「あはは、次ファブリックがオニね!!」
「逃げろー!」
「すぐ捕まえてやるからなー!」
麗らかな日差しを受けて青々と輝く芝生と、一様に真っ白にデザインされた服を着てその上を駆け回る幼い子供たち。
鬼ごっこでもしているのだろうか。ファブリックと呼ばれた少年はその場に留まり「いーち、にーい」と唱え、それ以外の子らは距離を取って彼が動き始めるのを今か今かと待ち構えている。
そんなのどかな景色を、少し離れた木陰からボンヤリと眺める少年が一人。
歳の頃は10に少し届かないぐらいだろうか、その表情は暗く沈んでおり、しきりに周囲を見回す様子からは何かに怯えているようにも見えた。
「よっ、キィ。今度は何を怖がってるんだ?」
しばらくそうしていると、不意にその少年────どうやらキィというらしい────に話しかける青年が現れた。
柔和な顔立ちと右目に掛けられたモノクルが特徴的なその青年は、慣れた様子でキィ少年の隣に腰掛けるとその頭を撫でながら話を聞く。
「プロ兄ちゃん……なんかね、最近怖い夢を見るんだ」
「ほうほう」
「その夢ではね、みんなどこかに行っちゃうんだ。みんな、みーんな上の方に連れてかれて、僕だけが取り残されるんだ」
そう口にすると、再びキィ少年は周囲を見回しはじめる。誰も欠けていないことを確認するためのそれには彼の不安が如実に表れており、その夢が現実となることをまるで疑っていないことが読み取れた。
よく見れば目の下には隈ができており、どうやら夜もあまり眠れていないようだ。
「ハハッ、相変わらずキィは心配性だなぁ。夢なんかが実際に起こるわけないだろ? それに、もしそんなことが起こっても俺たちにはアラカミ様がついてるんだから。きっと何とかしてくださるさ」
「そう、かな」
「そうに決まってるだろ? だって俺たちを生んでくれたのはアラカミ様で、この場所もアラカミ様が維持して下さってるんだから。今は力を消耗なさってるから姿を見せられてないだけで、今も俺たちを見守って下さってるんだから」
普段自分たちが生活している真っ白な建物、『シオンの丘』。そのさらに奥にある礼拝所を見ながら言うと、プロはキィに手を差し伸べた。
「そんなことで悩むより、みんなと遊ぼうぜ? そうすりゃ不安も吹き飛ぶさ」
「……そうだね。うん、行こっか!」
精神がマイナス方向に引っ張られている時は、しっかり体を動かしてたっぷりご飯を食べて良く寝ること。大体はそれで上向きに戻せる。
単純ながら真理を突いたそれがプロの持論だった。
どうやら今回もそれは当てはまったようで、みんなと遊び始めて数分もすればキィの顔から不安の色は消え去り、そこにあったのは年相応の笑顔を浮かべる少年の姿。
まったく、手のかかる弟分だ。
そんなことを思いながらも、知らず知らずのうちに彼の口は弧を描いているのだった。
「プロ兄が鬼だとすぐ終わっちゃーう」
「年長組なのに大人気なーい」
「そうまでしねーと勝てねーのか?」
「…………お前らいい度胸だ、もっぺん捕まえてやるから覚悟しな!?」
なお彼は年下相手にも本気を出すほどの負けず嫌いであった。
******
昼間は燦々と輝いていた太陽も沈み始め、空の水色が夕暮れの橙と夜闇の群青に染まり出した頃。遊び疲れたのか少し静かになった少年少女たちに、呼び掛ける大人がいた。
「皆さん、そろそろ夕飯の時間ですよ。さ、手を洗ってらっしゃい」
「先生だ!」
「今日のごはんは何ー?」
「ごはん♪ ごはん~♪」
子供たちと同じ白一色で構成された服────デザインは子供らとは異なり司祭服のようなソレであった────を身に纏い、丸眼鏡の似合った彫りの深い顔に柔和な笑みを浮かべる彼の言葉に反応すると、子供たちは我先にと『シオンの丘』の食堂へと駆けていく。
「こらこら、あんまり走ると危ないですよ。慌てないでもご飯は逃げないのですから。落ち着いて」
「はーい」
「わかった!」
先生の言葉に元気よく返事をするも、まだ早足の状態のまま食堂へと向かう子供たち。そんな彼ら彼女らに苦笑しながらも、先生も後に続いて食堂へと向かっていく。
そこにあるのは、只々穏やかで幸福な日々に包まれた子供たちと、それを親のように優しく見守る大人という光景。とはいえ、この場所が対外的には孤児院として通されていることを考えれば、この光景は当たり前の物なのかもしれない。
当たり前で、それでいて得難い日常。
