同人誌より再録
「幽霊が出たんだってさ」
喧しい昼休みの喧騒をBGMにマンガを読んでいると、机の脇に立った好雄が唐突に話題を振ってきた。
「へー」
マンガから目を離さずに返事をすると、横から伸びてきた手にマンガを取り上げられる。
「なんだよその気のない返事。もうちょい、こー、リアクションをだなー」
「よくある噂だろ、七不思議とかの」
さっさとマンガを取り返し、読んでいたページを探そうとパラパラとめくっていると、手を入れて止められる。
「違う違う。つい最近あった事なんだよ。真夜中に忘れ物を取りに来た生徒が教室に入ろうとすると、白く浮き上がった女子生徒が悲しそーな顔でたたずんでたって……」
雑誌を傾けてその手をよけ、好雄に背を向けてまた開いた。
「真夜中は学校閉まってるから入れないだろ。面白おかしく話したがるのは分かるけど、俺は興味ないから」
「だから本当に……」
「はいはい。わかったわかった」
「――あーもー! あ、美樹原さん美樹原さん!! いいところに!」
「は……はい?」
詩織のところに遊びに来たらしい――でも当の本人は教室に居ない。トイレかな?――美樹原さんは、目を丸くして好雄に引きずられてきた。
「美樹原さん、ちょっとコイツに言ってやってよぉ~~~」
「え……あの……」
「ほら、最近幽霊が出たって話があったでしょ」
何が何だか分からず顔を赤くして口ごもっていた美樹原さんは、好雄の言葉に、
「え、ええ。先月の話ですね」
とうなずき、別人のようにすらすらと話し出した。さすがに好雄に対するように無視するわけにもいかず、彼女の話に耳を傾ける。
「その人が部活の帰りに教室に忘れ物をしたのをふと思い出したんです。でも校舎は真っ暗だし入れそうにない……けれど、どうしても明日までにやらなくてはいけない課題があって、入り口が開いてるはずがないと分かっていても校舎まで行ってみたそうです。そしたら、たまたま窓が開いて中に入れたんです。そして教室へ……」
「ちょっと待った」
俺は手を上げて話を止める。
「カギが開いてたとしても、普通はセンサーか何かで警備会社から人が飛んでくるんじゃなかったっけ」
「お前は……せっかく美樹原さんが話してるってのに、ケチつけないで最後まで黙って聞けよ」
好雄が渋い顔で制止してきたが、美樹原さんは気にした様子もなく首を傾げて答える。
「それが、なぜかシステムは動いてなかったみたいなんです」
都合のよすぎる話だなと思ったものの、横からのするどい視線で口にするのはやめておいた。
「そして教室まで急ごうとしたんですが、足音が妙に響くのでゆっくりと階段を上り自分の教室に向かおうとしたその時!」
好雄が小さく悲鳴をあげて俺の腕をつかむ。
可愛い女の子なら別だけど、男にすがられても嬉しくない。
「横切ろうとした教室に、女の人が立っていたんです。真っ白な髪と夏服の白が暗闇に浮き上がって……それは哀しそうに、机を見つめていたそうです。――その机は好きな人の席で、想いを遂げられずに死んだのじゃないかというウワサです」
「ど、どうだ、信じたか?」
好雄は俺の腕にしがみついたまま、震える口調で聞いてくる。俺はその手を振り払った。
「お前の話よりはおもしろかったけど、信じろって言われてもなぁ。第一、見た人すらはっきりしてないし」
「あ、B組の山本さんです」
美樹原さんはあっさりと答えた。
確かにヘタにもったいぶられるより、よっぽど信憑性がある。
「それに、教室に薄明かりがついていたのを見たと言う人も、何人もいるんですよ。実はその教室が……この2-Aなんです」
「ひえっっ」
「やめろ、気色悪い」
今度は抱きついてきた好雄を鳥肌を立てて引きはがしていると、美樹原さんはクスクスと笑いながら言った。
「私も見てみたいんですけど、学校に遅くまで残る事がないから見る機会がないんですよね」
途端に好雄は目を輝かせ、美樹原さんににじりよる。
「じゃあさ、オレと一緒に夜の校舎を探検しない?」
「え……あの……」
「はいはい、お前はひとりで徘徊してなさい」
途端にいつも通りに戻ってしまった美樹原さんから好雄を引き剥がしながら、俺は彼女に目を向ける。
「でも美樹原さんってこーいう話好きなんだ、ちょっと意外だな」
「そ、そうですか?」
「なに言ってんだ今さら、美樹原さんは怖い話大好きなんだよねー」
好雄はこりずに再び美樹原さんににじりよった。
「え、あっ、あの……」
「怖い話だけじゃなく、もっと美樹原さんの話も聞きたいな」
「あの……その……あ、詩織ちゃんが来たので、ごめんなさい!」
美樹原さんは教室に戻ってきた詩織の所へ、逃げるように走り去って行ってしまった。
