箱舟に迷い込んだ犬   作:B=s

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少し長めです。


箱舟に迷い込んだ犬-21

 温泉開発部部長脱走の報から数時間後。

 風紀委員の生徒は眉を(ひそ)めつつ自分たちの持ち場に待機していた。その先にいるのは先日にも活動を再開した温泉開発部だ。

 無許可での温泉開発を行うことが注視される部活動だが、何もそれは主ではない。ちゃんとした許可を得た上での活動も行っている。

 更に言えば、彼女たちの持つ掘削技術は一級品であり、その技術で建設された温泉施設の評判はかなりのものだ。

 ……しかし、それでも風紀委員から睨まれる理由は他にもあった。それが先日の一件だ。温泉開発部のインフラ破壊を伴う温泉開発、その結末は温泉開発部の敗北に終わっている。

 当然ではあるが鉄道を爆破し、周辺への配慮も何もなしに行ったので、その件は風紀委員会に報告が上がっている。そして、その温泉開発部の部員たちとイオリが相対していた。

 イオリは愛銃である<クラックショット>をリーダー格の生徒へと向けている。対する生徒は余裕そうな表情を浮かべている。

 その様子を見てイオリが口を開こうとした瞬間、突然、頭上からガラス片が降り注いできた。それらはイオリを避けて風紀委員だけに襲いかかって来た。

 その破片を喰らい、各々悲鳴を上げながら苦しむ彼女たちをあざ笑うように声が響く。それは先日聞いたばかりの声だった。

 

「ハーッハッハッハッハッ!」

「……カスミか! どうやって脱走した?!」

「そのくらい自分で考えたまえ!」

 

 そう言い残すとカスミは姿を消した。……まだ周囲にはガラス片が散乱している。だが、イオリたちに降り注いだのはその破片だけではなかった。

 地面からは土砂や岩などが隆起し、それらが風紀委員を襲った。散り散りとなり、何とか難を逃れる。しかし、その隙にカスミはゲヘナの街中へ消えて行く。

 ──くそっ、足が速い。……今は被害状況の確認と残った奴の対処が先か。

 イオリは心の中で舌打ちしたものの、即座に切り替えると倒壊した建物を確認する。3階建てのビルが倒壊した。やはり、こいつらの被害の規模は他とは群を抜いて大きい。

 呆然と瓦礫を見つめている風紀委員の中には怪我をしたものもいる。

 ……被害規模を見誤ったか? だがもうあいつらの後をつけても追い切れないだろう。追撃するなら再編がいるが……。

 イオリがそう考えていた時、彼女の装備していたインカムに無線が入る。

 

《……本部より無線各局。特別警戒態勢発令に伴い、委員長より指令が下った。特機の出動が決定された……》

 

 ──何だと? もう実戦配備が決まったのか?! 

 イオリはヒナの早すぎる決断に驚きを隠せずにいたが、同時に納得していた。あの温泉開発部の暴走ぶりは予想を越えていたからだ。

 ……仮に特機が一小隊分増えたところでどうなるかと言われれば、そうでないことは分かっている。だが、それでも戦力は多いに越したことはないだろう。本部からの無線は尚も続く。

 

《……こちらは、行政官の天雨です。特別警戒態勢の発令に伴い、特別機動隊へ出撃命令が下されました。繰り返します……》

「アコちゃん? アコちゃんが指揮を執るの?」

「イオリさん、これって?」

 

 風紀委員の一人がイオリに語りかける。どうやら状況の変化に戸惑っているようだ。それは他のメンバーも同じで、困惑しきった表情を浮かべている。

 だが、時間はない。委員長の命が下された以上は行かねばならない。

 イオリは皆に命令する。

 

「皆聞いたな? 特別機動隊が出動する、任務は変更だ」

「銀鏡さん、それはどのように?」

「今説明する。特別機動隊は凶悪な連中に対しての制圧部隊だ。そこで私たちは残りの風紀委員たちと協力し、あれを鎮圧する。以上だ」

「でもあれをどうやって?!」

「そのための私たちだ! カスミを黙って見過ごせば、大変なことになるんだぞ!」

 

 イオリのその言葉に風紀委員たちは頷いた。

 ……しかし、その戦力の面で温泉開発部に太刀打ちできるかは怪しいのが現実だ。だが、それでもやるしかない。

 イオリは決意を固めると、風紀委員たちを率いて本部へと向かった。

 ──情報が必要だ。

 

