──なんて破廉恥な事を。
ワカモは怒りに震えていた。七囚人の一人"狐坂ワカモ"は今、廃倉庫の廊下を徘徊している。廊下には人っ子一人おらず、閑散としていた。
シャーレの先生──田中ジョン先生──には一目惚れだった。
ワカモが今回の様な行動を起こしたのには理由がある。遡ること数週間前、ある用事でゲヘナ学園を訪れた彼が、事もあろうに風紀委員の足を舐めさせられたと言うのだ。七囚人たる自分が、先生にそんな事をさせようものなら、恐ろしい事になってしまうだろう。
それに……何より、愛おしき先生の唇が、舌が、汚れてしまう! それをあの女は大した覚悟もなしに要求したのだ!
「許せまじ銀鏡イオリ……彼奴の首級を獲り、その恥辱を雪ぎます」
ワカモは自身にそう誓うと、歩みを進めた。向かうのは仮設のシャワー。彼女は身を清めることにした。ワカモは目当ての場所にたどり着き、扉を開けた。中には誰もいない。件の話は、スケバンの一人が噂していたのを聞いたに過ぎない。ただそれだけならば、たわいもない噂と切って捨てただろう。
しかし彼女は見てしまった。田中がイオリの足を舐めている写真を。
写真越しに見たとはいえ、怒りは容易に恨みに変わり、ワカモの内心に沸々とわき上がる。一刻も早くこの手で復讐を完遂せねばならないと、ワカモは思った。自分の行いに気が咎めたわけではない。
耳元で睦言を囁き、褥を共にしたいほどに愛おしきあの方をあの女は穢したのだ。わがのままに。許せぬ、と。
ワカモはシャワーの蛇口を捻ると、冷水を浴びた。あの方のことを想うと、身体が火照って仕方がないのだ。しかし復讐と言うものは、冷静であらねばならない。ワカモはただ怒りに身を任せるだけの獣ではないのだ。
シャワーを終えたワカモが水分をタオルで拭うと、彼女はいつもの和服を身に纏った。髪を櫛でとかし整えると、鏡に映った自分を見てワカモはほくそ笑んだ。
明後日が楽しみだ。待っていろ、銀鏡イオリ。お前の他に何が来ようとも、立ちはだかるなら全てを焼き尽くすだけだ。
翌朝、ゲヘナ学園風紀委員会は紛糾していた。
災厄の狐がゲヘナ自治区に潜伏していたこと、何故かイオリに果たし状を出してきたこと。
委員たるイオリがワカモに狙われていることを知り、風紀委員会一同は騒然となった。それもそうだ。相手はあの災厄の狐、七囚人なのだ。どう対応すべきなのか、それは誰もわからない。
そしてこの議論の行き着く果てに、特機の出動待機が決定されたのである。七囚人の捕縛が出来ればそれに越したことはないが、最低でも撃退はしたいとの事だ。
取りまとめ役であるアコが、右手を振り上げて口を開く。
「いいですか皆さん。このような事態、本来ならば恥を忍んででもSRTの協力を仰ぎたい所です。……が、そのSRT自体がない今、我々だけで解決しないといけません」
「先生の戦術指揮があればなあ……」
「無いものを望むな。あるもので最善を尽くすしかない。特機の連中も、妙に士気が高い」
「それって第四の子たちでしょうか? あの子たちは元々SRTからの転入組です」
そうチナツは言うと、資料をめくって目を通した。その資料には、第四小隊のメンバーについて記載されている。
前衛第四小隊は、SRT特殊学園からの転入生が多く構成される。元々、転入前から戦闘訓練や実地試験のテストケースとして活動しているためか、最精鋭である前衛第一小隊に並んでプロテクトギアの着装適性が高い部隊であった。
対して狐坂ワカモは、一度SRTの3年生──FOX小隊の活躍によって一度捕縛されている。紅一の言う、第四小隊の士気の高さもその影響があるのだろうか。第四小隊の面々には、FOX小隊と同級の者も何名かいた。
話を戻そう。今後の方針をどうするか……いや、イオリを救う手立ての方だ。ワカモはイオリに果たし状を送りつけたが、その真意は不明なままだ。
「銀鏡、狐坂ワカモが送ってきた理由に心当たりはあるのか?」
「いや、全くわからない! チナツが言われるなら分かるんだけど」
「確かに変ですねえ。チナツさんは先生と共に一度対峙しているので、災厄の狐にリベンジを挑まれる可能性が十分あります。なのにイオリさんとは……」
「私は、あの時いた他の方々の支援に回っていたので……」
