ゲヘナ学園の生徒会である万魔殿は、名称と地位に反して風紀委員会に劣る印象がある。
しかし為政においてははるかに上の権限を有し、その長ともなれば連邦生徒会を除きゲヘナ学園における最高権限の持ち主と言っても過言ではないだろう。
そんな万魔殿を統べる議長・羽沼マコトだが、彼女は風紀委員会の重要性を解していない。
だからこんな暴挙に出たのだろう。
ヒナは、マコトがこのタイミングで予算削減を行ったのは個人的感情によるものだと推測した。
要するにヒナが気に食わないのだ。だから嫌がらせをしてやろうとしたのだ。その証拠は、アコが持ってきた書類だ。
そこには風紀委員が行った活動の予算削減が記されていた。しかもそれは、万魔殿が主導したものだった。ヒナは今まで対応した案件、風紀委員から受けた報告等を鑑みてそう結論付けた。
何故事あるごとにこうも嫌がらせをするのか、ヒナには理解できなかった。アコから連絡を受けた紅一と乾が、何事かと飛んで来た。
「いったいどうしたんだ?」
「乾、紅一。これから万魔殿に行くわ。一緒に来て」
「万魔殿へ?」
「下手すると、来月からあなたたちの給料が出せなくなる」
「……なんだと?」
未だに呑み込めていない二人だが、来月からの給料が無くなると言う話を聞いては動かない訳にはいかない。
仮にお払い箱になったとしても、たつきの道は潰える訳ではない。だがしかし、行く当てのない二人にとっては、ここが居場所であり、人間として生を感じる場でもあった。
だからこそ、ここを潰される訳にはいかないのだ。
「これから万魔殿へ抗議しに行くけど、どうなるかは私にもわからない。それなりに準備してきて」
「……乾。こりゃ、一暴れするしかなさそうだぞ」
「奇遇ですね。俺も同じようなことを考えてました」
乾と紅一は専用のロッカールームに飛び込むように入ると、厳重に保管されているプロテクトギアを取り出していた。
無論、ミレニアムで改修を施されたものだ。防弾性能を大きく向上させたプロテクトギアは、キヴォトス基準でも非常に優れたものなのだが……。
二人にとってこんなものは気休め程度にしかならないことは分かっていた。乾も紅一も命は惜しい。だが、理不尽に対して黙っていられる程ではない。そして何より一番頭に来ているのは、ヒナとの個人的感情で組織を動かし、実害を与えたことである。
ギアの着装を終えた二人はガンロッカーから様々な銃器を取り出した。MG42、モーゼルC96に手榴弾がいくつか。MG42の予備銃身をバックパックにセットした後、バックパックの中に弾薬を目いっぱい詰め込んで、二人は部屋を後にした。
「待たせたか?」
「いいえ。こっちも準備を終えた所。……流石の威圧感ね」
「そういう装備だからな」
ヒナも制服の上から愛用のロングコートを肩にかけてはいるが、乾たちのプロテクトギアとは比べ物にならない。ヒナは万魔殿に向かいながら、道中で事情を説明した。
自分たちが不在の時に万魔殿から抜き打ちで査察に入られたこと。アコが対応したが、結果は散々だったこと、そして……。
予算の無駄遣いは万魔殿の議長が一番であり、議長個人に直接予算を削減する権限はない事を説明し、ヒナは語気を強めた。
それを聞いていた紅一と乾は内心穏やかではない。それはそうだろう、自分たちの縄張りを好き勝手にされたのだ。更にその相手は命のやり取りをしかねなかったところだ。
剛腹な二人だが、ここに至っては問答無用で殴り飛ばすくらいの勢いはあった。
アコも言葉を失うくらいには、ヒナの怒りは凄まじいものだったようだ。
怒りを十分にはらんだまま、一行は万魔殿の扉を蹴破った。
「キキキッ! イロハよ、監査は上手く行ったようだな!」
「先輩、これからどうなるかはわかりませんよ?」
「問題ない! あのヒナが泣いて困る様子が目に浮かぶぞっ!」
「……そうですか」
そう言って深いため息を吐く、イロハと呼ばれた赤毛の少女。
彼女はこれ以上はやってられない、と言わんばかりに部屋を辞した。それとは対照的に、意気揚々とイロハの後ろをついて歩くのは、最年少の万魔殿議員・丹花イブキ。
