「で、ここが報告のあった場所ですか。ずいぶん暗いですね」
「夜になるとこれ以上になるぞ。ま、だからこの辺りに監視カメラが置かれているんだがな」
ミーティングを終え訓練に向かう鬼一と別れた俺と風見は今、現場検証のために様々な建築物によって形成された路地の入口に立っていた。
時刻は午前11時過ぎ。
太陽が最も昇る時間帯にはまだ早いとはいえ、既に屋外は優しい日差しに包まれている頃合い。春過ぎと表現するには少し日は経っているものの、それでもまだまだ過ごしやすい季節であるため絶好の散歩日和と言えるだろう。
しかし、だというのに二人の眼前に広がる路地裏は薄暗く、そして心なしか寒さすら感じられるほどであった。
無機質な壁が上に奥にと伸び、さらに路地に面する窓が極端に少ないことで人の暖かみがほとんど見られないからであろうか。
それとも、自然の明かりだけでなく街灯のような人工的な光源も無いため、常に一定以上の暗さが保証されているからであろうか。
否。
否である。
二人はそれ以外にも要因があると理解していた。
旭は億餧に長く勤めてきた経験と独自の感覚で、そして風見はある時から有するようになった異常なまでの危機察知能力で。この奥に何か嫌なものが残っていると察知したのである。
既にその元凶は立ち去っているが、しかしナニカが残っている、と。
この時点で、旭は報告にあった奇心体の反応が誤検出である可能性を排除していた。自分でも認めていることだが、彼は純粋な人間ではなく妖力を扱える謎の存在である。
つまり、奇心体の妖力を感覚として探知できるのだ。さらに言えば、その精度もまたかなり高いものであった。
自身の周囲数百メートルという範囲の限定こそあれ、集中して探れば億餧の生み出した超技術を凌駕しうる程だと言えばレベルの高さが伝わるだろうか。
そんな彼のセンサーが妖力の残滓を検知しているのだ。
それも、純粋さや神聖さといった安心感をもたらすものと、重苦しく粘ついた不快感を伴うものとが入り混じった妖力をだ。明らかに正反対の要素を含むそれを前にして、強大な反応があったという報告が誤っているはずが無いだろう。
(一旦戻るべきかもしれんな。さて、どうするか)
ここに来て旭は少し悩んでいた。
そもそも、こんな異質な妖力に出くわすとは思ってもいなかったのだ。自分一人ならともかく、新人である風見がいる状態で無理をするのは得策ではないだろう。個人的にも好ましく思っている相手であるため、その思いは一入である。
そんな旭の逡巡を知ってか知らずか、風見は軽く左右を見回すと「あっちですよね」と妖力の残滓の方角を指さした。
「そうだが……分かるのか?」
「なんとなーくですけどね。ところで、行かないんですか?」
「あー、いや……そうなんだが…………」
なんとなく面と向かってお前のことを心配していると言うのも気恥ずかしいやら失礼な気がしてくるやらで口ごもってしまう。
忘れてはならない、この男は環境が環境であったため対人コミュニケーション能力が悲惨な状態なのである。
そもそも普段会話している相手が栄薪と冴霧だけな時点で経験値が足りていないのだ。それでも素の鬼一よりはマシなあたりが色々と残念であるが。
さて、そんな初心な旭に対して風見のコミュニケーション能力はどうなのかと言うと…………普段の“going my way!!”な様子に反して実はかなり高かったりする。もっともこれは直感的に相手のことを察するが故の結果なのだが。
友人曰く、「たまにエグイぐらい核心付いてくるのちょっとキモイよね」だとか。ちなみにその時の風見は「なんてこと言うんですか!?」と半泣きになったのは言うまでもない。
何はともあれ、そんな彼女に旭の内心が読み取られるのは半ば必然なことであった。
「えと、もしかして私のこと心配してくれてるんですか?」
頬を人差し指で搔きながら質問する。先輩が後輩を心配するというのは当然のことではあるが、如何せん歳がほぼ同じであるため照れくささを感じてしまうのだ。
