※逆転裁判1のネタバレを含みます
御剣が狩魔家に引き取られる話
……たぶんミツメイ
「パパ!」
小さな女の子が裁判所の広間を駆ける。
ふわふわのスカートをゆらし、白髪の男性に一直線に抱きついた。
「会いたかったわ、パパ!」
周りの人間は誰しも自分の目と耳を疑った。
そのふたりは祖父と孫娘にしか見えなかったし、その者を知っているなら――法曹界で彼を知らぬ者はいなかったが――子どもがいることは知っていても、およそ「パパ」と呼ばれるとは思えぬ人物だった。
「メイ……本当に日本に来たのか」
その男、狩魔豪は娘を抱き上げながらも眉をひそめる。
「あら、クリスマスにももどってこないワーカーホリックのために、わざわざ会いにきてあげたのよ。クリスマスはカゾクとすごすものでしょう。パパったらきょねんも家にいなかったらしいじゃない」
「仕事だと言ったはずだ」
「きょねんはそのあとに休暇をとったそうね。ムスメのもとにも帰らずに、ドコのオンナとすごしたのかしら」
周りはハラハラしてその会話を聞いていた。
なにしろ「あの」狩魔豪に軽口をきく人間など、ただの一人もいなかったからだ。
「フン、くだらぬことばかり覚えおって。きちんと勉強はしておるのか」
腕から下ろすと、鋭い眼光で娘を見つめる。
しかし少女は意に介す様子もない。
「あんなのカンタンすぎてあくびが出ちゃうわ」
「では今の家庭教師はクビにして、もっと上の勉強をさせるとしよう」
豪は小さな子ども相手といえども、いつもと同じ厳しい態度だった。
しかし親しい間柄であれば、その表情にわずかな暖かさを見つけただろう。
……もっともそんな人物など、家族と一部の使用人を除いて存在しなかったが。
「ねえ、今日はどんな裁判なの?」
「そんなもの、とっくに終わってしまったわ」
「さすがパパだわ。……でも、パパの勇姿を見られなかったのはザンネンね」
「どうせしばらくはコチラにいるのだろう。その間にワガハイがたっぷりシゴいてやる」
「うれしい!」
冥は脚に手を回して強く抱きつく。その様子はハタ目からも仲の良い家族に見えた。
あの狩魔豪も普通の父親なのかと思える、ほほえましい光景だった。
「狩魔検事のお子さんですか? かわいいですね」
若い弁護士が笑いかけると、冥は父親の影に姿を隠す。
「おや、嫌われちゃったかな」
大きな屋敷で大人に囲まれた育った冥にとって、知らない人物と話すことは滅多になかった。
はははっと笑う青年に豪はニラみをきかせる。
「キサマ、二度とワガハイの前に現れるな!」
「え……ええええ!?」
エリのバッジに目を落とす。
「ふん、弁護士か。弁護士ふぜいの顔など覚える気もないが、キサマの顔だけは忘れないでおいてやろう。光栄に思うがいい」
そう言い放つと、背を向け娘とともに去っていく。若い弁護士はボウゼンとしてそれを見送った。
周りの人間は、「触らぬ神にタタリなし」という言葉を胸に刻むのだった。
廊下をさっそうと歩く父親の後を、小走りで娘がつづく。
「与えていた課題はこなしたのか」
「コイビトを殺したオンナの事件だったわね」
トリックから動機にいたるまでをスラスラと答える。
「チジョウのもつれってやつね」
冥は一字一句覚えたままをカンペキに答え、そう言って言葉を結んだ。
「……フン、まあいいだろう」
「トウゼンよ。狩魔はカンペキをもってよしとする、よ!」
胸を張る娘に父親は眉を寄せる。
単語の意味もロクに分からず丸覚えでは、豪の欲するカンペキにはほど遠い。
とは言え娘はまだ3つだ。豪もアメリカと日本を行き来しながらその成長を見ているが、教えたことはスポンジが水を吸収するように覚えこむ。
いずれ競争のキビシサを教えなくてはならない。しかし同年代では話にならないし、世間に放り込むには早すぎる。もう少し頃合いを見守るしかないか、そう思いながら進めていた足をエレベーターの前で止めた。
ふたりは先客の少年の後ろに立ち、エレベーターを待った。しかし、一向に来る様子はない。
「ヘンね。うごいてないのかしら」
冥がいらだたしげに言う。
見ると、エレベーターのボタンは点いていなかった。
「どけ! コゾウ!!」
びくっ、と少年はふり返り、涙をぬぐうようにして脇によけた。
どこかで見た顔だと豪は思ったが、すぐに興味をなくした。
しかし足元に置かれた花束が目に入り、思い出す。
(………あの時のコドモ、か)
ずきん、と右肩がうずいた。
「…………………」
エレベーターを待つ間、妙な沈黙が流れる。
冥は父のカゲに隠れ、赤い目をした少年を見上げていた。
大人の中で育った彼女にとっては歳の離れた姉とたまに会う以外、同世代をそばで見ることなどないと言ってよかった。
少年は豪を見上げ、口を開く。
「………おじさんは、検事ですよね」
豪は、ちらりと視線を移す。
「いかにも」
「パパはね、この国どころかセカイに名をはせるテンサイ検事なんだから!」
娘は父親のカゲから得意そうに自慢した。
父親の法廷記録を子守唄代わりにして育った冥にとって、豪は絶対的なヒーローだった。
