翌日の昼下がり、ヒナとアコはゲヘナ自治区内の駅舎にいた。今回の騒動において発生した損害について、ハイランダー鉄道学園と協議した為だ。
ゲヘナ側としては、不良の鎮圧に使用した弾薬の補填と負傷者の治療、そしてハイランダー鉄道学園から許諾をいただいているとはいえ、自治区への立ち入りについて改めての注意喚起。
そして、今回の騒動における風紀委員会側の対応についての謝罪だ。
ヒナはその過程で、ハイランダー側から思いも寄らない厚遇を受けた。路線や設備など、破損したインフラについて一切請求をしないというのだ。
ハイランダー側の担当者曰く、その方が保険も通りやすく、額も抑えられるとのことだった。確かに、これはゲヘナ側にとっては大きなメリットだ。
ただし、他の不良生徒に関しては別だった。彼女への治療に関しては自腹なので、治療の後、連邦矯正局で作業に就かせることになるだろう。
また、今回の騒動はゲヘナ自治区の風紀が乱れていることへの警告としてハイランダー鉄道学園の上層部は認識しているらしく、今後、ゲヘナ自治区内の路線はより厳しく対応する方針であるようだ。
一通りの協議を終えたヒナたちは、ゲヘナ学園へと戻った。
「アコ、今日のスケジュールの残りは?」
「はい。本日のスケジュールは、各区での見回りと、各委員会からの報告です。それと──」
「それと?」
「今後の警備体制の見直しについて、都々目教官から話があるそうです」
「わかったわ。それじゃあ、行きましょう」
その道中、ヒナはアコに話しかけた。
アコから返ってきたそれは、色々とあるがその中でもヒナが気にしていたのは今後の警備体制についてだ。不良たちの襲撃やワカモの出現など、ゲヘナ自治区内には様々な危険が潜んでいる可能性があるからだ。
そのため、警備体制を見直す必要があると考えていたのだ。奇しくもその点では、ヒナは紅一と同じように懸念を抱いていたとも言える。
その時からか、不思議と時間が過ぎていくのが早く感じ取れた。それはヒナのみならず、アコも感じていたことだった。しかし、それと同時に何か嫌な予感が彼女の脳裏によぎった。
そしてそれが的中したかのように、その日の深夜、ヒナのもとに緊急の連絡が届いたのだ。
──美食研究会、トリニティ自治区にてアクアリウムを襲撃す。
その一報を聞いたヒナは、すぐに行動を開始した。
「セナ、いるかしら?」
「ここに」
ヒナが救急医学部の部室を訪ねた際、セナは車の積み荷を点検している最中だった。
彼女の周りには数名の生徒が集まっている。その中には特機隊員もいた。ヒナはセナに声をかける。すると彼女は顔を上げ、こちらに視線を向けてきた。
「セナ、あなたにお願いしたい事が出来たの」
「と、いうと?」
「あなたの方で、人員の回収をお願いしたい」
「……負傷者と言うことでしょうか」
「人質もね」
それで、どこへ向かえばいいでしょうか、とセナはヒナに尋ねた。
ヒナは少し考え、ある場所の名前を言った。その名を聞いてセナは微かに反応を示し、そして、それはほんの僅かなものであったが、ヒナにはそれが分かった。
だが彼女はそれ以上追及せず、すぐに準備に取り掛かります、とだけ言って車の後部ドアを閉めた。
「で、あなたたちは乗せていけないわ。いくら正義実現委員会からの申し出とは言え、連れて行くとひと騒動になる」
「…………」
「狐坂ワカモは逃げた。でもまだ、何か企んでいるかもしれない。あなたたちには、その警戒に当たってほしい」
「了解」
「では、私たちはこれで。……総長、お気をつけて」
「ええ、お願いするわ」
ヒナがそう言うと、車に乗り込んでいった。そして、すぐに発車する。車庫を出てすぐにサイレンを鳴らした。
治安の悪いゲヘナにおいて、医療関係者への対処は別格である。何しろ怪我をした時には密接にかかわる所であるため、不良も風紀委員も、そして一般人にも医療関係者への手だし無用と不文律が成立する程だ。
「…………」
ヒナは窓から見える風景を眺めながら、今回の騒動について考えていた。ワカモの問題に続き今度は美食研が他自治区、それもよりによってトリニティ自治区でトラブルを起こした。
ヒナは、美食研のやったことはワカモの一件とは別とわかっていても、どうしても引っかかりを覚えるものがあった。
そして、その不安は見事に的中した。車がトリニティ自治区郊外の大橋にたどり着いたとき、そこにいたのはトリニティの治安組織である正義実現委員会では無かったのだ。
「……?!」
そこには、手足を縛られた美食研のメンバーとそれを見張る一人の男性──田中ジョン"先生"の姿。セナは彼と会ったことが無いようで、困惑する様子を見せた。
──面倒ではあるが、話したいこともいくつかある。
そう判断したヒナは、車のドアノブを手前に引いた。
§
風紀委員会本部、その執務室。
そこでは乾が一人、書類を処理していた。彼は、このところずっとこの調子である。
