車に敷かれた両親を助けるために火事場の馬鹿力を発揮した少年は、それ以来ずっとリミッターが外れっぱなしの力を持て余していた。そうして、彼は自身と似て否なる平和島静雄と出会う。

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永遠の奇跡

 

 奇跡なんて一度きりでいい。永遠に続く奇跡なんて、ただの呪いだ。

 

 小学5年生の夏。天宮唯人(あまみやただひと)の両親は車の下敷きになった。信号無視した車のタイヤは両親の身体を押しつぶし、子供らしくダッシュで対岸にたどり着いた唯人は、振り返った先の光景に目を疑った。

 助けたいと思った。無茶だとわかっていて、車の下側に手をかけて持ち上げようとした。

 奇跡は起こった。フィクションの出来事のように火事場の馬鹿力で車をほんの数センチ浮かせた。たったそれだけでも周囲の大人が両親を救うにはじゅうぶんだった。

 

 それから彼は枷が外れたままの力を持て余している。

「また玄関のドア壊したでしょ!」

「あ、ご、ごめ……なさっ……」

「謝って済むんなら最初から壊さないでよ! うちに泥棒が入ってもいいっていうのね? 家のお金がなくなってもいいって言うんだ? お母さんを殺したいんだ?」

 

 助けたはずの母は、いまや元気に唯人を叱り飛ばしている。

 あの奇跡のあと、リミッターが外れっぱなしになった唯人は触れるものをすべて壊した。それはたとえば鉛筆だったり、蛇口だったり、ドアノブだったり、コンクリートブロックだったり、電柱だったりした。

 彼の身体は手首を切ろうとしてもカッターの刃が折れるし、学校の屋上から飛び降りても、車に敷かれても、首を吊っても死ねない。自殺未遂を重ねるたびに、傷のひとつぐらい付いていたはずの肉体がどんどん頑丈になっていっているのに気付いてからは、死ぬのも諦めてしまった。

 溺死や窒息死なら可能性はあるだろう。実際やってはみたものの、もうそろそろ死ねそうだというタイミングで身体が勝手に生きようとして中断してしまう。それを理性で押し留めて最期に到達できないのだから、ほんとうに未熟者だと唯人は自嘲する。

 

「このっ、この!」

 母は手に持った包丁で唯人を刺す。殴るとその手の方が折れるから、必ずなにかしら道具を使う。しかし何度か突き立てると包丁も折れてしまった。それを見て、彼女はいつものように吐き捨てるのだ。

「化け物め」

 なんて。かつて「愛してるわ、唯人」と言ったその口で。

 

 

 

 まっさらな服に、まっさらなカバン。慣れないブレザーの制服に身を包んだ唯人は陰鬱とした気持ちを隠せないでいた。4月、来神北中学校の入学式だった。

 そこで運命の出会いがあるなんて思いもせずに。

 

 同じ小学校に通っていた子どもの大半は、同じ中学校に通うことになる。教室の中に見知った顔がチラホラあって更に嫌な気持ちになる。抵抗しないのをいいことに、彼らは唯人を蔑み、叩き、嘲笑うのだ。

 

「あれが天宮?」

「そうそう」

「平和島とどっちがやべえの?」

「平和島って誰だよ」

「知らねえのかよ。俺んとこの小学校のやつでさー、標識引っこ抜くんだぜ」

「マジかよ。天宮がそんなんしてるの見たことねーし、そいつのほうがやべーんじゃね?」

 

 ……平和島…………。

 クラスメイトが噂していた「平和島」がどんな人物なのかはすぐにわかった。自己紹介の時に「平和島静雄」と名乗ったからだ。

「好きなものは、牛乳。あと……甘いもん」

 静雄はぶっきらぼうにそう言った。

 細身で長身、黒髪ではねっ毛が目立つ、一見普通そうな男だった。

 

 

 

