人付き合いが苦手なサディストの男が、ネットで知り合ったサキュバスとオフで会ってラブホに行く話。

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心が硝子で出来ている、破片は他人に突き刺さる。

 エロか非エロかに関わらず、異性絡みの創作をインターネット上で漁っているとそのうち特異な作品に行き着いて、そういう作品は「例」として頭の中の引き出しに残り続ける。

 今僕は、デート中に彼氏の前で漏らしてしまった女の子の漫画を思い出していた。そのリカバリーのしようがなさそうな空気感を鮮明に……。

「海老名くん?」

「あ、チアサ……さん?」

「ん、いいよ呼び捨てでも」

「いや本人確認の間です今のは」

 某駅、そこそこ人通りのある改札外で、約束した時間にそのサキュバスは現れた。彼女の名はチアサ・イピエス。僕が数ヶ月前にネットで知り合った友人かつ、これから性交渉に及ぼうという相手である。

 今日こうして彼女とオフで会うことになったきっかけは、チャット上で繰り広げられた性癖談義にあった。

 

『海老名くんってさ、イラマの時ゲロ吐かれたら引くタイプ?』

『いや? むしろ興奮しますけど』

『えー、臭いとか気にならない? 汚いとか。吐いた物にさわれたりする?』

『いや、それは全部人並みにキツいんですけど……。でもなんていうか、嘔吐からは限界を感じるじゃないですか』

『ほう』

『限界を超えたことをさせられた結果として嘔吐があるから、陵辱感というか、無理やり感を補強する形で魅力があるというか。まぁ現場にいないから言えることなのかもですけど』

『実際に吐かせたことはないんだ?』

『ないですね』

『そもそもイラマの経験はあるんだっけ?』

『あります』

『なるほど。じゃあ素朴な疑問なんだけど、サキュバスが吐いても興奮する?』

『え、そりゃすると思いますけど。実際AVは大体サキュバスですし』

『でもサキュバスは限界だからって意味では吐かないよ? 人間と違って、耐えようと思えばいくらでも耐えられるから。それって海老名くんからしたら茶番じゃないの?』

『えー。いや、考えたことなかったですね。さっき言った通り、すでにそういうAVでシコってるわけですし』

『そっか。じゃあさっきの理由は後付けってこと……?』

『どうなんでしょう……? 今日からは見る目が変わってきたりするのかも……。でも、そもそもAVなんて初めから演技のつもりで見てるわけだし、どうかな。……分かんなくなってきました』

『魔力使ってる時と無防備な時のビフォーアフターとか見れたら、冷めるかどうか分かりやすいのにね』

『そうなんですよそこなんですよ。結局、演技であることを前提にすると言っても、素が分からないとどこまでが演技なのかもそもそも分かりませんし。素人のプライベートのセックスにすら演技は縁深いこととはいえ……』

『なるほどねぇ。ところで海老名くんって住んでる所どこだっけ?』

『え、どういう流れで……?』

『いや、私がビフォーアフターを見せてあげられればいいかなって。あ、でもべつに本人以外とのハメ撮りを見せるとかでもいいのか。海老名くんそういうの見るの平気だっけ?』

『平気どころか大歓迎ですけど。ちなみに○○住みです』

『えっ近いね。いつ空いてる? ていうかちんちん何センチくらいある?』

『ちんちんは○○センチくらいですけど、予定はちょっと待ってください確認します』

『ちんちんの方は即答なの草』

 

 ……という具合になんやかんやトントン拍子に話が進んで今日に至る。

「じゃあさっそく行こっか?」

 これからホテルで喉奥にチンポを突っ込まれてゲロを吐かされる予定の異性が、そう言って当然のように僕の手を握る。まるで慣れ親しみはしても飽きるところはない恋人のように指を絡ませてくる。

 が、普通ならそういうサービスも嬉しいところなのだろうけれど、今に限ってその手繋ぎは僕に喜びよりも重い良心の呵責を与えた。僕がサディストであることとは関係なく、である。

