それからしばらくして、態度の改善が見られたとの判断からカスミは仮釈放となった。再逮捕から一週間半後の出来事だ。
風紀委員の面々にはカスミがまたやらかすのではないのか、と懸念の声を挙げるものもいたが、カスミがモーターの音を聞く度に突如その場でうずくまり、びくびくと痙攣のような仕草をすると言うので、その心配はなくなった。
かくして温泉開発部の迷惑行為は鳴りを潜め、ゲヘナ学園は平穏を取り戻しつつあった。夏休みも間近、真面目に通っている生徒もそうでない生徒も、長い休暇を前に心を躍らせている。そんなある時であった。
「夏休みねえ。学生の特権だな」
「でも風紀委員は普段とは少ないとは言え、業務もありますから」
「どちらにしろ、夏休みは俺たちに関係のない話だ」
「ええ……」
風紀委員と乾たちは、そんな会話を繰り広げながら、いつも通り街の見回りをしている。
特機隊の教官の傍ら、実地研修も兼ねての見回りが乾の日常だ。軽微な校則違反行為や、風紀委員の行動などを見て、実際に特機の出動に適しているかを判断するのだ。小休憩を挟みつつ見回りをしていると、前方に何やら人だかりが見えた。よく見るとその中心には知り合いの顔がある。
イオリだ。何かあったらしく、しかめっ面をしている。ひとまず周囲を巻き込まないように注意しつつ声をかけることにした。
幸いにも乾に気づいた人たちはすぐに道を開け、場所を開けてくれる。イオリの方も乾の姿を認めるとすぐさま駆け寄ってきた。
「銀鏡、どうしたんだ?」
「乾か。実はこの辺りの料理店に、美食研が調査に来ると聞いたんだ」
「美食研? あの自称部活動の?」
「ああ。どうも連中、冷やし中華の調査をしているみたいなんだ」
「冷やし中華ねえ……」
イオリの話を聞きつつ、乾は周囲を見渡す。確かにこの通りの料理店はどこも、"冷やし中華はじめました"の看板が掲げられている。確かに夏の風物詩ではあるが、ここまでやる必要があるのだろうかと言う疑問があった。イオリはそんな乾の内心を察したのか、 苦笑しながらも説明を始めた。
曰く、美食研は冷やし中華の美味しさに感銘を受け、この地区で一番美味しいとされる店の調査に乗り出したというのだ。それだけなら、誰も警戒はしないし風紀委員が出張って来るような事態ではない。問題はその方法だった。
美食研は、美食にそぐわない店を爆破すると言う悪癖がある。調理のまずさなのか食材のまずさなのかは定かではないが、はっきりしているのは爆破された店舗はその後、問題が明らかになっていることが多い。
「もう昼時か。……俺はここで一杯食べてから帰る。銀鏡はどうする?」
「私も一緒に行こう。みんなは?」
乾は空腹を覚え、近くにあった中華料理店に目を向ける。赤い看板が目を引いた。どうやら店の名前らしい。一行は顔を見合わせた後、その店に入ることにした。
一行は店の中、店内を良く見渡せる席に腰を落ち着け、各々好きなメニューを頼み注文を終える。料理が来るまでの時間は、どうしても暇で、沈黙が流れる。
沈黙を破ったのは風紀委員の一人だった。
「乾さん、その……。乾さんは、どうして警察官に? やっぱり、正義感から?」
「正義感ってだけじゃないが……。そうだな、俺は……」
乾はそこで言葉を切り、少し考えるように顎に手を当てた。そして、「いや、やめておこう」と言って首を振った。
どうして? と別の生徒が聞くが乾はそれに答えず、ただ曖昧に笑うだけだった。あまりいいものではないのかもしれない。そのまま他愛のない話をしていると、やがて注文した料理が届いた。中華鍋から大きな皿に移された餃子やエビチリなどがずらりと並べられていく。
「おっと、来たようだな」
「先に食べてしまいましょう。いただきます!」
皆で手を合わせる。賑やかな食事が始まった。少し騒がしいが、めし時とはそう言うものであろう。
