cal.   作:オタクは末端冷え性

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 夜更けの学園。

 

 昼間はあれだけ騒がしかったというのに、今は自分の足音しか聞こえないほど静寂に包まれている。

 

 人の気配はなく、月明かりのみで照られる校舎の薄ら寒さは、気温が故か恐怖が故か。

 

 そんな校舎を、大して明るくもない懐中電灯を片手にゆっくり歩く。

 

 

「ん?」

 

 

 唐突にポケットで携帯が自己主張する。

 

 普段であれば気にならない着信の振動音も、音のない今ではひどく耳障りに感じた。

 

 取り出して通話ボタンを押すと、更に耳障りな声が聞こえてくる。

 

 

『首尾はどうだ?』

 

「気が早い。まだ来たばっかだよ」

 

 

 通話相手は勿論杉並。

 

 ……コイツの相手が勿論ってなんかイヤだな。

 

 

『今回の目的はちゃんと理解しているんだろうな?』

 

「幽霊がどうのこうのだろ?」

 

『なぜそんな曖昧なんだ。貴様から引き受けたことだろう』

 

「純一に逃げられたのを拾ってやっただけだ。ありがたく思えよ」

 

『くっ、まさか俺がヤツに遅れをとるとはな……』

 

 

 悔しげに嘆く杉並に、なんとなく日頃の行いを見返せと言いたい。

 

 

 

 

 

 

 ことの発端は本日の昼頃。

 

 純一と杉並が一時間の間に出店でどれだけのお好み焼きを集められるかという、くだらない賭けをしたことに由来する。

 

 卒パではあちこちにお好み焼きの屋台があり、大体……いや何件かは分からないが、とにかくそこら中で出店している。

 

 言い出したのは杉並であり、また杉並には秘策もあったが、純一の行動は更に上を……否、下を行った。

 

 帰ったのだ。

 

 まあおそらく杉並の様子を見て何かに勘づいたのだろう。

 

 ヤツはそのまま家に帰り、残ったのは大量のお好み焼きを抱えた杉並一人。

 

 杉並は純一に、本日中に押し付けたい案件があって賭けをしたものの、本人がいなければ話にすらならない。

 

 そんなとき、特にやることもなくのんびりとその様子を眺めていた俺が代わりに引き受けたのが、幽霊調査だった。

 

 

 

 

 

 

『俺は近頃、公園で目撃証言がある桃色のクマについて探らなくてはならない。お前にはしっかりと卒業式の幽霊について調査してもらいたい』

 

 

 お前のそれは絶対紫さんだろ。

 

 

「別になんもなくてもいいんだろ?」

 

『ふむ……まあ結果はともかく調査はしっかりと頼むぞ。一日で600件もアクセスがある風見学園オカルト研究……』

 

「うるせえ知ったことか。そもそも調査ってどこで何をしたらいいんだよ」

 

『そうか、知らんのか。実は俺も知らん』

 

「ぶっ飛ばすぞテメェ」

 

 

 何が調査なんですかね。

 

 

『まあ学校で幽霊といったら、音楽室や理科室辺りになるだろう』

 

「一般的な話ではそういうところが多かったりするな」

 

『人間、普段使いしない場所には特別な感情を抱きがちだからな。そういった場所に怪談は生まれやすいのだ』

 

 

 言っていることは分からないでもない。

 

 ただその漠然とした調査を俺に投げるのは如何なものか。

 

 

『むっ!こんな時間に遊具で遊んでいる人影……いや、あれはもしや交信か?』

 

 

 あっ。

 

 

『うん?こちらに近づいてくるとは……なっ!まさか貴様はむらさッ』

 

 

 バシュンッ!

 

 

 そんな音が通話口から聞こえてきたと同時に、通話は切れた。

 

 記憶消したんだろうなぁ……確かそういう機能あったし。

 

 携帯をポケットにしまって目線を上げると、視界の端で窓ガラスに反射した人影が映る。

 

 位置からして丁度真後ろ。

 

 ゆっくりと振り向くと。

 

 

「きゃああああぁぁっ!?」

 

「あ、本物だ」

 

 

 そこにいたのは同じ付属の制服を着た少女。

 

 こちらを見て悲鳴を上げた彼女は、身を引きながら警戒の眼差しで見てくる。

 

 

「大丈夫か?」

 

