「まさかアンタが俺たちの事を助けてくれるなんてな」
助手席から放たれた声は妙にのんびりとしていた。黒いマスクと帽子で顔をほぼ完全に覆い隠したジャックが、座席にもたれかかりながらそう口にする。テキサスの夜は生温く、車のエアコンが静かに唸っている。意図せず運転席に座らされたキッドは新一の姿に戻って、両手でハンドルを握りしめていた。狙撃されて腕を痛めたジャックより、いざという時にちゃんと反応できそうなキッドが運転した方が良いだろうという判断だ。とはいえ未成年で無免許なのは変わらないので、帽子を目深に被り、できるだけ顔が見えないようにしている。
コナンは好き好んで助けたかったわけじゃないと告げた。ジャックが撃たれたり、キッドが捕まったりしたら帰る手段が失われてしまうからだ。純粋に打算のある話だった。
「俺はお前が俺のこと助けてくれたのもびっくりだったけどな」
キッドがチラリと視線をジャックに向けると、ジャックは目を逸らしながら帽子の鍔を下げた。
「今アンタに余計な証言をしてほしくはなかったからな」
「ま、助かったぜ。ありがとよ。てかあのダサい仮面何?」
「適当に買った。日本の殺人鬼がいるって知られたくなかったし、
「適当にしてもチョイスどうなってんだよ。つかテキサスのどこで般若なんか買ったんだ。俺FBIにわけわからん般若の奴が仲間にいるって思われてんの?」
「知るか。白いタキシードで盗みしてる奴が般若くらいで文句言うな」
「俺のはハイセンス。お前のはギャグセンス」
「叩き落とすぞ。アンタが俺に言う言葉は“ありがとうございました”だけで良いんだよ」
「ありがとうございました!」
そうやって気の抜けるような雑談をする、危険極まりない犯罪者が二人いる車内を後部座席から眺めながら、コナンは小さく息を吐いて窓から景色を眺める。すると、
「……ところで、そろそろ真相に気がついたんじゃないか? 名探偵」
ジャックの声に、コナンは窓の外へ向けていた視線を戻した。キッドは「は? 真相?」と疑問を声に出す。
「アンタだって気になってるはずだ。誰が自分の予告状を偽装して出したのか。何のためなのかってな」
「そりゃまあ」
キッドがチラリとバックミラーへ視線を向け、「もう分かってんのか?」と問いかける。すると後部座席のコナンは、自信ありげな様子で口角を上げた。前のめりに身を乗り出す姿は、子供というよりも追い詰めた獲物の前に立つ猟師のような雰囲気があった。
「もう全部分かってるよ。ジャック、テメェの協力者についてもな」
「はぁ、俺の協力者だって?」
「バーロー惚けてんじゃねぇよ。どう言う理由がありゃお前がゴールドウィンのプライベートジェット動かせるんだよ。あれを動かせるのはビアンカさんの使用人だけだ。それも上位の。つまり、お前は今回向こうから招待されたんだよ。そいつこそが、今回の事件の首謀者……とも言えるかもな」
「首謀者っつーと、レッドラインのボスってことか?」
「いいや違う。お前を巻き込み、殺人鬼を呼び込み、この事件を複雑化させた首謀者だ。連続強盗の黒幕は別にいる」
コナンは後部座席に深く座り直すと、整理するように一度目を閉じてから、静かに話し出す。
「そもそもおかしな話だ。強盗団は今まで、簡単に取れる金品を奪って逃走するだけだった。それなのにレッドラインは彼等を殺した後、金品を奪うだけじゃ飽き足らず、暫くその場に残ってドラゴンアイを探して盗んで行ってしまった」
レッドラインの犯行は雑でプロの仕業でないことは既に分かっている。素人がなぜ、ドラゴンアイのセキュリティのコードを知っていたのか。どこにも情報が漏れていないはずのセキュリティなのに。それはつまり、近しい人間の中に裏切り者がいたからに他ならない。足跡がつかないものばかりを狙い、奪った貴金属はそのまま闇市場へ流すのではなく、海外のブローカーを経由して転売を重ね、資金の出所が追えないように段階的に洗浄してきたはずの強盗団にしては、あまりにも大胆な犯行だった。
