所変わってトリニティ総合学園本校舎。いつもは静かで、静謐という言葉がぴったりと当てはまる雰囲気なのだが、今日は明らかに様子が違った。車列が校舎の玄関の前に停車している。
その車列は黒塗りの高級車で、しかも5台も連なっていればそれは目立つだろう。さらにその車から降りて来た人物たちを見て、周囲の生徒たちがざわつき始めるのも無理はない話。何故ならそこに居たのはゲヘナ風紀委員会だったからだ。その後に続くように次々と車が停車すると、そこから同じ制服を身に纏った少女たちが現れるのだった。
「げ、ゲヘナ風紀委員会……?!」
トリニティ総合学園の生徒の一人がそう呟くと、周囲の生徒たちは一斉に後ずさりを始めた。それもそのはずだろう。彼女たちがゲヘナ風紀委員会だとわかった瞬間から皆一様に顔を青ざめさせ、中には逃げ出す者もいた。しかしそんな状況でもヒナは全く表情を変えなかった。それどころか余裕すら感じられる態度で車列の先頭に立つと、堂々とした様子で校舎内へと入っていくのだった。
「ただ打ち合わせに来たと言うのに、こんなに騒ぐ事なのかしら?」
「ゲヘナの方がお見えになられるのは、そうありませんので……」
「そうかしら?」
「それでは後程、総長」
校舎内でヒナを先導しているのは風紀委員の一人。そして会長である空崎ヒナと並んで歩いているのは、トリニティ総合学園の桐藤ナギサだった。
何故このような面子で行動しているのかと言えば、事の始まりは昨日の会議に遡る。乾と紅一を呼び出したヒナは、特機隊員を何名か連れてトリニティ総合学園へ向かうことを告げた。
これにはその場にいた全員が驚いたが、ヒナは自信ありげに言い切ったのだ。
『私の判断が間違っているというのかしら?』
そうまで言われてしまっては、反論する事などできなかった。しかし実のところ、内心は穏やかではなかった。というのも、特機隊の存在は今まで意図的に伏せていた。仮に存在が露見した場合、トリニティ総合学園側が何を言いだすか分からないからだ。
それだけではない。乾や紅一たち大人組の存在も条約締結に悪影響を及ぼしかねない。あの二人が中心的になって特機隊は動いている。それは即ち大人の影響を受けているとも言え、悪意のある解釈をするならば、彼らに洗脳されるような形で特機隊は存在するのではないのかという疑惑を抱かれない。
実際のところは、二人の──特に乾の活躍を見て他学からの転入生が増えているのに過ぎないし、洗脳というよりは彼女たちが自分の意思で選択したのだが。
そしてそんな穏やかに無いものを腹に納めながらも、今に至るというわけである。
そうして到着したヒナ達が案内された場所は、ティーパーティーのテラスだった。まず最初に目に入るものは中央に配置された大きな机と椅子。その机の上には豪奢な茶器が設置されており、それがまるで王侯貴族の食卓のようであった。
そのテーブルを挟むようにして左右に椅子が二つずつ並べられており、ヒナとナギサはその内の一方へと腰掛けた。そしてそれを見計らったかのように、ティーパーティーのメンバーと風紀委員会の面々が現れると、それぞれ席についた。
それを確認した両者は、同時に口を開いた。
§
空崎ヒナはティーパーティーホスト、桐藤ナギサの対面に座っていた。その隣には特機隊の小隊長が座っている。
さらにその両サイドにはそれぞれの役職者が座っており、そして一つだけ、空席があった。その空席を挟んで、対面には正義実現委員会副委員長である羽川ハスミが座っていた。彼女の視線は終始鋭いもので、まるでこちらを見定めるかのような視線が常に注がれていたのだった。
そしてその視線に反応するかのように、周囲の空気が張り詰めていくのがわかる。しかしそんな中にあってなお、空崎ヒナの表情は全く変わることはなかった。
むしろどこか余裕すら感じられる様子で口を開いた。
「さて、今回の打ち合わせの件だけど、本題に入る前に紹介しておくわね。特別機動隊の小隊長よ」
「第一小隊、小隊長を拝命している者だ。噂はかねがね聞いている」
ヒナの言葉を受け、第一小隊の小隊長が立ち上がると軽く一礼した。それに対してナギサも立ち上がりつつ頭を下げると、改めて挨拶を返した。
「初めまして。ティーパーティーホスト代行の桐藤ナギサです」
「こちらこそお初にお目にかかります。正義実現委員会副委員長を務めさせて頂いております、羽川ハスミと申します」
互いに自己紹介を済ませたところで、再び席に着く二人。そしてヒナは改めて本題に入るべく口を開いた。
「昨日、我がゲヘナ自治区で、無許可での他校の活動が確認された。身元を確認した所、貴校の生徒であることが確認された。これについての説明をお願いしたいの」
