昼食を食べ終え、校内に戻って午後の活動に入ったアビドス高校廃校対策委員会の面々。
しかし予定はなく、自由時間である。食事後だがホシノはジュースを飲みつつ、大きく伸びをすると横にいたノノミに微笑んだ。あれからノノミが食事の代金を清算しようとしたが、乾が先に支払いを済ませてしまったのである。恐らく大人としての矜持からだろう、とホシノはなんとなく察していた。
そんな彼女の隣で、シロコがアヤネに乾についての説明をしていた。あまり饒舌ではない彼女だが、説明をする時に難しい言葉は使わない。なので、アヤネは良く呑み込む事が出来た。
「あの大人の人は、ゲヘナ学園にいるとの事ですが……先生はご存じなのでしょうか?」
「勿論、先生は知ってる。何なら、度々会ってるみたいだよ?」
「そうですか……。であれば、信頼できそうですね。ですが……何故、アビドスに来たのでしょうか?」
シロコの説明を聞いたアヤネは頷きつつそう呟いた。確かに乾はゲヘナ学園の外部協力者として登録されているが、アビドスに来るのは異例である。その事に対して疑問を浮かべたのだろう。すると、ホシノがアヤネに答えた。
「単に休みだったからじゃない? 初めて会った時、紫関ラーメンの場所を教えたんだ」
「ホシノ先輩が?」
「そー。そしたら覚えちゃってたみたい」
そう言ってホシノは手にしていたジュース──ケートピスの缶に口を付けた。
「ひとくちで。あまい。しあわせ」がキャッチコピーの、キヴォトスで人気の高い乳酸菌飲料だ。ホシノは好んで飲んでいる。爽やかで甘酸っぱい味わいは、女子ならば多いに好まれるものだろう。
……ホシノの答えに納得したのか、アヤネはそれ以上追及しなかった。代わってノノミが、ホシノに訊ねた。曰く、乾についてSNSでは怯える内容のコメントを数多く目撃したと言うのだ。それを聞いたホシノは、少し考え込む。そしてちらりとシロコの方を見ると彼女は頷いた。それを見たホシノも頷き返しつつ答えた。
「多分、それはあの人だね」
「やはりそうですか……」
「でも、どうしてそういうコメントが多いのかな?」
ホシノの疑問はもっともである。乾の異名自体は知っていたが、彼が銃を握って戦っている所を直接見た事は無い。厳密には、拳銃以外の武器を手にしている所を……だが。
そこへノノミがスマートフォンの画面をホシノに見せる。何かを見つけたらしい。それはいわゆるライブ配信の切り抜き動画と呼ばれるものであった。その内容は随分と荒れている様だった。内容は生徒たちが一人の生徒に暴力行為を働いているところだ。見ている生徒たちもしきりにヤバいヤバいと連呼している。
一見すると、よくあるゲヘナ生が暴力事件を起こす配信のように見える。だが、その配信者は何かを見つけたらしく、それに反応していた。
『え……何あれ? 黒い人影?』
『待って、あいつこっちに……来る?! いやなんで……ぐえ』
『撃ってきた?! 逃げろ!』
黒い大きな人影が、配信者の方へと向かってくる。ヘルメットにガスマスク、全身黒い装甲に機関銃と、威圧感溢れる風貌。配信者が逃げる。銃弾の飛び交う音が響く。その中でもひときわ特徴的なのは布を切り裂くかの様な銃声だ。ひたすら逃げていたのだろう、配信者は仲間たちと共に路地へと逃げ込む。走っているのか、画面が揺れる。逃げながら悪態を浮く様子も記録されていた。
『何で? あたしは何もしてないのに!』
「いやいや、配信してる時点で無理があるでしょ」
「ここからが肝心です、ホシノ先輩」
動画にぼやくホシノ。ノノミは更に動画を再生する。
画面の向こう側では配信者が銃を取り出し、構える様子が見えた。配信画面に一緒に映っているコメント欄は賑やかだ。そして友人だろうか、周囲にいた仲間が銃を発砲する。
『撃て撃て!』
『相手は一人だ、ボコしちまいな!』
黒い人影に向けて弾幕が形成される。しかし弾丸が効いていない様子であり、驚く声が響く。次の瞬間、悲鳴と共に配信者の体は宙を舞った。そして地面に叩きつけられるとそのまま動かなくなった。どうやらカメラを落としたらしい。画面にはうずくまる生徒が数人映っている。その中に恐らく、配信者もいるのだろう。画面外から黒い人影が姿を現した。それは全身真っ黒で顔が見えない。人影はゆっくりと配信者へと近づいていく。その手にはベルトリンクが垂れ下がった機関銃が握られている。
がちゃり、がちゃり。人影が発しているのだろう足音が、動画に記録される。そして人影が配信者らしき人物へ銃口を向けた瞬間。
『ごめんなさいごめんなさいごめんなさい! もう悪い事しませんから……ああっ!』
