恋空~春、夜空の下で~   作:雪音

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【第八訓】追憶 ~逃走、そして今~

「追えッ!!出口の方に向かったぞ!!」

「絶対に船内から出すな!!」

 

闘技場(しょけいじょう)で行われた、晋助と紫苑の戦いは晋助が放棄するという形で幕を閉じ、晋助の一言で紫苑の命は鬼兵隊員達に委ねられた。自分の手柄にしようと、次々に紫苑を襲ってくるが、紫苑はそれらを全て一撃で沈める。といっても、ただ動けなくしているだけで命までは奪っていない。いや、今の紫苑に敵の生死を確認するほどの余裕は無かった。

 

(は、やく…!!船の、外に出なくては…ッ…!!)

 

晋助との戦いで消耗しきった体力に加えて、晋助によって負わされた脇腹の深い傷。歩くたびに脇腹からは見るに耐えない程の血液が流れ落ちている。しかし紫苑は、それでも決して歩みを止める事はしなかった。

 

(幹部が、来る前に…!!せめて、船の、外に…!!)

 

来島と武市の強さがどれほどからは分からないが、危険なのはその2人ではない。もっとも危険で、尚且つ戦い方の検討が付かない河上が紫苑にとっては一番の不安要素であり、一番敵視するべき対象なのだ。

 

「逃がすな!!追え!!」

「……ッ、邪魔だァァァァァ!!!!」

 

追ってきた数人の隊員達を一太刀で一気に薙ぎ払えば、続いて追ってきた者達はその気迫に尻込みする。向けられた鋭い瞳と殺気に「ヒッ」と誰もが息を呑んだ。

 

「……死にたい奴から掛かってきな。お望み通り…殺してやらァ…」

 

手負いで、立っているのもやっとのはずなのに。

 

しかし目の前にいる女は何だ?

 

倒れるどころか、凄まじい殺気を叩き付け、その場に居る者達の戦意を消失させる。

 

目はギラギラと輝いており、その視線だけで射殺されてしまいそうだ。

 

「ヒィィィ!!」

「俺達には無理だ!!」

「こ、こら!!お待ちなさい!!晋助様の(めい)に逆らうおつもりですか!?」

「命が惜しい!!俺はまだ死にたくないッ!!」

 

逃げ惑う隊員達を慌てて叱責する声。それは、幹部の1人である武市の声だった。

 

(チッ…!!近くに武市が居るな。これはもう構わず走り抜けるか…)

 

果敢に立ち向かってきた隊員の1人を斬り伏せて、傷む脇腹を押さえながら駆け出す紫苑。それを視界に捉えた武市は慌てて叫んだ。

 

「紫苑さんが逃げますよ!!早く捉えなさい!!」

「む、無理ですよ!!晋助様が互角に戦っていたお方です!!俺達が敵うわけないじゃないッスか!!」

 

武市の焦りをよそに、部下達はどんどん紫苑から距離をとり始める。追うどころか、背中を向けて逃げ出すものまで現れる始末だ。どんなに武市が追えと言っても、紫苑の殺気に当てられた者達は完全に戦意喪失していた。酷い者は気絶している。かと言って、武市自身が紫苑と刃を交えるのかというと…そういうわけでもないらしい。あくまで武市は部下達に指示を出しているだけだ。

 

(貴方達に言われずとも…紫苑さん相手に三下程度が敵わないことぐらい百も承知ですよ。しかし建前上、みすみす逃したとなれば晋助様に言い訳が出来なくなるでしょうが…!!)

 

武市は一通りの剣術は身に付けているが、それは自分の部下達と変わらないレベルの腕だ。武市が幹部の座にいる理由は、謀略家としての知能の高さ故。来島や河上が腕を買われたというのであれば、もっぱら武市はその頭脳を買われたといっても過言ではないだろう。実際、武市の繰り出す策略はどれも晋助を満足させるものであった。

 

だが、今回の事は完全に計算外であり…流石の武市も、予想をはるかに超えたこの状況を収拾できる作戦は持ち合わせていない。咄嗟の機転で部下達を船唯一の出入り口に配置したが、それも結局は無駄に終わった。

 

「やれやれ…本当に紫苑さんは敵に回すと恐ろしい…」

 

今までは鬼兵隊の一員だったからこそ、安心して傍に居る事が出来た。しかしそれが敵となれば話は別だ。武市の額に汗が流れる。

 

「美人でお強い…。本当に魅力的なお方だったんですけどねぇ…」

 

ここに来島がいたら「変態も大概にしろ」とツッコミが飛んだことだろう。しかし、武市は紫苑が消えていった出入り口を眺めながらポツリと漏らす。

 

「……貴方が私達をどう思っていたかは分かりませんが、少なくとも…私は貴方を“仲間”だと…そう思っていたのですよ?」

 

消えてしまったその背中に、もはや武市の言葉は届かないだろう。あるいは、この言葉がもっと早くに紫苑に届いていれば…こんなことにはならなかったのかもしれない。

 

言うべきことはもっと早くに言うべきだったのかもしれない。

 

いつものポーカーフェイスの下で、そんな事を思いながら深々と溜息を吐く。すると、背後から気配を感じた。紫苑が居なくなってしまった今、背後に誰かがいるとすればそれは敵ではなく同じ鬼兵隊のメンバーだ。武市は態々振り返ることはしなかった。

 

「武市殿、紫苑はどこでござるか?」

 

「あぁ、貴方だったのですね」と漏らし、スッと武市は出口を指差す。

 

「紫苑さんならあの先ですよ」

「目の前に()を捉えながら、みすみす逃がしたでござるか?」

 

突き刺さるような河上の言葉に、相変わらずのポーカーフェイスで武市も言葉を返す。

 

「あまり良い響きではありませんね、それは。私の力では紫苑さんに敵わないと判断した為、追うのをやめたのです。自ら命を投げ捨てる必要もないでしょう。部下達も…見事に紫苑さんの殺気に当てられて逃げ出しましたよ。中には気絶する者もいましたねぇ…」

 

河上が一瞥すると、そこには紫苑が斬り捨てたであろう鬼兵隊の者達の亡骸や、深手を負っている者達、もしくは武市の言った通り気絶しているだけの者達。

 

「なるほど、三下の手には負えぬというわけでござるな」

「そういうことですよ。私も剣の腕前は全くですからね」

 

