アンデッド×ソード/桐原景雪の闘争 作:とりあえず一回ヒロイン殺したい
────闇の中で目を覚ます。
「……」
俺は……そうだ、俺は望月を追い詰めたはず。
だがそこでアイツが何か切り札を切った。それに対応できず、闇に呑まれてこのザマだ。
「……畜生が」
組み敷いた瞬間に全身の骨を外すべきだったか?
それとも刀をアイツの手元から叩き落すべきだったか?
わからない。正解が見えてこない。導くための式がない──奴の言う通り、絶対的に
「…………ふざけやがって」
苛立ち、困惑、憎悪、悔恨──腹の底から湧き上がる諸々を一言に込めて切り捨てる。
今はどうでもいい。
やるべきは……この、闇と向き合うことだ。
数瞬、俺は気持ちだけ前を向いて────
「……気味が悪いな」
端的に感想を吐き捨てる。
一寸先も見通せないのに、何故か俺の輪郭だけは意識の中に浮かんでいる感覚を、他にどう言い表せばいいのか。
水に沈むような、と言えばいいのだろうか。
俺という境界線だけははっきりとしているのに、他の全てが朧気だ。音も、景色も、何もかもがはきりしない。
もがけば藻掻くほど落ちていく、そんな予感と────妙な懐かしさが、残るような。
「…………気味が、悪い」
もう一度、口に出す。
そうでないと、この闇を心地よいと感じてしまいかねなかったから。
俺はゆっくりと息を吐き、手を伸ばす。
その指先は見えずとも、そこに在ることは確か。……なら、やるか。
この闇が自然に晴れるとは思えない。
ならばどうするか。動くしかない。闇雲にでも藻掻くのだ。
そのせいでより深くに落ちても、動かないよりはマシだろう。
そう思いながら、俺は泳ぎだそうとして。
────”こぉん”
何かが落ちるような音に、俺は咄嗟に振り向いた。
上か下か、右か左か。あるいは前か後ろかもしれない、不確かな世界の先に────
水面に波立つように、揺らぐ闇の中に、誰かがいる。
闇に浮き上がるように、俺のように、輪郭だけがそこに在る。
「…………────」
それは、少女だった。
それは、着物を着ていた。古めかしくも仕立ての良い小袖の和装。
それは、黒い髪をしていた。
それは、──それには、小さな角が生えていた。
不気味なほどに白い角が、小さな額に、ひとつだけ。
美しい少女だった。
息を吞むほどの魔性だった。
ただの人間が見れば気が狂うほどに美しい、闇の中でこそ際立つ魔性────そんなバケモノが、俺を見ていた。
「…………ッッ!!?」
身体が動かない。
ぞっとするほど
だから俺は逃げられぬまま────俺を見つめる少女の瞳から、涙がこぼれ落ちるのを、見た。
“………………どうして? ”
水面から声を掛けられるように、薄ぼけた声が響く。
“どうして、そこにいるの”
“あなたにだけは、見られなくなかったのに”
こぼれた涙が浮かび上がる。
俺の頬をかすめて、さらに上へと消えていく。
少女は涙を隠さぬまま、身を搔きむしる。
堪えるように。抗うように。────苦しそうに。
……動かない身体に鞭を打って、手を伸ばす。
その姿が、あまりにも可哀そうだったから。
その姿を……どうしても放っておけなかったから。
「どうして、泣いてるんだ……貴女は、どうして、そこにいる……?」
少女の嘆きが、ぴくりと止まる。
“どう、して? ”
”どうして、って……何故、そんなことを言うの? ”
永遠に思えるほどの停滞を経て────少女は、笑った。
“
その笑みは。
おぞましい歓喜に満ちていた。
/
『これは貴方の手にあるべきもの』
『その業を喰らい、貴方という存在がどれほど絢爛たる様を魅せるか……いずれ死合う時を楽しみにしている』
/
気付いた時には闇が晴れていた。
みんみんと蝉が鳴いている。騒々しく、暗い気配をかき消すように。
「…………は、ぁ」
なんだったんだ、今のは。
胸に手を当てれば、どくどくと心臓が激しく動悸していた。単純な運動ではこうはならない、極度の緊張に晒されたが故の苦しさ。
「…………」
あの少女は……まさしく、バケモノだった。
言葉にすれば陳腐だが、それ以外にどう形容すればいいのか。
理解できない。理解が及ばない────だと言うのに、何故俺は────違う。今はそうじゃない。
ふう、と息を吐き、懐に仕舞った眼鏡を取り出す。
震える手でカチャリとかければ、見慣れたレンズが世界を覆った。
…………ああ。
見たくないものが、よく見える。
「…………望月」
俺が組み敷いていた少女からは、もう何の力も感じなかった。
彼女を操っていたクソ野郎が消え失せたからだろう。あの闇に俺を呑み込んでおいて退く意味はわからないが、事実としてそうである以上は受け入れるしかない。
ここにあるのは単なる死体だ。
もう二度と動かない、肉の塊だ。
「…………」
望月の頬に触れる。
冷たく、硬い。紛れもない有機物であるのに、無機質な感触が手に伝わってきた。
────俺は、眼鏡を外しているときは、あらゆる事柄に鈍感になる。
そのように育てられてきた。そのように調整されたのだ。だから戦っているときは望月の肉体を削ぎ落とすことになんら躊躇いを覚えなかった……それが人でなしの所業だとしても。
望月の死を理解していても、それはただの事実であり、俺の感傷を交えることはない。
だから今。
ようやく俺は、望月が死んでいることを、実感した。
「……………………ごめん」
ぽつり、と謝罪が漏れる。
……それは、誰に対しての謝罪なのだろうか。
