箱舟に迷い込んだ犬   作:B=s

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箱舟に迷い込んだ犬-11

 それから数日が経ち、乾がキヴォトスに迷い込んでから一月が経った。

 回復した乾はヒナの執務室に呼び出されていた。執務机の向かい側には長たるヒナがおり、その後ろにはヒナの腹心たるアコが控えていた。

 

「さて、乾さん。まずは先日の戦闘でのあなたへの危険手当が出ました。こちらですね」

「随分と額が多くないか?」

「あまり気にしないでください。そしてヒナ委員長からお話があります。よく聞いて下さい」

「あ、ああ……」

 

 アコが机の上にアタッシュケースを置いた。中身を開いて見せると、多額の現金が詰め込まれていた。乾はそれを確認すると、ヒナに向き直る。ヒナはいつもの無表情で、そしていつもと変わらぬ口調で話し始めた。

 今回の騒動で万魔殿の妨害を阻止する事が出来た。しかしそれはあくまでも一時的なものに過ぎず、またすぐに再開するであろう事。そして、今後も同じような事が起こる可能性が高く、また大げさに言えば今回の戦いで乾以外に犠牲者が出る事も考えられた。

 それを踏まえた上でのヒナの提案はただ一つだった。

 

「……風紀委員会直属の特殊部隊を創設するわ。乾、あなたには紅一と共にメンバーの教育をお願いしたいの」

「特殊部隊だって? 都々目先輩は了承したのか?」

「ええ。随分と乗り気よ、彼は。後はアコと話してもらえるかしら」

 

 そう言ってヒナはコーヒーを飲み干す。そして立ち上がった。

 ヒナが部屋から出て行くのを見送ると、乾はアコに促されるままソファーに腰を下ろした。執務室には執務机とは別に大きなモニターが設置されており、何かのプレゼンテーションでも始めるかのような雰囲気だった。

 乾がソファーに座るのを見届けると、アコは口を開いた。

 

「ここからは私が今度創設される組織について説明します。編成規模は小隊規模ですが、後々拡充の予定です」

「どのくらいだ?」

「最終的には中隊から大隊規模の編成を予定しています。風紀委員会直属である為、活動範囲はゲヘナ学園領内に限定します」

「なるほどな……」

 

 アコがモニターを操作すると、乾の前に一台の車が現れた。その車種は車に明るくない乾でも聞いた事があるものだった。

 

「これは?」

「装甲兵員輸送車です。これを小隊規模で運用します。また、こちらの装備を制式化します」

 

 アコが再びモニターを操作すると、画面が切り替わった。

 そこに映し出されたものは、乾にとってとてもなじみ深いものであった。モーゼルC96自動拳銃、MG42機関銃、そしてプロテクトギアである。乾はまじまじとモニターを眺めていた。しかし、それらはただ映し出されているわけではない。

 その画面の中で実際に動作している──つまり、プロモーションビデオである。

 

「おい……いつの間にギアの複製と量産ができたんだ?」

「今のところ、このギアは量産試作品です。これも乾さんのおかげです」

「協力した覚えはないぞ」

 

 映像の中ではギアを装着した生徒が複数映っており、機関銃を構えて迫りくる敵を蹴散らしていた。銃火器で武装し、装甲を装備している辺り、歩兵と戦車のいいとこ取りのように見えた。歩兵ほどの機動力はないが、携行する装備をある程度自由に選択する事ができ、小隊規模という少人数故に機動性も確保している。作戦に応じて投入する人員を切り替える事もできる。

 しかし乾には疑問もあった。キヴォトスの人間──特に学校に通う生徒たちは、生半可な銃弾ではかすり傷程度にしかならない。にもかかわらず、プロテクトギアの様な強化服を着用させる意味が分からなかった。

 だがアコ曰く、キヴォトスの人間がギアを着用する事でそれこそ生半可な銃器や爆弾では傷一つつかないのだ。これは昨今お騒わせになっている温泉開発部との戦闘を視野に入れていた。彼女達は爆弾を使用する為、それこそヒナでもなければ怪我人が続発しかねない。そこで、ギアを着用させる事でそのリスクを減らす事としたのだ。

 また、装甲歩兵の有用性をアピールする事でゲヘナ学園の治安維持に寄与される事も期待されていた。

 

「しかし、この案は何か考えの事があってか?」

「ええ。ヒナ委員長は三年生。風紀委員長と言えども卒業が近くなれば引退せざるを得ません……つまり」

「つまり、ヒナがいなくなった後の後釜がほしいのか」

「はい」

 

 アコは乾に話す前に、この件をゲヘナ学園のOGたちに相談したと言う。後輩が多忙な事を慮る彼女たちもこの案には賛成しており、なるほど、と乾は呟いた。

 モニターの中ではギアを装備した生徒たちが戦場を縦横無尽に動き回り敵を蹴散らし続けていた。これがあれば今後の戦いも少しは楽になるだろうか? しかし乾は渋った。装備はともかく、人員はどうすると言うのだろうか。自分の様に職も立場もない人間はいい。だが、彼女たちは生徒だ。生徒の本分は学業に勤しみ、精神を育むことが本分であろう。

 ──学校内の風紀を正す為とは言え、これはやりすぎなのではないのか?

