Steam Paper ~マスゴミ男の転生蒸気譚~   作:マスゴミA

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創刊号:「完全自殺」のプロローグ
朝刊


 

 

 ――ある日、一人の男が死んだ。

 彼は自筆の遺書を用意し、自宅の窓や扉へ余さず鍵をかけ、自室で首を吊った。

 それは疑いの余地など何処にも無い、完全な自殺。

 

 男は、身に覚えのない罪で全てを失った。彼の五十数年積み上げてきた人生は、唯の数日で粉々に砕け散った。砕いたのは、『デマ』。紙面に、液晶に、会話に、踊り狂った『嘘』。

 「みんながつくった紙飛行機、一番遠くへ飛ぶのは誰のかな?」――その言葉にキャイキャイ笑って駆け出す幼子のように。「みんな」は競い合うように、鳥や紙飛行機を模したアイコンを押した。人なんて簡単に押し潰せる重い言葉の数々を、軽々しく液晶の奥へと飛ばした。にっこり笑う生首のアイコンや、どくどく脈打つ心臓のアイコンで共感を集めて、「みんなも言っている」と自己を正当化して――結果、一人の無実の人間の首を絞め、その心臓を永遠に止めてしまった。

 

 だからこそ、なのだろう。自分の死によって誰かが疑われるのを防ぎたくて。自分と同じように冤罪で苦しむ人を生み出したくなくて。

 それ故の「完全自殺」。そういう考え方をする、心根の優しい人物であった。

 

 全てが明らかとなったのは、全てが手遅れとなった頃。潔白だと訴え続けた彼の身体は、既に灰と骨だけ。真実を叫び続けた喉も燃え尽きた。

 もう何も口にすることは、ない。

 

 

 

 

 東京23区、某所。最寄り駅から徒歩十分程度。都心の一等地にある、そこそこの大きさのビルディング。その何度も何度も訪れたビルは、今の()の職場であり――もうすぐ職場だった場所となる。

 左、右。順に革靴の靴紐を結び直して、そのまま鳶色のネクタイを締め直す。

 服装の指定が無い職場だったから、こうしてスーツを着込むのは随分と稀な事だった。冠婚葬祭の時とか、重大な取引や取材、謝罪……そういう時、ふと思い出したように着ていたくらいで。そうした機会も、今の仕事を任されるようになってからは無くなって久しい。それでも、中学校の制服から始まり、繰り返し繰り返し結んだからなのか。ネクタイの結び方は、ちゃんと体が覚えていた。

 だから、今まさに整えた私の姿に瑕疵はない。完全無欠のリーマンスタイル……のはずなのだけれど、何故だろうか。1Fのガラスに映る私の姿は、なんだか随分とチグハグに見える。

 ふと思い出すのは、インターンや会社説明会で訪れた日のこと。スーツ姿の「()」には一定の緊張があったけれど、就職する・学生ではなくなる、という未来のイメージがまるで掴めていなかった。漠然としてフワフワとした、どことなく高揚感にも似た感情があって。このガラスに映る顔はポヤッとしたモラトリアム顔をしていた。衣装に着られていた「僕」の姿は、今日みたいにチグハグで間抜けで――でも、どこか微笑ましくて。滑稽だったけれど、決してそれだけではない。あの日の――『()()()()()()()()()()』になると信じて疑わなかった――あの日の「僕」には、確かに輝くナニカがあった。

 翻って、今はどうだ。今のチグハグな姿は、どうだ。今の「私」は、どう見える。

 決まっている。見るに堪えない、それだけだ。滑稽で無様で、愚かしくて――自然と笑みが零れる。嘲りいっぱいの嗤い顔は、映り込む真冬のガラスよりもずっとずっと冷たかった。

 

「……正義のジャーナリスト」

 

 ぽつり。意図せず漏れた呟きは錆びついていた。腐り果てていた。空っぽだった。少しの重みも輝きもなかった。かつて憧れていた――憧れていたはずの光はどこにも見つからない。

 それが何だか、どうしようもなく、やるせなくて。

 

「僕は正義のジャーナリストに――」

 

 ふり絞るように繰り返した言葉は、けれど、その次へと繋がりはしない。

 文章は未編集のまま、脱字を抱えて冬の街へと吸い込まれていった。

 

 

 

 

