Dies irae -Ars nva Elysion- 作:湯瀬 煉
私と藤井が並び立つ。いうまでもなく誰が誰とぶつかるかは決まっており、ゆえにあとは、その時を待つのみとなった。
「“私は強い”、か。ナメた口ききやがって」
ベイが首を、手首を鳴らし、改めて戦闘態勢を整える。レオンは藤井を見据える。藤井が腰を落とし、私が剣を握りしめた次の瞬間──。
海浜公園に、ふたつの火花が散った。
「てめえそういや前もこの公園で邪魔してきたよな? そうだ、その時俺は確かに言ったんだ。てめえ一人死んだところで、この戦争にはなんの支障もねぇッてよォ!!」
ベイの重い打撃を受け止めながら私は苦笑する。
「そんなことは言ってないよ。どちらかの命で新しくスワスチカを開こうって話だろうが。
ゆえに今は、のらりくらりと時間稼ぎさせてもらうよ」
私が拳を掴んで剣で切りかかれば、ベイは私の手首を掴んで剣を止め、至近距離から不可視の杭を放った。すでに回避、防御は不可能。私の胸元に無数の杭が突き刺さる。
「のらりくらり時間稼ぎするだァ? はっ。なんでてめえが俺より格上の前提で話を進めてるんだよ。ここでてめえが負けて死ぬ可能性もあるだろうがァッ!」
ベイの絶叫とともに、肩から、腕から杭が生えた。人間の体内から樹木が生えてくるような異様な光景はおぞましく、恐ろしく、そして美しい。
形成──ベイはシュピーネや藤井と同じく人器融合型であり、自らの肉体が変形するタイプだ。その変身は肉弾戦を主体とするベイに極めて有利で、相手には大変不利だ。同格以下でベイに勝つのは難しい。だが決して、無敵というわけではない。
「当たり前だろう。いつも決まってることで、お前も大切にしてることじゃないか。
吸血鬼の弱点はニンニクと、十字架と、流水、炎、銀の弾丸───そして太陽だ」
空から光の柱が落ちる。
「ぬぐ……ァ…………ッ!」
聖槍十三騎士団黒円卓第四位、ヴィルヘルム・エーレンブルグ=カズィクル・ベイ。彼の能力は『夜に無敵の吸血鬼となる』こと。形成段階ではその本領は発揮されず、完全に吸血鬼化するわけでは無いが、逆にいえば本気になれば──創造位階にまでいけば完全に吸血鬼と化すわけで、そうなれば先ほどの一撃で倒せてしまうのである。
「他人からよく忘れられてしまうのでね。あえて説明させてもらおうか。
私の聖遺物は太陽の化身、ラムセス二世の遺体だ。ゆえに彼に関係するものとして私は灼熱の太陽を扱うことが出来るのだよ。夜に無敵の吸血鬼も、日中ではその力を発揮できまい。ゆえに私の方が上だ」
先ほどの一撃でベイの力が弱まると同時に腹に蹴りを入れて蹴っ飛ばす。刺さった杭は先ほどの太陽を受けて消滅し、私はこれでほぼ万全の状態を取り戻したといえる。対するベイは強烈な太陽光を浴びて弱体化している今、私の優勢は誰しも確信することだろう。
「くッ、カカカカッ。アハハハ──ハハハハハハハハハハァッ!」
だが。それでもなお、ベイからは勝者は己であるという確信が感じられた。ケタケタと笑う様は異様で、攻撃することが躊躇われる。
「……はぁ? てめえ何言ってやがる。だから女に争いごとは向かねえんだろうよ。よくわかった。
相性の有利不利、状態がどうのこうのと女々しいんだよ、カス。てめえが太陽の光で俺を殺すってんなら、俺はさらなる闇でその太陽を覆い隠せばいいだけだろうがよォッ!!」
咄嗟に藤井を探した。彼がここに居て、ベイの『これ』に巻き込まれたのなら、きっと無事では済まないと思ったから。
「オイ」
幸い、二人は既に戦場を変えたらしい。私もベイも、周囲を巻き込み破壊する覇道型ゆえ、レオンも移動を望んだのかもしれない。
「──余裕ぶっこいてると、死ぬぞ」
寒気のするほど冷たいベイの言葉に振り向いた時。『それ』は開帳された。
「
さすがに余裕を保つのは無理らしい。展開直後から寒気と脱力感が襲ってくる。彼の言うとおり、いかに相性有利だろうとも、上の位階で黙らせるというのもアリだ。そしてベイならばそれが可能である。
吸精の夜。この世界に閉じ込められた者は、魂を、エネルギーを、ベイに残らず吸い上げられる。この世界の名は──
「
咄嗟に後方へと跳ぶ。さもなければ、次の瞬間私のいた場所に殺到した杭に串刺しにされ、私の体は枯れていただろう。ベイの創造は他者に影響を及ぼす覇道型。ゆえにこの世界全域がベイの意のままであり、体内であり精神世界のようなものなればどこにベイがいてどこに攻撃が“在る”かはベイの思うがままなのだ。
「………。謝るよ。確かに相性で勝敗を決めつけるのは良くないな。おまえの
だがその理屈が通るならば、こういうのもまた、ありえるだろう?