ならば、なぜそんな事をしたのか。裏切り者は何故レッドラインにビッグジュエルを盗ませたのか。
「それは怪盗キッド。お前のためだ」
「俺ぇ?」
驚いたようにキッドの声が上ずる。
「レッドラインの事件と怪盗キッドを絡ませる為。首謀者はお前の予告状を見て利用する事にしたんだ。レッドラインがゴールドウィンの館に強盗に入った事に気がついたソイツは、急遽ビアンカさんのアドレスから旦那のスマートフォンにメールを送った。ドラゴンアイのセキュリティコードだ。リーダーはそれを見て、金庫を開けたんだ。レッドラインがそのままそれを盗み出せば、ドラゴンアイは永久に闇の中。そうなる前に必ず怪盗キッドは来るはずだ」
首謀者はそう考えた。だから自らが足止めにまで繰り出した。怪盗キッドが間に合うように。
「ひょっとしてあのヘルメットの奴が首謀者か!?」
「ああ。奴らの次の事件を察知して慌てて駆けつけたんだ。まあ遅かったみたいだけどな。遅いと思ったからこそ足止めも狙ってメールを送ったんだろうけど」
あいつ俺のこと利用しやがったのか、とキッドはハンドルを握りしめて悔しがる。まんまと利用されて事件が複雑になったことで、捜査が恐らく遅れた。
「つまりこう考えられる。お前が関わらなければ、きっと“FBI”はレッドラインをすぐにでも逮捕できる状況になっていたんだってな」
「あの凄腕スナイパー! あそこに配置されてたってことはそうか! 動けるように準備されてたんだ!」
「それで? それならそいつはレッドラインの仲間なのかな? FBIの邪魔をしたかった訳なんだろ?」
「分かってるくせに。そいつは強盗達の敵さ」
「はぁ? 何で敵がレッドラインを逃す手助けみたいなことしてんだよ」
わけがわからんとキッドは頭にハテナを浮かべる。そんな彼にコナンは、マリッサとニックの言葉を思い出してみろと告げる。それは、FBIが来た時の言葉だ。“先日も別の人達に同じこと何回も聞かれた”。そして、“最初は別の筋が押さえてた話なのに、州をまたいでるからといってあとから出てきて全部持ってこうとするのは不快だ”という旨の言葉。
「おいおい、まさか首謀者って」
キッドはそこまで思い出し、察したように冷や汗を滲ませる。車内の空気が、一瞬だけ重くなった。
「縄張り争いだったんだよ。配置されたスナイパーはヘルメットの奴の仲間じゃなかった。FBIだ。お前が利用された理由は。自分達が証拠を集めてさぁ捕まえるぞと言う直前に、突然割り込んできたFBIが手柄を丸ごと掻っ攫おうとする。こりゃたまらんと思ったソイツは、咄嗟に事件を複雑化させた。FBIの捜査を長引かせるために。レッドラインの足止めとFBIの妨害をたった一通のメールだけでやってのけたのさ。
ソイツはレッドラインを捕まえられるところまでは行っていたが、彼等の裏にいる黒幕までは見つけられなかった。いや、目星はついてるが証拠が集められなかったのかな。そうこうしているうちにFBIが横槍を入れてきた。だから、犯人探しが得意な殺人鬼にこの凶悪犯探しを手伝ってもらおうとしたんだ。蛇の道は蛇だな」
「縄張り争いっつーと、現地の警察組織か? いやでも、言い方は悪いが現地の警察組織程度じゃFBIの捜索を邪魔する事はできねぇか」
「そう。つまり同じくらいの規模を持つ組織さ。例えばCIA、例えばUSSS……例えば、HSI」
HSI、国土安全保障捜査局。HSIは元々税関と移民局が統合してできた組織なので、国境を越えるもの……人、モノ、金、データのすべてに捜査権を持っている。この範囲があまりに広いため、FBIが追っている事件、テロ、サイバー犯罪、組織犯罪などと頻繁にバッティングする。