 ――生きるという行為は、繰り返しの積み重ねだ。

 朝起きて、歯を磨いて、朝食を食べて。そんなことから始まって一日を過ごして、夜に寝て。朝になれば起きて、また一日が始まる。月曜日から金曜日になって、土日を挟んで月曜日に戻って。一月から十二月になって、また一月に戻る。繰り返して繰り返して生きていく。ぐるぐると歯車を回すようにして。人生が進んで行く。

 

 エレベーターに乗って6の数字を押す。二、三回ほど他の社員の乗り降りを見送って、目的の階へと到達。廊下を少し進んで、首から下げた社員証兼ICカードを読み取り機にかざす。そうすれば、ピピッと慣れ親しんだ電子音が響いた。

 いつもと違う点があるとすれば、このスーツ姿と、そして左手に持った白い封筒。中には一枚の紙が――最初から最後まで手書きで書き上げた『退職願』が入っている。

 テンプレートはあった――のだろう、多分。『退職願 書き方』とでも検索すれば、いくらでも出てきたはずだ。けれど、そうしなかった。せめて自分の夢の終わりくらいは、擦り切れたコピーではなく、自分の手で終わらせたかった。

 

 ――繰り返せば、何かが身につく。身について、無駄が無くなる。効率的になっていく。

 漢字の書き取り。単語帳の反復。参考書の振り返り。繰り返すことでスキルが身につく。能力が高まる。人生が円滑に進んでいく。ぐるぐるぐると歯車が回る。けれど――

 

 いつからだろう。繰り返しの行為に“作業”と名前が付いたのは。

 いつからだろう。“学習”や“練習”の言葉がポツポツ消えていったのは。

 いつからだったろう。“単調”の枕詞はもうずっと傍にいて離れてくれない。

 毎日毎日、パソコンに向かい合ってカタカタとタイピングをする。その繰り返し。繰り返しの作業。やがて1つ1つ心血を注いで吟味することはなくなっていった。時間と効率を優先し、丁寧さや正確性は二の次。私は“繰り返し”に、“作業”に――“生きること”に慣れていった。

 

 ――繰り返しという行為は、大切な何かを削り取っていく。

 この物理法則に支配された世界はどこまでもリアリスティックにできている。ファンタジーに立脚しない世界には、永久機関など存在しない。ぐるぐるぐるぐる回す度に、円滑にする度に、“余計”なものが削ぎ落されて最適化されていく。回して、削れて――擦り減って。やがて役立たずのガラクタになり下がる。

 

 振り返れば。

 自分の手で文字を書く。社会人となってより、この当たり前の行為が驚くほど少なかったように思う。それも、これほどの長文を、誤字のないよう丁寧に、誤解のよう本音で心を込めて――となると、もしかしたら一度だってなかったかもしれない。

 直近だと、就職活動の時の履歴書。志望動機や自由記述欄――いや。あれはあれで、嘘っぱちの文章だった。事実を編集し、改竄し、誇張して。そうして初めて自分の「アピールポイント」は完成したのだから。

 そう考えると、私の夢は初めから嘘で塗り固められていたのだ。グズグズの地盤の上に建てた欠陥住宅でしかなかった。土台から崩れていくのも必然だったのかもしれない。

 

「――突然辞めたいって……まさか、あいつが死んだから責任感じてるのか?」

 

 お世辞でも何でもなく、直属の上司は尊敬のできる立派な人物だった。日頃から仕事のできる人だけれど、こういう不測の事態へと直面した時にこそ元来の優しさ――ではなく、効率化された“ガワ”が本領を発揮する。

 昔は相当なスパルタ気質で、今の世では一発アウトなパワハラ体質だった彼は、しかし見事に令和の世へと対応して見せた。己をアップデートし、笑顔のガワを被った。その方が効率的だから、そうした。

 今だって事前連絡一切不要・即日当日インスタント退職を実行に移しやがりやがった非常識の極み・社会人の風上にも置けぬ野郎に対して、実に穏やかな笑みで接してくれている。社会人としてなっていないと激怒して当たり前で、他にも業務が山ほど残っていて、人生お悩み相談室など開いたところでボーナスが出るわけでもないのに――

 

「いいか。君に責任なんか少しもない」

 

 ――それにもかかわらず、まずは話を聞こうとしてくれる。寄り添おうとしてくれる。励まそうとしてくれる。

 彼は、そういう対応ができる人物であった。

 

「俺たちジャーナリストはな、所詮しがない小売りでしかないんだよ。噂やら証言やらを仕入れて、それを読者って消費者に売りつける。それだけだ」

 