 白々しく、今思いついたかのように僕は言う。

「あ、その前にコンビニとかでトイレ寄ってもいいですか? うっかり改札出たらトイレが中にしかなくて」

「え? ……あ〜、うん。じゃあこっち」

 手を繋いだままチアサが歩き出す。今日初めて降りた駅なのでトイレを借りられる場所の在り処は僕には分からないけれど、彼女にとってはそうでもないのかもしれない。

 ほどなくして到着したコンビニへ入店した直後、僕は彼女がせっかく繋いでくれた手をはなして、幸いにも空いていたトイレに直行した。なんとか例の漫画の男女逆転版を実体験とすることは回避できたのである。

 個室の中で、今外で待っているチアサが何を考えているのかを想像した。雑誌の立ち読みでもしているのか、お菓子でも買っているのか、何もせずにぶらぶらしているのか。……便意に耐えながら待ち合わせ場所に立っていたサディストのことを彼女は今頃どう思っているのか、なんとも思っていないのか。

 トイレに行きたいと言った時の、彼女の返事にあった一瞬の間。あれは「ホテルですれば?」と言うのをグッと飲み込んだ間だったのではないか? どうも頭の回りが早いらしい彼女は一瞬の間で気がついたのだろう。ホテルまで待てるのなら目の前の男だって黙ってそうしていただろうということに。

 どんな顔をして数分ぶりの再会をすればいいのだろう? 分からなかったけれど、目前にまで迫ったSMプレイにありつくチャンスが僕の背中を押した。事前に写真を見せてもらっていたから意外とまでは思わなかったけれど、そこに写っていた通りにオフで会うチアサはアイドル級の正統派な美人だったのだ。

 トイレから出ると、別々な種類のグミの袋を両手に持ったチアサがいた。すでに会計は済ませて、袋代はケチった様子だった。

 二人で店を出る。

「どっちかあげる。どっちがいい?」

 言われて、ソーダ味の方を頂戴する。もう一方のぶどう味は、菓子類の中だとあまり好みではないから。

 チアサは歩きながら封を切ってグミを食べ始める。僕もそれを真似る。お互い両手が塞がって、もう再び手を繋ぐということはなかった。

 チアサはホテルまでの道のりにも詳しいらしく迷いなく歩いて行く。待ち合わせ場所にこの駅を指定したのは単に距離だけの理由ではないのかもしれないと推測できた。

「コンビニの店員さんって、トイレ借りる代金かわりに何か買われても嬉しくないらしいね。給料は増えずに仕事が増えるだけだから」

「あぁ、経営者と従業員は別ですもんね」

「けど逆にさ、トイレに立ち寄ったついでに買いたい物を買うことを、そういう建前的なことだと思われるのも心外じゃない?」

「なるほど。たしかに」

「向こうはそこまで気にしてないんだろうけどさ」

「…………倫理的にアウト寄りなこと聞いてもいいですか?」

「え、なに?」

「グミって、吐きやすかったりするんですかね」

「あっ、それ全然考えてなかった!」

 コンビニの店員もたぶん同じくらい、僕たちのことなんか全然考えていないんじゃないかと思った。

 ほどなくしてホテルに到着する。受付に人がいるタイプだった。鍵を手に入れて、エレベーターで部屋へと向かう。ワイヤーに吊られて登っていく密室の中で、恋人同士であればここでキスくらいするのだろうけど、自分たちの間柄ではそれが許されるのかどうか……と考えていたら、その間に上昇が終わって扉が開いた。

 部屋に入ってチアサが真っ先にしたことはゴミ箱を探すことだった。見つかった太い円柱状の小型のそれにグミの空袋を捨てる。

 それを見ながら、重たいドアの鍵を自らの手で内側から閉めると、本格的に勃起してきた。

「……じゃあまず服脱ぎましょうか? 汚れちゃいますし」

「ん」

 恥ずかしがる素振りもなく、チアサは誰もいない更衣室で着替えでもするみたいに、黙々と下着を晒していく。そしてその下着すら、何の躊躇いもなく脱ぎ捨てる。

 サキュバス特有の淫紋が、子宮の位置に目立って見えた。

 こちらも汚れては困るから……という理由は建前で、相手を脱がせた礼儀としてなんとなく、全ての衣服を脱ぎ去る。礼儀、という言葉を脳内に浮かべたことで、さっきのコンビニが頭をよぎって「気にしてないんじゃないかな」と自分自身の無音の声がした。

