箱舟に迷い込んだ犬   作:B=s

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箱舟に迷い込んだ犬-35

 D.U.地区の高速道を、一台の黒い車が走る。アコは、その車の助手席にむすっとした表情で座っていた。

 その隣──運転席では紅一がハンドルを握っている。アコの機嫌が悪い理由は一つだ。休日だというのに、ミレニアムへ向かわされているからである。

 しかもその理由は、エンジニア部の白石ウタハからの要請であるとのことだった。アコは、それが気に入らないのだ。

 確かに自分はゲヘナ風紀委員会の一員であり、何ならナンバー2の立ち位置だ。しかし、上司であるヒナと一緒ではないのが不満だった。

 一方の紅一は、助手席のアコに話しかけた。

 

「おい天雨。そんなに不満か?」

「別に、そういう訳ではありませんが?」

 

 それに応じて、彼女は顔を上げる。そこには唇を尖らせて不満を隠さない様子が見えた。何が不満なのかが分からない紅一は、とりあえず知らないふりをした。

 

「でだ、俺が白石に呼ばれたのは、渡したいものがあるらしい」

「それなら配達でもいいのでは?」

「どうしても手渡ししたいと言っていた。思うに、ギアに関するものじゃないか?」

「ギアですか?」

 

 アコが首を傾げる。紅一は、ミレニアムのエンジニア部部長である白石ウタハに呼び出されていた。その用件とは何か? と紅一は考えた。

 そして、一つ心当たりがあった。それは以前行った92式に関することかもしれない、ということだ。

 そんな時、紅一のスマートフォンがメロディーを発した。着信のようだが……。

 

「すまん天雨、代わりに出てくれないか?」

「え、ええ……」

 

 アコは紅一から端末を受け取ると、着信画面を見た。画面には<白石ウタハ>の名と番号が表示されている。アコは通話ボタンを押した。するとその瞬間、電話口から聞き慣れた声が響いた。

 

「もしもし?」

『おや、その声は天雨さんかい? 私はエンジニア部の白石ウタハだ。都々目さんは?』

「今運転中でして……。それより、ご用件は?」

『丁度いい。実はギアの改良品が出来てね。試着をお願いしたんだ』

「ギアの改良品?」

『そうさ──』

 

 端末の向こうでウタハが悪戯っぽく笑っている。そんな気がした。アコは、期待を込めて尋ねた。すると、通話口から衝撃的な言葉が放たれたのだった。

 

§

 

 それから二時間後、ミレニアム自治区の一角に黒い車が停車する。そして、助手席からアコが降りた。それを確認した後、紅一は運転席で大きく伸びをした。

 それから数分もしないうちに、エンジニア部の面々が迎えにやって来た。その中には見知った顔ぶれもいた。

 

「ゲヘナからはるばる来ていただき、感謝するよ」

「それで、件の物は?」

「それでしたらこちらです! ささ、どうぞ!」

 

 ウタハの後ろからコトリががらがらと、台車を押してやって来た。台車の上には、大きな箱が載っている。

 それをコトリが丁寧に置いた後、布をめくり上げると、そこには黒い装甲が。紅一はその中の一つを手に取ると、隅々まで観察し始める。その様子を見たウタハは、得意げな様子で言った。

 一方アコはというと、落ち着かない様子で辺りをきょろきょろと見回していた。それを見て取ったウタハはこう言った。

 

「天雨アコ行政官。ミレニアムに来ていただき感謝する」

「天雨アコです。あなたがエンジニア部の白石ウタハさん?」

「ああ、エンジニア部の部長をやらせてもらってる。来ていただいたのはほかでもない。改良品と特注品が完成したんだ」

「特注品?」

 

 アコが首を傾げる横で、紅一がウタハに尋ねる。

 ウタハは満面の笑みを浮かべた後、大きく咳払いをしてから答えた。

 その視線は紅一が手にした黒い装甲に向けられている。その目は期待に満ちているように見えた。一方のアコもまた、興味津々といった様子で装甲を見ている。

 

「これは? 随分と小さいようだが」

「はい。これは空崎ヒナ委員長用のプロテクトギアです!」

「へえ……」

 