 乾は思い悩んだ。しかしアコはそんな事はどこ吹く風という様子だった。これは詳細を詰める必要がありそうだと、乾は更に悩んだ。

 

 

 その日の昼、都々目紅一はゲヘナ学園構内をうろついていた。

 コートにYシャツ、サングラスのいでたちはいつも通りだ。女子生徒たちがわいわいきゃっきゃとはしゃぎながら昼休みを謳歌していた。彼も昼めしにしようと考えてはいたが、こうも女子だらけだと肩身が狭い。紅一は一人になれる場所を探す為、歩みを進めていた。

 ──そうだ、屋上に行ってみるか。あそこなら誰もいないだろうし、昼飯を食べながら計画を練る事が出来るだろう。

 そう考えた紅一は階段へと足を向けた。しかし、その足は途中で止まる。彼の視線の先には一人の女子生徒。彼女は気付く事なく階段を上っていく。

 ──あの子供は何かあるな。

 紅一はこっそり後をつける事にした。少し距離を取りながら追いかけると、やはり少女は屋上へと足を向けているようだった。何か用事があるのだろうか。屋上への扉は施錠されている。彼女がポケットから取り出したのは鍵を開ける為の小道具だった。慣れた手つきで鍵を開けると、そのまま扉を潜り抜けてしまった。紅一も後を追って屋上へと足を踏み入れる。

 そこには誰もおらず、ただ青空が広がっているだけだった。屋根は傾斜がきつく、逃げ場も無い。

 

「おい」

「?!」

 

 背後からの声に、少女は驚き振り返る。そこには紅一が立っていた。彼はサングラスを外しながらゆっくりと近付いてくる。少女は紅一から距離を取るように飛び退くが、すぐに背中が壁にぶつかり逃げ場を失う。

 

「あなた……風紀委員会の?」

「俺の事を知っているのか? いや、それよりも質問に答えてもらおうか」

「……いいよ」

 

 少女は観念したようにため息をつくと、紅一を睨みつけた。

 

「それで? 風紀委員に告げ口するの?」

「いいや。俺は単にここに来たかっただけでお前に会ったのは偶然さ。お前こそ、鍵なんぞ開けて何をしている?」

「単に、空を見たかっただけ」

「そうか」

 

 紅一は後に知った事だが、その少女は便利屋のメンバーであった。

 名は鬼方(おにかた)カヨコ。不愛想で、怖い顔つきから人付き合いが上手く行ってない少女だ。風紀委員会に指名手配されているが、紅一はその事を知らなかった。紅一はカヨコの横を通り過ぎ、一人分の距離を開けて隣に座り空を見上げた。

 そうして二人の間に沈黙が流れる。時折風が吹いて二人の髪を揺らした。カヨコは紅一の事は知っていたが、彼の人となりまでは知らなかった。その為、何を話していいのか分からない。しばらく沈黙が続いたが、やがて紅一の方から口を開いた。

 その口から出てきたのは意外な言葉だった。

 

「腹、減ったなあ……」

「何も食べてないの?」

「まあな。一人でめしを食おうとしていた所だ」

「他の子と食べればいいのに……」

「女だらけの所に男が入るのはな、色々ときついんだよ」

 

 紅一はそう言って、がさごそとポケットの中から、コンビニで買って来たであろうおにぎりを取り出す。カヨコもまた空腹だったのか、菓子パンを取り出した。

 カヨコは警戒するように紅一を見つめているが、彼にとってそれはあまり意味の無い事だった。彼の頭の中にあるのは、この少女が何者かどうかという事ではない。ただ単純に腹が減ったから何か食べたいというだけだった。

 カヨコが警戒している事が手に取るように分かる紅一は、彼女にこう切り出した。

 

「おい、今はめし時だ。お互い変にいがみ合ったりってのはやめようぜ?」

「……!」

 

 その提案にカヨコは驚きの声を上げたが、やがて彼女は頷いた。

 紅一はおにぎりの封を開けると一口かぶりついた。カヨコも菓子パンの袋を開けてそれを口に運んだ。しばらく二人は無言で食事を続けるが、やがてカヨコの方から口を開いた。紅一はカヨコの警戒した様子を感じつつも敢えて無視して食事を続ける。カヨコもそれを感じ取ったのか、やがてぽつりぽつりと話し始めた。

 彼女は物心ついた時からずっと孤独だった。勉強はできる方だったが、顔つきが怖いと言うだけで周囲に馴染めなかった。学業の良さから風紀委員会に籍を置いたが、2年生時の風紀委員の業務が単位取得に響き、単位不足で留年した。更に当時の風紀委員会が留年したカヨコを庇うどころか責め立て、人間不信に陥った。