随分前…まだ紫苑が鬼兵隊の副官として勤めを果たしていた時、一度だけ紫苑に「武市と剣を交えてみたい」と言われたことがあった。しかし武市はそれを必死に誤魔化して逃げたのだ。あの晋助の妹で、しかも“紫怨(しおん)の鬼”と恐れられた彼女に自分が敵うはずがない。例え、練習試合でも命を落としそうだと…それを恐れて。それから紫苑が武市に剣を交えたいと言ってくる事は無かったが…その時の判断は正しかったと、今更ながらに思う。

 

「では、拙者が紫苑と手合わせしても問題はないでござるな」

「…もちろん、異存はありませんよ。しかし、殺してしまうのはいかがなものか…。お美しく、そしてお強い。そんな方を失うのは、私としては惜しいと思いますが…」

「確かに、紫苑の力は晋助のそれと対等で本当に強いでござる。故に…」

 

スッと河上は三味線から刀を抜き、出口に向かって歩き出す。

 

「再び鬼兵隊に牙を向く前に、その牙を折る必要があるでござろう。不協和音(裏切り者)は鬼兵隊に不要でござる…」

 

その河上から感じる殺気に、武市はブルリと震え上がった。

 

(ハァ、どうしてこう…この船にはこんなにも血気盛んな人が多いのか…)

 

そこまで考え、あぁと武市は納得する。

 

「類友ってやつですかね…」

 

晋助の強さに惹かれて鬼兵隊に入った者は多い。その者達が血気盛んな事はある意味、必然的なことなのかもしれない。来島は銃の腕を、武市はその頭脳を晋助に買われて鬼兵隊に勧誘された。しかし河上だけは違い、彼自身が晋助の力に惚れ込み、またそんな河上の力に晋助も興味を示したという関係なのだ。

 

「晋助様よりかは穏やかな性格ですが…」

 

それも一度(ひとたび)刀を抜けばどうなるか分からない。

 

まだ、この鬼兵隊で見たものは居ないのだ。

 

河上 万斉が刀を抜き、本気で戦うその姿を…。

 

 

 

「…とりあえず、船からは脱したが…」

 

ハァとコンテナに背中を預け、その場にズルズルと崩れ落ちる。押さえている脇腹からは留まることなく血が流れ落ちている。

 

(このままだと失血死だな…)

 

幸いな事に、追っ手はどうやらないらしい。先程叩き付けた、ありったけの殺気で殆どの者が戦意を無くしたのであろうことは、紫苑自身すぐに分かった。

 

(かといって、のんびりとここで休んでいるわけにもいかない。あの場には武市が居た。恐らく…幹部が動き出す。…また子の姿は無かったが……だからといって、襲ってこないとは限らない。いや、また子よりも厄介なのは…万斉か…)

 

また子は銃を得物としている。二丁の銃を使っての攻撃は確かに厄介だが、銃弾の軌道を読み、発射される弾数を数え、弾が尽きてリロードする時に一気に畳み掛ければ容易く制する事はできる。他の誰でもないまた子だから、出来れば傷付けずに気絶させる程度で済ませたいと思っている。そう…紫苑が一番敵視している存在、それは河上なのだ。

 

(結局、奴の戦う姿は最後まで見る事が出来なかった。武市は一度、手合わせを願ったらものっそい勢いで断られたなぁ…。あれは多分、そこそこの腕でしかなのだろう。しかし万斉は…)

 

得物らしい得物は持ち歩いていない。持ち歩いているのは背中の三味線のみだ。まさかあれが武器だというわけではないだろうと考えるが…天人の力により色々な技術が特化した世の中だ。どんな武器があってもおかしくはない。

 

(とりあえず…少しでも遠くに…、船から離れなくては…)

 

刀を携えていれば、警察か…もしくは真選組に捕まるだろう。しかし、それでも…鬼兵隊に捕まるよりかはマシだ。グッと足に力を込めて立ち上がる。フラリと体が傾いたが、何とか踏みとどまり片手をコンテナについて歩き出す。

 

その様子を…

 

「見つけたでござる…」

 

気配を殺した河上が、上から見ているとも知らずに。

 

 

 

(妙だ…静か過ぎる…)

 

暫く歩き、紫苑はふとこの状況に違和感を覚えた。自分は追われている身。にも関わらず、船から出てからというもの…追っ手らしき者の気配を全く感じない。ゆっくりとはいえ結構歩いた。船からは随分と離れただろう。もう少し歩けば恐らく、港から出られる。更に歩けば、港から一番近いかぶき町に辿り着くはずだ。

 

あまりにも…上手くいき過ぎている。

 

本来であれば楽観視するところも、相手があの晋助を筆頭とした鬼兵隊となれば話は別。ゲームと称して処刑を行うくらいだ。もっと刺客を送ってきてもおかしくはないはずなのに、その気配が全くない。部下は愚か、幹部の者達が追ってくる気配すらないのだ。

 

そこまで考え、ぴたりと足を止める。

 

(……まさか…既に尾行()けられている…?)

 

気配は何も感じないが、もしも相手が手馴れで尚且つ死線を潜り抜けていた者であれば、気配を殺す事など造作でもないだろう。チッと紫苑は舌打ちをする。

 

(鬼兵隊の中でそんな事が出来る人物が居るとすれば兄さんだが…既に兄さんはこの戦いからは退(しりぞ)いている)

 

あの“興が削がれた”という言葉が本心であれば、もう晋助がこの処刑(ゲーム)に身を投じてくる事はまず無いだろう。となれば、必然的に思い浮かぶ名前は…

 

「……万斉、か…」

「ほう、よく分かったでござるな」

「兄以外にこんな芸当が出来る人間はそうそういないだろう。また子や武市も恐らくは出来ない。こんなことが出来るのは……お前ぐらいしかいないと思ってな。どうやら…私の予想は当たったらしい」

「ククッ、流石は晋助の妹でござる」

 

河上だった。名を呼べばあっさりとコンテナの上より姿を現し、スタンと紫苑の前に飛び降りる。片手には刀。背中には…相変わらず三味線を背負っている。

 

「得物は刀か。何処に隠し持っていたのやら…」

「拙者も侍。常に刀は忍ばせているでござる。もっとも、拙者には表の顔(・・・)もある故…そうせざるを得ないというのが本音でござるが」

「なるほど、仕込み杖ならぬ、仕込み三味線という事か…」

 

どうりでどんなに探っても得物が分からないはずだと妙に納得してしまう。しかしそんな暢気な考えをすぐに払拭し、紫苑は刀を構えた。相変わらず傷口からの出血は酷い。しかし、紫苑の瞳とその姿はそれを思わせない程の気迫だった。

 

「お主、そのまま動き続ければいずれは死ぬでござろう…。ここはひとつ、大人しく鬼兵隊に戻らぬか?さすれば、拙者もお主に危害は加えぬ。…良い話だとは思うが?」

「良いもクソもねェな。んな話、最初(ハナ)から願い下げだ。私の目的はただ1つ…」

 

ゆっくりと呼吸を整え、そして紫苑が地面を蹴る。

 

 

――キィィィィン!!!