未練がましくその背中を見送っていた好雄に、俺は温かく声をかける。
「やーい、振られてやんのーー」
「……で、だ」
好雄はくるりとこっちを向くと言った。
「一緒に幽霊見に行こうぜ」
「……あのな、美樹原さんに断られたからって、俺誘うことないだろ」
「いや、ホントは始めからお前を誘うつもりだったんだ」
真剣な目で見つめられる。
……その言葉も態度も怪しい。
「なんでそんなに見たいんだ?」
「……その幽霊がすごい美人らしいんだ」
コイツは……。
「やだよ、めんどくさい」
「つれないこと言うなよー」
「お前が見たいんならお前が行きゃいいだろ。俺は別に見たくない」
「すごい美人だぜ」
「それもウソくさい」
「うう……あ、その幽霊を見ると幸せになれるそうだぜ!」
何がなんでも俺に『うん』と言わせたいらしい。いい加減、付き合うのがめんどくさくなってきた。
「ひとりで幸せになっとけ」
「ちょ、まっ……ごめん、待ってくれ!」
立ち上がって去ろうとする俺に半泣きですがりついてくる。
「一生のお願い!! 頼むから付き合ってくれ~~」
「あのな、何でそこまで見ないといけないんだよ。お前、この手の話は苦手そうだし」
「べ、別に苦手じゃ……」
「あっ後ろに人が!!」
「ひえっっっ」
好雄は文字通り飛び上がって後ろを振り返り、後ろに立っていたクラスメートにむっとした顔で睨まれた。
「……なによ」
「あっ……ごめっ……」
気まずそうに目をそらした後、こっちに向き直って恨めしそうな目で見つめてくる好雄に、俺は大きく溜息をついた。
「どうしても見に行かなきゃならない理由があるんだろ?」
俺の言葉に、好雄は悄然と肩を落とす。
「……ポーカーで朝日奈に大負けして、1週間ハンバーガーおごんなきゃいけなくなって……」
話が見えた。
「で、それが嫌なら幽霊見てこい、と」
「たのむ! いっしょに来てくれぇ~~」
魂の叫びとも言える声で、俺にすがりついてくる。
「ヤだよ、お前の罰ゲームなんだからお前ひとりで行け」
「薄情ものぉぉぉぉぉぉぉ~~」
***
「……俺って、つきあいいいよなあ」
暗闇の底に沈む校舎を見上げ、俺は溜息混じりに呟く。いつもは生徒であふれかえっている校庭も、今はひっそりと静まり返っている。
時刻は10時――当然、夜の。すでに教師も生徒も帰宅しているらしく、校舎のどの窓にも明かりは見えない。
一階の窓の前に立って窓が開かないかチェックしていた好雄が、振り返って文句を言ってくる。
「なにブツブツ言ってんだよ、お前もどっかから入れないか探してくれよ」
「はいはい」
俺は肩をすくめ、別の窓に向かう。
正面玄関も職員玄関も当然のごとく閉まっていたため、一階の窓をひとつひとつチェックしていく。
「つーか、入れなかったらどーすんだ? それに万が一入れたとしても幽霊が出たとか出なかったとかの証明はどうすんだよ」
ふと疑問に思って問いかけると、好雄がポケットから取り出したのは使い切りカメラ『撮れるンです』だった。
「写真撮れたらチャラ、来た証拠として朝日奈の机にある腕時計を取ってきたら負け分を半分、入れなかったらノーカウント。……だから、なんとしても入らなきゃなんねーんだよ」
「なんとしてもって言ったって、どっこも開いてないと思うけどなあ」
といいながらもチェックを続けていると、何コ目かの窓が動いた。
「あれ?」
力をこめるまでもなく、するすると開いていく。
「おお、開いたのか!?」
目ざとく走り寄ってきた好雄が、さっさと中に入ろうとするのを慌てて止める。
「ちょ、ちょっと待て。開いたはいいけど、中に入るとセンサーにひっかかってアラームが鳴って、警備会社から警備員が飛んでくるっていうぜ。以前、先輩がそれでひどく怒られたって言ってたし」
「赤外線感知ゴーグルとかないのか」
「あると思うか?」
好雄はちょっとためらった様子だったが、すぐに窓枠に手をかける。
「ここまで来たら、行くしかないだろ!」
「好雄!」
俺が止める声も聞かず、好雄は校舎の中に一気に飛び込んだ。
俺は鳴り響くアラームを覚悟して、思わず目をつぶった。
「…………………」
沈黙が続くこと、十数秒。
恐る恐る目を開けると、好雄は窓の向こうで両腕を広げてスキーのジャンプでも飛んだようなカッコで動きを止めていた。
ゆっくりこっちを振り返り、今度は辺りをさぐるように手足を泳がせる。
「なーんだ、大丈夫じゃん」
「まじで?」
俺も中へと入ってみるが、アラームが鳴ることも警備員が飛んでくることもなさそうだった。
「なんでだ?」
「先輩のその話って、ガセだったんじゃねーの?」