「それは、一体どのような内容でしょうか? 詳細な説明をお聞かせ願いたいのですが」
「二日前の深夜に起きた事件よ。無許可で我が校の自治区に侵入した挙句、制止を振り切り暴走を行っていたのよ。その件に関しての説明を求めているのだけれど」
ヒナの言葉に、ナギサは僅かに眉を上げた後、小さく息を吐いた。どうやら心当たりがあるらしいが……それを口にするつもりはないようだ。だがここで引いてしまっては何も始まらないだろうと思い直したのか再び口を開いた。
「……なるほど、確かにそのような出来事があったことは事実です。しかし、それは不幸な事故であったと認識しております」
「それが何の根拠があっての事なのかしら? 証拠はあるの?」
ヒナの問いにナギサは沈黙で返した。だがそれで引き下がるような彼女ではない事は誰もが知っている事だ。案の定と言うべきか、すぐに次の言葉を投げかけてきたのである。
「では逆にお尋ねしますが……その件に関して、どのような情報をお持ちなのですか? 例えば、目撃者の証言や監視カメラの映像などがあれば提示して欲しいのですが」
「侵入者は四名。いずれも貴校の学力試験に付随する活動、と聞いているわ。氏名も確認している」
ヒナの言葉に、ナギサは紅茶で唇を湿らせると静かに問い掛けてきた。その瞳には強い意志が宿っており、彼女がどれだけこの件に関して真剣に向き合っているのかがよく分かるほどだった。
しかしだからと言ってヒナは引くわけにはいかないのだ。ゲヘナの治安を預かるものとして、由々しき事態にもなりかねない。他校の部活動が、無許可で他校内で活動しているという情報は看過できないものだ。
ヒナはナギサに向かってはっきりと告げた。それは正論であり、正論であるからこそ人は反発したくなるものである。ナギサは表情こそ変えなかったものの、ヒナの言葉を聞いて僅かに眉を寄せたように見えた。
だがそれも一瞬のことですぐに元の微笑みに戻ると言葉を続けた。
「ですが、私の見識ではそのような事実はありません。何か証拠があるのでしょうか?」
ヒナの指摘に動じることなく、ナギサは淡々と言葉を返してきた。だがその表情には僅かな焦りの色が見えるように感じることができる。
やはり何かしら後ろめたいことがあるのだろうとヒナは思ったが、ここで引き下がってしまっては何も進展しないと思い直し話を続ける事にした。
「そうかしら? でも現にこうして被害が出ているのよ」
そう言ってヒナは自分の端末を取り出すと、そこに映し出された画像を表示した状態でテーブルの上に置いた。画像は温泉開発部と交戦する補習授業部の面々が映し出されている。
ナギサはそれを見るなり、小さくため息をついた。
「これは……確かに。しかし何故このような写真が?」
ヒナの端末に表示されているのは、温泉開発部と補習授業部が戦っている場面だ。しかもその映像にはしっかりと撮影者のIDも表示されていたため言い逃れはできないだろう。
だがそれでも尚しらを切るつもりなのか、ナギサは余裕のある態度でそう答えたのだった。そんな態度に苛立ちを覚えつつも、ヒナはあくまで冷静に話を続けることにしたようだ。
「私は今回の件、事実を話しにきたわ。文句は言わせない」
ヒナの言葉にナギサは紅茶をひとすすり。
「なるほど、わかりました。ではこちらの方でも事実確認をさせていただきます」
ナギサはそう言うと立ち上がり、ヒナの端末を手に取ると操作を始めた。そして、納得したかのように頷くと再び席に着いたのだ。
「確かにそのようですね……しかしこれは一体どういうことでしょう?」
「それはこちらが聞きたい。貴校で何かトラブルでもあったのかしら?」
そう言いつつ、ヒナはナギサを牽制するように視線を送った。だがナギサは動じることなく、むしろ余裕のある態度で答えた。
ナギサはちらりとハスミの方に視線を送る。その様子にヒナは一瞬訝しげな表情を見せたものの、すぐに表情を戻し口を開いた。ヒナはナギサの視線を見逃さなかった。それは一瞬ではあったが、確かに自分に向けられたものだったのだ。しかしそれが何を意味するのかまではわからなかったため、とりあえず今は目の前の問題に集中することにしたようだ。
そして再び話し合いが始まる。
§
時を同じくして、乾は護送車両の運転席にいた。そこで降りることなく、帽子を深々と被っては、ただ静かに前方を見据えている。その視線の先にあるのは、巨大な聖堂。トリニティ・ティーパーティーの面々が『茶会』と称しては行う学園内政治の場だ。彼の隣にも生徒がいた。特機隊員だ。彼女もまた、乾同様に帽子を目深に被っているためその表情を窺うことはできない。だがそれでも彼女が緊張しているであろうことは容易に想像できた。