 平和島静雄の異常さは学校生活数日ですぐにわかった。彼はありえないぐらい短気で、上級生と連日喧嘩していた。クラスメイトが言っていた標識を引っこ抜く場面も目撃した。

 ああ、僕だけじゃないんだ。

 そう思うと嬉しくて仕方なかった。唯人は内気で話すのが苦手なため、自分から静雄に話しかけにはいけなかった。見てるだけでよかった。彼が暴れているのを見ると、いくぶんかスカッとしたから。

 

 かくいう唯人はなんとか目立たず生活を送れている、と自身では思う。手に力を入れる必要のある場面にまだ遭遇していないからだ。鉛筆を握るくらいならなんとかコントロールが効く。とはいっても、逆に力が弱すぎるのかミミズみたいな字になってしまうのだが。

 

「おい。お前、いつも俺にガン飛ばしてるよな」

「えッ……」

 放課後、帰ろうと準備をしていると静雄のほうから話しかけられた。

「今だって俺のこと見てただろ」

「み……て、ない、し」

 嘘だ。

 静雄は放課後いつも上級生に喧嘩を売られているので、後をついていけば喧嘩の現場が見られると思ったのだ。唯人は入学してから今日までの数日間、すくなくとも学校にいる間はずっと静雄を観察していた。もはや唯一の楽しみなのだ。

 

「嘘つけ。文句あんなら直接言えよ」

「も、文句、とか、な、ないし」

「さっきからボソボソ喋ってんじゃねーよ! 聞こえねえっての!」

「ひっ」

 静雄はそう怒鳴って唯人の机を叩き壊した。それで多少冷静になったのか、舌打ちひとつしてズカズカ教室から出ていく。

 

 ひとに怒られるのは、こわい。唯人の身体に傷を付けられる人間はそういないが、精神的なダメージは蓄積する。怯んでしまうのはもう反射的なものだった。凹んだ机と呆然とする唯人を見て、いつかのクラスメイトが「なっ、やっぱ平和島のほうがやべーよな」と笑った。

 

「静雄!」

 廊下から知らない声が聞こえたかと思うと、その主はガラッと教室のドアを開けて、唯人の机を見て額に手を当てた。

「あちゃー……悪いな。先生に報告すっからお前もついてこいよ」

 その人は眼鏡にドレッドヘアというイマイチな組み合わせの格好をしていて、制服のくたびれ具合から先輩であることは一目見てわかった。

 断る理由はなかった。唯人の机は使い物にならなくなったのだから、彼の言う通り先生に報告に行かなければならないのは確かだった。

 

「お前、静雄を怒らせるようなことしたのか? あいつは短気だが、理由なく怒るやつじゃないからな」

「……ぼ、僕に、睨まれてる、って……思われた、みたい、です」

 ぽそぽそとした言葉にも、先輩は「そうかあ」となんでもないことのように返事した。

 

「ま、悪いやつではねえからよ。あんま恨んでやるなよ」

「は、はい、それは、もう」

「そいや、お前名前なんて言うの? 俺、3年の田中トムな」

「あ、えと……天宮唯人、です……」

 

 見た目だけじゃなくて名前も妙だった。

 トムは「唯人ね」と名前を呼んだ。

 下の名前で呼ばれるのは久々だ。両親はもう唯人の名前を呼んでくれない。クラスメイトはみんな距離を置いて「天宮くん」と呼ぶ。

 

 馬鹿げた名前だ。自身は唯人(ただひと)なんて名前でありながら、到底人間とは言い難い。そういえば自分はそんな名前だったな、とすら思うくらい馴染みがなくなっていた。

「じゃ、さっさと報告してよー。お近付きの印ってことで、メシでも食いにいこうぜ?」

 

 

 

 なんでこんなことに。

「お待たせしました。こちら豚カツ定食になります」

 目の前に置かれた料理はほかほか湯気を立てて食欲をそそる。

 

「お前ほっそいからなあ。いっぱい食ったほうがいいぜ」

 唯人の見た目はクラスメイトに比べて幾分か幼い。単純にご飯もまともにもらえなくて栄養が足りないのだ。鏡を見るのも辞めてしまったから、どれだけひどいのかは自分ではわからない。

