たまにはトレーナーさんを労おう。それはただの気まぐれだったが、レディーとしてもすべきことと思った。
どこを切り取っても淑女である私が、未成年に見えるという理由でワインショップより門前払いを受けたのは盲点である。現役を長くしたから、高校留年みたいな形で学生の身。それを言われれば確かではあるわね。
私は貴婦人ですわよ? とお店で駄々をこねるのは言動不一致甚だしいので大人に見える人を頼ることとした。
彼はLANEだとたまに未読になる。だからこの私に労われる本人へ電話をかけることにした。
いつも会議でも入ってなければワンコールで出てくれる。
……案の定。殊勝な心掛けですわ。
『どうしたんだい?』
『トレーナーさん、いらっしゃい』
『どこに!?』
それだけ言って電話を切り、自分の位置情報を彼に送った。
『貴方の好きなワインショップよ。ようやくレースも落ち着いたから、これまでの貢献にご褒美を与えようと思いましたの』
『いや、君が勝つことこそ俺のご褒美だから』
『そしたら、もう私は貴方に何もできないじゃない。とにかく、来るまで動きませんわ』
あとは既読を付けないでおこう。こうすれば何だかんだ彼は来る。もちろん、彼の予定は把握済みで、今日外せない用事がないことも知っている。でなければ、ただの押し付けになる。
必要な対応を終え、適当なベンチを探して足を休ませる。彼が本当に欲しいものに思いを馳せてしまう。
光陰矢の如し。
何も成していなかったレディーは、ウマ娘の象徴たるレースで、トゥインクルシリーズで伝説となって去った。
ジェンティルドンナという名を刻んだ。
トリプルティアラの栄誉、ジャパンカップ二連覇。ドバイでの勝利とつい先日の有馬記念引退レース。英傑というに相応しい。まあやたら派手だったり変に目立つのがいて、比較して地味だと揶揄されもしたが勝利こそが正義だ。
……あれらも言われるほどに勝っているのが癪ね。
とはいえ、もう終わったこと。情熱と青春の日々は過ぎていった。
次のステージはドリームトロフィーリーグとしているけれど、半年に1回か。まあ私も、彼も「お腹が空く」わ。
それに、いくら英雄たちを集めたレースといえど私も含めて全盛期には戻らない。ままならない。
よくアスリートのセカンドキャリアは問題になるけれど、どうしたものかしらね。
無邪気に「トレーナーのお嫁さん♡」と書いていた同級生がある意味では羨ましい。
それもあって。
ストイックに私に付き合って勝利を求めた彼も、お酒を好むらしい。
私の次の挑戦に付き合ってくれるらしいが、公私含め私のことをどう思ってどう評価しているのか。ちょうど小休止する時間も取れたので確認することにした。多少のアルコールを入れれば、話も弾むでしょう。
純粋にお疲れ様で考えたことだが、違う目的もできた。
そう待たずにトレーナーさんが来た。
この時期は厚着ができて良い、との言葉通り暖かそうな格好。バレンタインも近いと思いましたが、今日その予定はありません。
私よりいくらか高い身長、私に付き合ってトレーニングしたことにより筋肉はよく付いている。ええ、短く整えた髪もあって良い清潔感でしてよ。
スカートの端を軽く持ち上げてお辞儀をすると彼もご機嫌よう、と返してくれる。
毎回こんなことはしないが、呼び立てた手前だ。
「お早いご到着ですこと」
「まぁ今日は急ぎの用もなかったからね」
「では遠慮なく。ついていらして」
そう言って再度同じ店に彼を同伴する。今度は何を言われることもない。
「ワインだよな……。トレーナー室にソムリエナイフとかあったかな」
「手刀で空ければ良いのではなくて?」
「通常の人類とスーパーなウマ娘を一緒にしないでくれ」
「そう。鍛え方が足りないのね」
ちなみに私がそうすることはない。はしたなくてよ。
彼はコルク栓以外のものを探す様だった。別にソムリエナイフとやらも買ってあげますのに。
とにかく、ワイン選びは彼に任せて私は店内を散策する。陶磁器に収めたものもあって、それらは見ていて一興はある。
今は当然無縁だが、将来お世話になることはあるのかしら。
トレーナーさんも「酒なんて飲まない方がいい」と仕事終わりに飲みながら自己矛盾を孕んだ発言をよくしていらっしゃる。およそ彼のことは知っているつもりでしたが、この辺りの感覚はわかりませんわ。
まあアルコールが筋肉に良くないことはわかっている。ドリームトロフィーリーグで戦う以上は、私が飲むこともないだろう。
一通り見て回った頃、トレーナーさんが袋を掲げてやってきた。四本買いましたのね。……あら?