舌鼓を打ったりする中、乾が黙々とエビチリを一口、箸でつまんでは食べつまんでは食べしている。そのスピードは尋常ではなく、あっという間に皿は空になる。そして今度はチャーハンや肉料理に手を出す。どうやら相当にお腹が減っていたらしい。
そんな乾を見かねたのか、イオリが声をかけてきた。
「乾、そんなにがっついて大丈夫か?」
「すまん、腹が減っていてな」
「まあいいんだけどさ……。やっぱ体が大きいと、量も増えるのか?」
イオリは意外そうに言う。乾はそれに苦笑しつつ、 イオリに答えた。しかし、そんな乾の食べっぷりを見てか、別の生徒が声を上げた。
その生徒は風紀委員の一人だ。
「乾さんの高校の頃って、どうでした?」
「ふむ? 高校生の頃か……今より食べる物が少なかったからな」
「と、言うと?」
言葉を続ける風紀委員に、乾は箸を止めた。暫し唸った後、ぽつりぽつりと話し始めた。
「……俺は高校に通うのがやっとでな。いつも金がなく、腹も空かせていた」
「そ、そんな時があったんですか?!」
「あったとも。学費も稼がなきゃならなかったから、アルバイトをしていた」
「へえ……」
「今の君たちよりも少ない額だったが、まあ何とかやっていけた」
「それでもすごいですよ!」
別の風紀委員が感激したように声を上げる。乾はと言えば、そんなことを気にする様子もなく再び食事を始めた。
空になった皿を下げるように頼み、次のメニューを吟味しているようだ。そんな乾の様子を、イオリは物珍しそうに見ていた。
「ふむ。皆、乾の話は聞いた事ないもんな」
「イオリちゃんは?」
「私もない」
イオリはそう言うと、乾の過去に興味を持った。
キヴォトスの外からある日やって来た、先生とは異なる大人の人。その過去が知りたかった。イオリは興味津々といった様子で、乾の方を見た。
一方、乾もその様子を感じ取っていたようで、仕方ないといった様子で自分の過去を語り始めた。
それは決して誇れるようなものではない、と前置きしながら。
高校生の頃の乾は、お金が無かったが友人やガールフレンドがいた。お金がないなりに切磋琢磨していた、ある日のことだ。
当時の日本では経済再編政策の下、大量発生した失業者による犯罪が横行していた。更にその日は運悪く、学生たちの抗議デモも起こっていた。
「あの日は家に帰る予定だった。……その道中に、知り合いの姿を見かけたんだ」
「デモって……レッドウィンターの連中がやってるようなのか?」
「もっと過激だった。投石だけでなく、火炎瓶や鞄に偽装した爆弾を投げてきたんだ」
乾のそんな言葉に風紀委員の面子は絶句する。投石ならともかく、鞄に偽装した爆弾と聞いては言葉も出ない。尚も乾は話を続けた。
「俺はデモをやっている連中を遠巻きに見てたが、知り合いが俺に気づいてな。慌てた様子で、駆け寄ってきた」
「……それで?」
「俺の数メートル手前で、群衆の前に出ようとした奴にぶつかってな……。それが、そいつを最後に見た時だよ」
「まさか……」
息を飲むイオリ。乾は目を瞑り、何かを諦めた表情で言葉を紡ぎ出した。その声色はまるで昔話を暗唱するようであった。
その日の記憶は今でも鮮明に覚えている。
──その直後、轟音と共に吹っ飛ばされた。その後の記憶はない。次に意識を取り戻した時は病院だ。気づけば俺は病室のベッドで横になっていた。
やって来た医者の話によると、特に後遺症もないそうだ。病院を退院した後、訃報を聞いたよ。知り合いが亡くなった。俺が気を失う直前の日付だった。死因は爆殺。
後の調査であの時、デモ隊に紛れ込んだ犯罪者が鞄に偽装した爆弾を機動隊に投げ込もうとしたらしい。それがあいつにぶつかったせいで失敗。群衆の中で爆発し、あいつの他にも何人かを巻き込んでしまった。
──その後、俺は勉強しながら働いた。警察官を志したのも、それがきっかけさ。
そう語る乾に、イオリたちは何も言えず絶句した。想像を絶する人生に言葉が出ないのだ。
その様子を見た乾は苦笑しつつ、言った。