イオリはワカモの真意に、心当たりはないと断言した。チナツもワカモと対峙したが、その時は後衛で、別の生徒の支援に当たっていたという。
うんうんと唸る一同。そこへ、今まで沈黙を保っていたヒナが手を挙げた。ヒナはアコに、ある懸念事項を打ち明けた。
「……最近、先生がアビドスとの一件でゲヘナに来た時のやり取りが流出した、と言う話を情報部がキャッチした」
「そのやり取りならヒナ委員長もご存じでは?」
「問題は、イオリが先生に要求したことね。……私としても、このことは触れたくはないんだけど」
そうヒナは言うと、顔を紅潮させた。イオリもヒナの言葉を聞いて、俯いた。そしてヒナは意を決したように、顔を紅潮させたままアコに向き直り、口を開く。
──イオリの足を田中が舐めたことだ。
それを聞いたアコは、思わず口に手を当てた。チナツも顔を真っ赤に染める。乾と紅一に至っては呆れ顔だ。
それもそうだろう。足を舐めたのだ。当然イオリは、それをされたという事実を隠しただろう。だがヒナが独自に入手した情報によれば、その事実が外部に漏洩したらしいのだ。一応、風紀委員がいるゲヘナ学園の校門と言うのもあって誰かが隠し撮りすることなど出来ないはずだが……。
ヒナは端末を取り出すと、その画面を見せた。画像にはイオリの足を舐めている田中が映っている。それを見た紅一は思わず笑いを漏らすと口を開いた。
──そもそも誰が撮って、何故それがワカモに繋がるのだ。
乾にもそこが不思議だった。行為の真偽や善悪はともかく、ワカモと田中に何らかの接点が無ければ、こうも起こるまい。ヒナは問題の写真撮影者は既に別件で拘束済みで、そこから情報部の裏取りが出来たと言う。
「……疑問なんだが、仮に銀鏡と田中の間で起こったことが原因として、何故狐坂ワカモが絡んで来るんだ?」
「それは先生のためじゃないか? ワカモは先生には手も足も出さなかった、と聞いているし」
「少女ゆえの感情論か。……荒唐無稽な話だ」
アコの意見も、紅一が一蹴した。しかし問題の本質はそこではない。あのワカモがイオリに結びつく接点とは何か。それが今回の議題だ。
その一方でイオリは先の話を暴露されてからと言うものの、俯いたままだ。流石に自分が要求したこととは言え、あの時の行動がここまで発展するとは思いもよらなかったのだろう。その時、チナツが口を開いた。
どうやらイオリに対してのワカモの行動と、ワカモの噂や流言を組み合わせた結果、一つの真実が浮かび上がったという。それを見落としているのではないか、と言うのだ。
それを聞いたアコがチナツに尋ねる。
「チナツさん、それは一体?」
「憶測の域を出ませんが……多分、あれは一目惚れかと」
「なんだそりゃ、惚れたから当人の代わりに怒るってか?」
「ええ」
チナツの言葉に、乾と紅一が揃って声を上げた。チナツは以前に聞いた噂について触れた。
その噂によるとワカモは、先生に一目惚れであり、今回の件は自分に黙ってそのようなことをしでかしたイオリが許せないのではないかと、そうチナツは結論づけた。
その話を聞いて、冗談じゃないと紅一はぼやいた。恋慕事情なんてもので決闘なぞ、中世じゃあるまいし。それで自治区内の紛争だ。小説でも読んでいた方がマシなものだろうと内心毒づいた。
無論、紅一に同調する意見は表に出なかったものの、イオリを除けば皆同じだった。
「うー……」
「おい、大丈夫か銀鏡? ……銀鏡?」
「うー……!」
「火宮、銀鏡のやつ具合が悪そうだぞ」
「私の方で保健室に連れて行きます……委員長、いいですよね?」
うーうー、としか唸らなくなったイオリを見て、乾がアコに保健室へ連れて行く事を申し出た。その申し出をアコは了承し、チナツは足早にイオリの肩を担いでその場を後にした。
当人が離席したのと、ゲヘナ学園特有の気質もあってその日の打ち合わせはお開きになった。
「あー、ゲヘナは今日も銃撃戦日和だな」
「これでもあんたらが来る前より減ったんだ」
「マジ?」
「マジよマジ」
銃撃戦が終わったゲヘナ自治区の路上。不良生徒が一暴れしては、風紀委員たちによって制圧される。
周辺の交通規制が解除され、彼女たちは非番──休みを満喫していた。たまたま同じ現場で共同戦線を張ってからと言うものの、彼女らの距離は自然と近くなっていった。
