ほのぼの
「この続きはないの?」
メイがファイルを見せながら言う。
「ああそれならその奥の上の方にある」
執務室の棚を指さすと、そちらへ向かう途中でメイは足を止めた。
そこにあったチェスボードに目を落とす。
「チェスをしているヒマなんてあるのかしら?」
「ちょっとした気分転換にいいのだ。頭をリセットさせてくれる」
「ふうん」
駒をつまみ上げ、ながめている。
「なかなかいい駒ね。もちろん、パパのにはかなわないけど」
「昔はふたりでよくやったな」
「そうね、なつかしいわ」
「キミはよく泣いていたな」
負けるたびにくやし泣きをして、「今のは負けた内に入らないわ、もう1回よ!」と何度も挑んでくるのだった。
「こ、コドモの頃の話を持ち出さないでちょうだい!」
「おや、当時は『コドモじゃない』と主張していた気がするが」
「うるさいわね! もうその頃の私じゃない。レイジにだって負けないわ」
「私とてあの頃から成長したのだ。キミが強くなろうとも負けるつもりはない」
「だったらどっちが強いか勝負よ!」
「いいだろう、返り討ちにしてやろう」
……どうしてこうなってしまうのだろう。いつもケンカ腰で対抗してくるから、つい売り言葉に買い言葉で答えてしまう。
もう少し穏やかに会話したいものだ、と思う。
「レイジの番よ」
「む」
チェスボードに思考を戻す。
盤上はほぼ互角だった。メイの「その頃の私じゃない」はただの強がりではなかったようだ。
私が差すと、メイは眉をよせて考え込む。
……昔、よく見た風景だ。あいかわらずポーカーフェイスは苦手のようだな。
その表情はメイの小さな頃に重なり、つい笑みがこぼれる。
「何を笑っているの!? これを見ても笑っていられるかしら」
「む……」
それは絶妙とも言える手だった。
一気に窮地に追い立てられる。
「ぬう……たしかに上手くなったな」
「当然よ。あなたに負けるわけないでしょう」
ふふん、と得意げに笑った。
負けては泣き、手を抜けばバカにするなと言って泣いたメイが、いまこうして互角に肩を並べている。
「フッ」
「……なによ、この状況でまだ笑っていられるの」
「いや、本当に強くなったなと思って」
ホメたつもりだったのだが、なぜかメイは眉をつり上げる。
「どうしてあなたは、いつもそう上から目線なのよ!」
「そんなつもりはないのだが」
「笑うなら、まず私に勝ってからにしなさい。この局面をひっくり返せるなら、ね」
ソファから立ち上がって、見下ろしながら言う。
たしかに簡単には逆転できないだろう。しかし、このままやられる私ではない。
「苦しまぎれね」
次の一手をメイはそう評した。
しかし、時間が経過するにつれてメイの得意げな顔がくもっていく。
「ちょ、ちょっと待って」
「どうした、ずいぶんと待ったが多くなってきたな。先程までのイキオイは終わりか?……いや、時間をかけて勝てるのならそれでも構わないがな」
「キーッ!! まだこれからよ!」
「本当にそれで良いのか?」
「ちょ、ちょっと待って。……いいえ、やっぱりコッチよ」
「チェックメイト」
「えっそんな手が……ああっ」
メイは頭を抱える。
「どうやら、私の勝ちのようだな」
メイのキングはもうどこへも逃げられなかった。
「うるさいわね、今のは負けたうちに入らないわ! この程度で私より強いなんて思わないで頂戴。もう1回よもう1回!」
昔と同じセリフに、思わず吹き出してしまう。
おかげでメイの目がさらにつり上がった。
「す、すまない。昔を思い出してしまって……くくっ」
真っ赤になって怒る姿は、さらに昔と重なって笑いが止まらなくなる。
「……そうだ、くやし泣きはしないのか。昔のように」
「~~~~~~~~!!!」
「ぬおお!」
わめきちらした後はムチが飛んでくる。これも昔と同じだ。
「それより再戦するのだろう? そんなに興奮していては私がまた勝つぞ」
「―――私が勝つに決まっているでしょう」
ぐっと口をむすぶと、ソファに戻りコマを並び始める。本当に、昔のままのメイだ。
私も自分の駒を並べ直しながら、真剣にチェスボードをニラんでいるメイを見る。
「……私が強くなったのもメイのおかげだな」
メイは不思議そうに顔を上げた。
「そばにいてくり返し対戦してくれたおかげだ。キミがふいに考えさせられる手を放ってきて、負けられないと思い必死で勉強した。メイと切磋琢磨した日々があるから、今の私があるのだ」
メイは視線をそらして目を伏せる。
「……私だって、レイジに勝つために強くなったのだわ。他の人間に勝ったところでその勝利に意味はないもの」
「ふっ、どうあろうとも私を負かさないといけないらしいな」
「当たり前じゃない。さあ、次が本番よ!」
指を突きつけるメイに、私は余裕たっぷりに笑い返す。
「再び返り討ちにしてやるとも」
こうして互いを高めあって行くのだろう。これからも、ずっと。