ヒナを始めとした風紀委員たちは、ゲヘナ学園自治区の治安維持に奔走しており、その関係上どうしても業務が滞りがちだ。加えてワカモの一件もあり、乾と紅一は交替勤務を行うことにしたのだ。
とはいえ、二人の予想に反して暇であった。乾がある程度進めた所で行き詰まりを覚えたので、気分転換にとコーヒーを淹れる為に給湯室へと足を運ぶ。すると、給湯室からコーヒーの香りが漂ってきたので、誰か先客がいるのかと乾は中に入った。
そこには、一人の生徒がいた。
彼女は風紀委員の一人だ。コーヒーメーカーでコーヒーを淹れている最中で、ちょうど終わった所だった。乾の姿を見るなり彼女は微かに驚きの表情を見せ、しかしすぐにいつもの平静な様子で挨拶した。
「あ……」
「お疲れさま。君も夜勤か?」
「いえ、わたしはその、夜間テストが終わったので……」
「テスト?」
彼女の言葉を聞いて、ここは一応学校組織だったことを乾は思い出した。
そう言えば隊員たちは、無事にテストを終えただろうか……。そんな考えに耽っていた乾に、彼女は問いかけてきた。
「あの、特機隊の人たちってテストはどうされてるのでしょうか?」
「受けてはいると思う。彼女らだって、生徒には違いないからな」
「ただ、わたし、噂で聞いたんです。実はあんまり成績が良くない子もいる、って……」
「成績不振、か……。基準が分からないからな。君は何年生だ?」
「高等部の二年です」
なるほど、と乾は頷いた。確かにこの学園には、成績があまり芳しくないという生徒も少なからずいる。だがしかし、それはあくまで一側面でしかない。
風紀委員を担うものは、基本的には他の部活動に属する生徒と比べると、成績は高い傾向になる。委員長であるヒナに至っては満点教科もいくつかある方だ。
ただ、ゲヘナ特機隊が独自で行っている学力試験の内容は、実のところゲヘナ学園のそれとは少し異なる。それは当然と言えば当然で、より厳しい内容でテストを行っているのだ。
短い時間で好成績を出さなければいけない都合上、他の生徒と比較は出来ないが、常日頃から学習に励んでいる彼女たちにとっては然程問題ではない。
「ただな。特機で出される試験は他より厳しいんだ」
「そうなんですか?」
「色々とあるんだが、例えば──」
乾が説明すると、彼女は興味を示した様子で話を聞いていた。話を終えると、感心した様子で言う。
「すごいんですね……。特機隊の子たちって」
「……まあ、隊員の練度に関わるしな」
それでも凄いことだ、と彼女は自分のことのように喜んでいる様子だった。
その様子に、乾はふと気になったことを尋ねた。それは、彼女のテストの点数についてだった。すると、彼女は少し恥ずかしそうに答えた。
どうやらあまり芳しくないらしい。
乾は、そのことについて特に何か言うつもりはなかった。ただ、テストの話題が出たので自然とそうなった。
そうこうしている内に、乾の分のコーヒーが淹れ終わったようだ。彼は自分のカップを持って、執務室へと戻ることにしたのだった。
§
乾が持ち場に戻った後、風紀委員は暇を持て余していた。
テストは終わったし、コーヒーのおかわりを淹れてもまだ時間が余っている。どうしようかと悩んでいると、給湯室から誰かが入ってきた。それは待機中の特機隊員だった。彼女はギアを付けたままで、ガスマスクとヘルメットを小脇に抱えていた。
彼女は風紀委員に気が付くと、少し驚いた表情を見せつつ挨拶をした。同じく彼女は軽くお辞儀をし、そのまま給湯室に入っていく。給湯室のテーブルにヘルメットを置き、手を洗い、そしてコーヒーメーカーをセットした。
コーヒーが出来るまでの間、彼女は壁際の棚にもたれかかる。そして、風紀委員に問いかけてきた。
「暇なのか?」
「あ、うん。テストは終わったし……ね」
その言葉に、彼女はややばつの悪い様子を見せた。そうか、とだけ呟く彼女に、今度は風紀委員が問いかけた。
「ねえ、一つ聞いていい?」
「なんだ?」
「その格好って、重くない?」
「重い。以前着ていた制服より重い」
「以前……? 最近転入したばかり?」
「ああ」
ヴァルキューレから転入したんだ、と語る特機隊員。彼女曰く、数週間前にゲヘナに転入したとのことだ。風紀委員会に所属しているのだから風紀委員なのだろうが、それでもどうして特機隊に? そう思った。
その問いに彼女はこう答えた。
「ヴァルキューレのやり方が気に入らなくてさ。ろくすっぽ捜査しないくせに、捜査活動ばっかやらされて嫌になったんだ……」
「そんなに酷かったの?」
「ああ」
「なるほど、それで……。でも、どうしてゲヘナ? トリニティやミレニアム……オデュッセイアだってあるのに」
「休みに観光してたら、ギアを着てる大人の人がいたからな。そこで初めて知ったんだ」
「ああ……」
彼女は納得したかのような声を出した後、どこか遠い目をした。
その表情に少し引っかかるものを感じたが、彼女はすぐに表情を戻したので、それ以上は特に気にすることはなかった。