そんな中、先生と呼ばれた大人の足が不意に止まる。それまでの笑顔が嘘のような仮面じみた無表情になった彼は、礼拝所の方を振り返ると何事かを呟いた。
「待っていてください、アラカミ様。その日は近付いています」
一転して口角だけが吊り上がった気味の悪い笑みを浮かべて瞑目すると、再び振り向いて彼は歩を進める。
その表情は、庭で遊ぶ子供たちに呼びかけた時と同じ柔らかな笑顔に戻っていた。
「おかわり!」
「おれもおれもー!」
「こらこら、走ると他の子にぶつかりますよ」
「シチューおいし~い♪」
「ほら、がっつくから頬についてしまっているよ?」
「先生、テーブルにシチュー溢しちゃった」
総勢26の子供たちと、先生を始めとした『シオンの丘』に常駐する4名の大人たち。
食堂は全員が問題なく収まる広さがあるとはいえ、流石にこの人数が一度に食事をすれば騒がしくなる。子供たちの大多数がまだまだ幼い年齢であることも相まって、そこかしこから声が聞こえる状態は混迷を極めているようにも見える。
とはいえ大人たちも慣れたもので、自分たちも食事を摂りながら子供たちを軽々と捌いていく。
鍋に残っているシチューを再びよそおうと駆ける子供には忠告を飛ばし、口の周りを汚してしまった子供はナプキンで拭ってやり、自分を呼ぶ声があればそちらへ向かって対処し。
そうしながらも、早くに食べ終わった子供が抜け出したりしないように目を向けているのは流石と言えるだろう。
そんな中、先生は他の大人よりも一足先に夕食を摂り終えると一人の少年へ話しかけた。
「やぁ、キィ君。ここしばらく浮かない顔をしていたようですが、何かあったんですか?」
昼頃まで暗い表情をしていたキィである。
好奇心旺盛で想像力豊か、それでいて少し臆病なこの少年は、一月に一度程度の頻度で何かを極端に怖がるようになる。とはいえ大抵は数日で立ち直る場合が殆どであり、さらに定期的にそれを繰り返しているため、大人たちの対応は『とりあえず数日間は手を出さずに見守り、自分で立ち直れないようなら声をかける』という形で決まっていた。
別に毎回助けてあげても問題ないのだが、多少のストレスはあるべきだという判断である。
今回は少し長引いており声をかけなければならないパターンかと予想していたのだが、それに反してキィは立ち直っていたため、何があったのか気になったのだ。
もっとも、毎回後から何が怖かったのかなどは必ず聞いているのだが。
「あ、先生。えっとね、最近怖い夢をよく見てて、それがホントになっちゃいそうで嫌だったの。でも、プロ兄ちゃんが大丈夫って言ってくれたんだ!」
「ほう、プロテストが。後で褒めてあげた方がいいですね……ところで、怖い夢というのは具体的にどういったものだったのですか?」
「えーっとねー、どんなんだったっけ。たしか皆と空を飛ぶ夢だったかな…………忘れちゃったや!」
「そうですか。まあ嫌なものは忘れられるなら忘れたほうが良いでしょうしね」
キィの頭を優しく撫でながらそう締めくくると、先生は立ち上がって前の方へ歩いて行く。丁度皆が夕食を食べ終えたからだ。
「さて。皆さん、お腹いっぱい食べられましたか? 以前にも言ったように明日は朝から『博士』がいらっしゃる予定です。朝の礼拝には遅れないように、今日は早く寝ましょうね」
「はーい!!」
「いい返事です。それでは皆さん、手を合わせて」
「「「アラカミ様のお陰で、美味しく頂けました。ごちそうさまでした」」」
******
「っかしーなぁ、寝る前にトイレには行っといたのに……ん? あれって『博士』か?」
ふと夜中に尿意に襲われて目が覚め、音を立てないように用を足したその帰り道。
窓の外に月の光以外の明かりが目に付いたため何かと思って眺めてみれば、どうやらそれは定期的に『シオンの丘』を訪ねてくる博士と呼ばれている────大抵お土産にたくさんのお菓子を持ってきてくれるため、年少組には“お菓子の人”とも呼ばれている────大人の持つ杖の先端に取り付けられたランタンだったようだ。
「先生は博士は明日の朝に来るって言ってよな……?」
部屋を出る前に確認した時計は確かに日を跨いでいたが、流石に今は朝と呼べる時刻ではない。そのことを訝しく思いながらも、本の挿絵で見たようなペストマスクを付けている大人など『博士』以外に知らない。
先生が玄関を開けて出迎えているようだし、やはりあれは博士なのだろうか。そのまま彼らは一言二言話すと、シオンの丘の中へと入っていった。