 

 

「鬼兵隊からの脱退…、それだけだッ!!」

 

港に刀同士のぶつかる金属音が響く。静まり返っているせいもあり、やたらその音は大きく聞こえた。

 

「それほどの傷を負いながら、これだけの力…。なるほど、流石は紫怨(しおん)の…」

「その名は…呼ぶなと、言ったはずだァァァァッッッ!!!!」

 

紫苑の絶叫が響いたと同時に、万斉は肩に重い衝撃を受ける。一瞬、あまりの素早さに何が起きたのか理解する事が出来なかったが、少し前の晋助と紫苑のやり取りを思い出し現状を理解する。バッと身を引き、間合いを取って紫苑の手元を確認すれば右手には刀、左手には白い鞘という独特のスタイル。

 

「なるほど、これは確かにキツイ一撃でござるな…」

 

あの時、晋助もモロにその一撃を食らって膝をついたが…なるほど、これが刀であれば間違いなく肩から下はバッサリと斬り捨てられていた事だろう。

 

「それほどの腕ならば、二刀流という戦い方もあろう。何故(なにゆえ)、1本の刃でのみ戦う?」

 

問われて紫苑は刀と鞘を構えたまま鋭く河上を睨む。暫くの沈黙の後…紫苑が口を開いた。

 

「私も最初は二刀流という戦い方を考えたさ。だが…」

 

脳裏を過ぎるは、自分と兄が恩師と慕った優しい松陽の姿。

 

 

『お前達は奪う為ではなく、護るために刀を振るうのです。護るための刀は1本あれば事足りるでしょう。紫苑、お前は確かに2本の刀を巧みに使い、敵を制する事に()けています。しかし、それは同時に2つの命を奪うという事にも繋がります。1つの命でも十分重いというのに、一太刀で2つの命を奪い、2つの重みを背負うことがどんなに辛いか…。今は分からずとも、いずれそれを後悔する日が必ず訪れるでしょう。だから…そうなる前に、もう1つの刃は捨てちゃいなさいな。私は紫苑の、その綺麗な顔が悲しみに濡れる姿などみたくありませんからねぇ…』

 

 

恩師の言葉で、紫苑は迷うことなく二刀流から一刀流の道へと歩みを変えた。それが正しかったのかどうかは今となっては分からないが、松陽の言った通り紫苑は1本でも十分に戦えた。

 

そして護ることが出来た。

 

もし、この手にもう1本刀を持っていたら…

 

自分はただの、人斬りに成り下がっていただろう。

 

「護る刃は1本で十分。私は私の護りたいものを護るために刀を抜く。テメェらのように私利私欲のために斬る為の刃ではない」

「私利私欲?それは誤解というものでござる。拙者達は倒幕という1つの理念の元、晋助の周りに(つど)った。拙者達が斬り捨ててきた者達は、その目的のための犠牲にすぎぬ。何事にも犠牲はつきものでござろう」

「…関係の無い人間を巻き添えにし、倒幕のためにのみ突き進む、か…。いや、“倒幕”などという生温い考えではなかったな。兄はいつも言っていた。“この世界をぶっ壊す”と…」

 

晋助の言う“世界”が何なのかは結局、紫苑には理解できなかった。だが、国そのものを破壊すると言っているようにしか聞こえないのだ。そうなれば必然的に、何の関係も無い市民が巻き込まれるのは目に見えている。

 

「私は、そんなやり方が気に食わないだけだ。幕府が憎いのは確かに同じ。私達に戦わせるだけ戦わせて裏切り、(あまつさ)え我々侍から刀を奪ったのだから」

「ならば、拙者達とお主の理念は同じでござろう?」

 

分からないと訝しげな表情を見せる河上に、紫苑は喉を鳴らして笑った。

 

「ククッ…テメェらと一緒だと?笑わせるなよ…」

 

刹那、紫苑の姿が一瞬消えた。だがすぐに空気の流れと零れ出る殺気でその気配を感じ取る。再び、刀同士のぶつかる音が木霊した。

 

「“倒幕”は確かに望んでいる。だが私は“国を壊すこと”は望んでなどいない…」

 

感情の消えた声に、思わずゾッとするものを感じたが河上は片手で握っていた刀にもう片方の手を添えてガッと力を込める。力任せに押せば、僅かに紫苑の体がよろめいた。

 

「国を壊す事は望んでいない…。それは、かつての同胞がこの国で生きているからでござるか?それとも…」

 

 

白 夜 叉 が 生 き て い る か も し れ な い か ら か ?

 

 

河上の言葉に、一気に紫苑の頭に血が上る。凄まじい殺気が河上に叩き付けられるが、それでも河上は僅かなサングラスの隙間から紫苑を冷たい目で見下していた。

 

「そんな下らぬ理由のために晋助の足を引っ張るというのであれば、この独奏(ソロ)はここで幕引きでござる」

 

スッと刀を高々と掲げ紫苑に向けて振り下ろす。

 

(紫苑は体勢を崩している。その体勢から、この太刀は…かわせぬ!!)

 

河上には確信があった。この一太刀で終わらせられるという、確信が。

 

しかし…

 

 

――ガツンッッ…!!

 

 

響いたのは、肉や骨を切り裂く音ではなく…無機質なそれがぶつかった音。

 

「…貴様…ッ…!!」

「ほう、テメェでもそんな口を利くのか…初めて知った…」

 

鞘を盾とし、刀で体勢を整え直した紫苑の姿がそこにあった。かなりの力で刀を振り下ろしたにも関わらず、それは女の腕一本…しかも鞘で受け止められている。とても満身創痍の女が成せる技とは思えない。

 

「その表情からして…私を斬ったという確信があったらしいな。だが言っただろうよ。私はそんなに…」

 

鞘で河上の刀を受け止めたままグッと身を屈める。闘技場で紫苑が見せたモーションだ。首を狙ってくると、咄嗟に万斉は刀を引き後退したが…

 

「甘くはねェッ!!」

 

首目掛けて刀を突き上げるモーションではなく、そのまま河上の胴を狙い真っ直ぐに刀を突いてきた。

 

「クッ…!!」

 

判断を誤ったとすぐに刀で攻撃を受けようとするが、完全に受け切る事はできず…

 