 これといって段取りが掴めず、脱いだ服をベッドの上に投げ捨てたまま棒立ちになっていると、その足元へ蓋を外したゴミ箱を持ったチアサがひざまずいた。

「どっちからする?」

 裸の美少女が僕を見上げて言う。

 一説によると、人は一度嘔吐するとその後しばらくは嘔吐感への耐性が下がるらしい。エロ小説で見た情報だから真偽の方は定かではないけれど。

「……吐く方からで」

「ん、わかった」

 あーん……と無抵抗にチアサは口を開けた。僕はその頭を掴む。

 サラサラした髪の感触に混じって、彼女の首にまったく力が入っていないことを察した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハンターハンターで読んだ話、人間の頭部はボーリングの球と同じくらいの重量があるらしい。

 イラマチオをするたびに、人の頭とボーリングの球が天秤にかけられたあの絵を思い出す。実際にこの手で持って動かしてみると、確かに本当に重いものだと。

 そうしてそれを思い出すたびに、頭の中で無音の声が会話を繰り広げる。

 

「イラマチオって実際にやると人の頭部の重さを感じるんだけどさ、それが結構ズシッとしてて、なんかこう、命の重さみたいな感じがしてさ……。AVや漫画ほど無遠慮になんてなかなか動かせないんだよ。いや、俺の腕力の問題もそりゃあるのかもしれないけど……」

「いやいやいや、腕力以前にお前、命がその程度の重さなわけないだろ!」

 

 ……鼻がつぶれるくらい根元まで咥えさせてぐりぐりと頭を押しつけても、先端から根元までのストロークを息継ぎの暇すら与えずに延々と繰り返しても、チアサは、吐かないと言ったら本当に一度もえずきすらしなかった。

 けれども彼女の膝の先にあるゴミ箱の中には、「吐かない」と宣言する以前にぶちまけられた物が溜まっている。そしてそれは箱の中だけでなく、彼女の口元から伝った相当な量が胸元からヘソまでをドロドロに汚している。

 奥までねじ込んだまま、試しにその首に親指の腹を這わせてみる。日頃から性癖談義を交わしてきた者としてその指の意図は伝わったはずだけれど、それでも彼女は涼しげに眉ひとつ動かさない。

 案の定、イラマを続けたままわざと苦しめるようなやり方で首を絞めても、彼女からは何の反応も得られなかった。

 腕に込めた力を解くと、彼女の体と同じかそれ以上に粘液に塗れた肉棒が、ずるりと喉の中から吐き出される。

「……どう?」

 声が枯れている様子もなかった。咳払いすらしない。

「語るべきことは大いに見つかりました。…………続けますか?」

「海老名くんの好きにしていいよ」

「……じゃあ、他のプレイも試してみたいです」

「ん、わかった。何してみたい?」

「えっと、その前にシャワー浴びませんか? 汚れちゃいましたし」

「あ、うん」

 言って、チアサが立ち上がろうとする。その瞬間、思わず「あっ」と声を出してしまった。

「なに……?」

「いや、あの、……今日ってなんでもしていいんですよね?」

「え、うん」

 事前の打ち合わせでチアサとはそういう取り決めになっている。せっかくラブホで90分も使える時間をイラマだけに費やすのはもったいないだろうという彼女の計らいでそう決まったのだ。

 他の誰にも迷惑をかけず、血を見ることのないSMプレイの範疇でなら、何をしてもいい。……本人からの言葉の上では、僕には今そういう権利がある。

 だから僕は、立ち上がりかけた彼女の頭に向かって手を伸ばした。その艶やかな髪に指を絡めるようにして……。

 …………そのまま思いきり髪を掴んで引っ張ると、「あっ♡」という声と共に、彼女の膝が浮いた。

 僕は正直、その声を聞いて心底安心する。何をしてもいいというのは言葉の綾ではなく本当のことだったのだと、今初めてその実感を得られたから。

 そのまま彼女の髪を引っ張ってシャワー室……というか風呂場まで連れて行く。腰を曲げた歩きづらそうな姿勢でもたもたとついてくる相手の姿を見ると、申し訳ないとは思いながらも一層嗜虐的な興奮が強まった。

