2012年のJCは長いこと議論が絶えないようです。
2014年〜2018年あたりまでが競馬に一番関わっていた時期なので当時の熱はわかりかねますが、火を扱いつつ慎重に
他のウマ娘を出す余白がない。。。
諸々の説明を終えて、私は彼のいないトレーナー室で大事な思い出を眺めていた。疲れたので、少し心身に休憩が必要でしたの。
説明を受けての皆様方の反応は様々だった。
純粋にトレーナーさんと私を心配する者、同情しつつトレーナーさんに怒りを表す者、大人の建前とやらを重視する者、そして私に「やったな、お前」という目を向ける者。やったな、のニュアンスはまあ人それぞれですわ。
ともかく最後の反応は、学園生活に影響を与える方々からのものではないので気に留める必要もありませんわね。
理事長の判断は、しばらく私の預かり。彼の状況については日次で報告が必要になった。
私をここまで働かせるのはトレーナーさんが初めてでしてよ。
概ね滑り出しは順調。髪をくるくる指で巻きながら、今後の展開を考えるが、目の前の映像はそれを辞めさせた。
そうですわね、お休みするのでしたわ。
つい2日前に、トレーナーさんと同じ映像を見たばかり。今度の同伴者は、ぐちゃぐちゃの私の感情かしら。
記録された思い出は栄光と挫折に満ちている。記憶の中にしかないものは、最早甘酸っぱいですわね。
慢心して不良バ場の中2着に終わったメイクデビュー。逃げの子をよく見ておけ、と指示はありましたが普通にレースを運んだ私の驕りですわ。
『伸び代ですね』
それを一言で済ませて私を責めもせず彼はレース場を後にした。バツの悪さで、私は黙って着いていくしかありませんでしたわ。
その後は、体調不良明けのチューリップ賞こそ逃したもののトリプルティアラ含め勝利を重ねていく。
『女王は1人で良い、とヴィルシーナが言っていたけどその通りでした』
この動画は秋華賞の勝利インタビュー。私が昂ってご本人に言ったセリフを被せてきた。
終始こんな感じで私が言いそうなことをトレーナーさんが先回りして言う様。
言うことがなくなって口数が減ってさらに上品になる私との対比で、貞淑な乙女を掌で操る悪徳トレーナーなどの風聞が立ちましたわね。
くすくす、と笑ってしまう。
そして私が彼に明確に好意を抱いたタイミングがクラシックのジャパンカップ。
ここで今までトレーナーさんに向いていたヘイトが私に一瞬だけ向きましたわ。悪いことはしていない……ああ、強すぎるのはある意味、悪かもしれませんわね。
いずれにせよ勝者こそ正義。勝利は強い相手を真っ向から叩き伏せてこそ。
それが出来れば、私にとってヒールであれなんであれ名に興味はないのですが、そんな世論に対してトレーナーさんが報道陣を通じて出したアンサーはいつ見返しても心地よいものですわ。
炎上めいてしまったので謹慎処分を受けましたが、彼は今のように自宅待機していましたわね。
……その翌日から私にリモートでトレーニング指示をしていたのだから、元彼女さんも多少は憐れみの余地があるかしら。
ともかく勝ったレースで印象にも残っている。最初から見ましょうか。
『オルフェーブルが最後ゲートに入りました』
そういえばこの時オルフェーブルさんは大外でしたわね。
皆、それも私や凱旋門賞ウマ娘はじめ、名にしおう方々を待たせているのだからもう少し申し訳なさそうにすれば良いものを。
『史上最大決戦、ジャパンカップ……ゲートが開いた、スタートになった……!』
レース展開としては、そうですわね。いきなり立ち遅れた方がいて、お馴染みのようですが、私は逃げを打った方に続いて前目でトーセンジョーダンさんと隣でレースを運びましたわ。
ちなみに誰も触れてくれないのですが、外枠から当たり前のように早く前につけるにはそれなりに力が入りましてよ。
この時マッチレースになったオルフェーブルさんは、あら、ずいぶん落ち着いて入られたのね。
その後私は3番手でレースを運んでいく。まあ手堅い、地力のあるウマ娘が真っ当に勝つだけ。
早くも縦長の展開になっていますが、ポジションとしては得意の形ですわ。