「…腕1本…貰った…」

 

逸れた太刀筋はそのまま、河上の右手の甲から肩にかけて傷を作った。ブシュゥと血飛沫が飛ぶ。

 

「やってくれたでござるな。侍は腕が命だというのに…」

「テメェのような輩に、侍を語って欲しくはねぇなァ…」

 

その傷は決して浅くは無かったらしく、血はボタボタと留まることなく溢れ出ていた。

 

「万斉、そのままだとテメェ…失血死だぜェ?」

 

ニヤリと笑った紫苑の表情。

 

それが…

 

『オメェの腕、気に入った。今日からオメェは鬼兵隊の一員だ…』

 

紫苑の兄である晋助のそれと重なる。

 

(流石は兄妹(きょうだい)でござるな)

 

万斉もニヤリと口角を吊り上げながら立ち上がる。相変わらず出血は酷かったが、まだ河上にはもう1つの切り札がある。それは、河上が絶対の自信を持つ切り札だ。

 

「確かに腕はもう使い物にならんでござる。だが…拙者にもまだ切り札はあるでござるよ」

 

スッと背中に背負っていた三味線を持ち、河上が構えた。突然の不可思議な行動に、紫苑もぐら付く足を叱咤して刀を構える。

 

(何だ…?三味線なんぞ持ち出して、奴は何をしようとしている…?)

 

一瞬…河上の姿が目の前から消えた。だがすぐに…

 

 

――ベベンッ…

 

 

耳元で聞こえた三味線の音で、すぐ隣にまで河上が迫っている事に気付く。

 

「テメェ、何の真似だ!!馬鹿にしてんのか…!!」

 

わざと音を出し、まるで自分の居場所を教えているかのようなその行動。理解ができないと紫苑は吐き捨て、隣にいるであろう河上に向けて刀を薙ごうとした。だが…

 

「な…に…ッ!?」

 

紫苑の体はぴくりとも動かない。出血しすぎたせいで、とうとう身体が動かなくなったのではないかと一瞬思ったが、そうではない事は明らかだった。まるで金縛りにでもあったかのように、指一本動かす事が出来ないのだ。

 

「紫苑…確かに剣では拙者の負けでござる。満身創痍の身でありながら、拙者にこれほどの傷を負わせたことは流石。いや…もしもそのような満身創痍な状態でなければ、あるいは拙者の命はここで尽きていたやもしれぬ。素直に負けを認めよう…」

 

横にいたはずの河上だったが、声は背後から聞こえる。僅かな時間で移動した事は明白だった。だが、紫苑は自分の身体に何が起きているのか…それが分からず混乱していた。

 

「テメェ、何をした…ッ!?私の身体に何を…!?」

「別に知る必要も無かろう。お主には、もはや死の道しか残されておらぬのだから。しかし…そうでござるな、このまま仕舞いというのもつまらぬ。結果次第では…そのまま見逃してやっても構わぬが?」

「なっ…!?」

 

声で分かった。河上が今、笑った事に。

 

それが無性に腹立たしく、力任せに腕を動かそうと試みた。

 

その刹那。

 

「いっ…!?」

 

手首に鋭い痛みが走る。視線を向ければ、痛みの走った手首に赤い筋が出来ており、そこからパタパタと鮮血が流れ落ちていた。

 

(な、んだ…?万斉は何もしていない。今もなお、私の背後にいる。そこから動いていない。気配で分かる。じゃあ何で…私の手首は傷付いた!?)

 

思考が追いつかない。それどころか、僅かに残っている意識すら遠退きそうになっていた。

 

(クッ…流石に血を流しすぎた、か…?だが、ここで倒れるわけには…ッ…!!)

 

更に今度は足を動かす。辛うじて動いたが、やはり同じように鋭い痛みが走った。確認せずとも、先程と同じだった為結果は明白。

 

(何だ?私が…動くたびに斬れる…?)

 

必死に現状を理解しようと頭をフル回転させている紫苑の姿を背後で見つめながら、クツクツと河上は笑った。

 

「理解ができぬでござろう?」

「ッ、変な小細工を…。だが、動けば斬れる。それは分かった…」

「なるほど、それは正解でござる。が…理由が分からなければ、お主はそのまま動くことは出来ぬ。そしてその場で失血死…。もしくは…」

 

鋭い殺気を感じ、思わず刀を握る紫苑の手に力が入った。

 

「拙者が後ろから一突きにして命を絶つ(フィナーレ)という演出も悪くはない…。そうは思わぬか、紫苑?」

「ハッ、馬鹿言ってんじゃねぇよ。こんな小細工使いやがって…。こんなものを使う奴を侍だとは言わないんだよッ!!」

「だがしかし、お主が“侍”と認めぬその存在に殺される。それは目に見えた運命でござる。さぞ無念でござろう…」

「テメェに斬られて死ぬくらいだったら、自分で舌を噛んで死んでやらァッ!!」

 

背中越しに叩き付けられる殺気にクッと河上の口角が上がる。

 

どんな状況に陥っても、決して諦める事は無く。

どんな絶望な状況下でも、侍としての誇りは捨てずに最期まで侍であろうとするその姿。

 

(本当に面白い女でござる…)

 

普通の人間ならば、いっそ殺してくれと願うか、鬼兵隊に戻らせてくれと懇願してくるところだ。

 

しかし、紫苑はそのどちらの選択肢も選ばず…

 

己の道を切り開くという、極めて困難な選択肢を選んだ。

 

(これは見物でござるな…)

 

構えた刀を下ろし、見苦しくもがく紫苑の背中を見つめながら…河上は静かに嘲笑(わら)った。

 

そんな河上の視線を感じつつも、紫苑は必死に現状を打開しようと脳みそをフル回転させる。

 

(冷静になれ、落ち着け。意識が遠退きそうになっているが…覚醒させろ…!!)

 

ガッと少し強めに腕を振れば、手首のときとは比べ物にならない激痛が二の腕に走る。それにより、遠退きかけていた意識が戻った。

 

「無駄でござる。それとも、腕一本落としたいでござるか?」

 

神経を逆撫でするような河上の言葉を一切無視し、紫苑は全神経を自身の身体に集中させる。

 

(動けば斬れる。これはまず間違いない。3回とも同じ事が起きたんだ。動けば斬れる…。では、私の動きを制しつつ私を斬り付けているものは何だ?万斉は私の背後にいる。動いてはいないから何もしていない。ただ見ているだけだ)

 

そこまで考え、さっきの河上の動きが脳裏を過ぎった。

 

(私の横を通り過ぎた時…三味線の音が聞こえた。その直後、私の身体はこの有様。まさか、音を使った催眠術のような攻撃か?いや…この痛みは紛れも無く現実だ。それに、いくら天人の技術が特化しているとはいえ、さすがに飛躍しすぎだな。もっと身近な方法が無いか?)

