トレーニングの後、結局落ち着かなくて目的もなく街を彷徨うことにした。
流行りのスイーツ、バレンタイン商戦、トレーニングアイテムやサプリメント。
ウィンドウショッピングを色々と重ねてはいるが、一切のものを買う気にはならなかった。
ああ、チョコくらいは買っても良いかもしれない。手作りするようなキャラではないし状況でもないから、市販品で良いのかもしれないわね。
ちなみに私のパワーだと繊細な作業はできない、などという方々がいますがそんなことないですわ。お可愛いものに触れない哀しいモンスターのような扱いは心外でしてよ。
貴方たちだって、豆腐を握り潰しはしないしハムスターのような小動物を圧縮してしまうこともないでしょう。
不快になってきたから手作りしてやろうかしら……。
そして、結局カフェで適当に時間を潰して、門限が近くなる。陽が落ちるのは早く、もう外は暗くなってしまった。
暗くはなったが、居酒屋などは開店してこれからという時間。
だというのに既に酔い潰れているような方がいますわね。警察官が肩に手をかけて声をかけているのが見える。
一瞥して、二度見した。
「トレーナーさん……?」
ぐったり顔を落としていたのと、こんな時間にそのようなことをする人ではないので他人の空似と思うが、見つめるほどに自分のトレーナーであると確信してしまう。
「はあ。いったい何を」
そう呟きながら警察の方々に声をかけた。
自分は今、変装などしていないありのままのジェンティルドンナ。名が通っていることもあり、彼らは関係を何となく察してくれたようだ。
「トレーナーさん、何があったのでして?」
そう問いかけるとわずかに顔があがって私を見る。だが物言わずにまた俯いてしまった。
「重症ですわね……。皆様、彼は私が送りますわ。ご迷惑をおかけしまして申し訳ございません」
おんぶやお姫様抱っこは彼の尊厳に関わるのでやめましょうか。その方が早いのだけれど。
肩を貸すと千鳥足ながらも歩けはするようです。
「トレーナーさん。ご自宅はどこかしら。送りますわ」
そう問いかけて、そういえば私は彼の家に行くのは初めてだと思う。
もう少し雰囲気のある初めてが良かったのですが、言ってられませんわね。
「ああ、ジェン子か……」
――貴方、私のいないところでどんな呼び方をしているのかしら?
「はい。ジェン子でしてよ。貴方のおうちを教えていただけるかしら」
トレーナーさんの回らない呂律を、どうにか聞き取った。
タクシーに最寄駅を伝え、そこで降ろしてもらえば彼の家は数分であった。
シンプルなマンションだがセキュリティはあるようだ。鍵と顔認証。今の酷い顔でもちゃんと認証してくれるのですね。
エレベーターで上がり、彼からもらった鍵を使って部屋に入る。
明かりをつけなくても、あまり物がない部屋だとわかる。なんならトレーナー室の方が充実していそう。
とりあえず数少ない家具のソファーに座らせる。
「冷蔵庫、覗きますわよ」
特に返事を期待したわけではないが、彼は苦しそうに頷いた。
都合よくミネラルウォーターがあったので、グラスに入れて彼に渡すと一気飲み。
全然足りなそうなのでペットボトルごと持ってきて私も彼の隣に座った。
荒い息遣いの彼を横目で見ると、お酒の臭いが鼻をついた。
とりあえず家に連れていくこと最優先で今まで気にならなかった。
「迷惑をかけたね」
「ええ。落ち着いたら迷惑の原因を聞きたいですわ。今は楽にしなさい」
おそらくは件の彼女と何かあったのでしょうが、邪推はよくありませんわね。
「横になった方が楽かしら?」
「ああ、それはそうかも」
「そう。そしたら寝なさい」
そう言って彼の頭を私の膝に乗せた。普段なら絶対にか弱い抵抗をするだろうけれど素直だった。余裕がない。
はっ、はっ、と苦しそうだった呼吸は徐々に落ち着いていき寝息に変わる。それでも苦しそうな感じはするので髪をなでてみる。
しばらく続けていると、多少は落ち着いた? まあこれは眠りが深くなっただけかもしれませんが。
LANEに連絡がたくさん来ていた。ああ、そういえば門限はとっくに過ぎていましたわね。
『トレーナーさんの家にいます。故あって離れることができません。今日は外泊いたします』
先ほどの警察の方々にトレセン学園へ連絡をしてもらえば良かったですわ。
電源を落として外界をシャットダウンする。私も目を閉じて、眠れるときに眠ることとした。
次目を覚ましたとき、私はトレーナーさんの寝室にいた。
おかしいですわね……。
起きた後、リビングに戻ればソファーでトレーナーさんが寝ている。あの後起きて私を運んだのかしら。
時刻は深夜。私を寝室に運ぶなら自分もそこで寝れば良いものを。ベットは1つで大丈夫ですわ。
シャワーなど体を清めていないのは気になりますが、仕方ありません。
起こさないように寝室まで運ぶと、私も改めて眠る。
心に黒いモヤが広がっているのを感じた。
翌朝、私は彼よりも早く起きた。
それは良いのですが、良妻の如く暴飲後に効くような朝食を提供するスキルは持っていない。
買い物に出ようにもマンションの顔認証を私は突破できないだろう。まあ、まずは顔を洗いましょうか。
そして目をこじ開けた後は鏡の前で、表情をコロコロと変える練習をする。
この後する話に対応するためです。怒った顔、同情的な顔、心配する顔、すがる顔。
笑顔の練習はしなかった。彼といる時に、この表情は慣れたものだから。
彼が起きるまでは、とりあえずスマホを付けて2日酔いに効果がありそうなあれやこれやを検索する。
最も良いのは吐いてしまうこと。……これは眉唾物ではなくて?