 到着して早々、冷たい床にチアサを跪かせたまま聞く。

「ところで、ついでに水責めもしてみたいんですけど」

「いいよ?」

 こちらを見上げたチアサはにやりと笑っていた。

 風呂桶を手に取って、そこにシャワーからの湯を貯めていく。

「耳に水が入らないように、水責めってこういう浅いところでやるのがいいと思うんです。鼻と口が浸かればいいわけですし」

「あー、サキュバスはそういうのも心配ないよ?」

「え、すごいな」

 言っている間に準備が終わる。サキュバスの耳が水の侵入を拒めるのだとしても、やはり浴槽に湯を張るのは手間がかかりすぎるからこれでいい。人を溺れさせるには風呂桶程度の深さで十分なのだと、どこかのドラマで聞いたこともある。

「じゃあ、いいですか……?」

「いつでもどうぞ」

 余裕綽々といった様子の彼女の頭を、これまた正直おそるおそるの心で、湯の張った桶の中へと押し込む。

 まるで眠っているかのように、何の抵抗もなく彼女は苦痛へ向かうことを受け入れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 解散する前に、帰りにファミレスに寄った。お互いに別々のパスタを頼んで、注文が来る前から感想戦に勤しんだ。

 いくらか周囲に気をつかって、チアサも僕もボリュームを落とした声で話す。すると聞き耳を立てるための必然として若干身を乗り出す形になった。

「それでどうだった? 興奮した?」

「それなんですけど、問題点が一つ見つかりました」

「どんな?」

「僕が、嘔吐を伴わなくても、単なるイラマにそもそも興奮してしまうということです。だから嘔吐にどれくらい興奮していたのかっていうのは、目分量でしか分かりません」

「それはそれでいいんじゃない? どっちにしろ物理的には測れないんだから」

「まぁそうですね」

「うん」

「……それで結論なんですけど、やっぱり最初の方が興奮したと思います」

「最初って吐いた方ってこと?」

「そうですけど、正確に言うなら、苦しんでくれた方が興奮した……というのが合ってる感じでした」

「ほうほう。……でもまぁそうだろうね、ベッドの上でした時もそれをご所望だったし」

「あぁ、その節はどうも……」

 あれ以降、中出しだの首絞めだの腹パンだのビンタだのアナルプレイだの土下座させて頭を踏むだの屈辱的な台詞を読ませるだのそれらを撮影するだの……と90分間本当に好き放題させてもらったのだけれど、その中には再度のイラマチオも含まれていた。その際、「苦しそうにした方がいい?」と聞かれた僕は、申し訳なく思いつつも首を縦に振ったのだった。

 ちなみにサキュバスという生物は、自身の意思によって妊娠の是非を決められるし、多少の怪我は数秒で完治する。その上彼女らは実のところ、見た目に反してデコピンで人を殺せるような怪物なので、本気で嫌な時は実力行使で抵抗もできる。そういった諸々の知識を込みで自分は好き放題なことをしたのだ……と思いたいところだけど、どうだろう?

 自分は相手が人間なら、その体に淫紋がないことを確認していれば、チアサと全く同じ態度とリアクションを見せる相手に対してでも自制が出来ていたのだろうか……?

 正直、自信があるとは言えない。

「お待たせしました」

「あっ」

 注文したパスタが二つとも運ばれてきた。配膳する店員が女性だったこともあり、会話の中身を聞かれたわけでもないだろうに内心では冷や汗が落ちる。

 店員から身に覚えのあるメニュー名を読み上げられた方が手を挙げる一連の流れに、小学生の頃の出席確認を思い出す。お互いのパスタは色が似ているけれども、具がまったく違うのでどちらがどちらなのかは見てすぐに分かる。エビが入っている方が自分の物だ。

 フォークをくるくる回してパスタを絡ませながら、チアサはまださっきの話を続けるつもりでいるらしかった。

「それで結局目分量じゃ、サキュバスだから云々って話に答えは見えなかった?」

「そうでもないですよ」

 自分も一口食べたあと、目当てだったエビもフォークで突き刺して口の中に放り込む。ぷりぷりした食感に満足しながら、食べている時はマナーとして黙るべきか、話の先を急ぐべきかを天秤にかけて考える。