 

ちらりと…斬られた二の腕に視線を向ける。そこからは、パタパタと鮮血が流れていたが…ふと、妙な光景がその瞳に映る。

 

(血が…下に落ちずに宙を流れている…?…血を流しすぎてついに錯覚まで見えるようになったか…?いや、まさか…?)

 

今度は手首に視線をやる。同じように、血液が宙を流れている。いや、正確には何かを伝って流れている(・・・・・・・・・・・)。そこまで考えた時、紫苑はハッと目を見開いた。

 

(そんな事がありえるのか…!?いや、しかしそれ以外に考えられない…!!)

 

残念ながら確認する方法は無い。もしあるとすれば、首を動かし河上の方を向く事だろう。だがそれをすれば、間違いなく首を深く抉られる。

 

何か、確認する方法は…!?

 

その時、雲に(かげ)っていた満月が姿を現す。月明かりが、紫苑の姿を照らし出した。

 

その影に映った紫苑自身の姿を見て…紫苑は確信する。

 

(万斉が背中に背負っていた三味線、身動きひとつ取れない身体、動けば斬り刻まれる現状…。更に、こうなる前の万斉の行動からして考えられる事は、ひとつ…!!)

 

紫苑の口元が弧を描く。

 

暫くの沈黙の間、ずっと河上は紫苑の姿を背後で見ていた。必死になって、身体が動かない原理を見出そうとしているその姿を。

 

しかしそれにも、そろそろ飽きてきたと…そう思い刀を構えようとした時だった。

 

(…紫苑を取り巻くリズムが変わったでござる…)

 

突然、紫苑から感じられる雰囲気が変わった。そして…

 

「よぉ、万斉…。随分と腑抜けな小細工をするじゃねェか…」

 

確信に満ちた声が聞こえた。

 

「ほう、その口ぶり…お主の身体を捉え斬り刻むものの正体が分かったとでも言いたげでござるな」

「言いたげもなにも…分かったんだよ、このボケが」

 

ググッと紫苑が腕に力を込める。例の如く、ブシュッという音と共に肉が切れて血が噴出した。

 

「動けば…斬れる、身体…。動かせない、身体…!!」

 

更にもう片方の腕にも力を込める。同じように肉が切れ、血が溢れ出る。

 

「テメェが私の横を通り過ぎた時に聞こえてきた三味線の音…ッ、そして……この月明かりに映し出された……無数の糸ッ!!」

 

今度は右足に力を込める。いや、紫苑は全身に力を込めていた。身体のいたる所が斬れ、そこから血が噴出す姿をただ河上は眺めていた。

 

「答えは“三味線の弦”だ…!!」

 

紫苑の言葉に僅かに目を見開く河上であったが口角を吊り上げ、パチパチと拍手をする。

 

「正解でござるよ、紫苑。たったそれだけの事でその答えに辿り着くとは恐れ入った。まさか、この月明かりがお主に味方をするとは予想外でござったが…」

 

もがく紫苑を見つめ、ククッと喉を鳴らして河上は笑う。

 

「もはやお主は拙者の弦に囚われた状態。いわばクモの巣に掛った蝶でござる。動けば…言わずとも分かるでござろう」

「あぁっ、分かるさ…!!テメェの、小細工が…私の身体をズタズタにしていくこと、ぐらいっ…!!」

「ならば無駄なあがきはやめるでござる。そしてそのまま大人しく、拙者の刃に黙って貫かれて(フィナーレ)を迎えるがいい…」

「ッざっけんな…ッ!!私、は…こんなっ、糸ごときに……負け、は…しないっ…!!」

 

しかし、紫苑がもがけばもがくほど、弦は深く肉に食い込み容赦なく抉る。その度に血が噴出し、もはや紫苑の戦装束は元の色が分からないほど血に染まっていた。

 

「その心意気は良し。しかし逃げ出せぬのも事実。もしその弦から逃れられたあかつきには……」

 

 

紫苑…お前を見逃してやろう…

 

 

河上の言葉に、紫苑が目を見開く。

 

「い、ま……何て…?」

「聞こえなかったわけではあるまい?それに、さっきも言ったでござろう。“結果次第では見逃してやる”と」

「はったり…か…?」

「いいや、はったりではござらん。拙者の命にでも誓えば満足か?ただし…あくまで“逃げられたら”の話。その弦は鉄と同じ強度ゆえ…いくらお主といえど、そう簡単に引きちぎる事はかなわん。それに無理に動けば…もはや言うまでもござらんな」

 

弦に絡め取られた四肢と胴体、そして首元。辛うじて首だけは無傷だったが、その他はいたるところに裂傷ができており、紫苑の立っている場所には赤いシミが出来ていた。

 

この糸地獄からは決して抜け出せない。

 

その絶対の自信が河上にはあったのだ。

 

「ククッ…、万斉…、その言葉…後悔、すんなよッ…!!」

 

しかし、紫苑は力を緩めるどころか更に全身に力を込める。ついに首にまで弦が食い込み、血が噴出した。

 

「…血を流しすぎて、まともな考えも出せぬようになってしまったでござるか?」

 

何をしても無駄だと笑う河上に、同じように紫苑も笑う。しかしその笑みは穏やかで…とても、戦いに身を投じている者が見せる笑みとは思えない。僅かに見えたその笑みに…河上は訝しげに問う。

 

「何故、笑う?ついに血を流しすぎておかしくなったでござるか?」

 

河上の問いに、紫苑は笑いながら…

 

「オメェには分かるめぇよ…。例え鉄の糸だろうと、何だろうと…!!」

 

更に力を込める。弦が肉に食い込み、出血量も更に酷くなる。それに加えて、晋助から受けた脇腹の傷からもボタボタと容赦なく血が流れ落ちていた。

 

それでも、紫苑は力を緩めない。それどころか、更に力を込める。

 

「私の…この、想いは…」

 

 

『ね、銀時?一緒に暮らすときはさ、どこか静かな場所がいいな』

『そうさなぁ、萩で静かに暮らすか?』

『うんうん、それがいいかなぁ!!私達の故郷だもんね』

 

 

「自由になりたいと、願う…この、想いは…ッ…」

 

 

『ねー、何でコタローは兄さん達にヅラって呼ばれてるの?』

『知るか!!俺が聞きたいくらいだ!!』

『そりゃ、おまんがヅラじゃからじゃ!!のぅ、銀時~、晋助~!!』

『そうそう、辰馬の言う通り!!』

『だからいい加減に、その長ったらしくて鬱陶しい髪型からすっきりした髪型に変えろや…』

『貴様ら…そんなに死にたいかッ!!俺はヅラじゃない、桂だ!!そしてこれは、地毛だァァァァッッ!!!!』

『わーっ!!狂乱の貴公子が怒った!!ちょっと、マジギレしてるよ!?どうすんの!?』

『逃げるぜよっ!!』

了解(ラジャーッ)!!』

『ヅラも意外と短気だなッ、ククッ…』

『貴様らァァァ!!!だから、ヅラじゃない桂だァァァァ!!!』

『うわぁぁぁっ!?私も巻き添え!?何でェェェ!!??』

 

 

――ブチンッ!!