「あー、いや……そうではあるんだが…………」
そしてそんな反応をされれば、この初心な青年がより気恥ずかしさを感じてしまうも当然のことであった。
経験値不足のせいか、一つ前とほとんど同じ言葉を口にしていることに彼は全く気付いていないが……まあそれは言わぬが花であろう。
「それはありがたいんですけど……たぶん大丈夫だと思いますよ」
「そりゃまた、なんで」
「たしかに嫌な気配は感じますけど……でも、嫌な予感は全然しないんです」
いつかの廊下と同じように、微笑んでそんな言葉を口にする風見。
随分と曖昧で漠然とした内容だというのに、こいつが言うと本当に何も起こらないような気がしてくるのだから不思議なものだ。どこか浮世離れしていながらも、人を惹きつけるその雰囲気が原因だろうか。
それはさておき、だ。
「さすがに直感に頼り過ぎじゃないか? いつか痛い目を見るぞ」
「でも本当にそう感じるんですもん」
「ですもんってお前なぁ……まあいい、とりあえず当初の予定通りこのまま向かう。ただし、俺より前には出ない事。それと危険だと思ったらすぐに撤退する事。分かったな?」
「はい、了解しました! ……なんか旭さん先輩みたいですね」
「事実として先輩なんだよ。なんなら冴霧よりも先輩だぞ俺は」
俺の返事に風見は『衝撃の新事実!?』と言わんばかりの表情で驚きを示した。
たしかに年齢で言えば冴霧の方が上だが、勤続年数は圧倒的に俺が勝つんだぞ。といっても億餧に拾われてから数えているため半ば反則じみているんだが。
なんて毒にも薬にもならない事を考えながらしばらく歩を進めていると、何か薄い膜のようなものを通過した感覚がした。
今のは……結界か? それにしては随分と気配が無かった気がするが。
こう、完成度の高い結界の気配の薄さではなく、まともに組めていないが故に存在感が無いような感じ。ちらりと風見の方を見てみたが、どうやらこれには気付いていなかったのか首を傾げられる。
正直気にするまでも無いほど稚拙な結界だし、下手にいじるのもあまり良くないと理解しているが……1度気になり始めると放置するのも気持ち悪く感じてしまう。
かといって旭には結界の種類やその役割まで見抜くことは不可能であるため、やはり干渉するわけにはいかない。
悩むのも馬鹿らしいしいっそのこと全部まとめて斬ってやろうかなどと物騒な考えに行きつきはじめた頃、前方から誰かが歩いてくる足音が聞こえてきた。
「何者です? ここは一瞬とはいえミギウデサマがご降臨なされた神聖な地、許可なく立ち入るのは重罪と知りなさい」
通路の先に立ちふさがり、白いローブを着た男がそんな舐めた事を口にする。目深にフードをかぶっているため素顔は見えないが、雰囲気からしておそらく監視カメラに映っていた集団の一員だろう。
「とはいえ無知であることは罪ではありません。ミギウデサマはまだ完全には降臨なさっていない状態ですし、理解できないのも仕方が無いのでしょう。故に、ここは見逃してあげます。早く来た道を戻りなさい?」
こちらが黙って観察しているのをいいことに、矢継ぎ早にさらに舐めた事を言い続ける男。
とはいえこの程度で栄薪以上のマイペースさを見せた彼女が止められるのかというと、当然ながらそんなことは無く。
「旭さん、旭さん。なんかヤバい人出てきましたけど、どうするんです? 正直、私関わりたくないんですけど」
「いやまあ、それは理解できるが……本人を前にしてよく言えるな」
「はっ! そうでした、流石に失礼だったですよね。申し訳ありません」
ペコリと頭を下げる風見。
あまりの緊張感の無さに脱力しそうになる俺。
肩を震わせ、おそらくフードの奥で顔を赤くしている男。
どういう状況だよ。
「……そこまで愚かならもう知りません。そもそも既にここは私たちの領域だというのに、それすら理解せずに愚かなことを口にしたことを後悔しながら死になさい!」
