――〝禁断の森〟と呼ばれる土地があった。
曰く、そこには人語を介する化生がいる。
曰く、ただ一匹の怪物を除いてそこに生き物はいない。
曰く、その化物は人を喰らい、その最たる力を奪うという。
吾輩は〝ばけもの〟である。名前はまだない。
名前はないが『知識』はある。
ニンゲンを喰らったからだ。
吾輩には力がある。
喰らったモノの力を得る力だ。
喰らったモノが持つ一番の力を吾輩は得る。
大地の獣ならその俊敏性。
海の獣ならその水泳力。
賢人ならその知識を。
武人ならその技を。
吾輩は得る。あるいは奪う。
今までニンゲンを喰らったことは数えきれないほどある。だが、これだけの知性を得られたのは生まれて初めてだった。
今まではただ本能の赴くままに喰らうだけだった。大地の獣も海の獣も人も鳥も、すべては吾輩の餌でしかなかった。だが今はどうだ。獣を喰らうことに〝罪悪感〟を抱いているではないか。
罪悪感。それは罪の意識。吾輩への戒め。善意や良心、良識、悪いことをしているという実感、それが吾輩の〝ココロ〟の働きを縛り付ける。
〝こうしたい〟と望む。だが〝こうはなりたくない〟と、こうも思う
もっとニンゲンを喰らいたい。それが吾輩の望みだ。もっと知りたい。もっと理解りたい。もっと、もっと。そう望まずにはいられない、それは〝欲〟だ。悪いことだ。少なくとも吾輩の中にある『知恵』はそう考えている。
〝ニンゲン〟を喰ってはならない。〝ニンゲン〟を助けなければならない。〝ニンゲン〟を救え……そう、吾輩の中のナニカが叫び続けている。これはなんだ? 知識ではない。知恵でもない。これが吾輩の、ココロ……? 理解らない。理解りたい。この衝動の正体がなんなのか。
だから、慣れ親しんだ土地を出て、吾輩は外の世界に往く。
きっとそこにはまだ見ぬ土地と、まだ見ぬニンゲンがいる。
ニンゲンを喰らうのか、助けるのか、それを決めるのはそこに辿り着いてからでも遅くはない。
「それらはトモか、あるいはエサか……どちらにせよタノシミだ」
ヒトならざる口で、器用にも人の言葉を扱う真性の〝ばけもの〟はニヤリと人外の笑みを浮かべた。その口からは鋭い牙が覗き、その端からは未だ乾く様子のない、てらてらとした赤い血が地面へと垂れていた。
その大きな大きな体躯の後方を見れば、そこには立派な白と黒の体毛が生えている。地面についた四本の巨大な足、鋭い爪と似合わぬ水かき、背中には四対の巨大な羽が生えているのが窺える。
その姿は大地の獣にあらず、その姿は空の獣にあらず、その姿は海の獣にあらず、〝ばけもの〟はそのいずれにも属さぬゆえに〝ばけもの〟である。
ヒト喰いの〝ばけもの〟は、生まれた土地を離れ、遠く遠く、人里のある場所へと向かって、飛び立った。そこは崖だった。真っ逆さまに落ち、崖下へと消え……次の瞬間、遥か彼方に浮かぶ四翼をはためかせる巨大な獣がいた。
立つ鳥跡を濁さずというが、アレは鳥ではなく〝ばけもの〟だ。ゆえにその跡にはまったく始末されていない〝ばけもの〟の行為の結果が残存していた。
つまりは、あの〝ばけもの〟が食い散らかした生き物の死体。
それは、それらの死体は……豪華な鎧に絢爛な剣、上等なローブに高級な杖、格式高い装束に神聖な本を携えた上等なものだ。
それが無残にも食い散らかされ、頭や腕、脚がない。彼らは〝ばけもの〟に負けたのだ。それは仕方のないこと。ここは何人たりとも立ち入れなかった禁断の森だ。魔王城へと続く森だ。この森はありとあらゆる侵入者を拒んできた。それは偏に一匹の〝ばけもの〟による所業だった。
そう、彼らも、彼ら一行もまた乗り越えることが出来なかったのだ。その旅路に意味はなかった――わけではない。彼らの持つ『心』が、『知恵』が、『良心』が、〝ばけもの〟に変化を与えた。
〝特別〟な彼らの〝特別〟な旅は終わった。だが、彼らの意志は幸か不幸か、彼らを喰らった〝ばけもの〟へと受け継がれた。
――人々は彼らを〝勇者一行〟と呼んでいた。