめてっ、殴らないでっ」

「そっちこそ避けないでよっ、おかしいでしょっ」

 

 冬華葉が攻撃し、女が避ける。戦いは続く。

 

 

 

「ボナベティ」

「あ、流転起きたんだ」

 

 少し変形した頭部から血を流している流転の声掛けにより冬華葉と女の戦いは終わった。

 

「聞いてよ流転、この人私が殴ると避けるんだよ」

「なんだって、そりゃあチクシュルーブ」

「うわぁ、こっちは狂ってるのか」

「失礼な、連立一次方程式は正気だぞ」

「一人称、連立一次方程式なんだ……。まあ、とりあえず止血した方がいいんじゃない」

「お前もとりあえず服を着たらどうだ」

「うわあいきなりまともになった」

 

 こうして三人は、立ち話もなんということで、近くにあった家に上がることにした。幸い、先ほど壁にあけた穴が入り口になった。

 適当に戸棚を漁ると、案外すぐに救急箱が見つかり、その中に大きなガーゼがあったので、それを流転の頭の傷に縛り付けた。あと、なんとなく包帯を巻いておいた。これでたぶん治るだろう。

 リビングにて、三人でテーブルを囲んで向かい合う。

 

「みんなー、こんにちはっ。冬華葉でーすっ」

「流転だ」

「ピッケルホルダーだにゃん。本名だよ」

「ピッケルホルダー、いい名前だね。生まれは韓国かな」

「本名ってのは嘘ね。生まれはベトナムだよ」

「へえそうなんだ。よろしくね、ベトナム」

「ピッケルホルダーね。あと生まれがベトナムってのも嘘だよ」

「つんつるてん大都会で嘘つきが」

 

 流転がピッケルホルダーの嘘をとがめる。

 

「……冬華葉ちゃん、こいつはなんて言っているの」

「つんつるてん大都会で嘘つきがって言ってるよ」

「なるほどよくわかった解説ありがとう」

 

 話にならない三人は戯言にまみれながら情報共有を行う。

 

「まず、私のことを喋ろうか。もともとはパラグアイでスパイをやってたんだけど、つかまってしまってね。あわや死刑といったところで、都合のいいことに世界が狂いだした。看守が発狂している隙に脱獄して、なんとか海を泳いで日本に逃げ延びたというわけさ」

「なんで全裸なんだ」

 

 ピッケルホルダーは唐突にまともになった流転に面食らった顔をしたが、受け流して返答する。

 

「逆になんで君は服を着ているんだ。こんな世界なのに」

「寒いだろ」

「ナンセンスだね。それは服を着る理由にはなりえない。寒いなら寒いと感じればいいだけの話だ。そんなんだから狂うんじゃないか」

「うるさい」

「で、冬華葉ちゃん、君はなんで服を着てるんだ」

「私服着てないよ」

「ああそう」

 

 冬華葉は一糸まとわぬ姿だ。フリルのついたワンピースがよく似合っている。

 

「で、そっちの二人はどんな関係なの」

 

 好奇心に満ちた瞳が二人に向けられる。

 

「兄妹だ。俺は兄、こいつは妹」

「ライバルだよ。俺は悟空、こいつはベジータ」

「なるほどね、よろしく」

 

 流転が椅子から立ち上がり、地面に横たわり、立ち上がり、地面に座る。

 

「それで、二人は何をしてるの」

「死体遺棄旅行」

「素敵だね。死体はどこにあるの」

「なくしちゃった」

「そっかぁ」

 

 流転の手が彼の首に吸い付き、締め上げ始める。

 

「流転くんは何やってるの」

「狂気に流されてる」

「こわぁ」

 

 流転が気絶した。

 

「それで、ピッケルホルダーはこの後どうするの」

「気絶はスルーなんだ。……ええと、そうだね、例えば私が君たちの旅に同行するって言ったら」

「殺す」

「こわぁ……。じゃあついてくのはやめるよ。冬華葉ちゃんはどうするの」

「うーん、足が欲しいかな」

 

 冬華葉には下半身がない。

 

「どうやって手に入れるの」

「とりあえずなんでもいいから車がほしいかな」

「ああ、足って比喩表現の方の足か」

「他に何があるの」

 