今回のレッドラインもそうだ。強盗団はほぼ不法滞在者達で構成されていた。そして彼等は奪った金品を海外で洗浄していた。
「おぉ……それは完全にHSIの管轄だな」
キッドが低く呟くと、ジャックは肩をすくめた。
「誰から捜査の状況なんて聞いたんだ? 名探偵」
「知り合いのFBI捜査官からさ。厄介な子犬に噛み付かれてるって言ってたぜ」
「ホー、子犬と来たか。後でアイツに教えてやろう。きっと嫌な顔をする」
「認めるんだな?」
「確信持ってる奴にこれ以上隠しても意味ないだろ? そうだよ。こう見えて俺は結構潔い方だ。認めてやる。正解だ名探偵。俺はソイツにここに呼ばれた。
アイツはずっとレッドラインを追ってた。で、ゴールドウィンの館に強盗が向かってると掴んで即座に住人に今すぐ逃げろと連絡を入れた。それから自分もバイクで飛び出した。ただ、現場に向かう途中で繋がれてたスマホから銃声が聞こえた。そこでもう間に合わないって悟ったんだろうな。
だから切り替えた。捕まえるんじゃなく、足止めに。ビアンカのアドレスを使ってセキュリティコードをメールで送ったんだ。あれで連中は金庫に手を出さざるを得なくなって、動きが鈍る。そのおかげでギリギリ追いついた。追跡までは持ち込んだが……逃げられた。ただ、あらかじめ配置してた仲間が3人は確保してる。
問題はここからだ。FBIが動いてる。しかも相当有能だ。このままだと、連中に全部持っていかれる可能性がある。だから焦った。レッドラインの裏にいる黒幕、その証拠をFBIより先に押さえたかった。それで俺を呼んだってわけだ。単独じゃ間に合わないと判断したんだろうな」
この事件はなるべく早く解決するべきだと思ったジャックは手を借りるべくコナンを誘拐してきたのだと続けた。頬杖をついて窓の外の夜景を眺めるジャックに、キッドはチラリと目を向け、それからバックミラー越しにコナンを見る。
「そんで、ソイツは誰なんだ?」
「恐らく館にまだいる。どうせこの話も聞いてるんじゃないのか?」
「フッ、よく分かってるじゃないか。ところで、問題は首謀者ではなく黒幕だと思わないか?」
「そうだな」
コナンは改めて状況を整理する。頭の中で、散らばったピースが一つずつ噛み合っていく感触があった。
強盗団レッドラインは、仲間意識を示すためか体の一部に赤い装飾品をつけたり、フェイスペイントを施したりしているのが特徴だ。彼等はニューメキシコから始めた強盗殺人の旅で、数多くの家を襲っている。人種を問わず、階級も問わず、ランダムに侵入して住人を皆殺しにし、金品を盗んでいく。だが一度とだって警備が厳しいところは狙わなかったのだ。あくまで普通の、自分が狙われるなんて考えてもいないような一般市民達を選んでいた。
そんな中、突然ゴールドウィンの屋敷を襲った。警備の網を潜り抜け、家主や警備員達を殺し、金品を盗んだ。誰も予想していなかった場所だ。本来はいつも通りに分かりやすい金品だけの予定だっただろうが、隠されたドラゴンアイの情報を知り、それも盗んで行った。そして、ドラゴンアイについて漏らしたのはジャックの協力者の仕業。
だが、家についての情報をバラしたのは別の人物だ。
「なら、その前。あの屋敷の警備情報についてレッドラインに漏らしたのは誰か。奴らは不法滞在者が集まったただのチンピラ強盗集団。プロの警備を潜り抜けるようなテクニックはなかったはずだ」
「つまり誰かが情報を漏らした」
「赤い装飾品ってもよぉ」
キッドはそれだけの情報を漏らせるだろう使用人達三人の顔を、記憶の中で順番に思い返す。
「アルヴィンは赤いネクタイ。マリッサは赤いマニキュア。ニックは赤いピアス。全員ありえるじゃねぇか」
