ウルからもたらされた情報は慎重に行われた。風紀委員会の情報部に裏付け調査を依頼したのである。
ゲヘナ学園風紀委員会の情報部は極めて優秀で、ブラックマーケットでのトリニティ生の動向を素早く察知できるほどだ。今回の調査においても、確実な成果を挙げてくれるだろう。ヒナはそう信じていた。
情報部からの報告は一日も経たずに届いた。
内容は以下の通りである。
1.マコトはアリウス分校と接触し、何らかの取引を行っていた。
2.その取引内容は不明だが、アリウス分校はゲヘナ学園の内部情報を入手している可能性が高い。
3.アリウス分校はトリニティ総合学園から独立した勢力であり、独自の戦力を持つ。
4.アリウス分校は過去にトリニティ総合学園と紛争を起こしており、現在は不明である。
5.アリウス分校はエデン条約に関心を持っており、条約締結に向けて何らかの動きを見せている可能性がある。
6.マコトとアリウス分校の取引は、エデン条約に関するものである可能性が高い。
これらの情報は非常に重要だ。アリウス分校がゲヘナ学園の内部情報を入手しているとなると、エデン条約締結に向けた準備に支障が出る可能性がある。また、アリウス分校がエデン条約に関心を持っていることも懸念材料だ。
ゲヘナ側と交渉や取引を行っている辺り、何らかの形で介入を企図しているのは明白だ。しかしその目的がなんなのか、つかめずにいた。調印式の日まで、まだ時間はある。その間に情報を集め、対策を講じる必要があるだろう。
ヒナはアコに指示を出し、情報部と特機隊との連携を強化することにした。特機隊はゲヘナ学園内における特殊な立場にある部隊だ。彼女らの協力があれば、学内の動きを監視し、情報収集を行うことができるだろう。
その日のうちに、特機隊との合同作戦が実行に移された。彼女らの協力により、アリウス分校に関する詳細な情報が集められた。
アリウス分校はトリニティ総合学園が今の形になる前から設立されたが、後にトリニティ総合学園の各分派と紛争を起こしたが、現在は存在すら忘れ去られている。
当然、両者の関係は良好とは言えず、いつ再び紛争が勃発してもおかしくない状況だ。そして、アリウス分校がエデン条約に関心を持っている理由だが、それは彼女らの目的がエデン条約の妨害にあるからだと思われる。
アリウス分校はエデン条約によって利益を得るどころか、逆に不利益を被る可能性が高い。そのため、条約締結を阻止しようとしているのだろう。
「はあ……面倒なことになったわね」
「こう言うことに面倒ごとは付きものだぞ」
ヒナは特機隊から送られてきた報告書を読み終えると、大きく息を吐いた。やはり、アリウス分校は危険な存在だ。一刻も早く対策を講じなければならない。
しかし、どのように行うのか……それが不明瞭であった。アリウス分校の動きを封じるためには、何らかの方法で彼女らの戦力を削ぐ必要がある。
だが直接的な武力行使は避けたい。それはゲヘナ学園とトリニティ総合学園の対立を深めるだけでなく、アリウス分校を刺激することにもなりかねないからだ。
「それにしても……」
ヒナは報告書に記載された情報に目を通しながら、眉をひそめた。
──なぜこんな相手とマコトは組むことにしたのだろうか? 十中八九、裏切られるのは明白だろうに。
アリウスはトリニティ系の学校である。となれば、主要三派閥のどれかと繋がりがある筈。そう、アリウス分校がどこかの派閥と結託し、エデン条約を潰すために暗躍していると考えるのが自然だ。
だが、肝心のその派閥というのが分からない。サンクトゥスか? フィリウスか? パテルか? それとも別の何かなのか?