 ゲヘナ学園、風紀委員会本部。

 全身真っ黒の集団が、3列横隊で整列している。その列の先には、大旗がはためいている。イオリたちがやって来た時にはすでに用意が出来ていた。

 詳細は知らされていなかったが、イオリにはなんとなくその集団の正体がわかった。

 ──……対凶悪犯罪特別機動隊。

 イオリの予想は的中していた。

 ゲヘナ学園特機隊、それは最近再編されたゲヘナ学園の保有する部隊のひとつだ。その任務は主にゲヘナ学園内の治安維持である。

 だがこの組織が、他の治安維持組織に対して異なるのは実力行使による武力鎮圧に重きを置いており、他の活動には不干渉であるということだ。

 つまり、ゲヘナ学園領内において犯罪行為に対する最終手段とも呼べる存在であり、これ以上は連邦生徒会の防衛室の預かりとなる。

 多くの風紀委員たちはそんな存在を初めて目の当たりにした。ヘルメット団よりも物騒で、ある日のニュースで見たSRT特殊学園の小隊よりも重装備の集団。

 威圧的と言うより、威圧そのものと言ってよい。

 整列している特機隊員たちの前にひとりの人物が現れた。敬礼と同時に生徒たちが答礼を行い、イオリもその波にのまれる。

 その人物は答礼を確認すると姿勢を直し、一声を発した。

 

「特機隊、出動!」

「応!」

 

 出動の声に呼応するように特機隊が行進を始めた。その様は、正しくこれから戦争に介入するようだった。

 風紀委員も後に続く。

 目指すはゲヘナ市街だ。既に周囲の道は封鎖されているので、通りには誰もいない。ただ生徒たちの駆け足が虚しく響くだけだった。隊員たちはヒナの号令と共に、建物から駆け足で出て行った。

 その所作に一切のよどみは無く、芸術的な美しさをもはらんでいた。

 

 それから数分後、ゲヘナ自治区は大騒動になった。

 きっかけは鬼怒川カスミが決定した採掘予定地点に待ち伏せがあったことだ。通常の風紀委員とは異なる、全身真っ黒の甲冑を模したプロテクターと軽機関銃を装備した一団が、温泉開発部の前に現れた。

 ……温泉開発部は臨戦態勢に入るが、それよりも早く一団が撃って来た。

 

「何だアイツら、風紀の連中とは違うぞ⁈」

「わ、私に聞かれてもわかるはずないでしょう! 第一、どうしてあそこまで撃たれて平気なんですか?!」

 

 温泉開発部と対峙する一団の銃撃は激しく、温泉開発部員も次々に倒れていく。そんな中、作業班長である下倉メグだけは銃弾の雨を浴びながらも無事だった。

 それはもちろん、普段から最前線を張っているだけあって撃たれ慣れているのだ。メグは銃撃の合間を縫って、温泉開発部員たちと合流する。そして、反撃を開始した。

 

《……こちら風紀委員会本部です! 現在ゲヘナ学園特機隊は戦闘中!》

 

 インカムから聞こえるアコの声を聞きながらも、イオリたちは目の前の光景に唖然とするしかなかった。

 温泉開発部員の攻撃をものともせず、反撃の一斉射撃で薙ぎ倒していく一団。それはあまりにも一方的な戦いだった。

 轟音が鳴り響き、火花が飛び散る。その火花の中から躍り出る影が一つあった。それは温泉開発部の部長である鬼怒川カスミだ。拳銃一つで最前線で戦うその姿は、どこか格好良ささえ感じさせた。

 そんな彼女だが、数十もの銃口に狙われる中、果敢に反撃していく。しかし、次第にその銃弾も尽きてきたようだった。温泉開発部員たちはそこまで粘れただけでも上等だろう。

 そんな彼女らを見て、カスミは唇を嚙むがすぐに切り替える。そして最後の弾倉を叩き込み、カスミはバリケードの裏へ隠れ一息つく。

 さすがに長時間最前線で戦い過ぎたようだ。全身を苛む痛みがそれを如実に示している。カスミはそのまま攻勢を保っている温泉開発部メンバーに対して叫ぶ。

 

「諸君、もう良い! 退却だ!」

「しかし、まだ戦えます!」

「これ以上戦ったところで捕まるだけだ!」

 