「貴方、自分で買ってしまいましたの?」
「いや、まあ流石に学生に奢られるのもね」
「私がここに来た意味は?」
「俺を呼んでくれたということで」
「ご褒美は?」
「うーん。そしたらお酌でもしてくれると嬉しい」
「であれば、ワインで女性がお酌はあまり聞かないですわ」
「まあ、まあ。美人にお酌してもらうのは男の夢みたいなものでもあるからさ」
仕方ないので折れましたわ。変に強情だから彼に付いておけば良かったわね。
「君はやっぱり、なんだかんだ優等生だね」
「どういう意味でして?」
「折り合いを付けられるからさ」
「人の話を聞くのもレディーの嗜みでしてよ」
レースの作戦やトレーニングは納得したものしかやりません。ケースバイケースよ。
トレーナー室にて。彼はまだ仕事があるというから、私はおとなしくそのトレーナー室前という限られた空間でできるトレーニングに精を出す。
取手を付けた樽を空に向かって放り投げる。最初はメディシンボールでやっていましたが、軽すぎてどこかに行ってしまいましたの。何キロか? 私がそれなりに重いと思えばそれで十分ではなくて?
全身の瞬間的な力を使うトレーニングですが、コースが使えない時などは重宝していますわ。
「ふっ! ンアアアアアアアーッ!」
ある程度の滞空時間を持って樽が落ちてくる。それを拾って、また上空へ。繰り返せばそこそこ体力も使う。
以前ヴィルシーナさんにやらせた時は、もう少し高度は低かったかしら。それはそれとして妙な色気がありましたわね。
まあ、それは良いのです。トレーニングで誘惑に向かう貪欲さはある意味賞賛に値しますが、彼女は彼女でトレーナーさんと仲良くやれば良くってよ。
さて、ずっと投げてばっかりでは飽きますので、それを持ってのスクワットなども行なっていく。
そこそこ追い込めて、良い運動にはなりました。流石に汗もかきましたわね。これでワインを注ぐのも興醒め。
「トレーナーさん。着替えてきますわ」
乙女の戦場はまさにこれから。
トレセン学園指定の制服に着替えて、ソファーに行儀よく座る。
いつの間に用意されていたプロテインに口をつければトレーニングでできた熱の余韻が溶けていった。
一服するとトレーナーさんが対面に座った。先ほど買ったワインと、あとはグレープフルーツジュースも一緒。疲労回復効果があるとやら。
「そちらではないでしょう」
「そんなことはないと思うよ」
「私を侍らすのだから私の隣に来なさい」
そう言ってポンポンとソファーを叩いて隣を促す。二言目の反論はないので、最早わざとやっているのかしら。
遠すぎず近すぎずの距離。肩を抱こうと思えば抱ける。
そんな距離感で隣に座った彼のグラスにワインを注ぐとしよう。
「あら。蹴りで開ける必要はなさそうね」
「ああ。気遣いは不要だよ」
「そうですわね」
開栓。予め調べた通りに。ソムリエの方々がやるような形にはならないけれど。
そして美しい赤が入れば、私の方にはジュースが入る。いつか並んで同じものを嗜む日が来るのかしら。
「何に乾杯しますの?」
彼は少し考えるそぶりを見せたが、すぐに決まったようだ。
「君の栄光に」
「貴方の栄達に」
グラスを合わせる。いつも飲んでいたジュースに、駆け抜けた四年の感慨が染み込んだ。
「それにしても、急にどうしたんだい」
「別に。気まぐれですわ」
少し違う気がする。
「いつか確認したかったことを、今日にしようと思っただけですわ」
訂正して、くすりと笑ってみせる。
「お酒が入れば、貴方の口も軽く、本心も出やすいでしょう」
「それは人によるんじゃないかな……。虚言を言う人もいるよ」
「もし貴方が嘘つきというなら、今日はお酒に酔うだけにすればいいわ。労いというのも、本当なのだから」
私が彼の嘘、ましてや酔っ払いの嘘を見抜けないと思っているのなら見くびりすぎですわね。
「まあ間違って変なことは言わないように気をつけるよ」
「ええ。女王の前で妄言など万死に値するわ」