いや、もしかすると三派閥が裏で繋がっている可能性もある。だとしたら厄介だ。いずれにせよ、早急に手を打たなければならないだろう。
「アコ、紅一、乾。皆は、この件をどう思う? どの派閥が怪しいか、意見が欲しい」
「パテル派ではないでしょうか。聞けばあの派閥は、我がゲヘナへ敵対路線を敷いているようですし」
「俺はサンクトゥス派だと思う。あの派閥の首長が打ち合わせに来ていないってのが気になる」
「俺も天雨の意見と同じだ。あの派閥の首長も打ち合わせに来ていないが、連中はゲヘナってだけで毛嫌いしている」
ヒナは三人の意見を聞きながら、頭の中で整理した。パテル派はゲヘナ学園に対する敵対心が強く、常に挑発的な態度を取っている。また、エデン条約の締結にも反対していると聞く。
そのため、アリウス分校と結託して条約を潰そうとしている可能性は高い。
一方、サンクトゥス派は中立的な立場を取っているが、その真意は不明だ。もしかすると、裏で何か画策しているのかもしれない。
「……そうね。やはりパテル派が怪しいわね」
ヒナは三人の意見を踏まえ、パテル派が黒幕である可能性が高いと判断した。だが、確たる証拠がない以上、迂闊に動くことはできない。
出来ることなら、桐藤ナギサから情報提供があるといいのだが……。
ナギサとは、定期的に連絡を取り合っている。彼女もエデン条約の成功を願っており、何か情報があれば共有してくれるだろう。
話が纏まりかけた所で、ヒナの机にある電話が鳴りだした。受話器を取ると、相手は警邏中のイオリからだった。
「委員長、緊急事態だ!」
受話器から聞こえてきたのは、焦燥感に満ちた声だった。ヒナは即座に意識を切り替え、冷静な声で応じた。
「何があったの、イオリ?」
「大型のミサイル発射器らしき物が、ゲヘナ自治区内で発見された!」
ヒナは息を呑んだ。ミサイル発射器? まさか、そんなものが……。彼女は受話器を握りしめ、指示を出した。
「すぐに現場へ向かうわ。詳細な場所と状況を教えて」
§
現場は騒然としていた。ゲヘナ自治区のスラム街にそれはあった。廃墟の中に巨大な発射台が静かに佇み、その威圧感は尋常ではなかった。ヒナは発射台を前に立ち尽くした。これは、アリウス分校の仕業に違いない。彼女らはエデン条約を潰すために、これほどのものを用意していたのか。
「委員長、これは……」
アコが震える声で言った。ヒナは彼女を制し、冷静に状況を分析した。
「これは明らかにアリウスの仕業ね。他にも似たようなものはなかったかしら?」
「いえ、これ以外には見当たりませんでした」
ヒナは頷いた。これはアリウス分校が仕掛けた罠だ。
彼らはエデン条約の調印式を狙って、このミサイルを発射するつもりなのだろう。だが、なぜこんな場所に隠していたのか? しかも、なぜ今になって発見されたのか? 疑問は尽きないが、今はそれよりも重要なことがある。
「まずはこれを無力化する必要があるわね」
ヒナは決断した。このまま放置すれば、大惨事になりかねない。彼女はアコに指示を出し、周囲一帯を避難させることにした。同行していた乾が辺りを見回し、ぽつりとつぶやく。
「ここは……この前の場所だな」
「と、言うことはこの辺りで温泉開発部が?」
「そうだ。更に言えば、トリニティの補習授業部の試験会場が……あった、あの廃墟だ」
「ふむ……つまりここにあの発射台が隠されていたというわけね」
ヒナは乾の案内で、発射台の位置を確認した。
確かにここならば、ゲヘナ学園からもトリニティ総合学園からも離れている。誰にも見つからずに隠しておくには絶好の場所だろう。だが、それがなぜ今になって発見されたのか?
発射台は古びており、埃を被っていた。最近まで使用されていた形跡はない。つまり、アリウス分校は以前からこの場所に発射台を隠していたのだ。
そして、エデン条約の調印式が近づいた今、それを起動しようとしている。だとすれば、このミサイルは条約の締結を阻止するために用意されたものと考えるのが自然だ。だが、何故アリウス分校はトリニティの自治区ではなく、ゲヘナの自治区に隠したのか。
それはつまり──。
「アリウス分校はゲヘナ学園とトリニティ総合学園の両方を攻撃するつもりだ」
ヒナは確信した。アリウス分校はエデン条約を潰すために、遺恨のある両校を共倒れさせるつもりだろう。つまり、発射台が見つかったのは偶然ではなく、意図的に仕組まれたものだったのだ。
アリウス分校は発射台を発見させることで、ゲヘナ学園に疑念を抱かせようとしているのだろう。
もし、ゲヘナ学園が発射台の存在を公表すれば、トリニティ総合学園は激怒するだろう。そうなれば、エデン条約の締結は不可能になる。
しかし、ゲヘナ学園が発射台の存在を秘匿すれば、トリニティ総合学園はゲヘナ学園が何かを企んでいると疑うだろう。
どちらに転んでも、アリウス分校にとっては都合が良い。アリウス分校はゲヘナ学園とトリニティ総合学園の両方を攻撃するつもりだ。
発射台はその第一段階に過ぎない。
「……そういえば」
ヒナはふと、あることに気づいた。アリウスがこのミサイルを使うのなら、ここだけではない筈。最低でも後一基、同じものがどこかにある筈だ。では、どこに……?