 その言葉に温泉開発部員たちは悔しそうに歯噛みした。だが、それでもまだ戦えると反論する者もいた。カスミは後退を指示した。

 出てきたばかりとはいえ、相手が強すぎることに違和感を覚えながら。

 ……このままでは、例の連中も突破出来ないのではないか? そう判断したのだ。

 銃声がひときわ激しく響いた。瞬間、バリケードの壁が爆発したかのように吹き飛び、温泉開発部員の1人が巻き込まれたようだ。その衝撃にカスミは吹き飛ばされる。そして、彼女は見た。

 ……黒いプロテクターを着込んだ者たちが、こちらに向け走って来るのを。

 それは風紀委員の制服とは形状が違う。もっと重厚で、まるで戦闘に特化したかのようなものだった。風紀委員が持つ突撃銃や拳銃とは異なる武装を持った者たちがそこにはいる。

 それはまさしく異形の軍隊だった。

 そんな異形が集団でこちらのバリケードを破壊し、乗り越えてきたのだ。その様子を見たカスミはハッとし、気を失っていた同僚の顔を叩き起こし、逃走した。

 

「に、逃げろ!」

 

 その声はゲヘナ自治区に響き渡り、温泉開発部のメンバーは我先にと撤退を開始した。……しかし、そんな彼女たちの前にも一団が立ちはだかったのだった。

 

「囲まれたぞ!」

「臆するな! 部長と班長を逃がすんだ!」

 

 ゲヘナ学園特機隊は逃げ遅れた温泉開発部メンバーを容赦なく攻撃する。その一団の先頭に立つ黒ずくめの人影を見て、カスミは声を上げた。

 

「久しぶりだな、鬼怒川」

「その声はまさか……どうして?!」

「それはこちらのセリフだ」

 

 男はそう返すと再び銃を構えた。カスミがやや遅れて銃を構えるも、時既に遅く。男の持つ銃から放たれた弾丸は、カスミの右肩を撃ち抜いた。

 

「あぐっ!」

 

 その衝撃に彼女は思わず膝をつくと見せかけ、側転して物陰に隠れた。器用なものだが、これができなけりゃ拳銃一つでキヴォトスを立ち回れはしない。

 いわばガンスリンガーとしての、必須スキルだ。だがそんなカスミの動きは男たちからすればあまりにも迂闊だった。

 そんな様子を見た男は無線機にこう告げる。

 

《総員射撃止め。奴を引きずり出すぞ》

 

 その指示に、部隊員は従い銃口を向けるのを止めると一部の後方にいる隊員が銃から手榴弾に持ち替える。そのまま物陰に隠れているカスミに向け放った。

 キヴォトスで一般的に流通している物とは違う、古めかしい形状のそれは、使用する炸薬も多かった。部隊同様に試験運用がされていたのである。

 柄つきの、さながらポテトマッシャーにも似た手榴弾は、カスミの隠れている物陰に着弾した。その衝撃にカスミは吹き飛ばされた。

 そして、彼女は見てしまった。……自分の目の前に立ちふさがる一団の姿を。

 それは黒いプロテクターを着込んだ者たちだ。その集団の先頭に立つ男はカスミに拡声器を向けると、こう告げた。

 

《投降しろ、鬼怒川。今ならまだ間に合う》

 

 その言葉にカスミは歯噛みした。……だが、それでも彼女は投降しなかった。

 

《そうか、なら仕方ない。……やれ》

 

 その言葉と共に一団は一斉にカスミに銃口を向け、トリガーを引き絞った。

 辺りに銃声が轟き、硝煙が舞う。ガスタンクか何かに流れ弾が当たったのか、爆発が生じる。その衝撃で周囲が見えなくなる。

 

「ぐふっ!」

 

 腹に弾が当たり、肺から空気が漏れる。痛みに悲鳴を我慢しカスミは膝をついた。そして再び口を開くと、こう叫ぶ。

 

「ひ、卑怯だぞ! 投降勧告だけで済むはずだ!」

「勧告に従わなかったのはお前だ、鬼怒川」

 

 その言葉にカスミは歯ぎしりするが、何も言い返せなかった。確かにその通りだったからだ。だが、それでも彼女は抵抗の構えを見せた。

 銃を構え、立ち上がる。しかし、それは酷く無様で苦しそうなものだった。その姿を見て男……紅一は照準を合わせるとこう言った。

 

「撃て」

「?!」

 