望月に対してか。望月を大切に思う人に向けてか。あるいはその両方か。
わからない。それすらわからない分際で謝られても、かえって迷惑だろう。
それでも言わずにはいられなかった。
「ごめん、俺が……俺が、関わらなければ。俺に関わらなければ……よかったのに」
俺があのとき、家を出なければ。
いつも通り、閉じていれば。
彼女が、俺を無視していれば。
……もっと昔、親父がアイツを仕留めていれば。
意味のない戯言だ。泣き言だ。どうしようもない、
もしそうなったところで結末はわからない。でも、それでも……今よりはずっとマシだろうと思うのだ。
俺が望月と友達になれなくても。
その結果望月が死んでしまうより、ずっとずっとマシだった。
「……ごめん」
どうして望月が死んでいるのに、俺が生きているんだろう。
死ねよ。死んでしまえ。生きてる価値もないのに────もう誰も、俺の生を祝ってくれる人はいないのに。
親父も、望月も、名も知らぬ母親も、全員俺を置いて逝ったのに。
「………………」
視界が霞む。
そんな資格があるはずもないのに、とめどない涙が頬を伝う。
拭う気力もすでになく……抑えるように、断ち切るように、俺はゆっくりと目を閉じた。
…………遠くで蝉が鳴いている。
肌を焼くような熱とともに、俺の五感を
いっそこのまま、俺の命が望月の肉ごと朽ちてしまえばいいのにと────薄らいでいく意識の中で、俺は、心の底からそう願った。
『──────…………………………許さない』
「…………キリハラ?」
……幻聴か。
最期まで縋るなんて、本当にどうしようもないな、俺は。
「なんで泣いてんの……ってかなんでアタシ、こんなとこで……」
「…………キリハラに押し倒されてんの??? ちょっと待って、さすがに意味不明なんだケド!? えっ、ちょっと退いて、さすがに恥ずいってぇ!」
でもまあ、こんなに騒がしいなら、最期まで退屈せずに済みそうだ。
「……おい、おい。退けって、重いって。なんか泣きながら笑ってんじゃねーよ怖いって!」
…………。
まさか、いや、そんな。
やっぱり幻聴だろう。にしては随分うるさいが……。
「聞こえてんだろオマエ! 顔しかめたの見えてっかんな!? そうまでしてアタシ押し倒してんじゃねーぞアホーっ!」
「ってかなんか胸元がスースーして、………………ウワアアァァァアアア制服破けてるゥーっ!? 嘘だろまたサイズ合わなくなったから新調したばっかなのに!? いやそれどころじゃ、アタシ、えっ、血、カザアナァ!?」
「っっっ、っだっから、いい加減、アタシを見ろこのバカヤローっ!!!」
────信じられないような気持ちで、目を、開く。
霞む視界がひらけていき……その輝きに、言葉にならない声が漏れた。
太陽の光を撥ねて、いっとう清く輝くそれ。
かすかに乱れた金糸の髪、その碧玉の瞳は、今でもわずかに淀んでいる。
だがそこには生気があった。
みなぎるような熱があった。
それに比べれば些細なことだ────だってそれは、もう二度と会えないと、そう思っていた光なのだから。
「そんで説明しろ! 色々! とにかくまずアタシから離れ、…………?」
ぽろぽろと涙があふれる。
「……っ、ぁ…………!」
わからない。理解できない。
こんなことは初めてだった。
自分の感情が制御できない──言葉にならない、言葉にできないなんて、そんなのおかしいじゃないか。
道理に合わない。
理屈に合わない。
なのに、なんで……俺は……。
「ごめ、ごめん、もちづ、ぁ……わからなくて、こんなのっ……!!」
……わからない。理解できない。
殺されたはずの望月が意識を取り戻している理由も。
闇の中に揺蕩う少女のことも。
アイツが俺の何を試したのかも、最後に聞こえた声の意味も。
──あふれる涙の止め方も。
何もわからない。
脳裏にとめどなく疑問が浮かんでは、形を成さずに消えていく。
洪水のような感情に押し流されて、まとまりがつかなくて……。
「……ったく、しゃーないなぁ……」
────トントン、と身中に音が響く。
「何があったか知らないけどさ。とりあえず一回、泣き止むまで泣いてみようぜ?」
呆れたように微笑む望月が、気づかぬうちに、そっと俺の背に手を回していた。
トントン、と調律するように背を叩かれ、ひゅっと息を呑み離れようとするも……動かない。身体が完全に硬直していた。
「な、にを……いいから、こんなことしなくても……!」
「暴れんなって、泣きたいときは大人しく泣くのが一番だよ。昔っからピーピー泣いてたアタシが言うんだから間違いない。……まあどんだけ泣いても誰も構ってくれなかったんだけどね」
「……それは……笑えない、ぞ」
「あはは、ごめん。アタシも気が動転してるっぽい……」
ぎゅ、と強く抱きしめられて、望月の顔が見えなくなる。
……冷たい。望月の身体は熱がない。紛れもない死体…………なのに、どうしてだろう。
温かい。
どこか、理解できない場所が……妙に、温かい。
俺もまた、かすかに──望月の身体を壊してしまわないように、少しだけ力を込めて、抱き返した。
「…………すまん。しばらく、こうさせてくれ」
「ん」
「…………もう、二度と、会えないと思ったんだ……今こうしているのだって、不確かで…………だから……ああ、くそ…………言葉が、まとまらない…………」
────結局。
俺が落ち着くまで、それなりの時間がかかり。
その間、ずっと恥をさらし続けることになったのだった。