「もう1人いるじゃねぇか。赤を纏った人物が」
その言葉を聞いてジャックはハッと驚いた。眉が持ち上がり、目を見開く。
「まさかビアンカか? 彼女は赤いリップが特徴的だったけど」
「そのまさかさ」
「自分の旦那の家を襲わせたのか!? 殺されるって分かってたのに!?」
「警備情報ならアルヴィンもあり得るだろうが、ニックのパソコンをのぞいた限りでは彼の管轄はあの屋敷に限られている。秘密の屋敷について詳しく知ってる人物なんてビアンカかその旦那だけだ。だが旦那はその事件で亡くなっている」
「ンな事あり得るのか? だって彼女は地位も名誉も全て持ってるんだぜ? 別居とはいえ円満な夫婦関係で、子供とだって仲が良い。カリフォルニアに新居だって建築中だ。子供のSNSには家族での新しい暮らしが楽しみだって書いてあったのに……事業も家庭も全てうまく行っているのに何でそんな事をするんだよ?」
「知ってるか? ダストンの地価は暴落してる。そして出ていきたいと言う住民のためにビアンカは土地を買い取ると宣言しているんだ」
「マッチポンプだろうな……」
「マジかよ!? 安く買った土地を今度は高値で売るつもりなのか!? レッドラインさえ消えれば治安は元通りだ! 土地の価値は再び上がって、今度は高く売れるようになる! 強盗達を利用して、最後は消すつもりなのか!」
「だろうな。最初からそのつもりだったんだろうよ。市長として再び街を再生して、安く買った土地を高く売る。名誉も金も手に入る」
「何が不動産王だよ! とんでもねぇじゃねぇか!」
「俺たちもそこまでは予想したんだ。でも証拠が見つからなかった。アンタは見つけたのか」
「当然さ。だから今から突きつける」
コナンが目を向けると、フロントガラスの向こうにゴールドウィンの屋敷が見えてきた。夜の闇の中に浮かぶ豪邸は、煌々と照明を灯したまま何食わぬ顔でそこに建っている。コナンはさっさと車を降りると、屋敷の中に入っていく。
豪奢な館の廊下を全速力で駆け抜ける。スニーカーの音が大理石の床に響き、装飾品で飾られた廊下が両脇を流れていく。やがてビアンカの部屋の前に辿り着くと、コナンはドアに手をかけながらこう言った。
「それはやめた方がいいんじゃない?」
突然現れた第三者の声に、その人物は驚いたような仕草を見せる。さらりと流れる金の髪と、耳元で揺れる赤いリングのピアスが目を引く。今まで見ていた飄々とした仕草の中に、今はどこか剣呑な気配を感じる。そしめ、その人物こそ、
「ね……ニック・ヘイリーさん。いや、今となってはこの名前も本名かどうか分からないけどさ」
椅子に座るビアンカに銃を向けていたニックは、マゼンタの瞳に驚きを乗せてぎこちなく振り返る。彼の背後にはコナンが立っていた。
「日本の犯罪者を巻き込んでまでFBIの先を行きたかったのってアンタなんだろ?」
「何のことだかって惚けたいところだけど、もう全部バレてんなら意味ないか。何で分かったの?」
「握手を拒むくらい潔癖症のアンタがジャックには馴れ馴れしく肩を組んでたからな。前からの知り合いなんだろうと思った」
「あー、めざとい奴。確かに
「解決が大目標なんだから別にいいだろう」
いつの間にやら入り口に現れていたらしいジャックがそう言うと、ニックは「そうだけどさ」と不満げに口を尖らせる。
「それで、名探偵。アンタの推理は?」
ジャックに急かされ、コナンは短く息を整えた。一瞬、目を細める。それから口を開いた。
使用人たちから聞き取った些細な証言、FBIから断片的に得た捜査状況、そして現場に残された結果。それらの情報と得た知識を繋ぎ合わせ、違和感のあった点を一つずつ指摘しながら、論理の筋道を崩さないように淡々と積み上げていく。その口調に迷いはなく、断片だったはずの情報が次第に一本の線として形を成していくのが、聞く者にもはっきりと感じ取れた。やがて、すべての要素が無理なく噛み合ったところで、彼は結論へと辿り着く。そこに至るまでの過程には一切の飛躍がなく、聞く者に反論の余地を与えない完成された推理だった。