そうこうしている内にトレーナーさんがお目覚めですわね。
「ジェンティル……」
「ご機嫌麗しゅう?」
「ああ、最悪に近い」
会話が続くので昨日よりは良い状態だと思いますわ。ただそれはアルコールに限ったお話。
「聞かせてくれますわよね。一応私、本日はトレーニングの予定を入れておりましたのでそれ相応の理由を求めますわ」
トレーナーさんは逡巡を見せる。まあ何となく予想はつくかしら。
「ごめんあそばせ。起床直後は不躾でしたわね。落ち着いたらで構いませんわ」
そういうことで朝食を買いにだけ行かせていただきましたわ。
適当にトレーナーさんの分も買って帰ると、相変わらず暗い表情をしていらっしゃる。
チキン、サラダ、おにぎり。コンビニで確保できる余計なものが極力入っていない食事をする。
質素なリビング。トレーナーさんには2日酔いの薬だけを流し込んでいた。
「彼女と別れたよ」
唐突にポツリとトレーナーさんがこぼす。やはり想定の範囲内です。少しおにぎりを食べる手が止まりましたが。
これ以外の理由で、この方が昨日のように荒れることは考えにくいですので。
「尽くしてきた気でいたけど、それは俺の一方的な感情だったみたいだ」
食事をやめてトレーナーさんと向き合う。一昨日、苦言を呈した彼の手を見れば相変わらず痛々しい。
「傷害に訴えれば、証拠があればまず勝てますわ」
「ないさ。それに、もう関わりたくはないかな。だからジェンティル、そんな顔はしないでくれ」
「……あら、これは失礼」
「あんな人のために、君が怒る必要はない」
「ええ。そうですわね。お灸を据えようかと思いましたが、もう関係ないですものね」
あんな人、と表現した彼のためにそう言っておく。手しか見えていないが、他にも傷があるはず。
証拠を集めようと思えばいくらでも出来るだろう。
次に接触があったとき、あらゆることを用いて脅すことも可能だろう。
ただ、今はそんな女のことよりは彼のケアかしら。一見問題ないように見えますが、傷は体のものだけではないのです。
立ち上がり、ゆっくりと彼に近づいてまず私は彼を抱きしめた。椅子に座って取れる動きが限られるというのもあるが、反応や抵抗はなかった。
照れとかそういった乙女さよりも、我が身の邪悪を見せないためだ。今私は、きっと笑みを隠せていない。私は「元」彼女さんに感謝さえしている。天使と悪魔がごちゃ混ぜだ。
「嫌なら、あるいはすべきでないのなら私を突き放しなさいな。合気とやらで出来るはずですわ」
「――ジェンティル。どういうつもりだ?」
「こうすべきと感じただけよ。あなたは傷つきましたわ、泣ける胸があるから貸しているだけ」
そういえばお風呂に入っていない。ですが、それを気にしたら私は機を逃すでしょう。
さて、貴方の次の言葉もわかっていましてよ。
「トレーナーと担当が、こんな事をしちゃいけない」
「そうね。トゥインクル・シリーズをまだ現役でいたならば私にも躊躇いはあったでしょうね」
その時私がどうするか、なので正直あまり関係ないですが少しだけ同意しておきましょう。押し切るための布石でしてよ。
「過去数年の私への献身、そして学生の頃からの女性への献身。自分のことを考える時でしてよ」
「だが……」
「私はずっと貴方に守られてきましたの。私が気にしない風聞であろうと、助かったことは事実。それでもまだ割り切れないのなら、女王が与える褒美の1つと思いなさいな。よくって?」
反論はなくなったが、あともう一押し。
抱きしめている状態。ずっとこのままでも私は構いませんが、話が進みませんわね。
「思いの丈を吐きなさい。一人が良いなら突き飛ばしなさい。それまで私は離しませんわ」
「……この体勢は辛いんじゃないかな」
「……もうっ!」
座った彼に対して立った私が抱擁する形なので腰に負荷はあるかもしれない。ただその返しはあんまりですわ。