 

 テーブルの隅に置かれた箱から割り箸を取り出す。使い回しの箸じゃないぶんまだマシだ。唯人はそれを分けようとして、一本のままへし折れてしまった。

「おお。すげえ失敗の仕方だな」

「…………」

 唯人はちょっと力を入れる、みたいな動作が苦手だ。0か100かでしか力のコントロールができない。三回失敗したところで、四本目をトムに渡した。

「あの……かわりに、やってください」

「……ま、噂には聞いてたけどよ」

 そう言いながら彼は慣れた手つきで箸を上手く割って返却した。

 噂、か。

 唯人はトムが自身の噂を知った上で一緒に食事をするその神経を疑った。平和島静雄と付き合いがあるような人間にとっては、どうってことないのかもしれない。

 

 唯人は慎重にとんかつを持って口に運んだ。その間トムはパクパク食べていて、もうとっくに全体の三分の一なくなっている。学校給食でも毎回こんな感じで、唯人は昼休みを半分まで使わないとまともに食事もできない。

「唯人も静雄みてえに暴れようって思わねーの?」

「…………」

 咀嚼しながら考える。こんなに脂っこいものは久しぶりでちょっとつらいので、口の中にキャベツを追加した。

「…………」

「…………」

「なんで、でしょうね。な、なんと、いうか、その。……動かないってことが、身に付いてる、って、いうか……」

 だからこそ彼を羨ましいと思うのだ。唯人だってあんな風に暴れられたらな、とは思わずにいられない。

 でも、その結果が怖い。目の前に立つ現実と理性が「本当にいいのか」と囁いてくると、萎縮して動けなくなる。

 

 プルルルルルル……。

「ッ……、は、はいっ」

 カバンの中から携帯電話の着信音がして、唯人はあわてて出た。両親の番号しか登録されていないので出ないという選択肢はない。

「まだ帰ってきてないの? どこで油売ってんのよ! またなんか壊してるんじゃないでしょうね!?」

 ビクッと身体が強張る。放課後帰らずに出かけるなんて初めてのことだったから、怒られるなんて考えもなかった。

 

「あ、ご、ごめんなさ……」

「だーかーらー、謝るぐらいならさっさと帰って来いって。あんたみたいなバケモンを管理すんのが私の仕事なわけ。わかる? 苦労させないでよね。それとも、お母さんに迷惑かけたいんだ? 物壊して迷惑かけて、またお父さんに怒られたいんだ? ほんと、うちを破産させたいわけ?」

 

 父は毎日夜遅くまで仕事をしている。唯人の壊した家のものや公共施設の数々は、それまでの貯金額をまるっと差し出しても足りない。そのせいで父はお金のために汗水垂らして働いているのだ。

 家にいる間はほとんど酒を飲んでいる父は、感情が昂ると唯人に「お前のせいで給料泥棒って言われてんだぞ! やらなきゃいけない仕事もないのに無駄に残業する奴だってな!」などと言ってくるのだ。母からは毎日のように怒鳴られ暴力を振るわれるが、父とは顔を合わせることも少ないのであまり怒られない。だからこそそうなった時の怖さは母の比ではなかった。

 

「あ、あの、僕、帰ります。ありがとうございました、田中先輩」

「おいっ、唯人、ッ」

 あわてて立ち上がって帰ろうとする唯人の腕を掴んだトムは、そのままあっけなく引っ張られて椅子ごと床に倒れてしまった。唯人のセーブできない力では当然の帰結だ。

 

「お客様、大丈夫ですか」

「ああ、はい……」

 店員が駆け寄って倒れた椅子を元に戻す。彼はなんてことないように自力で立ち上がった。唯人が呆然として何もできないでいる間に。

 唯人はぎゅっと唇を噛んで、「すみません」と逃げるようにその場を後にした。

 椅子に座り直したトムは、一口しか食べられていない豚カツを見て、「どうしたもんかな……」と困ったように頭を掻いた。

 