「ってヤッベ、ここ通るじゃん」
と、ここまでぼんやりと観察していて気付いた。
先生の部屋には自分が今いる廊下を通る必要があり、そしておそらく二人は先生の部屋へと向かっている。
そして自分の部屋は階段を挟んだ反対側であり、今から戻ろうとしてもきっと見つかってしまう。既に階段からは足音が聞こえ始めているのだし。
もしかしたら急げば間に合うかもしれないが……足音を殺したまま走る方法など知らないし、それは下手すれば他の子達まで巻き込みかねない。
────ヤバいヤバいヤバいヤバい。
事情を説明すれば大して問題にならないはずであるが、焦っている彼はその事に思考が行きつかない。そうして彼が咄嗟に選んだのは、右斜め後ろにあった掃除用具を入れたロッカーに体を押し込むことであった。
「それで────の進捗はどうなんだい? もし────協力も────────るが?」
「いえいえ、それには────────準備────8割ほど────────儀式も成功するで────」
「それは素晴ら────では、────────」
何やら小さな声で話し合いながら二人は目の前を通り過ぎていく。
途切れ途切れに聞こえる内容は全く理解できないものであったが、しかし随分と興奮していることはその様子から伺えた。
そんな滅多に見ない先生の様子を意外に思ったせいだろうか。
「ふむ。ところで何かがいるように感じるのだが、私の気のせいかね?」
「…………誰かいるのですか? 別に怒りませんので、いるなら出てきなさい」
さっきまでの様子から一変して険しい表情になった先生が辺りを見回す。とはいえ廊下に隠れられる場所などそう多くあるはずもなく、確認の視線は着実にロッカーへと近付き始めた。
────これはさっさと謝りながら出るべきか。
そう諦め出ようとしたところで、不意に扉が開け放たれた。
ロッカーとは反対側の、子供たちの部屋の扉が。
「大変だ、大変だ! 早く先生に────って先生? どうしてここに……じゃない、ビザン君がベッドから落ちてたんこぶ作っちゃって泣いてるの! 早く来て!」
「おやおや、またですか。ビザンティンのベッドには転げ落ちないように低めの柵を取り付けたはずですが……彼の寝相の悪さは筋金入りですねぇ」
そう言って先生は部屋の中へと入っていった。いつの間にか博士もどこかへ消えている。
────今しかない。
そう思った彼はできるだけ音を消してロッカーを開けると、そのまま自室へと駆けこんだ。
「ふむ、イレギュラーは排除するべきだろうが……ここまでタイミングが良いとなると、これも一つの流れと見るべきか。興味深い」
そんな背中をペストマスク越しに眺め自分なりの結論を出すと、博士と名乗る大人は先生の部屋に入っていく。どうやら彼は何も見なかったことにしたようだ。
******
「慈悲深くも我々を生み出し、そして見守って下さっているアラカミ様に。感謝を」
「「「感謝を」」」
翌朝。
北向きを正面とし、それに対し右上から左下へ線を引くように長椅子が置かれているという奇妙なデザインの礼拝所にて。
毎朝の礼拝を行いながら、先生はこっそりと子供らを観察していた。
あの後、現場を監視していたらしい博士は『やぁ、結局人間は誰も出てこなかったよ。虫なんかはいたんだがね。私の気のせいだったようで申し訳ない』と話していたが、何か引っかかる気がしたからだ。
自分と同じく部屋の四隅に立って祈りを捧げている同志にも既にこの事は共有しており、念のため彼らにも妙な様子の子供がいないかチェックしてもらっている。
小声で話していたうえ核心へ迫る部分には触れていないため、たとえ聞かれても問題は無いはずなのだが……博士のあの雰囲気は新しい実験を思いついた時のそれに近いモノであり、どうにも嫌な予感が拭えない。
十数年をかけて整えた準備が、終盤の凡ミスでイレギュラーが混じって台無しになるなど到底認められない。しかし、そんな先生の内心とは裏腹に普段と違う様子の子供は見当たらず。
そうこうしている間に礼拝の時間は終わりを告げた。
仕方がない、これからも注意することにしておくべきかと結論を出した先生は、いつもの笑みを浮かべると口を開くのだった。
「さあ、今日もアラカミ様に感謝しながら、楽しく過ごしましょうね」
ネタバレ:『博士』は一切嘘を言ってない。少なくとも彼の認識上では。