―――――――状況は八方塞も良いところ、かぁ……。
それが教室で行われた話を聞いて、おそらく誰もが思っただろう意見だと僕は感じた。
現在、武蔵を取り巻く状況は最悪に近く、それを皆も分かっているように表情はあまり明るく無い。
先日の三河消失の対応について、聖連が下した結論は簡単にこうだ。
まず一つ、極東のみならず他国においても重要な土地であった三河を消失させてしまった責任を、松平・元信公の嫡子であるホライゾン・アリアダストにあるものとし、彼女の“自害”をもって責任を取らせるという事。
今朝方聖連が略式相続手続きの確認を行っていたそうだが、これはそのまま元信公の権限を略奪するのでは聖連側に相続の干渉問題が問われてしまうが逆に、ホライゾンを抱え込んだ上で嫡子にしてしまえば聖連は至極当然の流れでホライゾンを自害させる事が出来る。
それによる聖連のメリットは主に二つ。
一つは極東を治めるべきだった松平家が途絶えてしまう事で、空白となる三河・武蔵をそのまま自国に取り込む事が出来るという点。
そしてもう一つがホライゾンの中にある大罪武装“焦がれの全域”を手に入れられるという点。しかもそれらを聖連側はほぼ何のデメリットも払わずに得る事が出来るのだ。
何故なら、三河消失の責任を松平家嫡子となったホライゾンが自害という形でとる事は、極東の文化的に見ても至極当然であるから。
他国からの干渉で極東の文化にも契約や取引の概念が流れてきてはいるが、それでも根の文化的風習は変わらず、極東の責任者はその命を国の所有権と同等のもの扱い、自らが命を絶つ事で浮いた国の所有権を譲渡し、以降の領民の生活などを保障する事が出来る。
これを現状に例えるならば、「三河消失」という多額の負債を負うべきだった本人が死亡し、その代わりに松平を相続した嫡子たるホライゾンがその負債とそれ以上の利息を払わないで済むようにするために、「命」という代価を支払う事で責任を果たす。こういう事になる訳だ。
つまり、ホライゾンが死ぬ事は対外的に見れば武蔵住人の為であり、彼女が死ねば少なくともこちらが得られるメリットは存在するのだ。
本来であればホライゾンの命と武蔵を譲渡する事で支払える責任も、ホライゾンの消失だけで済ませられるかもしれない交渉の余地が残される。
武蔵という国を失う事を恐れる普通の人間であればこう思う筈だ。“自分達の
当然、それを当たり前に誰もが享受したい訳じゃない。だが、そう思わざるを得ない程状況は悪い方向へと既に流れてしまっている。
武蔵の総長連合及び生徒会の権限の剥奪もそうだが、ここでホライゾンの自害を武蔵が認めないという事はイコール聖連の決定に逆らう事になる。ひいてはそれ自体が世界のほぼ全てと言える聖連との全面戦争すら起こりかねない事態を招く可能性が少なからず存在しているのだ。
それを回避し、なおかつこの事態を打破出来る可能性があるとしたらただ一つ。
現在、暫定議会側についている、唯一生徒会で権限を保持している本多・正純副会長をこちら側に引き込む事。
議会側にいる正純であれば聖連の手管を間近で見ていたため理解がある筈の正純に、相手側の正当性を否定し、こちらが逆らう事が出来る位置まで持っていく事さえ出来れば、僕達はまだ諦めずに済む……かもしれない。
これはあくまで可能性の話に過ぎないし、正純をこちらに引き込むためには、こちらの意見を相手に認めさせる機会を設けなければならない。が、
「(肝心のトーリが、あんなんだものなぁ……)」
昨日、ホライゾンを追った彼はその直後に捕縛され会う事すら叶わず今朝方まで番屋で捕まっていたという。そのまま教室に来て、今日一度も口を開く事無く窓際の日当たりの良い席で終始俯いたまま。