 

 

 自分が居なくても世界が回るのだと思ったとき、捨てられたような気持ちになる。お前はいらない、と言われたような気持ちに。

 唯人は足早にいつもと異なる帰路を辿った。母の怒鳴り声と、父の虚な顔、困ったように笑うトムの表情が何度も頭の中に浮かんでは消えていく。

 

「今日のご飯、なににする?」

「プリン食いたい」

「それ、ご飯じゃなくておやつだから」

 

 聞き覚えのある声に足を止めた。すこし奥の方から見慣れた静雄と、彼よりずいぶん小さな少年と、母親らしき人が歩いてきていた。

 静雄は唯人のことを認識して一瞬身体を緊張させたが、不機嫌なような、気まずそうな顔をしてふいと見ていないふりをした。

 

 立ち止まっていないで歩かなくては。そう思って踏み出した一歩で、3人の親子とすれ違った。さっきまで目の前に居た彼らはとっくに唯人の後ろを歩いて、いつしか見えなくなっていた。

 

 本当はわかっていた。天宮唯人と平和島静雄は同じなんかじゃないってことを。

 静雄は唯人と違って、日常生活に苦労することはない。彼の力が暴走するのは感情が昂ったときだけだ。彼には愛してくれる親が居て、慕ってくれる兄弟が居て、理解を示してくれる先輩が居る。

 じゃあ、自分は?

 唯人は勝手に裏切られたような気持ちになって、あふれる涙を抑えることができなかった。帰ったらまた母に叱られる。そう思うと足は重くなるばかりだ。

 

 

 

 翌朝、唯人の気分は今までで一番最悪だった。昨晩の母はいつも以上にヒステリックで、何度も何度も唯人の身体に刃物を突き立てた。心だけがどんどんと傷付いて摩耗していく。

 静雄に会うのも嫌だが、かといってこんな家に居るのも嫌だ。

 

「もうそろそろ授業始まっちゃうな……」

 授業をサボるなんて初めてだ。

 吹き抜ける風はやや強い。

 学校の屋上。そこで、唯人はフェンスを引きちぎって建物と空の境界線の上に立っていた。

 

 こんな低い建物じゃ唯人は死ねない。それをわかっていて、それでもなお、飛び降りたいなあ、と思う気持ちを抑えることもできなかった。

 落下している最中の感覚はジェットコースターに乗っているのに近い。身体がふわっと浮いて、全身が総毛立つ。でも絶対死なないのを理解しているから、そのスリルが楽しい。お手軽な死だ。ほんのすこし、死ぬ間際の気持ちを体験できるアトラクション。

 

「手前、何やってんだよ」

 聞きたくない声が後ろからした。

「……平和島こそ……なんで、こんなとこにいんの……」

「屋上はうるさくねーからな」

 そういえばそうだったかもしれない。

 静雄は授業は真面目に受けているが、それ以外の時間は喧嘩を売られない限り屋上でのんびりしている。己の選択ミスを悟って、唯人は乾いた笑いをこぼした。

 

「飛び降りならやめろよ。死ぬぞ」

「……死なないよ」

「父ちゃんと母ちゃんからもらった大事な身体だろ、粗末にすんなよ」

 振り向いた先の表情は真剣だった。静雄なりに、なんとか唯人を止めようと思ったのだろう。

 

 唯人の細い身体がぶるぶる震える。何かと思えば、彼は顔を天に向け、今まで見たことのないくらい豪快に笑った。

「父さんと母さんからもらった!? 大事な!? 身体だって!? 笑わせないでよ、本当に……平和島、お前さあ、ほんと幸せ者だよな」

 顔は笑っているのにその声には泣きが入っていた。声を荒げるのに慣れていないのは、ひっくり返ってどもる様子から丸わかりだった。

「ああ?」

「お前に僕の気持ちなんてわかんないよ!!」

 学校のチャイムが鳴った。遅刻は確定だ。唯人は笑いながらその身を投げた。焦る静雄の声がチャイムの音にかき消される。

 