…………私たちの領域ってのは、もしかしてあの結界モドキのことを言っているのだろうか。
試しに黒の剣で斬り裂くと、結界はカシャンと音を立てて儚く崩れる。その様子を見て、目をこれでもかと開いて男は分かりやすく驚愕した。
……なんというか、バカっぽいなこいつ。三下臭が凄いって言うか、かませ感が凄いって言うか。
「な、なんでミギウデサマの領域が? 何をしたんだっ!?」
「知らんよ。そもそも大したモンでも無かったろ」
「ふざけるな! 何か細工したんだろ!? そうだと言え!」
わざわざ問答に付き合ってやるのも面倒になってきたし、さっさと捕えて栄薪にでも引き渡そうか。そう思って前進しようとしたところで、俺の足は止められた。風見が俺の服の裾を掴んで引き留めたのだ。
「ちょっと待ってください。なんか、嫌な感じがします」
さっきまでのおちゃらけた雰囲気から一転して険しい表情でそんなことを告げる風見。一体何が────という疑問は、しかし口に出す前に氷解した。
「ひっ、ヒィィィィィィィィィッ!? 痛いっ、なんだこれ! なんでっ!? ミギウデサマ!?」
目の前の男の右腕が突如として赤黒く変色したのだ。さらに異変はこれだけでは終わらない。変色した右手で自分の首を絞め始めたかと思うと、手の平が触れている首元までその色に侵食され始めたのだ。
元々おかしな男だとは思っていたが、それでもここまで狂っているとは思っていなかった二人は困惑する。
そもそも痛みに喘ぎ怯えている様子からして、相手にとっても現状が想定外であるのは明白。そんな状況で僅かにでも困惑せずにいられる者など滅多にいないであろう。
もっとも、ここ最近の様々な出来事で少しポジティブになるより以前の旭は迷わず動けるタイプの人間だったのだが。それが良い変化なのか悪い変化なのかは個人が決めるべきことであるが、しかし今回は悪く作用してしまったようだ。
2人が困惑している間に、事態はさらに悪化したのだ。
「なんでっ、嫌だっ! 違う! こんなの呼んでない! ア、アアアアァァアアァアアッッ!」
断末魔を上げながら全身を赤黒く染め上げ、遂に男の喉から出る一切の音が消え去る。
すわ気絶でもしたのだろうかと確認に近付けば、なんと苦悶の表情のままに男は事切れていた。決して和やかな雰囲気ではなかったが、それでも先程まで言葉を交わしていたというのにこの突然の展開である。
故に、一旦情報を整理するために足を止めるのも仕方が無かったのだろう。もっとも、今回はその動きを止めた数秒が致命的だったが。
「はっ!?」
男の死体が右腕だけを残して縮み、そして右腕だけを残して消える。
目の前で起こっている異変を端的に表現すればそうなるだろうか。まあ正確に言えば右腕に吸収されることで彼の生身の部分が消え去ったのだが。
どちらにせよ、手掛かりのほとんどが失われてしまったことに変わりはない。“手”掛かりの手というか右手というか……まあ右腕は残っているのだが。起点となったその部分は流石にどうしようもなかったのだろうか。
「……くそったれが」
なんにせよ、今回の現場検証は非常に後味の悪い終わり方となったのには違いなかった。
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『■■■■■■■■』
「ミギウデサマ? どうかなさい……ああ、監視に当たっていた
福岡県の中心街から離れた山々の奥地。獣道すら繋がっていない辺鄙な場所に建てられた《腕の会》の総本山の一室にて、そんな
この団体を立ち上げ、教祖として一般の信者から慕われていたその人である。
『■■■■■■■■』
「なんと……加護を授けることで、私共の右腕を再現してくださったミギウデサマにそのようなことを!? 彼はもっとマトモだと思っていたのですが…………思い違いでしたか、残念です」
相変わらず周囲には彼以外の何も無いというのに饒舌に語る教祖。この一場面だけを切り取れば誰もが彼を気が触れた男だと評するだろう。