 彼は努めて優しく語った。

 商品に致命的な欠陥があったとして、最も責任を問われるのはメーカーだと。こちらは知らなかった騙されていたの弁明で押し通せる。真偽など、どうとでも捻じ曲げられると。

 また、購入した商品でエンドユーザーが何をしようと、それこそ知ったことではないと。包丁で人を滅多刺しにして殺そうと、包丁の職人や売り手に罪を求める馬鹿はいない。仮にいたとして、この日本でそれが罪と認められることは無い。そのような判断をこの国の司法が下すことは無いのだ、と。

 

「そもそも。君は今回ただの編集校正だっただろう。書かれている情報の真偽を判断できる立場じゃなかった。なら、君が負うべき責任なんて初めから存在しない」

 

 ――その通りだった。正論だった。でも、何故だろう。何かが違うと、そう思った。。

 ライターが書き上げた記事そのままで公開することは出来ない。The・こたつ記事を平然と送り付けてくるライターなんて珍しくもないのだ。誤字もあるし、脱字もある。単純に読みにくい場合もあれば、文意が正確に伝わらない誤読の地雷原みたいなこともある。まずは読みやすい記事へと直し整えることが一丁目一番地。同時に注目を集めるインパクトを付与することも考えることも重要となってくる。

 だが、それだけではない――と、新人の頃にイロハを教えてくれた先輩は言っていた。事実誤認がないかどうか。その確認も編集・校正業務の大切な一環である、と。情報の信頼性を揺らがせないために、徹底的に確かめるのがジャーナリストだと。彼女はそう言っていた。

 ――もっとも。それを教えてくれた先輩が、今回のデマ記事を執筆したライター当人であるのだが。

 

日比(ひび)さん。日比さんにとっての“正義”って何ですか?」

「俺にとっての正義はバシバシ稼いで家族を養うことだ。それ以外ありえない」

 

 思わず零れ落ちた疑問。その唐突な問いかけに対し、彼はノータイムで自分の回答を叩き出した。悩む時間など微塵もなかったのは、それが嘘偽らざる彼の軸であるからだろう。

 その“正義”は、初めから彼の内にあったモノなのか。それとも、果てしない紆余曲折の果てに築かれたモノなのか。それは分からない。だが、その信念は決して揺らがぬモノのように私の眼には映った。

 ――たとえ。人を殺した金で、愛する者の笑顔をつくるのだとしても。

 

「いいか。ジャーナリズムは慈善活動じゃない。徹頭徹尾ビジネスだ。さらに情報って商品は傷みやすいんだからな」

 

 文章としては不自然に切られた言葉は、ここまで言えば分かるだろう、との意思を雄弁に伝えてくる。

 誤報かもしれないと慎重になり過ぎれば時間がかかる。当たり前だ。

 情報は時間が経てば価値を失う。誰も見向きもしなくなる。当たり前だ。

 それでも構わない。情報の正確さこそが何より優先されるべき。それ以外の要素は全て取るに足らない些事であり、投げ捨てても良いのだ――そう豪語するには、ジャーナリズムは人の世に根を張り過ぎている。“正義のジャーナリズム”という理想は染まり過ぎているのだ、俗世に。

 紙、インク、電気、そして人――全てタダでは動かない。

 金がなければ存在することさえ許されない。売れなければ、伝えられない。

 人の世にあって。人の手によって。そうして成り立つ以上、初めからジャーナリズムは無数の(しがらみ)に雁字搦めになっている。

 ――そこに自由はなく。

 ――それは理想とは程遠く。

 ――従って“正義”も無い。

 

「有休がたまっていたはずだろ。とりあえず一度ゆっくり休め。諸々の判断はその後でも良い」

 

 上司は結局、退職願を受理してくれはしなかった。

 結局のところ。今の全てを落とし込んだ文章は、誰にも読まれることさえなかった。

 嘘に塗れた手が書いた文字は、とっくに輝きも重みも失っていたのだ。

 

 

 

 

 墓参りなんて自己満足の行為だとは知っている。

 あの曲に倣うわけではないけれど、ここに彼の人は居ない。生憎と風になっているかどうかは知らないが。しかし、その肉体が此処に無いことは確かだ。墓の下にあるのは骨と灰のみ。細胞の1つに至るまで、残さず余さず死んでいる。

 風であろうと、灰であろうと、骨であろうと。畢竟、そこには何もない。真実を訴える喉も無ければ、謝罪を聞き届ける耳もないのだ。

 