「いや、他の先輩にからかわれてたからそれはないと思う。だいたい、あの伊集院家の経営してる学校がセキュリティが甘いはずないだろ」
「でも実際入れたじゃん」
「うーん、誰か解除して中にいるとか」
「それなら電気点いてるんじゃないのか? まー細かいことは気にしない気にしない。さっさと朝日奈の時計取ってこようぜ」
懐中電灯をかざして、好雄はさっさと廊下を進んでいく。
「2-Aに行くんじゃなかったのか? 幽霊を見に」
その背中に声をかけると、好雄の足がピタリと止まる。
「ほ、ほら、ホントに出るかも分かんないし、確実な方から行った方がいいだろ」
どうせビビリから出た言葉なのは明らかだけど、もっともな意見だし素直について行くことにした。
思ったより校舎の中は暗くない。窓から入る街灯の光や月の光、火災警報器の光とかで懐中電灯がなくてもぼんやりと周囲の様子がわかる。まー薄気味悪いといえば薄気味悪いけど。
しばし、お互い無言で歩き続けていたものの、あきらかに腰が引けた様子で歩いている好雄に声をかける。
「……なあ」
「ひあっっ!」
「うわっ」
好雄は10cmぐらい飛び上がり、振り返って猛烈に抗議してくる。
「いきなり声かけんなよ! 驚くだろうが!!」
「あー悪かった……っていうか、お前の声の方がびっくりだよ」
無駄に驚いた胸を落ち着かせながら、俺は首をかしげた。
「お前、遊園地のゴーストハウスは平気じゃなかったっけ」
ああ、と途端に落ち着きを取り戻した声で、
「あれはニセモノじゃん」
と、意外なくらいアッサリと答えた。
そんなものなのか?
「あーゆもんは慣れだ、慣れ。そこから何が出てくる、次は何、って分かってりゃなんでもないだろ」
「そんな何度も行ってるのか?」
「デートの下調べするのは当然だろ」
下調べってレベルじゃないと思うぞ、ソレ。
「いいか? ゴーストハウスと言えば、女の子が『きゃっ、怖い!』としがみついてくる、男は『大丈夫かい?僕がついてるよ』と男らしく受け止めるってのが目的だ。男が怖がっててどーすんだよ」
……さすが好雄。女の子のためなら苦手なものも克服できるのか。
ちなみに女の子のセリフはしなを作り、男のセリフは好青年風に声音まで変えて演じてみせた。無駄に芸が細かいな。
「でも、ウワサの幽霊は女の子なんだろ? しかも美人」
得意げに言っていた好雄の顔が瞬時に凍りつく。
「ゆ、幽霊なんているわけないだろっっ」
「さっき、ゴーストハウスをニセモノって言ってたから、本物がいるんじゃないのか?」
「作り物って意味だよ、人が作った物。空想、想像、ファンタジー! フィクションだと知ってるから皆楽しめるんだろ」
「うーん、そうなのかなー……」
「そうだよ、そう! ほら、どーせいないんだから、早くI組に行って朝日奈の時計取ってこようぜ。あ、俺は懐中電灯持ってるから、カメラはお前が持っとけ」
自分に言い聞かせるように言い放ち、カメラを俺に押し付けて足早に歩き出す。
「お、おいっ待てよ」
ズンズン進む背中を追う。
横に並んで顔を覗き込むと、まわりの景色なんて見ないようにまっすぐと前だけを見つめている。
「なあ好雄。もし、だけど」
「なんだ」
足をゆるめもせずに答えてくる。
「もし、幽霊が存在するとして、その幽霊がムチャクチャ美人だったらどうする?」
「…………そうだなあ」
途端にいくらか歩調をゆるめ、思案するように宙に視線を向けた。
「オレの知らない娘ならチェックしときたいところだけど、死んでるんならどーしようもできないし。……でも、この世に未練があって困ってるなら助けてやりたいけど……でもなー、やっぱり幽霊なんているはずないし……」
どうやら好雄にとっては究極の選択らしく、ぐるぐると考えこんでいる。結局答えが出なかったのか、逆に問い返された。
「お前は?」
「へ?」
「お前は信じてるのか、幽霊。さっきからちっとも怖がってないけど」
「んー……信じてるっていうか、いるけど俺が見えるかどうかってのは別だと言うか。ほら、ラジオと一緒でチャンネル合わないと見られないって言うだろ」
「や、やめろよ。いて当然みたいに言うの」
「だってさ、人種・宗教・習慣に関係なく霊の概念は世界中にあるだろ。霊媒って職業も日本のイタコだけじゃないし」
耳をふさぐ好雄にかまわず、先を続ける。
「知ってる? 死ぬ前と後では体重が少し軽くなるんだってさ。科学的に言っても、質量保存の法則で何かが抜けていることになるんだよな」
「うう~~~~」
おびえた仔犬のような目でふるふると首を振る好雄を見て、驚かしすぎたかなとちょっと反省する。
反応が面白くて、ついしゃべりすぎた。
「ごめん、好雄……」
謝りかけたとき、
ガタン!
