アンデッド×ソード/桐原景雪の闘争 作:とりあえず一回ヒロイン殺したい
首筋に、つ、と血が伝う。
景雪がとっさに首を傾けた瞬間、刀が首筋を掠ったのだ。
そのままであれば首の正中を貫いていただろう刺突────それにゾッとする暇もなく、刀が軌道を変えて首を両断しようと迫り来る。
対する景雪は冷静に、傾けた勢いのまま重心を回転させる。
ふらり、と立ちくらむように滑らかに身を屈め、致死の刃を頬の表皮を削り取るに留めた。
ぴ、と傷口から血が溢れ、景雪の神経が鋭い痛みを訴える────も、景雪は切り捨てる。痛みに悶える意味などない。
一瞬の交差。
その刹那、景雪は重心移動の勢いを乗せて望月の懐に飛び込んだ。
守りではなく攻めの型。
自らが死ぬ前に相手を殺す、それを徹すための動き……されど望月も揺らがない。
最短、最速、最高効率。
その理念に基づくまま、両者が互いの急所に向けて刀を振るう。
異なるのはその勢い。望月のそれは刺突から続く一連の流れであるゆえにわずかに鋭さを欠いているのに対し、景雪の刀は初撃ゆえの充分な重さを持っている。
そして斜め下からの袈裟斬りであるが為に、逸らすことも叶わない。
「……ッ」
ならば勝負は決するか───否。
景雪の刀が押し込まれる。
さながら銃身に塵を詰め込むように。景雪の腕力と充分な空間により加速されるはずだった刀の勢いが殺された。
それは骨を切らせて肉を断つ、というにはあまりに行きすぎた行いだ。
自身の肉体すらもリソースとして消費し、数秒先の死を前に今ひとときの攻めを取る異質な剣。
使えるものはすべて使う──そんな歪な執念そのものを、景雪は確かに感じ取った。
一瞬の交差。
お互いに密着するような体勢の中、望月は笑う。
「『く、は……楽しい、な?』」
「………………」
「『この剣は……桐原戦刀流と同じ理念を持つ。だが、桐原戦刀流ではない。それは常人でも扱えるよう、余分を付け足された剣よ。対してこの剣の本質は違う……これは、
望月は上機嫌に喋り続ける。
景雪は答えない。刀を抑え込まれた姿勢のまま俯き、表情を窺わせないまま────
「『戦刀流の起源こそがこの剣だ。故に己らは同門であり、されど大きく隔絶している……』」
「………………」
「『お前は傷を負った。己もまた同じ……だがそこにも差が聳えている。わかるか? わかるだろう? わからないはずがない、お前も同門なのだから』」
望月は笑う。景雪が何を言わずとも笑う。笑う。嗤う、笑い続ける。
不気味なほどに。それしか貌を知らぬとでも言うように。
「『
「………………」
「『悔しいか? 悔しいだろう? それが選ばれた己と、まだそうでないお前の違いだ。お前は己に、殺される覚悟と言ったが……そんなものは前提に過ぎない』」
「『今一度学ぶべきだ。
「……黙って聞いていれば」
謳うような望月の言葉を断ち切るように、景雪が顔をあげる。
呆れを多分に滲ませた声だった。あるいはこの場において、どうにも似つかわしくない声。
「俺はもう、話すことはないと言っているのに……いつまでも喧しく囀るな」
「『く、そういう性分だからな? お前に話すことがなかろうと、こちらにはある。教えることが、山のように』」
「……教える、ね」
不意に景雪の声が鋭く、雪のように冷たくなる。
「覚悟、覚悟と言ったな、お前は。俺に学べと……そう言ったな」
「『その通り。己にはお前にモノを教える義務がある。お前にはその資格が──』」
「──そのために望月を殺したのか?」
今度こそ。
望月の顔が不可解に歪んだ。
「『なんだ、それは……お前は何が言いたい?』」
「お前の目的が、俺にそれを教えるためだとして……それは、望月を殺さねばならないことか? そうしなければなし得ないことだったのか?」
目的のために己すらも使う覚悟。
それが己だけであればいいだろう。辻褄が合った美しい話だ。
だが……だが、そのために、見ず知らずの、わずかな時間触れ合っただけの少女を殺したのなら。
「もしそうなら……願い下げだ。そんな教示、俺にとっては何ら価値がない」
「『…………笑えない、な?』」
こくり、と望月が首をかしげる。
少女であれば華憐な仕草も、骨を軋ませながらであれば不気味に過ぎる。それを操る者の姿まで透けて見えるようで、景雪は反吐を吐きそうな顔をした。
「『わからないな。お前にとってこの肉はそれほど価値があるモノなのか?』」
本心から言っているようだった。
それはただ、望月から見た事実を述べているだけではない。
そこに嘲りはなく、ただ明確な疑問がある。
「『お前は桐原の血を継ぐものだ。その魂、その肉体、そのすべてが
「…………」
景雪とて理解していた。自分が普通の人間とは異なることに。
こんな異常な状況に在っても、彼は揺らがない。そういうものだと受け入れて、一切の躊躇いなく刃を振るう────そんなことがただの人間にできるものか。
だからこそ。
──ただの人間?
