今回は彼ではなく、彼女のお話。
夢の中で、私は拙い回想をしていた。
私は死ななくなる薬があると知って、富士の山へと足を運び、そして富士の山で奪い取った。蓬莱の薬、死になる薬。あの時は、死なないという甘い言葉に惑わされ、魅了され、軽い気持ちで手を染めてしまった。
最初はまるで天国のようだった。
死なない。どれだけ危険であろうが、死なない限り、それは全く問題にならなくなった。出来ることが格段に増えた。恐怖という感情が意味をなさなくなり、心の余裕が格段に広くなった気がしていた。
しかし、やることも無くなり、全てに愛想が尽きたとき、私に残ったのは無限に続く一本道だけであった。
何も感じない。
一面の白い世界。色がなく、濃淡もない。
不死の薬は命の延長ではなく命の停滞。
進むことも、戻ることも許されない世界。
髪を切れば戻り、手を切れば戻り、毒は効かず、水に沈めばひたすら溺れる羽目になる始末。
永遠に?今?に縛られる地獄。
遂には死にたいと思うことすらなくなり、それと同時に生きているとも思わなくなった。
不死とは、死ななくなるだけでなく、生きることすら出来なくなるのだ。まさにいてはいけない存在。
倒れて、このまま消えてしまえばいいのにと思いながら、ずっとずっと動かずにいた。
そんな時あいつはやってきて、こんな馬鹿な私を後先も考えずに助けようとしてくれた。
あの時のあいつの笑顔と一杯の料理は、
私にはどうしようもなく輝いて見えた――
外からガヤガヤとした声が聞こえてきて、私は目を覚ました。
日差しの差し方からして時刻はまだ朝方だろう。それなのに何の騒ぎだと私は不審に思う。とりあえずいつものようにさっちゃんから借りている寝間着から上着と赤の袴に着替え、居間へと向かう。いつもなら餅士が起きていて、おはようと言ってくれるはずなのに、今日は何故か誰もおらずちょっとした違和感を覚える。
「餅士、まだ寝てるのか……?」
そんな馬鹿なとも思ったが、今思えば無理もないだろう。昨日はあれだけ忙しなく働き回っていたのだから。人間の餅士にしてみれば、疲労困憊に決まっている。
今はまだ寝かしておこうと思い、一人でしんみりと居間に座った。
外の喧騒はまだ続いている。さすがに気になり、外へ出ようと玄関へと向かい手を袴に突っ込んだまま靴を履く。
そして扉を開けようとしたその時、ちょうどガラッと扉が開いた。そこには汗を垂らしながら必死の形相をした泰だった。
「ど、どうしたんだよ泰さん。外もうるさいし何かあったのか?」
私は泰の突然の訪問に驚きながらも、何も気にせずに質問した。それに対して泰はとても焦った表情で私を見る。
「妹紅ちゃんッ、さっちゃんが路上で倒れてて……っそんで、今ちょうど様子を見てもらってるところだッ。」
「はぁ!?」
その話を聞いて、すぐさま私はこの村の唯一の診療所……とされていて実際何かあるわけではないのだが……そこへと全速力で向かう。診療所の周りには沢山の人がいて、みんなは私を見るとすぐに道をあけてくれた。
「妹紅ちゃん、幸は多分診療所の奥の畳の部屋にいるよ!」
「わかった、ありがとう!」
なりふり構わず診療所へと入り、脱いだ靴も揃えずに奥の部屋へと入る。そこには医師と見られる白髪の老人と、優さん、そして布団の上で仰向けになりながら安静にしている幸がいた。
「さっちゃん、大丈夫なのか!?」
思わず私は大きな声をあげてしまい、しっと老医師に怒られる。
その人は、そのまま容態を私に伝える。
何らかの原因で過呼吸を起こし、そのまま外で倒れてしまったようで、現在は安静にしておけば大丈夫なようである。私はひとまず安心した。私もホッと一息ついたところで、寝転んでいた幸がゆっくりと目を開けた。
「だ、大丈夫か、さっちゃん……?」
「ぁ………えぇ、だいじょうぶ……。」
幸はこちらに気づくと、いつものような優しい笑顔でこちらを見る。
「なんで外で倒れていたんだ?昨日の夜に何かあったのか?」