「……先生。先生はずっと真実を訴えていたのに。私は――僕は――――」

 

 あの時。送られてきた原稿の中にあった人物の――疑惑の渦中にある名前は伏せられていた。

 その性別と年齢、都内の某大学の教授であること、メディアにも頻繁に出演していること――それだけ/そんなにも書かれていた。この情報化社会にあって、個人を特定するには十分過ぎる情報が、そこにはあった。

 調べれば直ぐに分かったはずだ。かつて教わった時とは勤め先が変わっていたからといって言い訳にはならない。情報番組や討論番組に出演している姿を、発言が取り上げられているネットニュースの炬燵記事を、歯に衣着せぬ物言いが炎上したSNSのタイムラインを。私は確かに目にしていたのだから。

 だから、気付けたはずだったのだ。おぞましい行為に及んだとされる、その「大学教授」が一体どのような人物なのか、と。少し検索をかければ直ぐに分かったはずなのだ。

 ――その人物が、決して倫理道徳に反するはずもなく、法律を犯すことなど絶対にありえない、清廉潔白な人物であることに。

 ――そして。

 その人物がかつての恩師であることに。

 「僕」の夢を――「正義のジャーナリストになる」という夢を誰より応援し、背中を押してくれた人物であることに。

 ……気付けた、はずだったのだ。

 あの原稿を、私が繰り返された作業の中の1つとして粗雑に扱わなければ。積み重なったタスクの中の1つとして終わらせず、情報を精査していれば。そうすれば――

 

「……こんなことを口に出せば、先生は“たらればの虜囚は無様極まりない”と叱るのでしょうね」

「えぇ、そうね。父なら、きっと、そう言ったはずだわ。口癖だったもの」

 

 じゃり…と。

 背後から砂利を踏みしめる音が聞こえた。

 墓場と砂利。セットでイメージされることも多いが、実のところ古くからの因習ではない。むしろ近代になるまで一種のタブーでさえあった。一説には、日々の恵みをもたらし、死者の還る――そんな母なる大地を、砂利で覆い隠すことを忌み嫌ったそうだ。

 しかし、次第に人々は効率を優先するようになった。現代社会の歯車として機能するために、より速く回るために。死者を悼む時間すら“無駄”“手間”として削ぎ落し、墓参りや手入れを疎かにした。

 だから、砂利を引いたのだ。砂利を敷けば雑草が生えにくくなるから。「父母・ご先祖様の眠る場所を奇麗に保つため」と建前を口にして、「面倒くさい」「行かなくて済む」「楽だ」との自分本位な本音を隠して――

 

「まして“あれが犯人だったら面白い”なんて狂騒に殺された後なら、尚更」

 

 ――そうして、死者を悼むこともなく。誰かを思いやることもなく。

 自宅で寝転がりながら、空いた時間でゴシップに嗤うのだ。スマホ片手に人の醜聞を探しては、お気持ちを表明して悦に浸る。そんな娯楽に興じる――否。狂じるのだ。

 

「お父上の事ですが――」

「黙って。謝罪もお悔やみも聞きたくないわ」

 

 彼女が――先生の一人娘である彼女が此処にいるのは、何も偶然ではなかった。今日ここに来るにあたり、事前に連絡をしていたに過ぎない。

 先生を死へと追いやった記事に関わった身で、何食わぬ顔で墓参りに訪れる。落ちぶれ腐りきった身でも、そこまで厚顔無恥にはなれなかったから連絡をした。理由はそれだけだった――と。そう言い切れるのであれば、どんなにか良かったことだろう。

 でも、そうじゃない。きっと恐らく、これも建前なのだ。この身が未だ人の道にあるのだと信じたい、我が身可愛さの気持ちの悪い偽善なのだろう。私には分かる。分かってしまう。沁みついた社会人としての常識が、事前にアポイントを取るという発想へと導いたことは事実だったから。否定できない事実だったから。

 加えて。そもそも亡くなった当初、先生はまだ疑惑の渦中にあった。墓地の所在が明らかとなれば、よからぬ行為に走る者が出てくることは想像するに容易い。なにせ数が稼げる。炎上系や私人逮捕系の動画配信者にとっては垂涎物の獲物だったから。故に墓所の場所は親族しか知らず、その所在と墓参りの許可を伺わざるを得なかった――唯、それだけのことであった。

 

「謝罪されて何かが変わるの? 慰謝料が払われれば満足するとでも思った? お父さんもお母さんも、もう帰ってこないのに」

 