 ……急かされる雰囲気は感じなかったので、きちんと飲み込んでから話を続ける。もちろんそれなりの小声で。

「結局のところですね、人間っていうのは、相手の心の中なんて分からないわけです。吐いたから限界だろうというのは憶測なんですよ。それか、医学的な視点からの断言であるとか。どちらにせよ心を確実に把握するものではないんです」

「うんうん」

「だから極端な話、内心はどうでもいいんです、見た目がそれっぽければいい。……それが僕の結論です」

「なるほどねぇ。二回戦のことを思えば説得力も出てくるし、実験の甲斐はあったね」

「体を張ってもらった甲斐ありました……?」

「あったあった。たっぷり性欲もらったし」

「ならよかった」

 サキュバスは性欲を食べる。だからその性欲をより濃くするために、あの手この手で男を誘惑する。そうして満足させようとする。満たされる瞬間の最も濃いそれを彼女らは求めていて、人によってはそのためならゲロくらい平気で吐いたりするらしい。知識として聞いた話と、今日体験した限りの感覚では、サキュバスという生物はそういうものなのだ。

 ……ふと目を落とすと、手元の皿の中で緑色の主張がじわじわと強まっていた。このパスタの具にはエビだけではなくブロッコリーも入っているのだけど、食べ進めていくにつれて他の物は減る一方で、一向に減らないそれの勢力が相対的に増している。

 そんな緑色の点在を見てしばし迷った末に、僕は相談を持ちかけることにした。

「チアサさんって、ブロッコリー苦手だったりします?」

「え? べつに」

「じゃあこのブロッコリー食べてくれません?」

「えっ!? いいけど、じゃあなんでそれ頼んだの……?」

「エビの入ったパスタが食べたかったんです。エビ入りのはこれしかなかった」

「へぇ〜。まぁいいけど」

 フォークに突き刺されてひょいひょいと、小さく刻まれたブロッコリーたちが向かいの皿の中へと輸送されていく。自分からそうしてほしいと言っておいて、全てを移し終えるまでのあいだはどうにも人目が気になってしまうものだった。

 そしてチアサはどうやら尽く、あの淫猥な一室の中であったこと以外を話すつもりがないらしい。食べる手を止めた彼女が言う。

「そういえば海老名くんさ、あれ良かったね〜。部屋に入ってきてすぐ服を脱がせようとするやつ」

「え?」

「汚れちゃうから脱ぎましょうって口実でいきなり裸にさせられるの、いいな〜って思ったよ。私ああいうの好き」

「……あ、あぁ、なるほど。好きならよかった」

「それとあれ、シャワー浴びに行く時に髪引っ張られたやつ。あれも良かったな〜。汚れちゃったからとか言って連れていったのに水責めまでしちゃってさ〜。なんかそういう繋ぎの部分みたいなところ? にセンスあるよねぇ海老名くん。さすがだよ」

「ど、どうも……」

「あれ、あんまり嬉しくない? こういうこと言われるの」

「……いや、嬉しいかっていうか」

 言うべきか、黙っておくべきか、本心が喉元で二の足を踏む。

 だけどきっとその時の僕には、自分で注文した品の中から苦手な食べ物を押しつけた勢いで、迷い事の判断に慣性が乗っていた。

 言ってしまった方が楽だろうと、直感的に思う。言っても大丈夫なはずだと、期待してしまう。それでそのまま言ってしまうことにした。

「…………あれはべつに、プレイのつもりでやったわけじゃないです」

「えっ?」

「汚れるプレイをするつもりで来たから、服は脱ぐべきだと思って、そう言っただけです。汚れたままだと気持ち悪いだろうと思って、シャワーに誘っただけです。……それ以上でもそれ以下でもないつもりでした」

「えっ、いや、いやいや、じゃあなんで髪引っ張ったの?」

「それは、なんでもしていいって言ってくれたから……」

「いや、うん、いいんだけどね。でも、それ以上でも以下でもないなら、なんで水責めを始めたの……?」

「……それはだって、あとから水責めをしたらおかしくないですか?」

「おかしいって?」

「シャワーを浴びてからベッドの上でいろいろ他のプレイをしてる時に、水責めもしたいからもう一回浴室に行こうって急に言い出したら、なんでさっきシャワー浴びた時に言わなかったんだって思うでしょう?」

