願いと思考   作:RH−

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先輩

 

 17時半を回り、僅かに地平線に姿を隠し始めた太陽の光を浴びながら、鬼一はトボトボと引っ越した寮への道を歩いていた。

 

「はぁ……」

 

 溜息をつきながら、彼はようやく目覚めた恩人のことを思い出す。

 

 

 

 ******

 

「あ……鬼一君。なんか、世話かけちゃったね。ごめんね」

 

 病室の扉を開けて最初に言われたのは、そんな謝罪だった。

 その言葉だけを切り取って見れば、いつもの天野さんと違いは無い。周りのことに気を使って、自分のことをついつい後回しにしてしまうお人好しなままだ。

 

 しかし、その顔には常のような溌剌とした笑みは浮かんでいなかった。そこにあったのは、見るからに無理をしていると読み取れてしまうような────ともすれば、いっそ痛々しいと思えるほどの不格好な笑顔であった。

 いや、これはもはや笑顔には分類できないだろう。

 たしかに瞳を閉じて口角を上げる、という笑顔の形はとっている。しかしその目じりは強張っているし、頬の辺りも痙攣しているのが明らかだ。

 

 そんな状態なのに、それに気付きもせずにオレを心配させないよう明るく振る舞う天野さん。

 

「いや……そんな。むしろ……えっと…………」

 

 そんな様子を目の当たりにして、オレは何と声をかければいいのか分からなくなってしまった。

 

 目が覚めて良かったです。後遺症なんかは残ってないですか。オレの力が足りなかったばかりに。本部でも心配してる人、たくさんいましたよ。

 言いたいことはたくさんあった。

 

 安堵、心配、後悔、謝罪。

 伝えたかったこともたくさんあった。

 

 たくさんあったはずなのに、オレは馬鹿みたいに立ち尽くして口を開閉させるだけ。

 見舞いの定型文すら言えず、ただ意味のつながりすら持たない接続語を垂れ流して。一体オレは何をしにここへ来たんだろうと自分でも考えてしまう程だった。

 

「今、入っても大丈夫かい?」

 

 そんな状況を変えたのは、コンコン、というノック音と共に掛けられた言葉。扉越しでくぐもっていてもはっきりと分かる、栄薪さんの声だった。

 

 

 

 

 

 

 

「やあ、初めまして。名前を聞いたことはあるかもしれないが、私は栄薪快。ここ、九州統括支部を纏め上げている支部長だ。ああ、わざわざ起き上がらないでいいよ。楽な姿勢でいたまえ」

「ありがとう、ございます」

 

 栄薪さんの名乗りを聞いて咄嗟に起き上がろうとする天野さんと、目覚めたばかりだからとそれを止める栄薪さん。そんな彼の隣でパイプ椅子に腰かけながら、オレは二人の会話を聞いていた。

 

「それで、どうして統括支部の支部長のような方が」

「ふむ、もう少しアイスブレイクを挟もうかとも思っていたけど……まあいいか。それじゃ、まずは前提条件の確認といこう。一連の騒動に関して何が起こったかを、覚えている範囲でいいから教えてくれないかな」

「えっと、そうですね。たしか、あの日は指示通りに新人のみんなを案内していて、それで事前連絡の通りに収容違反が起こされて。その後、避難経路が塞がれていたのを旭君協力もあって切り抜けられて…………すいません、その辺りからの記憶は曖昧になっています」

 

 おおよそ天野さんが無事だった頃までの展開が告げられる。栄薪さんにとっても予想通りだったようで、これといった反応は示さずに「ふむふむ」と呟きながら手帳に何かを書き込んでいる。

 しかし、どうやらそれ以外にもまだ何かあったようで、天野さんは酷く申し訳なさそうに口を開いた。

 

「……でも、鬼一君と旭君が私を助けてくれたのは覚えています」

「なるほど…………私が言っても気休めにもならないだろうけど、あまり気にするものじゃないよ。あの奇心体の発生は誰にとってもイレギュラーであったし、誰であっても君と同じようになっていただろうから」

「それは……」

「ま、とにかくそこからの経緯を共有しようか」

 

 そう言って栄薪さんはあの日から今日までの一連の流れを話し始めた。

 

 オレが特異な力を扱えることに怯えた理事会が査問会を開いたこと。

 その場に自分が乱入したことでオレの身柄を保護したこと。

 そして特殊な力を持つ人材を集めた《杏陽》という部隊を立ち上げ、そこにオレと旭も所属していること。

 どさくさに紛れて天野さんの身柄も保護したこと。

 