 

 

「なっ!?」

 

紫苑を絡め取っていた、鉄の強度を誇る弦の1本が音を立てて切れた。否、1本だけではない…

 

 

――ブチブチッ…!!

 

 

次々と、弦が音を立てて切れていく。血に染まった弦が1本、また1本と地面に落ちていった。

 

そして…

 

「例え、鉄の糸であろうと…、何であろうと…ッ…、私を…止められはしないッ!!」

 

 

――ブツン!!

 

 

紫苑を捕らえていた弦の全てが切れ落ちた。ただ河上は呆然とその様子を見つめる事しか出来ない。信じられなかったのだ。この鉄の強度を誇る三味線の弦を、まさか刀も使えない生身の…しかも力任せという荒業(あらわざ)で断ち切ってしまうという事が。

 

「グッ…!!」

 

完全に糸からの呪縛が解け、紫苑はその場に倒れ込む。だがすぐに、刀を杖代わりにして立ち上がった。河上には背を向けたまま、ただ港の出口のみを見つめている。

 

「万斉…約束は、きっちり守ってもらうぜェ…?」

 

僅かに振り向いた紫苑の表情。それは勝ち誇った笑み。

 

「ククッ…流石に三味線の弦(コレ)まで敗れたとあっては、拙者の完敗でござるよ。約束通り見逃そう…。何処へでも好きなところへ()くがいい…」

 

しかし、と…河上はその背中に告げる。

 

「何処に()こうとも、鬼兵隊は常にお主を狙うであろう。そしてまた、幕府もお主を鬼兵隊副官として命を狙う。どちらにしても、お主は容易く生きてはいけぬということだ…」

 

河上の言葉を受け紫苑は歩みを止める。天を仰ぎ、大きく深呼吸をして今度は真っ直ぐと河上の方に顔を向けた。

 

「確かに…鬼兵隊からも幕府からも追われる身となるだろう。だが、それでも私は…」

 

 

必ず、生き抜いてみせる。

 

 

強い眼差し。

 

傷付きボロボロの身体でありながら、いつだって絶望する事も諦めることも無く、ただその瞳は前だけを見据えていた。

 

 

「…惜しいでござるな…」

「何が?」

「今更ながら…もう少し、お主の奏でるリズムを聞いてみたいと思ったでござる。独唱(ソロ)ではなく、兄妹(きょうだい)揃っての二重唱(デュエット)を…」

「…残念、もうそれも叶わないわ。だって、私と兄さんの心は……」

 

 

もう、離れてしまったから…

 

 

それだけを残し、紫苑はふらつく足取りで河上の前から姿を消した。

 

先程までの喧騒が嘘のように静まり返る。

 

そんな中、紫苑の消えていった闇を見つめながら河上はポツリと呟いた。

 

「晋助の心が紫苑から離れた?…そんなわけがなかろう。いつだって、晋助は…」

 

 

『よう、万斉…』

『何でござるか、晋助?』

『紫苑に…銀時のことを伝えなかった事は…間違いだったと思うか?』

何故(なにゆえ)、そのような事を問う?お主らしくもない…』

『さァ、なんでだろうなァ?ただ…』

『ただ?』

『アイツの…紫苑の心はどんどんこの鬼兵隊から離れていく。俺ァ、アイツを鬼兵隊の副官に戻す事でアイツを護ったつもりでいたが……』

『……晋助?』

『いや、何でもねェ。聞かなかった事にしてくれや…』

 

 

「誰よりも、お主のことを考えていたでござるよ。本当に兄妹(きょうだい)でござるな。不器用なところなどそっくりでござる…」

 

あるいは無理矢理にでも連れ帰り、再び鬼兵隊の副官に就かせることも出来ただろう。しかし、河上がそうしなかったのは、それを晋助が望んでいないと分かっていたからだ。

 

「さて、紫苑よ…。再び独りとなったお主が、今度はどのような人生(メロディ)を奏でるのか…拙者も興味が湧いたでござる。次、会う事があったらその時にでも聞かせてもらいたいものだ…」

 

口元に弧を描きながら、河上はくるりと(きびす)を返してその場を去る。戻る場所は鬼兵隊本陣。

 

「さて…。晋助に何と言い訳をするか…そこまでは考えていなかったでござる…」

 

ポリポリと頭を掻きながら、河上もまた闇に消えていった。

 

 

 

ようやく手に入れた自由。

 

だが…

 

「ハァッ…ハァ…ッ…!!」

 

晋助との戦い、更には河上との戦いで傷付いた身体はとっくに限界を迎えていた。

 

しかし、そんなときに限って…

 

「おい、あの女…高杉一派の…!!」

「鬼兵隊の副官か!?」

「だが…ククッ、随分と弱ってるみたいだなァ…!!」

「こりゃ、絶好の機会だぜ?」

 

高杉一派を良く思わない浪人達が紫苑を狙う。ふらつく足取りの紫苑をグルリと囲むように浪人達が立ちふさがり、紫苑の行く手を阻んだ。

 

「どけっ…、私は…先を急いでいる…!!」

「まぁ、そんなに急がずともすぐに行かせてやるさ……あの世という終着点になっ!!」

 

一斉に切りかかってきた浪人達を一瞥し、紫苑は小さく舌打ちをした。

 

「面倒だ…、そして…目障りだッ!!」

 

一気に気迫と殺気を叩き付け、そして刀を抜く。一太刀で数人が吹っ飛び、殺気だけで何人かは気絶した。

 

「ヒィッ!?な、何だこの女…!!」

「ば、化け物だァァァァ!!!」

 

結局、紫苑をあの世に送ると意気込んでいた浪人達の殆どは逃げ出し、紫苑の前から姿を消す。

 