 どさ、と身体は地面に倒れた。

「はあ……やっぱり死ねないか」

 燦然と輝く太陽の光に目を細めながら、青い空を見上げる。屋上の方から静雄が続けざまに飛び降りて、受け身を取って見事に着地した。

「てめえ……ッ!」

「びっくりした? 生きてて。そうでもないか……お前も屋上から飛び降りても平気だもんな」

 

 静雄の手が唯人の胸ぐらを掴んで持ち上げた。

「なんでこんなことすんだよ! 命が惜しくねえのか!」

「惜しくないね」

 そう言って唯人は左の袖を捲って手首を見せた。静雄は思わず掴んでいた手を離して絶句する。

「僕さ、刃物もほんど刺さらないから、リストカットも満足にできないんだよね。もう死なないってわかってるんだけど……血を見ると、ああ……僕ってまだ人間なんだなあ……って思ったりするから、やめられなくて」

 ほとんど治りかけだが、おびただしい量の自傷跡がついていた。しかし、しばらくすればこれも跡形もなくさっぱりと綺麗になるのだと知っている。

 

「手前、ぐだぐだうじうじウゼェんだよ。言いたいことあんならハッキリ言えっつったろ!」

 振り上げられた静雄の拳は、狙った相手の脇腹には届かなかった。その前に唯人が止めたからだ。

「僕はッ……愛されてるお前が羨ましいよ!」

 そう言って静雄の顔面を殴り付けた。彼の身体は宙を舞い、グラウンドに設置された鉄棒に叩きつけられる。

 

「クソッ、人を殴るなんて初めてだ。最悪の気分だ……」

「……言えたじゃねえかよ、ウジ虫野郎が」

 それから巻き起こった2人の壮絶な喧嘩は、来神北中学校でしばらくの間伝説として語り継がれるレベルのものとなる。

 

 静雄にはもはや手近な道具を手に取る余裕さえなかった。常人なら静雄が標識を引っこ抜くのを見ただけで驚き震え上がって静止するところだが、唯人にとってそれはただの隙だった。結果、2人は素手での殴り合いを余儀なくされた。

 もちろんその過程で彼らの身体を受け止めた校舎や公共施設は損壊した。教室から彼らの喧嘩を眺めるハメになった生徒たちは授業どころではない。

 

「まあ……こうなるわな」

 と、彼らを知る3年の生徒が呟いた。

 

 決着は呆気なかった。喧嘩慣れしている静雄と人を殴ったこともなかった唯人とでは、明らかに能力に差があった。とは言っても、静雄のほうもいままでにないほど満身創痍ではあったが。

「殺せよ」

 唯人が静かにそう言った。彼を地面に押し付けマウントポジションを取っている静雄は、その言葉を黙って聞いている。

 

「お前なら、僕がずっと望んでた死をくれる……」

「……死ぬなら他に方法あんだろ。本当は死にたくねえクセに」

 

 2人ははじめ本気で相手を殴りたいと思って喧嘩をしたはずだ。けれども、終盤になると互いの間に奇妙な感覚が生まれていた。強者がより強い者に出会った時に感じる、一種の高揚感────楽しい、という感情だ。

 静雄は怒りによってしか力を振るってこなかった。喧嘩でここまでボロボロになるのも初めてのことだ。なのに、なぜか楽しさを見出している。

 

「愛されたかったんだ……」

 唯人の目に涙が浮かぶ。それは音もなく流れ、地面に落ちた。

 愛されたいという気持ちは、静雄にもある。それと同時に、自分は愛されない存在だとも思う。だが目の前の唯人は静雄を「愛されている」と言うのだ。静雄にとっては不思議なことだった。

 

「じゃあ……俺が手前を愛してやるよ。ウジ虫くん」

「ウジ虫ってなんだよ……」

「ウジウジしてっから」

「僕には天宮唯人って名前があんの」

「ハ、名前負けしてら」

「平和島静雄には言われたくないよ」

 