 冬華葉はすらりと伸びる細くしなやかな脚を組みながら聞いた。

 

「てっきり人の足を集める趣味があるのかと」

「きゃー猟奇的っ」

 

 

 

「十把一絡げに愛をささやくアイドル」

 

 流転は気絶から覚めて一言目がそれだった。

 

「おはよう流転、気分はどう」

「ソーソー」

「じゃあ、出発かな」

「そうわねっ」

「そうわよっ」

「あらもう行くの」

 

 適当に会話する二人にピッケルホルダーが声をかけた。

 

「ああ、そろそろ俺はデミグラスデミウルゴス」

「ああそう。じゃ、お元気で」

「ついてこないのか」

「死にたくないもの」

「手間が省けたな」

「流転、行こ」

「座布団カバー」

 

 道に落ちていた、扉が開いたままの軽自動車の助手席に冬華葉が乗り込む。当然流転は運転席に座る。

 

「しゅっぱーつ」

「便座カバー」

 

 

 ◆

 

 

 そこそこ晴れた空の下、軽自動車が走る。運転は流転だ。右足でアクセルを踏み、顎でハンドルを操作する。理由はなんとなく。なんとなくなんとなくなんとなんとなく。

 

「パパが言うには明日隕石が降って~」

 

 冬華葉が歌ういつものお気に入りの歌をBGMに、ゆるりと走る。流転たちがピッケルホルダーと別れてから数日が経った。旅は何事もなく順調で、しかし流転は狂気と囚人。少しづつだんだんとじわじわと狂気が正気が虚嘔気が。

 

 あ、やばい。

 

 流転がそう思い言葉に出す前に、流転の手はひとりでに動き首を絞め始めた。何とかブレーキだけ踏んで、意識を放りだす。

 

 

 

「……あばら曇天下」

「あ、流転起きたんだ」

 

 目が覚めると日が沈んでいた。どうやら随分長く眠っていたらしい。

 

「……どうしたの、顔色悪いよ」

 

 冬華葉が心配そうに流転を覗き込む。冬華葉が心配そうに流転を覗き込む。冬華葉が心配そうに流転を覗き込む。流転は注射器を握る。握りつぶす。ぱりーん。

 

「……最悪の気分だ。完全に薬が抜けた。久しぶりに素面だ。最高に気分が悪い」

「そう」

 

 流転の不調の理由を知り納得がいったらしい冬華葉が、流転と背中合わせに座る。お互いに寄りかかる形だ。

 

「その、前々から、その時が来たら言おうとトリガーハッピー……言おうと思ってた話なんだが」

「うん」

「俺はそろそろダメらしい」

「……いや、知ってたよ。流転の狂気の進行具合くらい」

「……そ、そうか」

 

 いつになくまともで鋭い冬華葉にたじろぎつつ、流転は続けた。

「俺と冬華葉が同じぐらいの進行トーテムポール合戦……進行度合いで狂っていくのなら、別に言うつもりはなかったん七花八裂、どうやら俺はお前より一足先にイカれちまうらしいから、言っておこうと行燈思ってな。妹こちらにどうぞを残しUSBて狂株式会社気に至る、出来の悪い兄でごめんな」

 

「……流転」

「なんだ」

 

 冬華葉が一瞬躊躇う様子を見せた。そしてゆっくりと、口を開く。

 

 

「私と流転は、兄妹じゃないよ」

 

 

 瞬間、紅芋タルトの外連味塗れ消化器官が埋火を浴び無謬の蕎麦屋った。

 

「……そうか」

 

 いつから勘違いしていたのだろうか。

スーパーでおっさんと出会った時には既にイカれていたのか。その時にはまだまともで、おっさんに弄られるのが嫌でその場で適当に兄妹だと嘘をついて、そこから後々イカれちまった脳みそが記憶を改竄したのか。それとも冬華葉も既にイカれていて、勝手に兄妹じゃないと思い込んでいるのか。彼女は冬華葉なのか。幻覚なのか。

 

「……あーあ、これじゃどっちがイカれてて何が正しいかわかんないね」

 

