揺蕩っている。
周囲を大小様々な大きさのウィンドウが流す映像に囲まれた暗い空間を、天野百笑は揺蕩っていた。
映し出されるのはどれもこれも凄惨なものばかり。京都本部の研究部門が実験……いや、拷問を行っていた風景だ。それを行っているのが見覚えのある顔ばかりのため、まず間違いないだろう。
どうにか変えたいと願い、どうにもできないと思い知らされてきた日常。それらを一人称の────つまり被害者の側から見た映像、それが彼女が今見させられているモノの正体だ。
つまるところ彼女と同化した《夢魘の集積》、その元となった存在たちの記憶である。
これがもし映像として見るのではなく、五感全てによる追体験であったならば彼女の精神は崩壊していただろう。そう断言できるほどの記憶を見続けながら、天野百笑は揺蕩い続ける。
彼女はまだ、気付いていない。
自身を取り囲む黒色が薄くなっていることに。
少しづつ、追憶は終点へ向かっていることに。
はたして終点で待つものは一体何であろうか。彼女を完全に吞み下そうとする化け物か、それとも────
なんにせよ、彼女が目覚めるのはそう遠くない事なのかもしれない。
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旭が栄薪との対談で言いようの無い胸騒ぎを覚え、鬼一が風見の送別会に巻き込まれて血迷った悟りを開き、風見が同僚たちと結託して冴霧をダウンさせた翌日。
「さて、杏陽が発足して1日だが。早速君たち向きな仕事ができた」
前日同様、栄薪の執務室に集められた3人は部屋の主から指令を受けていた。
「分類と規模は?」
「分類は調査。規模は……現状把握できていない。報告だと調べる必要はないだろうってなっていたけど、個人的には裏がありそうな気配がする」
名簿上隊長になっている旭が代表して問いかけ、それに対し栄薪が手早く答える。阿吽の呼吸、といった進み具合であるが、この辺りは長年の経験があってのものだろう。
ふざけた言動やぶっきらぼうな態度が目立つが、この二人も伊達に長く億餧に勤めていないのである。
そして、九州支部に配属されてから今までの長い付き合いがある栄薪が、規模を把握できていない────つまり、大まかな予測もできていないと語ったことに眉を顰める旭。
「……詳細を」
「発生は今朝未明、場所はオフィス街の辺り。入り組んだ建物の路地奥で一瞬だけ奇心体の反応があったそうだ。反応自体はかなり強大なものだったけど、すぐに消えたから詳細は不明。念のため調査員を派遣したところ、反応のあった地点から更に奥にスマホが一台捨ててあったらしい」
「誤検出の可能性は?」
「無いとは言い切れないかな」
無数の奇心体が収容されている億餧ではあるが、当然ながらこの世に存在する全ての奇心体を収められているわけではない。そういった未収用の奇心体を、必要であれば鎮圧した上で億餧に運び込むのも収容部門の仕事である。
その時に活躍するのが、たった今話に出た奇心体の反応を観測するシステムだ。
詳しい原理は割愛するが、このシステムは奇心体の反応────とりわけ何らかの力を行使した際の反応を強く観測できるものであり、これがあるからこそ奇心体による一般への被害を最小限に抑えられているのだ。
ただ、このシステムも人が作り上げたものである。
故に完璧ではなく、例えば力を隠すことや結界によって反応を抑えることを覚えた奇心体は発見できないし、誤作動を起こすこともある。そして、今回のような一瞬だけ反応するパターンは誤検出であることが多い。
だから調査員も“念のため”派遣されたのだろう。
…………まあ誤作動でなかった場合は知性が高く厄介な奇心体であることが確定するのだが。
「だけど、どうにも周辺の監視カメラの映像が妙な気がしてね。ノイズが走ったり、前後で光の当たり方が異なっている映像が繋がっていたり」
「それはどっちの監視カメラだ?」
「どっちも、さ。民間の物も、
億餧が有する超技術は多岐に及んでいる。
先ほど話に出た奇心体を検出するシステムや銃火器の改良法に始まり、食材の保存期間を大幅に伸ばす肥料や死滅した毛根を蘇生させる薬剤など、思わず「それどこで使うの?」と言いたくなるような謎技術や、より相手を苦しめられる拷問器具といった後ろ暗いものまで。
