箱舟に迷い込んだ犬   作:B=s

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箱舟に迷い込んだ犬-40

 イオリは射撃場で訓練を始めていた。レーンに入って的に向かい、愛銃である<クラックショット>を構えると引き金を引く。銃弾は的の中心を外し、左上の隅に着弾した。

 それを確認したイオリは舌打ちをすると、もう一度同じように撃ち込む。しかし結果は同じだった。

 装填分を撃ち切ると、ボルトハンドルを操作しチャンバーに弾がないことを確認してからセーフティをかけ、テーブルの上に置いた。

 イオリはため息を吐くと、額に滲んだ汗を拭う。

 ──やっぱり駄目だ。

 イオリは悔しさに唇を噛み締めた。何故上手くいかないのか、その理由は簡単だった。

 焦燥感だ。

 先のワカモとの一件は、ヒナ委員長と特機隊の介入により、何とか切り抜けた。だが、あれが無ければ自分たちは負けていたはずだ。

 そう思うと、居ても立ってもいられなくなる。自分の力不足を痛感してしまうのだ。そして同時に、このままではいけないとも思う。現状を打破するにはどうすればいいか、その方法を考えなければならない。

 しかし、今の自分に何ができるのか。

 ──銃の腕を上げることしかできない。

 イオリは再び<クラックショット>を手に取ると、射撃を再開した。銃声が轟き、空薬莢が飛び散る。

 的を狙い、引き金を引く。それだけをひたすら繰り返した。先ほどまでとは違い、弾は的の中心付近に命中している。だが、それでもまだ満足できないイオリは、苛立ちを募らせていた。

 ──もっと速く! もっと正確に! 

 イオリの脳裏に浮かぶのは、狐坂ワカモの影だ。あれは銃剣で突っ込んで来た。しかも、それなりに銃剣格闘が出来た。それに対して、自分はどうだ? 

 自分はただ、撃つことしかできないではないか。

 もっと強くなろう。

 そう決意したイオリは、再び銃を構えた。そして狙いを定めると、引き金を引く。乾いた破裂音と共に銃弾が放たれ、それは的の中心に吸い込まれるように消えていった。

 イオリは小さく息を吐くと、次の的へと視線を移す。そして再び<クラックショット>を構えると、射撃を開始した。次々と放たれる銃弾が、的に風穴を開けていく。

 その様子を、射撃場の入り口から見つめる視線があった。チナツと乾だ。二人はイオリの射撃練習を見守っていたのだが、途中から様子がおかしいことに気付いたようだ。心配そうな表情を浮かべている。

 

「どうしたんだ?」

「さあ。だが、あまり良い状態ではなさそう」

 

 チナツはそれ以上何も言わなかった。ただ黙って、イオリの射撃を見つめている。その表情からは何を考えているのかは分からない。乾はそんな彼女を横目に見ながら、小さくため息を吐いた。

 

「やはり、先日の一件が原因か」

「……ええ。そうでしょうね」

 

 乾の言葉に、チナツは小さく頷いた。あの日以来、イオリはどこか上の空の様子が垣間見れた。

 訓練に集中できていないように見えるし、食事もほとんど喉を通らない様子だった。まるで魂が抜けてしまったかのような虚ろな瞳をしていたのだ。普段の彼女であれば考えられないことだった。それだけ、あの一件が彼女に大きな影響を与えたということだろう。

 ──無理もないか。

 それだけに、あの時のことがよほどショックだったのだろう。乾はそう思った。彼女の気持ちも分かる。自分だって同じ立場ならそう思うだろうから。

 そして同時に、イオリに同情もしていた。ヒナが引退すれば、ゲヘナ学園の風紀委員会のトップに立つのは彼女になるのだから。しかし、それを本人に伝えるつもりはなかった。

 きっとイオリ自身も分かっているだろうし、それ故に彼女なりの努力をしているのだろう。その結果があの姿なのだと思うと、複雑な気持ちになる。

 だが、それ以上に心配だった。と言うのも、彼女はスナイパーを自称しているが、スナイパー……と言うよりは先陣を切る関係上、ポイントマンに近いのが実情だ。極めて高速で装填を行う為か、ボルトアクションにもかかわらず高い連射を叩き出す。

 しかしそんな運用を行うならば、何もボルトアクションでなくともいいのだ。むしろフルオートや三点射が出来る銃の方が相性がいい。ともかく、そんな無茶な運用を続けるのも難しいだろう。

 もっと適性を考慮した上で配置してあげなければ、近い将来取り返しのつかないことになるかもしれない。

 ──流石に、な……。

 乾はイオリの能力を見て、かつての自身と重ねて見ていた。かつての乾は、一匹狼になりがちな単独行が多かった。都々目の下に入ってからは、連携を重んじるようになり大分解消された。

