並行未来から来た自衛官達の奮闘〜己らの果たせなかった責務を成すために 作:Japan Defense Force
もう少し後なので待っていてください。
日本国
2600年以上の歴史を持つ世界最古の王朝が存在する国である。
人口 約1億2000万人
政治体制 立憲君主制 議院内閣制
イデオロギー 民主主義
問題点 少子高齢化 領土問題 日本国憲法第九条
並行未来日本国
上記と同じ
問題点追加 天皇家の存続危機 汚職蔓延 戦争・内戦の被害
自衛隊
陸海空の三自衛隊に分けられており現在の日本と同じ
特殊作戦群が中隊規模で五グループに分けられており約百二十人
(戦争後は、秘密裏に陸海空や他の優秀な者達が配属された。
隊内外の不穏分子を監視するために)
歴史
2010年代までは同じ
20年代頃から政治・経済界など多くでスキャンダル(賄賂・脅迫・浮気)が発覚
放送業界でもチャイナマネーが流入(中国株主の意見を受けやすくなった)
25年から東シナ海・南シナ海で中国による軍事演習が活発化
米国は、空母打撃群を派遣、沈静化を図る。
海上保安庁は、巡視船の退避を決定。
海上自衛隊が、第二・第四護衛隊群の半数を尖閣・宮古島方面に派遣。
陸上自衛隊は、水陸機動団・第一空挺団に沖縄に移動ののち即時即応体制、
中央即応連隊に帝都方面のゲリラ・テロ対策のため、
第一師団・特殊作戦群・皇宮警察・警視庁・警察庁・在日米軍との連携を強化。
航空自衛隊は、領空侵犯機への対処(搭載武装の強化)を決定。
しかし、政府は、中国や左派の追及を恐れ部隊の移動を少数に指示。
その為、派遣された護衛隊群の半数以上が九州沖での待機、
陸自も一部が縮小された。
その後、欧州各国や大西洋から派遣されたアメリカの空母打撃群の応援部隊が到着、
一時的な沈静化に成功した。
だが、日本の対応について欧米から非難が多かった。
26年は、驚くほど静かで中国は、内陸で実弾演習や海岸での
模擬演習(実弾を使わない訓練)を細々と続けていた。
(のちにこの行動は、台湾有事・東アジア戦争の
軍需品(兵器・武器・弾薬・その他物資)の倉庫を作り,
それらを大規模に各国へ察知されないようにする作戦だったことが
人民解放軍機密資料によって判明した)
27年は、なんの音沙汰もなく静かだった。多くの人々は、平和を謳歌していた。
そう、あの日までは。
デフコン5
同年の九月から中国人民解放軍の通信量が増加、表向きには「大規模な軍事演習である」
と会見を開いたが、そのほとんどが暗号化されており各国では警戒を強化していた。
デフコン4
日本は、防衛省から警戒するよう官邸に連絡があった。しかし、事なかれ主義の政府によって
「2年前と同じだ」
と、言われ帝都以外への自衛隊の移動を前回よりも縮小した。
十月一日、米軍からの情報により台湾及び尖閣諸島の併合作戦が開始されていること、
侵攻日時が判明。
デフコン3
政府は直ちに、陸海空自衛隊に尖閣方面へ移動させることを指示したが、
防衛省は準備が間に合わないとして一部を拒否。
戦力の逐次投入による消耗拡大を恐れ、展開中の護衛艦を沖縄に一時退避することを決定。
九州にいる第二護衛隊群と第四護衛隊群の一部と合流後、奪還作戦を行うことが決定された。
陸上自衛隊は、尖閣方面の駐屯地に、警戒レベルを最大限に上げるよう命令、
武器の解放、実弾の装填作業がされた。
翌日には、第一空挺団・水陸機動団の準備が完了したため移動を開始。
その後、特殊作戦群二グループが到着。
水陸機動団は、五日後に到着した。
航空自衛隊は、航空総隊直轄の航空戦術教導団を派遣した。
米軍は、第7艦隊の多くををインド洋に展開させていたため、
移動及び補給作業によりさらなる遅れが発生。
デフコン2
中華民国(以降は台湾と呼びます)では、兵役を受けた人を招集、
街は緊張感でピリピリしていた。
日本・アメリカ・台湾の外務省は、中国に対して合同で
「中国の行動は東アジアの平和を乱す行為である」
と、抗議し交渉の場を設け、話し合いを繰り返ししたが返答はなかった。
・宣戦布告
その後、中華人民共和国政府は、3カ国に対して宣戦を布告した。
同年十月十日正午、中華民国建国記念日に台湾有事いや、東アジア戦争が始まった。
「宣戦布告」これが原因で戦火が広がったのは、誰が見ても明らかだった。
初動は、中国軍の勝利となった。
宣戦布告の直後、(極超音速・弾道・対地)ミサイル・ロケットによる攻撃が始まり、
対処のために地対空・艦対空ミサイルで迎撃を行うも弾切れや装填作業中に弾着したため
自衛隊・在日米軍・グアム・台湾などで一部の基地の滑走路、港湾施設を破壊した。
艦艇への攻撃も行われ、少ない被害を被った。
次に、中国軍の揚陸艦や空挺部隊が投入された。
台湾方面を主力としドック型を三艦・強襲型を二艦・空挺部隊を五個大隊投入、
尖閣方面へドック型を二艦・空挺部隊を一個大隊投入させた。
台湾方面は、台湾海軍や台湾海巡署(日本で言うと海上保安庁)が揚陸艦や空挺部隊を
最重要目標とし、対空対艦ミサイルや艦砲で抵抗したが、
飛行場を破壊され航空機の上空掩護が受けられず、護衛の艦艇に邪魔をされ
現代の主力駆逐艦クラス(一万トンは、サイズ・排水量としたら巡洋艦のはずなんだが???
まあ日本〈DD・ DDG・DDH〉もアメリカ〈DD〉もそんな感じだからヨシ)
の三十数艦や航空機による、
対艦攻撃によって多くの中国軍艦艇を道連れにしながら海の藻屑なった。
後に『台湾海峡防衛戦』と言われ台湾海軍・海巡署が負けた戦闘である。
戦果、中国側:全艦撃沈、航空機三十機破壊
台湾側:駆逐艦十一艦撃沈、小型艦艇三十二艦撃沈、航空機五十四機撃墜
日本側:護衛艦八艦撃沈、二隻中破、六艦小破
アメリカ側:駆逐艦二艦撃沈、四艦小破
台湾軍は、空挺部隊による影響で海岸での水際防衛が難しく、
市街地戦が発生したため国道一号線より西側地域の放棄を決定
中国軍は、台湾侵攻の橋頭堡の確保に成功し、大陸から多くの兵器を上陸させた。
尖閣諸島は、上陸され中国国旗(五星紅旗)が立てられていた。
宮古島にも、空挺部隊と上陸部隊が投入された、市街地は制圧され自衛隊が駐屯地で
中国軍と睨み合っていた。
宮古島駐屯地の自衛官らは、島民の安全のため機密書類・電子機器などを破壊し
午後三時降伏した。
・記者会見
午後一時、日本政府は、再三の交渉ののち、外交努力が報われずこのような
結果を引き起こしてしまったことを謝罪した
そして、宣戦布告を受けて国民の生命と財産を守るため、
国家非常事態宣言及び防衛出動を発令したことを発表した。
アメリカも同様であった。
台湾は、国内が混乱しているため見送った。