 2人は顔を見合わせて笑った。喧嘩のあととは思えないほど穏やかに。

「じゃあ……愛してるよ、静雄」

「愛してる、唯人」

 化け物同士の傷の舐め合いだってよかった。理解者がいまここに居る。それがすべてだ。2人の間に芽生えた奇妙な友情を、てっぺんに登った太陽が熱く照らしている。

 愛すべき友の伸ばした手を取って、唯人は立ち上がった。

 

 

 

 

 だがしかし、それですべてが解決したわけもなく。

 当然ながら2人は仲良く病院送りとなった。

 

「静雄!」

「母ちゃん……」

「もう、心配したよ。だってあの静雄が喧嘩で病院なんて……」

 「あの」なんて言葉に苦笑する。力の特異性が発現しだしたころは何度も病院送りになったが、それは自分の肉体の強さに反したものを持ち上げたがために起こった事故であることが大半だった。だから、喧嘩で骨折して入院なんて初めてのことだったのだ。

 

「母ちゃんは……その。俺のこと、愛……してる?」

 静雄はおずおずとそう母に問いかけた。彼女は「ばか」と笑いながら、涙で滲んだ目を拭う。

「言わせないでよ。愛してるに決まってるじゃない、大事な子どもなんだから……」

 思わず静雄の目にも涙が浮かぶ。今の今まで、すぐ近くにあった親の愛にさえ気付かなかった。自分が怪我をしたらこんなにも心配してくれる存在が居たのに。

 

「あ、あの……すみません。ぼ、僕の、せい、で」

 どうしても人前だと緊張してしまうのだろう。同じ病室に居た唯人がどもりながら静雄の母に頭を下げた。

「ああ、気にしないで。どうせ静雄から殴りかかったんでしょ。あなたもごめんね、ボロボロになっちゃって」

「おい」

 抗議の声をあげるものの、静雄から殴りかかったのは正しいので反論はできなかった。

 

 病室の奥からドタバタと音がしたかと思うと、女性が扉を開けて出てきた。唯人の母だ。

「あ、お、おかあさ……」

「なんてことしてんのよ!」

 人目も憚らず声を荒げる。静雄も静雄の母も、きっと彼女が唯人を心配してやって来たものだと思っていたので目を丸くした。

 

「学校壊したって聞いたわよ! いくらかかんの!? うちにもう金なんてないのに! お前のせいで! お前のせいで!!」

「っ……」

 彼女はつかつかと歩み寄って、唯人を無理矢理ベッドから引っ張った。痛みに顔を歪めるのにもお構いなしだ。

「帰るよ! 入院費にいくらかかると思ってんのよ!」

 

 静雄は眉を顰めて声を上げようとしたが、それより先に静雄の母が「ちょっと!」と声をかけた。

「自分の子供ですよね、そんな乱暴にしないであげてください」

「こんなの私の子供じゃないわよ! ただのお、に、も、つ!」

「……ンだと……」

「あんたこの化け物の友達? よくやるわね、私ならお断りだけど」

「おいッ! 唯人のこと悪く言うなよ!」

「いいから!」

 唯人の絶叫のような声が響いた。

 

「僕は、いいから……お母さん、ごめんなさい……」

「何度言わせたらわかるわけ? ほんと、早く死んでくれないかしら」

 痛む身体を押して静雄は立ち上がった。

「俺の友達を馬鹿にする奴ァ、たとえ親だろうが許さねえぞ!」

 折れていない方の腕で来客用の椅子をぶん投げた。それは彼女の横をすり抜け、窓ガラスを破る。

「あ……ああ……」

 恐怖したのか唯人の母はへなへなと座り込む。

 