 しかしそれでもなお、自分はイオリの危うさを感じていた。それは、彼女の性格に起因するものだろうか。それとも、別の何かが原因なのだろうか。乾には分からなかった。

 ただ一つだけ言えることは、彼女は危うい。まるで死に場所を探しているかのような戦い方をしている。それが、乾が見たイオリの印象だ。

 だからだろうか。彼女が自分のような目に遭う前に、何とかしてやりたいと思ったのは。

 ──いや、違うな。これはただのエゴだ。

 乾は自嘲気味に笑うと、イオリに声を掛けた。彼女が少しでも前を向けるように……そう願いながら。

 

 §

 

 ──はあ。

 天雨アコは本日32回目のため息をついた。万魔殿に呼び出された彼女は、持ち帰ってきた書類の山を手に、廊下を歩いていた。

 廊下は、アコが歩く度にコツコツと足音が響き渡り、その音がアコの気分をさらに重くさせる。しかし、いつまでも落ち込んでいるわけにもいかない。

 ──委員長のためにも、早く終わらせないと。

 アコは頭を切り替えると、自分の執務室へと入った。そして、机の上に書類の束を置くと、書類を一枚ずつ確認していく。

 風紀委員会の仕事には、学生たちの逮捕・補導だけでなく、抗争やテロなどの発生時の対応も含まれている。その為、襲撃される可能性のある場所は把握しておく必要があり、そういった場所のリストアップもアコの仕事の一つだった。

 アコが書類を確認していると、ふと気になる点を見つけた。それは、ある人物の名前だ。

 

「この人、名前はよく見るけど……」

 

 口に出すほどに、アコはその人物のことが気になっていた。万魔殿から嫌がらせで送られてくる書類の大半に名前が載っている。しかし、実際に会ったことはない。

 その人物は、一応万魔殿所属のゲヘナ学園生徒らしいのだが……。アコはその書類をもう一度よく見る。しかし、名前だけで顔まではわからなかった。

 アコの知っている限りだと、万魔殿にこんな名前の生徒はいないはずだ。しかし、この書類には確かにそう記載されている。

 つまり、この人物は万魔殿に所属していることになる。

 ──一体何者なの……? 

 そんな疑問を抱きながらも、アコは書類の処理を続けることにした。書類の量は多い。しかし、それでもやらなければいけないのだ。これを放っておけば、また無理難題を言われてしまうだろう。

 ついこないだも、議長である羽沼マコトが風紀委員会の食堂利用率が非常に少ないと言う理由で予算を削減する──だのと言いだしては、ヒナを困らせたばかりだ。

 しかし、アコは万魔殿に良いようにされるつもりはさらさらない。この書類の処理が終わったら、今度は万魔殿に特機隊を連れて直談判してやるつもりだ。そうしてでも、少しでも風紀委員会の予算を増やさねば。

 ──それに……。

 アコにはもう一つ、懸念があった。

 先日、トリニティ総合学園がゲヘナ学園に喧嘩を売ったと見なされかねない事件があった。

 その件でアコも色々と後処理に追われていたわけだが、その最中、今後の風紀委員会の方針を聞かれたのだ。

 アコにしてみれば、言うまでもなくゲヘナ学園に所属している全ての生徒たちの治安と安全を守ることが責務だと考える。かつて存在した特機隊を再編の案をOGたちから提案され、その案を採用したのは今のところ間違いではなかった。

 エデン条約の件が上手く行けば、ヒナ委員長は風紀委員長の任を降りることができ、ただの空崎ヒナに……やっとなることが出来るのだ。そうすることで、敬愛するヒナ委員長が犠牲にしたであろうものたちを、取り戻すためだ。

 故に今以上に、ゲヘナ学園の風紀を引き締めなくてはならないのだ。

 ──だが、果たしてそう上手くいくだろうか……? 

 そんな懸念が、アコの心の中で渦巻いている。それと同時に、自分が彼女の傍にいることが出来るのだろうか? という不安がある。果たして本当に、私は彼女に忠誠を誓っているのか? そもそも彼女の言うことは正しいのか? 

 そんな疑問が沸々と湧いてきてしまい、彼女への忠誠に自信が持てなくなってしまうことがある。アコはそんな自分が嫌になってしまうのだ。しかし、ヒナ委員長の悲しむ顔を見たくないアコには選択肢はない。その結果が、今の状況を生み出しているのだろう。

 ──どうすれば……? 

 と、そんなことを思いながら仕事を進めていると、執務室にノックをする音が聞こえてきた。アコが返事をする前に扉は開いた。入ってきたのは制服姿の紅一と、ギアを纏った特機隊員たちだった。

 

「一体どうしたと言うのです?」

「天雨。不審な人物の身柄を拘束した」

「不審な人物?」

「拘束したのはゲヘナ生徒だ。しかし、学籍が定かではない」

 

 紅一の言葉にアコは眉をひそめた。

 学籍が定かではない? それは一体? 

 疑問が次々と浮かんでくるが、今はそれどころではない。

 

「わかりました。その者の取り調べは私が行います。場所は?」

「風紀委員会の取調室だ」

「承知しました。では行きましょう」

 

 アコはそう言うと、立ち上がって部屋を出た。その後ろを、紅一と特機隊員たちが続く。

 廊下を歩きながら、アコは思考を巡らせていた。一体誰なのだろうか。学籍が定かではない者を捕まえたというが、何故? 

