とある魔術の人間讃呪(ブラスフェミー)   作:海野波香

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第1章 隠れざるオカルティズム ――Unoccult Occultism
一話:その晩夏は自由研究のために


 それは確かに不幸と言えば不幸なのだが、それはそれとして理不尽だと切って捨てるには少々責任を感じる話だった。

 激動の夏休みを経て、上条は多くの学びを得た。しかし、残念ながら学園都市の宿題というものは錬金術師の黄金錬成で右腕を斬り飛ばされた経験や、図らずも『御使堕し』の儀式場になってしまった実家を級友に吹き飛ばされた経験で進みがよくなるものではない。

 自己弁護が許されるのなら、こう言いたい。精一杯やったのだ。数学の問題集も、読書感想文も、多少のズルをしたことは否めないが、こなそうとはしたのだ。

 しかし、無情にも担任である小萌はその幼女さながらな童顔に圧すら感じさせる笑みを浮かべて、上条にこう宣告した。

 

「他の課題は補講で上条ちゃんのお馬鹿さんレベルを改善すればいいですけど、『自由研究』だけはちゃんと出さなきゃだめなのですよー?」

 

 猶予に猶予を重ねてもらい、9月11日。

 残暑どころかいよいよもって暑さを増した学園都市で、『自由研究』に頭を悩ませる放課後がやってきた。

 学園都市の『自由研究』というものは、一般的な工作やレポートとは一線を画す。割り箸とカップヌードルの空きカップで貯金箱を作れば急場を凌げるような世界ではない。

 能力開発のため、自助努力の一環として可能性を模索したという挑戦の記録。夏休みにどんな挑戦をしたかを事細かに記録し、調整に反映するための研究資料。それが学園都市の学生に課される『自由研究』なのだ。

 

「いいか、そういうわけだから今日の買い物には予算の余裕なんて全くない。買い食いは一切禁止だぞ。ハンバーガーだろうと、ホットドッグだろうとな」

「やっぱりそれってちょっと変かも。だって、とうまはレベル0だから能力開発の担当者だっていないんでしょ?」

「こういうときだけ鋭いよなお前……それを言っちゃあ宿題なんて全部上条さんには関係ありませんのことよ。つか、学生なら誰もが思うんだよ。宿題なんてやって何の役に立つんだーってな」

 

 ふうん、と釈然としない様子で相槌を打つインデックスは、別に学園都市の宿題システムが不合理であると糾弾したいわけではないらしい。彼女の出自と完全記憶能力という特性を思えば、どんな宿題も馬鹿馬鹿しく見えるのかもしれないが。

 それどころか、興味自体さほど強いわけではないのだろう。その証拠に、彼女の視線はアイスクリームの自販機に釘付けだった。

 学園都市の技術を惜しみなく投じ、ジェラートからトルコアイスまで幅広く取り揃えたアイスクリーム自販機。アニメ『超機動少女カナミン』の放映時間にCMを打っており、コラボグッズまで展開されている。第二弾はラバーキーホルダー。

 当然、機械に疎いインデックスでも「アイスクリームを売っているカナミン関係の箱」の存在くらいは認知しているというわけだ。

 コンクリートジャングルの晩夏に濃厚なパッションフルーツのジェラートはさぞ合うことだろう。インデックスがごくりと喉を鳴らすのがすぐ隣から聞こえた。

 

「買わねーぞ」

「む。別に買ってほしいなんて一言も言ってないかも。敬虔なシスターである私がこの程度の誘惑に屈すると思ったら大間違いなんだよ」

「屈してんじゃねーか歩く向きが完全にロックオンしてんだよ! 今日は『自由研究』の資料集めに使う金しか下ろしてきてないからな!?」

 

 放っておいたら自販機に吸い付きそうなインデックスを引きずりながら、上条はなんとか今日の買い物の目的地へと辿り着いた。

 今日の上条には作戦があった。インデックスという居候を退屈させることなく、それらしい自由研究を手早くやっつける作戦が。この作戦さえ成功したならば、インデックスにアイスクリームを進呈するくらいのことは喜んでするつもりだった。

