セラヴィーの看病をするどろしー。
どろしーはセラヴィーの家のドアを開ける。
カギはかかっていなかった。当人は寝込んでいてそれどころではなかったのだろう。
寝室をノックしたけど返事はない。おかゆを乗せたお盆を持ったままそっとドアを開ける。どうやら眠っているようだ。
「入るわよ」
サイドテーブルにお盆を置いて眠る姿を見る。静かに目をつぶっているところを見ると、具合は悪くなさそうだ。
「……ふふっ」
その顔を見ていると笑いがこみ上げてきた。
「ふふふ……くっ……あはは!」
笑いが止まらなくて、その声でセラヴィーは目を覚ます。
「……どうしたんですか、どろしーちゃん」
「だってその顔……あーおっかしい!」
セラヴィーの口は裂け歯は尖り、鼻は黒く丸い。耳は大きく上に伸び、顔全体がふかふかの毛で覆われている。
魔法の国で大流行した犬足カゼにかかったせいだ。
本来ならその名の通り足が犬になる程度で済んだはずだが、こじらせてしまったせいで体全体が犬に近づいていた。
「……ひどいです」
「自業自得でしょ。大人しく寝てればこんなことにならなかったのに」
どろしーをからかったりして安静にしてなかった結果なので同情する気はなかった。子供たちを看病した延長でついおかゆを作ってしまったけど、病人相手だしそれくらいはいいだろう。
「子供たちは?」
「もうすっかり元気になって学校に行ったわ。あんたと違ってちゃんと寝てたし」
シュン、となるから調子が狂う。
「まだ熱あるの?」
「さっき測った時はあまり変わらなかったですけど。……わん、わんっ」
セキもまだ残っている。
「ほら食べなさい。薬飲んで寝てれば良くなるわよ」
身体を起こしたセラヴィーにベッドサイドのお盆を指す。
「……食べさせてください」
「はあ?」
突然のお願いに妙な声が出る。
「この手だとスプーンも持てないんです」
セラヴィーの手は犬の手になっていた。
「昨日は普通の手だったじゃない」
「悪化したようです。僕はこのまま犬になるんです」
わんわん!と当てつけるようにセキをする。
「なにバカなこと言ってんの。薬飲んで寝てれば治るわよ」
「その薬を飲むにはご飯を食べなきゃいけないんです。どろしーちゃんが『あーん』ってしてくれるしかないじゃないですか」
恥ずかしくてそんなことできるはずがない。
「犬だって犬で食べてたりするじゃない」
「生まれつき犬……いえ狼男のリーヤ君と一緒にしないでください。鼻水をかむのもひと苦労なんです」
壁を向いて寝転がり耳を伏せていじける。
「いいですよ。僕は干からびて死んでいくだけですから……」
「あーもう、わかったわよ!」
ドスッとイスに座りお盆をヒザに乗せ、仕方なくスプーンでひと口差し出した。
セラヴィーは自分で言っておきながら、戸惑ったようにスプーンを見つめている。
「なによ」
恥ずかしいからさっさと食べて欲しい。
「『あーん』って言ってくれないんですか?」
ギロッとにらむと首をすくめる。
「……冗談ですよ」
「ほら」
セラヴィーはひと口食べると、ゆっくりと、ゆっくりと噛みしめて飲み込む。
おかゆだからそんなに噛む必要はないのに。
「食欲ないの?」
「……あ、いいえ! ほら、犬の口に慣れてないですから」
あーん、と口を開ける。
大きな口にギザギザの歯が並んでいて、スプーンを差し入れるのにちょっとためらう。でも鳥のヒナのようにご飯を求めるのが面白くて、食べさせてやるのも悪くはなかった。
どろしーが「あーん」してくれる。(あーん、とは言ってくれなかったが)
もう二度とないかもしれない機会に、セラヴィーはゆっくりと堪能する。遅い、と怒られるかと思えば、心配されて心の中でこっそり懺悔した。
薬も飲ませてもらって横になる。氷のうも新しく換えられた。『身体も拭いて』とおねだりしたら怒られたので魔法でなんとかする。
どろしーがいつもと比べて圧倒的に優しかった。
「このまま治らなくて犬になったら、どろしーちゃんのヒザに乗せてくれますか」
「イヤよこんなでかい犬」
「毎日散歩させてくださいね」
「勝手にすればいいじゃない」
いつも通り言葉はそっけない。しかしその間も彼女の手はセラヴィーのふかふかの手をなでていた。
無意識なのか意識的なのかはわからない。毛が生えているせいで触れられている感覚があまりない。しかし、どろしーから手を触れられているという事実は感動以外の何物でもなかった。
リーヤをヒザに乗せたりしているのをうらやましく見ていたが、実際にここまで懐に入ってくれるのなら本当に犬になってもいい、そう思った。
***
草原を走る。
どろしーちゃんがその後ろを駆けてくる。
「待ってセラヴィー」
引き返してどろしーちゃんに飛びつく。
ふたりとも草の上に転がり、彼女は笑顔で抱きしめてくれた。
ペロペロと顔をなめる。
「ふふっやめてよ」
どろしーちゃんは嫌がらないどころか嬉しそうにしている。
(どろしーちゃん、大好きです)
「わん! わん!」
口から出るのは鳴き声。
「結婚したら犬を飼いたかったのよね」
結婚!?やっと僕の気持ちが通じたんですね!