「あの鉄球みたいにはなりたくないかなぁ」
彼の目の先には、使えなくなったトレーニング用の鉄球たち。私が圧縮してしまったものです。
「……手を握って、どうしたんだい?」
「ドキドキしなくて?」
「うん。鉄球の話をしたからかな」
くだらないやり取り。されど少しばかり体温の上昇を感じますわ。貴方はどうかしらね。
戯れ事ではあれど、それだけで済ましてしまうのかしら。
まぁ悪戯もそこそこに、本題に入りましょう。
「まずは長い間、大儀でしたわ」
「ああ、ジェンティルも」
「確認したいことの話をしてもよろしくて?」
「うん、どうぞ」
対面にしなくて良かった。独り言のように思いを吐ける。ワインを口に運んだことを見て切り出した。
「彼女との仲は順調?」
彼がむせた。あら、結構良いものですのに勿体ないこと。
「ゲホッゲホッ……。え、それが確認したいことなの?」
「1つ、とは言ってませんわよ」
「なるほどね。――まぁ問題はないよ」
「そう。重畳ですわ」
外から見たらそうとは思えないが、私はやはり外野に過ぎない。先ほど握った手を見る。外では手袋をしていたからわからなかった。
「傷が増えてますわね。また転んだのかしら?」
「君はどう言っても同じようにとらえるだろ」
「そうですわね」
そう言って苦しげに彼は傷をさすった。何故不満や鬱憤が仮にも恋人に向かうのかしら。同じ女なのかしら。
彼女からすれば、トレーナーさんの時間を奪っている私がどの口で、という感じでしょうね。
「サンクコスト、とまでは言いませんわ」
言いたいけれど。学生時代からの付き合いでしょう?
「ねぇ、やはり見ていて気持ちの良いものではないわ。隠すか、解決してくださる?」
こう冷たく言い放つ。私の弱さを彼に押し付ける。これが気になって掲示板さえ外しました、なんてレースが引退年に何回かあったから。
劇薬のつもり。だけどすでに中毒者の彼に効果はない。
「ああ、すまない。どうにも彼女にこの仕事のことをわかってくれなくてね。俺の力不足だ」
横目で見る。そんな顔が見たいわけではありませんし、そんな言葉が聞きたいわけでもありませんわ。
「はぁ。これ以上は詮無いわね。私は何も言いませんわ。でもいいこと?」
言葉を切って視線を交わす。お互いの瞳にお互いが映っているだろう。
「貴方が何か望むなら、私はそれを聞く。それだけですわ」
そこからは学生には頼れない、などのつまらない言葉。情けなく助けを請われる方がまだマシというものですわ。
そして本当につまらないのは私の方。なぜ敗者がこうも未練がましいのかしら。
ただ女王の側にあったものの伴侶がそれでは、あまりに相応しくない。どうしてもそう思うのは、我が身の傲慢さかしら。
ただ渇く。目の前にあったものを飲み干して、言いたいこともまた流し込んだ。
「少し踏み込みすぎた話でしたわね。ごめんあそばせ」
「いや構わないよ」
このまま続けても良いことにはならないし、これ以上このことで話すこともない。話題を切り替える。
「全然別のことを話してもよくて?」
「ああ。できればお手柔らかにお願いするよ」
「トレーナーさん。貴方が私のことをどう思っているのか確認したくてよ。ウマ娘としての評価。トレーナーならお手柔らかでしょう?」
「今更かい?」
そう言って彼は笑う。先ほどの暗い表情はもうない。
「一言で表すに、ただ強い。当然レースに勝った負けたはあるけれど、間違いなく強い勝者だったよ」
「ずいぶん抽象的ですのね。それに、わかりきったことですわ」
「まあ、まあ」
そういうので次を促す。
「同じGI7勝のウマ娘たちと比べても、最強だと思っている。この先ジェンティルドンナより勝つウマ娘や、レコードを更新するウマ娘も出てくるだろうけど強いのは君だと思っている」
「それはなぜ?」
「精神性かな。レースセンスや瞬発力、そしてパワー。能力もトップクラスだけど、あらゆるアスリートを正面からねじ伏せてトップに立とうとする胆力や勝負根性」
