──で、報告って?
ヒナは執務室の机で、紅一の話を聞いていた。
便利屋を介して調べていた、例のペーパーカンパニーの件についてだ。紅一は飛行船の整備業者が整備業を行うほかに、飲食業への出資を行っていることを知った。その店はキヴォトスに数店舗あり、その内の一店舗がゲヘナ自治区にあるという。
紅一はその店舗の所在地と、そこで行われていたであろうことについて、ヒナに報告をしたのだった。
ヒナは紅一の話を聞き終えると、少し考え込んだ。そして紅一に質問をする。
「……で、件の企業は今回の美食研とどう関係が?」
「連中が爆破した店がたまたま、その企業だったんだ。奴らはどうやら、そこの店を拠点として、キヴォトスの各地で色々と行っていたらしいな」
「……もちろん、それだけじゃないわよね?」
「ああ。連中がどこかに売り上げを送金しているのまでは突き止められたんだが……」
「そしたら?」
「ブラックマーケットで止まった、ピタリとな」
「あそこね。実体のない企業らしいわ」
ヒナは紅一の話を聞いて、ある事実について確信に近い思いを抱いていた。
あの企業は、裏で何かをしている。トリニティ自治区の登記されている企業が実体のない幽霊会社だという事を突き止められたが、今まで調べてきたブラックマーケットの会社の中にはそれっぽいものはなかった。
だが、問題は別にある。誰が何のために、トリニティ自治区に登録したのだろうか。あちらは厳格で、登録するにもおいそれとは受け付けないと聞く。
D.U.の方が楽ではないかと言われる程だ。それを行う理由、あるいは理由は後でも構うまいが、いずれにしても踏み込む必要があるとヒナは思ったのだった。
そしてもう一方、紅一もまたそのことについて考えていた。あの企業について調べるためには裏社会に侵入する必要があるのだが、あまりにもリスクが高い。そもそもの話、彼の企業がやっている行為は偽装請負、食品産地偽装とそれらによって不当に得た利益の送金──マネーロンダリング程度だ。
万魔殿の無駄遣いの調査の結果、近々納品される予定の飛行船の整備業者にケチをつけた事から始まった事だが、その程度の事でここまでのリスクを負うとは考えにくい。
「エデン条約の実務者協議が近いのに、とんでもない話が来たわね……」
「俺の予想だが、こいつはそのエデン条約に対する妨害じゃないか?」
「紅一、どこがそれを?」
「ミレニアム・サイエンススクールではない事は確かだ。連邦生徒会もな」
「アビドスは論外として、ますます謎ね。山海経? それともレッドウィンター?」
ヒナはため息交じりにそう呟いた。それらに対し紅一は、ある資料を取り出した。
過去のゲヘナ学園の不良集団が、トリニティ総合学園との抗争を行った際に、ゲヘナ自治区のとある企業がその抗争に介入した事があった。
その企業の名はゴート社。そして、ゴート社は倒産するまである自治区の支援を行っていたことが分かっている。
紅一はそれらの資料をヒナに見せた。
「確か、この会社は倒産したわね」
「ああ。2年前にな」
「でも、それにしては資金繰りが良かった気もするけれど……」
「そこなんだ。この会社は万魔殿の議長、羽沼マコトの親族が運営する企業とある企業との合弁会社だ。さっきの会社の登記も、こいつが持っている土地だ」
「この名前は……?」
ヒナが資料にある名前を指した。羽沼一族と手を組んだ、ある企業の幹部だ。