「お言葉に甘えて、ベッドの上で頼むよ」
前言撤回。私は勝利しましたわ。
「そうですわね。でないと私が納得しませんわ」
「本当に君は」
納得しないのは本心ですが、都合よく勘違い、いえケアしたいのも心からですわね。
そうして、恋人のような体勢で彼と過ごしている。
いいですわね、この瞬間は身も心も彼を独占できている。
「本当に好きだったんだ」
「ええ」
背中を優しく叩きながら彼の独白を聞いていく。
昨日とかに聞いていれば、どうしようもなく心をかき乱したであろう言葉も今は微風。心地よささえある。
「結局俺がこの仕事のことをちゃんと伝えきれてなかった。それが彼女のストレスになった」
私にかかりきりでしたものね。彼の傷は私にも責任の一端があるということ。
だから責任を持って私が癒して差し上げる必要がありますわね。
都合の良い展開だが、遅かれ早かれこうなっていただろう。トゥインクル・シリーズの期間中でなくて良かったと思う。
トレーナーさんの優しさ、というより甘さに依存した関係。もちろん彼の不出来もあるでしょう。
でもあまりに歩み寄りがありませんわ。やはり私の方が相応しいように感じるというもの。
「落ち着いたかしら?」
過程が違うだけで同じ結論に辿り着く話を数時間と繰り返したのち問いかける。
「ああ、すまない」
「詫びなど必要ありませんわ。誰にも辛い時がありますもの」
「君は思っていたより優しいんだな」
「あら。トレーニングやレースに向けるものとは別物でしてよ」
「それもそうか」
だいぶ調子が戻ってきましたわね。ただ、それも誰かがこうしている間だけ。
傷ついてヒビが入った心を、誰かが埋めないといけない。そこに私を押し込めれば良いだけ。
「ねえ、トレーナーさん。これからはこういう時間を設けましょう」
「いや、流石にジェンティルに迷惑がかかる」
「言いましたわよね。私は貴方に守られたと。1人になった時、心が弱っている時はトラウマが付きまといますわ。だから私に守らせて欲しいというだけのこと」
ゆっくり浸食しないといけない。力を入れすぎては壊れてしまう。
「事情は私が話しますわ。貴方は、今は休みなさい」
同じベッドで寝て、同じ朝日を迎える。
寝ているトレーナーさんの目を盗んで、スマートフォンから例の女の情報を得た。メモをとっていく。
ある程度の個人情報、場所の特定もすぐ済むだろう。
全てを終えた頃に彼を起こして、洗顔などお互い朝の準備を済ませていく。
「トレーナーさん」
「なんだい?」
「スマホの暗証番号、変えた方が良いですわ。私、昨日の貴方の指の動きで覚えてしまいましたの。ごめんあそばせ」
雑談のついで。あくまで誠実を貫く。彼の全てを把握する必要はない。私にはこの数年の歳月、そしてこれから重ねていく未来で十分ですわ。
「わざわざ言わなくても良いのに。まあ、ありがとう」
きっと変えないですわね。まあそれはそれで自由ですわ。
さて、調べ物をしましょうか。
「ジェンティル、どこへ?」
不意に立ち上がったので不安を抱いたのか、トレーナーさんは今までこんなことを言わなかった。
優越感とともに、ここまで心を壊した対象に憎悪を抱く。
「学園へ。始末はつけないといけませんもの」
そういうと彼は仕方なくといった風に納得を示した。
ふむ、そうですわね。
「大丈夫、私だけは裏切りませんわ。貴方が私にくれた誠意には報います」
あと少しでキスもできそうな距離に顔を寄せて告げる。彼の揺れる瞳に私が映る。
その後は音のない、二人だけの名残惜しい時間。とはいえいつまでもこうしてはいられませんわ。
「また後で。トレーナーさん」
これまでの私の行動全てに拒絶や回避がなかったことを嬉しく思いますわ、トレーナーさん。
貴方の理性は、今壊れてしまった。可哀想なトレーナーさん。
次辺りで話を畳みたいところ
ほぼ同郷のフリオーソの構想もあったり