箱舟に迷い込んだ犬   作:B=s

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箱舟に迷い込んだ犬-22

 カスミを再逮捕し、丸刈りにしてから数日が流れた。

 蜃気楼に揺らめく街並み。セミの鳴く声。時折起こる銃声と爆発音。そんな中、人々は溶けかかったアスファルトに己が足跡を刻印しつつ歩いていた。

 ──酷く、暑い。

 その暑さに、誰もが顔をしかめていた。雲ひとつない空のせいだろうか。とにかく照りつける日差しと熱が容赦なく生徒たちの体力を奪っていく。

 そんな中、今この場で一際目立つ格好をした人影が歩いている。グレーの半袖ワイシャツとスラックスに身を包んだ大男だ。男のそばには対照的といってもいいほど小さな少女がいる。男も少女もこの暑さには辟易しているようで、揃って汗を流していた。

 男はあたりを警戒するように見回し、時には懐から写真を取り出し、それと睨めっこしている。その一方で、少女は信号機の変化を待っていた。

 濁った紅色から澄んだ青色へ。暑さは変わらず、人々は歩き出す。男も少女もゆっくりと歩きだした。二人の道先には、所々に霧が見えた。

 気化潜熱作用で冷却する、大型冷風扇の稼働によるものだ。冷風扇のそばに併設された気温計には、37°Cと表示されていた。

 この炎天下では誰も彼もがコンビニや冷房のある建物へ、さながら餌箱に群がる子猫のように、吸い込まれていく。二人は尚も歩くと周囲の道行く人の数が減り、やがて一つの建物が見えた。ゲヘナ学園だ。

 校門には二人の生徒が見えた。一人は赤い腕章を付けた風紀委員だ。もう一人はワイシャツとスラックスに身を包んだ男だ。

 

「お疲れ様、委員長」

「ただいまイオリ、紅一」

「少し出ただけでこれか。暑さにやられなきゃいいが」

 

 紅一が手にしたハンカチで顔の汗を拭う。

 いつもなら顔を見るだけで暑さが伝わってきそうなものだが、今回ばかりは彼も汗を流していた。イオリもハンカチで顔を扇ぎながら、紅一に同意する。

 しかしそんな二人とは対照的に、委員長と呼ばれた少女──空崎ヒナはさほど暑くなさ気な表情だ。

 それもそのはず。実は彼女、制服の下に強力な保冷材を仕込んでおり、暑さ対策を万全にしていたのだ。そのおかげで、彼女はさほど汗をかいていなかった。

 この暑さは、先月行ったアビドス砂漠の暑さとは違う。少なくとも、気温は40℃近くある。暑さ対策こそしているものの、それでもきつい。

 

「先輩、今日は巡回の予定はないはずですが」

「ん? ああ、違う。新入り連中を待っているんだ」

「……まさか、行進訓練ですか?」

 

 もちろんだとも、と答える紅一に、ヒナとイオリは目頭を押さえた。カスミの一件といい、この大人はやることなすことが過激すぎやしないだろうかと。

 もう少し大人しくするとかできないものか。二人はそう思ったが口には出さなかった。

 しばらくすると、生徒の集団が談笑しながらやって来た。奇妙なことに、全員の足並みに乱れが無い。制服を着ていれば間違いなくきれいなものになるだろう。

 先頭の生徒が紅一たちの姿を認めると、彼女たちの様子が一変した。

 先頭の生徒は後ろに向いて指笛を吹き、その音に合わせて生徒たちが隊列を組み上げたのだ。横3列に並んだ生徒たちが、歩調を合わせて進む。そのさまは、さながら軍隊の行進のようだ。

 その生徒たちの先頭には、一人の少女がいた。彼女はヒナたちの前で止まると敬礼をした。

 

「総長、第四小隊全員帰投しました!」

「ご苦労様、楽に休んでちょうだい」

「はっ!」

 

 ヒナと紅一が答礼し、生徒たちがその場で「楽に休め」の姿勢を取った。やはりその動きには一切の乱れはない。イオリは彼女たちを見て、一般の風紀委員とは異なると内心に抱いた。

 彼女たちは風紀委員ではない、もはや別の何かだ。イオリはそう確信した。紅一が生徒たちを見ながら、声を上げる。

 ──散策中、気になったことがあるならば報告せよ。期日は本日より3日間とする。

 

「今日の訓練はここまで。解散!」

「分かれます!」

 