「そいつは出身がトリニティ総合学園らしいが、どうも連邦生徒会から学歴詐称の疑惑をかけられていた」
ヒナは目を見開いた。
「どおりで妙に名前に覚えがあったわ……マコトが関わっているのね?」
ヒナの顔が神妙な顔になった。こうした場合のマコトは、非常に厄介極まりない。過去にもわけのわからない理由で妨害をされたことがあり、ヒナの頭を悩ませていた。
「ああ、ホラ話にしては出来過ぎだ。事実ならもっとややこしい」
紅一は身を乗り出してそう言った。ヒナは色々と考え、そしてふと思い至ったことがあった。
「紅一。ゴート社が支援していた自治区は?」
「トリニティ総合学園の分校の一つだ。ただ、その位置や実情が分かっていない」
「そんな事ありえるの?」
ヒナは首を傾げた。
紅一の言うことが確かなら、その企業は自治区の支援も行っていたことになる。だがそれだけ支援をしていれば、何らかの情報が手に入るはずだ。
何故それを知らないのか? そもそも、そんな大きな動きが表に出ないのはおかしくはないだろうか? そんな疑問がヒナの中に浮かんだが、ひとまず保留することにした。
その一方で紅一は、キヴォトス特有の問題であると見なしていた。
キヴォトスは「10代の子供が運営する自治体」である。行政組織である連邦生徒会もどんなに長くいても任期が6年を過ぎれば、次のものに交代する。つまり、連邦生徒会の役員は年々入れ替わっている。
その性質上、不正の発生は少ないものの、すでに継続している癒着には非常に弱い。
紅一はキヴォトスのそうした体質に気づいたのだ。
大人ですら弱い部分があるのに、多感な思春期の少年少女に果たして、事を有利に運ぶやり取りができるだろうか? いや、極めて難しいだろう。
とにかく、紅一はペーパーカンパニー調査へ風紀委員会情報部の協力を取り付けたいが為に、ヒナに頼み込む。
ヒナは紅一の話を聞いて、少し考え込んだ。ヒナとてペーパーカンパニーの実態調査をしたい。しかし、情報部が抱えている問題は複雑だ。
それもこれも、ゲヘナ最大の問題児である万魔殿議長が原因だ。何を考えているのか分かりにくいくせに、行動だけは予測できる。
おまけにそれを押し通すだけの実力も持ち合わせている。ヒナは万魔殿に辛酸をなめさせられている。
先の美食研究会の一件も、本来なら反省文や謹慎を科すつもりだったのだ。しかし、話を聞いて来た万魔殿がその采配に待ったをかけたのだ。それだけではない。あろうことか風紀委員会の怠慢だといちゃもんを付けた挙句、あのような処分でなければ黒舘家を巻き込む、と言い出す始末。
黒舘家はゲヘナ学園に多額の出資を行っており、羽沼一族と並んでゲヘナ学園の要となっている。正直言ってヒナとしては、受け入れざるを得ないほど困る案件だった。
風紀委員会とて、世知辛い事情があったのである。
「とにかく自治区の実態把握は必要だと、俺は思っている」
「エデン条約との関係性もね」
「ああ。それから、万魔殿が絡んでいるとしたら要警戒だ」
「そうね……」
ヒナは納得したように頷いた。万魔殿が絡むとなると話は別である。紅一は独自の調査でここまで洗い出すことに成功した。
この大人は犯罪に対する鼻が利く。さながら猟犬の如く。その彼が警戒すると言う事は、間違いなく万魔殿はこの件に絡んでいると見て間違いないだろう。それに、これ以上邪魔をされるのはごめんだった。仮に調印式の最中、その会場で何かが起きたとなれば、ゲヘナ学園はどう動くのか?