──価値?
だからこそ許容し難い。
度し難い。
……許し難い。
「……そんな俺と友人になってくれたのが望月なんだよ。価値がどうとか、くだらない物差しでわかったつもりになるんじゃあ、ない……!」
強い憤りとともに景雪が断言し、力を込めて刀を押し込む。
景雪と望月の肉体差は明確だ。いくら望月が生前ではあり得ない膂力を発揮していても──景雪とて異質であるなら、その関係は覆らない。
ぐ、と服越しに刀が食い込み、そのままへし切られては堪らぬとばかりに望月が飛び退いた。
再び彼我の距離が開く。
「『……残念だ。お前は確かにあの男の息子だ……だが、わからん。何を考えている? 何故そのように育った? 理解ができん──塵芥など、踏み躙ればいいだろう。お前はそれができるはずだ』」
「知るか。俺にお前の身勝手な理屈を押し付けるな」
困惑する望月を前に、景雪は刀を構える。
「理解した。俺とお前は決定的に断絶している。何を言おうが、何を言われようが、俺はそれを聞く気はない。お前だってそうだろう」
「『………………』」
「ならもう無駄だ。無駄に口を開く意味もない───わかったら黙れ。これ以上、その口で汚い声を吐き出すな。吐き気がする」
「『………………ああ、残念だ。とても、残念だ』」
嘆きが広場にこだまする。
たっぷりの悲壮を込めたそれを聞くものは誰もいない。景雪にとって、それは夏の旋風にも劣る雑音だった。
いくら話しても平行線。
どこまで行っても彼らのスタンスは交わらない。交わろうとするつもりがない。
ならば残るは、彼らが持つ刀だけが一線を引くに値する。
それだけは共通認識だった。
彼らの土台となる理念が共通する以上、そこだけは明白。
ざ、と景雪が歩を踏めば、望月もまた旋回するように足を動かす。
自重を感じさせない軽やかな足踏み。刀と肢体、その両極たる重心を把握せねばできない軽業──常在戦場を体現するような両者の間合いは、余人が立ち入れる領域にない。
「………………────」
故に。
はらり、と舞う夏の青葉が、景雪の目前を通り過ぎた刹那。
────望月はもう踏み出していた。
ただひとときの余白。木の葉の見えざるを理解した迅歩。
その距離を積めるまでに一秒も要らない、紛れもない先手。
飛び退く? ──不可能だ、その程度で稼げる時間などたかが知れている。
迎え打つ? ──不可能だ、防ぎ切れるものではない。
既に充分な加速が乗っている。前に踏み出したとて、望月の再演は不可能。既にその刀は景雪をとらえている。
望月の表情は冷え切っている。
もはや言葉は届くまいと、そう諦めたが故の色。
情緒も何もない刀の鋒が、景雪の身体を叩く────その前に。
────何だ?