「
ジャックは眉を顰めた。その声には純粋な疑問の色があった。
「
「
「はぁ?」
ビアンカは何でもないことのように言った。罪悪感も後悔もない。部屋の灯りの下、彼女の表情は静かで、まるで天気の話でもするかのように穏やかだった。
「
指先でグラスの縁をなぞる。その仕草は優雅で、爪の先が弧を描くたびに、ガラスがわずかに鳴る。
「
そこで、ふっと笑う。
「
静かに続ける声は、まるで実験の経過を語るようだった。感情の揺れが、どこにも見えない。
「
そしてその場にいる人達の顔をしっかりみてから、続ける。
「
「
「
「
「
「
「
いや、今となってはもうどちらでもいいか。ビアンカはその言うと小さく息を吐いた。
「
そう問われて、コナンは一歩前に出た。靴の底が絨毯を踏む音が小さく響く。
「
「
そう笑ったビアンカは、しかしふと笑いを収めると、どこか思い出したように言った。
「
「
「
その言葉と同時に、建物が大きく揺れた。ビアンカの部屋の窓が白く光ったかと思うと、一拍遅れて爆発音が腹の底まで響いてきた。足元から伝わる振動が、部屋の調度品を微かに揺らす。
「
「
「
ビアンカがそう言ってスマホの画面を見せると、メールの送信履歴が写っていた。
「蘭ッ!!」
コナンは慌てて飛び出そうとするも、部屋の背後にいつの間にか立ちはだかっていたアルヴィンが行く手を塞ぐ。容赦なく振り下ろされた警棒の一撃にコナンは咄嗟に反応できなかった。その瞬間、後ろ襟を力強い手が掴んで引き寄せた。ニックだ。そのまま引き寄せるようにして、警棒の攻撃を回避させられた。
「
直後、乾いた銃声が部屋に響いた。
アルヴィンの動きが止まる。太ももに被弾した彼は膝から崩れ落ち、痛みをこらえるように低く呻いた。骨に当たったのか、倒れ込んだ体は不自然な角度に曲がっている。狙撃だ。外からの一発が、あの男を仕留めた。
同時にコナンの元へ電話がかかってきた。
(赤井さん!?)
コナンが驚きながらも電話に出ると、館はFBIが制圧すると宣言された。だったら、己は蘭達の元へと向かう。しかしFBIの介入を察したニックは苛立った様子でコナンのスマホを奪い取ると、
「
と口汚く捲し立てる。
「
「
ニックはスマホを切るとコナンに帰す。
「言われているぞ。さっさと離脱する」
「あ゛ー、俺の半年間の潜入の努力が〜」
「ニックさん早くッ! 蘭達が!」
「分かったよ! あーもう最ッ悪! いつか吠え面かかせてやる!」
ニックはコナンを抱えて廊下を駆け抜けた。
裏口へと続く通路には、すでに銃撃戦の痕跡が濃厚に残っていた。壁には弾痕が広がり、白い粉が床に散っている。床には血の筋が走っている。転がっている死体のいくつかは、まだ体温を残しているのか、硝煙と鉄の匂いに混じって生々しい臭気を放っていた。FBIに撃たれたのだろう、レッドラインの構成員たちが無造作に折り重なるように倒れていた。
その光景を走りながら一瞥するだけで状況を飲み込み、コナンは奥歯を噛み締める。胸の奥に、蘭の顔が浮かぶ。ニックは足を止めない。外へ出ると同時に、黒いバイクへと跨り、コナンを後ろに乗せると、無理やり赤いヘルメットを被せてきた。視界が狭まり、外の空気が遮断される。顎紐が乱暴に締められ、喉元に食い込む圧迫感が息苦しい。