「いや、べつに」

「……なんで思わないんですか?」

「なんでって言われても……」

 言い淀みながら、今日初めて、チアサが困ったような顔をする。

 僕はハッとさせられた。どんなに悪趣味な行為を要求されてもずっと好意的な顔をしていたはずの彼女に、僅かだけれども初めてネガティブな雰囲気が差したのだ。

 それを見た途端、自分の中で何かが崩れていくような、冷めていくような感覚が起こった。ここまで来てこれなのか……と。黙っておけばよかったという念すら湧かないようなひたすらの諦観が、忘却の彼方から瞬時に頭の中へ舞い戻ってくる。

 合流していきなりトイレに行きたいと言った時にこそ、そういった困惑の表情に対峙することになるのかと思っていた。だけどそこが平気だったのに、まさかこんなところで間違えるとは思わなかった。

 チアサは言葉を選んでいるようで、ゆっくりと話を続ける。

「……まぁたしかに、どのみち服は言われなくても脱いでたね。シャワーは少なくとも帰る前には浴びてた。どのタイミングで髪を引っ張られても、水責めをされても、不快になんて思わないし、さほど驚きもしなかったと思う」

「はい」

「そう考えると確かに、私は今なにに驚いてるんだろうね……? あんまり上手く言えないけど、でもなんかちょっとびっくりしちゃった」

「ブロッコリーの時とどっちがびっくりしました?」

「え? …………ん〜同じくらい?」

「同じかぁ」

 同じなら、なおさら彼女の言うことが分からない。どの話題にしても僕は常に、自分にとって正しい論理で動いているのに。

 僕のテンションが下がったと見てか、チアサの声が励ますように不自然な明るさを含みだす。幸いにも、話題を逸らすほどの露骨さまではなかった。

「なんかでも、うん、そう言われたらちょっと納得かも」

「なにがですか?」

「海老名くんさ、イラマしてる時、私がえずいたり吐いたりしたら、頭押さえつけるのやめてくれてたでしょ? 吐いても無理やり続けたっていいのに」

「……まぁサキュバスにとってはそうなのかもしれませんけど」

「あれは、海老名くんが優しいからだったんだね。……なのに苦しがってる方が興奮するなんて、これが倒錯ってやつなのかな」

「知りませんけど……」

 知らないとしか言えなかった。チアサの言葉が、僕の抱える矛盾を的確に言い当てていたから。

 漫画やAVを見る時には過激な物を好むのに、チャンスが回ってきたところで、見てきた物と同じような過激さで手を下すことはできない。あるいはできたとしても楽しめない。かといって完全にその手の性癖から距離を置けるわけでもない。なぜそんなよく分からない心情になっているのかは自分でも分からない。

 だけど一つだけ確かなのは。僕の心は、他人にはもっと分からないということだ。分かった風なことを言われたとすれば、それはまぐれ当たりであって、何ら自分を理解してくれているわけではない。……そこまで分かっていても、面と向かって「理解できない」と言われるのは心に堪えるものだ。

 その堪えた傷が、怒りに変わる。悲しみと怒りは区別するのが難しいから。どちらにもなる。

「僕はですねチアサさん、参考にしていることがあるんです」

「え、うん。参考?」

「そう。コンビニに立ち寄って、買い物だけして外へ出て、しばらく移動したあとに「トイレに行きたい」って言うと、他人は決まってこう言うでしょう? なんでさっき行っておかなかったんだって」

「あー、うん」

「僕はそれを参考にしたんです。なんでって言われないように、シャワーのついでに言ったんです。学習してるんですよ」

「なるほど」

「……じゃあ改札を出る前にトイレに行っておけばよかったのにって思います?」

「いや、べつに」

「なんで思わないんですか? あれはね、しょうがないんですよ。遅刻癖があるから、万が一にも遅刻しないように三十分早く家を出たら、そのまま三十分早く着いちゃったんだから、改札を出てから三十分後にトイレに行きたいかどうかなんて分かるわけないじゃないですか。でも十五分前に家を出ようとすると、なんでか分からないけど遅刻したりしちゃうんです。でもせっかく三十分も早く来られたんだから、万が一にもトイレを探しに行って遅刻なんてしたくないじゃないですか!」