どろしーちゃんは立ち上がり、横を見上げる。
「ああ、あなた」
誰ですかそいつは。
「わん! わん!」
「あなたも犬好きだったわよね」
そんな奴に笑いかけないでください!
「わんわんわん!」
「ふふ、どうしたのセラヴィー」
微笑んで頭をなでてくれる。でもそうじゃない。
(どろしーちゃん! どろしーちゃん!)
「わん! わん!」
(どろしーちゃん!!)
***
「……ラヴィー……セラヴィー……」
「うわああああ!」
セラヴィーは跳ね起きる。
「大丈夫セラヴィー、うなされてたわよ」
「夢……!?」
目の前のどろしーにギュッと抱きつく。
「ちょっ!」
抵抗しようとしたが、ボロボロと泣いているのを見て背中に手を当てる。
「大丈夫、ただの夢よ」
昔のセラヴィーを思い出した。寂しがりやでいつもひっついて、どろしーが居ないとなにもできなかった小さな子。
図体だけでかくなっても、中身は一緒なのだ。
体調をくずして心細くなったのだろう、と今だけは背中をさすってあげた。
やがて嗚咽が止まり、セラヴィーから離れる。
「ふふっひどい顔」
涙と鼻水まみれになっている。顔をぬぐってあげそうになって、我に返り手にしたティッシュを押し付けた。もう小さな子供ではないのだ。
セラヴィーは自分で鼻をかむと、どろしーの腕を取る。
「どろしーちゃん、結婚したら犬は欲しいですか?」
「はあ? 犬なら居るじゃない。て言うか、結婚なんてしないわよ」
ペシッと手を振り払われて、ああ本物のどろしーちゃんだ、とセラヴィーは安心した。
「それより、熱はどう?」
ひやり、とオデコに手が当てられる。
素肌の感覚に体温が上がりそうになったが、「下がったんじゃない?」とすぐに離れてしまった。
体温計で測るとほぼ平熱まで下がっていた。
「鍋焼きうどん作ったけど、食べられそう?」
「大丈夫だと思います」
あーん、と口を開けると、どろしーは冷めた目で見る。
「手、治ってるわよ」
「えっ? ああ本当だ!」
いつの間にか自分の手に戻っていた。
ぺたぺたと顔を触ってみると素肌の感覚があり、マズルはなくなっている。鼻も口も元通りだった。耳はまだ少し尖っているし足は犬のままだったけど。
「よかったじゃない」
よかった、のだろうか、と夢を思い出す。
どろしーの横は誰にも譲りたくない、けれど無邪気に微笑みかけてくれる彼女を思うとひどく残念な気がした。
「あんたがしおらしいと調子が出ないのよ。子供たちもあんたのご飯が恋しがってるから、とっとと元気になりなさい」
「……そうですね。どろしーちゃんのガサツなご飯だとかわいそうですからね」
どろしーはムッとしたが、安心したように少し笑う。
「じゃあ、こんなガサツなご飯はいらないわね」
「あ、ウソです、ごめんなさい!」
お盆を持って帰ろうとするのを止める。
「病人からご飯を取り上げるなんてヒドイです!」
「すいぶん回復してるからご飯くらい用意できるでしょ」
「また悪化して犬になったらどろしーちゃんの周りをつきまといますし、ずっと離れませんよ!」
「……今とたいして変わらないじゃない」
脅しにもならない脅しだったが、どろしーはお盆に乗せた鍋焼きうどんをセラヴィーのヒザに乗せる。
「ちゃんと食べて薬飲んでさっさと治しなさい。あんたをどつけないと運動不足になるのよ」
薬も置いてさっさと帰って行ってしまった。
部屋にひとり……とエリザベスが残される。
「見てくださいよ、市販の鍋焼きうどんをそのまま煮ただけですね。さすがどろしーちゃん」
「それでも売ってるアルミ鍋から移し替えただけエライじゃない。セラヴィーのために作って持ってきてくれたのは事実よ」
うどんを引き出しながら、ため息をつく。
「僕のため、なのか、病人だから、なのか……」
ズズッとうどんをすする音だけがする。
エリザベスと二人きりなのはいつものことなのに、やたら静かに感じる。
どろしーが居なくなった空間はこんなにも味気なかっただろうか。
朝におかゆを食べさせてくれたのも、ひどく昔のことのようだった。
それでも食べていると内側から暖かくなってくる。
「いけませんね、身体が弱ると気持ちも下がって」
頭を振って思考を切り替える。
「僕がなるのは犬ではありません。彼女の隣に立つのは僕です。早く元気になってどろしーちゃんに近づくやつを排除しなくては」
ふふふふふ、と黒い笑いをする。
どろしーは何かを察知して身震いした。
「いやだ、今ごろになって犬足カゼが感染ったりしてないでしょうね」
セラヴィーの姿を思い出してゾッとしながら自分の分のうどんをすすった。
セラヴィーの泣き顔に弱いといい。エリザベスが居なくなった時も協力してたし。