彼が動きださない限り、僕達も身動きが出来ない。皆も彼の心情に少なく無い理解があるからこそ、何も言えずにただチラリチラリと彼の方を盗み見ている。心配とは多分言わない、でも気になるから、それぐらいの気持ちが共通認識として皆が持っているのだろう。
僕としては―――――やっぱり心配というのもあるけど、立ち直ってほしいとも思っている。
昨日は何もすることが出来なかった。居ても何が出来たかなんて言えないし、そんな事を語る事に何の意味も無い。
だからこそ、僕は今度こそ彼の力になりたいと強く思う。彼が望むのなら、僕は………―――――。
そんな現状で相も変わらない様相で現れたオリオトライ先生は今日の授業を作文だと言い放ち、その題目として“今わたしがして欲しいこと”と述べた。
場面は三征西斑牙が極東側にあるものが返還される所に差しかかる。三征西斑牙側の生徒が持っているのは、神格武装“蜻蛉切”。受取人は、その槍の持ち主であった本多・忠勝の娘“本多・二代”。おそらく現時点で極東における随一の戦力保持者。その彼女が今、何を思い何を成そうとしているのか。
「彼女をしっかり見ておきなさい。その上で、考えるのよ。“今、自分がして欲しいこと”を、ね」
「(自分が、今してもらいたい事……)」
思考しながら、僕はペンを動かさずに神肖筐体に視線を固定しながら考えた。僕が、今何を望んでいるのかを。
●
………ふぅむ、それにしても、今までこういう事ってあんまり考えた事無いからなぁ――――。
『誰かに何かを』という思考から離れてだいぶ久しい気もするのだが、家族がいなくなってからはほとんど一人で生活してきたので特にそんな事を考えてみた事は無かったし、必要性も感じなかった。
僕と似たような立場で言えば、浅間なんかもそうだろう。普段から葵姉弟の面倒をみてるし浅間神社の巫女として、武蔵の通神関連の術式の調整や武蔵の神道代表として様々な場面で働く彼女も誰かにといった思考は苦手な筈。現にあちこちに視線を投げてる様子を見るに、参考になりそうな意見でも探しているのだろう。そんなものが都合よくあるとは思えないけど。
何せここは外道の巣窟、武蔵アリアダスト教導院でも魔窟と名高い梅組だ。碌な意見の方が少ないだろうと思いながら、先の中休みの時間でちらほらと聞こえた皆の意見を思い出す。
・ペルソナ:『……』←いやそんなところまでキャラを忠実に守らなくてもいいんだよ?
・ネシンバラ:『誰かに希望を託すというのはあまり僕の好きな事ではない。何故なら……』←長くなりそうだし肩凝りそうな内容ぽかったので退避ー。
・ノリキ:『弟と妹の面倒を誰かに押し付けるつもりはない』←……男前過ぎて泣けそうなんですが。あと碌な意見少ないとかナマ言ってすいませんでした。
他には喜美のやたら男らしい欲望ド直球な意見だったりも聞こえたりしたが、あれはもうそういう人間だしツッコミどころを探すだけ無意味だ。
点蔵やウルキアガは揃って怪しげな笑みを浮かべながら互いに謙遜しあっていたけど、揃って殴りたくなる衝動をハッサンのカレーで落ち着く事が出来た。カレーって偉大だ。
それはともかく、僕がして欲しい事とはなんだろうと考えて、視線は自然と窓際のトーリを捉える。
僕にとって、トーリは特別な存在だ。衆道的な意味じゃなくて、彼がいてくれたからこそ僕ははじめて武蔵の住人として、過去を受け止める事が出来た。トーリと出会わなければ、僕は今でも過去を引き摺って閉じこもっていたかも分からない。
その出会い自体は最悪に近いものがあったけど、会えてよかったとは思っている。僕にとって彼は恩人で、いつか恩返しをしたいと思う相手でもある。
だから、どちらかと言えば僕は何かを望むよりも彼から望まれたいと、そんな風に思うのだ。