いや、少し訂正すべきだったか。彼以外の人影は一切無いが、しかし彼の前には台座に乗せられた右腕のミイラらしきナニカがあるため、彼以外の何も無いというわけではなかった。
とはいえ教祖の気が触れているという最も重要な点に変わりは無いのだが。
「しかしミギウデサマに還ることができた今ならば、きっと過ちにも気付けているでしょう。どうか観柱君を許していただけませんか?」
『■■■■■■■■』
「おお……なんとお優しいのでしょうか!! きっと彼も喜んで────」
いるでしょう! と言葉を続けようとしたところで、それを遮るように室内にノック音が響く。一般の信者にはこの部屋への立ち入りどころか近付くことさえ禁止されている。
つまり訪問者は《腕の会》に所属しておらず、尚且つこの場所を知っており、さらに教祖である自分に用がある存在。
そこまで思考を回し、出迎えに行こうかと立ち上がったところで扉が開かれた。
「お久しぶりです、博士。本日はどういったご用件で?」
「やあ、久しぶりだねえ。ミギウデサマ……だったかい? 存在強度が随分と高くなったと聞いてね、様子を見に来たのさ」
開かれた扉の向こうに立っていたのは、白衣を丸ごと黒色にしたかのような服を纏い、顔にはペスト医師のソレをアレンジしたようなよく分からない形の仮面を付けた男だった。
「ええ、探究会の皆様のお陰でミギウデサマの降臨は順調です。それにしても、ここまで来るのは大変でしたでしょう。獣畜生共に追われたりしませんでしたか?」
「ああ、問題ないよ。私たちの直接的な戦闘力は皆無だが、それでもやりようはあるからねぇ。それと、省略するにしても『探究同好会』にしてもらえないかい? 名というのはかなり重要なファクターなんだ」
c1cad4を取り逃したことや、その現場の監視を行っていた観柱が襲撃を受けていることから遠回しに尾行などが無いか釘を刺す教祖と、それを涼しく受け流す博士と呼ばれる男。
この会話だけでも、互いに倫理観など欠片も残っていない狂人ではあるが、しかし頭の回り自体は悪くないことが読み取れる。
「失礼。私たちにも色々とありまして、少々気が立っていたようです。しかし……その省略案ではただ『超常』の部分を抜いただけになりませんか?」
「それはそうだがね。しかし我々はあくまでも“同好会”なのだよ」
「そういうものでしょうか」
「そういうものなのだよ」
一見バカらしい会話のように聞こえるが、頭の回りは悪くないのだ…………きっと。
「それにしても…………随分と育ったね。私たちが素材を提供した時とは段違いじゃないか」
「ええ。本当に同行会の皆様には頭が上がりませんよ」
「はは、よしてくれたまえ。我々は使っていなかった素材と、君たちの求めるモノを呼び出す方法を教えただけさ」
「だからですよ。俗世からの脱却を果たしたくともその術が無かった私たちに、必要としていた全てを提供して頂いたんですもの」
目と目を合わせ、穏やかに談笑する二人。しかしその実、互いに目は全く笑っていなかった。口に出していないだけでどちらも理解しているのだ。
自分たちは実験を行う上での体のいい道具であり、ともすれば唯のデコイでしかない事を。
自分たちは彼らの信仰する存在を招来させるための素材や方法を吐き出すだけの、便利な道具でしかない事を。
それを理解したうえで、相手に利用価値があるため手を取っている。互いに必要とあらばすぐに切り捨てるだろうが、それは今ではない。この二人の────この二組織の関係などその程度でしかない。
「さて、あまり長居するのも邪魔だろうし。私は帰るとするよ」
「ああ、もうお帰りになられるのですか。同志の誰かに茶を用意させておけば良かったですね、申し訳ない」
「いや、構わないよ。それじゃ、君たちが成功するのを期待しているよ」
最後まで紙細工のような貼り付けた笑顔を絶やさずに、表面上は和やかに二人は別れたのだった。