なにか楽しいことがあったのか、彼女は鼻歌交じりに歩を進めた。手には大きなキャンディを持っている。緑と白の渦を描いている、ロリポップと呼ばれるやつだ。
イロハはそんなイブキを見て、もう一度ため息を吐いた。彼女の仕事は万魔殿の議長であるマコトを補佐することだ。だが、この万魔殿は実質マコトが支配していると言っても過言ではない。
その為にイロハは様々な仕事を強いられていた。各傘下組織への予算配分や、各委員会との折衝。そして今回のような抜き打ち監査の対応などだ。マコトが思いつきで施策を行うことがあり、それを実用的な形で実現させるのもイロハの仕事だった。
万魔殿内において、マコトに意見できる人間は限られる。彼女と対等に話せるのは、イブキを除けば各委員会の長と風紀委員長くらいのものだ。イロハは、マコトの暴走に頭を悩ませながらも万魔殿内を歩いていた。すると前方から見知った顔が歩いて来た。
「空崎風紀委員長……?」
「イロハ。マコトはどこ?」
「議長なら議長室におりますが」
「そう。ありがとう」
相手はヒナだった。二人の真っ黒い甲冑姿の人物が、ヒナの後ろに直立不動で控えている。
イロハはその異様な出で立ちに訝しむが、今はそれどころではないと思い直しヒナを見送った。
「イロハ先輩、あの人たちはなんですか?」
「さあ? ヒナ委員長の知り合いみたいだけど」
「ふーん」
イブキは興味を失ったのか、再び鼻歌交じりに歩き出した。イロハもそれに従い歩き出す。ヒナと付き添いの人物からして、ただならぬ様子であったことは容易に想像がつく。
──しばらくイブキをマコト先輩に近寄らせない方がいいかもしれない。
そう判断したイロハは、イブキに声をかけた。
「……イブキ。パトロールに行きますよ」
「え? イロハ先輩、今日はパトロールの予定入ってないですよ?」
「先ほど虎丸の整備が終わったと連絡が来ました。試運転がてらパトロールです」
「わぁーい!」
虎丸は、万魔殿が所有している戦車だ。ティーガーI戦車を基に近代化改修を施した、高性能戦車である。
構造材をキヴォトスでしか生産されない合金に変更し、大出力のターボチャージャー付ディーゼルエンジンと対応するトランスミッションへ変更することで、重装甲と高い機動力を両立。
そしてひとりでも操縦できるよう各部を無人化するとともに大口径砲へと換装され、古めかしい見た目にそぐわないモンスターマシンへと生まれ変わった。
その虎丸を操縦しているのが、イロハだった。イブキもこの車両を好いており、高い視点からの眺めは格別だ。イロハは万魔殿の車庫に停めてある虎丸に乗り込むと、イブキもそれに続く。
主砲の砲身に「巡回中」の札を下げると、リモコンのボタンを押した。
「虎丸、発進します」
「出発しんこー!」
そして二人は万魔殿を後にした。
「この先がマコトの執務室よ」
「いかにも最高権力者、って感じだ」
ヒナと紅一、乾は万魔殿の最奥にあるマコトの執務室の前に来ていた。そこは他とは一線を画する豪華な扉で、その奥にはマコト専用の執務室がある。
乾はここへ来る時、二人の生徒とすれ違った。赤い髪の生徒はともかく、金髪のロリポップを持った生徒には見覚えがあった。迷い込んだあの日、最初に助け出した子だ。
彼女はだぼたぼの万魔殿制服を着用しているあたり、万魔殿に所属しているのだろう。
だが、今はそんなことを気にしている暇はない。
ヒナが扉をノックするかと思いきや、その場で〈終幕〉を構えた。乾と紅一もMGを構える。ヒナが左手を挙げ、指を折って合図する。
──3、2、1……。
ヒナが指を折ると同時に引き金を引いた。乾いた銃声が鳴り響き、扉に穴が開く。斉射を終えたところで、乾が前に出て扉を蹴破った。
中にいたマコトは無傷だった。椅子にかけたまま、グラスの中身を呷る。
「ノックをするべきだったかしら?」
「……いいさ、私と貴様の仲だ」
銃撃されたと言うのに、随分と余裕ぶった様子のマコトだが、内心は穏やかとは言えなかった。マコトがゆっくりと立ち上がる。その目は、ヒナを捉えて離さない。
そして、二人の視線が交錯する中……口を開いたのはヒナだった。
「マコト、あなたどういうつもり? 急な予算削減などあなたに権限がないことぐらいわかるでしょ?」