ふいに天井の方から音が降ってきた。
「!!」
その音に好雄は確実に30cmは飛び上がり、弾かれたように走り出す。
「うわああああああああああああああああああああああああああ」
「あっ、好雄!」
……長い雄たけびを上げながら、あっという間に廊下の先に消えていった。
戻ってくるかな………
「……戻ってこないだろうなあ」
手に残されたカメラに視線を落とし、俺は小さく肩をすくめる。
「しかたない、写真は無理でも時計だけでも取ってきてやるか」
やさしいなあ、俺。
薄暗い廊下を一人で進む。好雄が持って行ってしまったので懐中電灯はないが、月が明るいおかげでなくても歩くのに困らない。それにもし校舎の中に誰かがいるとなると、明かりをつけてこちらの存在を悟られるのはマズイだろう。
暗い中を一人で歩くのは平気だった。いや、むしろ好きなくらいだ。
昼間見慣れた景色が、夜になるとまったく別の顔を見せるのが好きだった。
誰もいない廊下を一人で歩いていると、どこか別の世界に迷いこんだかのようでわくわくしてくる。
でも他に誰か人がいるとなると、そう呑気なことも言ってられない。
さっきの物音に、切れているらしい警報器。やはり校舎のどこかに、先生か警備員がいるに違いない。今現在立派な不法侵入中。見つかったらよくてお説教、最悪停学でも食らいかねない。
俺はできるだけ足音を立てないように歩きながら、周りの音に耳をすます。
先ほどの音は上の方から聞こえてきた。そして幽霊が出るという2-Aは2階にある。
「………………」
怖いもの見たさと言うよりは、本当に人がいるかどうかを確認するためにゆっくりと階段を上がる。
2階の廊下の端に立ったものの、どの教室からも明かりが漏れている様子はなく、真っ暗な廊下が続いているだけだった。
3階かなと思いながら、念のため2-Aの教室へと足を向ける。足音はたてないように、ゆっくりと。
他の教室と同じように、2-Aの教室にもやっぱり電気はついていない。
それでも用心しながら、開いていたドアからそおおーっと中をのぞく。
誰もいない、と思った直後、窓のすぐ近くに人影を見つけて俺は息を呑んだ。窓から差し込む月の明かりに、ぼんやりと浮かび上がって見えた。
「……………!!」
人だ!じゃなくて幽霊!?
あわててポケットから取り出したカメラをかまえる。
パシャッ
人影にレンズをあわせてシャッターを切ったものの、慌ててたせいでフラッシュをたくのを忘れた。それにこの距離じゃ何が何だか分からない。肉眼でも人らしき影が見えるだけだ。
俺は四つんばいになり、息をひそめて教室へと入る。
好雄のためなんてのはすっかり頭から抜け落ちて、とにかくそれの正体を確かめるために進んでいった。
机のカゲに隠れながら、ゆっくり、ゆっくりと近づいていく。
チュィィーン。
うわわっっ。
突然、右手から発生した音にあわてる。視線を落とすと、カメラのフラッシュ準備ランプが点いていた。
普段なら鳴っていることさえ気づかない程小さな音が、やけに大きく感じられる。
ランプの光に気づかれないようカメラを服のすそにくるみながら、ゆっくり頭を上げて様子をうかがう。
うおっ、思ったより近い!
ほんの数メートル先に問題の人物がいた。あわてて頭を下げたけど、たぶんこっちには気づいてない。入り口から見たままの場所に立っている。
ウワサ通り長くて白っぽい髪の、きらめき高校の制服を着た女の子のようだった。そして彼女が立っているのは……なぜか俺の席のようだ。
もう一度、そーっと頭を上げる。
どくん、どくん、と心臓が動きを早める。
月の光に照らされて白く浮かび上がったその幽霊に、ゆっくりとカメラを向けた。
「きゃっ」
パシャ!
