人間の記憶というものは不思議なもので、大規模工事に大規模工事が重なり完全な別物になった筈の校舎を、僕は迷うことなく案内する事ができた。学校という全国各地に配置される建造物を作るのに、テンプレートがあるのか知らないが、楽羅來を校長室まで連れてくるのに、困ることは困惑させられる以外には無かった。
一体、何をどうしたらこんなことになるんだ。
まるで、人間を塗料にして塗りたくったかの如くだ。床も壁も天井も、どこもかしこも乾いた血で汚れている。それでいて無臭というこの環境が、気持ち悪くて仕方なかった。
「社会はうぬら異能力者というオカルトを受け入れるだけで、常軌を逸した超常存在全てを受け入れた気になっているが、しかしてこの世のオカルトという言葉の幅は常に計り知れないものであり、例えば殺人鬼などと呼ばれる者たちも、裏社会、オカルトの一部である。妾が頭脳そのものとも言える我が校に忍び込びおった愚か者もまた、異能力に依らずして超常へと至った怪物なのだ」
顔をより先に、聞き覚えのある高貴な声が僕達を出迎えた。
「久しいな、八橋。そしてはじめまして、楽羅來らら。妾こそ
僕達が近くに来ていたことすら、彼女の中では既に既知であったのだろう。校長室から出るべき最適なタイミングも、僕達の興味を程よく引く話題も、全てが、全てで彼女の脳細胞を構成している。
数年振りだというのに、成長の欠けらも見えない幼き少女。計算上、既に成人している筈なのに、教職といえど社会人だというのに、黒いゴシックロリータを可憐に着こなす美少女。しかしその小さな身体には全人類の頭脳が詰まっている。故に人類最賢。人類の学習は彼女の記憶と同義であり、人類の思考は彼女の思考だ。
「くふふ。歓迎の準備もしていたのだが、しかししてやられた。うぬらは妾こそチームのリーダー、あるいは試験官や面接官だと思っていたようだが、それは見当違い。リーダーは別におり、そして試験官なんていない。元よりチームは人類からの逸れものの集まり。
「それは嬉しいお話ですね。私は社会経験というものを積んでこなかった社会不適合者なので、例えば志望理由なんかを聞かれてもお目にかかれるような答えは出なかったでしょうし」
なあ、おい、そんな悠長な話をしている場合か?
校舎で塗り絵遊びに興じた殺人鬼がどんな殺人鬼か知らないが、僕達だって安全じゃないだろ。七七七ちゃんはなんで一人助かって、てかなんで校長室に引きこもってたんだ?
「さてな。妾の情報網は人の目、人の脳によって構成されていることはうぬの知っての通り。そして逆説的に、人の居ない地というのは妾の死角と言える。この高天原にいる人間は妾とうぬを合わせて、三人。一人は妾。一人は八橋。一人はチームの対人外担当、カイン。どれも宛てにならんな」
分からないなら素直に言えよ七七七ちゃん。
別に責めも笑いもしないよ。分からないなんて人間として当然のことなんだから。大切なのはこれから学ぶことだと、全校生徒の前で教えていたのは君本人だろうに。
って、待て。少なくとも二人、殺人鬼と楽羅來が抜けてるぞ。殺人鬼の思考も、楽羅來の思考も、七七七ちゃんの頭には入っているんじゃないのか?
「ふん。完全記憶能力を異能力に含めるかどうか、学者どもは未だ議論を重ねているが、生憎と妾はそんな能力を持ち合わせてはおらん。妾の頭脳は明確な記憶容量がある。そして妾の脳髄は全人類の思考をシミュレートしているだけであり、他者と有線接続も無線接続もされていない。原理は電波でも周波でもなく、単なる想像であり、人類の枠から外れたものの思考は対象外なのだ。例えば、犬猫は当然のこととして、鬼と化した殺人鬼や、人の身で生まれた天使なんて何を考えているのか、想像もできん。楽羅來らら、うぬについては……説明が面倒だな」
「では自己紹介代わりに、説明させていただきましょう」
せんでいい、しなくていい!
「何を言っておる、八橋。うぬは其奴の飼い主なのだろう? 飼い主たるもの、ペットの事情は知っておくべきであろう」
緊急事態だろうに、なんで誰よりも被害を被っている七七七ちゃんが率先して無駄話に花咲かせようとしてるんだよ。そしてやめろよ、飼い主だの、ペットだの。僕は草一本すら育てられないくらいには、甲斐性ってやつが欠けてるんだ。
……しかし楽羅來は、僕の言うことには聞く耳も持たずに勝手に話し始めた。
「私の脳髄は特別性、というか私のお手製なんですよ。構造的、物質的な違いももちろんありますが、それ以上に、知りたいことをなんでも知れるという特異性を秘めています。未知を既知へと書き換える仕組みです。故に私には、分からないことがありません。……まあ、全てを知っている訳ではありませんが」
それもう異能力だろ。……いや、異能力すら作れるなんてことも言っていたか。ならその頭脳で解決できるんじゃないのか。力尽くで七七七ちゃんの目を塞いだ犯人の正体も居場所も何もかもを、その頭脳なら知っているんじゃないのか?
「くふふふ。そう言ってやるな。妾も其奴も、全知全能には満たぬのだ。出来ることと出来ぬことがあり、言えることと言えぬことがある。そして答え合わせなんかよりも先にやるべきことが、うぬにはあるだろう?」
七七七ちゃんはそう言いながら、重ねて「くふふ」と高らかに笑った。
「チームがリーダー、
……分かったけど、だから、もっと先にやるべきことはあるだろうが。人として、日本人としてまずやるべきことが僕達にはあるはずだ。僕達が何のために税金を払っているのか、知らない君達ではないだろう。
110番通報。事件です。