 査問会での一幕など詳細な部分はかいつまみながら、栄薪さんは必要と思われる全ての情報を共有した。

 

「何から何までやって頂いたようで……ご迷惑おかけしました」

「私も自分の目的のためにやっただけなんだ、そう言われるとむしろ困ってしまう。どうしても気になるというのなら……そうだね、旭君や鬼一君のようにもう少し気を緩めてもらえたらありがたいかな。どうにも堅苦しいのは好きじゃないんだ」

 

 うっ。

 そんなつもりは一切無いんだろうけど、遠回しに君たちフランクすぎない? って言われた気分だ。たしかに平職員が支部長相手に馴れ馴れしすぎたか。

 栄薪さん自体がカジュアルな雰囲気だからか、どうしても真面目な態度が崩れるんだよな。まあそれを狙ってやってそうな底知れなさもあるから完全に気を抜くことはできないんだけど。

 

「さて、思いつく範囲は話し終えたつもりだけども。何か気になる点はあるかな?」

「えと、それじゃあ……今の私の立場とかってどうなってるんでしょうか」

「いい着眼点だね、ちょうどこの後それについて話そうと思っていたんだ。端的に言うと、君の所属は京都本部のまま怪我に伴う療養中って扱いになっている」

 

 どうやらあの一件────危険度4相当と目される新たな奇心体が出現したこと────は秘匿されているらしく、オレにもメールで黙っているように指令が下された。

 栄薪さん曰く、「私が九州まで連れ去ったことで公表する必要性が無くなったんだろう」とのこと。

 

 そのため、天野さんは表向きには爆破によって起きた崩落に巻き込まれ重体となったため、九州統括支部にしかない設備で療養しているということになっている。

 だから本部の人も純粋に天野さんを心配していたのだ。

 

 

 ただ、それは同時に九州支部へ引き込む口実が無いことも意味している。

 オレの時は、テロの被害を抑えた功労者でありながら理事会が強制的に実験室送りにしようとする、という隙があったから所属変更を認めさせられた…………が、天野さんにはそういった事情が無いため、無理に九州支部へ異動させることはできないのだとか。

 

「そこでなんだけど。さっき話に出した《杏陽》に君も所属しないかい? そうすれば君も九州支部(ウチ)で匿える。ああ、検査はともかく実験なんかはしないから、その点は安心してくれ。悪くない選択肢だと思うけど────どうだい?」

「…………気を使ってくださっているところに申し訳ないのですが、その提案に乗ることはできなさそうです」

 

 ………………え?

 

「それはまた、どうしてだい? このまま京都本部に戻ればどうなるかは想像できるだろうに」

「いえ、そもそも以前のように職員として活動すること自体が、無理なんです。もう、私には…………私にはあの子たちにどう向き合うべきなのかが分からないんです」

 

 絞り出すようなか細い声でそう答える天野さんの顔は、悲しみや迷いといったものに歪んでいた。

 そして、誰かがこんなにも苦しそうな顔をしているのを見たことが無かったオレは、何か言うこともできずに眺めているだけで。

 

「そう、か。これから暫くはウチで匿えるから、もし気が変わったら遠慮なく言ってくれ。急に色々言って悪かったね、今日のところはこの辺りで失礼するよ。さ、鬼一君。……鬼一君? 行こう」

「…………あ、はい」

 

 そんな栄薪さんの言葉で、呆然としたまま病室を出たのだった。

 

 

 ******

 

 そうして話は現在まで至る。

 

「はぁ……やっぱり何か言うべきだったよな」

 

 栄薪さんとは病室を出た直後くらいで別れた。色々と話したいことはあるが、まずは思考を纏めておきたいんだそうだ。そのため今のオレの周りには誰もおらず、だから憚ることなく陰気なオーラを垂れ流しているのである。

 

「そういや……旭にも一応伝えた方が良いよな。でもなんて伝えよう」

 

 本日何度目か分からなくなった溜息と共に、いまいち巡りの良くない思考を回す。

 しかし予想通りと言うべきか、そんな状態ではうまい方法など思い浮かぶわけも無く。結局は「なんで天野さんはあんなに辛そうにしていたんだろう」という疑問に戻ってくるのだった。

 

 