 アコがそんなことを考えているうちに、一行は取調室に到着した。取調室は窓がなく、薄暗い部屋だった。部屋の中央には机があり、その上にはペン立てや書類などがある。そして、その机の向こう側には椅子に座ったまま拘束されている少女がいた。

 少女は黒髪に黒い瞳をしており、髪は長く三つ編みにしている。服装はゲヘナ学園の冬季制服を基にしたのであろう、改造制服を着用していた。表情や見た目から判断するに、年齢はアコよりも下といったところだろうか。

 彼女はアコの姿を見ると、少しだけ驚いたような表情を浮かべた。

 

「……!」

「私はゲヘナ学園風紀委員会行政官の天雨アコです。貴方のお名前は?」

「…………」

「名前を聞いているのですが?」

「…………」

「……黙秘権を行使するというわけですか。まあいいでしょう」

 

 アコの問いに、少女は一向に口を開こうとしない。このままでは埒が明かないだろう。

 ひとまず切り上げ、アコは紅一たちと協議することにした。取り調べに関してだが、基本的にはこちらの指示に従ってもらうことにする。そして、その結果によって処遇を決めるということにした。

 その決定を伝えるために、アコは再び少女の前に立った。

 

「では、これより本格的な取り調べを始めます。何か言い分があればどうぞ」

 

 少女はやはり無言を貫く。しかし、その沈黙こそが彼女の答えだったのかもしれない。アコは深くため息をつくと、諦めたように言った。

 

「それではまず、貴方の名前を教えていただけますか?」

「…………」

 

 アコはもう一度深呼吸をすると、改めて口を開いた。それに対し相手は頑なに口を閉ざしている。これでは埒が明かないだろう。

 仕方なしに脇に抱えていたバインダーを机の上に置いて中を開く。中には数枚の紙が挟まっており、そこに目を通していく。

 顔写真と名前が記載された書類を見つけ、アコはその顔写真と目の前の人物を比較する。しかし、やはり同じに見える。

 念のために本人から聞き出す必要がありそうだ。

 

「貴方の名前は?」

 

 しかし、少女はまたもや黙ったままだった。このままでは埒が明かない。こうなったら少し強引な手段を取らせてもらうことにしよう。アコは書類に目をやりながら、少女に質問を繰り返すことにした。

 

「少し質問を変えましょう。貴方の名前は……神門ウルですか?」

「!」

「おや、当たりですか」

 

 アコがそう言うと、少女は驚いたような表情を浮かべた。どうやら正解だったようだ。しかしまだ油断はできない。この少女には他にも偽名があるかもしれないからだ。

 

「貴方の名前は神門ウルですね?」

「…………」

「沈黙は肯定と受け取ります」

 

 アコがそう言うと、少女は小さく舌打ちをした。その反応を見て、アコは確信を得た。やはりこの少女が神門ウルで間違いないようだ。しかし、まさか嫌がらせ目的の書類で見ただけの、顔すらわからない人物と出くわすとは思わなかった。

 しかし、ここでアコの脳裏にある考えが浮かぶ。この少女は一体どうしてゲヘナ学園の制服を着ているのだろうか? 確かにゲヘナ学園の制服は黒を基調としており、デザインも似ている。

 だが、細部が異なっているのだ。例えば、袖の部分や襟の部分などだ。それに、よく見るとトリニティの制服にも見える。これは一体どういうことなのだろう? 

 

「貴方の名前は神門(ごうど)ウルですね?」

「……はい」

 

 アコの三度の問いに、ウルは折れたように答えた。今までとは打って変わり、素直な反応だ。それに気を良くしたアコは、続けて質問することにした。

 

「では、貴方はここで、何をしていたのですか?」

「それは、学園業務の遂行だ」

「それだけでしたらば、彼女たちが出てくることはない筈。何かよからぬことをしていたのでは?」

「……」

「もう一度聞きます。貴方はここで、一体何をしていたのですか?」

「それは……」

 

 ウルは再び口を閉ざした。しかし、先程とは違い今度は何か言い淀んでいるように見える。アコが黙って待っていると、やがて観念したのか口を開いた。

 

「私は……ある人物を待っていた」

「ある人物とは?」

「……それは言えない」

「何故ですか?」

「言えないからだ」

 

 ウルはそう言うと、再び口を閉ざしてしまった。どうやらこれ以上は喋らないつもりのようだ。

 そこへぐう、と音が鳴り響いた。アコが首を傾げると、ウルは首を横に振った。しかし、再びお腹が鳴る。また同じ様に断ろうとしたウルだったが、三度お腹が鳴り響き、観念したのか肩を落とした。

 アコは目を細めると、ぱんぱんと両手を叩いた。

 

「お昼ごはんには丁度いい頃合いです。貴方もまだでしょう?」

「えっ」

「よろしいですね? ……続きは食事の後です」

 

 アコがそう言うと、ウルはこくりと頷いた。アコは微笑みながら部屋を出た。そして、胸元からカバー付きのスマートフォンを取り出した。

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