お前の闇を晴らすべく、私はさらに輝くまでだ」
想定外。こんな序盤も序盤に
「
形成時の祝詞などとは別物だ。これは歌劇の一幕、演者の曲なれば、歌い上げるは己の渇望。同時に過去に生み出された、名曲の一節。
「
私の世界は天に太陽の輝く真昼。万象遍くへ陽光が放射される光の世界。あるいは、存在する全てのものを灼き尽くす劫火の世界。
「
薔薇の夜を、紅い月を、破壊し蹂躙し消し飛ばす、苛烈なる天の光。
「
彼の闇を払うべく、中天の光がもたらされた。
さて──表舞台がこのように華やかであればこそ、その舞台裏が全く何も無いということはありえない。派手な演出がある歌劇ほど、裏方はよく動いているものだ。
そして己とは裏で手を引くものと弁えるがゆえに、クリストフ──ヴァレリア・トリファはこうして、闇の聖堂に馳せ参じている。
「卿は変わらんな、聖餐杯」
厳かに、しかし滑らかで張りのある声が木霊する。
「六十年……決して短くはあるまい。我々が人として生きた年月の倍に相当する期間だろう。時代は変わり、人も変わる。通常、それが自然であると私は思うが。
卿は変わらん。微塵たりとも。正直、呆れを誘う頑迷さだ。妄執と言ってもいい。
問うが、何が卿をそうさせる?」
「さて……」
対話は、この上もなく奇妙な様相を呈していた。ここにいるのは長身の神父一人のみ。彼は無人の席に頭を垂れ畏んでいる。
一見すれば、一人芝居としか言えない状況。
だが、違う。
目に見えず、触ることも出来ないが、この聖堂には明らかに別の者が存在していた。
「仰る意味がわかりませんね、ハイドリヒ卿。臣が愚直であることは、あなたにとって不都合でしょうか?