ヒナは注意深く思考を巡らせた。
ちょうどその頃、トリニティ総合学園では。
「──では、これからよろしくお願いしますね。田中ジョン先生」
「任せてよ、ナギサ」
「私も微力ながら、エスコートさせていただきます」
田中はアコたちと別れた後、トリニティ総合学園へと呼び出された。
ティーパーティーの現ホスト代行の桐藤ナギサ曰く、成績不振者が何名か出た為、シャーレの協力の元で補習授業を行うとのこと。教師業としてはこの頃騒動の解決や仲裁、物探しなどで本業である授業ができないでいた。これは良い機会であると考え、田中は快くそれを承諾したのだった。
ナギサたちと別れた田中は、対象者リストを見ながら校内を歩いていた。対象は4名。まず1人は、2年生の阿慈谷ヒフミ。
彼女は勉強が苦手という訳ではなく、どちらかといえば中央値付近の成績だった。ただ運が悪い事に、"推し"であるモモフレンズのライブイベントを優先した挙句、定期テストを欠席してしまったのだ。
次に、2年生の白洲アズサ。彼女は珍しい転入生ではあるが、転入元がよくわかっていない。しかし田中は些末な問題だと、切って捨てた。
3人目は、2年生の浦和ハナコ。彼女は1年時には学園最優とも言える成績を修めていたのだが、ここ最近は低迷気味だ。加えて、露出行為を始めとした問題行為を繰り返すようになった。彼女については違和感を抱いていた。
そして最後の一人、1年生の下江コハル。正義実現委員会にいる彼女はどうしてか、上級生用のテストを受けては赤点を取っている。1度で諦めればいいものを、3度、4度と繰り返している。
田中は彼女の将来を心配していた。
「あはは……」
「ヒフミ、ダメじゃないか。生徒は学業が本分だよ?」
「返す言葉もありません、はい……」
「それで、他の皆がどこにいるかわかるかい?」
「それでしたら──」
合流したヒフミの案内の元、田中は廊下を歩いていた。ヒフミの話によれば他の2人は正義実現委員会の教室にいるらしい。最後の1人も、そこから捜索願を出せばすぐだとか。田中がヒフミと会話しながら廊下を歩いていると、ふと、ある教室のドアが半開きになっている事に気づいた。
ヒフミもそれに気づいたのか、その教室を覗く。
その教室には1人の生徒がいた。水着姿の彼女は窓際に座って、外を眺めていた。どこか物憂げな表情だ。彼女は自分を見ている目線に気づくと、ごまかすかのように微笑んだ。
「ああっ! 彼女です先生!」
「……! 君が浦和ハナコ?」
「あら、私をお探しでしたか?」
「ああ。ところで、何でハナコは水着なんだい?」
それはですね……。とハナコが語ろうとすると、複数の足音が。その先頭に立つ小柄な少女が、猫の様な眼で問い詰める。その少女を、ヒフミは知っていた。
「浦和ハナコ! あんたまた抜け出して徘徊してたわね!」
「あら、下江さん。あなたが捕まえに来たんですね? でも大人の方もいらっしゃいますし……」
「そ、それとこれとは違うんだから! 大人しく捕まりなさい!」
少女とハナコのやり取りを見ていて、田中はある事に気が付いた。
彼女も対象者の下江コハルだと。探す手間が省けた反面、どうやってこの事態を切り上げさせるかが問題だ。そう判断した田中は、2人の会話に割って入る事にした。コハルはハナコに食って掛かる。しかし田中が割って入ったことで、コハルはたじろいだ。それに対しハナコは笑顔を解かない。
「何で水着で、何で脱走しているのかは知らないけど……私は君たちに用事があるんだ」
「あら?」
「な、なによっ!」
「私はシャーレの田中だよ。君たちの成績が悪いと聞いてね。補習授業を開くので、捜していたんだ」
「田中……もしかして田中ジョン……先生⁈」
「あらあら……」
田中の自己紹介に、コハルとハナコは顔を見合わせた。
補習授業となってはどうしようもない。大人しくなったハナコに手錠をかけたコハルは、田中を自分の教室に案内した。コハルの案内で着いた教室は、正義実現委員会の教室だった。そこでハナコも手錠を外されて座らされた。
残るはあと1人、白洲アズサだが……。教壇の前で腕を組む田中に、席についてはにらみ合いを繰り広げるハナコとコハル、苦笑いするヒフミ。そこへ……。
「任務完了! 被疑者を確保、連行してきました!」
「ただいま戻りました……田中先生?」
「やあ、ハスミ。久しぶりだね」
何人かの正義実現委員会の生徒が、白い髪の生徒を連れてやって来た。
1人だけガスマスクをつけたその生徒を見て、田中はデジャヴを覚えていた。
──はて、どこかで見たような……?
ガスマスクの呼吸音が、しゅこー、しゅこーと、こだまする。田中はその光景を最近見たような気がした。
──ガスマスクをつけた少女──黒い影──暗闇にともる紅い光点──。
それが何かであることに気づく前に、ガスマスクの少女は田中を一瞥すると、連行してきた正義実現委員会のハスミの手によってガスマスクを外された。
その下から現れたのは、どこか輝きを秘めた双眸。
「先生、白洲アズサに何か……?」
「ああ。彼女も補習授業部の一員でね。身柄を預かりたいんだ」
田中はそう言って、アズサを見つめる。視線を浴びせられた彼女は不思議そうに首をかしげた。