 ウタハの説明に、紅一は興味深そうに眺めた。

 全体的に黒いのは変わらないが、所々に紫の装飾が施されているのが特徴的だ。ヒナのパーソナルカラーを意識しているのだろうか。

 紅一は、その完成度の高さに感心すると同時に感心した。そんな中、アコが口を開いた。その顔はどこか不満げである。

 しかしそれに気づかないウタハは、さらに説明を続けた。

 

「一応、一般隊員用のギアより丈夫に出来ている。……いるんだが、テストする機会がなくてね」

「それで、私たちに?」

 

 アコが尋ねると、ウタハはこくりと頷いた。そして、自信満々といった様子で続ける。

 

「それでだ、もう一つの方──都々目さんと乾さん用のギアの改良品が出来たので、これを持って帰ってくれないか?」

「何が変わったんだ?」

「それについてはこれを」

 

 ウタハがタブレット端末の画面を紅一に見せた。そこには、プロテクトギアの改良点についての説明が書かれていた。

 重量はそのままに防弾能力をさらに向上させ、着用者の負傷率を軽減するために被弾時の衝撃吸収機能を加えたとのことだ。その説明に紅一はほう、と感嘆の声を漏らした。

 一方、アコは訝しげな表情をした。ウタハの説明にピンと来なかったからだ。そんなアコに同情しつつも、ウタハは話を続けた。

 

「一応、あなたの分のギアも作ってはいるんだ。式典用の装備が基だと聞いてね」

「あら? その様な話は聞いていませんでしたが……」

「実のところ、出来上がったのが都々目さんに連絡した時なんだ。フィッティングはまだなので、出来れば協力願いたい」

「そう言うことでしたら……」

「ありがとう。ヒビキ! 天雨さんを案内できるかい?」

「はい。こっち来て」

 

 ウタハに指名されたヒビキがアコの側まで駆け寄った。

 彼女はアコの手を取ると、軽く引いた。その仕草に驚きつつも、アコはそれに応じて歩き出したのだった。

 そしてそれから暫く経った後──二人は無事に戻ってきた。どうやらうまくいったようだ。

 ただ、ギアを着装したアコの表情はどこか暑そうにも見える。

 

「どうした?」

「これ、初めて着ますが意外と軽いんですね……。それに、暑い……」

「現場じゃヘルメットを被るんだ。できるか?」

「や、やってみます」

 

 両手を交互に眺めながら、アコが言った。

 彼女は元々、後方支援を中心に行動する方だ。そんな彼女にとっては初めて着装する前衛装備──プロテクトギアであり、胸部を圧迫する為か重く息苦しい思いをしていたのだった。

 アコは髪の毛をヒビキから借りたヘアゴムでまとめ、耐火服のフードを被ると、続けてヘルメットを受け取った。

 それを被り、あご紐を留める。そして、次に渡されたのはプロテクトギアの専用装備であるガスマスクだ。暗視ゴーグルもセットになっており、防弾性能もある優れものだ。

 アコはそれらを装着し、最後にマスクに呼吸用ホースを接続するともう一度自分の姿を確認した。

 ──視界が重い。まるでゴーグルをつけて水の中に潜ったかのよう。

 初めてプロテクトギアを着装したアコの感想は、その一言に尽きた。

 しかし、この状態では満足な戦闘はできないだろう。こんな不便な装備で乾たちが戦っているのかと思えば、キヴォトスの外の住人たちがいかに銃弾に対して無力なのかがわかる。

 そんなことを考えていると、紅一が声をかけてきたのでアコは振り返った。彼はアコの姿を見て感心したように声を上げた後、彼女の装備について説明を始めた。

 

「いいか、92式──ギアは、死角のある装備だ。防弾性能も完全じゃない」

「え。でしたら、どのように運用を?」

「同一装備の複数人で、死角を埋めるように連携を取り合うんだ──」

 

 その説明を聞いている間、彼女はある疑問を抱いていた。

 それは何故このような装備が必要なのかということだ。確かにこのギアには防弾性があるらしいが、ここまで死角があるようなものに命を預けると言うのもおかしな話だ。

 そう思いつつ、アコは腕を組んだ。

 