トーリがホライゾンを助けようと言ってさえくれれば、僕は無条件で彼に力を貸すだろう。それがどれほど無謀だとしても、そこに一切の躊躇いを持つ事無く。
本来であれば今日、彼はホライゾンに告白して最高の一日を迎えていたかもしれない筈なのに。現実には彼女はいなくて、それどころか今度こそ本当に、彼女を失ってしまいかねない状況が目の前にある。
…………あ、そっか。そういう事でいいのか。
そこまで考えて一つ、天啓のように頭にひらめくものを僕は確かに感じた。
そうだ。
つらつらとペンを動かしていく。気付けばもう皆顔を上げていて、自分が最後に書き終えたところで先生の声が作られた。
「はいそれじゃあ皆もう書き終わったわねー。出来た人に読んでもらうけど……出席番号的にそうね、浅間ー、出来てるみたいだし読んでくれる?」
「そ、それはちょっと困ると言いましょうか何と言いましょうか!? え、えっとそのですね……」
当てられた浅間が珍しくキョドった。いや挙動る事自体は多いと思うんだけど、授業中だと至って真面目な態度の方が多いためここまで取り乱す事は無い。葵姉弟などに絡まれてさえいなければ。
だというのに浅間は珍しいぐらいに狼狽たえてしまっていて、作文ではなく邪念を捉えて文字にして原稿用紙に封印したとか言いだした。まさか本当にそれで誤魔化せるとは思っていないのだろうが、それほど切羽詰まっているという事か。
このまま放置していても話が進まなさそうだったのと、何故か周囲にこちらへの『ツッコミはよぅ』という嫌なヘルプを受け取ったので挙手する事にした。
「おっ、何湊、アンタが意見って珍しいわね。先生別にボケてないわよ?」
「僕の発言イコールツッコミって認識に関してはもう諦めますけど、このまま浅間弄ってても話進みそうにないですから他の人に当てたらどうでしょう? あっ、ちなみに僕は除外でお願いします。皆からやれやれって言われて仕方なく仲裁に入っただけなんで」
「あ、あれ? 今味方かと思ったのにまさかのNPCオチですか?」
浅間やかましいと思いつつ、先生もそれに応じてくれて浅間を着席させた後次に指名したのは……、
「えーと、鈴? 貴女の読んでも大丈夫?」
「先生!先生! なんか私の時と態度違くないですかね!?」
『キャラが違うんだよ……』
皆が似たような呟きを零す中、指名された鈴さんは少し驚いてみせた後、ゆっくりと立ち上がり大丈夫だと告げた。
それを見て皆が気遣いを乗せた視線を彼女に向ける。鈴さんは目が見えない。字を書くときも多くは平仮名だし、大きさもまちまちなのを専用の器具を使って読み書きが行えている状態だ。そして極めて余談になるけど、その出雲製のペンの名前が“声出ちゃう!”というのはちょっと製作者病気なんじゃないかと思う。どーでもいい話だが。
だが今、鈴さんの机の上にある原稿用紙の数は十枚以上。鈴さんがそれを全て読みあげる事は大変労力と時間を用いる事は明白であり、だからこそ先生が問いかけた。
「鈴、全部読めそう?」
返す鈴さんの返答は首を横に振る事だった。それはつまり、彼女が思いの丈を籠めて書いたであろう文章を誰かに委ねなければ伝える事が出来ないという事であり―――――――。
………それってどれくらい、辛いんだろうな。
僕には自分の文を誰かに代わりに読んでもらう事なんて出来ない。でも鈴さんはそうせざるを得なくて、多分、そんな自分に思う事もあった筈だ。
でも彼女がそんな風にしているところを僕は見た事が無い。だって鈴さんは僕とは違って、本当に心から“強い”人だから。
鈴さんは代わりに自分の作文を読み上げてくれる浅間に託して、何か祈るような面持ちでそれを手渡した。
彼女の今して欲しいこと。それが今、浅間の口から奏上されようとしていた―――――。