「すまない。飯時にするんじゃなかったな」
「いえ、私たちが聞きたかったことですし……」
「ああ、そうだな」
風紀委員の言葉に乾は頷いて答えた。そして再び食事に戻る。その様子を見た風紀委員の面子も、慌てて食事を再開したのだった。
それからしばらくして、皿の料理が無くなってきた頃。にわかに外が騒がしくなってきたことに気がついた。何事かと外を見ると、何人かの生徒が雑談しながら店に入って来た。人数は……三人だろうか。和気あいあいとした様子だ。
イオリがそれをちらと見て、乾に耳打ちした。
「来たぞ、奴らだ!」
「アレが美食研か?」
「ああ。しかし随分と様子が違うな……?」
乾もそれに頷き返した。先ほどの話からするに、いきなり何かしらの愚行を行っていると思っていたのだ。しかしそれは違ったようだ。
「どうする、銀鏡」
「ひとまずは静観でいいだろう。まだ何もしていない」
三人のうちの一人──銀髪の少女が、店の内装に感嘆の声を上げる。そしてもう一人の少女に声をかけている。
どうやら、この三人組が美食研らしい。
彼女たちは席に着き、メニューに目を通し始めた。銀髪の少女ともう一人、金髪の少女も座った。それからやや遅れて、小柄な赤髪の少女が店に入って来た。どうやらその少女も美食研のメンバーらしい。そして最後に、最後のメンバーと思しき少女が店に入ったところで、銀髪の少女が手を上げた。
その合図で他の三人がメニューから顔を上げる。どうやら注文が決まったようだ。乾はその様子を見て、追加注文を行った。注文もなしにいると言うのは、実に怪しいことだ。乾はそんな三人の様子を見ながら、イオリに話しかけた。
「しかし、本当に普通の客だな?」
「ああ。でも油断はするなよ。奴らのやることはいつも想像を超えてくるからな……」
イオリは乾の言葉に頷きつつ答えた。そして、他の二人にも目配せする。風紀委員たちも油断なく、四人の様子を見ている。
四人のもとへ、店員が料理を運んできた。その料理を前に、歓声が上がる。どうやら料理が到着したようだ。運ばれてきた料理を前に、目を輝かせている。
彼女たちは早速とばかりに食器を手にした。
乾たちが食事を楽しんでいる同時刻、風紀委員会本部では。
「それでアコ、話って?」
「先生、来ていただいたのは他ではありません。ヒナ委員長の事です」
田中とアコが風紀委員会の応接室で対峙していた。
田中は単刀直入にアコへ用件を聞こうとしたところ、当のアコは思い詰めたような顔で話し始めた。その雰囲気に田中もただならぬものを感じ取り、アコの次の言葉を待った。
アコは手にしていたバインダーから数枚の書類を取り出し、テーブルに広げた。
「これがその理由かい? ……ふむ、万魔殿の名前があるね」
「はい、これは今度企画されている、夏季合宿の草案です。アラバ海岸で行うというものになっています」
「……それが何故、ヒナに繋がるのかな?」
アコの言葉に田中は首をかしげた。
「先生もご存知の通り、ヒナ委員長は多忙です。そこで、この演習を利用し、ヒナ委員長にはお休みを取っていただきます」
「しかし、ただのスケジュールでは反対される……なるほど、そこで私の出番か」
「そう言うことです」
アコの説明に、田中は納得したように頷いた。
どうやらアコは以前からヒナの多忙さに頭を悩ませていたようだった。そこで彼女は今回の企画に目を付け、それを利用しようと考えたようである。しかし、それは通常ではありえないことだ。
故に、そうできない理由があれば良い。
「ヒナ委員長は、このままでは過労で倒れてしまいます。その他にも、生徒らしいことを諦めている節があります」
「諦めている?」
「はい。私は委員長のそばで、その背中をずっと見てきました。だからわかるんです、委員長は諦めているんだ、と。……私はそんな状況をどうにかしたい」
「そうか……」
田中はアコの言葉にしばしの間考え込んだ後、口を開いた。
「……わかった、私もその計画に関わらせてもらうよ」