違和感を覚えた。
本能に似た思考の回転。視界に捉えた世界の形が高速で処理されていく。
だからこそ気付けた。気付いてしまった。
景雪の手から──刀が離れた。
「『は?』」
漏れた声は、果たして望月のものだったのだろうか。
存外情緖的な声を前に、宙に置くように刀を手放した景雪は──必然、それに意識を“持って行かれた”望月の顔を鷲掴んだ。
/
桐原戦刀流は、戦場における運用を前提とした流派である。
いかに無駄を省き、いかに多くの敵を殺すか。
なればこそ、刀に固執するのは二流、否、三流である。
/
景雪は冷静だった。
激昂しようとも脳裏の己が咎めてくる。そんなことをする意味はないと。
そしてそれを呑み込めるほどに彼の精神は異質だった。
鍛え上げられた片手で瞬時に目を塞ぎ、その視界を閉ざした。望月の肉体を用いている以上、感覚器官から逃れる術はない。
「『ッ』」
もちろん望月とてその弱点は理解している。塞がれた直後に刀を振るうものの……景雪の方が一拍早い。
足払いで体勢を崩し、刀に向けられる力を削減。次いで流れるように重心を前に傾け、一瞬の隙間に全体重を片手にかけて押し倒す。
「『ぐっ』」
マウントポジション。
極めて原始的な殴り合いの体勢に持ち込み、望月の刀を持つ手を地面に叩きつける。それで骨が砕け散ることも厭わない、無力化するために強引な押し込み。
「『刀を捨て、る!? 囮に──猫騙しでも、したつもりか!?』」
「随分と刀にこだわりがあったようだからな。それごと捨てただけだ」
それはある意味で無駄な行いだった。
普通の人間であれば抑え込む必要などない。人体は脆く弱点は明白、鳩尾を膝で押す、股間を蹴り飛ばす、それで死ぬ危険性こそあれど確実に大人しくさせるならそこを狙えばいいのだから。
だが望月は死体だ。何らかの理由で動いているだけの肉の塊。
鳩尾への殴打をものともしなかった以上、いくら削っても有効打にならない可能性が高い。だから彼は
刀で
そこまでが最善。彼が最も鍛え上げた剣術に信を置く以上、それは当然のことで。
────だが、まあ、通じなかったしな。
なら仕方ない、剣は捨てよう。
信頼も、憎悪も願いも何もかも、その一切を合理のもとに切り捨てる。
景雪にとって眼鏡を取るとは、本気になるとは、その思考を意味するのだから。
「『捨て、た……それごと? お、まえは──』」
信じられない、と望月の顔が歪む。
外道であれ剣士、それ故の不可解。景雪の剣は生半可なものではない、長年に渡り磨き上げられてきた努力の結晶とも呼べるもの。
それを切り捨てた? 今この場では勝てないから──自らの努力ごと囮にした?
理解はできる。必要ならばやるだろう、死にたくないなら誰だって──けれど、そこに躊躇いがないというのは、別の話だ。
「そう驚く話じゃないだろう。お前が望月を必要だから殺したように、俺もそうでないものを切り捨てただけだ」
「『────それが、半生をかけて築いてきたものであっても?』」
「
「『…………────』」
今度こそ望月は絶句し……そして────笑った。
この場に似つかわしくない、華憐で、景雪にとっては心底不愉快な笑みを浮かべる。
「『なるほど。不躾な真似をしたようだ。
「…………」
「『そう警戒せずとも良い。ただ己にとって、貴方はやはり継承者に相応しいと理解できただけのこと。第一、この盤面に持ち込まれた時点で詰みだ。そうだろう?』」
「それを信じる馬鹿がどこにいる」
単純な膂力に劣る上に、女性と男性の体格差は歴然だ。望月の言う通り、四肢を抑え込まれてしまえば動けるはずがない。
だが景雪にとってはこの状況そのものが道理に反している。ならば警戒を緩めないのが当然、しかし。
「『────何かあるのはわかっているのに、その何かがわからない?』」
「…………」
「『事実だろう? ああ……だが喜ばしい。己にもまだ、貴方に教えられるものがあることが』」
高揚を滲ませながら笑う望月に、景雪の眉が吊り上がった。
「『そう、そうだとも。己のやるべきことは、何一つとして変わっていない。貴方を試し、見定めるだけ。正統足り得るか否かを──
「…………お前の話は、どうでもいい」
立ち眩むように首を振る景雪の下で、望月は笑う。笑い続ける。
不愉快に。
憎たらしく。
誇らしく────どこまでも相容れない
「『貴方に足りていないのは経験だ。それさえ補えれば貴方を超える者はいない。ゆえに今、この敗北を贈ろう』」
「『──もっとも』」
「『
望月の微笑みが苦笑に代わる。
それだけは随分と自然だった。
「っ、待────!!」
「『────我らが祖に奉る。目を醒まされよ、“
刹那。
望月が握りしめていた刀から、黒い奔流が溢れ出た。