 その作戦を成功させる鍵は、この第七学区の片隅にひっそりと佇んでいた。

 

「『灰谷堂(はいやどう)』……看板だけで、何のお店か書いてないね。ショーウィンドウも開いてないし、ちょっと怪しい雰囲気かも」

「怪しい、か。ある意味当たりかもな」

 

 たとえるならばそれは、いつ潰れるかわからない古本屋のような寂れた建物だった。

 本来であれば今話題の商品や売り込みたい商品が展示されるはずのショーウィンドウにはブラインドが降ろされ、その内部は街から完全に隔離されている。ドアにまでスモークガラスを使う徹底ぶりだ。

 なぜそこまで外界と切り離した空間で店を構えているのか。それには扱っている商品の特性と、そして訪問客の傾向が深く関わっているらしい。

 

「とりあえず、入ってみるか。このまま立ってたら熱中症になっちまうからな」

 

 白いシスター服の下に汗を伝わせながらこちらを見上げるインデックスの手を引いて、上条はその重いドアを引いた。寂れた見た目に反して手入れはされているのか、軋みすらせずに扉が来客を迎え入れる。

 その隙間から垣間見えた光景に、インデックスが小さく息を呑んだ。

 情報提供者である青髪ピアスに曰く、この店は密かにこう呼ばれているらしい。

 学園都市唯一のオカルトショップ、と。

 

 

とある魔術の人間讃呪

 

第一章 隠れざるオカルティズム

 

 

 まず感じたのは、鼻腔をくすぐる香りだった。

 少し煙たく、それでいて鮮やかな緑を感じさせる軽やかさがある。香水のような華やかさとは違う、重く、どこか神聖さすら感じさせるその香りは、ドアを開けてすぐの棚に置かれた香炉から漂っていた。

 

「……ケルト式のインセンスパウダー。ベースはホワイトセージだけど、乳香も混ぜてるね。意味としては霊装の浄化と初期化。だけど……」

 

 インデックスが戸惑ったように棚を見上げる。

 ここはさながらオカルトの見本市だった。水晶玉の隣には化粧箱に収められたタロットカードが並べられ、その下の段には草食獣の頭蓋骨が置かれている。箱詰めされた石に刻まれている見覚えのある模様は、もしかしてルーン文字だろうか。

 こう言ってはなんだが、いかにもな胡散臭い空間だった。入口に焚かれた香まで含めて、すべてが胡散臭い。

 

「とうま、まさかここって……」

「いや、心配ねえよ。ここの店主はこっち(科学)の人間で、小萌先生の友達だそうだからな」

「こもえの? うーん、それならまあ、いいんだけど……」

 

 インデックスは眉根に皺を寄せて小さく唸った。

 安全な店であることは確認済みだ。ここにはオカルト趣味の寄せ集めしかない。あの土御門も妹のために何度か訪れているというから、お墨付きをもらったようなものだろう。

 しかし、そうなると疑問が生じる。

 

「なんでこの学園都市(科学の都)にオカルトショップがあるのか、お前が引っかかってんのはそこだろ? そりゃ、この都市でオカルトを信じてるなんて言ったら馬鹿にされるのが当たり前だからな。でも――」

 

 説明しようとした言葉は、店の奥から現れた人影に遮られる形で続きを奪われた。

 

「自己暗示で『自分だけの現実』を補強するにあたっては、その限りではない。そのオカルトがどんな類のものであれ、隠秘学的な恍惚というのは、言ってみれば内奥における自我の確立と拡張そのものだからね。……はじめまして、かな?」

 