 そんなことも分からないのか、と。淡々と正論を吐く彼女の顔は暗く淀み、声には生気が感ぜられなかった。化粧でも隠しきれない隈は傷ましく、囲まれた両目は何を映しているのかも定かではない。幼い頃の天真爛漫さは、その欠片すら見つけることが出来なかった。

 今は確か、ちょうど20歳。大学に通っていたが、父親の件で良からぬ噂が立ち、中退。騒動の心労で倒れ、寝たきりとなった母親の介護をしているらしかった。倒れた際に頭を打ったこと、そして過度なストレス……複数の要因が重なって記憶障害を発症した母親は、実の娘へと暴力を振るうこともあるそうだ。彼女のやつれた頬に浮かぶ痣は、恐らく母親の暴力によって刻まれたものなのだろう。

 

「私が聞きたいのは、そんなことじゃない。あの記事を書いたのは誰? その情報源はどこ? 公開の許可を出したのは? あなたに求めるのは唯それだけよ」

 

 その詰問に対して真っ先に浮かんだのは「やはり」という感想だった。

 故に。彼女が鞄から刃渡り15m程の包丁を出した時も、私の心は凪いでいた。最終回のネタバレをされたアニメを見ているかのような、そんな馬鹿馬鹿しさすら感じた。

 だって、分かりきっていた。

 先生からの恩を仇で返した私に、こうして墓参りの許可を出したのも。

 その許可に「自分と2人で行くのであれば」と不自然な条件をつけ、目を離せない母親の傍を離れて来たのも――全ては、復讐のため。

 他に誰も居ない場所で私から情報を聞き出すためだったのだろう。脅してでも、殺してでも。父親を死に追いやった者を――殺すために。

 だから――

 

「――私だ。あの記事を書いたのは、私なんだ」

 

 ――私は。

 ――「僕」は。

 ――また、嘘をついた。

 そして――

 

 

 

 

 結論から言えば、私は失敗した。

 彼女を止めようと思ったのだ。先生の娘を殺人鬼にしてはならないと思ったのだ。

 償える罪ではない。けれど、せめて。せめて、それだけは阻止しなければならないと。心の奥底で、「僕」が――正義の亡骸が叫んでいた。

 でも、失敗した。盛大に、どうしようもなく失敗した。

 間違え続けた身で、最期の最期に何かが為せるわけもなかったのだ。

 だから、私は死んだ。失敗して、死んだ。

 

 ――それなのに。

 ――だからこそ。

 

 

 

 

 ――だからこそ。僕は今、此処にいる。

 

「デイマン君。デイマン・マスダスト君。その資料を返せ。それは絶対に外に出してはならないモノだ」

「だろうね。こんな事実が知られたら一大事だ。間違いなく貴方は投獄され、この会社も潰れるでしょう」

 

 ガタガタ、ドコドコと音がする。シューーと甲高い音が響けば、蒸気がだだっ広い工場を侵略していった。

 この国内有数の巨大工場は今日も、莫大な利益を生み出し続けている。

 ――その裏にある犠牲を煙で覆い隠しながら。無数の涙を蒸気の熱で干からびさせて。

 

「何が望みだ。金か? 金ならくれてやる。貴様の新聞……確か――そう、星屑新聞だったか。あの売上の倍額を支払ってやろう。それならどうだ? 悪い話ではないだろう?」

「ありがとう、書くネタが増えた。今の発言もしっかり載せておくよ」

「貴様……っ!」

 

 恵まれぬ孤児への慈善事業と称し、あんな畜生にも劣る悪事に手を染めていたとは。あんなことをしながら、にこやかな笑顔を浮かべていた――そう思うと、気持ち悪さに反吐が出る。

 けれど。僕は記者だ。

 彼を捕まえる警察官ではない。裁きを下す裁判官でもない。ましてや、彼の権利を守る弁護士でもないし、「このような悲劇を繰り返さないように」と涙に訴える政治家でもない。

 司法でも、立法でも、行政でもない――「第四の権力」。

 

「正義の味方にでもなったつもりか! なら教えてやる! 我が社が潰れれば、何百人もの社員が路頭に迷う! 孤児も増えるぞ! 多くの悲劇が生まれる! それでも貴様は!」

「かもしれない。でもね。正義を判断するのは貴方じゃないし、ましてや僕でもない」

「何を言っている? では誰が判断するという! 貴様は一体何がしたいのだ!」

「僕に出来るのは伝えることだけ。煙の中の真実を、白日の下へ。それだけ――っ―――」

 