 冬華葉が笑う。悲しそうに笑う。だめだ。

 

「いまさら、血縁関係なんて関係ないだろ。どっちにしろお前は俺の妹みたいなもんだ」

「私は、良くないって言ったら」

 

 合わせた背を離し振り向いて、冬華葉は流転の頬に手を当て流転を見つめる。その表情は上手く読み取れない。ただ、真剣であることは伝わった。壊れた脳みそで、狂人なりにしっかりと考えてから返事を返す。

 

「こんな世界だ。それこそ、近親相姦もピンキーポーカーも関係ない」

「……そうだね」

 

 何もかも分からなくなってきた。

 分からないことが分かるうちに、伝えなければならないと思った。

 

「冬華葉、頼みを聞いてくれ」

 

 再び背中合わせになってから、流転は言った。

 

「何」

「俺が完全に狂気に染まったら、殺してくれ」

「いやだよ」

 

 あっさりと断られることを想定していなかった流転は呆けた。

 

「なんでだ」

「私、流転好きだし。殺したくないよ」

「そ、そうか。へえ」

「……そんな、いまさら照れないでよ」

 

 取り繕って交渉を続ける。

 

「好きというのは、狂った俺でもか」

「もともと狂ってるからそんなに変わらない……っていうのは、まあ詭弁かな。ええと、そうだね。私はさ、狂っても人の本質は変わらないと思う」

「意味のある言葉を喋らなくなって、理性を失ったとしてもか」

「言葉も理性も、本質じゃないよ。むしろ、そんな枠と枷で縛られて隠されていたものの方が本質なんじゃないかな」

「なるほどな」

 

 流転にとって冬華葉の言葉は納得に値した。そしてだからこそ否定しなければならなかった。

 

「じゃあなおさらダメだ。なぜなら、俺の本質は見るに堪えない」

「……はあ。らしくないね、流転。こんな狂気みどろの世界で世間体を気にするとか」

「でもお前が見てる」

「……そもそもさぁ。流転、頑張って狂わないようにしてるみたいだけど、この際開き直ってさ、狂っちゃうのも悪くないんじゃない」

 

 冬華葉が立ち上がる。くるくると踊るように回る。

 

「きっと幸せになれるよ、狂っちゃえば」

 

 にこりと笑った冬華葉が流転を覗き込む。

 

「流転が気にする世間体も、自己満足のプライドも、私に迷惑かけちゃうんじゃないかっていうくだらないくだらなすぎる心配も。全部全部ぜーんぶ、狂っちゃえばどうでもよくなって、幸せになれるよ」

 

 いつものように湧き出る狂気を最期の気力でねじ伏せて冬華葉と向き合う。この会話には少したりとも不純物が入ってはいけない、そんな気がしたから。

 

「……まあ、そうだろうな」

「じゃあっ」

 

 流転が立ち上がる。正面から冬華葉のことを見て喋る。

 

「……なあ、冬華葉。冬華葉! らしくないなあ、冬華葉! 珍しくまともだな冬華葉ぁ……。この狂気みどろの世界で、そんな正論まかり通るわけないだろ!」

「っ……流転こそ、イカれた後の心配なんて、正気なんじゃないの」

「ああ正気だ。だから狂気にやられてきてんだここのところ。もう人の区別もつかないぜ」

 

 冬華葉が沈黙する。流転も言葉を発さない。狂気は抑え込まれ、正気と静寂のみが場を満たした。

 

「……流転。私、やだよ」

 

 冬華葉がやっとのことで絞り出した、懇願にも似た気持ちに対する流転の返答はどこまでも残酷だった。

 

「頼む。狂気の進行は止まらない。狂ってからじゃ会話もできない。これが最後の願いだ」

 

 最期にそう言って、無理やり抑え込んでいた狂気を開放する。Bluetoothサメ忍者が忘れられる権利を誤謬として遅延し恣あだなすecstasy膾炙すだしぬけに循環論素寒貧てクローンう万物もたけなわ教皇少々変則styたにんがku姿くるくるとjhgdいfk差圧──

 

 

 ◆

 

 

 ああ、もうだめだ。

 ついに流転は狂気に堕ちた。

 

