暗黒期の残骸 作:花のお皿
イシュタルとの会談は、やはり波乱の色を孕んでいた。
「裏社会に暮らすようになってから、身に染みた事があってな。どうやら、組織とは面子が最も重要視されるらしい」
出会い頭に『魅了』を仕掛けられ、つい殺気を放ってしまったらしい。
そもそも、
というより、会談の場もイシュタルのホームである繁華街の店だ。完全アウェーの身分に対して即『魅了』を仕掛けてくるなど、喧嘩を売られているとしか思えない。
「これでも俺は闇派閥のトップを務めさせてもらっている。つまり今、お前は仮にも組織のトップに向かって舐めた真似をしてくれた訳だ。その意味が分からん訳ではあるまいな、イシュタル」
セルシャの放った殺気に呼応して、イシュタルが連れていたアマゾネス達は一斉に襲い掛かってきた。
その中には当然、【イシュタル・ファミリア】の最高戦力――フリュネ・ジャミールも場に混ざっていたが、オッタルと比べれば彼女など脅威にもならない。
どういう訳か、フリュネの身体がほのかに発光していたように見えたが、やはり気にはならなかった。流石に他のアマゾネス達と比べれば遥かに手強かったが。
「き、貴様……! この私を脅しているのか!?」
「そうだ。俺はお前を脅している、悪だからな」
ゆらりとセルシャが身体を揺らした次の瞬間、気づけばイシュタルの視界からセルシャの姿は消えていた。
「次に闇派閥を嵌めるような真似をした瞬間、お前の首を跳ねる」
イシュタルの背後に、冷たさすら感じる鋭い殺気が現れる。
ぞくりと背筋を凍らせるイシュタルの首に、静かに手が添えられた。
「俺は悪党としては半人前でな。殺すと宣言しなければ相手を殺せないんだ。だから、念のためにもう一度宣言しておこう」
気づけば、イシュタルは既に神威を解放していた。
人間であれば抵抗する暇も無く屈服してしまう、神の圧。それを、まるで微風を浴びるかのようにして、セルシャは意にも返さない。
「――次は殺すぞ、イシュタル。テラスキュラの件は任せた」
一つ、地を蹴ったような音が響いて、その音がイシュタルの耳に入った頃には背後の気配は消えていた。
数拍の間をおいて、荒い息がイシュタルの口から漏れる。
生き残った事への安堵、神殺しすら辞さない異常者への恐怖、そして人間如きに神である自身が脅されたという屈辱。
入り混じる感情の嵐に顔を歪ませ、イシュタルは強く歯を食いしばる。
美しく、男の視線を釘付けにするであろう唇から、血が垂れた。
「……セルシャ、ストリクスッ!」
美の女神はただ、怒りを耐え忍ぶ事しかできなかった。
◇
『うーん、それだけじゃちょっと不安だねぇ』
あくどい笑みでそう呟いた邪神の顔を、セルシャはよく覚えている。
『イシュタルはプライドが高いからねぇ。人間である君にいい様にやられたら、激昂するのは目に見えてる』
確かに、とセルシャも邪神の考えには賛同した。
実際に相対した印象からしても、イシュタルは人間をあからさまに見下している。アレでは、セルシャの脅しに素直に応えてくれるとは考えづらい。
それに、もしイシュタルに雲隠れでもされれば闇派閥は窮地に陥る。テラスキュラの手が無ければ、即戦力の増加をしなければ、オラリオは決して落とせない。
繁華街を牛耳るイシュタルなら、隠れ家など無数に持っている筈だ。その気になれば、懇意にしている商会でも『魅了』してオラリオの外へ逃げる事だって可能だろう。
つまり、脅しだけではイシュタルを縛り付けるには弱すぎるということ。