次の瞬間には、エンジンが咆哮を上げていた。タイヤが地面を削るように回転し、車体が前へ向かって跳ねる。加速のGが身体を後方へ引き剥がそうとし、コナンは必死に踏ん張る。夜のテキサスの道路を、バイクは獣のような勢いで駆け抜けていく。裏道へ、さらに細い路地へと滑り込み、信号など意に介さず交差点を突っ切る。横から来た車のクラクションが耳を裂くが、それすら一瞬で置き去りにされる。乾いた夜風が頬を叩き、ヘルメットの隙間から鋭く入り込んでくる。
やがてホテルが見えてきた頃には、風圧で頬が強張り、握りしめた手の感覚がわずかに痺れていた。蘭の無事だけを念じながら、コナンはホテルの輪郭を夜の闇の中に捉えた。
バイクは急制動で止まり、タイヤが短く鳴いた。コナンは飛び降りると、そのままエントランスへと突入する。
中はすでに制圧されかけていた。ロビーは荒らされており、ひっくり返されたソファの陰に人影が蠢いている。侵入に気づいた一人が振り向く。銃口がこちらへ向くよりも早く、コナンは壁際へと滑り込んだ。
発砲音。乾いた破裂音がロビーに反響し、耳の奥で残響が鳴り続ける。弾丸が床を抉り、コンクリートの破片が跳ねてコナンの頬をかすめる。熱い。皮膚が薄く切れた感触がある。心臓が激しく脈打つ。唾液が乾いた喉を通り、視界の端でニックが動く。銃撃戦だ。互いに遮蔽物を利用しながら、弾が飛び交う。何度か撃ち合ったその時、横から強い一撃音が響いた。
「はぁぁぁッ!!」
振り向けば、蘭が踏み込んでいた。迷いのない眼差し、そして一切の余分を削ぎ落とした動き。鋭い回し蹴りが男の側頭部に叩き込まれる瞬間、空気が震えた。骨に響くような硬い打撃音とともに、男の体が真横へと吹き飛ぶ。重い肉体が床に落ちる音が、ロビー全体に響き渡った。倒れた体は二度と立ち上がろうとしなかった。
間髪入れずに、小五郎が別の一人に突っ込む。大柄な体格を生かして距離を詰め、腕を掴んで引き込み、腰を落として投げ飛ばす。床に叩きつけられた男は、短く呻いて動かなくなった。
「アーサー君! これってどうしたの!?」
「こいつら強盗団だよ! 気をつけて!」
「っ!? 分かった! アーサー君も気をつけてね!」
ロビーは一瞬で乱戦へと変わった。銃声、打撃音、家具の倒れる音が入り混じり、ホテルのロビーはもはや戦場と化している。コナンも動いた。物陰から飛び出し、足元に転がっていた金属製の灰皿を蹴り飛ばす。狙い通り、急所ではないが胴体に当たったそれは敵の意識を一瞬刈り取った。その隙に距離を詰めようとしたその時、影が覆った。
別の一人が背後から迫っていた。靴底が床を踏む音が近づく。銃口がこちらを向く。避けきれない距離。コナンは体を固めた。
その時だった。
黒い影が、視界を横切った。
次の瞬間、男の体が横へと蹴り飛ばされた。衝突音。壁に背中から叩きつけられ、そのままずるりと床へと崩れ落ちる。男を蹴り飛ばしたのはジャックだった。
低い姿勢のまま踏み込んで間合いを詰め、次の敵が反応するより早く、絞り込んだ拳が腹部に深々と突き刺さる。くぐもった音と共に呼気が弾け飛び、男の体が大きく折れ曲がった。そのまま肩を掴んで体勢を崩し、床へと叩きつける。コンクリート越しに振動が伝わるほど重い一撃だった。男は受け身を取る間もなく、意識を失った。
無駄がない。だが荒い。洗練と暴力が同居した動きだった。
さらに一人。銃を構え直そうとした瞬間、腕を内側から叩き落とされ、そのまま肘関節を逆方向に極められる。骨が軋む音と共に男の悲鳴が上がる。次の瞬間には首筋への一撃で声が途切れ、体が崩れ落ちた。
一連の動きが、ほんの数秒で終わる。
ロビーに残っていた強盗たちは、一気に数を減らされたことで判断を変えた。奥から怒号が飛ぶ。リーダーの声だ。引け、という短い命令が響くと、足音が一斉に遠ざかっていく。外へ向かう気配。