この時後ろの方々はどう動くか牽制しあう。内枠有利のレースですが、なんだかんだオルフェーブルさんはお上手ですわね。大外のはずですが良い位置取りをしています。
『さあ3、4コーナー中間。大欅はすでに過ぎました。ビートフラッグが気持ちよさそうに逃げている。大きく後続を引き離して、16人、世界を相手に強豪を引き連れて最後の直線コースに向かってまいりました!』
ここからですわね。いつの間にか中団を抜けたオルフェーブルさんが前を捉えようとする展開。私は少し反応が遅れていますが、許容範囲。同じく差すための最短距離を目指していく。
逃げの子が邪魔なので、少し外に出していた。内ラチはあまり空いていなかったと記憶していますわ。
『内の方ではジェンティルドンナも懸命に粘りを見せている!』
あら、粘りに見えますのね。まあ勝負の最後は結局のところ気持ちが大事だとも思いますわ。
その後実況の方は後続追込勢の伝達に移る中、私とオルフェーブルさんの激突は画面でのみ行われた。彼女を外に弾き出して、ゴールへの道を開く。
やむを得ない競り合いでしてよ。力で勝る方が利を得たというだけのこと。
そのシーンを何回か巻き戻す。
「うーん。私も非がないとは言いませんが、この方斜行しすぎてはなくて?」
戦略としては妥当なのだが、そう結論づけて場面を進めた。あとは2人の世界。体勢をすぐに整えて私と競るあたりは流石とでも行っておきましょう。ただ、有利はこちらにありましたわね。
ゴールのシーンは写真判定するまでもなく私が先頭。そして灯る審議のランプ。
恨めしそうに見ているオルフェーブルさんを尻目に、観客の皆様に挨拶をしている。
ここから長い審議。パトロールの映像が流れ続けて解説の方々がうん、うん言うシーン。
ここの結果は変わらないので早送りをしていくとトレーナーさんと私のインタビューに場面が切り替わった。
『おめでとうございます』
『ありがとうございます』
確か、いつもトレーナーさんが先に受けるから私に最初喋らせるようにお願いしていましたわね。
『審議が長くなりました』
『前をかわすというところでしたが、微妙なところを、狭い進路をつかざるを得ませんでしたわ。結果としてぶつかってからの叩き合いになったことは申し訳なく感じております』
我ながら殊勝なコメントですわね。横にいる殿方が、何故か公の場だと言葉を選ばないからですわね。
『ゴール前までは本当に激しい叩き合いでしたね』
『そうですわね。良いレースが出来たとは思います。道中のポジショニングも最高な形でしたし4角までは完璧に運べましたわ。接触がなければ完璧なレースだったと思いますわ。彼女、オルフェーブルさんとはああいう形でなく純粋に速さのみで競いたかったですわね』
ここで少しだけブーイングが聞こえますわね。おおかたオルフェーブルさんのファンでしょう。彼女は見た目だけでなくレースぶりも派手なのでカルト的な人気がありますものね。
『ではトレーナーさんに伺います。まずジェンティルドンナさんはこれでG14勝目となりました。どんな言葉をかけますか?』
『ありがとうとお疲れ様、ですね』
『審議については如何でしょうか』
『URAの決定が全てです。1つ言うなら我々は担当の勝利のために最善を尽くしています。あの化物に勝つなら、バ場と状況に応じて最短距離を常に取る必要がありました。彼女は私の言ったことを忠実に遂行してくれました』
また始まった。他にも言葉を引き出せると思った記者がさらに突っ込んでくる。
『3回はぶつかるシーンがありました』
『まあお互い勝負なのでね。元はと言えばオルフェーブルが斜行して進路を塞ぎにきたのでこじ開けたまで。あれで失格になったらレースにはなりません。URAの裁定も、そういうことです』
ああ、これですわね。全オルフェーブルファンを敵に回した発言ですわ。
私が反省込みの毒にも薬にもならないコメントをしたので、レース後私に来ていたヘイトは結局彼に向かいました。大したヘイト管理ですこと。
……余計なことを、と思いつつ感謝もしておりますのよ?