田中の言葉に、アコは深く頭を下げた。
所戻って、飲食店の中。乾たちは食事を終え、それに少し遅れて美食研の面々も食事を終えた。すると、銀髪の少女が立ち上がり他の三人に声をかけた。
そして、会計をするためにレジへと向かう。乾はそんな彼女たちを見ながら、警戒を強めた。
──ただ食事をしに来たとは思えない……。
乾の予想を裏付けるかのように、懐から起爆装置を取り出したのである。そして、そのトリガーを躊躇うことなく引き絞った。
次の瞬間、店内に轟音が響き渡る。
乾と風紀委員たちは咄嗟に、地面に伏せた。その数秒後、店内の窓ガラスが一斉に割れ、壁が崩れ落ちる。店内はあっという間に戦場へと姿を変えた。
店内のあちこちから悲鳴があがる。ガレキが床に散乱し壁が大きく崩れ、厨房に至っては影も形もない。一瞬にして惨劇が起きたのである。
辺りを見渡せば風紀委員の面々が、拳銃を手に警戒態勢を敷いている。無傷ではないもののまだ誰一人やられてはいなかったようだ。一方で美食研の連中も無傷の様子。銀髪の少女は店内を見渡して、ある事に気が付いた。
「あら、イオリさんがいらっしゃったのでしたね?」
「ハルナ、よくも私らの前でこんな事をしてくれたな!」
「まあ。こんなところを放っておくわけには行かないでしょう?」
銀髪の少女──黒舘ハルナはイオリの怒りに対しても、どこか余裕を感じさせる態度で受け答えている。それがまたイオリの神経を逆撫でしたようで。
「ふざけるな!」
叫びながら銃を撃った。ハルナはその銃弾を軽々と避け、続けてイオリに狙いを定める。しかし、そこは他の風紀委員の面々が庇いハルナからの攻撃を防ぐことに成功した。
何度目かの攻防の後、イオリが怒鳴った。
「逃がすもんか!」
「ふふ、お熱いこと。あなた一人ならどうと言う事は──あ痛っ!」
「会長。ちょっと違うみたい……」
「案外目立たん物だな」
乾だった。ハルナの胴体を狙い撃ち、更に追い打ちをかけるべく彼女を蹴り飛ばした。
それを受けたハルナは片手で腹部を押さえつつ、よろめいた。反撃をしようと、イオリから視線を外し乾の方を見た。しかし、その隙を見逃す風紀委員たちではなかった。一斉にハルナに向かって発砲する。それを見た金髪とベージュの少女二人──
二人は銃を構えたが、その引き金が引かれる前に声と共に鋭い一撃がやって来た。
「せいっ!」
「うわぁっ!」
イオリの放った跳び蹴りだ。イズミとアカリは咄嗟に腕で防ぐが、そのまま吹き飛ばされた。そして、イオリの後ろからは風紀委員たちが飛び込んでくる。混戦となり、銃はあまり役に立たない。不利を悟ったハルナが、声を上げる。
「ジュンコさん、私たちに構わず撃ってくださいまし!」
「任せといて!」
「?!」
直後、乾たちを銃弾の雨が襲う。遮蔽物に飛び込む事で、なんとかその攻撃を逃れた。ジュンコと呼ばれた赤毛の少女が放った弾だ。彼女はそのまま銃弾の嵐を降り注がせ続ける。
その間にイズミが銃を構え、引き継ぐ形で弾をばらまく。彼女の銃──<デイリーカトラリー>はMG42の後継であるMG3を基にしている。乾はその形状を見て、即座にMG42の系統にある銃である事を判断した。
風紀委員たちはその射撃に対して、身を隠す場所を探すのが精一杯だ。そうして数十秒間続いた激しい弾幕が落ち着いたところで、美食研は逃走を図ろうとした。
「それでは、お暇しましょうか。アカリさん!」
「スペシャルな一発、行きますよ!」
「──まずい、グレネードだ!」
アカリは乾たちの注意を引くために<ボトムレス>のアンダーバレルグレネードランチャーをぶっぱなした。ポン、と気の抜けたような音と共に擲弾が放たれる。
宙をぐるりと回転するグレネードが爆発を始める前に、乾と風紀委員の面々は遮蔽物に身を隠した。しばらくした後、再び爆炎の中から少女たちが現れた時。
そこにハルナ達、美食研の姿はどこにもなかったのだった。