 紅一のかけた号令とともに、生徒がバラバラに散る。敬礼もさることながら、基礎的な動作のキレも相当だった。ヒナは紅一に訊ねる。

 彼にしてみれば当たり前の光景なのかもしれないが、ヒナにとっては新鮮だ。というのも、一般的な風紀委員会ではここまで厳格ではないからだ。むしろここまで規律が取れている方が稀かもしれない。

 

「確か第四小隊は、編成が終わったばかりの新入りよね?」

「ああ。SRT特殊学園からの奴が多い。古巣の影響なのかもしれないが、あいつらは磨けば光る」

「最近、SRTやヴァルキューレからの転入生が増えてきてるのよね。なぜかしら?」

 

 ヴァルキューレ──ヴァルキューレ警察学校は、キヴォトス全域を担う警察組織だ。各自治区の治安維持組織とは異なる形で人員を配している。

 ヴァルキューレの根拠地はD.U.地区であり、連邦生徒会は防衛室の下部組織とも呼べる。昨今は予算削減の憂き目に遭い、更にSRT特殊学園からの転入生への受入準備と多忙らしい。

 ではなぜゲヘナ学園を選んだかと言われれば、ネットで見た乾と思われる人物が、不良生徒たちを追い詰める動画を見た事だったり、たまたま休学中にゲヘナ自治区を観光していた際、不良に絡まれた所を助け出された事などが考えられるだろう。

 ともかく、彼女ら──特に元SRT生だ──はゲヘナ学園の風紀委員として新天地での奮闘を誓っていた。

 ヒナの発言に紅一は思うところがあるのか、顎に手を当てる仕草をした。

 

「まあ、編成が早期に終わったのが幸いだな。経験者ならやりやすい」

「それはそうだけど……。疑問に思わないの? 今までは考えられない事なのよ?」

「そうかもしれないが、結果として良い人材が多く入ってきたんだ。文句は無いな」

「……それもそうね」

 

 ヒナは納得したのか、それ以上追及しなかった。乾がここで、咳払いを一つした。この暑さではいずれ倒れかねない。急ぎで話を切り上げたいのだろう。

 イオリも賛成のようで、一同は屋内へと移動を始めた。

 

 

「動いてないのに暑いよ……」

「すっかり口癖だね、ホシノ先輩」

「こう、やっぱりね? 我慢してても良い事ないしさぁ……」

「そうかな……」

 

 ゲヘナ自治区の通りを歩く生徒が二人。

 小鳥遊ホシノと砂狼シロコだ。彼女たちは許可を得て、ゲヘナ学園を訪れていた。彼女たちが訪れた理由は、弁済金の受取──特機隊絡みで土地の利用料の確認と今後の打ち合わせである。

 過去の騒動から教訓を得た二人は、こう言った打ち合わせは綿密に行うものだと言う事をよく理解していた。そんな二人は、キヴォトスの中でも大規模な学生街を通り、風紀委員会本部を目指していた。

 大人の真似事と批判する者もいないし、加えてこれは正当な取引である。連邦生徒会とてノーとは言わせないだけの根拠をちゃんと準備しているのだから。

 二人が歩き続けると、道路を走る戦車が見えてきた。

 見れば、風紀委員の生徒たちが戦車──厳密に言えば、装甲車だが──に搭乗し、巡回している様子が見れた。不良生徒はいるが、大体が何かにおびえた様子であった。

 シロコには、おびえた様子の不良生徒が一体何におびえているのかが分からないので、首をかしげていた。なぜ風紀委員が戦車に搭乗し巡回しているのだろうかと疑問に思いつつも、二人は歩みを進める。

 そういえばと、ホシノが口を開いた。

 

「あの戦車の名前、なんだっけ?」

「そうか、ホシノ先輩は知らないんだったね……」

 

 シロコはホシノの問いに答えるように、スマートフォンの画面を見せた。ホシノが見れば、その車両の名前が書いてある。その名前と一緒に表示されていた画像を見てピン、と来たようだ。

 

「ああ、これってカタカタヘルメット団が使っていたのかー」

「そう。でも、ここで見るって事は横流しとかがあったのかもしれない」

「シロコちゃんは物知りだねえ。おじさん、あんま興味がなくてさあ」

 

 うへ、と例の口癖をホシノは言いながら、視線を車両に向けた。

 シロコが語るには、もしもゲヘナ自治区で銀行強盗をするなら何が出てくるかと考え、調べた結果の代物らしい。そんな彼女にホシノは言う。

 