『でも、そういうプライドの高さは隙だよねぇ』
ただ、それはあくまでも可能性の話。
イシュタルもまた、闇派閥が【イシュタル・ファミリア】を無碍にできないと知っている。だからこそ、闇派閥の主神であるタナトスに、セルシャ・ストリクスを一人で連れてこい、などという傲慢な条件を突き付けた。
イシュタルは、きっと逃げない。人間相手に逃げる事は、美の女神の誇りを傷つける事だから。
来たるべき時、おそらくは抗争の時にでも、闇派閥の足を引っ張れるタイミングを狙って罠を張ってくるはずだ。
『ちょっとばかしリスキーだけど、テラスキュラがオラリオに来てくれない事の方がリスキーだからねぇ。まぁ、仕方ないよね』
奥の手を切る様に、切り札を切る様に、けれどそれにしては軽薄な様子で邪神タナトスは口を開いた。
『イシュタルを袋小路にしてもらおう――うん、ギルドの人達にね』
その日、ギルドには落雷が落ちた。
轟音と共にギルドが揺れる。屋根の木材が落下して、ギルド職員は受付嬢も含めて机の下や野外に避難し始めている。瓦礫の下敷きになっているギルド職員は、冒険者からの救助を待って痛みを耐え忍んでいる。
そこに、ギルド長たるロイマンの姿は無い。
「長居するつもりは無い。すぐに終わるさ」
「……セルシャ・ストリクス」
落雷の落ちた先は、丁度ロイマンの居る執務室の中央部分だった。
屋根を貫き、木材が落下する程の衝撃をギルド全体に与えておきながら、その執務室だけは穴の開いた屋根以外さして被害が無い。
下の階へ衝撃を逃がし、セルシャはロイマンに負傷を負わせる事無く執務室に着地していた。
「久しいな、ロイマン。最後に会ったのは5年前か」
「自首しに来たという訳でもなさそうだな……私を拉致でもするのか?」
「お前を? ふっ、嫌われ者のお前を拉致してもな」
執務の椅子に座り、老いたエルフは冷や汗を額に流している。
だが、冷静さを欠いてはいない。危機感を感じていても、狼狽はしていない。
オラリオを統べる統治機関『ギルド』、その長たる男は自身に武力で圧倒的に勝っている存在を前にしても、屈服する事無く眼光を光らせる。
「それに、老体に無理をさせるのもな。良心が痛むというものだ」
「……闇派閥の頭領が吐く台詞ではないな」
「ククッ、同感だ」
喉を鳴らしているかのような、小さな笑い声。
不気味に聞こえるその声は、冷え込んでいる部屋によく響いた。
「それで、何をしに来た」
「ふむ、そうだな。うまく表現する方法が浮かばないが……端的に言えば、宣戦布告という事になるのかな」
「……今更か?」
闇派閥からの宣戦布告――ギルドからすれば、そんなものは既に受け取っているようなものだった。
【イシュタル・ファミリア】の管轄と化している繁華街内での出来事とはいえ、闇派閥は既にオラリオの商業施設である大賭博場を襲撃している。
その時点で、新生闇派閥はテロリスト集団と同義だ。いや、あの事件よりももっと前から、ギルドは闇派閥を犯罪集団としか見ていない。
あのカジノの襲撃事件は、建前に過ぎない。闇派閥をテロリストと定義する為の建前に。
「メリハリは大切だ。そうだろう? 手札もようやく揃いそうでな、分かりやすい線引きが欲しかった」
「線引き――静かな駆け引きのシーンから、物語の幕を占めるラストシーンへの移り変わりを感じたかった、とでも言うつもりか」
「……やはり言語化が巧みだな。まぁ、そういう事だ」
身勝手に動きおって――ッ!