「暗視ゴーグルの調整は大丈夫ですか?」

「周りが紅く見えるけど、これはそう言う仕様なのですか?」

「習熟用の基本設定はな。だが、一般仕様なら切り替えも出来たはずだ」

「はい! 今から暗視ゴーグルについて説明しますね!」

 

 コトリがアコに駆け寄ると、ゴーグルのそばに指を這わせた。

 途端にアコの視界が緑色の強弱だけで映ったり、肉眼と顕色が無いものへと順に切り替わった。アコは、その技術に驚いた。

 二つの世界の技術が融合したギアは、アコの想像を遥かに超えたものだった。

 その技術力に感心していると、コトリがさらに説明を始めた。長い説明であったが、アコは何とか理解することが出来た。

 一通りコトリが説明を終えたところで、ウタハが口を開いた。

 

「出来れば、これについての感想が欲しい。時間は……そうだな、出来るだけ多く欲しいんだ」

「どうして?」

「実は、ヴァルキューレの警備部が興味を示しているんだ」

「何だって? まさか」

「勿論断ったさ。私も、君たちとの専売でやらせてもらってるものに、横やりを入れられるのは嫌だからね。ただ……」

「その言い分だと、いずれは導入しそうだな」

「で、でも……どうして?」

 

 アコが尋ねると、ウタハは少し考えた後にこう言った。

 

「D.U.地区の暴動の一件以来、連中は上手く行ってないようだ」

「D.U.地区の暴動?」

「数か月前にあったサンクトゥムタワーの機能停止、それと同時に発覚した連邦生徒会長の失踪が発端さ。今でも、連邦生徒会長の行方は分かってないらしい」

「そんなことがあったのか」

 

 紅一は初めて聞いたとばかりに目を見開いた。それを聞いたウタハがため息をつく。

 

「まあ、キヴォトスが始まって以来の大騒動だからね。あの時のミレニアムもまあ、大変だったよ」

 

 そう言って話を続ける。確かにあの事件は、ミレニアム自治区も混乱していた。連邦生徒会が機能不全に陥り、各学園も混乱の渦中にあった。

 そんな中でも、ミレニアム自治区の行政府でもあるセミナーは冷静に事態の対処に当たっていた。しかしそれでも、風力発電所が停止するなどの影響は免れなかった。

 ある程度話し込んで、話題が脱線したことに気が付いたウタハは咳払いをした。

 

「……とにかく、今後もギアの改良は続けて行くさ。天雨さんは空崎委員長に、都々目さんは乾さんに届けてくれ」

「わかりました」

「了解だ」

 

 アコはギアの入ったトランクケースを受け取った。その重さに思わずよろめいてしまう。しかし、何とか踏みとどまった。

 

「では、私はこれで失礼するよ」

「ああ。また連絡する」

「天雨さん。また何かあれば連絡するよ」

 

 ウタハはそれだけ言うと、さっさとこの場から去って行った。その様子を見届けたコトリとヒビキは慌てて頭を下げると、後を追って出て行った。

 そうして残される二人。アコは手渡されたトランクの取っ手を掴んだまま動かない。それに気が付いた紅一が声をかける。

 

「どうした?」

「いえ、何でもありません」

 

 アコがそう答えると紅一はそうか、と一言だけ返した。そして、そのまま歩き出す。

 その背中を追いながら、アコは思った。このギアの使い道は何か? それはまだわからない。しかし、着用すれば前線に──ヒナのそばで肩を並べられる。

 それだけで十分だと、アコは小さく笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 事が動いたのは、その日の深夜だった。

 

 ──風紀委員会本部より風紀委員各員へ伝達。

 ──温泉開発部が活動中との通報あり。目標は第15エリア、80番街周辺と思われる。

 ──外出禁止令を発令。巡回中の各員は厳重警戒に当たれ。

 ──待機中の第一小隊、第三小隊、第八分隊に告ぐ。装備103で発令所へ集合せよ。

 ──繰り返す……。

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