冥→豪を御剣視点で。ほのぼの
「ナベが食べたくなったの」
そう言ってメイは突然この国に現れ、やれ冬の服が欲しいだの美味しいケーキが食べたいだのと、ワガママ放題の彼女に連れ回されることになった。
私とてヒマではないのだが。
検事見習いとなって先生の元で実際の仕事を目の当たりにすると、今まで勉強していたことの半分も役には立たないことに気づかされる。休日と言えど休んでいるわけにはいかないのだ。
しかし、私がこの国に来てから先生もアメリカに行く機会も減り、一人屋敷に取り残されていて寂しかったのだろう、と仕方なく買い物に付き合う。
「ねえ、アレは何かしら」
メイが指し示したのは、デパートの一角にある菓子店だった。
そこに可愛らしげに飾られている文字を読む。
「バレンタインデー、と書いてあるな」
ビシッ
「ぬおっ」
「そんなことは見れば分かるわよ! どうしてバレンタインデーで、女性があんなに居るのよ」
ムチを打ち付けられた腕をさすりながら改めて菓子店を見ると、「St. Valentine’s Day」と飾り付けされているウィンドウの向うで女性たちが買い物をしている姿が目に映る。
……ああ、そうだったな。
「この国のバレンタインデーは女性から男性にチョコレートを贈る日なのだ」
メイが思ったであろう疑問に答える。アメリカでは逆に男性から女性に贈り物をする日だからだ。
「どうしてそんなコトになっているのよ」
「たしか菓子屋がそう宣伝した、からだったはずだ」
メイは眉を寄せる。
「商売のために情報をユガめるなんて、浅ましいことね」
呆れたように言うと、メイはまた小首をかしげる。
「でもこの国では、一人のオンナがたくさんのオトコを愛するのが普通のことなのかしら」
メイの視線の先では、女性たちがいくつもチョコレートを抱えていた。
もうひとつ、メイの疑問に答える。
「あれは義理チョコと言ってだな、愛を伝えるだけではなく普段お世話になっている相手にも贈ったりするものなのだ」
「ああ、この国ではギリとニンジョーを大切にするのだったわね」
納得したようにうなずく。何か違うと思ったが、どう説明したものかと考えているとメイは突然、ポン、と手を合わせ、
「たしか、この近くだったはずよね。チョコレートが食べたくなったわ」
ずんずんと出口に向かって進む。すでに興味は他に移ったようだ。
「いらっしゃいませ」
店内に入ると店員がうやうやしく頭を下げる。ここのチョコレート専門店はメイのお気に入りで、ときどきフランスの本店から取り寄せて食べていた。
宝石店のようなショーケースにひとつひとつ並べられているチョコレートを指差す。
「ソレと、コレと、そっちを2つずつ。……ああ、コレも美味しかったわね。これも頂戴」
「ありがとうございます」
店員は再び丁寧に頭を下げた。12~13の少女にも一人前の客として接する、その辺りもメイにとって「お気に入り」なのだろう。この国に訪れた時は必ずのように寄っていた。
「あら? コレは初めて見る気がするけれど」
花型のチョコレートを指差す。先ほどの菓子店のような賑やかさはなかったが、さり気ない飾りつけがされていた。
「はい、コチラは日本店限定でして、バレンタインのこの時期にしか販売しない商品でございます。桜の香りをほんのりと利かせておりまして、しかし香りはあくまで微かでカカオ本来の風味をそこなわず、一足早い春を感じさせる一品となっております」
「ふうん、じゃあソレも頂こうかしら」
お茶の時間に紅茶を淹れていると、メイはいそいそと箱を取り出して開ける。
そのひとつ、花型のものをつまみ上げて表裏を眺める。そうした後に一口かじり、中をまじまじと眺めてから残りを口に入れる。
「あら、なかなか悪くないじゃない。コレが今の時期、それもこの国にしか売ってないなんてもったいないわね」
紅茶を一口飲むともう一つ口に放り込み、目を閉じてじっくりと味わう。限定のなんとやらはお気に召したようだ。
「どれ」
美味しそうに食べるメイにつられチョコレートに伸ばした手を、ペチン、と叩かれる。
「私のよ」
「ひとつぐらい良いだろう」
「欲しかったら自分で買ってくれば良かったじゃない」
チョコレートは嫌いではないが、自分で買って食べるほどではない。
「ではバレンタインの分として、私にくれるのはどうだ」
しまった、今の言葉は逆効果だ。メイの眉がみるみる歪んでいく。
好意を持つと言う意味はもちろんのこと、義理でもあげるまい、という顔だ。
「義理チョコというのは家族にも渡すものなのだ。いやむしろ、この国では家族に上げるのは当然のことなのだ」
