Steam Paper ~マスゴミ男の転生蒸気譚~ 作:マスゴミA
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東京、その西部の――さらに奥地。そこには地方出身者の東京幻想をオーバーキルで粉砕するような、警視庁じゃなくて山梨県警の領域だろとツッコミたくなるような、そんなド田舎が広がっている。そんな場所にポツリと存在する小さな墓地。そこが今回の現場だった。
なるほど景色は良い。空気も良い。けど不便過ぎる。だって周辺にコンビニがない。終わってる。
「
「なんだ、こりゃあ。この現場は変だ。あまりにも妙ちきりんに過ぎる」
そして何より。この強面オッサンと一緒というのが酷い。
五月女警部補。とても優秀な刑事で実績もある。口こそ悪いが、悪人じゃない。事件解決の為なら平気で上にも政治家にも噛みつくから出世街道を全力で逆走してるけれど――そんなところも一刑事としては尊敬できる。新人の俺に対する不器用な優しさも面白い。手掛かりに気づけば褒めてくれるし、時々ご飯も奢ってくれる。総評して良い先輩だと言えるだろう。
――しかし残念。男であるだけでマイナス一億点。問答無用で失格なのだ。
最初に「さつきめ」なんて可愛らしい苗字の人とバディだって聞いた時の、俺のワクワクドキドキを返してほしい。
「そこまで変っスか? そりゃ墓場で殺人なんてレアケースっスけど……」
「違う。分からねえか鈴木。馬鹿野郎」
「ちょ、暴言。それコンプラ違反ですって。俺ゆとりド真ん中なんスから、真綿で包むように優しーく指導をお願いしたいっス。グラマラスな美人上司がしてくれるなら最高っスね」
「うるせぇ新人。このジジイが手錠で締め付けるように教えてやる。感謝しろ」
「うへぇ……それで。何がおかしいんスか」
さて、仕事の時間だ。
ふざけているようにも思える軽口。事件現場、死体の傍でするには不謹慎にも映るソレ。部外者に拡散されれば炎上してしまう可能性すらある応酬――それこそ、俺が五月女さんに最初に教わった基本だった。
警察官――法の執行者、あるいは正義の味方。色々と言い方はあるかもしれない。人によって見方も捉え方も異なるだろう。法でさえ時代が移ろえば内容を変える。況や、その執行者たる警察官をや。その評価もまた、様々な要因によって容易く移ろう。変わってしまう。
だけれど、この仕事が非日常に触れるものである、という事実は揺らがない。事件、事故、そして人の死。警察官は死に触れる。不幸に触れる。狂気に触れる。どうしたって平穏ではいられない。心を病んで一線を退く者も少なくないことが証明してしまっている。
だからこそ――非日常を扱う職だからこそ、日常が大切となるのだ。軽口で己の日常を意識し、自らは一人ではないのだと言い聞かせる。そうして現場に――非日常へと向き合う。
全ては慣れてしまわないために。1つ1つの悲劇を、その捜査を単純な作業へと落とし込まないために。事件に正しく向き合うために――「正義」であるために。
そのために、日常を携えて現場へと臨むのだ。
「この仏さんは、腹を包丁で滅多刺しにされてやがる。十中八九、怨恨。それも――」
「かなり深い、っスよね。こんな風に殺されるなんて相当あくどい事やってたんじゃないっスか? 知らないっスけど」
墓石にもたれかかる様にある男の腹には、傷跡が見極められぬ程の無数の刺し傷。夥しい血が墓石を染めている。きっと何度も何度も、引き抜いては刺しを繰り返したのだろう。余程の恨みがあったか――それとも、下手人が女や子どもであって、殺しきるため/反撃を怖れて何度も刺したのか――どちらか、或いは、その両方か。
被害者の仕事はジャーナリストとのことだし、取材がらみで恨みを買ったのかもしれない。それが原因で殺された――この線で捜査をするのが定石である。
だが。そんな単純な話ではない――のだろう。何故なら、五月女さんは「妙ちきりん」と、この現場を評したのだから。この人が引っかかっている何かが、この現場にはある。決して見落としてはいけない、「その他多くの事件」と一括りにしてはいけない、拾い集めねばならないナニカが、此処にはあるのだ。
――だけど、未熟な身では見つけられない。経験が圧倒的に足りていない。死者の想いを拾いきれない。
諦めきれずに現場を調べてみて気付いたことがあるとすれば。それは被害者の口元が異様に血塗れであることだった。
ドラマなどで腹部を刺された人物の口から血液が溢れる描写はあるが、あれはフィクション性が強い。胸部や喉ならいざ知らず。腹部を刺された結果の血液が、こうして口まで上り詰めることは容易ではない。まして、この被害者の顔は上向きだ。何がどうすれば、これほどの吐血をするというのだろうか。天を見上げた顔から血を――
――そう。顔、顔だ。この表情も気にかかる。筆舌に尽くしがたい苦痛の中にあったはずなのに、不思議にも被害者の浮かべる表情は苦悶のソレではなかった。まるで何か重大な仕事をやり遂げた後のような、この穏やかな笑みは一体なんだ。悲劇的な死の間際にあって、何を想えば、これほどに安らかな顔を浮かべることが出来るのか。
「ふん。鈴木、お前も分かって来たじゃねぇか。50点……おまけで65点てとこだな。ちっとだけ爪が甘い」