「だ、大丈夫じゃないわよ。急に目の前に出て来て……」

 

 

 まんまこっちのセリフだよ。

 

 

「こんな時間に何してるんだ。まさか寝過ごしたって訳じゃないだろう?」

 

「それはこっちのセリフよ。あんたこそ随分常識はずれな時間と場所に居るのね」

 

 

 彼女はこちらへの警戒を未だ解かない。

 

 自分から話せ、ということだろう。

 

 バカに幽霊調査を頼まれた旨を簡単に話すと、ようやく彼女の肩から力が抜けて警戒が解かれる。

 

 

「なんだ、だったらあたしと同じじゃない」

 

「同じって言うと?」

 

「あたしも幽霊を探しに来たっていう意味よ」

 

「いじめられてる?」

 

「なに言ってんのよ。自分からに決まってるでしょ」

 

 

 まあ喋り口からそういうのとは無縁そうな快活さは感じる。

 

 だからこそ、幽霊を探すという理由に疑問を感じてくるところだが。

 

 

「それじゃ、お互い見つかるといいな」

 

「ちょ……ちょっと、待ちなさいよ」

 

 

 彼女の横を通ろうとすると、すっと位置をずれて立ち塞がってくる。

 

 

「どうした?」

 

「ねえ、か弱い乙女を一人で放っておくつもり?」

 

「……」

 

「なによ、その目は」

 

 

 か弱そうではない。

 

 眞子と同じ波動を感じる……などと言えば、きっと俺の命はここで潰えるのだろう。

 

 

「どうしろと?」

 

「……目的は同じなんだし、せっかく会えたんだからさ。わざわざ別行動しなくてもいいじゃない」

 

 

 言ったのち、彼女はしおらしく俯いて上目遣いでこちらを見上げる。

 

 

「それにあたし一人じゃ、やっぱり恐くて……」

 

 

 潤んだその瞳に、溜め息を吐く。

 

 

「……はぁ、嘘泣きは止せ。素直に一緒がいいって言うなら、別に断らないし」

 

 

 彼女は潤んだ瞳をぱちぱちと瞬きさせると、ぱっと表情を明るくした。

 

 

「なんだ、案外チョロいのね?」

 

「なんとでも言ってくれ。ホントだろうが嘘だろうが、ひとが泣いてるのを見るのは嫌なんだよ」

 

「……ふーん」

 

 

 歩きだすと、彼女は隣に並び顔を覗かせる。

 

 

「ねえ、あたし霧羽香澄。あんたは?」

 

「瞬木」

 

「そっ、瞬木ね」

 

 

 

────────

 

 

 

「それで、そっちの幽霊探しの理由は?」

 

 

 大した宛もない俺たちは、頼りない懐中電灯で先を照らしながら、ふらふらと校内を歩き回る。

 

 霧羽から会話を振ってくることもないので、こちらから話題提供を。

 

 

「……ちょっとね」

 

 

 自分の目的について語るつもりはないらしい。

 

 

「今年こそ、見つけてみせるんだから」

 

 

 自身に言い聞かせるように、そう小さく呟く彼女。

 

 口振りからすれば、毎年この時期に探しに来ているのだろうことが分かる。

 

 

「で、どこに向かうの?」

 

「さてなぁ」

 

「目的地とかないの?幽霊だってその辺をふらふらと歩いてるとは思わないんだけど」

 

「一応どこか見に行くなら、音楽室とか理科室になるのかな」

 

「へえ、いいじゃない」

 

「まずは音楽室かな。すぐそこだし」

 

 

 一応杉並の遺言通りに、寄り道しながらも音楽室手前までやって来た。

 

 すると。

 

 

───ぴん、ぽん、ぽん

 

 

「……」

 

「なっ……なによ、今の……」

 

 

 音楽室の中から、不意に木琴の音が鳴り響いてくる。

 

 

「木琴だろうな」

 

「う、嘘よ、嘘!あたしはなーんも聞こえてこなかったんだからっ!」

 

「いや、嘘もなにも……」

 

 

───ぽん、ぴん、きん、こん

 

 

「鳴り止まないわけですけども」

 

 

 耳を塞ぎ、目を強く瞑る彼女を嘲笑うかのように鳴り響く音色。

 

 曲を奏でているようには聞こえない。

 

 あまりにも不規則で……それこそ、子どもが悪戯に音を鳴らしているかのような。

 