今回の任務の目的は、トリニティ・ティーパーティーの打ち合わせに同行し、条約調印に向け協議する中無事にゲヘナ自治区まで護送することが目的だ。
乾は車内から周囲を見て、トリニティ生の行儀良さに感心した。異質な存在である自分達を見て、尚も表情に出さないその様子はまるで貴族のような優雅さを感じさせた。仮に逆の立場なら、銃撃戦が起こりそうでもあったのだが。車内のドリンクホルダーからコーヒーの入ったカップを手にし、ひとすすりする。
ヒナたちが降りてから、数十分は経過していただろうか。退屈さにこらえきれず、助手席の特機隊員が口を開こうとした時、端末がバイブレーションした。彼女は慌ててそれを手に取ると、内容を確認し始める。
その反応を見て、乾は僅かに警戒を強めた。この状況下で連絡が来るということは、何かしら重要な案件である可能性が高かったからだ。
しかし特機隊員は、すぐに緊張を解くと安堵の表情を浮かべた。どうやら問題が発生したわけでは無かったようだ。そして彼女はそのまま端末をポケットにしまい込むと、改めて前を見据えた。その様子に乾も小さく息をつきつつ、再び視線を前方へ向ける。通行人が、いきなり銃を向けるなどと言った話もない。
「教官、何故運転手を?」
「さあな。相手をあまり刺激させたくないらしい」
「はあ……」
特機隊員の問いにぽつりと答える乾。それを聞いて特機隊員は口をまた閉じた。エンジンのアイドリングと、空調の作動音だけが車内に響く。やがてその静寂を切り裂くように、再び端末に通知が入った。今度こそは何か重要な情報が舞い込んでいるかもしれないと思い、特機隊員が端末を操作するも、大したことが無く再びしまった。
しかしそれでも尚、乾は警戒を緩めなかった。何故なら、今回の任務は、ただの護送とは訳が違う。この打ち合わせは、条約調印を予定する重要な場なのだ。その護衛となれば、当然快く思わない者にとっての最大の攻撃目標となるだろう。
だからこそ乾たちは、こうして武装して臨んでいるのだ。乾は不安だった。何故自分がこのような危険な任務に就かされているのか──というよりは、自分が表に出ることに対する影響だ。聞けばキヴォトスは、子供たちが主体となって自治を行っている不思議な場所だ。しかもその領域は国にも迫る程広大だ。
存在していることが不思議であるが、一番は大人が行政組織にいないと言う点か。今回は学校同士の条約であり、それを決めたのは子供たちだ。
だからこそ、大人である彼は今ここにいるのだが──。そんな事を考えている間にも、車の外の様子は人影が減ってきた。そこへ一人の生徒と慌てた様子で走る、スーツ姿の男性を目にした。
「田中さん?」
「うん? ……ああ、シャーレの先生ですね」
乾と特機隊員は急いで走る田中を見た。案内役の後ろをタブレット端末を片手に歩いている。相当遠くから来たのだろうか、少し息が上がってるようにも見えた。
「何もないといいが」
「ですねえ」
乾と特機隊員は去りゆく田中の背中を見てぼやいた。
§
田中が生徒の案内でテラスにたどり着いた時、既に話し合いは白熱していた。
「この件は、シャーレとの合同のもとで……」
「それだけとしては容認できないわね」
ナギサの言葉に対し、ヒナが珍しく食い気味に反応する。そこへ田中が慌てて割って入った。
「まあまあ二人とも、落ち着いて」
その声を受けて、ナギサもヒナも一瞬びくりと身じろいだ。しかしすぐにヒナは表情を戻すと、少し申し訳なさそうな声色で言った。
「……ごめんなさい。ちょっと熱が入りすぎたわ」
「いえ……こちらこそ、失礼しました」
ナギサもまた、謝罪の言葉を述べる。その様子に田中はほっと胸を撫で下ろした。そして改めて、ナギサに向かって話しかけたのだった。そうして話し合いが始まると、それまであった緊張感も少しは和らいだように感じられた。
給仕役の生徒が飲み物を配りつつ田中に目配せをする。その表情はどこか心配そうな様子でもあった。それはそうだろう、いつ銃撃戦が起きてもおかしくない状況なのだ。
だがそんな不安とは裏腹に、ナギサとヒナのやり取りはまるで昔からの知り合いかのようにスムーズに進んでいた。その様子を見て、田中もようやく落ち着きを取り戻したようだ。
どこか安心した様子で、用意された紅茶に口をつけた。一息ついたところで、ナギサが口を開いた。ヒナもそれに続き、交互に話を進める。
「さて、では改めて。今回の打ち合わせの議題についてですが……」
「そうね。まずはこちらの状況について説明させてもらいたいのだけれど……」
「はい、お願いします」
ヒナは頷きつつ、話を続けた。