 原因として第一に思い付くのはやはり“人間でなくなった”ことだろうか。

 けれども、天野さんはオレや旭にも普通に接してくれていた。特に旭は()()()()存在として知られていたらしいというのに、だ。

 もちろんショックはあるだろうけど、それにしてもあそこまでになるとは想像できない。それとも、「いざ自分の身に起こってみると」というパターンだろうか。

 

 如何せん自分は物心ついた時から()()だったため、後天的になることの苦しみというのは想像し辛い。それでなくとも人生経験が豊富とは口が裂けても言えないのだから、「分からない」というのが至る結論であった。

 

 

「虎熊さんとも連絡は通じないし……」

 

 

 そこに拍車をかけているのが、相談できる存在のいないことだ。元々関わりのあった本部の職員たちとは遠く離れてしまったし、そもそも事情が事情だけに本当に信頼できる人にしか相談できない。

 

 そしてどちらかと言えば収容部門よりも研究部門の先輩との関わりの方が多かった鬼一にとっては、それができそうな相手というのは自分をこの世界に導いてくれた虎熊ぐらいしか思い浮かばないわけで。

 しかし件の相手はスパイとして目下捜索中である。当然ながら連絡手段など残ってないし、よしんば残っていても使うわけにはいかないだろう。

 

 いまいち虎熊の事を悪人だとは思えない鬼一は、彼が不利になりうる行動をしたくないのであった。

 

 

「はぁ……」

 

 荷物を回収し、広大な九州支部の建物もいよいよ出口に近くなってきた辺り。溜息の度にさらにジメジメとする空気によって、キノコが育てられそうになってきた頃。

 

「おや、鬼一く…………随分と沈んだ様子ですね。何かあったんですか?」

 

 その雰囲気からか誰も話しかけようとしなかった彼に話しかける猛者がいた。自他共に認める普通の職員、冴霧である。

 

「あぁ、冴霧さん。いやまあ、あったはあったんですけど」

「ふむ、何か事情がある感じですか。相談程度なら乗りますけど、どうします? 丁度私のシフトも終わったタイミングですし」

 

 冴霧さんは……話してもいいのだろうか。いや、箝口令が敷かれている以上はダメだよな。

 

「ふんわりした触りの部分だけでも構いませんよ? 話している間に考えがまとまることもありますし」

「あー……じゃあ、お言葉に甘えて」

 

 

 

 

 

 

 

「ふむ。苦しい時に救けてくれた恩人が入院してしまい、さらに随分と気落ちしている様子であると」

「はい……それで、なんて声をかけたらいいのか分からなくなっちゃって」

 

 適当な飲み物を買った自販機の隣に設置されたベンチに腰掛けながら、オレは冴霧さんに相談していた。

 ……流石にコレぐらいぼかしてたら大丈夫だよな? 話してしまった後になって段々と心配になってきたぞ。

 

「そもそも前提として、鬼一くんはその相手にどうしたいんですか? つまり励ましてあげたいのか、寄り添ってあげたいのか、それ以外なのかって意味で」

「あー……どれかと言えば励ましたい、ですかね。ただ、寄り添いたいってのも……その人に救けてもらった時は寄り添ってもらったんで」

 

 過去の一幕を思い出しながらのオレの言葉を咀嚼するかのように、お人好しな先輩は顎に手を当てながら「ふむ」と呟いた。どことなく栄薪さんに似ているって思うのは気のせいだろうか。

 

「その様子からして、相手のことをしっかりと考えられているようですし、むしろ深く考えずに話してみるのも一つの手では? 悩み過ぎてかえって空回りしているようにも感じましたし」

「えっと……でも、それは────」

 

 深く考えずにってのは、なんだかあの人を蔑ろにするようで口をついて出た言葉に、冴霧さんは優しく語ってくれた。

 

「『答え』っていうのは、案外何がそうなるか分からないものなんですよ? 深く考えた末の言葉がそうなることもあれば、誰も気に留めないような道端の花がそうなることもあるんです」

 

 どこか達観したようで、しかし自信を持った様子で、先輩────“人生の先輩”は続きを語る。

 

 

「鬼一くん。僕はですね、言葉っていうものはそこまで信用していないんです。しっかりと伝えるために努力しなければ簡単に誤解を招くうえ、変えられるものといえばその時の気分ぐらい。誰かの人生を変えるだなんて夢のまた夢。だって、たかが言葉一つで変わるほど人生が薄っぺらいわけないじゃないですか。もし変わったって思ったのなら、それはその人の中に素質があっただけで、言葉は背中を押しただけ。少なくとも、僕はそう思います」