 

「どうする?俺は見に行くけど」

 

「無理っ!あたしは絶っっっ対入らないから!!」

 

「さいですか」

 

 

 梃子でも動かないという姿勢の霧羽をおいて、音楽室の中に入る。

 

 真っ暗な室内を懐中電灯の明かりで、音のする方を照らしつつ近づくと。

 

 それは、いた。

 

 

「……」

 

「……んぅ」

 

「……」

 

 

 照らした彼女に近づいてその肩を揺すと、演奏らしきナニかは止まる。

 

 

「んん……ふぁ……」

 

「起きてください、萌さん」

 

「あれぇ?なんでこんな真っ暗で……どうして瞬木くんが?」

 

 

 萌さんの姿は白装束であり、卒パで着ていた衣装のまま眠っていたのだろう。

 

 伸びをして机に突っ伏した彼女は、布の塊と化している。

 

 

「あはは……どうやら眞子ちゃんを待っているうちに、寝ちゃってたみたいですねぇ」

 

 

 もはや寝ながら木琴を叩いていたことには驚くまい。

 

 

「もう夜更けですよ。早く帰らないと眞子も心配してるかと」

 

「そうですねぇ。急いで帰らないと」

 

 

 言いながらも彼女は、まるで急ぐ様子もなくゆっくりと立ち上がる。

 

 

「それじゃあ瞬木くん、また新学期に~」

 

「気をつけて帰ってくださいね」

 

 

 それだけ言って萌さんはこちらにお辞儀をすると、音楽室を出ていった。

 

 ……その姿のまま帰ったら、帰路はともかく家で出迎えるであろう眞子が泣き叫ぶと思うんですけど。

 

 まあ、大丈夫だろう。

 

 

「さて、まだ廊下にいるかな」

 

 

 先程まで一緒に来ていた彼女は、律儀に廊下で待っているのだろうか。

 

 音楽室を出て左右を見渡すと。

 

 

「どうだったのよ?」

 

「急に隣に出てくるなよ」

 

 

 右向いて、左向いて、もう一度右向いたらすぐ隣にいるんだから、ホラーでしかない。

 

 

「色々あってな、知り合いだった」

 

「知り合い?」

 

「なんつうか……俺たちにはまだ早すぎる次元の人なんだよ」

 

「なによそれ」

 

 

 こちらの意味不明な言葉に呆れて肩を下げ、溜め息を吐く霧羽。

 

 悪いな、俺にもあの人は説明できないんだ。

 

 なにも言えることがないので、次の場所に向かって歩き始める。

 

 

「まあ、そうよね。あの子があんな下手くそな訳ないし……」

 

 

 小さく呟くと、追って隣に並ぶ霧羽。

 

 失礼なヤツだ、前衛的と言ってさしあげろ。

 

 

「それで、次はどこ行くの?」

 

「理科室。ついでに隣の準備室も覗こうかなと」

 

 

 目的地を聞いた途端、彼女は露骨に嫌そうな顔をする。

 

 

「恐くてイヤ?」

 

「……別に、恐いなんて、言ってないでしょ」

 

 

 喉を震わせて出た声には、上手いことビブラートがかかっている。

 

 別に恐がることは恥ずかしいことじゃないだろうに。

 

 

「ほら、行くならさっさと行きましょっ。夜更かしはお肌に良くないし」

 

 

 透き通るほどに肌白いけどな、霧羽。

 

 

「そんな肌を犠牲にしてでも、幽霊を見つけたいわけか」

 

「……そうよ」

 

 

 

────────

 

 

 

 もう少しで理科室に着くところで、霧羽が口を開いた。

 

 

「ねえ、瞬木」

 

「ん?」

 

「あんたさ、兄弟とかいる?」

 

 

 唐突な話題に、目線だけ彼女に向けた。

 

 隣を歩く霧羽は俯いており、どこか上の空に見える。

 

 まるでなにかに想いを馳せているかのような。

 

 

「いないよ。一人だったから」

 

「……そう」

 

 

 虚ろな返事だけで、彼女は口を閉ざしてしまった。

 

 

「着いたぞ、理科室」

 

 

 目の前には理科室の扉と、理科室に隣接するように並んだ理科準備室の扉。

 

 特に何かを思うこともなく、理科室の扉に手をかけるが。

 

 

「なにしてるのよ」

 