 再び掃射が始まり、カスミはもんどり打って倒れた。しばらくして銃声がやむ。

 カスミはうめき声をあげながら体を起こそうとしたが、それは叶わなかった。

 理由は単純だ。彼女が体を起こそうとするたびに銃撃され、銃弾がその身に食い込み、行動を阻害するからだ。

 やがて力尽きたのか、カスミはその場で動かなくなった。ヘイローが消え、意識を失ったことを確認した一団はカスミから武器を取り上げ、拘束し護送車に乗せた。

 その後、他の地区に展開していた風紀委員も合流し、事後処理が進められた。

 重機は押収され、破損した道路や水道管の復旧に使用される。温泉開発部が絡むとまず犠牲になるのがインフラだ。

 次に押収されたのが、カスミが所持していた端末だ。遠隔起爆装置であり、これを何個も隠し持っているらしい。

 両手足を拘束された状態で何度か脱走を成功させているのも、自身が拘束された上で逃げ出す算段を常に立てているからに他ならない。

 ……その端末は、今は風紀委員が管理している。温泉開発部の騒動は収束へと向かっていた。

 

「…………」

「教官、どうしましたか?」

「鬼怒川の移送について悩んでいた。確か身動きできない状態にしているはずなのに、脱走されるんだったな?」

「そうですが……」

「なら、その対策をしておかねばな」

 

 そう言って紅一は、なぐり書きのメモを移送担当の風紀委員に渡した。かなり過激な事も書いてある辺り、その本気度が伺える。

 メモを読んだ風紀委員は、その内容に思わずたじろいだ。しかし、そこまでやらなければいけない程今回の温泉開発部は危険な連中なのだ。

 少なくとも彼女はそう結論づけると、紅一にその考えを伝えた。それを聞き届けた紅一は満足そうに頷くと、移送の段取りを相談し始めた。

 

 

 翌日、ゲヘナ学園の特別牢。

 鬼怒川カスミは特別牢の中にいた。厳重に拘束されてもなお凛とした姿勢を崩していない。

 だが、そんな彼女の目の前にはバリカンが置かれている。

 カスミは表情こそ凛としていたが、その内心は穏やかではなかった。今まで何度か牢にぶち込まれたことはあっても、ここまでの仕打ちは初めてであった。

 そこへ何人かの風紀委員がやってきた。皆覆面を被り、素顔は見えない。その中の一人がバリカンを手にした。

 

「き、君たち。そのバリカンで、何をする気だい?」

「ほらカスミちゃんってさ、今まで何度か脱走してるじゃない? 皆、不思議に思ってたの」

「そしたらね。何か髪の毛に隠してるんじゃないか、って言うから……なるほど、って思ったんだよね」

「そ、それはつまり……」

「うん。カスミちゃんの髪の毛、刈るね」

 

 それを聞いたカスミは言葉を失った。髪の毛を刈る? それは、つまり……。

 カスミは、自分の頭が丸刈りにされる姿を想像した。そして、その想像が現実に近づいている事を理解してしまった。彼女は思わず叫んだ。

 カスミとて女の子。髪の毛は大事にしている。おしゃれに整えれば、可愛さと凛々しさの二律背反を体現することも可能だろう。

 ……だがそれは今、無残にも刈り取られようとしているのだ。

 あまりにも凄惨な刑罰だ! ここで彼女は抵抗の意志を示すことにした。今の格好ではイモムシだろうが何だろうが叶わないが、言葉だけでの反撃を試みることにしたようだ。

 全身を拘束されていたカスミは動かせる口だけを使って頼み込む。

 しかし、風紀委員にそんな事情など関係ない。バリカンをカスミの頭に当てがうと、念入りに動かした。バリカンの振動が、カスミの頭を小刻みに震わせる。

 その感触に背筋が寒くなったカスミは何とか避けようとするものの、無駄な足掻きにしかならなかった。

 ついには髪の毛がバリカンに押しつけられ、髪の毛が無惨な姿になってカスミの頭から離れた。そして、髪の毛以外の物もからころと床に転がっていく。

 その光景にカスミは呆然とした表情を浮かべていたが、やがて涙が一筋流れた。そんな様子などお構い無しに、風紀委員達はカスミの残った髪の毛をバリカンで刈り取っていく。

 バリカンの動きに合わせ、カスミの頭皮があらわになる。そのまま何回か同じ動作を繰り返した結果、カスミの頭は坊主頭になってしまったのだった。

 