 小首をかしげて薄っすらと微笑んでいるその女性こそ、今日この店を訪れた目的だった。

 学園都市に神秘はない。ただし、科学のためのオカルトを除いては。

 一部の能力者は演算補助や『自分だけの現実』を安定させる目的で自己暗示を用いている。そして、彼女の説明するとおり、オカルトとは効率のいい自己暗示にもなりうるのだ。たとえそれに魔術的な効果がなくとも。

 そしてこの『灰谷堂』こそが、学園都市で唯一「能力開発のためのオカルト」を取り扱っているオカルト文具店なのだ。

 

「はじめましてです、どうも。上条当麻です」

「ああ、君が上条くん。お友だちからお噂はかねがね。灰谷(はいや)三崩(みくず)です、ご贔屓に」

 

 灰谷から差し出された左手を握り返すと、見た目よりも力強い握手が交わされた。

 大学生よりは少し大人びて見えるが、店の主人というよりは留守を預かるアルバイトと言われたほうが納得のいく若さ。お姉さん、と呼ぶのが一番しっくり来る年頃だろうか。

 長く伸ばされた黒髪は毛先に進むにつれて深い青へと染まるようなグラデーションがかかっている。天然ではないだろう。おしゃれに気を遣うタイプの人のようだ。

 ミントの新芽のような淡い若葉色をしたスタンドカラーシャツにサスペンダーを合わせたボーイッシュな服装も様になっていて、オカルトショップの店主とは思えない落ち着きを感じさせた。

 少なくとも第一印象に限って言えば、「物腰穏やかで賢く、少し変わった趣味のあるお姉さん」というのは上条の中でかなりの高得点だった。

 

「噂? いい噂ですかね」

「青髪の彼曰く、なんでも学園都市中の女の子を片っ端から落とす能力の持ち主だとか。能力開発で将来的には対男性としても効果を発揮することを期待されているらしいね?」

「あの野郎明日覚えとけよ! アンタもよくそんなこと真に受けたな!?」

「冗談だよ。奥においで、お連れ様も一緒に。ちょうどお茶を淹れたところだ」

 

 くすくすと口元を隠して笑いながら、灰谷は再び店の奥へと消えた。

 一筋縄ではいかない性格のようだ。

 

「ほら、行こうぜ。……インデックス?」

「あの人……」

 

 やけに静かなインデックスの肩を叩くと、インデックスはびっくりしたように顔を見上げた。

 

「どうしたんだよ、そんなに考え込んで」

「……なんか、変なんだよ。あの人のこと、見覚えがある気がするの」

「見覚えって……そりゃ同じ学区に住んでるんだし、すれ違ったことくらいあるだろ?」

「そう……そうかも?」

 

 一瞬不安そうに視線を彷徨わせたインデックスの手を握る。

 かつてインデックスには一年ごとに記憶が消去されてしまうという呪いがかけられていた。今はその枷は外されているが、だからこそ「覚えている気がする」という気持ちは彼女の中で軽いものではないのだろう。

 それは上条も同じだった。

 行ったことがあるかもしれない場所。会ったことがあるかもしれない人。そんな記憶の断片に触れるたび、間違えてしまわないかと怖くなる。

 インデックスをここに連れて来ることを決めたのは、学園都市というアンチオカルトの街で彼女が少しでも過ごしやすさを感じてくれればという気持ちがあったからだった。たとえそれが紛い物でも、見知ったものがある世界のほうが生きやすいのではないか。そんな気持ちで手を引いた。

 

「な? ほら、せっかくだしお茶ご馳走になろうぜ。こういう店で出てくるお茶、普通のお茶な気がしねえけどな」

「大事なのはお茶菓子なんだよ、とうま。どんないい茶葉で淹れた紅茶だって、それだけじゃ味気ないでしょ? クロテッドクリームたっぷりのスコーン、サクサクのショートケーキ、この季節ならサマープディングもほしいかも……」

「図々しさが極まってんな!?」

 

 それ以上は深堀りしなかった。

 あるいは、できなかったと言ってもいい。無からは何も掘り出せないのだから。

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