「鍵掛かってるわ。開かない」

 

「ここまで来て無駄骨ってこと?」

 

 

 扉にかけた手に少し力を加えても、当たり前だが扉が開くわけもない。

 

 勿論鍵なんて持っていないので、諦めざるを得ないわけで。

 

 

「開かないなら仕方ないな」

 

「そうよねっ、開かないんだから仕方ないわよ」

 

 

 どうみても安心しているように見える霧羽を尻目に、理科準備室の扉も確認するが、やはり開くことはない。

 

 

「仕方ない。次に行くか」

 

 

 そう言って理科準備室の扉から手を離し、目を逸らしたその瞬間。

 

 

───ガタンッ!

 

 

「ひっ」

 

 

 準備室の中から何かの物音が聞こえてきた。

 

 それに反応して、霧羽の肩がびくりと跳ねる。

 

 

「……なんだ今の」

 

「な、何かが倒れただけでしょ。きっとそうよ」

 

 

 もう一度理科準備室に視線を戻すと、変化に気づく。

 

 ほんの少し、扉が開いている。

 

 先程閉まっていることは、確かにこの手で確認したはずなのに。

 

 

「なによ、扉開いてるじゃない。あんたこそ入りたくなくて、鍵掛かってるフリしてたんじゃないの?」

 

「……いや」

 

 

 隣から向けられる疑惑混じりの視線を無視して、ゆっくりと扉を開ける。

 

 古臭く埃っぽい部屋に、戸棚で管理されている薬品。

 

 まあ雰囲気だけなら学内で一番それっぽい場所かもしれない。

 

 

「ね、ねぇ……電気つけちゃ、駄目?」

 

「明かりがついた部屋じゃ、幽霊も居づらいだろ」

 

「でも……ほらアレ!あそこに人影が……」

 

 

 震える腕を上げて彼女が指差す先には、奥の窓から差し込む月明かりに照らされた人の形をした影。

 

 後ろから照らされたソレの表情は闇に染まっており、ただそこに在ることが当たり前であるかのように佇んでいる。

 

 ソレは間違いなく。

 

 

「いやそれ人体模型」

 

 

 持っている懐中電灯で照らすと、その姿が露になる。

 

 微光に照らされた人体模型は昼に見る姿の数倍は気色悪く、不気味さを跳ね上げている。

 

 

「わ、分かったから照らさないでよっ。余計に気味悪いじゃない」

 

「はいはい」

 

 

 光をずらした先で骨格模型が一瞬照らされ、目に入った霧羽は「ひぅっ」と情けない声を漏らす。

 

 というか人体模型とか骨格模型とかは生物室の方に置いておくべきじゃないか?

 

 暦先生的に邪魔だからって即退かされるだろうけど。

 

 

「もういいじゃない。何もいないみたいだし、さっさと出ましょ?」

 

「え、物音とか扉が開いた理由を……」

 

「うぅ……」

 

 

 扉のそばで縮こまっている霧羽を見るに、限界らしい。

 

 明らかに嘘泣きの時より表情が深刻そうで目が潤んで……いや、もはや半泣き状態。

 

 

「分かった、出ようか」

 

「……うん」

 

 

 いつもの威勢は消え去り、完全に鳴りを潜めてしまった。

 

 そんな彼女を連れて部屋を出て、廊下で少し落ち着かせる。

 

 

「大丈夫か?」

 

 

 窓枠に寄りかかった彼女が小さく頷く。

 

 

「そもそもこんなところに明日美がいるわけないのよ……あの子はあたしと同じで恐がりだったんだから」

 

 

 不貞腐れているのか、自嘲しているのか。

 

 吐き出すように呟かれたその言葉を拾い上げる。

 

 

「そろそろ話してくれるか?霧羽の言うその子のことを」

 

「……」

 

 

 霧羽は短く息を吐くと、視線を下げたまま話す。

 

 

「明日美は……あたしの妹。三年前の今日、事故で死んじゃったの」

 

「……」

 

「あたしはね、妹の霊に会いに来たの」

 

 

 霧羽曰く、その明日美という妹は生まれつき重病を患っており、学校に通うこともままならないほどだったという。

 

 お姉ちゃんと一緒の学園に行きたい、という妹の願いを叶えてあげたかった香澄は、せめてもということで卒パに誘った。

 

