箱舟に迷い込んだ犬   作:B=s

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箱舟に迷い込んだ犬-23

 

 一足先に店を後にした乾と紅一は、キヴォトスの夜空を眺めていた。

 バレバレなのかもしれないが、方便が必要だった。あのような場に大人は必要ない。同年代の子供たちが、年頃らしい事をして欲しいと願うだけだ。もし間違えたのなら、大人が諭して、叱って、導いてやればよい。正義感のある元警官としては、それはゆるぎない事であった。

 乾が気を利かせて、缶コーヒーを買ってきた。自販機を見ても、酒どころかタバコすらない。良い事ではある。

 飲酒運転や歩きタバコもない、極めて模範的な都市。ただ、紅一にとっては残念な点でもあった。缶コーヒーを一気に飲み干し、ふう、と息を吐く。コーヒーの残り香が、ほろ苦さを思いださせた。

 

「なあ乾、俺たちはなんで……ここへ来たんだろうな」

「さあ? 時代も違いますし、深くは考えたくないです」

「それもそうだな。今は生きていて、飯を食えて寝るとこもあるってのに感謝しようか」

 

 乾と紅一は並んで、空を見上げる。陽が西の地平線に沈もうとしている頃合いだ。あと少しすれば月明りが街を照らすだろう。それは空から見ても綺麗だと感じる筈だと、乾は思う。

 そのままぼうっとしていること十数分、店の入口からヒナたちが歩いて出てきた。ホシノを除けば物静かな面子なので、会話は弾まなかったようだった。

 紅一が車を取りに行き、全員を乗せると、車は走り出した。行きと同じく車の運転は紅一が担当している。車内では、他愛もない雑談が繰り広げられた。

 

「いやね。何と言うか風紀委員長ちゃんはおカターい印象があったんだ」

「そう? 私だって面倒が嫌なだけで、いつも肩ひじ張ってる訳じゃない」

「……その割には、肩を休めてる瞬間がないようだけど」

 

 シロコの指摘に、ヒナはふっと笑った。

 

「……そうね。確かに最近忙しくて肩が凝ってる」

「ホシノ先輩ぐらい寝ていないの?」

「ちょ、ちょっとシロコちゃーん?!」

 

 シロコの追及にホシノが慌て、ヒナは苦笑いする。

 確かにヒナの自由時間は5時間ほどだ。以前よりは時間が増えたが、それでも超過重業務である事には変わりない。

 会話は終始、他愛もない事ばかりだった。子供たちによる、特に意味のない会話が車内に響いている。だが、それこそが青春や友情に何よりも大切なものだ。

 紅一も乾も、その点において共通の見解を持っていた。出来ることなら、子供が徹夜なんて言う事態は避けたいし、あってはならないとも思っている。しかし10代後半の少年少女たちと言うのは、往々にして無理をしてしまうものだ。

 だから大人である紅一と乾は、生徒たちがそういう無茶を始めたらそれとなくフォローを入れる事にしていた。やがて車は高速鉄道駅へとつき、駅前ロータリーに停車した。アビドス自治区行の電車は、乗り逃すと後が大変だ。

 車から全員が降りると、ホシノがぐぐっと背伸びをする。夕方だと言うのに、妙に蒸し暑い日だ。空模様を見て紅一はそんな感想を抱く。

 明日は雨が降るかもしれない。

 

「それじゃあ、また今度ね」

「ええ。お願いね」

「ん。今度は遊びに来る」

 

 少女たちはにこやかに別れのあいさつを交わす。姿が見えなくなるまで二人を見送ると、ヒナは一息ついた。

 元来面倒くさがりな彼女は、今回の件に乗り気ではなかった。しかしアコが引き起こした事案に対する弁済ではあるので、こればかりはどうしようもない部分があった。ただ、最近は付き合いの種別が、仕事のものではない部分も出てきているのが実情だろうか。ヒナは紅一の方へと目を向けた。

 視線に気づいた紅一が、そちらを向く。視線が合うとヒナは手を上げて一言。

 

「紅一。ありがとう」

「……何のことだ?」

「とぼけないで。キヴォトスは全面禁煙なの」

「そいつは知らなんだ」

 