 ほどなくして病院の関係者がやって来て、母をなだめながら病室から連れ出していく。そのうちの1人が唯人の背中を押してもとのベッドに促した。

「ッ……ぅ…………ごめんなさい、ごめんなさい、お母さん、……ゆるして…………」

「唯人くん、大丈夫だからね。大丈夫」

 ぐずぐず泣く声と、看護士のなだめる声。

 ──愛されて羨ましい、と唯人の語る理由を、ようやく理解した。

 静雄は彼の泣く横顔を見ながら、なにも言葉をかけることができなかった。

 

 

 

「虐待……だよな。ありゃ」

 屋上で唯人が破壊したフェンスは取り替えられてその部分だけ鮮やかな新しい緑色をしていた。トムの言葉に、静雄は彼のほうに顔を向ける。

 

「知ってたんすか」

「知ってたっつーか……親御さんと電話してんの聞いちまってよ。何喋ってたのかはわかんなかったけど、すげー怒鳴り声でさ。唯人も青ざめて、ただ事じゃなさそうな雰囲気だったし」

 静雄は数日で退院したが、唯人は虐待被児とされ法的なことを含めていろいろとやることがあるらしい。しばらく学校に顔を見せていなかった。

 

「俺……あいつの気持ちも知らないでひどいこと言いました。俺は自分が父ちゃんと母ちゃんからちゃんと愛されてるってことも……今まで全然気付かなかった」

 親からもらった大事な身体だろう、と唯人に言ったのは静雄だ。彼はどう思ったのだろう。あの時、笑って、「お前にはわからないよ」と言った唯人は。

 

 一瞬しか顔を合わせなかった彼の母は、あまりに強烈だった。子を子とも思っていなかった。化け物と呼んで、怪我をした身体に無理をさせて。自分が親にそういう扱いをされていたらと考えると恐ろしくなる。

 2人の間に無言の時間が生まれる。言葉にはしなくとも、頭の中でたくさんのことを考えているのがわかった。

 髪をさらう風には夏の予感があった。

 

 ガチャリ、と屋上のドアノブが回る。しかしドアは開かれることはなく、そのままバキッと嫌な音がした。静雄とトムは顔を見合わせて苦笑した。まだ腕に包帯を巻いている静雄に気を遣って、トムが扉を開けに行く。

「よ、唯人」

「あ、た、田中先輩……」

 唯人がぺこっと頭を下げて静雄のそばまでやって来た。扉を閉めたトムが戻ってくる。

 

「……施設に入ることになった」

 しばらくの間を置いて、意を決したように唯人が言った。

「親戚は誰も僕のこと引き取ってくれないみたいで。……まあ、そもそも、親のことを考えれば危ないし、引き取るって言われても行かないほうがいいんだけど」

 

 うつむいた拍子に、彼の伸びっぱなしの黒髪が顔を覆った。

「引き離される時さあ……お母さん、「愛してる、離れないで」って言ってきたんだよ。ほんと……笑える」

 そう言いながらも、その声はとうてい笑っているようには聞こえなかった。

 

「あんなに言って欲しかった言葉だったのに、うわ、気持ち悪、って思っちゃった」

「……そりゃ……あんなに無茶苦茶言ってきた奴に、急に手のひら返されてもな」

「やっぱそうだよね?」

 唯人は静雄に顔を向けて、眉を下げて笑った。へたくそな笑顔だ。

 どうやら、彼の母は別れ際になって唯人を惜しいと思ったらしい。彼をそばに縛り付けておいたのも、「何もせずここにいれば昔の、私が愛していたころの唯人になるから」だそうだ。

 

「でも、そう思ったとき、なんかスッキリしてさ。胸のつっかえが取れたって言うのかな……やっと解放された気がして」

「そうだぜ、唯人。お前はこれから自由なんだ。何にも縛られない。力だって、俺と静雄でなんとかしてやるよ。なあ? 静雄」

「えー……? まあ……俺にできることがあるんなら、付き合いますけど」

「あるよ。いっぱい付き合って」

 

 唯人は顔を上げて、今度は恥ずかしそうに微笑んだ。

「まずは……箸の割り方でも教えてよ」

 


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