コナンはそれに気づいた。顔を上げ、窓際から外が見える位置へと駆け出した。だが辿り着いた先の窓ははめ殺しだった。開かない。厚いガラスが外界を完全に遮断している。歯噛みしながら下を見れば、車がエンジンを吹かし、逃走を開始しようとしていた。
舌打ちする間もない。
その瞬間、ガラスに鋭い衝撃が走った。乾いた高い音と共に亀裂が走り、次の一撃で砕け散る。白いカードが回転しながら床に落ちた。
キッドだ。
開いた穴から夜風が吹き込み、破片が床に舞い散る。コナンは迷わずそこへ踏み込んだ。ボールはジャックを助けた際に使い果たしていた。だからニックのヘルメットを蹴り付けた。思い切り踏み込んで蹴り出した一撃は充分な速度を乗せ、ヘルメットは加速しながら一直線に夜の外へと飛び出した。
外灯のポールにぶつかり、それが鈍い音とともに容易くへし折られる。次の瞬間、折れたポールの先の標識が車のフロントガラスへと叩き込まれた。
一拍遅れて衝撃音が響く。強化ガラスが蜘蛛の巣状に割れ、内側へと砕け散る。運転席の男が咄嗟にハンドルを切るが、制御を失った車体が路面を横滑りし、そのまま壁へと激突した。金属が歪む甲高い音が夜に響き渡り、エンジン音が途切れ、車体はぴたりと沈黙した。
フロントガラスは弾け飛ぶように砕け、運転席には粉々になった破片が降り積もっていた。「俺のヘルメットが」と嘆くニックを一瞥することもなく、コナンはすでに駆け出していた。靴底がアスファルトを打つ乾いた音が規則的に響く。衝突した車のもとへ辿り着き、ドアを開けると、そこにいた二人の男の状態を素早く確認する。強い衝撃で意識を失っているだけだと判断し、コナンは小さく息を吐いた。
「よぉ名探偵、お手柄だったな」
その声と同時に、白い影がふわりと舞い降りた。壊れた車の上に軽やかに着地したその姿は、夜の闇の中でもやけに際立って見える。怪盗キッド。その手には、橙色の光を宿すビッグジュエル。サンセットハートが握られている。月光を受けて鈍く輝くそれを、彼はどこか芝居がかった仕草でゆっくりと掲げてみせた。
「突然FBIが突っ込んできて焦ったが、まあこの天下の怪盗キッド様には何の問題にもならなかったよ」
軽口混じりの自慢を口にしながらも、キッドの視線は宝石へと吸い寄せられる。だが、その輝きはただの光に過ぎない。ドラゴンアイと同じく、特別な反応は何も示さなかった。
「こいつのこの装飾の部分にSDカードがあるみたいだ」
そう言ってキッドは宝石を軽く放り投げる。弧を描いて飛んできたそれを、コナンは危なげなく受け取った。キッドは満足げに笑うと、「俺の仕事はここまでだな。じゃあな名探偵!」と言い残し、そのまま夜空へと身を躍らせた。白いマントが風を孕んで大きく広がり、次の瞬間にはもうその姿は闇に溶けていた。
振り返れば、そこにはすでにケイ・ヒライの姿に戻ったジャックが立っていた。何事もなかったかのような顔でコナンを回収し、そのままホテルへと戻ることになる。新一はどこへ行ったのかと問いかける蘭に対して、コナンは事件の関係で急に呼ばれてどこかへ行ってしまったのだと告げ、適当に言葉を濁した。腑に落ちない様子を見せながらも、蘭はそれ以上深くは追及しなかった。
キッドから預かったビッグジュエルは、そのままジョディへと手渡される。彼女はそれを慎重に受け取り、すぐに回収班へと引き渡す手配を始めた。
一方で、ニック・ヘイリーの姿はいつの間にか消えていた。あれだけ目立つ行動をしていたにもかかわらず、痕跡すら残さず消えたことに、コナンは違和感を覚える。ジョディに確認しても、その名に該当する人物の経歴は一切見つからなかったという。最初から存在しなかったかのような、不気味な消え方だった。
ビアンカとアルヴィンが逮捕され、ニックが消え、屋敷の空気は一変していた。急に一人になって慌てるマリッサを蘭が頑張れと励ます。その姿を遠目に見ながら、コナンは静かに目を伏せた。