「カスミちゃん、やっぱり髪の毛の中になにか隠してたんだね」

「う、ううう……」

 

 床に落ちた髪の毛の山から、明らかに髪の毛とは異なるものが何個か見つかった。超小型の爆弾と起爆装置だ。恐らく、これ一つで牢を丸ごと吹き飛ばせるだろう。

 だが、そんなものは今のカスミには何の役にも立たない。

 彼女は今、丸裸にされたも同然なのだから。風紀委員の一人がカスミに鏡を見せる。そこには、頭を丸刈りにされた自分が映っていた。

 その惨めな姿に、彼女の目から涙が溢れる。そんな様子を気にも留めず風紀委員はゴミを片付けると、カスミを拘束台から降ろした。

 その間彼女はずっと泣いていたが、誰も気にする者はいなかった。

 

 

「何ですって? カスミの髪の毛をバリカンで剃り上げた?」

「はい、私が確認したときにはすでに……」

 

 ヒナは執務室でアコから報告を受けた時、思わず絶句した。あの温泉開発部の部長である鬼怒川カスミが頭を丸刈りにされたというのだ。

 ──それも、バリカンで……。

 ヒナはこめかみを押さえながらアコに指示を出す。

 まずはカスミの身柄を確保し、必要なら速やかに治療を受けさせるべきではないだろうか。と言うのもキヴォトスにおいて、バリカンを使うことはあまりない。

 使い慣れていない人間が使用した場合、髪の毛だけではなく頭皮を剃り上げてしまう恐れがあるのだ。

 そうなった場合の対処法はただ一つ。速やかに止血を行い傷口に軟膏を塗布し、包帯を巻きつけ安静にすることだ。

 ──救急医学部の短縮は……。

 執務机にある電話の短縮ダイヤルボタンに手を伸ばしかけたヒナだった。しかし、そこで彼女は思いとどまる。執務室の扉がノックされたからだ。

 アコが入室を促すと、入ってきたのはイオリとチナツだった。どことなく、笑いをこらえている様子であった。

 

「い、いいんちょ、アコちゃん。か、カスミの頭の話聞いた?」

「ええ。風紀委員の報告でね。……ところで、そんなにおかしなこと?」

「ちょ、ちょっと面白かったからさ!」

 

 イオリの言葉を聞いて、ヒナは天を仰いでしまった。まさかそんな結末になろうとは、ヒナも思いもよらなかったのだ。

 アコはその様子を気にすることなく、話を続けた。どうやらイオリはその話を聞いてからというもの、ずっと笑いを堪えていたようだ。

 温泉開発部部長がバリカンで頭を丸刈りにされたという情報は既にゲヘナ学園全体に広まっており、多くの生徒たちの間で話題となっているらしい。

 髪の毛が丸坊主になったとしても、髪の毛を丸焦げにした時と同様にキヴォトスの人間なら二週間もすれば元通りに戻るだろう、とは丸刈り後にカスミを診察したチナツが出した結論だ。

 つまり逆を言えば温泉開発部は当面の間、活動規模を縮小せざるを得ない、ということだ。ひどい話ではあるかもしれないが、髪の毛一つで抑えられるなら安いものだろう。

 しかし、ここまで過激な校則違反に対する制裁行為があったのだろうか。とヒナは考えざるを得なかった。

 今回の処罰について、出所は紅一らしい。大人の彼らしい発想ではあるが、これはもはや体罰の一種ではないだろうか……。

 ヒナは額を抑えるしかなかった。

 

 

 所変わって乾と紅一の私室。

 最初は乾専用の仮独房だったのだが、紅一が来てから2人部屋に改装された。それでも広い事には変わりなく、二人がそこでくつろいでいた。

 乾は新聞を読んでおり、紅一はソファで愛用のサングラスのレンズを磨いていた。新聞では温泉開発部の顛末が書いてある。さすがに特機隊のことは伏せているものの、紙面の上部から下まで事件の内容が書かれていた。

 彼がこうしてサングラスを磨くのは、決まって何か考え事をしている時だ。そしてそれは大体が何かあった時だ。乾は新聞を折り畳むとテーブルに置きながら紅一に話しかけた。

 

「先輩、何か気になることでもありましたか?」

「……ああ。こうもあっさりと俺たちの居場所が出来ちまったことが、どうも気になってな」

 