 何日も前からその日を楽しみにしていた明日美だったが、現実は非情だった。

 

 

「どの教室をどんな風に回るんだって、計画まで立ててたのにね」

 

 

 当日、卒業式が始まる前に学園に訪れていた妹の容態が急変し、卒業式を投げ出して父親の車に乗った香澄は、弱りきった明日美を抱きかかえて学園を出た。

 

 生きて、と。

 

 死んじゃだめ、と。

 

 必死に明日美に呼びかけていた香澄。

 

 そして次の瞬間に。

 

 

「あたしとお父さんは奇跡的に助かったけど、明日美だけは……」

 

「…………」

 

「あたしがもっと、しっかりあの子を抱き締めてあげてれば……変わったのかな」

 

 

 たらればでしかない。

 

 少なくとも、霧羽が自責に駆られる理由はどこにもない。

 

 

「一日だけ現れる幽霊の噂を聞いたとき、もしかしたらって……あの子は卒パをずっと楽しみにしてたから」

 

 

 救いのない、惨い話だ。

 

 本当に……本当に。

 

 

「なんであんたがそんな辛そうな顔するのよ」

 

 

 言われて霧羽を見ると、落ち着いたのか柔らかい表情をしている。

 

 

「優しいんだ、瞬木って」

 

「……優しくないよ。俺は決して優しくなんかない」

 

「他人であるあたしの話を聞いて、そんなに思い悩んでくれたんだもん。優しいよ」

 

 

 そんな事ない。

 

 俺はただ霧羽の苦しみを勝手に想像し、自分で理解した気になって満足をしてるに過ぎない。

 

 それに俺は……。

 

 彼女は窓の外の月に視線を移し、目を細めて見つめる。

 

 

「あんまり悲観しないでよ。あたしはあんたがそんな風に悲しんでくれただけで……少しでも気持ちを分かってくれただけで、嬉しいんだから」

 

 

 

────────

 

 

 

「明日美はね、本を読むのが大好きだったの。あたしに似て、頭も良かったんだから」

 

 

 図書室の本棚の隙間を縫うように、二人でゆっくりと歩く。

 

 懐中電灯で通路を一つずつ照らしていく。

 

 

「明日美はもう、卒業しちゃったのかな」

 

「卒業?」

 

「そう。あれからもう三年経ったんだしさ」

 

 

 普通に学生として過ごしていれば、順当に卒業していたであろう時間。

 

 霧羽自身でも妙なことを言っている自覚はあるのだろう。

 

 彼女の表情には、若干の諦念を感じた。

 

 

「……違う、そうじゃない」

 

「えっ?」

 

 

 一通り図書室を見て回り、窓際の読書スペースにある卓上に腰掛ける。

 

 

「霧羽の妹が未練を抱くなら、きっとそれは学園を卒業したいという望みが未練になったんじゃない」

 

 

 霧羽も同じように机の上に腰掛ける。

 

 肩が触れそうなほどに、近くに。

 

 

「何よりも、姉妹で今日という時間を一緒過ごすことが望みだったはずだ」

 

「……それは」

 

「それだけ姉妹を思う気持ちが強いのに、一目見ることすら叶わずに成仏なんてできるわけがない」

 

 

 そもそもの存在の有無は分からない。

 

 だが霊になるほどの執着が、時間の経過ごときで薄れるわけがない。

 

 俺は俯きながら呟く。

 

 

「火のない所に、煙が立つことはない。もし本当に霊となったなら、必ず見つけられる」

 

「瞬木……」

 

「諦めるのは、全部見回ってからにしよう」

 

 

 情けないものだ。

 

 こんな薄っぺらな言葉しか、かけられない。

 

 

「……ねえ、瞬木。じっとしてて」

 

 

 霧羽の声に反応して隣を向くと、目元が彼女の手に遮られて。

 

 

 

 

 唇にひやりとした柔らかい何かが、一瞬触れた気がした。

 

 

 

 

 手が退けられると、間近にある霧羽の顔。

 

 幽かに潤んだ瞳。

 

 仄かに朱が混じった透き通る肌。

 

 ふわりと揺れる重さを感じない髪。

 

 

「霧羽……」

 

「嬉しかったから。あたしたちのこと、受け止めてくれて」

 

 

 身を乗り出している霧羽の姿勢は変わらない。

 

 息がかかりそうなほど近く、互いに目を逸らさない。

 