 そこまで話して限界が来た。ゴホガハと汚い咳が続く。どうやら煙を吸い過ぎたらしい。

 口元を覆った手に生暖かい感触が広がり、そこでようやく吐血したことに気づいた。薬の効果も切れてしまったようだ。

 生まれつき致命的な欠陥を抱えた僕の肺は、この蒸気の町とは相性が悪すぎる。まして、ここは煙に包まれた工場の中。命がいくつあっても足りない。

 にもかかわらず、こんな場所で会話を続けているのは、なにも目の前の外道の心変わりを期待しての事ではない。向こうだって僕が折れるとは考えちゃいないだろう。

 何故なら、今この時。この瞬間。

 彼は僕を殺すための戦力の到着を待っていて。

 僕は此処から逃げるべく、相棒の到着を待っている。

 それだけのことなのだから。

 

「笑止! 真実に如何ほどの価値がある!? 結局は勝者が全てを語る! それが真理だ!」

「……そう、だね。真実はいつだって、歪む。その通りだ」

 

 真実はいつも1つだけ。そこに疑問を挟む余地はない。

 けれど、真実も所詮は情報に過ぎないのだ。それは突き詰めてしまえば、デマや噂話と大差がない。

 情報を受け取るのは、いつだって人間だ。

 思想、価値観、言語、経験、経済状態や心理状態――あらゆる要素によって情報は歪む。バイアス――思い込み――様々言い方はあるけれど、でも、そんな大それたモノである必要性すらなくて。例えば、考え方の“癖”のようなものだって情報を歪めてしまうには十分過ぎる。大げさに言うのであれば、情報を受け取った日の天気が雨か、晴れか――それだけで変わる心象もあるだろう。

 受け取られた瞬間、情報は変じる。個人というフィルターを通して、情報は歪む。曲がり、捻じれ、崩れて――壊れる。

 どれだけ小さくとも、それは確かにあって、積み重なれば巨大な歪となってしまう。

 だから――

 

「そうだろう! そうだろうとも! この国を見てみろ! 貴様が今着ている服を! 今朝食べた食事を! 全ては搾取の上に成り立っている! それが悪か? 断じて否! 寒さを凌ぐべく衣服を着る! 飢えを凌ぐべく糧を食らう! これが悪であろうか!? 否! 否、否否否! そう! これが! これこそが正義だ!」

 

 だから――正義も歪む。

 判断材料、比較材料、指標。目盛りそのものが歪んでいるのなら、生成物も過つ。

 

「時間切れだ!文屋(ぶんや)風情が調子に乗ってくれたな! 俺の兵隊のご到着だぁ!!」

 

 だから――

 だから――真実に意味は無い…のか。探すこと、求めること、そこに価値は無いのか。

 ――違う。

 

「防いで見せろよ! 剣より強いと御自慢のペンで!! ――――殺れ」

 

 男の冷徹な指示を合図に、動き出すは鋼鉄の巨人。

 ロボット、あるいはパワードスーツが正しいか。全長およそ3メートルのソレこそは、蒸気機関の果ての果て。電力に至らず、ロマンと巨大化――非効率を極めた鋼の怪物。

 その怪物が、迫る。各関節から黒煙を巻き散らし、イカれた駆動音を奏でながら。その質量と速度の積が、人間ごとき一瞬で挽肉にするエネルギーを導き出す。

 驀進する死を前に僕は――

 

「来てくれるって、信じてたぜ――相棒」

 

 ――笑った。

 鋼と煙の不協和音の狭間に、耳慣れた二輪車(バイク)の疾走音があったから。

 故に――走る。

 走る、走る、走る! 巨人に背を向け、肺の悲鳴を無視して――唯々、走る。

 怖れるは1つだけ。

 背後の巨躯に非ず――。

 頬を掠めた鉛玉に非ず――。

 肺が潰れることに非ず――。

 

「だから――だからこそ――僕は――!」

 

 真実は歪む。だから、無価値――違う。

 正義は過つ。だから、諦める――違う。

 前世。僕は取り返しのつかない罪を犯した。嘘で人を貶めた。人生を狂わせた。命を奪った。夢を裏切ったのは、僕だ。

 だから――

 だから――

 ()()()()()――

 

「だからこそ、僕は! 正義のジャーナリストになるんだ!!」

 

 走り、血を吐き、叫んで、僕は高さ20メートルを――――飛び下りた。

 

 

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