 レンズを磨く手を止めた紅一が、乾にそう答えた。

 確かにそうだ、と乾は思った。新参者を中心に組織が編成されるとなると、それまでに何かしらの問題を抱えている可能性がある。

 そうなると、こうして紅一が疑念に抱くのも無理はない。武闘派路線一辺倒の治安維持組織なぞ、早々できる筈がないのだ。

 それこそ過去に同種の組織を編成した素地がいる。乾は立ち上がると、食器棚からマグカップを取り出した。

 ドーベルマンをデフォルメしたデザインのキャラクターがプリントされた、どこか乾に似てはいても、彼らしからぬマグカップだ。

 誰かにもらったのだろうか、などと考えながら、紅一は乾の様子を見た。彼は湯呑みを取り出すと、今度は冷蔵庫から液体の入った容器を取り出した。

 その中身は紅一も知っていた。水出しの麦茶だ。冷房が効いているとはいえ、夏場は水分補給に最適でありがたい。

 マグカップと湯呑みに麦茶を注ぎ、彼は紅一の向かいに腰掛けた。一口飲んで喉を潤すと紅一に話しかけた。

 

「確かに、俺たちがこうも暴れ回れると言うのも……」

「だろう? 俺は気になって、過去の学校史を読んでみた。何か前例があるんじゃないかとな」

「そうしたら?」

 

 紅一は麦茶を飲み干すと、空になった湯呑みをテーブルに置いた。乾がおかわりを注ぐ。湯呑みの中身が一杯になった所で紅一が取り、ぐいと一呷り。

 そのタイミングを見計らって乾が訊ねた。紅一は二杯目をぐっと飲み、一息吐くと続きを話し出した。

 

「いくつか話があったが、その中で一番有力そうなものがあった」

「いつの話です?」

「それがな。……今から40年近く前だ」

「…………」

 

 乾は言葉を失った。40年近くも前の事柄が今に関わっていると言うのも、中々ないものだ。しかし、紅一がここまで言うのだから真実なのだろう。

 乾は麦茶を飲み干すと、自ら麦茶をマグカップに注ぎ、喉を潤した。40年近く前となると、今とはだいぶ違うはずだ。乾いた喉を麦茶で潤した彼は紅一に訊ねた。一体どんな事件が起こったのか、と。

 だが紅一は首を横に振るのみだった。どうやらそれだけ大ごとだったようだ。乾は頭をフル回転させると、その事件の内容について思い出そうとする。しかし、なかなか思い出せない。

 その時、ふと思い出したことがあった。確か40年近く前となると、あの時に近い。

 ──まさか。

 乾の脳裏に稲妻が走った。特機隊が武装蜂起した時と非常に近い時期だ。そんなはずはない。自分の思い込みだ……。

 その時、乾の頭の中で何かがカチリとハマったような気がした。誰が関わっている事を。

 

「先輩が今おっしゃった話……もしかして」

「どうした?」

 

 紅一は身を乗り出した。その目は真剣そのものだ。乾もそれにつられて身を乗り出す。

 

「はい。2.26は覚えていますよね?」

「当たり前だ! ありゃ俺たちにとって忘れようがない……まさか?!」

「そのまさかです。俺たち二人以外にも、特機隊員はいたんです! 40年近く前に!」

「そんな馬鹿な?! いやしかし、俺が調べた話にも当てはまる……か」

 

 ──2.26。

 その日付は、特機隊や警察官僚にとって忘れることのできない日。首都警特機隊が武装蜂起し、警視庁を強襲し占拠。

 後に鎮圧されたが、自衛隊の治安出動を余儀なくされた大事件。その最中、都々目紅一や鷲尾翠、鳥部蒼一郎と言った前衛隊員の他に一名、行方をくらました者がいた。

 乾はその人物の名を挙げた。

 

「俺が思うに、半田副長しかいません」

「乾……。もしかしたらお前、探偵業でも食っていけるんじゃないか? 副長なら間違いなく、やりかねん」

「でも、どうして?」

 

 ──半田元。

 首都警特機隊の副長である。彼らしき人物が、ゲヘナ学園特機隊を組織した痕跡を紅一は発見したのだ。

 しかし、紅一が調べた限りでは名前までは分からなかった。だが、乾の発言で全てが繋がった。

 熊親父の右腕だった彼ならやりかねない……そう思わせるには十分だった。

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