「なるほど。そういう評価ですのね」
「まあ実際競わないとわからないけど」
「台無しですわ」
そこは言い切ってほしいですわね。
「まあ君を見られてよかった。君は担当が俺じゃなくてもきっと勝利しただろうけど」
「そうね。貴方も私でなければ、良い娘を育て私の前に立ち塞がったでしょう」
「一応君が初めての担当だから俺は未知数だね……」
お決まりのやりとり。私たちは別にお互いを必須としない。ただいつからか望んでお互いに戦ってきた。
そう、これからも望んで私は彼と共に戦うというのに外野が邪魔をするというのね。
「ドリームトロフィーリーグでもよろしくお願いしますわ」
「ああ、もちろん」
あくまでレースを生きるウマ娘を見る目。私がそのように振る舞っているから当然なのですが、ウマ娘以外をどう見ているか聞く気が失せてしまいましたわ。
私の心、私の身体、私の能力、私の愛もすべて彼はレースに向けていく。それで盃を満たせもするが、満足はできませんわ。この渇きとはいつまで付き合えば良いのかしら。彼が例の女と別れるまで?
――いけませんわ。思考が戻ってきてしまいました。
この時間はトレーナーさんの労いですもの。当初の目的を忘れてはいけませんわね。
そこからは取り止めのない話。思い出やら、過去のレース映像見てあれこれ言ったり。
オルフェーブルさんを正当に弾き飛ばしたジャパンカップのレース後の会見がハイライトかしら。直後は私に向いていたほとんどの批判がトレーナーさんに行きました。
ウイニングライブはいくらか落ち着いた状態で迎えることができたのも事実。
だから私だけは何があってもこの方の味方でいようと思うのは当然の帰結。
この時の私は実に乙女のような顔でトレーナーさんを見ていますわね。直前までは堂々としていたものを。
懐かしい。そう、この時からですのね。
さて、トレーナーさんも少し酔いが強くなってきたので明日に響かないよう終わりましょう。
「ねえ、トレーナーさん。こんな格言を知っているかしら?」
こんなことを言うなんて私も酔いが回りましたわね。いや回ったのは焼きかしら。
「男は女の最初の男になりたがる。女は男の最後の女になりたがる」
「知らないけど含蓄はありそうだ」
「でしょう。トレーナーというのは罪な職業ですわ」
「責められているのかな……」
「さあ?」
だいたいのウマ娘は初めてのトレーナー。最後のウマ娘になれるのはほんの一握り。
「ねえ、トレーナーさん。貴方はジェンティルドンナというウマ娘を忘れないかしら」
「これだけ勝った担当を忘れはしないよ」
「へえ。この先私より強い方が出てもですか?」
「俺の原点だ。常に勝者たれ、君のモットーは道標になる」
こちらはパーフェクトコミュニケーションかしら。
「ではジェンティルドンナという女は?」
「そこも忘れないと思うよ。君は、高潔だった」
私の意図を図りかねて彼は困ったように笑う。回答としては合格点でしょう。だから。
静かに、彼の頬に顔を寄せて口付けをした。それは一瞬のこと。
驚いたようにこちらを見る彼に、舌を出しておどけてみせる。
「言ったでしょう。褒美を与えると」
顔が熱いので、彼にそれを悟られないように最低限を伝えると立ち上がる。
「明日は彼女と会うのでしょう。深酒はしないことですわ」
自室に戻り、支度をするとすぐに眠りにつこうとする。
視界がかすかに滲んでため息をひとつ。
私の強さ・勝利への執着についてこれて、私の過ちを指摘できる。それでいて私を立てる。どこか自虐的。
私はそんな彼の、最後の女になりたいと思ってしまった。
彼はああ言うがこれから多くのウマ娘を見て、ジェンティルドンナというウマ娘との季節は遠ざかっていく。
だから私は、彼の最後の女になりたかった。
この栄光の景色に、なぜ男女の通い合う愛はないのかしら。
貴方の、私のものでないこと以外は大好きですわ、トレーナーさん。
続きは未定