「おい、こりゃかなりマズくないか?」
「ええ。ヤバいですね」
「どうしたのです?」
紅一と乾が、眉間にしわを寄せている。その様子を見て、ヒナは首を傾げた。
「何がマズいの?」
「アリウス分校がこれと同じものを持っているなら、それはもうテロどころか戦争だ」
「多分俺たちが見つけて手を打つことも織り込んでるはずだ。俺が指揮官なら、もう一基をトリニティに仕掛ける」
紅一と乾の言葉に、ヒナはハッとした。
ここだけにミサイルを置くのは不自然なのだ。どのようにしてアリウス分校が仕掛けるのかは不明だが、共倒れならゲヘナ側だけでは不十分。トリニティ側にも同じものを置くだろう。
「もしトリニティ側に発射台があった場合、発射されたらどうなる?」
「連中はアリウス分校の仕業ではなく、ゲヘナの仕業と偽装するだろうな。そうなれば……ゲヘナとトリニティは戦争になる」
「エデン条約どころの話じゃなくなるな」
二人の言葉に、ヒナは戦慄した。もしそんなことになれば、キヴォトスは大混乱に陥るだろう。何とかして止めなければならない。
──だが、どうやって?
「……とにかく、今は目の前のことを片付けるしかないわね」
ヒナは覚悟を決めた。まずはゲヘナ自治区内の発射台を無力化し、その後にトリニティ側の発射台を探すしかない。
「アコ、特機隊全員を招集して」
「はい、委員長!」
アコは敬礼し、通信機で特機隊全員に招集をかけた。
§
「──!」
百合園セイアは、自分の悲鳴で目を覚ました。いや、正確には覚めようとしたが、まだそこは夢の中だった。しかし、先程までの穏やかで美しい、まるでセイアが意図的に作り上げたかのような予知夢の世界とは違う。
今彼女が見ているのは、暗く荒廃した廃ホテルだった。耳をつんざくような銃声が響き渡り、壁や床には無数の弾痕が刻まれている。硝煙の匂いが鼻をつき、焦げ付いた金属の臭いが混じる。目の前では、見慣れない武装集団が激しい銃撃戦を繰り広げていた。
セイア自身は、なぜかその場に立ち尽くしている。動こうとしても、金縛りにあったように体が動かない。ただ、銃弾が飛び交う光景を眺めているだけだ。
「これは……一体……?」
セイアは混乱していた。いつもの明晰夢ならば、自分の意思で自由に行動できたはずだ。しかし、今は違う。まるで他人の体に憑依しているかのように、彼女の意識だけがそこに囚われている。
銃撃戦はますます激しさを増していく。時折、セイアのすぐそばを銃弾が掠め、背後で断末魔の叫びを聞く。
「大人同士で銃撃戦……ここは、キヴォトスではない?」
セイアは必死に状況を理解しようとした。これが未来の予知夢だとしたら、キヴォトスで戦争でも始まるのだろうか? しかし、キヴォトスでは生徒が銃を持ち歩くのは日常茶飯事だが、大人がこうして激しい銃撃戦を繰り広げるというのは聞いたことがない。ましてや、この廃ホテルのような場所で。
銃撃戦はしばらく続いたが、やがて静寂が訪れた。セイアの周りには、多数の死体が転がっている。その光景はあまりにも凄惨で、セイアは思わず目を背けたくなった。その中で、一つの人影が佇んでいた。
「あの黒いのは、甲冑か? 外ではあんなものを着るのだろうか……?」
黒い甲冑の人物はその場で膝をつくと、手にしていた銃を降ろした。そのまま、セイアには気付かない様子で銃の分解──銃身交換を始めた。
銃身は赤熱し、陽炎のような歪みを伴って湯気を上げている。
セイアの知識の中にある、誰かの愛銃ではなく──戦場でその名を轟かせた殺戮兵器。その威力は、目の前の惨状が雄弁に物語っていた。甲冑の人物は慣れた手つきで銃身の固定レバーを解除すると、赤熱した銃身を素早く引き抜いた。
焼けた鉄の匂いが、セイアの鼻腔を刺激する。