相手が振り返って目が合うのと、シャッターを切ったのはほぼ同時。
フラッシュが目眩ましになり、視界が真っ白に染まる。
「………………」
ゆっくりと現実は戻って来る。でも目に映るものはまだ現実じゃない。
(幽霊、だ)
真っ白の肌、プラチナの髪、驚いたように開かれた瞳は金色に輝いている。現実感がないほどに美しい少女がそこにいた。
しばし凍りついたかのように動きを止めていた少女は、ふいに身を翻して教室の入り口に向かって駆け出そうとした。
「待って!」
呼び止めてどーする俺。――てか止まってるし!
ゆっくりと金色の目がこちらを振り向り、俺の言葉を待つかのように無言で見つめ返してくる。
『この世に未練があって困ってるなら助けてやりたいけど……』
ふいに好雄の言葉を思い出し、俺は焦って口を開いた。
「あの、この世に未練があるなら、俺が聞くけど」
「…………この世?……未練?………」
「えっと、成仏できる方法があるかもしれないし、俺に言うだけ言ってみるのも悪くはないんじゃ………その、ヒントが浮かぶかもしれないから……」
パニくりながらも、言葉が勝手に口から出てくる。
「………ぷっ」
突然、彼女は肩を震わせて笑い出した。
「……くくっ…………」
この反応は、『幽霊』ではなくやっぱり『本物の人間』だからか?
気恥ずかしさに顔を赤くして言葉を失っていると、彼女は笑うのをやめてまっすぐこちらを見つめてくる。
「あなたって、おかしな人ね。どうして私みたいな『幽霊』にそんな事が言えるの? それとも幽霊相手にはいつもそんな事言っているのかしら?」
ん?ってことはやっぱり『幽霊』ってことか?
彼女自身がそういうのならそうなんだろう。実際、こうして言葉を交わしていても現実に存在する人間だとは思えない。
「いや、幽霊にあったのは君が初めてだけど、君が……」
あまりにもキレイだったから、と言いかけ、寸前で我に返って言い直す。
「君が立っていたのが俺の席だから、どうしてなのか気になって」
「………ここ、あなたの席なのね」
一瞬目を閉じて噛みしめるように言うと、今度はいたずらっぽく笑った。
「私があなたを呪うとでも?」
「いやそんな」
目の前にいる彼女は、現実感はないけど呪いなんて言葉とは無縁な感じに見えた。
「ここにいた理由……ね」
呟くように言って、ひどく寂しげな目で席を見下ろす。
なぜだか、やけに見覚えがあるようなその表情。どこかで彼女と会ったことがあるのかなと思いかけたものの、すぐに内心で否定する。これだけ印象的な相手、一度会ってたら絶対に忘れないだろう。
「未練……そう、未練なのね。私、ここに座っていた人が好きだったの」
寂しげな表情のまま笑う。
「卒業式に伝説の樹の下で告白したいと思っていた。叶わぬ事だと知っていた、告白する勇気もなかった、でも今はこうして彼の席を見つめる事しかできなくて……」
ぽろり、と彼女の目から涙がこぼれ落ちるのを見て、俺はとっさに叫んでいた。
「じゃ……じゃあ、やろう!」
「え?」
「伝説の樹の下で告白! ほら、同じ席っていうよしみで俺がそいつの代わりになるから!」
彼女が呆れたような顔になるのを見て、俺はすぐに後悔する。
「………ってのはダメだよね」
どうにか泣き止んで欲しかっただけなんだけど、なにアホなこと言ってんだ俺………
「……いい、の?」
へ?
意外な言葉に、俺は目を丸くして彼女を見つめる。
「お願いしてもいいの?」
「って、そっちこそ俺でいいの?」
こくん、とうなずいた後、やや焦った様子で続ける。
「……あ、あの! あなたの言う成仏のきっかけになるかもしれないし、試すだけなら試してみようかなと思うの」
ダメもとかよ、俺。
いや俺が言い出したことだしそれでいいはずなんだけど、妙に切ない気がするのはなぜなんだろう。
それでも彼女が泣き止んだことにほっとして、「じゃあ、やろうか」と言うと、彼女は嬉しそうに笑った。
「どうして、ソイツの事が好きになったんだ?」
廊下を並んで歩きながら、俺は間を持たせるためにそんな質問を投げかける。
純粋に、これだけキレイな娘が好きになる相手がどんな男なのか気になったってこともある。
「やっぱり、すごくカッコイイとか頭いいとか?」
「いいえ、ごく平凡ね」
なぜか俺の顔をじっと見て、笑いながら答えてくる。
まあたしかに自慢じゃないが、俺の顔もアタマも絵に描いたかのような平凡だけどさ……
「それじゃ、スゴイ特技を持ってるとか命を助けられたとか?」
「いいえ」
彼女はきっぱりと否定して、それでも微笑んだ。
何を持ってたらこんなキレイな人が惚れるんだ?