 どちらかが少しでも近づけば、また……

 

 刹那、ギィ……と扉が開く音が聞こえて、入り口に顔を向ける。

 

 そして図書室は温かみのない明かりに煌々と照らされた。

 

 

「人影があると思ったら……なんだ瞬木じゃないか」

 

「ああ、どうも」

 

 

 照明のスイッチに手を置いているのは暦先生だった。

 

 

「こんな時間に見回りですか?」

 

「帰る前にね……って、あたしのことはどうだっていいんだよ。こんなところで何してる」

 

「いやー、卒パで人混みに疲れて突っ伏してたら、ぐっすり眠っちゃいまして」

 

 

 幽霊調査です、なんて言おうものなら俺が幽霊にされかねない。

 

 

「はぁ……あたしももう帰るから、お前もさっさと帰れよ」

 

「そうします。先生もお疲れ様です」

 

「まったく、お前も杉並たちと絡んでるだけはあるな……」

 

 

 心外が過ぎるお言葉です先生。

 

 部屋を出た暦先生のこつこつという足音が微かに響き、遠ざかっていった。

 

 

「……行った?」

 

「ああ。あの人で運が良かったよ」

 

 

 他の先生ならまず間違いなく説教が始まっていただろうからな。

 

 霧羽は机の下からひょこっと顔を出して辺りを見渡すと、安堵したようで深く息を吐く。

 

 

「さて、先生も帰っただろうし……時間の限り見て回るか」

 

「うん。行こっ」

 

 

 図書室の電気を消し、彼女を連れて廊下に出た。

 

 

 

────────

 

 

 

「もうほとんど見て回ったわよね?」

 

「まあ、そうだな」

 

 

 図書室を出てから校内のあちこちを見て回ったが、手掛かりなどは一切なく時間だけが過ぎていった。

 

 

「あのさ。もう……」

 

 

───チリン、と。

 

 どこからか鈴の音が耳に入る。

 

 するとポケットに入れた携帯が震えだした。

 

 隣の霧羽は背伸びして携帯を覗き込んでくる。

 

 届いたのは一通のメール。

 

 

『ナカニワニイルヨ』

 

 

 文面を見た霧羽は目を見開くと、すぐさま外に駆け出していった。

 

 追いかけなければいけないのに、足はあまりにも重かった。

 

 

 

 

 

 

 中庭にいた女の子は、霧羽に……香澄によく似ていた。

 

 見知らぬ学園の制服を着た彼女は、血色のいい頬に涙を流しながら、香澄を見据えていた。

 

 

「明日美……ここにいたんだ」

 

「お姉ちゃん……ごめん、ごめんね。お姉ちゃんを一人にして……」

 

「ほら泣かないの。三年で随分背も伸びたのに、泣き虫なのは相変わらずなんだから」

 

 

 優しい顔をする香澄。

 

 俺と話す時とは違う、親愛に満ちた姉としての香澄の姿がそこにあった。

 

 

「ごめんね、お姉ちゃん……」

 

「もうっ、やめなさいよ。明日美が謝ることなんてなにもないじゃない」

 

「だって……だってお姉ちゃんは……」

 

 

 泣きじゃくる彼女が口を開く前に、瞼を閉ざす。

 

 これは、俺なりの逃げなのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

「お姉ちゃんは、わたしのせいで……死んじゃったから」

 

 

 

 

 

 

 静寂が場を包む中、ゆっくりと瞼を開く。

 

 香澄は静かだった。

 

 こくり、と。

 

 半ば無意識だろう香澄の首は、小さく縦に振られる。

 

 

「そっか……そうだったね……」

 

 

 香澄の様子は、どこか清々しさすら感じた。

 

 

「瞬木」

 

 

 俺を呼ぶ香澄の表情は、笑顔だった。

 

 

「バカよね、あたし。自分が生きてるって勘違いしてたんだから」

 

「……」

 

 

 誤魔化すように小さく舌を出す香澄の笑顔に翳りはない。

 

 

「あの事故の時、お姉ちゃんはわたしを庇って大怪我して……」

 

 

 涙を流し、上擦る声を抑えながらたどたどしく彼女は呟く。

 

 

「最後の瞬間まで、意識を失わないで……『あたしの心臓を明日美に』って……」

 

 

 何度も喉を詰まらせ、震えながら。

 