「命が惜しくば…もう二度と、私の前に現れるな…」

 

倒れた浪人達を一瞥し、紫苑はその場を後にした。暫くして目覚めた浪人達は不思議そうに首を傾げる。確かに斬られた筈なのにと。だが体のいたるところから、打たれたような鈍い激痛が走る。そう、確かに斬られたのだ…刀の峰で。

 

「おいおい、まさかあの女…!!」

「峰打ち…!?」

「峰打ちで、俺達はこのザマなのか…!?」

 

自分達はとてつもなく恐ろしい相手に喧嘩を吹っ掛けてしまったのだと、血の気が失せた。そして逃げるように、その場を後にする。

 

その後も、似たような事が何度か起こり、その度に紫苑は刀を抜いて峰打ちで浪人達をねじ伏せた。

 

(別に…斬る必要はない。たかが浪人だ…。それに…)

 

ふと脳裏を過ぎったのは、ニヒルな笑みを浮かべる晋助の姿。

 

(恐らく鬼兵隊は、恨まれて当然の事をしてきたのだろう…)

 

ならば傷付いた鬼兵隊の副官を襲ってくるのも道理というものだと、自嘲の笑みを浮かべながらひたすら紫苑は足を進めた。

 

別に目的地などは無い。ただ…

 

自由に過ごせるならば、どこでもよかった。

 

しかし、河上も言った通り…必ず鬼兵隊は紫苑を見つけ出そうとするだろう。

 

何処に居ても、命の保証などない。

 

(どうせ…命の保証がない、というのであればっ……!!)

 

朦朧とする意識の中、電柱の看板を頼りにその場所を目指した。

 

紫苑が目指した場所、それは…

 

(フフッ、そう言えば兄さんに……売り言葉に買い言葉で“真選組に捕まって、鬼兵隊について洗いざらい吐く”なんて言ったっけ…?)

 

攘夷志士達にとっての天敵である、武装警察・真選組の屯所。

 

「目的地、に…とう、ちゃく………」

 

そこで、紫苑の身体はついに限界を迎える。否、限界などとうの昔に超えていた。それを、紫苑は気力だけで保っていたのだ。ある意味、奇跡にも近かった。ドサリと音を立ててその身体が地面に崩れ落ちる。じわじわと紫苑の周りには血溜まりが出来た。脇腹から、首元から、身体のいたるところから出血している。その肌は、血の気が通っているのか疑わしくなるほど蒼白だった。

 

次第に薄れゆく意識の中で…

 

「土方さん、屯所の前に誰か寝てやすぜ?」

「大方、酔っ払いだろう。ったく…」

「屯所の前で寝こけるたァ、大した奴でさァ。しかも見てみなせェ、腰に刀を差してやすぜィ?」

「チッ、真選組も舐められたもんだ…」

「それは…土方さんのせいですねィ」

「んでそうなる!!」

 

声が聞こえた。

 

「土方さん、こいつァ…!!」

「……ッ…!!総悟、至急救護班を叩き起こせ!!おい、しっかりしろ!!俺の声が聞こえるか!?おい!!」

 

それは…

 

「クソッ、意識がはっきりしてねぇな。だが安心しろ!!絶対に死なせはしねぇ!!」

 

天敵である真選組副長の声であり…

 

(……フフッ…鬼の副長、なんて言われている割に……随分と優しい人じゃない……)

 

命の恩人となる相手の声だった。

 

 

 

思えば…あの時は真選組に処刑される覚悟で屯所まで身体を引き摺っていった。

 

それがどういうわけか生かされ、そしてあろうことか憎むべき幕府の犬である真選組に身を投じる事となった。

 

幕府を憎む紫苑にしてみれば、真選組とて憎むべき相手であった。

 

だが…命の恩人で、しかも居場所をも与えてくれる者達を心の底から憎む事など出来るはずも無かった。

 

悩んでいた紫苑が心を決めた瞬間、それは…

 

「俺達も別に幕府のために真選組なんざやってるわけじゃねぇんだ。ただ俺は…(かしら)である近藤さんのためにココに居る。あの人は、一度は奪われた刀を再び俺達に与えてくれた。どんなに感謝しても、し足りねぇ程に恩を感じている。だから、俺達は俺達の大将である近藤さんを護るためにこの刀を抜く。もしも幕府が近藤さんに刃を向けるってんなら……俺達は迷うことなく、幕府を叩っ斬るぜ…?」

 

土方の真っ直ぐな信念を聞いた時だった。

 

確かに彼らは幕府側の人間ではある。だが、真選組(この者達)は幕府という(しがらみ)に捕らわれることなく、それぞれが“侍”としての魂を心に宿している。

 

幕府を護るためではなく、近藤 勲という自分達の(かしら)を護るために刀を抜いている。

 

その姿が……

 

 

『いいか!!俺達は絶対に生きて攘夷戦争を切り抜ける!!そして、必ず4人でこの萩の地に戻る!!』

『うん、先生のために…江戸のために私達は戦う!!』

『先生が教えて下さった“護る剣”…。今こそその剣を振るう時…!!』

『あぁ、絶対に俺達は生きて戻るぞ。そして、先生を殺した憎き仇を…叩っ斬ってやらァ…!!』

 

――4人でこの剣に誓おう!!俺達(私達)は、この国を護るために戦うと!!

 

 

攘夷戦争に参加する前の自分達の姿によく似ていた。

 

国を護りたい、大切な人を護りたい。

 

それぞれの信念の元、全員が同じ思いで刀を掲げた。

 

結果、幕府の裏切りという形で想いは儚く散ってしまったが…

 

「…元攘夷志士…しかも、鬼兵隊の副官だった私でも……また、真選組(ここ)で護るために刀を振るう事は出来るでしょうか…?」

「それはお前の気持ち次第だ。近藤さんはお前の入隊を望んでいる。俺も、近藤さんの言う事に異論は無い。お前自身から嘘偽りの無い真実を全て聞いたからな。…後は、お前次第だ」

 

護れるものがあるなら、護りたい。

 

この刀でまだ何か護れるなら…

 

晋助(あに)を変えられなかった罪滅ぼしになるかは分からないが、それでも…

 

「土方副長、どうか私をこの真選組に置いて下さい。私は、私の護るべきものを護りたいのです」

「お前の護りたいものとは…何だ?」

「私の護りたいものは…」

 

 

『紫苑、今日は先生が道場を自由に使っていいってさ!!一緒に稽古しようぜ!!』

『うん!!銀時、手加減はなしだよ?』

『当たり前だ、バカヤローッ!!』

 

 

「愛する者が住まう…この江戸です」

 

貴方が生きているかもしれないこの江戸の街を…護りたい。

 

それが、紫苑の出した答えだった。

 

 

 

それから数年の年が流れ、平穏…とまではいかずとも、真選組でとても有意義な毎日を過ごした。

 

自然に笑える自分が真選組にいた。

 

しかし…

 

銀時のことを、必死に探している自分がいた。

 

桂という名を聞く度に、複雑な心境になる自分がいた。

 

晋助と鬼兵隊の名を聞く度に、胸が締め付けられるような思いになる自分がいた。

 

坂本が宇宙を飛び回りながら別の方法で国を正そうとしている姿を、どこか羨ましく感じる自分がいた。

 

身体は真選組にあっても、本当の家族のように思っていても。

 

 

いつも…紫苑の心は別のところにあった。

 

 

心だけはいつだって…かつての仲間の元にあった。

 

 

折角…会えたのに、ごめんね銀時…?