「シロコちゃん、あまりそう言う話はしちゃだめだよー? アヤネちゃんやセリカちゃんはおじさんほど冗談が分からないしー」

「ん、それは分かってる」

「後、先生や他の学校の子とかもね? 特にこれから行く場所は、おっかなーい人たちがいるって話だし」

 

 そんな事を話していると、目の前に風紀委員会本部が見えてきた。守衛役の風紀委員が身分証の提示を求めた。

 許可証を提示して風紀委員会本部の門をくぐると、ホシノとシロコは風紀委員に案内され、風紀委員会本部の奥へと進んでいった。

 通されたのは、応接室だ。ホシノは机を挟んで応接室のソファに身を沈めていた。一方、シロコは椅子に座るホシノの横で直立している。そんな二人と向かい合う形で座っているのは、ヒナと紅一だった。

 ヒナが口を開く。

 

「アビドスから遠路はるばるご苦労様。それで、今月分の弁済金についてだったわね」

「ありがとねえ。そうそう、それだけどもさ……シロコちゃん?」

「うん。これがその資料」

 

 ホシノはシロコから書類を受け取り、ヒナに手渡した。

 その資料をヒナが確認し終えると、紅一が口を開いた。紅一はヒナから資料を受け取り、一通り目を通した。百万単位と少々おかしいような気もするが、元はその単位の額を捻出しては支払っていたと言うから驚きだ。

 紅一はただただ、その額に慄いていた。

 ──たった五人で、月800万円稼ぐとは……。

 800万ともなれば、日本の成人男性──特に国家公務員の年収とも呼べる額だ。それを複数人とは言え、一月で稼ぎ出すのがどれだけ異常なことなのか、紅一には一目瞭然だった。

 

「……では、この金額で今月の弁済を行う事でいいかしら?」

「うむうむ。お互い満足いくところで終わって何よりだよ」

「話は変わるけど、ホシノはゲヘナに来るのは初めて?」

「そういえば、そうだねえ。おじさんはゲヘナの人間じゃないから、こういうのを知ろうにも伝手がなくてねえ」

「それには同意だ。それで、小鳥遊。お前、ゲヘナで何をするつもりだ?」

 

 紅一の問いに、ホシノはソファの後ろに手を置くとシロコに目配せする。その行動で意図を察したのか、シロコも頷いた。先ほどのやり取りといい、この二人はもしかして……。

 紅一がそんな疑問を抱き、それを言葉にしようとした時だ。ヒナが紅一に対して、一言。

 

「紅一、今からエビでも食べてきたらどうかしら?」

「エビって……」

「おお、ゲヘナじゃエビが食べれるのかー! 意外―!」

「ん……エビはあまり食べたことがない」

 

 紅一はともかく、アビドスの二人は乗り気だった。ヒナはうなずきつつ、話を進める。ちょうど昼時でもあったので、例の中華料理店で昼食を食べながら親睦を深めようという流れになった。

 ヒナとホシノは、執務室から出て本部の廊下を歩いていた。続いてシロコと紅一が、荷物を手に廊下を歩く。行き先は駐車場だ。

 

「これ、どこへ向かってるの?」

「……駐車場だな。俺が運転する」

「免許、持っていたんだ」

「まあな」

 

 シロコと紅一のやり取りは端的で、短いものだった。だがしかし、それで十分だし、それ以上を求める気にもなれなかった。ホシノとヒナは無言で紅一の横を歩く。

 やがて、駐車場にたどり着いた。そこには十数台の黒いワゴン車があった。どの車にも、ゲヘナ学園の校章が描かれている。四人が駐車場の中を進むと、一台だけ違う車が停まっていた。

 大型のセダンだ。ボディカラーはブラック。スモークガラスに、大径ホイール、4本出しのマフラーとスポーティな印象を持ちながらも、どこか上品な車だ。

 ただ、ホシノは車を見てうへ、と例の口癖をぼやいた。

 紅一がその車に近づく。ホシノとシロコも後に続いた。ヒナが車を見ながら申し訳なさげにつぶやく。

 

「本当は、もっといい車を用意したかったのだけど」

「いーや、十分だよー」

「……そう?」

「うん。それにしても随分おしゃれな車だねえ」

「まあ、風紀委員長専用の公用車とでも言えば分かりやすいか?」

 