まさしく玉石混交、種々雑多といった様相である。
その中にはもちろん、監視カメラを代表とするような映像技術も含まれている。
当然ながら、それらは警察や自治体が設置するような物とは比べられないほど優れている。具体的に言い表せば、10年や20年では追いつけないほどに。
明らかにオーバースペックなソレは、億餧の施設内部以外では要注意地点として設定されたいくつかの場所に設置されていた。
どうにもきな臭い、旭はそう思った。
億餧の監視カメラに干渉された、という点だけではない。
そもそも億餧に要注意地点として設定される要因は大きく2つある。
1つは、重点的かつ継続的に情報を収集したい地点のパターン。危険度が高い奇心体の目撃情報が多発した場所や、敵対組織の動きがあった場所などが当てはまる。
つまり、起こった事柄に対処するための受動的なもの。
そしてもう1つが、その場所で奇心体や敵対組織に動かれると対処に困る地点のパターン。繁華街のような人の集まる場所に近く、それでいて監視の目が届き辛い路地裏などが代表例だろうか。
つまり、先んじて警戒するための能動的なもの。
億餧がモニターするのはこういった場所なわけだが……当然それがバレずにいることなど珍しく、そして発見された監視カメラの配置は陰で共有されている。
破壊するには頑丈すぎであり、データに干渉するには逆探知のリスクなどが高すぎるためである。
だというのに、今回何かが起こったのは監視カメラの近くであり、そしてその記録に干渉されたかもしれない形跡があった。これに怪しさを感じない職員はいないだろう。
ちなみに彼らには知る由も無いが、これは狙って引き起こされた事件であったりする。下手人は、もちろんと言うべきかc1cad4と名乗る奇心体。
彼は追われている最中、《腕の会》の奥にいる存在────正確には彼らが招来させ、そして崇め立てている存在を危険だと判断した。
だから敢えて億餧の監視カメラに映る逃走経路を選択し、逃走した後にそのデータを改ざんしたのだ。
念には念を入れ、自分が映った記録は一切の痕跡を残さぬように徹底的に抹消し、その後で《腕の会》の映像は頑張れば復元できる程度の雑さで消去する。
最低限傷が癒えるまでの時間を稼ぎ、できるなら《腕の会》の対処を丸投げしようという魂胆である。
もっとも後者に関してはできれば儲けもの、なんなら自分の存在が露見しないだけでも十分ありがたいと思っていたのだが。
そして事態は彼が目論んだ通りに推移していく。二重、三重と張り巡らされた罠は、栄薪快という傑物にも効果を発揮したのだ。
ただ一つの誤算を除いて。
「……ん? ああ、どうやら映像の解析が終わったみたいだね」
手元の端末を見てそう呟くと、栄薪は室内に設置してあるモニターに映像を流す。話に出ていた監視カメラの記録だと思われるソレには、果たして白のローブを纏った集団が走る様子とそれから逃げる
c1cad4の誤算、それは記録データを復元する人間の腕であった。
ハッキリと言いはしなかったが、栄薪はこの映像が改ざんされたものだと確信していた。
長年奇心体と関わり続けたことから得られた経験則である。そのため彼は自分が知る中で最も腕の立つ技術屋を頼ることにした。便利屋、あるいは何でも屋と呼んだ方が正しいかもしれないが。
「なるほどなるほど。どちらも知らない存在だねぇ」
「集団の方を追うほうがやりやすそうか」
「だね、任せたよ」
方針も決まりさあ行動開始だ、と意気込む二人。だがそこに水を差す人物がいた。
「あの~、二人で納得なさってるとこに悪いんですが……私たち付いていけてないです」
マイペースが揺らがないことが既に知られ始めている、風見紀月その人である。
「っと、そうだね。君たちには難しかったか。旭君とやり取りしてるとついいつもの流れになるんだよねぇ。まったく、気を付けてほしいものだね」
「ナチュラルに責任転嫁すんなボケ」
なお、彼女が質問した相手はそれと同じレベルでペースが揺らがないことで有名であったが。
「…………大体理解できました。つまり、杏陽は特殊な人員を集めた部隊なため、今回のように裏があったりしそうな特殊な事案に対応するようになる。そして、復元された記録に映っていたうち子どもの方は奇心体のように見えるため、探しやすい人間の集団を先に調査する、ということですよね?」