流石にここまで偏った発言をすると思っていなかった記者にも間ができる。
その微妙な時間から、インタビューを締めにかかった。
『改めてジェンティルドンナさんはどんなウマ娘でしょうか』
『内に強いものを持った、女の子だと思います。はい、最強です』
『おめでとうございます』
『ありがとうございました』
この後の控室のことは映像に残っていない私だけの思い出ですわね。
トリプルティアラの後、契約時の宣言通りの方向性で最初に提案したレースがこれだった時点で彼の精神性には一層の好意を持っていました。ああ、相性は良いんだな、と。
ただあくまでそれはビジネス的な関係にしか過ぎませんでした。この時までは。
『まずはおめでとう』
『ありがとう。貴方またやりましたわね?』
『まあ事実ではあるからね』
嘆息1つ。
『キャラ作りも程々にしてくんなまし。秋華賞も私がヴィルシーナさんに言ったのをどこかで聞いたからでしょう』
『ああ、気づいてたのか』
『本人からお問い合わせがありましたもの』
『色々気遣える彼女らしいね』
レース後の会話がこれであるので、控室の雰囲気として最高のものではありませんでしたわ。
私はもちろん彼も勝利してこそ、という考えですが後味の良いレースではありませんでしたから。
ただウイニングライブのこともあるので、はい解散というわけにもいきません。
『ねえ、トレーナーさん』
『なんだい』
私も何故彼がここまでキャラ作りするのか図りかねていました。
『貴方、ずいぶん私を庇うけれど不要でしてよ。ジェンティルドンナがいるうちは良いかもしれませんが、悪名は今後別の担当やチームを持った時に響くのではなくて?』
『ふむ』
そう言うと彼はホワイトボードに私の過去と未来のレースローテを書き始めた。その後でレース名に掛かるように右肩上がりの線を引いていく。
え、このあとは海外行くんですの? 面白い……ではなくて話を戻さないと。
『有馬に向かうのかと思いましたが、違うのかしら』
『このレースは想像以上に負荷がかかっているし、ヴィルシーナにも俺が煽りはしたが君は全力を出したはずだ。まずは疲れを抜く』
『慎重ですのね。まあ良いですわ。それでその線は?』
『俺のモチベーション』
『右肩上がりで光栄ですわね。負けた時も下がらないのね』
『大事なところは1回も負けていない』
『確かに。ですが、それで?』
悪名を彼はどう考えているのか。答えを出していない。
『まずインタビューでも答えたけど君に感謝している。新人トレーナーに、まだ始まったばかりのキャリアなのに最高の時間をずっと過ごさせてくれている』
『だから庇うのは当たり前と?』
『いや、それは役割の話で全然別物』
きっと感謝の代価だったならば私は拒否したでしょう。
『では、どんな役割かしら』
『良いレースを。君はレースと目の前の勝負に集中すれば良い。自分だけを信じれば良い。俺もジェンティルドンナのトレーナーとして存在している自分を信じている』
そういう考えか、と納得がいった。
『勝負の世界と熱気。その余波で生じたあらゆるクソを俺が引き受ける。トレーナーの責任は、担当が望むことに集中できる場を作ること。君は君のままで、レースに望むんだ』
『――そう』
『俺には君が必要だ、どんな批判も微風にすぎない。人生で一番良い時間を君と過ごしている。だからジェンティルには、ジェンティルも気にはしないだろうけど外野の声を耳に入れず、レースに集中して欲しいんだ』
会場の賛否を受けたばかりからか、情熱的な告白にも感じましたわ。この時私は、彼のために私の栄光を与えたいと思ったのだ。わかりやすく言えばトレーナーさんと勝ちたいと思った。2度とケチが付かない形で。
その後のウイニングライブは今までと違う表情に見えますが、きっとこの火照りのせいですわね。
ええ、だから、この時からですの。
最後の有馬記念まで見終わった。望む戦場でジェンティルドンナの名を刻んだ。
彼を経由して、あるいはレース場で直接伝わるウマ娘たちの殺気も非常に心地よかった。
このあとはマークや彼のプライベートの問題、いえこれは言い訳ですわね。負けが込んでしまったが本当に勝つべきレースは勝てた。
その間も彼はずっと私の狂言者で、むしろその言動に変なカリスマがついてトレーナーさんのファンが増えた。困っているようだけど自業自得だし、私だけが素顔を知っていれば良いわ。それもトレーナーの責任なのでしょう?