「扉をぶち破っての問いがそれなど、風紀委員会がそれとは──」
銃声一発。撃ったのはヒナだ。
「質問しているのはこちら。あなたはそれに答えて」
「貴様は私を誰だと心得る」
マコトがヒナを睨み付ける。だが、ヒナもそれに負けじと睨み返す。
「……万魔殿議長、羽沼マコト」
「そうだ! 私こそが万魔殿、いやゲヘナを統べる者だ!」
そう言ってマコトは椅子から立ち上がり、両手を広げた。
その様はまさに王者の風格だった。だが……ヒナは動じず、銃口をマコトに向けたまま言い放つ。
「そう。ならもう少しまともに為政をなさい」
まるでゴミでも見るような目で。
そして彼女は引き金を引いた。乾いた銃声が室内に響き渡り、マコトと室内をめちゃくちゃに破壊した。
だが、ヒナはマコトの生死には興味はない。ただ、マコトがこれ以上自分たちの邪魔をするなら……容赦はしないという意思を行動で示して見せたのだ。
事実、マコトのヘイローは消えても砕けたわけじゃない。立派だった制服と下着がボロ切れのようになってはいても、全身打撲で気絶した程度である。
……代わりに、部屋中のきらびやかな調度品はみんなガラクタの山に生まれ変わったが。
「……あそこまでやって、死なないのか?」
「死なない。明日には包帯巻いて出てくるわ」
「……それで済むなら楽でいい。子供を殺すのは気が引ける」
紅一は驚きながらも、ベッドからシーツをはぎ取り、マコトに被せてやった。正味の話、見ていられないからだ。
ヒナがスマートフォンを取り出し、どこかへと連絡を取る。
「……問題は、無事に帰れるかどうかでは?」
乾が入口の方を見て、ポツリとつぶやく。その先には……武装した万魔殿の職員たち。銃声を聞いて駆けつけたらしい。むろん、その表情は怒りに染まっている。
「空崎風紀委員長、一体何をした?」
「ただの抗議よ」
「抗議だと? 派手に銃撃しておいてか?」
怪訝な顔をする職員たち。プロテクトギアを身に着けた乾たちを見て、臨戦態勢に入る。紅一が改めてMGを構えなおす。
その様子を見て他の職員も一斉に武器を構えた。そしてヒナが一言。
「この中で一番、職位が高いものは?」
「私だ」
「なら、あなたたちは今回の件についてマコトから聞いてる?」
「いいや。だが、予算の削減はマコト様の独断だ」
「そう。なら……あなたたちへこの件に関して、マコトの代理として抗議するわ」
「何をふざけたことを!」
職員がヒナに銃口を向ける。だが、紅一がそれを制止した。
紅一はMGのストックで職員を殴りつけた。その威力に職員は倒れ伏す。だが、他の職員がそれに反応して銃を向ける。
しかし、今度は乾がその銃をはじき飛ばした。
「悪いが、こちとら殺されかけたんでな……」
「お、おのれ……」
尚も抵抗しようとする職員。だが銃口を突きつけられた以上、打つ手がない。そしてマコトが意識を取り戻したようだ。上体を起こし、状況を掴もうとして周囲を見渡す。
だが……今の状況を見るに、ここに留まるのは得策ではない。ヒナの意識があちらに向いている内に、逃げ出せそうだ。マコトはこっそりと立ち上がった。
そして一歩、二歩、三歩と……。
「あらマコト、起きたのね」
「ひ、ヒナ……。1つ言い忘れたことがある」
「なに?」
「貴様ら風紀委員会の予算に随分と手心を加えておいた。……これで満足か?」
「……そう、撤回すると言うのね。最初からそうすればよかったのよ」
その言葉に、マコトが歯ぎしりする。
だが……状況は圧倒的に不利だ。それにここでヒナたちと事を荒立てるのは得策ではない。マコトは何も言わずに部屋を出ようとしたときだった。
武装した職員の一人が乾たちに銃を向け、発砲したのだ。
銃声が響き、直後に金属が何かを弾いた音がした。乾が左腕の小盾で銃弾を弾いて見せたのだ。弾かれた銃弾は部屋の壁にめり込んでおり、穴が空いている。
流石のマコトも啞然としていた。しかし、そんなことはどうでもよかった。
問題だったのは……紅一が直後に行動を起こしたことだ。
「警告なしで撃ったのは、そっちだからな……」
「私や風紀委員ならまだしも、客人に銃を向けるとはね? 万魔殿が聞いてあきれるわ」