「彼を好きになったのは、普通な所、かしら」
「……さっぱり分からない」
首を傾げる俺を見て、彼女は面白そうに笑う。
「誰とでも同じように話す所、こんな私でも皆と同じように接してくれる所に惹かれたの」
「『こんな私』って……?」
彼女は少し寂しそうに笑った。
「私、嫌われてたの。……いえ、嫌われていたと言うよりは浮いていた、というのが正しいかもしれないわね。友達もいなかったし。そんな私にいつもちゃんと相手をしてくれたのが彼だった」
そりゃ、こんなにキレイなら浮くだろう。
「俺だって、君みたいにキレイならやさしくするよ」
張り合うように言う俺に、彼女はくすっと笑う。
「そうね、『あなた』もきっと、私にやさしくしてくれるでしょうね」
そいつのことを思い出しているのか嬉しそうに微笑む彼女を見て、なぜか胸のあたりがムカムカとしてくる。
「それにそいつ、君のことが好きだったんじゃないかな」
「ああ、それはないわ」
さも当然のように答えてくる。
「なんで?」
「何故と言われても……そういった意味の「好き」はあるはずがないから、としか言えないわね」
「??」
どうしてあるはずがないのか尋ねてみたものの、彼女は笑うだけで答えてはくれなかった。
開いたままの窓までたどりつき、俺が先に乗り越えて外に出る。
窓のふちにヒザをかけた彼女に手を差し出すと、彼女は俺の手を取ろうとして伸ばしてきた手をふいに引っ込めた。
「私は幽霊だから」
「あ、そうか」
幽霊に触れるはずはない。
収まりの悪い手で頭をかきながら校庭を振り返ると、視界の先に伝説の樹が月の光に照らされてたたずんでいた。
「い、行こうか」
「……はい」
形だけとはいえ、この娘に今から告白されるんだと思うと急にドキドキしてくる。
右手と右足が同時に出ていたかもしれないほど緊張しながらギクシャクと伝説の樹までたどりつき、その真下に彼女と向かい合って立つ。
「………………」
「……あの……私…………」
まるで果し合いでも始まるかのような緊張感の中、彼女は一度口を開けたものの、その緊張感に耐えられなくなった様子で再び口をつぐむ。
「………………」
「………………」
沈黙が数分続く。
お互い耐え切れなくなったところで、彼女がおずおずと切り出してくる。
「……あ、あの、このままだとやりにくいから、向こうから来てくれないかしら」
「あ、うん、それもそうだね。じゃあ、仕切りなおしってことで」
いったん校舎の方に戻り、バシバシと頬をたたく。
落ち着け、俺。
告白されるのは俺じゃないんだ。真似事なんだって。
自分に言い聞かせて大きく深呼吸すると、改めて伝説の樹に向かった。あせる気持ちを抑え、できるだけゆっくりと歩く。
やがて、木の下に彼女の姿が浮かび上がってくる。
月の光に照らされた彼女の姿は、まるで全身が光り輝いているかのようだった。
……これは本当にこの世の出来事なんだろうか。
俺を出迎えた彼女は、嬉しそうな、困ったような顔をしていた。
心臓が跳ね上がる。
落ち着け、俺。
「来てくれてありがとう。今日はあなたにどうしても伝えたい事があったの」
彼女は大きく息を吸う。
くるぞ、くるぞ。
「……ごめんなさい」
あれ?