急に倒れてしまったから、吃驚したわよね…?

 

 

ゆっくりと紫苑が目を開けると、目に映ったのは屯所にある見慣れた自室の天井ではなく真っ白な天井。

 

そこが病院の集中治療室だと気付くまでに時間など掛かりはしなかった。

 

(そっか、私…走ってしまったから…。それにしても、随分とまた懐かしい夢を見たわね…)

 

銀時の姿を確認した時、止める土方と沖田の声が聞こえたが…それでも身体は止まらなかった。

 

銀時が生きていると分かって、目の前にいると分かって…感情が抑えられなかったのだ。

 

銀時は今、どうしているのだろうか?心配しているだろうか?

 

(あぁ、どうしてかしら?…今にも泣きそうな顔をして凄く心配している姿が目に浮かぶわ…)

 

もう随分会っていないのに、その仕草や表情が手に取るように分かる。

 

そんな事をぼんやりとした意識の中で考えていたら…

 

 

――ダンッ…!!!!

 

 

壁を叩きつけるような激しい音が聞こえた。

 

(何かしら…?)

 

音がした方にゆっくりと視線をめぐらせる。そこには、ガラス張りになった壁に背を預けている銀時の姿があった。

 

(銀時…)

 

その名を呼びたいのに、思うように声が出ない。やっと呼べるのに、やっと届くのに…。

 

今度は病がそれを邪魔する。このたった一枚の壁が、銀時と自分を隔てている。

 

もっと名前を呼びたい、もっとその温もりを確かめたい。

 

なのに…それが許されない。

 

紫苑の瞳から涙が零れ落ちた。

 

やっと、やっと会えたのに…

 

「何が攘夷戦争の英雄だ…何が白夜叉だ…!!結局、俺ァ…」

 

あぁ、どうして…

 

「最後の最後まで…何も護れなかったじゃねぇか…ッ…!!」

 

私は、貴方を悲しませる事しか出来ないのだろうか?

 

ごめんなさい、ごめんなさい…。

 

(貴方が悪いわけではない…。銀時、貴方は何も悪くないの…。ただ、私が弱かっただけ。だから、そんなに自分を責めないで?そんなに苦しまないで?)

 

ぼんやりとする意識の中で、必死に手を伸ばそうと力を込める。だが、その手に力は入らない。恐らくは薬のせいだろう。

 

(大丈夫、私は大丈夫だから…)

 

 

だから…、ねぇ、銀時…?

 

 

「ぎ、ん…とき…」

 

 

笑って?

 

その優しい…夕焼けのような紅い瞳で、また私に笑いかけて?

 

 

「…銀、時…」

 

 

ねぇ、あの時の約束…覚えてる?

 

みんなで一緒に、萩に行こう?

 

 

「銀…時…」

 

 

みんなで一緒に、花見をしよう?

 

 

「銀時…ッ…!!」

 

 

きっと、松陽先生も待っているわ。

 

だから…

 

 

「もう、桜…満開、だから…ね…っ…?」

 

 

みんなで、帰ろう…萩に…

 

 

僅かに聞こえた紫苑の声に、最初に気付いたのは沖田だった。驚いた表情で自分を見つめている沖田に、紫苑は力なく笑った。そして口を動かす。

 

「私は、大丈夫、よ…」

 

声は恐らく聞こえていないだろう。しかし口の動きで分かったらしい沖田は、慌てて近藤と土方の肩を叩いていた。安堵したように息を吐きながら立ち上がり突然座り込んだ土方と、ガラスにへばり付き滝のように涙を流している近藤、そんな近藤を呆れながら見つめつつも、紫苑の無事に同じように安堵している沖田。

 

そして…土方に支えられるようにして立たされた、銀時。

 

目が合った。

 

(あぁ…ごめんなさい、私が泣かせてしまったのね…)

 

その瞳は、遠目から見ても分かるほど濡れていた。

 

だから、紫苑は…

 

「銀時…私は、大丈夫よ…」

 

その視線の先に居る、最愛の人に向けてフワリと笑う。

 

目を丸くして驚く銀時だったが…

 

濡れた瞳を、着流しの袖でゴシゴシと拭って…

 

(あぁ、私の良く知る銀時だ…)

 

昔と変わらない笑みを見せてくれた。

 

 

(今…幸せ、だ…)

 

 

攘夷戦争で独りになり、

 

晋助や鬼兵隊から殺されそうになりながら逃げてきて、

 

自分は何の為に生きているのだろうと何度も考えた事があったが…

 

 

(生きてて…良かった…)

 

 

一番見たかった笑顔を見た瞬間、

 

 

生きる事を諦めずに突き進んできた人生に、初めて誇りが持てた。

 

 

自分はこの瞬間のために生きていたのだと。

 

 

最愛の人と再び出会うために生き延びたのだと。

 

 

(もう一度、言わせて…?)

 

 

ガラス張りの向こう側に居た近藤が忙しなく走り去ったかと思うと、医者を無理矢理引っ張って戻ってきた。恐らくは紫苑の目が覚めた事を必死に伝えようとしているのだろう。

 

そんな中でも、銀時と紫苑…この2人だけは、まるでその空間だけ切り取られたかのように、ジッと互いを見詰め合っていた。

 

例えガラス越しでも、今は触れられなくても…

 

生きていれば、時間が経てばすぐに触れられる。

 

そして…

 

 

「やっと…」

「会えたね…」

 

 

この声は、いつだって届く。

 

銀時と紫苑。

 

2人の言葉は2人にだけ届き…

 

2人は嬉しそうに笑い合った。

 




(2011年6月28日 にじファン初投稿)
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