一瞬の悲鳴と、それをかき消すかの様な銃声が鳴り響く。それが収まると、がちゃりがちゃりと足音。足音はだんだん大きくなってくる。
そして画面に映りこむ、こちらを覗き込む様な紅い眼光。それを見たホシノは思わず苦笑する。もはやホラー映画めいて見えるからだ。一瞬だけ映りこんだ後、画面が暗転。その後布を切り裂くような銃声が一際大きくなり、ノイズと共にライブが終了した。
そこで動画は終わった様だった。動画を見終えたホシノは、何とも言えない表情を浮かべていた。確かにこの配信者は悪い事をしたのだろう。だがしかし、だからと言って乾に始末される謂れはないはずだ。そしてコメント欄を見てみれば……。
『なんだよあれは⁈』
『あたまおかしい!』
『こんなのがゲヘナにいるのヤバくない?』
『風紀委員会仕事してる?』
『噂だけど、この黒いの風紀委員会と仲いいらしいよ』
『風紀委員会に関わると殺されるのか??』
ホシノはノノミの横から覗き込むように画面を見た。そして納得して、ホシノは思わず唸った。これが書き込みだというのなら、恐らく数千を越えるであろうコメント数にノノミも驚きを隠せなかったらしい。書きこみはまだ続いていた。
『風紀委員に喧嘩売ったらこうなるって事だろ』
『これ死ぬヤツじゃん』
『流石にないでしょ、ヘルメット団じゃあるまいし』
『でも、あの黒いのってヘルメット団と関係あるって噂もあるよ。ほら、あいつらもヘルメット被ってるし』
『え、じゃあ……あの配信者、ヘルメット団に喧嘩売ったの??』
コメント欄を読んでいた二人はこぼす。
「流石にヘルメット団はないでしょ」
「そうですね……」
そう話していると、足音が聞こえてきた。どうやらシロコが説明を終えたらしい。その手には栄養ゼリーがあった。彼女はホシノとノノミを見ると、ひょいと首を傾げた。するとホシノが画面を見せる。それを見たシロコは少し考えるように顎に手を当てると呟いた。
「……この動画、私も見た事がある。今思うと乾さんじゃないかな、って思った」
「じゃあ、何か知ってるかもしれませんね」
ホシノはそれを聞きながらスマートフォンをノノミに返した。そして立ち上がると大きく伸びをした。そろそろ活動の時間である。ホシノは全員がいる事を確認して声をかける。
「それじゃ、校舎の掃除、やっちゃおっかー」
その言葉に、ノノミとシロコが歩き出す。やや遅れて、アヤネとホシノが歩き出す。その途中でホシノは手にしていた缶をゴミ箱にポイ、と投げ捨てた。
──が、缶はゴミ箱へ放物線を描く事はなく入り口を外れて地面に落ちてしまった。
「ありゃ」
「……あらら」
からからと転がった缶を見てホシノは数秒きょとんとすると、今一度それを拾おうとした。しかしその矢先にシロコが拾い、ゴミ箱にぽいと投げ入れた。空き缶は見事にゴミ箱へ入った。
思わず苦笑するホシノにシロコは小さく頷いた。
──さて、ここらで待ち合わせだった筈だ。
食事をとった乾は、D.U.地区にある高速鉄道駅にいた。紅一とD.U.地区を散策しようと、前々から約束していたのだ。約束の時間である、紅一から指定された時間にやって来たつもりだったのだが……その姿が見えなかった。
どういう事かと不審に思っていると、ふと声が聞こえたような気がした。駅内を行き交う雑踏でかき消されたのかその声は小さいものだったが、乾には何故か確信があった。
──これは、何か巻き込まれたな。
乾はヒップホルスターから拳銃を抜くと、片手でこめかみの部分に銃をあてがうように構えた。別に腰だめに構えても良いのだが、特機隊での経験がこの構えを選んだと言っていい。大男が拳銃を抜いた程度ではキヴォトスの人間は驚かないし、不審がらない。
いきなり大声をだされる覚悟をしていた乾だったが、結果はその予想とは異なっていた。
「おい、あんた無賃乗車しようとしてないか?」
「何を言いやがる、ちゃんと切符もあるだろうが!」
駅のホームで何やら揉めている様子の職員と男を見た乾は嘆息した。紅一が何やら猫種の獣人と揉めていたからだ。彼はどうやら紅一に無賃乗車を咎められているらしい。男は紅一より一回りほど大きい。
「運賃は払ってるっていうが、目的地への切符がないだろ?」
「いや、だからこれがその切符だと言ってるだろう」
そう説明する男に対して、駆けつけた駅員の少女はやれやれと頭をかいた。そして男に言う。
まるで問題児がやって来た、と言わんばかりだ。獣人の男は駅員が来たにもかかわらず、尚も紅一に対して声を荒げる。紅一は毅然とした態度で男に言う。
正直に話すんだと。しかし男はそれを無視して紅一に殴りかかろうとして……。
「?!」
「あ―あ……」