私が変わらぬということが、問題になると。あなたは仰るのでしょうか?」
喩えるならば、それは影。
位相の異なる世界から、本体の一部を投影している。
見えぬ壁の向こう側……地獄のように渦巻く魂の混沌が。
ごく一部の干渉で、空間を波紋のように震わせて。
黄金の瞳と
「問題がある、とは言わん。だが強いて不満を挙げれば、興醒めだ。私は卿が逃げ出すと思っていた」
「これはまた」
「カールと賭けをしていてな。それに負けたというのが一点。加え、いつの頃か、私の予想はことごとく外れるようになってきた。
ゆえに、まるで先が読めぬが、そのこと自体は別よい。だが……」
「結果が既知であれば話は別だと……なるほど、心中お察し申し上げます。
私はあなたを、楽しまることが出来ていないということですね。
ご期待に添えず申し訳ございません。とはいえ、ハイドリヒ卿。それも詮無きことでありましょう。私ごとき卑賎の身ではゲットーは破れません。
そしてだからこそ、副首領閣下とその代替が必要なのではありませんかな」
「然り──確かにその通りだ」
かの者こそ、この戦に必要な御敵。あれなくして、願いの成就は叶わない。
会話は続く。カールと呼ばれた副首領について、この儀式について、団員について、主の問いに、神父は頭を垂れて答えていった。
聖堂に響き渡る笑い声に呼応して、尋常ならざる霊的圧力が周囲を覆う。獣にとっては愛玩動物を撫でるが如き程度だが、跪く神父にとっては巨人の手がのしかかっているのと変わらない。
しかし神父自身、この圧倒的力量差には慣れているのだろう。常人ならば恐慌必至、悪くすれば脳障害する起こしかねない圧力の中でも、柳に風と受け流すだけの心的余裕は持っていた。
「それでは、閣下。引き続き私に指揮を任せてくださると解釈してよろしいのですね?」
「言ったであろう。卿の手並みが面白ければ、あるいはそのまま最後まで……というのもありえるだろうよ。
だが、そうだな……」
言葉の途中で、不意にからかうような、悪戯けな間が開いた。訝しりつつも面をあげない神父に対して獣は一言。
「一つ賭けをしてみるか」
「賭け?」
「そう、件の代替、その出来よ。卿は現状、どう見ている?」
「さて………」
予期せぬ問いというわけではない。あの少年に関わることは全て報告する必要がある。神父は率直に事実を伝えた。
「よく言えば順調、……悪く言えば予定調和と言うべきですか。今のまま事が進めばこちらの脱落者はせいぜいがニ、三人。副首領閣下の手際にしては落とし所が真っ当すぎるやもしれません」
「つまり、私には届かぬと?」
「御身どころか、この
神父はため息混じりにそう語り、ゆえに以降も自分一人で事足りると締め括った。
件の少年は弱くない。だがあの程度では、ここから先たかが知れているだろう。黒円卓全体で見れば、実に平均的なレベルにすぎない。
そしてだからこそ、続く獣の台詞に神父は耳を疑った。
「一度だけ、私が出よう」
「───────」
この怪物が、自ら動く。それがどんな事態を招くか、理解できない神父ではない。
「………ご冗談を」
「そう思うか?」
楽しげに笑う獣の気配。彼の気配は未だ幻影にすぎず、こちらに干渉できるのは、本体の数十分の一以下である。
だがしかし、それでも危険だ。現段階の少年ではおそらく対峙しただけで魂まで焼き尽くされる。
「……閣下は、この儀式を破壊するおつもりですか?」
「だから、賭けと言っただろう」
いつの間にか礼を忘れ、面を上げていた神父を嘲るように、獣の命はある種の熱を帯びていく。
「友の手際を見てみたい。カールの代替が如何ほどか、直にこの目で確かめよう。これはただの好奇心だ。卿の報告を疑っているわけでは無いが、弱ければあとは任す。強くとも、ニ、三注文を付けるだけに留めよう。だが───」
その時、神父は頭蓋が割れるような凶念を感じ取った。
全身の肌が粟立つ。久しく忘れていた恐怖という感情が内から湧き上がってくるのを自覚する。
彼は本気だ。もし藤井蓮が下手に獣を刺激することになれば。
「愚か者ならばその場で喰らう。案外それによって、私とカールはゲットーを乗り越えるやもしれんだろう」
「………………」
「どうした、聖餐杯。それほど卿は、私に眠っていて欲しいのか?」
「………いえ」
何にせよ、結果は一波乱どころではないだろう。ことによると、総てが今夜中に終わるかもしれない。
「でしたら、準備は私が整えましょう。どうか閣下、それまでは臣におまかせくださいますよう」
控えめに進言しつつ、神父は持てる駒と考えうる事態を想定しながら、しかし既に答えは出ていた。
さてこの場合、自分にとって最も都合よく収めるにはどうすべきか。
残念ながら、他に方法が見当たらない。テレジアとの家族ごっこもどうやら終わりが来たようである。
あの少年がいささか不憫だ。
彼は遠からず、真の怪物というものを知ることになるのだから。
この創造がどんな能力なのか───その詳細は後ほど。
ほら、次回、ようやくあの方がお出てなさるのですから。