 紅一はそれだけ言うと、車に乗車した。エンジンがかけられ、車内のモニターに電源が入る。地図の画面が表示され、紅一は慣れた手つきでハンドルを握り、レバーを動かした。

 見た目に違わぬスムーズな運転だ。アビドスの生徒たちとゲヘナの生徒を運ぶ一台のセダンが、風紀委員本部から発車していく。

 その車内で、ヒナが口を開いた。

 

「紅一。途中で乾を拾える?」

「ああ」

「きゃっほほっほほーい! まるで連邦生徒会のおえらいさんになったみたい!」

「ん。ノノミやセリカがいなくてよかった」

「ありゃ。まあノノミちゃんなら何かいいそうだね」

 

 本心なのか定かではないが、ホシノは喜んでいるようだった。その後、乾と合流した一行は中華料理店へと向かった。

 ヒナが車を出させたのは、他校からの客人を騒動に巻き込ませたくなかったのと、酷暑なのに歩かせるのは忍びなかったのと、あと単純に知り合いが運転する車に乗りたかったからだ。

 店は乾も行ったことのある、ゲヘナ自治区でも有数の中華料理店だった。店内は冷房が効いており、外との温度差でホシノが身震いをした。

 紅一が店員を呼び、人数を伝える。予約はないが、些末な問題でもあった。何しろこの店は会員制であり、乾たちも会員になっている。

 店内の奥まった席へと案内され、一行が座った。ヒナとホシノは対面する形で座り、乾と紅一はヒナの隣に腰を落ち着ける。

 メニューを紅一から見せてもらいながら、雑談を交えつつ注文。この店の大人気メニューはエビ料理であり、紅一はエビチリを、シロコはエビチャーハンを注文した。

 その横で、ホシノはメニューを見ながらうへ……と声を漏らしている。

 ヒナがそんなホシノを見て言う。

 ゲヘナ自治区の料理店は、ゲヘナ学園の生徒に言わせれば爆破されてない店なら間違いなくうまい、と言う評価だ。

 これには理由があり、美食研究会が絡んでいる。例によって、美食にそぐわないと判断した店舗は爆破されてしまう。単にそれだけならば、美食研究会が悪党になる。

 だが、問題は爆破された店舗側のその後だ。調査が入ると必ず何かしらの違法行為が発覚するのだ。例えば、食品の産地偽装なぞは当たり前で、犯罪組織の資金源だったとか、密輸の隠れ蓑にしていたとか、そういったものだ。

 その調査は風紀委員会が行っている。つまり、風紀委員の業務がまた増えるのだ。

 ヒナはそんな風紀委員のトップだ。なので食品にも必然的に詳しくなるし、料理もするので舌も肥えている。そのヒナが太鼓判を押すのだから、この店は間違いなく美味しいのだろう。

 やがて料理が運ばれてくると、紅一が手を合わせた。他の面々もそれに倣い、食事を始めた。

 

 

 数十分後、ひと通り料理を平らげた一行は、デザートの杏仁豆腐を食べながら雑談をしていた。

 話題はやはりというか、お互いの近況だった。途中で紅一と乾はタバコを吸うと言い残して出ていった。見え見えの嘘であることはわかりきっていたが、残された誰もがそれに甘んじた。子供たちの話に大人は不要、とまでは言わないが、会議などではない場面では必要のない事だ。

 それが大人になってしまった特権でもある。全員の食器が片づけられ、食後のドリンクが運ばれてくる。ふとホシノが口を開いた。

 

「……あの二人ってさ、なんというか、不思議だね」

「何のこと?」

 ホシノの言葉に首をかしげるヒナ。ホシノは言葉を続ける。

「だってさ、あの二人は年上の大人だよ? にもかかわらず、風紀委員長ちゃんに敬語を使ってない。まあ風紀委員長ちゃんもだけどさ」

「そうね」

「でもさ、あの二人の雰囲気って、なんかこう……対等な感じがするんだよねー。それにさ」

 

 ホシノはそこで言葉を止める。ヒナが視線で続きを促す。

 

「何ていうかな、犬みたい」

「……犬?」

 

 ヒナは怪訝そうな表情を浮かべる。

 ホシノはあははと笑うと、ドリンクを飲み始めた。あんまりなホシノの表現だが、ヒナは内心納得してしまった。確かにあの二人はどこか犬っぽい。

 元警察官なのもあるからだろうか? そんな事を考えていた矢先、シロコがある事に気づいた。

 

「……お会計、もう終わってる」

「…………」

 

 シロコの言葉を聞いて、ヒナは静かにため息をついた。

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