「キミ理解力高すぎない? いや適応力かな……」
軽くふざけたり面倒な言い回しで行った解説を一発で理解した風見に栄薪が思わずツッコミを放つ。
「ツッコミだなんてそんな……セクハラですよ、栄薪支部長?」
「ナチュラルに人の思考読まないでくんないかな!? てかシャレにならないからね!? あと女性がそんな下ネタを言うんじゃありません!!」
…………どうやらよりマイペースなのはどちらなのか、という格付けは済んだようだ。
必要ではなかったと思うが。
「んん、とにかく当面の方針は伝わったかな? それじゃあ────っと、忘れかけてた。鬼一君は霊力操作を訓練してもらうから、今日はそのつもりでいてね」
「訓練、ですか? でも誰に教えてもらえば……」
まさか独学でやらなければならないのだろうかと不安げな表情になる鬼一。しかし、その答えを呟いたのは栄薪ではなかった。
「便利屋か?」
そう、マイペース×2が戯れている間「何やってんだコイツら」と冷めた目で沈黙を貫いていた旭である。
その言葉に古参の方のマイペースは笑みを浮かべ、新しい方のマイペースと鬼一は誰? と言いたげな目線を寄こす。
「誰ですか?」
訂正。目線だけでなく普通に質問も飛ばした。
「あー、便利屋ってのは……まあ便利屋だ。報酬さえ払えば殆どなんでもやる奴」
“便利屋”という文字通りのあまりにもあんまりな説明ではあるが、彼を表すのにこれ以上の表現は無いのだ。
依頼を通し、報酬を支払う。
これさえ行えれば奴はなんでもする。ハッキングのような科学的なものであれ、黒魔術のようなオカルト的なものであれ、なんでも。
病人を癒し、権力者を消し去り、田畑を耕し、都市を滅ぼす。依頼内容が気に食わなければ何を差し出しても動かないし、気に入った相手には簡単に手を貸す。報酬も金であったり物であったりその時々に変化する。
誰が呼んだか、付いた異名は『意志持つ災厄』。
9年前に大々的に暴れてからは一切の音沙汰が無くなっていたので、闇討ちされたのではないかとまことしやかに語られていたが……どうやらまだ生きていたようだ。
まあアイツを殺せるような奴がいるとは欠片も思っちゃいなかったが。というか思いたくなかったが、というのが旭の内心である。
「そんなヤバい人いるんですか、この業界」
「どちらかと言えばあれは例外……というか特例って呼ぶべきだな」
「彼については私も良く分かっていないんだよね。出自も経歴も一切不明、敵に回すなんて怖くてできやしない。私みたいな非力な人間は一瞬で消されてしまいそうだ」
そんな危険存在がなぜ野放しにされているかと言えば、さっきの発言に全てが込められているだろう。
出自や経歴、拠点といったおおよそ弱点になりうる情報の一切が不明なのだ。どれだけ探っても目当ての情報は出てこず、しかし便利屋にはいつの間にかその動きが把握され、そして警告を飛ばされる。
ちなみに栄薪は既に30回ほど警告を受けている。仏の顔も全力でヘッドバットをかますレベルだ。おそらくこれだけ警告を受けて生きているのは世界広しと言えども彼ぐらいだろう。
────まったく、何が「敵に回すなんて怖くてできやしない」だ。
「ま、そういうわけだから。頑張ってね、鬼一君」
「了解ですけど……オレ、死んだりしませんよね。…………ちょっとその笑顔やめてくれません? 怖いんですけど!?」
まあ便利屋なら霊力の指南もできるだろう。なんなら9年前の時にも霊力をメインで使ってるって言ってたし。
なんて考えていたところで旭は気付いた。
「…………ん? ってことはまさか、アイツ
「そりゃそうだけど……それ以外に何かあるかい?」
「そりゃそうだけど、じゃねえよ! もし京都のジジイ共に気取られたらどうすんだよ!?」
「大丈夫大丈夫、バレない様にするってのも依頼に含めてるから」
いつもの狐目で語りかけられる濡羽の青年。
本当に大丈夫だろうな……下手すりゃ余計な警戒状態を作りかねないぞ。
おい、その信頼を込めた目を俺に向けるな。『いざという時は任せた!!』って目を向けんじゃねえ。今回は知らねーからな! 俺は後処理とかやんねえからな!?
どうやら九州統括支部は今日も平常運転なようだ。