紅一とヒナは軽口を叩きながらも、臨戦態勢に移行する。乾が左手でマコトの胸倉をつかみ、片腕だけで持ち上げる。
マコトの眼前に迫る、紅い目線。どこか怒りをはらんだその目に睨まれて、マコトが怯みそうになる。
だが、ここで気圧されるわけにはいかなかった。マコトはとっさに隠し持っていたナイフを抜き放つと、乾の胴体に向けて振るう。
しかし乾は、それが刺さる前にマコトを床に叩きつけた。
ごはっという苦悶の声がマコトから上がるが、そんなことはどうでもいいとばかりに、乾はマコトの顔面を踏みつけた。
そのまま何度も何度も、マコトの顔面や腹を踏みつける。はじめは鈍い音だけがしていたが、次第に肉が叩きつけられる音が混じる。
「こっちはお宅の部下に殺されかけた! わかるか?」
「て、手違いだ……!」
「手違いで済むなら医者はいらない!」
「ぐはっ!」
乾は、マコトの顔面に一発蹴りを入れた。その衝撃にマコトの鼻から血が噴き出した。流石にリンチめいた行動に職員たちも激怒し、一斉に乾に銃を向ける。
しかしそれより先にヒナが発砲し、何人かを蹴散らす。さらに紅一がMGを乱射し、武装職員を掃討していく。
「空崎ヒナ、貴様何のつもりだ?!」
「これ以上、客人に怪我をさせるわけにはいかない」
「勝手が過ぎるぞ!」
「風紀委員長である前に、私もひとりのゲヘナ生よ。さて、わがゲヘナ学園の校風は何だったかしら?」
ヒナが武装職員たちに問う。
自由と混沌が校風のゲヘナにおいて、ある意味風紀委員会は異端とも呼べる存在だ。だがしかし、風紀を取り締まる存在がいないのはあり得ない。
それを知っているが故に、今回の抗議を起こしたのだ。更に言えば、万魔殿側が無理難題をつけたことが発端であり、ヒナ個人としてもエデン条約の使者への対応と言った大事に際して、この程度のことで予算の削減は看過できない。
だが、武装職員たちはそんな事情など知ったことではないとばかりに、銃を構えてヒナたちへ発砲した。
「強行突破するぞ、乾!」
「了解!」
紅一がMGを乱射した。続いて乾も加勢し、弾幕を形成した。こうなることをどこか予測していたのか、ヒナがため息をつきながらその場から移動すると、紅一も後に続く。
だが部屋から出る直前、乾が振り返った。そして、MGを乱射しながら、マコトに告げた。
──次はないと思え。
そう言い残し、乾たちは部屋から出たのだった。
この騒動で万魔殿議事堂の一部が半壊したが……その請求はゲヘナ学園の予算に回されることとなった。
「イテテ……」
特別病室のベッドの上で、マコトは歯を食いしばるしかなかった。
まさか、ここまでとは……。
万魔殿最高権力者の座に座るマコトの今の顔をマコトを信望する生徒たちが見れば、泡を吹いて卒倒するだろう。だがヒナはそんなことを気にする素振りも見せない。
そもそもの話、ゲヘナにおける最高権力者の認識は風紀委員会とヒナと言う誤解が主であって、大体のゲヘナ生がマコトに対する認識はそのあたりなのだ。
病室の職員もそれを肌で感じ取ったのか、ヒソヒソと何かを言っている。
──またやったのか議長は……。
──いつものことね。
職員たちは、ひそひそと話し合っていた。
──まさか、ここまでの暴力沙汰に発展するとは思わなかったのだ。マコトの目的は、風紀委員会の予算を削ることだけだった。
それを無理に拡大解釈してゼロにまで持ち込んだら抗議の名目で殴り込みに来た。しかも預かり知らぬことまで言い渡され、その件で万魔殿と風紀委員会のOGたちからも追及を受けた。
なにより怒った時の空崎ヒナは、こちらの想定以上に凶暴で容赦の欠片もなかった。一歩間違えば命を奪われても不思議ではなかっただろう。
だが、マコトの脳裏に焼き付いて離れないのは、あの黒尽くめの大男だ。あの紅い目線が忘れられない。全く関係ないのに赤い光を見ると、とたんに胸が苦しくなる。
ふんだりけったりで無様だが、だからといって諦めるマコトではなかった。ヒナを屈服させ、キヴォトスの支配者となる者はこの程度で諦めるほど温くない。
「これで、勝ったと思うなよ……イテテ」
「羽沼議長、もう少し安静に」
目に焼き付いた、あの紅い目の持ち主に復讐する日は……そう遠くはない。と看病されながら、マコトは思うのであった。