 紅一はそううそぶきながら肩をすくめた。それを見たヒナはため息をつくと、車に乗り込んだ。紅一も運転席へと乗り込みシートベルトを付ける。

 ゆっくりと車は発進し、駅前ロータリーを離れた。

 帰りの車内では特に会話はなかった。やがて車は風紀委員会本部へ到着する。駐車場に車を停めると、乾が先に降りて後部席のドアを開けた。さながらVIPの扱いではあるが、実際ヒナは風紀委員長の役職にあるため、何らおかしいことはない。

 一行が執務室の近くまで来たところで、アコは出迎えてくれた。ぜえはあと喘いでいることから、急いできたようだ。

 

「ひ、ヒナ委員長、おかえりなさい!」

「アコ、そんなに急いでどうしたの」

「いえ、急なお帰りでしたので……」

「……何か、悪いことでもあった?」

「そんな!」

 

 ヒナがじとっとした目つきでアコを睨むと、彼女は慌てて否定する。何しろアコは過去に部隊を無断で動かした前科があるため、ヒナとしては疑う要素が多かった。

 執務室に入っても本当に何もない辺り、問題は無いようだった。乾もここで一息ついたのか、自分の机に収まった。紅一も席に着こうとしたのだが、支給されたスマートフォンに新着メッセージが来た事に気づき、立ち止まった。

 

「すまん、急用が入った! 乾、ここは任せるぞ!」

「了解、お気をつけて」

「おう!」

 

 そのまま駆けだした紅一を、アコが目を白黒させながら見送る。

 すわ何事かと訝しんだアコだが、乾は気にした様子もなく仕事に手を付けた。ヒナもまた、書類に手を付けていた。どうやら気にも留めていない様子だ。事実、紅一が席を外すことはよくあるし、そのほとんどが必要な事でもあったので、咎める理由もないと言った具合だ。

 紅一が飛び出してからしばらくして、月が天頂に鎮座する頃。書類に決裁や承認のハンコを押すヒナが、ある書類で手を止めた。

 

「アコ。この書類はいつから来てる?」

「ええと……今朝来たばかりですね」

「やり直し。今日は遅いから、明日中に書き直させて」

 

 書類に不備があったのか、ヒナはそう吐き捨てつつ別の書類にハンコを押した。

 自分がいない時の業務が相変わらずダメなのはどうしてか。ヒナに自分自身への不満が湧いてきた。ふとヒナは、書類にハンコを押す手を止めて窓の外へと視線を移した。外では月明りに照らされた市街地が見える。

 アビドスの二人──特に小鳥遊ホシノは無事に帰れただろうか。そんな考えが浮かんでは消えていった。

 それは疲れのサインだった。アコがそんなヒナに労いの言葉をかける。机の上の書類はほぼ片付いていたが、疲労からくる集中力の低下でミスをするのはよくあった。

 そのことを重々承知していたヒナは、残っていた最後の一枚に判を押すと、もう何度目かもわからないため息をついた。

 ここで乾が、書類から目を離さずに口を開いた。

 

「空崎。今日はそろそろ休め」

「まだ残ってる」

「その答えはこれで十三回目だ。雑務は俺たちに任せて、休め」

「だけど……!」

「明日の午後も、その状態で田中を相手する気か?」

「どこでそれを……?!」

 

 驚いた様子のアコとヒナ。それに対し乾は平然と返す。

 ──スケジュールの把握は当たり前にやるものだ、と。

 ただでさえ多忙極まりないヒナのことだ、睡眠時間を削ってまで仕事をするだろう。それを止めなければ、いくら疲れがあろうとアコに仕事を任せることをする。そうなるとアコもまたハンコを押すだけの人形になってしまう。

 だから乾はあらかじめ予定を入れたのだった。そもそもの話、遊ぶこと以外で子供が夜更かしなぞするものではないのだ。乾は自身のスケジュールに余裕があることぐらいは分かっていたし、紅一のスケジュールもある程度押さえてはいる。だがヒナは多忙だ。書類決裁をそつなくこなす彼女に休息の時間はあまりない。だから、スケジュールの中に定期的に仕事から離さねばならない時間があるのだ。