「キミはどうなんだ? 風紀委員からみて、私ら特機は?」
「そうだね……」
風紀委員は少し思案した後、ゆっくりと語り始めた。
まず最初に思ったことは、特機の活動が風紀委員会と似ているなということだ。ゲヘナ自治区内の治安維持や不良の取り締まり、そして風紀委員と同じく、不良生徒の逮捕など、やっていることはほとんど変わらない。
だが、決定的に違う点がある。それは、情けも容赦もしないと言う点だ。一度出動が決まれば、大体の校則違反者は病院送りになる程だ。風紀委員は、不良生徒を取り締まる際にもある程度手加減をしている。だが、特機は違う。
それは、彼女たちが違う養成課程を経ているのもあるが、一番は教育者の存在による影響が大きかった。
特機隊員は熾烈な訓練と研修により、身体能力に優れるキヴォトスの子供たち──その上位層に食いついた。それだけではない。威圧そのものとも呼べるプロテクトギアの装備によって、極めて高い稼働率を維持している。本来は防弾として運用されている装備だが、ゲヘナ特機隊では防爆装備の一種として運用されていたのだ。
これにより、一般的な風紀委員たちとは一線を画す存在だった。特に彼女のように、マスクを着けて素顔を隠しているような生徒は特にその傾向が強い。無論、特機隊として出動しない平時は普通の生徒と変わりないが、それ以外はやや変わっていた。
彼女は今ちょうどその状態であり、ヴァルキューレゆずりの規則正しい生活を自分の意思で送っているのだ。ゲヘナにとっての異端ではあるが、それらを許容する器の大きさもなるほど、ゲヘナらしい部分でもあった。
「……てな感じかな」
「なるほどな」
「でもさ、やっぱり風紀委員会も悪くないと思う。だって、みんな優しいし」
「それは……そうだな。私らに出来ないこともあるし、協力はしたい」
彼女は少し考えるような様子を見せたあと、小さく頷いた。その後、意気投合したのか二人が同じ現場に出くわす機会が増えるが、それは別の話だ。
§
──今日も疲れた。
ヒナは黒舘ハルナの背中を蹴飛ばし、美食研究会の全員を留置場にぶち込んだ。
留置場といっても、前議長時代に使われていた寮を改修したものだ。普段は使われていない部屋を使っているらしいが、それでも別に構わない。
美食研究会はシャレにならないことをやった。トリニティの自治区内で、ゴールドマグロなるものを食べたいが為に飼育展示されているアクアリウムを襲撃したのだ。
当然、見過ごせない。別にゲヘナ自治区なら比較的マシ──それでも特機隊が動くしなんならヴァルキューレも出張ってくる──だが、トリニティ自治区内での事件となればそうはいかない。
トリニティに特機隊のような組織があるのかは不明だが、現状そのような話は噂にもない。エデン条約の関係もあってトリニティ側も考慮してくれたようだ。あとはこちらで厳罰に処すことが出来るのならそれで良い。
「はあ……」
「お疲れ様です」
「ありがとう」
廊下にいた風紀委員の一人が、ヒナに労いの言葉をかける。彼女は、前回の美食研究会の一件の際、その現場に居合わせた一人となる。
彼女と二三、小話をして風紀委員会の執務室へと戻ってきた。
執務室に入ると、そこには乾がいた。彼はヒナに気が付くと、コーヒーの入ったカップを手渡してきた。ありがとう、と礼を言ってそれを受け取ると、乾は口を開いた。
「美食研の連中はどうだ?」
「大人しくしてるわ。……乾、あなたはどうしてここに?」
「なに。ただの夜勤だ」
乾はそう答えてコーヒーを口に含んだ。その間、ヒナは風紀委員長席に、乾は自分の席に腰かける。そして、そのままの状態で二人は会話を続けた。
「聞いたぞ。田中に会ったってな」
「どこから……と言うのも野暮ね。元気そうだったわ」
「そうか……」
「少し話しただけだけど、そこまで変わってるようには見えなかった」
「元気そうに見えても、心の中じゃ色々考えてるんだろうさ。お前もそうだろう?」
「……そうかも知れないわね」
「そうだ。あいつの事はあまり気にするな」
乾はそれだけ言うと、コーヒーに口を付けた。
ヒナもコーヒーをすする様にして一口飲むと、やはり味が違う。アコが淹れる時と何が違うのだろうか。そんなことを考えつつ、ヒナは呟いた。
「何でアコと乾でこうも違うのかしら……」
「……何がだ?」
ヒナは少しの間考えたが、結局乾の淹れるコーヒーが一番おいしいと結論付けることにした。
「何でもないわ」
そう言って立ち上がると、執務室の扉へと歩みだす。その途中、ヒナは一度だけ足を止めた。
「乾」
「どうした、空崎」
「……コーヒー、ありがとうね」
「ああ……」
どこか照れくさそうな表情をして、ヒナはカップを持って出て行った。
乾は多感な時期の少女の考えることだ、と特に深くは考えずにそれを見送る。だが、その表情にはどこか楽し気なものが浮かんでいた。
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