心が温まっているのを感じますわ。純粋に好きだった気持ちを思い出しましたの。
昨晩の黒く塗りつぶされた笑みを無垢な少女のものにして、私は彼に会うことができる。
「ジェン子ですわ。トレーナーさん」
マンションのエントランスで彼に電話をかける。ワンコールで出るあたり、少し心配になる。
「あー。うん。遅かったね、今開けるよ」
ジェン子呼びを知られたのはバツが悪いのかしら。
こちらとしても、報告ついでにレース映像を全部振り返ってました、というのは憚られますわね……。
ドアを開けるトレーナーさんの顔を見て改めて思う。
私の代わりに不要な悪感情を受けても平然としていた人が、こうも頼りない表情をするのかと。
――私も彼がいなければこんな顔になったのかしら。
……いや、それはありえないですわね。ただやはり、やりやすさは違ったかしら。
「遅くなりまして申し訳ありませんわ。少しトレーナー室で思い出に浸っておりましたの」
「珍しいね」
「そうかしら。過去を美化するのと、思い出を大事にするのは違うことよ」
そのあとは学園でもらってきた差し入れもとい夕飯をご一緒する。そろそろ自分で作ると言うことも学んだ方が良いのかしら……。料理なんて、好きでもない限り最もコストパフォーマンスの悪いことの1つだと思いますわ。
彼が喜ぶなら、というものでしょうか。こういう場面に限っては惜しいと思う。
「ねえ、貴方」
「なんだい」
「異性の手料理というのはありがたいものかしら」
「意見は人によるけど……」
「貴方の意見でよろしくてよ」
そもそもそれ以外に興味はないのですから。
「向き不向きがあるから負担になるならしないて欲しいかな。ただ……」
「ただ?」
「ジェンティルが作ってくれるなら、いろんな意味で嬉しいだろうね」
「いろんな?」
「そう、いろんな」
「いや説明なさいな」
「……難しいんだよ」
まあ嬉しいなら少し勉強してみましょうか。ヴィルシーナさんを頼るのが良いのかしら。
ちなみに彼女は、私の説明を受けて「やったな、お前」の顔をした。
人を略奪者か簒奪者だと思っている。貴女からはトリプルティアラくらいしか取ってませんわよ。それもかなり真っ当な手段ですわ。
そういえばトレーナーさんが一時期過剰な煽りをしたせいかトレーナー間の仲が険悪だったようですが、今はその意図に気づいて関係は修復されたよう。夕飯の差し入れはヴィルシーナさんと彼からのものが多分にありますわ。
ただ、今はこの温かみが私にとって障害になりますわ。傷口を埋めるのは私でないといけませんわ。
「ねえトレーナーさん。今日はお休みしましたが、いつから復帰なさいますか?」
「……ああ、もう少し時間が欲しいかな。ジェンティル、トレーニングはちゃんと考えるから」
「休みなさい。4年も一緒にやったんですもの、そこまで外した自主トレは組みませんわ。メニューだけ送らせて頂戴」
「いや何か考えてないと不安なんだ」
そこに仕事が来るあたり将来どうかと思いますが、私のことをずっと考えたいというなら仕方ありませんわね。
「わかりましたわ。そしたらお願いしますわね」
「ありがとう。あとジェンティル」
「何かしら」
「俺は君のトレーナーをちゃんとやれていただろうか」
唐突にそれさえも疑ってしまうメンタルなのですね。
「今更何を。私がここにいることが、何よりの証明ですわ」
呆れながら伝える。その方が彼には刺さると思うし、私のキャラクターだと思うから。
「今日も抱きながら寝てあげましょうか?」
彼は苦笑いだけしてそれに答えなかった。沈黙は肯定と受け取りますわよ、貴方。
昨日はシャワーさえ浴びずの味気ない格好だったけれど、ネグリジェを持ってきた私に死角はありませんわ。
就寝前のやることをやってベッドの上。
そちらの理性はまだ踏みとどまれるようで結局抱擁だけに終わってしまっている。
彼が深い呼吸をするたびに、その心にこびりついた不安が剥がれているような気がする。
剥がれたところを私で埋めていく。髪を優しく撫でて、好意を送りつける。
それで寝てしまった。キスでも胸でも、なんでも良いから既成事実が欲しい。彼から私に手を出したという事実が。染めあげた、手っ取り早い証拠が。
それを成すまでは、なるべく他の人と関わってほしくない。
ただし今はそういう気分になれない、というのも理解できることだから私は待つ。
抱き合って一夜を過ごす男女にしては、実にプラトニックではありませんこと。
もっと豪快に行って良いのかもしれないけれど、私は傷つけた女と違うところを示さないといけない。
「ごめん、ジェンティル……」
寝言かしら。ええ、良くってよ。雨の日は濡れて、寒い日に凍えるのは当たり前のこと。
――まどろっこしくてしょうがない。
内なる獣が呻くのを押さえつける。貴方は最終手段かトドメでしか役に立たない。
彼から致命的な一言が来るのを待ちなさい。後戻りできないアクションが起こるのを待ちなさい。
それで全部、手に入るのですから。