「すみません、降参っス。五月女さんの見立てを教えてくれませんか」
素直に降参すれば、「検死の結果を待たなければ断言はできないけどな」と――そう前置きをした上で、五月女さんは告げた。
「こりゃあ殺人じゃねぇ、
――と。
「じ、自殺!? アクロバティック切腹っスか!? 侍スピリットっスか!?」
自分で何度も何度も腹を刺したと、まさかそんな馬鹿げたことがあるわけがない。どれだけの死にたがりだというのか。
確かに、人は腹を掻っ捌いても直ぐには死ねない。だからこそ、切腹には首を斬る介錯人が必要となるわけなのだが。まさか、この男は少しでも早く死ぬ為に切腹を繰り返したというのか。
「違う。刺したのは他人だ。途中までは確かに殺人事件だった。だが、死因が違うのさ。最期の最期、仏さんは自分で自分の人生に幕を引いた。……自分で舌を噛み切って。あくまで俺の推測だがな」
突拍子もない推理ではあった。が、それなら納得のいく点が多いのも事実。
天を向いているのは、その自殺法を成功させるためだったのか。
人間というのは思いのほか丈夫で、舌を噛み切っても直ぐに死ねるとは限らない。まして出血多量で死ぬまでには時間がかかる。切断された舌そのものと、断面からあふれ出した血、それらが喉を塞いで死ぬというのが一番現実的だ。なるほど上を向けば舌やら血が喉へと流れ込むから死にやすいだろう。男の口元が血塗れなのも納得ができた。
「……つまり、執拗な責め苦に耐えかねて。早く楽になりたくて。それで死んだってことっスか?」
だとしたら、それは自殺というより――自決。
この男が誰に何をしたのかは知らない。とてつもなく悪いことをしたのかもしれない。何もしていないのかもしれない。全てはこれから調べることだ。
唯。どんな事情があっても。どんな人間でも。こんな惨たらしい殺され方をして良い訳がない。
知らず拳を握る俺の脳裏には、かつての記憶が蘇っていた。理不尽な悪意、無力な自分。眼前の物言わぬ死体が過去と重なる。正しく生きていた者が泣き、人の道を外れた者が笑う。そんな不条理が許せない。のうのうと悪人が生きているなんて、そんなの――
「馬鹿野郎。早とちりするな、アホ新人」
濁流のようなドス黒い感情。そこに身を任せようとする俺を日常へと引き戻したのは、令和の世にそぐわぬ暴言だった。
「え?」
「見てみろ、仏さんの手を」
そう言われて、被害者の手を見る。包丁が握られている。恐らくは凶器。
刺された側が凶器を持っているのはアベコベかもしれない。だが、それほど不思議なことではない。例えば――
「犯人から奪い取った……んじゃないっスか? これ以上は刺されないように抵抗してとか、あとは自分を殺した犯人に捕まってほしかった、とか」
被害者はジャーナリストだということだし、何か1つでも犯人に繋がる証拠を残そうと最後の力を振り絞ったのかもしれない。包丁に指紋でも付着していれば証拠となって――あれ?
「……この包丁。もしかして凍ってる、んスか?」
「やっと気づいたか、新人」
刃渡り15cmほどの包丁は凍っていた。柄を握りしめた被害者の両手と共に。死角で見落としていたが、下には何本も氷柱が垂れさがってさえいる。
今は真冬。日本全国どこでも寒く、それは東京も例外ではない。ましてや西部の山間部となれば標高も高い。太平洋側だから雪が少なく目立たないだけ。気温だけであれば日本海側の豪雪地帯と比較しても遜色ない。時たま積雪となれば、集落が孤立することもある場所なのだ、ここは。
故に、外にあるものが凍るのは珍しいことではない。死体には生の温もりも無いのだから尚更。だが、氷とは水。そもそも水が無ければ氷は生まれない。
ここ数日の東京は快晴が続いていた。加えて、朝露や空気中の水分の悪戯と見るには氷柱の威勢があり過ぎる。こんな状態には相当な水分がなければならないし、何より朝露やらが原因ならば全身が凍っていなければならない。両手と包丁だけなんて不自然に過ぎる。
要するに、洗ったのだ。見れば、手桶の水が空になっている。この水を使って洗ったのだ。誰が? 何のために? 目的は決まっている、証拠を隠滅するためだ。包丁についた指紋を洗い流すために犯人が――いや、違う!
証拠を隠滅したいのであれば持ち去ってしまった方が良いに決まっている。周囲には他の墓石もあるのだ。ゴシゴシ洗っている間に誰かが来て目撃される可能性もある。持ち去って、周辺の山や川に捨ててしまえば滅多なことでは見つからない。
それに。洗った後で包丁を被害者に持たせたとするなら、凍るのは手の内側だけ。しかし、この遺体の両手は全体が凍っている。これらの事実が意味するのは、つまり――
「まさか、マルガイ自ら凶器を洗った? そういうことっスか?」
――自分を滅多刺しにした相手に繋がる証拠を、被害者自らが丁寧に洗い流し、その上で舌を噛み切って「自殺」をした。そういうことになる。
「……なん、で。なんで、そんなことを。だって――」
「さあな。それを俺たちが調べるのさ。だが、この必死さは恐らく――」
ゆっくりと。
まるで紫煙を燻らせるように。
「誰かを守りたかったのかも、しれねぇな」
ベテラン刑事が吐き出した呟きは、この事件の真実が、捜査の結末が――どうあれ明るいモノではないことを示していた。
需要があれば、続けたいです。