次に、背中のバックパックの一番上から新しい銃身を手に取る。手袋をしているのだろうか、素手ではないようだ。新しい銃身を銃本体に差し込み、それを確実にロックする。わずかな調整を行い、最後に安全装置を外した。その一連の動作はまるで熟練した職人が道具を扱うかのように正確で、無駄がなかった。
これが戦場における兵士の日常なのだろうか。セイアには理解し難い、冷徹な効率性がそこにはあった。銃身交換が完了し、甲冑の人物はゆっくりとセイアの方へ顔を向けた。
ガスマスクの紅いレンズ越しに、その視線がセイアを捉える。目が合った──そんな錯覚を覚えた瞬間、甲冑の人物は銃を構え、前進を開始する。セイアのすぐ目の前まで腰だめに構えた銃口が迫る。
セイアは心臓が凍りつくような感覚に襲われた。逃げ出したいのに、体は動かない。恐怖で喉が塞がり、声も出せない。
「!!」
セイアが悲鳴を上げるよりも先に、場面が切り替わる。狭い廊下のような場所に立っていた。造りや壁紙の色合いからして、さっきの建物の別地点であることがうかがい知れる。一瞬で変わった辺り、夢の中にいることは変わらないようだ。セイアは安堵のため息をついた。が……。
「うわっ?!」
轟く銃声──。直後、セイアのすぐ近くで銃弾が炸裂し壁に大きな穴が開いた。甲冑の人物は壁の角に隠れながら、遮蔽物を利用して前進した。
セイアはその光景を呆然と見つめる。何が起きているのか理解できない。ただ、目の前で繰り広げられる現実離れした──ここがキヴォトスだったならば見慣れているが──光景に、圧倒されているだけだった。
甲冑の人物は遮蔽物から身を乗り出す事なく、銃を発射する。そのたびに銃弾が飛び交い、壁や床に穴が開いていく。甲冑の人物が向かう先には複数の大人達が固まっており、こちらに向かって銃を構えている。
次第に遮蔽物に隠れていた男達が突撃を仕掛けてくる。甲冑の人物は、機関銃の掃射で応戦する。セイアはただその場に立ち尽くすことしかできなかった。
銃弾は身体をすり抜けて、痛くもなんともないのに銃声が響くたびに体が震え、人の血肉が飛び散る光景に、恐怖で頭が真っ白になる。
目を閉じたいのに、閉じることができない。耳を塞ぎたいのに、塞ぐことができない。
甲冑の人物は容赦なく銃弾をばら撒く。突っ込んで来る敵を残らず蜂の巣に仕上げ──セイアはその光景をただ見ていることしかできなかった。
「う……うう……」
突然、視界が歪み始めた。まるでテレビの画面が乱れるように、世界がぐにゃりと曲がっていく。セイアは必死に抵抗しようとしたが、それは無駄な努力だった。意識が遠のき、深い闇へと落ちていく。最後に見たのは、甲冑の人物がこちらを振り返る姿だった。
そして──。
セイアはベッドの上で跳ね起きた。全身汗びっしょりで、心臓が激しく鼓動している。荒い息を繰り返しながら、周囲を見回す。
見慣れた自室──但し夢の中のだ。あれは夢の中の夢だったのだ。
しかし、あまりにもリアルな夢だった。あの銃声、血の匂い、そして甲冑の人物の紅い視線。すべてが鮮明に思い出される。
「あれは一体……? 何を、伝えたかったのだろうか……?」
セイアは震える手で額の汗を拭った。夢の内容を反芻する。
廃墟、銃撃戦、黒い甲冑、そしてMG42。特に銃身交換の手際の良さが、セイアの脳裏に焼き付いていた。それは、まるで予知夢の断片のように、彼女の心に不安と混乱を植え付けていた。
──何かが、起こる。セイアはそう確信した。しかしそれが何なのか、まだわからない。胸騒ぎが止まらなかった。夢の中で見た光景が、夢から醒めた先で起こるかもしれないという恐怖。
セイアは震える手で布団を握りしめ、祈るように目を閉じた。
だが瞼の裏に浮かぶのは、あの赤熱した銃身と、冷徹な紅い視線だった。