 乾の言葉にしぶしぶうなずくと、ヒナは席を立った。

 ──本当は、田中も休むべきだろうが……。

 乾は書類を片付けながら、そう考えた。

 長時間の業務は集中力を奪い、能率を落とす。さらには精神的な負荷がかかりすぎてしまう。何事にも適度な休息が必要であり、それは大人も子供も変わりはない。もちろん疲労がたまりすぎると能率が下がるだけでなく、身体に支障をきたす。

 乾は献身的過ぎる田中の身を案じた。

 

 

 時同じくして、ゲヘナ自治区の路地裏。紅一はある人物と会っていた。黒いパーカーにミニスカート。銀と黒のツートンカラーの髪に、赤い瞳。

 便利屋68のカヨコだった。彼女は新しい情報を手に、紅一との会合を望んでいたのだ。

 

「それで、何を得られたんだ?」

「このファイルを見れば。裏も十分取ってある」

「ふむ?」

 

 手渡されたファイルには、万魔殿のものと思われる情報が記載されていた。カヨコは紅一の依頼での一環として、部下のハルカともども万魔殿に度々潜入していた。その過程で得た情報らしい。

 紅一はファイルに目を通しながら、万魔殿が何を企んでいるのかを推測した。先の情報で、不明な資金の流れがあったは分かっていたが、どうやらそれは万魔殿の外へと流れ込んでいるようだ。おそらくはそれらの資金をゲヘナの各所にばら撒いて影響力を増していると言った所だろうか? 

 だがそれだけではない。紅一はカヨコが持ってきた情報に、気になる点を見つけた。

 

「おい、この飛行船……少し変じゃないか?」

「ええ。私も、その飛行船の事は気になった。そこで調べてみたんだけど……」

 

 紅一は、飛行船の資料を見た。一見すると何の変哲もない飛行船だが、カヨコたちの調査によれば規模に対して異様に安い。加えて管理業者の所在地はトリニティ自治区の端だ。

 これは怪しい。

 紅一は直感した。確証はないが、おそらく万魔殿はトリニティとの条約を御破談にする気だ。

 しかし何故? 疑問が晴れない。唸る彼の前に、更にもう一つのフォルダが差し出された。カヨコが渡してきたものだ。そのフォルダにもまた、万魔殿の事が記載されていた。

 より詳しい情報がそこにはあった。

 

「おいおい、こりゃ……」

「そう。怪しいと思って調べたらぼろが出た」

「まさかペーパーカンパニーとはな」

 

 ペーパーカンパニー。

 それは、法人の所在地が架空で実態のない会社である。便利屋68は架空の会社が飛行船の整備を請け負っている事実を掴んでいた。その会社がペーパーカンパニーであるという事実は、法的な意味合いでの黒であり、万魔殿にとってかなり不利な立場に置かれる事を示している。

 しかしなぜそんな事を? 紅一が首を傾げていると、カヨコが続ける。

 

「万魔殿が何を狙っているのか、それ自体は見当もつかない。だけどこの会社と万魔殿のつながりだけは間違いなく掴んでいる」

「よくやったな。うちの情報班でもここまで調べられるとは正直思わんかったぞ」

「正直な話、私はここで手を引きたい。報酬の減額も構わない」

「いや、よくやってくれた。これ以上は危険すぎる」

 

 お前たちにも生活があるだろう、と紅一はスポーツバッグを放り投げた。アタッシュケースでもよかったのだが、足が付くことを考えての処置だった。カヨコのような服装の少女がアタッシュケースを持つには目立ちすぎる。

 カヨコはそれなりの額の札束が詰め込んであるそれを受け取ると、小さくうなずいた。情報の収集は出来たが、万魔殿に真正面から突っ込んでいくほどの戦力はない。もしも行くのなら、何らかの手段を用いて潜入し、証拠を摑む必要がある。

 当然、そんなことをさせるには危険すぎるし、彼女らが知れば反対することだろう。カヨコが持ってきた情報は、紅一にとって大きな収穫だったし、何より彼女らにこれ以上の危険を冒させるわけにはいかなかった。

 紅一はカヨコと別れると、周囲を警戒しながら足早に去った。

 

 