「いつも私、あなたに意地悪ばかり言って困らせて……。嫌われていると思ってたけど、あなたは困ったように笑いながらいつもちゃんと相手をしてくれたわ。始めは変な人って思っていたけど、あなたの反応が不思議で、気になって、ついあなたばかり意地悪してしまって……」
思っていたのと違う展開に、少し驚きながら彼女の言葉を聞く。
「そんな私にもあなたはいつも優しくて、味気ない学校生活もあなたがいるだけで楽しくなった」
……ムカ、
「あなたの事を思うだけで胸が温かくなった。見ているだけでよかった、話すだけでいいと思っていた。けれど、あなたを思う度、胸が苦しくなってきた」
なんか、だんだん腹が立ってきた。
「……あなたが好きです。あなたが私を好きになってくれなくてもいいから、これだけは伝えたかった」
その言葉は俺のためのものじゃない。
その想いは俺に向けられたものじゃない。
「俺も君のことが好きだ」
気づいたらそう口にしていた。
彼女は驚いた顔をした後、少しの間をおいて寂しそうに笑う。
「……ありがとう」
違う。そうじゃない。
「そいつの代わりとか、同情で言ったんじゃない。俺、君が好きだ。こんな短い時間で何を言うんだと自分でも思うけど、しょうがないじゃないか好きになっちゃったんだから」
「えっ……」
彼女は真っ赤な顔で後ずさり、身を翻そうとした。
「待って!」
このまま彼女が消え去ってしまえば二度と会えないような気がして、とっさにその腕をつかむ。
――つかんだ。
「えっ」
……そう、手には確かに彼女の腕の感覚がある。
彼女はゆっくりと振り返る。
近づいてくる金色の瞳に、呼吸さえ忘れてただ魅入る。月の光が反射してキラキラと光るまつげが、ゆっくりと下りていった。
我に返ったときには、彼女の姿は消えていた。
俺の唇に、柔らかな感触だけを残して。
***
「来た!」
「おそーい」
放課後、俺の席の周りには朝日奈さんと美樹原さん、野次馬なクラスメイト達が群がり、教室に戻ってきた好雄を出迎える。
朝になって教室に忘れていたカメラを見つけ、昼休みに現像に出していたというわけだ。
「ねえねえ、どーだった?」
「早く見せろよ」
「まあまあ落ち着けって、オレもまだ見てないんだから」
好雄はもったいぶるように現像の袋を掲げて見せる。
ちなみに好雄は別行動で、幽霊を見たのは俺だけということになっている。好雄が早々に逃げ帰ったということは、本人の名誉のために口をつぐんでおいた。
「さー開けるぞー!」
……妙に得意げなのが、なんか腹立つけど。
「じゃーん」
取り出された二枚の写真を、観衆は息を呑んで凝視する。
「………何もないじゃん」
えっ?
「どれどれ?」
「ホントだ」
「えー幽霊はー?」
「いや、この窓のあたりに……いないか」
写真は手から手へと渡っていき、一巡したあと俺の元にやってきた。
クラスメート達が言うように、一枚は真っ黒で、もう一枚は夜の教室が写っているだけだった。
「たしかに撮ったんですよね?」
美樹原さんがためらいがちに聞いてくる。
「そのはず……だったんだけど」
「なーんだ」
「なにも写ってないのかよー」
ギャラリーは落胆した様子で、あっという間に散っていく。その場に残ったのは、俺と好雄と朝日奈さんと美樹原さんだけだった。
「で、でも、霊が写真に写るのってすごくエネルギーが必要らしいんです。目に見えたとしても写真に写るかというと別の話で……」
美樹原さんのフォローもろくに耳に入らず、俺は呆然と何も映っていない写真を見つめる。
やっぱり幽霊だったんだ。
あの感触に、もしかしたらと思っていた……
「ってコトで、罰ゲームはノーカンね」
俺の手から写真を取り上げ、朝日奈さんはニヤリと笑う。
「ちょ……なんでだよ! ちゃんと学校には忍びこんだだろ!」
「幽霊の写真が撮れたらチャラ、時計取ってきたら負け分を半分って言ったじゃん。どっちもないんだから、当然全オゴリに決まってんでしょ」
右手には何も写っていない写真、左手には朝自分の席に置かれたままだった時計を掲げ、勝ち誇ったように言い放つ。
うっ……と好雄は口ごもったあと、涙目でこっちを見る。
「ま、まあ朝日奈さん、校舎に入れなかったらノーカウントってことだったろ。中に入ったことは、この写真が証明してるってことでダメかな」
朝日奈さんから写真を取り返しながら言うと、朝日奈さんは眉間にシワを寄せて腕を組む。
「好雄がちゃんとここに来たのは、俺も保障するし」
「そうそう!」
……お前は途中で帰ったけどな。
「しょーがないなー、いいことにしとくか」
「おおー! ありがとう神様仏様朝日奈様!」
「もちろん、半分だかんね」
「…………デスヨネ」
勢いに任せてチャラにするつもりだったらしい好雄は、がっくりと肩を落としている。