その手を払われた紅一に投げ飛ばされ、地面に叩きつけられる。それを見た駅員が目を見開いた。問題を起こしたとはいえ銃を持っていない人間が、体格に勝る相手を投げ飛ばしたからだ。周囲の通行客たちは一瞬ざわめく。だが、すぐさま何事もなかったかのようにその場を去った。
その様子に男は驚きつつ起き上がり吠え、懐から刃物を取り出すが……。今度は紅一の蹴りを顎に受けて昏倒した。そのまま紅一は駅員を呼び寄せると、身柄を引き渡した。乾はひと段落したのを見て、紅一に声をかけた。
「先輩、必要なら助けましたよ……」
「乾か。いや心配はいらん。こう言う輩の相手は慣れてるしな」
「だからといって危険にさらすのは……」
「腕慣らしにもならなかった」
「はあ……」
紅一の言葉に呆れるしかなかった乾だが、胸ポケットに入れていたスマートフォンに通知が入った。相手はヒナからで、紅一と共にミレニアム・サイエンススクールに荷物を取りに行って欲しいとの内容だった。D.U.地区の散策は後回しにするしかなかった。
幸い、ミレニアム・サイエンススクール方面行のホームはそんなに遠くない。乾は紅一にその事を告げると歩き始めた。
「何があった?」
「あれ? 先輩スマートフォン支給されていないんですか?」
「ああ。何でも、生徒会の連中に邪魔されているらしくてな。早くても来週の末とか言っていたぞ」
「何でそんなことを生徒会が……」
さあな、と道すがら答える紅一に、乾はまた溜息。二人の足がミレニアム方面行きのホームに着いた時、不思議と空いていた。土曜日の昼下がりにもかかわらず、である。券売機で乗り継ぎ切符を買い、ミレニアム・サイエンススクール自治区行きの列車に足を踏み入れた二人は椅子へ腰かけた。
それなりに快適な座り心地だ。発車メロディーが流れ、ドアが閉まる。ごうごう、という重低音が体に伝わって来た。同時にアナウンスが鳴り列車が動き出す。特に何も話す事もないので暇潰しも兼ねて二人は景色を楽しむ事にした。
しばらくして遠くの方から街並みが途切れ巨大な摩天楼の姿が近づいてくる。飛行船が飛び、更にドローンも縦横無尽に飛び交う。これがミレニアム、ミレニアム・サイエンススクールなのか……と初めて来る者に抱かせるには十分な景色だった。
D.U.地区を離れてから何駅か過ぎた時だろうか、ふと乾は喉が渇いた。
「先輩、何か買ってきます」
「すまんな乾。水か何か頼めるか?」
紅一に断りを入れた乾は、席を立つと車内販売を探した。
思ったよりも早く、自販機がすぐに見つかった。数種類の飲み物とスナック菓子が売られている。とはいえここまで歩いて来てのどが渇いたのだからと飲み物……ペットボトルに入ったミネラルウォーターを購入する事にした。
硬貨を何枚か入れてボタンを押すと、二回ガコンと音がして飲み物が出てくる。一つはミネラルウォーターだったが、もう一つは押したボタンと異なるものであった。
「何だこれ……。ケートピス?」
自販機の取り出し口に入っていた、クジラをモデルとしたキャラクターがラベルにプリントされた飲料水のボトルを手にする。連絡して交換も考えたが、試しに飲んでみたくなったので気にしない事にした。そのまま紅一のいる席に戻り、自販機で買ってきたものを渡した。
紅一は礼を言うとミネラルウォーターを一口飲む。乾もペットボトルの蓋を開けて、ケートピスを飲んだ。味は甘酸っぱい……しかし、どこかで似た物を見かけた気がする。そう考えながら飲んでいると、紅一が聞いてきた。
「おい乾、何飲んでるんだ?」
「ケートピスっていうらしいです。自販機で買ったら出てきたんで」
「へえ……そんな飲み物があったとはな」
紅一が興味深そうに言う。そしてぽつりと呟いた。
「そういや、台湾と日本国内で似たのを飲んだな」
「台湾……」
紅一の言葉に乾は思考を巡らせた。
──確か、台湾での死闘の前に公安の刺客たちと林が飲んでいるのを見たような気がする……。今思えば、あの時は確かに暑かった。
そして今、この飲料は冷たく心地よい。乾はペットボトルの中身を口に運んだ。
──甘い。
そしてその味に懐かしさを覚えた。いつか海を見ながらこの乳酸菌飲料を飲んだ、誰かと一緒に。それはいつの事だっただろうか? 唐密だったかもしれないし、昔付き合っていたガールフレンドだったかもしれないが……もはや乾には思い出せない。
思い出を過去へ押しやっていた自分に嫌悪を感じながら、乾は残りを全て飲み終えた。
そして二人の男がのどを潤した頃には、電車は目的地──ミレニアム・サイエンススクール前にさしかかっていた。
「ケートピス」はアニメOP映像でちらと映る、白い缶の飲み物です。