その道中、不良生徒がゲヘナ生徒に絡んでいたのを、彼女たちは発見する。止めに入ろうかと思ったが、相手は風紀委員だったらしく、暴力をもって制圧したことで事なきを得たようだ。彼女たちはいつも通りの巡回に戻ることにした。話題はやはり、銃に付けるアクセサリやグッズ、甘いスイーツ、そして恋の話。
彼女たちも女の子、このぐらいはするものだ。
「クラスのみんなで話題になっててさ、今度そこのソフトクリームを買おうとしたのよ。そしたら、さ……」
「うん」
「影も形も無くなってたのよね」
「まー、ゲヘナだし?」
「いやいや、そんなことで風紀委員を呼ぶなよ」
ゲヘナ学園。自由の名にかこつけた、暴力と理不尽。混沌がもたらす無秩序。
それがまかり通るのがこの学園だ。生徒同士の喧嘩など珍しくもないし、度を越せば風紀委員による鎮圧が行なわれる。最近はさらに悪化すれば特機に声がかかる。特機が出動した当初はヘルメット団の亜種か何かと噂されていたが、今では風紀委員の上位互換として認識されている。
最近は一般風紀委員たちも特機に負けてられない、と訓練をあれこれ工夫している様子が見受けられるようになった。装備はともかく、何が足りていないのかを考え、そこから訓練内容に反映させているようだ。
「そういえばさ、あんたなんでゲヘナに来たの? そのままヴァルキューレに行けば、警備部辺りでこうもぼやいていなかったんじゃない?」
「そうかもしれない。でもさ、ヴァルキューレにあたしの居場所はないのよ」
「居場所がない?」
「多分あたしだけじゃなくて、SRTからの転入組の大半が同じことを考えてる」
──そう言って、特機隊員は空を見上げた。
前衛第四小隊にいるらしい彼女とは、どことなく気が合った。聞いた話によれば、先日あの”災厄の狐”が風紀委員に果たし状を送りつけてきたようだ。誰かなんてのは名前は聞かずとも分かっていたし、彼女の表情はそのことを忌まわしく思ってるようにも見えた。
自分に出来ることと言えば、彼女たちの愚痴を聞くことぐらいか。風紀委員は、校則違反者から生徒を守る盾だ。日常的に行われる乱闘を捌く彼女たちが不満を漏らすことは、どうにも想像できない。でもきっとそれは”認識の齟齬”というやつなのだ。
そういう習慣とはかけ離れた場所にある彼女ら──特機隊員たちは、たまたま仲間内で全員共通の知り合いがいると言うこともあり自然と行動を共にすることが増えていた。
「あたしらはさ、SRTっていう場所のにおいって言うのかな、そう言うのに慣れて……慣れ過ぎたんだ」
「におい?」
「そ、におい。ゲヘナも、トリニティも、ミレニアムも。その学校独特の、雰囲気っていうのかな。あちこちを回ってみてきたんだ」
そう語る特機隊員の表情は、どこか清々しく、またどこか物悲しげだった。
一方的に襲われた居場所、そして主人を失った成れの果ては路肩の隙間へと転がり込む。
ゲヘナは、そんな場所だった。ヴァルキューレの警備局も覗いてみて、最初に感じたのは違和感だと言う。その果てにゲヘナ、それも新設だか再編だかよくわからない部署に、整理番号すらついていないSRT生が集められた。
「で、特機隊が一番よかったってわけ?」
「そ。仕事のやり方もそんなに変わらないし、一番あたしらしく、できるかなって」
「本当のところは?」
「乾教官が悪党どもを抑えてるところ見て、かっこいいって思った」
特機隊員の言葉に、それは理解できると風紀委員が笑った。
ほどなくして、特機隊員の端末が揺れる。着信だったらしくそのまま特機隊員は通話に出た。通話先の相手は少し遠くにいるのか雑踏の音がスピーカーからこぼれ出ている。
その向こうにいる誰かと話している特機隊員の表情は先程とは違い真剣そのもので、まるでスイッチが切り替わったかのようだ。
通話を終えた彼女は、風紀委員の方を向いて頭を下げた。
「ごめん、急用が入っちゃった!」
「はいはい、呼び出しでしょ?」
「そそ!」
──今度埋め合わせするからさ! などと申し訳なさそうに拝み倒した特機隊員は、後ろ手に振って駆けて行った。
その小さくなる背中を見つめて、風紀委員は両手を腰にやり、やれやれとため息をついた。
その心の内に、彼女の無事を祈りながら。
次回はワカモとイオリの決闘なるか?
感想をいただけると幸いです。