 翌日の午後、田中はゲヘナ学園前の駅にいた。

 今日はヒナに、鬼怒川カスミの面会をお願いしようと思ったのだ。聞けば、彼女はバリカンで丸刈りにされたと言う。どう言った状況なのかは不明だが、体罰は好ましくはない。事情を訊くためにもゲヘナ学園を訪れた。改札を抜けると、駅前のロータリーにはヒナが待ち構えていた。

 まさか直々に出迎えてくれるとは、田中も驚いた。

 

「先生、待ってたわ」

「やあヒナ。今日は忙しい所をありがとう」

「今日も特訓?」

「いいや。カスミに会えないかなって」

 

 彼女に手短に要件を伝えると、そのまま風紀委員会本部へと案内した。特別牢に拘留されているらしい。ヒナの案内の元、田中はゲヘナ学園内を進む。

 道中、田中はヒナに問いかけた。

 

「ヒナ、なんでカスミが……その……髪を刈られちゃったのかなって」

「その件だけど、私も詳しくは聞いていないのよ。現場の暴走」

「…………」

「私も、髪の毛を丸刈りにするなんてひどいと思うし、再発はしたくない。ただ……」

 

 そこまで言うと、ヒナはため息をついた。首をかしげる田中に、言葉を続ける。

 

「あの一件のおかげで、重大な校則違反が減っているの」

「校則違反が?」

「ええ。以前問題行動を起こした生徒たちもカスミの一件以降、おとなしくなっているの。それがいいことなのか悪いことなのかは判断できないけれど」

「そうか……」

 

 そう田中が言うと、ヒナは黙ってうなずいた。その表情は困った様子だ。廊下をしばらく歩いて、特別牢の入口までやって来た。ヒナは、無言で鉄扉にある機械にキーを差し込んだ。施錠が解除され、重い音を立てながら扉が開かれる。

 その中の一番奥の牢を見て、田中は衝撃を受けた。

 さながら野球少年のように丸坊主なこと以外は、いつものシャツにショートパンツだ。しかしその顔はどこかやつれている。田中の声に反応したカスミが顔を上げた。しかしその瞼は涙で腫れ、眼光には以前のような鋭さは無く、力を失っていた。

 

「せ、先生……」

「やあカスミ、様子を見に来たよ」

「お、お願いだ先生。ここから出してくれないか?」

「……ごめん、今は無理だね。悪いことをして反省しているならまだしも、脱走したんでしょ?」

「そ、そんなぁ……」

 

 声が枯れたカスミの悲痛な叫びが上がる。

 こうして今、ゲヘナ学園では特機隊の活動によって生徒たちの校則違反が大幅に減ったのだ。それどころか素行不良の生徒の中にも反省の色を見せる者も増えた。皆が皆、カスミのように丸坊主にされるのではないかと怖がっている。

 無論、それでも校則違反や犯罪行為を行う連中が完全にいなくなったわけではないが。客観的に見たヒナには、煮え切らない気持ちもあった。大人たちが行った体罰まがいの行為で抑えられたとしても、それによって生じた歪みはいずれ何らかの形で、自分たちに牙を向くのではないかと。

 もっとも、そんなことは目の前の少女にとっては関係のない事だ。ヒナはそっと、内心ため息をついた。

 

「いいかい? 温泉開発をしたいのは分かるけど、ちゃんと周りのことを考えてやらないと、大変なことになるんだ」

「し、しかしだな……!」

「……この前、鉄道の線路を爆破したでしょ? 私もあの一件に巻き込まれたんだ」

「……!!」

「ケガはなかったし、何とかなったんだけど……。カスミは知ってるよね?」

「……す、すまなかったな……先生」

「まぁ、結果的に何とかなったからいいけど……次はないかもだからね? 下手すれば大怪我していたかもしれない」

「……あ、ああ」

「今度やったら、私にも考えがあるからね?」

「……わ、分かった!」

「また来るからね。大人しく反省しているんだよ」

 

 田中はそう言い残し、特別牢を後にした。ヒナがその後に続く。特別牢の入口を閉鎖する前に再度、カスミの方を見やった。

 彼女は絶望したかのように俯いていた。




どうしてみんな、カスミが酷い目に遭うと喜ぶんだ……。
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