質問するが、幸は天井を見たままにも答えなかった。しかし昨日の夜のことを考えると、餅士なら何かを知っているかもしれない。そう思って、私は徐ろに腰をあげた。
「ちょっと、餅士起こして話聞いてきます。」
何気なく私は言い、優さんもお願いねぇと頭を下げた。しかし、幸は目を見開いて口をわなわなと震えさせて叫んだ。
「もこちゃん!いやよもこちゃんッッ!」
あまりの怒号に私は思わず身を引いた。
優さんや老医師も驚き、外からもなんだなんだというざわめきが聞こえる。
「な、なんだよ……何があったんだ。」
私は身を引きながら、あまりの衝撃に事態を飲み込めずただただ立ち尽くすのみだった。
幸は目を開いたまま静かに涙を流し、喉を震わせながら呟いた。
「餅士くんは――――――――」
「…………え?」
幸の呟いた言葉が理解できず、いや理解したくなく、ただ無意識に診療所を出てまた幸の家へと戻る。そして、いつもであれば餅士が眠る場所に入り込む。
そこには誰も、誰もいなかった。
視界が白にかき消される――――
「じゃあ、行ってきます。」
幸が倒れてから数日たった後、私は餅士を探すために少しの間村を出ることにした。
幸が倒れた後、餅士が失踪したという話を聞いた村のみんなは一瞬パニック状態に陥り、村人全員で餅士を探そうと言う話になっていた。私は大事にしたくはなかったので、私だけで餅士を探してくるという提案をした。最初は村の人達も渋っていたが、私の必死の説得でなんとか了承してもらった。
私は身支度を整え、村の人たちに挨拶をして回った。その時に医師の人に聞いたところ、さいわい幸の容態はすでに安定していて、すぐにも元気になるらしい。
とりあえず私は安堵し、そして村にしばしの別れを告げた。入口まで何人かは見送りに来ていてくれ、私は大きく手を振り返す。
「大丈夫、すぐに連れて戻ってくるから!」
笑顔を作って私はまた歩き始める。
大丈夫、まだ近くでうろちょろしているはずだ。そう自分に言い聞かせる。見上げた空はどこまでも果てしなく伸びているように見えた。
(あれ、空ってこんなに遠かったっけ……)
いつからか、空に手が届くんじゃないかと思う時があった。あの時伸ばした手は、あと少しで月まで届いた気がしたのに。今はどれだけ背伸びしても、雲に太陽に届く気がしない。伸ばした手をぐったりと降ろす。
「もこちゃん……!!」
ふと誰かが私を呼ぶ声がする。いや、この呼び方は一人しかしない。私は驚いてばっと後ろを向く。
「何してるんだよ、さっちゃん……。」
身体はまだ万全ではないのだろう。よたよたと走りながらこちらに来る幸は、私のもとへと着くと力尽きるように体重をこちらに預けた。
「まだ寝とかないとダメだろ……。」
「そうね……もう年なのかしら……。」
こんな状態で冗談を言う幸を見ると、確かに大丈夫そうだと感じる。
体を支えながら、ゆっくりと幸の姿勢を戻してやった。幸は自分の足で立つようになると、両腕で抱えていた袋を私に持たせた。
「これは?」
「それは……いえ、中身を見たら分かるわ……誰もいないところで見て。」
「誰もいないところって、どうしてまた……」
「そうするのがいいと思うからよ。」
幸の思惑がよくわからなかったが、とりあえずもらっておくことにしておいた。
私はそれを荷物に詰めて、それじゃと小さく手を振る。幸も、いってらっしゃいと手を振り返す。幸はいつもの笑顔で見送ってくれた。ああ、多分大丈夫だ。私はそう思うようにした。まずは可能性のありそうなところを探そう。どこがありえるだろう。そう思ったとき、最初に思いついたのはあの場所だった。
深い森の中を進んで、私は二人の家の切り株へと戻って来た。いつも魚を取りに行く川辺、餅士が自分で耕した畑、野草を取りに行く森の中。周りの場所はすべて探し、あとはこの寝床しかなかった。この二人だけの秘密の空間には先客はおらず、一人佇む妹紅の気配しかなかった。
「はぁ……さすがにいないか。」