こうして、テキサス州を揺るがした一連の騒動は、ようやく幕を下ろした。
* * *
そして帰りの空港。
幾千もの人の流れが絶えず行き交い、アナウンスの声が広いロビーの天井に反響する。搭乗口を案内するボードが光り、スーツケースのキャスター音が床を転がっていく。そんな騒がしい人波の中で、コナンは落ち着かない様子でうろうろと歩き回っていた。搭乗時間が近づいているにもかかわらず、ジャックの姿が見当たらない。飛行機が嫌で本当に逃げたんじゃないだろうな、と半ば呆れながら探し回っていた。その時だった。
「その呼び方やめろって言っただろ」
不意に耳に届いた声に、コナンの足が止まる。柱の陰、少し人の流れから外れた場所で、ジャックがスマートフォンを耳に当てていた。周囲の喧騒に紛れ込む絶妙な位置取り。それでも、耳を澄ませば断片的に会話が拾える。
コナンは息を潜め、自然な動作を装いながら物陰に身を寄せた。心臓が、ゆっくりと速度を上げていく。
「分かってるよ。こっちだってちゃんと進歩してる。あの人は嫌な奴だけどめちゃくちゃ優秀なんだよ。奴らの活動が日本で盛んな以上、手を組むのは当たり前だろ。……一応、恩人だし」
淡々とした声色だった。
「その件はお前の行いが神の御心から自らを遠ざけたせいじゃないか? え? お前に言われたくないって?」
冗談めかした言葉。口調の端に親しみが滲んでいる。
「分かってるって。抜かりない。丸くなんてなっちゃいないさ。俺が初めて人を殺した時から道は一つに定まってるんだ。今も昔も、目標は変わらない」
声が低く沈む。ざわめく空港の音が、その言葉の重さを際立たせるように遠のいた気がした。
「俺は必ず仇を取る。復讐は必ずやり遂げる。だからそっちも抜かるなよ、せっかく大いなる前進をしたんだ。下らない我欲で身を滅ぼすな」
コナンの喉がわずかに鳴る。逃げるべきか、聞き続けるべきか……その判断が一瞬だけ遅れる。
「しっかり頼むよ、二代目“テキーラ”」
その一言で、全身の血が凍りついた。
心臓が激しく脈打ち、耳の奥で自分の鼓動がやけに大きく響く。
テキーラ。テキーラと言った。酒の名前。コードネーム。それが意味するものは、一つしかない。だが気づかれるわけにはいかない。コナンは音を立てないようにその場を離れ、雑踏の中へと紛れ込んだ。
(テキーラ……テキーラって言ったか? 今あいつ、テキーラって……)
頭の中で言葉が反響する。
(ジャックは、奴らの仲間と繋がっている……?)
そうだ、そうだった。当然だ。少し考えれば分かる。これだけの犯罪者だ。組織の人間とだって、繋がっていてもおかしくはない。彼は歴史に名を残してもおかしくないような、凶悪な犯罪者なのだから。考えが一気に加速する。だが同時に、どこかで引っかかる違和感も消えない。整理が追いつかないまま、コナンは元の場所へと戻り、何食わぬ顔で椅子に腰を下ろした。
それから5分ほどして、ジャックは何事もなかったかのように戻ってきた。その表情は穏やかで、先ほどの会話の余韻など微塵も感じさせない。しかしコナンには今までとは別人のように見えてしまった。話し方も、立ち方も、何も変わっていないのに。
機内で再び静かになったジャックを横目に、コナンはそっと発信機と盗聴器を仕掛けた。だが、日本に到着して別れてからわずか十分後にはそれらは外されていた。しかも、近くにいた地域猫の首輪に無造作に付け替えられているのを見つけた時、コナンは思わず舌打ちを飲み込んだ。柔らかな毛並みの黒猫は、コナンを一瞥してから路地の奥へと消えていった。
(アルシエル。俺はお前を絶対に捕まえてやる)
胸の奥で、静かに炎が燃える。必ずそのすべてを暴き、組織との繋がりも何もかも吐かせる。
そう固く誓い、コナンは帰路についた。