とロイマンの額に青筋が浮かぶ。
ギルドは【ロキ・ファミリア】からの訴えを重視し、闇派閥の討伐に協力できる余裕を持った中堅派閥へ要請を出していた。だが、そうして要請を出した中堅派閥が悉く潰されている。
潰された【ファミリア】の数は既に3つ。たった一人の手によって3つの【ファミリア】が壊滅させられた事実に、多くの【ファミリア】が戦慄した。
結果、協力してくれるはずだった中堅派閥の【ファミリア】はその多くが助力の約束を辞退してしまった。約束を確約してしまったら、また雷鳴を轟かせて目の前に佇むこの男がやってくると考えたのだろう。
「……その力を、平穏の為に使おうとは思わないのか?」
「――? 今使っているだろう、平穏を作る為にな」
心底不思議そうに首を傾げる青年に、ロイマンは拳を固く握る。
「死傷者282名、重傷者112名、軽傷者550名――これまでに貴様によってもたらされた、オラリオの被害だ」
「その中に、一般市民へ手を出した前科の無い者は一切居ない筈だが?」
「だから何だというのだ! 貴様が殺した事に変わりはない!」
途端に、突風が室内を走る。
風の出処は、セルシャ・ストリクス。青年の身に迸る怒気が、どういう原理か突風を呼んでいる。
ロイマンの喉からヒュッと音が鳴った。
「……人間は、身体よりも心の方が余程壊れやすい生物だ」
セルシャが殺害した人間は、大抵が前科持ちの冒険者或いは犯罪者が殆どだ。
絶対的な粛清者として罰を下すセルシャを、救世主のように崇める者達も居れば、当然やり過ぎだと批難する者達だっている。
前科持ちと言っても、殺人を犯したような輩は牢獄から解放される事はあり得ない。故に、世に釈放された者達は前科と言えども死罪にならない程度の罪しか背負っていないという事。法がそう判断した以上、一人間が私刑を下す権利は決して存在しない。
それが世間の、秩序の考え方だ。
「その秩序が守ってくれるのは、一体どこまでの範囲の人間だ」
セルシャの瞳が熱く燃ゆる。
「秩序に守ってもらえない人間はどうすればいい。守ってもらえなかった人間はどうすればいい。前科があるという事は、つまりその者によって人生を害された者が居るということ。そんな者達を救える秩序が、このオラリオにはあるのか?」
オラリオの暗黒期が終わってから、5年。
そう、まだ5年しか経っていない。オラリオの復興だけでも随分と時間がかかった。秩序や治安の安定には更なる時間を要する。
元より、オラリオは英雄の都。強者が集う都市であり、それだけ荒くれ者や個人の力を重視する考えの持ち主が多く暮らしている。
恩恵持ちの人間に、恩恵を持たない素体の人間は敵わない。自分よりもレベルが上の人間に、レベルが下の人間は敵わない。
そうした明確な個人の武力の違いがある以上、治安は不安定になってしまう。故に、【ガネーシャ・ファミリア】という巨大派閥が都市の憲兵を買って出てくれている。
「無いだろう? それがあったなら、闇派閥なんて組織は生まれていない――生まれていないんだよッ!! ロイマンッ!」
怒気が溢れる。セルシャの表情が苦悩に歪む。
ロイマンは、完全に気圧されていた。
「俺は、正しいと思った事をやっている。それが世界の平穏を奪う事と同義なら、それはこの世界が俺から見て間違っているというだけの話だ」
「貴様の主観で見たものが世の全てだと、そう考えている訳ではあるまいな?」
「俺の主観から見て間違ったものが世に溢れている。客観的視点がどうとか、そういうことを言い出すなら実用書にでも書いておくんだな」
ギルドの階段を駆け上がる音が聞こえた。おそらく、救助が来たのだろう。
執務室の扉に視線を向けた後、再びセルシャは稲妻を身に纏った。
「偉そうなことを言わせてもらうが、罪無き者が害を受け、守られぬ世が正しい訳がない。ロイマン、俺の行為と考えが間違っているというのなら、貴様の考えや視点は正しいのだと、そう断言できるのか?」
「…………」
沈黙が落ちる。
そして、ついに執務室のドアノブが、ガチャリと回った。
「不平等は目に見えてはいけないんだ。可視化された個人の差が争いを生み、悲しみを生む。だから選別するのだ、上に立つべき人間を――そうして初めて世の中は平和に包まれる。悪戯に恩恵を与え、世をかき乱す神も、な」
「――セルシャッ!」
扉が開かれる。
部屋に飛び込んできた金髪の少女は、荒れた長髪をそのままにふらりと部屋に足を踏み入れる。
「また会おう、アイズ。その時が、最後だ」
「まって!!」
青年は、雷鳴と共に消えた。