 思い出しているのだろう、最期の時を。

 

 

「あたし、明日美の手術が上手くいったか心配で……ここにいたら、いつか明日美が会いに来てくれるんじゃないかって、そう期待して」

 

 

 香澄はもう一度しっかり彼女の姿を見ると、深く頷く。

 

 

「でも、これで安心した。もうなんの心配もいらないのね?」

 

「うん……わたしね、水泳だってできるようになったんだよ」

 

「へぇ、そりゃ大したものね」

 

「お姉ちゃんが、わたしに命をくれたから」

 

 

 胸が苦しい。

 

 二人の話を聞くのも、ここに居合わせているのも。

 

 胸が、酷く苦しい。

 

 

「瞬木、ごめんね」

 

 

 そんな俺の様子を見て、香澄は僅かに手を伸ばす。

 

 無意識に、応えるように伸ばした俺の手は。

 

 繋がれることはなく、すり抜ける。

 

 なに一つ掴むことはない。

 

 ただの虚空のみが、そこにある。

 

 

「ちゃんとキス、したかったな」

 

 

 伸ばした手を下げた香澄は儚げに笑い、頬に涙が伝っている。

 

 泣くなよ。

 

 言ったろ、泣かれるのは好きじゃないって。

 

 最後まで笑っていてくれ。

 

 

───チリン、と。

 

 

 鈴の音が、別れの時を告げる。

 

 香澄の身体がふわりと浮かび、ゆっくりと空に溶けゆく。

 

 

「泣かないの明日美。せっかくあたしがイノチをあげたんだから、あたしの分まで長生きするのよ?」

 

「うん……っ」

 

「お父さんとお母さんの言うことはちゃんと聞いて、いい子にするんだよ」

 

「うんっ……う、ん……お姉ちゃんっ……」

 

 

 何度も、何度も頷いて。

 

 最期を決して見逃さないように。

 

 溢れる涙をそのままに、姉の姿を見届けている。

 

 

「彼氏の宛てが見つからなければ、そこの瞬木を譲ってあげる。顔も悪くないし察しも良いし、なにより優しいヤツだから」

 

 

 緩んだ頬で、香澄の溶けゆく姿を見守る。

 

 

「じゃあな、香澄」

 

「……うん。じゃあね、二人とも。ずっと先のことになるだろうけど、また会おうねっ」

 

 

 明るく笑って手を振った香澄が身を翻した時、最後の鈴の音がなる。

 

 

───チリン、と。

 

 

 その音と共に、香澄の姿は完全に夜空に溶けた。

 

 

「うっ……ぁぁっ……お姉ちゃんっ……お姉、ちゃ…………あぁぁあっ……!!」

 

 

 崩れ落ち、咽び泣く彼女を、月明かりが仄かに照らす。

 

 見上げた月は、ただ美しくそこに在った。

 

 

 

────────

 

 

 

「ありがとうございます……」

 

「いいよ、気にしないで」

 

 

 ベンチで座る彼女の肩に制服をかけ、俺はベンチの背面に寄りかかるように立つ。

 

 

「わたしは、島の外の大きな病院で移植手術を受けたんです」

 

 

 移植に成功し、快復した後もそのままその土地の学園に通うことを選んだ彼女は、ある時ネットで風見学園を検索したとき、幽霊のことを知ったらしい。

 

 それを姉ではないかと思った彼女は、一縷の望みに賭けて事故の日と同じ卒業式の今日、訪れたそうな。

 

 

「あの日、本当ならお姉ちゃんはここを卒業するはずだったんです。でも、わたしが心臓発作を起こして……」

 

 

 ぎゅっと、心臓の位置に両手を重ねて続ける。

 

 

「お姉ちゃんがもし幽霊になったのなら、きっと卒業式に出たかったんじゃないかって思って……」

 

「結果としてあいつは、ただ君と今日を共にしたかっただけで。元気な君を一目見たい一心で、ここに残り続けた」

 

 

 彼女は静かに頷いた。

 

 見上げた空の端は、既に夜明けの兆しを見せている。

 

 白んだ遠くの空が、長かった一夜に終わりを告げようとしていた。

 

 

「もうそんな時間か。随分と長い夜だった気がする」

 

「そうですね……」

 

 

 

 

 

 

「また、ここに来てもいいでしょうか?」

 

 