もしここでくつろいでいたりしたら一発殴ってやろうとも考えていたが、そんな空想も消え、私は私の?椅子?に座り込む。何となく体を起こす気にはなれなかった。
「ここにいると思ったんだけどなぁ……。」
最初に思いついたのはここだった。あいつなら、必ずここに戻ってきているだろうと、ニコニコしながらラーメンでも作ってるんじゃないかと心の底で考えていた。いや、今になって思えばそれは推測ではなく期待だったのかもしれない。あいつは――餅士は少なくとも私との生活を楽しんでくれていて、私のことを大切にしていてくれて、私を特別な人だと思ってくれていたと信じていた。だから、大事な思い出のあるこの場所に訪れているはずだと期待していた。意味もなくただ虚しい気持ちになる。
「私は馬鹿だなぁ……。」
勝手に餅士のことを何でもわかっているような気がしていた。自分が1番分かっているんだと思っていた。しかし、それはまやかしだった。ただの幻想に過ぎなかったのだ。
体の奥底から何かが溢れそうになる。私は頭を振って、必死にほかのことを考えようとする。
「そうだ、さっちゃんからもらったやつ。」
誰もいないところで見てという言葉。真意はわからないが、今はちょうど誰もいない。ここならば見ていいだろう。私は荷物からそれを取り出し、中身を取り出した。
「これは……?」
中には、折りたたまれた一枚の紙とチョウチョ型の大きな飾りだった。その飾りは布でできていて私の好きな赤と白で出来た模様が、とても可愛らしい。刺繍も細かにされていて、とても丁寧に作られているのがよく分かる。しかし、幸はなぜこんなものを渡したのだろうか。というより、こんな才能が幸にあったとは……こんなことができるのはまさしく――
「…………ッ!」
慌てて私はもう一度袋を見た。麻で出来た簡素な袋。しかし、私はこの袋を見たことがあった。一年前の、あの寒い冬の日。村からこの家に戻るとき、餅士は得意気にこの袋を私に見せてくれた。その時の麻袋だ。
かなり前のことで、この一年色々なことがあったせいで忘れていた。私は口が開いたまま塞がらなかった。私は小刻みに震える手で、袋に入っていた一枚の紙を取って開けた。
そこには、何度も見てきた筆跡で、数文字書かれていた。
『妹紅へ いつも、ありがとう 餅士』
瞬間、目から何かがこぼれ落ちる。
とっさに流れたそれを認めたくなくて、裾で何度も何度も拭ったが、それが止まることはない。そして、私は耐えきれず、あふれる涙と共にあらん限りの声で叫ぶ。涙は頬を濡らし、白銀の髪の端に付き、切り株の上へと落ちる。
「ばか……ばか、ばかばかばかばか!」
同じ言葉が口から何度も漏れた。抑えようと、止めようとしたけれど、涙で壊されたダムからはもう止めることができなかった。
「ばか!餅士のばか!人の気も知らないでどこに行ったんだ!いつもいつも自分勝手に動いて!!私の不安を煽るだけ煽って!!それでいていつも笑顔で!!くそ、どれだけ私を困らせたら気が済むんだ!!お前は私のことをなんとも思ってなかったのかよ!!!私は……私はこんなにもっ、こんなにもお前のことが好きだったのに……ッ!!!!」
ああ、もう止まらない。目を背けていたものが全て漏れ出てしまった。でも構わない。今は一人だ。この一人欠けた二人だけの空間には、私しかいないのだから。
私は餅士のことが好きなのだ。
そしてその気持ちは、もう言うことも、伝えることもできないのだろう。
餅士とは、もう会えない。
森の中に私の慟哭だけが響いた。
ひとしきり叫んだあとも、私はまだ切り株の上でじっと座っていた。
全てを出し切ったあとだからか、今は何となく落ち着いた気分だ。私はその飾りを手にとって、それを使って長い後ろ髪をくくる。
「……よし……。」
探そう、餅士を。私はもう一度そう思った。
永遠に会えない者を永遠に探す旅に出るため必要なもの。私はそれを持っている。
いつまでだって探してみせる。目的があるなら、死なない命だって生きることができるのだ。
またいつか会えるのでしょうか……。
次は多分、彼のお話。