「……まったくひどいなあ、勝手に、狂って」

 

 流転の手が彼の首に伸びかけるが、それは中断される。腕がだらりと垂れ、棒立ちのまま硬直した。

 そして長い硬直の後、やっと動き出した流転はゆっくりと冬華葉の方に歩き始めた。冬華葉はそれをただ見ていた。ゆっくり、ゆっくりと歩みを進め、ついに冬華葉に手が届く距離になった時、流転は割れ物を扱うかのような優しい手つきで冬華葉を抱きしめた。

 

「すきだ。すきだ。すきだ。すきだとうかひあすきだっあ」

「……はっ、はははは」

 

 流転は優し過ぎたのかもしれない。

 

「もう、押さえつけてた狂気がそれって、本当くだらない」

 

 冬華葉の頬を涙が伝う。そのまま流転の背に手を回し、肩に頭を乗せ抱きしめ返す。

 

「ねえ、そんなのでいいの」

「すきだ」

「ほんと、バカみたい。私を殺してもいいのに」

「すきだ」

「……ねえ、お兄ちゃん」

 

 流転が冬華葉を抱きしめる力が僅かに強まった。

 

 

 

 ある日世界は狂気に沈んだ。

 狂犬病の原因は伝染する微小構造体だった。狂牛病の原因は伝染するタンパク質だった。狂人病の原因は伝染する狂気だった。

 

 元々、流転は狂気を溜め込んでいた。そしてあの日、彼の狂気が弾けた。くだらない気遣いと道徳、プライドによって押さえつけられていた、愛。

そんなどうしようもなく陳腐で愛おしくて、哀しい狂気がこぼれ出した。

 

「ねえ、流転。嫌なら暴れてね」

 

 彼の頭に血が留まり赤く染まる。彼女の手は力みつづけ、指先が白くなるほど。だけどやめない。

 

 

 こんな世界だけど。

 

 

 結局最後まで無抵抗だった彼の身体から力が抜けていく。目がぐりんと回り、白目を向いたまま止まる。

 

「……死んだ」

 

 流転。冬華葉はそれを確認して小さく呟いた。彼女はついに彼を殺した。なんだか力が抜けてしまって、跨っていた彼の上にぺたんと腰をつける。反動で流転の身体が揺れるけれど、いつもなら聞こえてくるうめき声も、冬華葉を非難する軽口も出てこない。本当に、死んでしまったのだ。

 

「……これで、いいよね。流転」

 

 今や世界中の人間が狂気に至ってしまった。結局、彼も狂ってしまった。だから彼が望んだとおりに殺した。

 

「ねえ、お兄ちゃん」

 

 返事はない。

 

「殺したからには、取らなきゃなんだよね、責任」

 

 返事はない。

 

「こんな世界だけど、私は君を覚えてるから」

 

 抜けてしまった腰に何とか力を込めて立ち上がり、机に手を伸ばす。そして、そこに置いてあったパイプを取る。

 いつもと同じように、冬華葉がパイプの先にライターで火をつける。いつもと違うのは、吸うのが流転ではなく冬華葉であることだ。葉っぱの煙で肺を満たして、咽てしまって口を開く。

 

「全然おいしくないよ、これ」

 

 流転は相変わらず地面に横たわったままだ。

 

「死体は、しかるべき処理が必要なんだったね」

 

 なぜなら感情鑑定士がやって来るから。

 

「……旅をしよう」

 

 ふと思いついて、冬華葉は呟いた。

 世界中を回って、流転と冬華葉に相応しい、狂ってておかしくて、幸せな安息地を探す旅。

 それは名案に思えた。だって楽しそう。

 思い立ったが吉日。トラックの助手席に流転を乗せ、仕方がないので冬華葉が運転席に座った。

 

「じゃあ、いくか」

 

 車の操作方法は分からなかったが、適当にレバーを動かしてペダルを踏むと動き出した。

 

「Welcome to the メルティランド~」

 

 冬華葉の歌声とマリファナの煙が風に流れる。快晴。

 

 

 




 この小説は戯言。あと万物は流転する。

使用楽曲コード:N00568884

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