「被告をかならず有罪にする、無敗の検事……でしたよね」
豪は片眉を上げる。
あの弁護士の子が、この場所で、自分に何の用かといぶかしげに思った。
「………検事になるにはどうしたらいいんですか」
それは思いがけない言葉だった。
「検事になりたいのか?」
少年はくやしそうにうつむく。
「ボクのお父さんはここで殺されました。犯人はわかっていたのに、無罪になったんです……あんな裁判、絶対にみとめない!」
下唇を噛みしめ、声をしぼり出すようにつぶやく。
「ボクが……ボクが犯罪者を有罪にしてやるんだ」
一筋のしずくがほほをつたい、ぽとり、と少年の胸に点を作った。
涙をためた瞳で豪を見上げる。
「被告を有罪にできる検事になりたいんです!」
その目には強い意志があった。
(あの弁護士の子が検事になりたいと言うのか、このワガハイに向かって)
「…………おもしろい」
豪は心のソコから楽しそうに笑う。
それは見た者を凍らせるほどの冷たい笑いだった。
「キサマ、ワガハイの元に来るがいい」
「え……」
「パパ! こんなウマのホネともわからないやつをウチに入れるって言うの!?」
「あ、ありがとうございます!」
「弟子はわたしひとりでじゅうぶんよ!!」
父親を取られるとでも思ったのか、冥は必死で反対する。
他人に対して感情をあらわにする姿を父親は初めて目にした。
「メイ、お前に弟弟子ができるのだぞ」
「おとうと弟子……おとうと……」
その言葉を噛みしめるようにつぶやく。
「つまり、わたしが上ってこと?」
「そうだ、お前が姉弟子になるのだ」
値踏みするように見上げる冥に、弟弟子となる少年はあいまいに笑い返す。
やっと自我を持ち始めたような歳の少女が、いっぱしの口をきき敵意むき出しで向かってくることに戸惑いを隠せなかった。
「……そう、わるくないわね」
にやり、と笑ったつもりだったが、父のソレに比べるとずいぶんと可愛らしい笑みだった。
チン、とエレベーターが到着する。
父子が乗り込み振り向くと、少年はいまだ扉の向こうにいた。
「なにやってるの!」
「あっ!」
手を引かれ、つんのめるようにして乗り込む。
その背中で扉が閉まる音を聞いた。
慌てて振り向いたところで、エレベーターはもう動き出していた。
少年は再び動きを止める。
色を失った目で床を見つめていた。足元に深い深い穴でもあるように。
「…………ちょっと、ねえったら!」
冥の呼びかけに、はっとなって父子を見る。
「だいじょうぶ? まっさおよ」
「………いや、なんでもない」
とてもそうは見えず、冥はにぎる手に力を入れる。
まるでいま初めてソレに気づいたように、少年はつながれた手を見つめた。
小さな温もりは少年に少しだけ安心を与え、一瞬ではあったがこの場所がどこであるかを忘れさせてくれた。
チン、と鳴ってエレベーターのドアが開く。
ふらふらと少年は現実の中へと足を踏み出した。
つながれたままの手に引かれるように少女も出、その後を静かに父親が続く。
「だいじょうぶ?」
もう一度たずねられて、少年は弱々しく微笑む。
「その……少し、酔ってしまったようだ」
「このていどで?」
あきれた、と肩をすくめる。
「まったく、せわのやけるオトウトね。さきが思いやられるわ」
冥は手を引き、笑いかける。
「そうだ、まだ名前をきいてなかったわね」
「……ボクは御剣怜侍、だ」
「わたしは狩魔冥。いずれパパのあとをついで、テンサイ検事になる予定よ!」
「どうしたのパパ、なんだか楽しそうね」
ソファの後から、父親の首に手をまわして抱きつく。
肩で切りそろえた髪が豪の頬をなでる。手足は伸び、娘は美しく成長しつつあった。
「……いや、御剣を拾った時のことを思い出していたのだ」
弟弟子の名を出しただけで、冥は不機嫌そうに眉をゆがめる。
「まったく、パパもよけいなモノを拾ってくれたものだわ」
その中身は、あの頃とそう変わってはいないようだ。
「なかなか悪くない拾いモノだったと思うが」
「レイジなんかより、私の方がずーっと優秀よ! 狩魔の名を継ぐのは私なんですからね!」
御剣が来たことによる冥の変化は著しかった。
ほんの少し弟弟子をホメてやるだけで、必死でその後を食らいついてきた。ただ教わるだけではなく、考え、議論しながらその答えに至る。
実際、御剣は思わぬ拾い物だった。狩魔の弟子と名乗らせても申し分ない成長を遂げている。
弁護士として育っていたなら、いずれ冥に立ちはだかる存在になっていたかもしれない。
あの弁護士の子が犯罪を憎み、豪の元で検事を目指すこととなったのは、憎き男がこの世界から姿を消した以上に愉快なことだった。
「クッ」
「なあに、また昔のことを思い出しているの?」
「いや、成長が楽しみだと思ったのだ。御剣も、メイも」
冥はもう一度ぎゅっと抱きつく。
「私も早く検事になって、レイジなんかよりカンペキに勝ちつづけてみせるわ!」
そう、無邪気に宣言する。
弟子たちも思い通り成長している。いまや、彼の思うままにならないものなどないと言ってよかった。
豪は深く背をもたれ、目を閉じて満足そうに笑った。