「じゃ、さっそくオゴってもらおっか。さー行くわよ!」
ズルズルとひきずられていく好雄に、ひらひらと手を振る。
俺に出来ることはすべてやった。――はずだ。
「ほう、これが不法侵入の証拠かい」
再び俺の手から写真が消える。
大仰な物言いは、もちろん伊集院だ。どうやら話を全部聞いていたらしく、写真を手にして咎めるような視線を向けてくる。
「甘いセキュリティを棚に上げて、人聞きの悪いこと言うなよ」
「昨夜は工事で業者が入っていたんだ。まさかその間に校内に入り込む輩がいるとはね。確かにこちらの落ち度ではあるが、だからといって犯罪を見過ごす訳にはいかないだろう」
不法侵入したのは確かだし、俺が言葉に詰まっていると、
「あ、あのっ」
美樹原さんがおそるおそる発言してくる。
「よ、夜中に入ったと言っても、その、写真を撮っただけなので……えっと……」
「ああ美樹原さん、大丈夫だよ。コイツ、言い方は大げさだけどそれほど大したことはないから」
「なんだねそれは。ひとが口先だけの人間のように言わないでくれたまえ」
「別にそうは言ってないけど。……そう聞こえたなら、そんな自覚があるんじゃないのか?」
伊集院は顔をゆがめ、大げさに頭を振る。
「全く君は……。僕にそんな暴言を吐くのは君ぐらいだよ」
「お前の言動に突っ込みを入れない方がおかしいと思うけどな」
ふふっ、と横から小さな笑い声が聞こえてくる。
「仲が良いんですね」
「「どの辺が!?」」
「ごっごめんなさい!」
………不覚。ハモってしまった。
伊集院も居心地の悪そうに目をそらしたあと、不機嫌な顔で写真を見下ろす。
「……確かに何もなかったようだし、大それた事が出来る男でもないから今回だけは不問に付しておこう。ただし次はないと思いたまえ。……もちろん、君が再び侵入する機会など決して与えはしないがね」
写真を机に置くと、高笑いをして去っていった。
……やっぱり、突っ込めと言わんばかりなんだけど。
伊集院の背中を呆れて見送っていると、机の写真を見つめていた美樹原さんがためらいがちに聞いてくる。
「あ、あの、……この写真、もらえませんか?」
「え?!」
反射的に写真をつかむ俺を見て、美樹原さんは慌てたように両手を横に振った。
「ごっ、ごめんなさい! ダメならいいんです」
「いや、ダメじゃない。ダメじゃないけど……何も写ってないよ?」
「あの、霊を写したという事実があれば、充分に記念になると思うんですけど……ダメ、ですか?」
「いや……焼き増しでいいなら、後であげるよ」
「ほ、本当ですか? ありがとうございます!」
***
一人屋上で、俺は学生手帳にはさんでいた写真を取り出す。
美樹原さんに約束したのに、なんだかんだ言ってるうちに焼き増しを忘れ、その内に今更あげても仕方がないような期間が空いてしまって、結局やらずじまいになってしまった。どこかに自分のためだけにしたいと言う気持ちがあったんだろう。
他人が見たら何コレ?と言われるようなものだけど、俺にとってはただ一つの証拠であり思い出だ。
あれ以来幽霊の噂はぴたりと止んだようだ。
俺も何度か夜中に来てはみたけど、伊集院の宣言通り中に入ることも出来なかった。
伝説の樹を見下ろす。
あの樹の下で女の子から告白をして結ばれた二人は永遠に幸せになる……その伝説が本当なら、俺は幸せになれるのだろうか。
すべてが夢だったような気がして、溜息をついた。
「まだそんなものを持っていたのかね」
「うわああ!」
振り向くと伊集院が立っていた。
「お、お前、いきなり背後から話しかけんなよな! 心臓に悪いだろうが!!」
「ドアの音も足音も消したわけでもないし、自分が鈍いのを棚に上げて怒らないでくれたまえ」
「……うるさいな」
ヒトが感傷的になっているのに、あいかわらずヤな奴だ。
「何を見ていたのかね」
ひょい、と俺の見ていた辺りをのぞき込む。
「……伝説の樹、か」
「ああ……」
「…………」
黙りこむ俺の横で、伊集院も無言のまま見下ろしている。不思議とその沈黙は、居心地の悪いものではなかった。
「……あのさ、伝説って本当にあるのかな」
「え」
「……いや何でもない、忘れてくれ」
すぐに打ち消すと、俺は入口に向かう。
「……永遠という定義は解からないが」
背中からの言葉に、俺は振り向く。
「少なくとも二人がそれを信じている限り、伝説は現実になるのではないかな」
「二人とも……ね」
俺は信じていたいけど、彼女は俺に告白したわけじゃない。
でも、それならあのキスは何だったのだろうか……
「ま、せいぜい卒業式を楽しみにしていることだね」
いつもなら、俺がどうせ告白されるはずがないという意味のセリフだったんだろうけど、何故かその時は言葉のまま受け取れた。
そして、卒業式に一通の手紙と本当の写真が届く……