 二人で校門まで歩いてきて、彼女は後ろを振り返り学園を眺めた。

 

 

「好きに来るといい。ここの連中なら、誰であれ喜んで案内するだろうから」

 

「貴方がいいです」

 

 

 思わぬ即答だった。

 

 学園に向けていた視線を、彼女はこちらに戻す。

 

 

「お姉ちゃんが信じた貴方に、案内してほしいです」

 

「……指名料金取らなきゃな」

 

「ふふっ、勿論いいですよ」

 

 

 にこやかに笑う彼女の表情は、あまりに香澄と重なって見えた。

 

 

「初音島は、本当に不思議な場所です。島の外で暮らすようになってから、より強くそう思うようになりました」

 

「まあ一年中桜が咲き乱れてる時点で、相当ヤバいからな」

 

「ええ、本当に。お姉ちゃんとこうしてもう一度会えたのも、きっとその不思議のお陰なんでしょうか」

 

「かもね。俺はそんなヘンテコなこの島が大好きなんだ」

 

「わたしもです。いつかここに戻ってきて、今度はわたしが誰かを救う手助けがしたいです 」

 

「いい夢だな」

 

 

 立派な夢だ、どうか叶えてほしい。

 

 香澄のためにも。

 

 

「それじゃ……」

 

 

 彼女は唐突に身を乗り出すと、俺の頬にさっと温もりを残した。

 

 ほんの一瞬……しかし、確かな唇の感覚を。

 

 

「……お姉ちゃんには、内緒ですよ」

 

 

 頬を赤くしながらも悪戯っぽい笑みを浮かべた彼女は、頭を下げると軽やかに去っていった。

 

 誰かさんそっくりじゃんか。

 

 

───チリン、と。

 

 

 何度目かの鈴の音がなり、続くように携帯が震える。

 

 取り出すと、メールが一件。

 

 

『アスミノコト ヨロシクネ』

 

 

「ったく……」

 

 

 携帯をしまって、沈みかけた白い月を見る。

 

 何が見えるわけでもない。

 

 

「悪いな、香澄」

 

 

 そんな白い月に背を向け、白んだ空へと向かって歩きだした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────────D.C.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『俺は近頃、公園で目撃証言がある桃色のクマについて探らなくてはならない。お前にはしっかりと卒業式の幽霊について調査してもらいたい』

 

 

 お前のそれは絶対紫さんだろ。

 

 

「別になんもなくてもいいんだろ?」

 

『ふむ……まあ結果はともかく調査はしっかりと頼むぞ。一日で600件もアクセスがある風見学園オカルト研究……』

 

「うるせえ知ったことか。そもそも調査ってどこで何をしたらいいんだよ」

 

『そうか、知らんのか。実は俺も知らん』

 

「ぶっ飛ばすぞテメェ」

 

 

 何が調査なんですかね。

 

 

『まあ学校で幽霊といったら、音楽室や理科室辺りになるだろう』

 

「一般的な話ではそういうところが多かったりするな」

 

『人間、普段使いしない場所には特別な感情を抱きがちだからな。そういった場所に怪談は生まれやすいのだ』

 

 

 言っていることは分からないでもない。

 

 ただその漠然とした調査を俺に投げるのは如何なものか。

 

 

『むっ!こんな時間に遊具で遊んでいる人影……いや、あれはもしや交信か?』

 

 

 あっ。

 

 

『うん?こちらに近づいてくるとは……なっ!まさか貴様はむらさッ』

 

 

バシュンッ!

 

 

 そんな音が通話口から聞こえてきたと同時に、通話は切れた。

 

 記憶消したんだろうなぁ……確かそういう機能あったし。

 

 携帯をポケットにしまって目線を上げると、視界の端で窓ガラスに反射した人影が映る。

 

 位置からして丁度真後ろ。

 

 ゆっくりと振り向くと。

 

 

「きゃああああぁぁっ!?」

 

「おお、うるさい」

 

 

 そこにいたのは同じ付属の制服を着た少女。

 

 こちらを見て悲鳴を上げた彼女は、身を引きながら警戒の眼差しで見て……

 

 

「瞬木……?」

 

「……は?」

 

「瞬木、瞬木よねっ?なんであたしまたここに……あたしはあの時消えたはずじゃ……」

 

「………………は?」

 

 

 なぜ、香澄の記憶が残っている?

 

 

 

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