 もう関わりたくない──風紀委員会を抜け、行きつくところも仲間も友人もいない中、彼女に声をかけたのは下級生である陸八魔(りくはちま)アルと浅黄(あさぎ)ムツキだった。きっかけはアルがどこかクールとも言えるカヨコのあり方を好意的に評し、ムツキと共に熱烈なスカウトを受けた。

 その後自身のあり方を受け入れた彼女は、アルが学校に無断で興した事業──便利屋68に身を置くようになったのだった。

 そんな自分をどう思っているのかと、彼女は恐る恐る聞くが、紅一はカヨコの告白を聞いても特に反応する事も無く食事を続ける。そして最後の一口を食べ終えると、彼は言った。

 

「ま、いいんじゃないか? 校規に反してなきゃ」

「ええ……」

「子供が事業を興しちゃいけない、って法は無い。さっきも言ったが、校規に反さなきゃありだろ?」

「ま、まあ……」

 

 とカヨコは意外そうにしている。そこにチャイムが鳴る音が聞こえてきた。予鈴だ。このままここで時間をつぶしていると午後の授業に遅刻してしまうだろう。まだ打ち合わせが残っている。

 紅一は立ち上がると、伸びをしてこう言った。

 

「あばよ嬢ちゃん、悪さすんなよ」

「…………」

 

 何事も無かったように去っていく紅一の後ろ姿を見つめながら、カヨコはしばらく呆けていた。自分の事を赤の他人である男があっさりと受け入れてくれた事が彼女には衝撃的だったのだ。

 この一連のやり取りからカヨコは時折紅一と接触するようになり、ヒナとアルは困る事になるのだがそれはまた後の話である。

 

 所戻って風紀委員会執務室。

 乾とアコはにらみ合いを続けていた。……と言うのも、装備品の選定と人員選抜要件に難航していたからだ。

 先日、不良生徒を相手に着装した風紀委員の一人が先陣を切って銃を乱射した。その結果は敵小隊の壊滅であった。しかし、それはプロテクトギアの有用性をアピールする為のパフォーマンスに過ぎず、実際に戦闘で使えるかと言うと話はまた別だ。

 特に喧嘩慣れしている相手に対しても優位かどうかという問題があった。無用の長物は避けられるものだ。

 

「……無理に92式を入れなくても、10式を使えば良いんじゃないか?」

「10式、とは?」

「10式強化服だ。92式特殊強化装甲服──プロテクトギアの簡易版さ。こいつは防護面積は少ないが、調達費用も重量も92式よりは少なく済む」

「では、その10式と92式の混成で行けば……」

「そうだな。隊員の負担も減るだろうし、数も揃えやすい」

 

 乾の言葉を聞いたアコの表情が明るくなる。実現の難易度がぐっと下がったからだ。

 実はこの部隊構想自体は、風紀委員会OGたちからもたらされたものだ。彼女たちの時代のキヴォトスは、今よりも治安が悪い時期があった。ゲヘナ学園とトリニティ総合学園の不良生徒による大規模な抗争が日夜行われていたという。

 当時のヴァルキューレ警察学校警備部と万魔殿は組織化する暴力の前に屈する毎日だったらしい。

 それを黙って見ていられなかった一部の風紀委員たちが、当時のゲヘナ学園の承認の下、独自で強化服と重火器で武装した……。奇しくもそれは、乾や紅一がいた日本での首都警特機隊発足の経緯と似たようなものだった。

 その後、ゲヘナ自治区の治安はだいぶ改善されたのだが、今度は彼女達の存在が要らぬ騒乱を引き起こしているのではないか、との声があった為一度解体されたのだ。

 特機隊と違ったのは武装蜂起を起こさず、解散に応じたと言う。その時の風紀委員たちが、後にヴァルキューレ警察学校やSRT特殊学園の職員として就職したとも言われてはいるが、その真偽は定かではない。

 ともあれ、この再編案は風紀委員会にとって大きな前進であった。アコと乾、そして紅一は早速、人員編成の作業に取り掛かった。

 数日後。

 アコが提案した人員は、ゲヘナ学園風紀委員会に在籍する全校生徒から厳選された精鋭たちだった。性格も能力も申し分ない。

 だが、一つ問題があった。それは年齢だ。アコ含め年若い少女が率先して活動している為か、風紀委員会には成人している人間はいなかったのだ。また、ゲヘナ学園は一癖も二癖もある生徒が多い。

 いくら優秀と言えど中等部や初等部の生徒や児童を風紀委員会に配属するのはあまりにも危険と言えた。

 ではどうすべきか。

 乾や紅一、ヒナを上に置き、その下に就く形で人員を配置する事でこの問題は解決した。紅一は元々、日本を脱出する際にある使命を託されてたのもあり、これに賛同した。

 偶然ではあるが、彼に託されたものが実を結ぼうとしていたのである。

 

 ゲヘナ学園風紀委員会の歴史に、新たな一ページが刻まれようとしていた……。

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