「あー、わかったわかった。ほら、あーん」

「え」

 フォークにいい具合に巻き付けられたパスタが眼前に寄越される。自分の物ではないと察した瞬間、咄嗟にあの輸送されていったブロッコリーたちがそこに紛れていないかを確認してしまって、その直後にそれを悟られていないかと不安になりチアサの顔を見た。

 彼女は微笑んでいた。ベッドの上で思いきり首を絞めた時にも、同じような顔を見た気がする。

 僕は差し出されたそれを食べた。

「もう一口いる?」

「……いや」

「落ち着いた?」

「どうでしょう……」

 少なくとも、向こうの頼んだパスタも結構おいしいな……くらいのことは考えられるようになった。

 自分から見れば理にかなっていることが他人から見ると矛盾していて、その逆も当たり前。人の世に生まれたからにはそうした意識のもとで生きていくしかない……と、頭ではそう分かっているけれど、時々それに耐えられなくなる。その手の食い違いが起こる頻度にいわゆる「普通の人」との不公平を感じたり、チアサのような相手からとうとう本気で怪訝そうな顔をされたりすると、時々は……。

 だけど考えてみれば、この人間社会において、サキュバスは「普通の人」には程遠いはずだ。僕と彼女の間には不公平なんて無いか、あるいはこれっぽっちも悟らせないようにしているだけで、息苦しさをより強く感じているのはむしろ彼女の方かもしれない。……そう考えると僕にこれ以上続けられる言葉はなかった。

 かわりに、チアサの方から口を開く。

「あのね海老名くん、誤解させちゃったなら謝りたいんだけど」

「え?」

「私はべつに、君のことを責めたかったわけじゃないの。ただ純粋に気になって、「なんで?」って聞いたつもりだった。べつにその答えはどんな物でもよかったんだよ、興味があっただけだから。……でも責めてるような言い方をしちゃったね。ごめんなさい」

「……あぁ」

 人間は愚かだから、単なる質問から有りもしない敵意を感じ取って、勝手に怒るものだ……とは、ネット上の論争を通して数え切れないくらい聞いた話のはずだったのに。数え切れない回数、自分はそうはなるまいと、画面の前で意識していたはずだったのに。言うは易しとはこのことかと思い知る。

 そういえばエロ絵を探す日々の中でこんな台詞のある作品も見た。容赦ないイラマチオの苦痛に晒された女の子が「私のこと嫌いならそう言ってよ……」と泣き出してしまう絵。竿役の男はサディストなだけで、その女の子のことが好きだから狼狽えるという絵。

 僕があれだけ好き放題をしても、チアサはそこに有りもしない敵意を勝手に感じ取ったりはしないでいてくれたのに。その後の僕は、見ての通りまったくダメだった。

 ため息を吐いてはいけないと強く自分に言い聞かせる。今それをしても、自分自身へ対する物だとは絶対に伝わらないだろうから。

 水を飲んで、ため息は腹の中に落とし込む。そうやってなんとか我慢することは出来た。……けれど今度はそんな己の沈黙に耐えかねて、よく考えもせずに見切り発車で喋り出してしまう。

「…………言い忘れてましたけど、ジンクスがあるんです」

「うん? ジンクス?」

「そう。オフで会ったネット友達とは縁が切れるっていう……」

 また、言葉を口に出してからハッとする。

 まるで返事に詰まらせるためにわざと選んだような話題だと気がついて、いっそこの場から逃げ出したくなってくる。

 だけど今度のチアサは、「へぇ」と揶揄うような声で、見間違いでなければ得意げに口角を上げた。

「その友達の中にサキュバスはいた?」

「えっ? いや、いませんけど」

「だろうね。だからだよ。ふふっ」

 性欲を食べて生きている怪物が、アイドルじみて整った少女の顔をしたまま、そう言って笑った。

 私とは縁が切れてもいいと思ったから会ったの? とは言われなくてよかった。

 僕は、あの時彼女の髪を引っ張って好意的な声を聞いた瞬間のように安心した。

 


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