そこまでしてチョコレートが欲しかったわけではないが、意固地な彼女を正面から説得するより、ほんのちょっと矛先を変えて誘導するのはそう難しいことではない。そもそも言ったことにウソはなかった。
メイは軽く眉を上げて、チョコレートの入った箱を差し出す。
「……仕方ないわね。はい」
苦笑しながら、『義理チョコ』を受け取った。
***
ベッドの中、何かの気配を感じてぼんやりと目を開く。
サイドテーブルのランブに照らされて、小さな人影が見えた。
「……メイ……?」
びくり、と人影が動く。
慣れてきた目でよく見ると、確かにメイが部屋の中に居た。ハンガーにかけた私の上着をつかんでいるようだった。
メイはゆっくりと振り向き、
「……こ、このジャケットのスソがほつれていたような気がしたのよ。狩魔家の人間が、しかもパパのそばに居て服装が乱れているなんてモッテのホカだもの! でも見間違いだったみたいね。じゃあお休みなさい」
一方的にまくし立てると部屋を出て行った。
それが夢の中の出来事だったのかそうでなかったのか、私は再びまどろみに身をゆだねた。
「今日、アメリカに帰るから」
朝食の席でメイは突然そう告げる。
「ずいぶんと急だな」
「もともと、レイジがパパに迷惑かけてないかを見に来ただけだもの」
見に来ただけ、と言うにはずいぶんと連れ回された気がするが。
「そうか」
先生はそれだけ答える。
親子である以前に師弟である、とでも言うのだろうか。ふたりの間に裁判以外の話題は極端に少ない。
もっとも、私の「親子の団欒」という記憶は遥か昔のことのようになってしまっていて、普通の親子というものがどうだったかはよくわからない。
「パパの裁判をひとつしか傍聴できなかったのは残念だけどね」
「ワガハイが手がけるほどの事件がなかったからな」
「この国が平穏でなによりだわ」
言葉とはうらはらに、つまらなそうに言う。
だがメイにとってはそんな話題こそが親子の会話とも言えるのかもしれない。内容を除けば普通の親子の食卓に見えないこともなかった。
仕事があるので空港で見送ることはできなかったが、メイは「また来るわ」とあっさりしたもので玄関先でその背中を見送った。
検事局に出勤し先生より一足先に執務室へ着く。扉の前でカギを取り出そうとすると………ない。
おかしい、いつも内ポケットに入れているはずなのに。イヤな汗をかきながら他のポケットをさぐる。
……あった。
ほっとして胸をなで下ろす。カギを紛失するなど、あってはならぬことだ。先生の雷が落ちるだけならまだしも、助手から外される可能性もありうる。
頭を振って縁起でもない想像を捨て、カギを開ける。
今日の予定を思い出しながら中へ進むと、先生の机に見慣れぬ物があった。リボンが飾られた小さな包みがちょこん、と上がっている。
―――――――メイだ。
一瞬でロジックは組み上がる。メッセージカードも何もなかったが、先日のチョコレート店の包装、そして先生と私しか入れないはずのカギのかかったこの部屋にコレがあること……。夜中にメイが何かをしていたのを思い出す。あれはカギを持ち出して、戻したところだったのだろう。
ガチャ、と扉の開く音がして、反射的にソレを後手に持って振り返る。
先生は小さな紙の袋をぶら下げていた。
「くだらん行事だ」
無造作に机の上に置くと、こちらをいぶかしげに見る。
「どうした」
「は、いえ、コレも先生に、と、いただきました」
慌てて背中のチョコレートを出す。ウソはついてない。
この場所でメイのチョコレートを渡すのは不自然だ。メイからだと告げればなぜ朝渡さなかったのかと疑問に思うだろうし、先生を相手に上手く立ち回る自信はない。
カギの管理が甘い私が悪かったのは確かだが、これはメイのためでもある。身内と言えども勝手に執務室に入るなど許されることではない。この包みが誰からかという明確な証拠はないため、私の推測を口にする必要はないだろう。
先生は受け取ると紙袋に入れる。そしてそれをコチラに差し出した。
「捨ててくれ」
「…………は?」
予期せぬ指示に、私は動きを止める。
もう一度、目の高さまで差し出されてぎこちなく受け取り、先生の言葉を反芻した。
「捨てるの、ですか?」
「なにが入っているかわからん。好意に見せかけた悪意など、初歩中の初歩だ」
先生に敵は多い。目に見える悪意を向けられた場面も実際に見てきた。こういった「贈り物」を警戒するのも当然だ。いちいち中身を確かめるより全て処分した方が効率的なのもわかる。
「しかし先生……」
「御剣、今日の予定は」
「は、はい!」
慌てて手帳を広げ予定を読み上げる。話題は打ち切られ、それ以上質問も反論も許されない。
手帳をしまうと預けられた紙袋に意識は戻る。ソレはいやに重く感じられた。
先生の言うことは絶対だ。捨てろと言われたら捨てるしかない。
ゴミ箱に近づき、紙袋をぶら下げる。手を離すとゴミ箱の底でカタン、と音を立てた。
***
「御剣、今日は何をやっているのだ」
「……申し訳ありません」
昼休み、先生からお叱りをいただく。
午前中は数字を間違えたり先生からの指示を忘れたり、普段ならけして起こさぬミスを連発していた。
「……………」
いつもは気にならない沈黙が耐えられず、落ち着いた店内の会話や食器の音がやけに大きく感じられた。
そんな気まずい時間を、胸元で震える電話に助けられる。
「失礼します」
携帯電話を取り出しながら席を離れる。トイレに向かう通路で電話を受けようとして、その表示に動きを止める。
姉弟子の名がそこにあった。
出るのをためらったが、この先ずっとメイからの連絡を避けるわけにもいかない。
「どうした、忘れものか?」
いつも通りを意識して電話に出る。
『別に……これから飛行機に乗るけど、どうしてるかと思って』
「朝会ったばかりなのに、どうしてるかも何もないだろう」
『今日はバレンタインだったでしょう。パパのことだから、たくさんもらってるんじゃないかと思って』
「……ああ、いくつかはもらっているようだった」
少しの沈黙の後、メイは焦れたように聞く。
『それで?』
「それで、とは?」
『ほら、何かトクベツなチョコレートがあったとか、美味しそうに食べてたとか』
完全にアレが自分からだと言っているようなものだ。
無邪気な質問に苛立ちを覚える。軽率な行動をしたせいで、私がいらぬ心労を重ねているというのに。
もしここで本当のことを言ったならば、どんな反応をするのだろう。
「……そういえば、朝、先生の机にチョコレートがあったな。休憩の時に食べていたようだったが」
『そう、そうなの。ふーん。……あ、そろそろ時間だから行くわ。じゃあね』
はずんだ声で電話は切れ、私の胸は重さを増す。
捨てたなどと言えるはずもなかった。
もし事実を告げたら、メイは何でもないことのような反応をするのだろう。――ひどく傷ついた顔をして。
「フユカイだ」
席に戻るなり、先生に言われた。
「くだらぬ問題はさっさと片付けろ。さもなくば心の中に留め置くな。キサマの辛気臭い顔を向けられる身にもなってみろ」
「も、申し訳ありません」
先生はお見通しだった。私が何かに思い悩んでいたことに。
確かに私が忘れてしまえば済むことかもしれない。メイは誰にも知られずに贈ることができたと思っているし、先生はメイがチョコレートを贈ったなどと知りようもない。しかし……しかし、が何度も頭をめぐる。
かと言って、今さら解決する方法などムリな話だ。すでにメイのチョコレートはゴミとして処理されてしまっているだろうし、あったとしても一度捨てたものを渡すなど出来るはずもない。たとえ見た目が同じでも。
…………見た目が……同じ……
「――すみません先生、用を思い出したのでちょっと出てきます」
そうだ、まだ間に合うはずだ。
慌てて立ち上がり、その場を後にする。
「――フン」
***
「先生、休憩しませんか」
そう声をかけると、先生は書類から目を上げ時計を見る。
「うむ、紅茶を淹れてくれ」
「はい、ただ今」
すでに用意していたティーポットにお湯を注ぐと、辺りに紅茶の香りが広がる。張り詰めた空気が緩むひとときだ。
カチャリ、とカップを机に置き、続けてお茶請けを横に沿える。
先生が「何だコレは」とばかりにコチラを見上げた。当然だ、不自然だろう。今日のこの日にチョコレートを出すのは。
「――――メイが」
ぴくり、と肩が動く。
「先日メイがこれを食べていて、ずいぶんと気に入ったようでしたので」
先生はフン、と鼻を鳴らすと花型のソレをつまみ上げる。
表裏を眺めてから半分にかじり、それの断面をまじまじと見つめてから残りを口に放り込んだ。紅茶を一口飲むと、もうひとつ食べて目を閉じる。よく似た親子だ。
「……まあ、悪くはない」
どうやら満足いただけたようだ。
昼休みに私が買ってきた品だがメイが贈りたかったものだ。手作りならまだしも、売っているモノに私が買ったのもメイが買ったものも変わりがない。少し私を経由しただけで、贈りたかった相手に届いたことになる。
言い訳かもしれないが、アレを先生が受け取ったとしてもメイからだとは知りえなかっただろうし、この方が良かったのではないだろうか。
私もひとつチョコレートをかじる。シンプルながらもチョコレートの旨みを感じ、後からふわりと桜の香りがする。
アメリカの空の下でメイが笑っているような気がした。