 

 

 話している内容はどちらかと言えば後ろ向きなのに、何故だろうか。どうしようもない程の希望が、願いがその言葉に込められているような気がしてくるのは。

()()()()()()として考えているからこそ、()()()()()()奇跡を願っているように感じるのは。

 

 

「僕らができるのは、相手がどう思うのかを想像するぐらいです。けれども、相手の判断材料になるのは事実だけです。語られた『言葉』であったり、言った人間が何をしてきたのかであったり。一度外に出てしまえば、それは唯の『言葉』です。たくさん悩んだ末の物も、その場で思いついただけの物も、同じ『言葉』でしかありません」

 

 

 そう言って、目を合わせるようにオレの顔を見る冴霧さん。

 

 

「受け手に読み取れるのは、その言葉とその人のこれまでの行動。幸いと言うべきではないでしょうが、君は既に天野職員のために行動した後です。つまり、恩人として大切に思っているということは伝わっているはず。なら、悩み過ぎずに思い切って話すのも一つの手ではないですか?」

 

 

「なる、ほど……参考になりました」

「いえ、ただの老婆心ですよ。それに、これはあくまでも私の持論です。鬼一君の答えになるかは別の話ですから」

 

 ベンチから立ち上がりつつ、冴霧さんはそう話を締めくくる。ふと腕時計を確認すると、短針は6と7の中間あたりを指し示していた。

 随分と話し込んでしまっていたようだ、申し訳ないな。

 

「ありがとうございました」

 

 ひらひらと手を振りながら立ち去る先輩に頭をさげつつ、鬼一は新たな選択肢について考えるのだった。

 

「……あれ、でもなんで冴霧さんが天野さんのことを知ってたんだろ?」

 

 

 

 

 ******

 

 つい数日前に新しく加わった後輩の相談に乗っていたら、知らぬ間に随分遅くなってしまった。

 別に誰かとの約束があるだとか、この後に予定が詰まっているとかいうわけでは無いが……あまり遅くなっては明日以降にも響きかねない。

 

 そんなわけで少し早歩きで廊下を進む冴霧に話しかける人物がいた。

 

「『言葉では他人を変えることはできない』……んふふ、()()な君にしては珍しく少し尖った考えじゃないか」

 

 白スーツに白銀の髪と、おそらくこの支部で最も目立つ風貌の男。つまり、この九州統括支部の支部長である。

 

「げっ、支部長…………盗み聞きですか? 悪趣味ですよ」

「残念ながら、その言葉は聞き飽きるほどには言われたことがあるんだよねぇ。そもそも、私の庭で内緒話ができるわけないだろう? 兄弟」

 

 普段よりもフランクな調子で言い返すと、栄薪は気安く肩を組んでくる。

 

「ビッグ・ブラザーですか……いっそのこと密告係りでも作りますか?」

「君がブラックジョークに乗るとは本当に珍しい。明日は雨かな? いや、この場合は雪の方が似つかわしいか。赤い国だけれども、雪景色は凄いみたいだし」

「それなら京都本部の方が相応しい舞台じゃないですか? ……というかあれってソ連じゃなくてロンドンの話じゃありませんでしたっけ。雪、降るんですか?」

 

 立て板に水────今回の水は真っ黒に濁っていそうだが────とばかりに交わされるブラックジョークに流石の栄薪も驚きを隠せなくなる。

 

「おやおや、何かあったのかい? それとも、昔の事でも思い出したとか────」

「栄薪支部長。誰しも触れられたくない部分はあるものですよ」

「これは失敬」

 

 肩をすくめながらの返答には答えず、冴霧は帰路につく。

 

「ああ、それと。調べ物は良いけど証拠隠滅はもっと上手くやりたまえ。今回は私が最初に気付いたから問題なかったが、本部の連中にバレたら流石に庇いきれないからね。ま、旭君が出るような案件で箝口令が敷かれたら気になるのは理解できるけども」

「…………ログは念入りに消したつもりだったんですが。どうやら手間をおかけしたようで」

「こっちからのアクセスは消せてたけど、向こうのバックアップのバックアップサーバには閲覧記録がバッチリ残ったままだったよ。にしても、肆家直属部隊用のパスコードなんてどこで入手したんだか」

 

 ────そこまでバレてしまっているか。

 

 背後から投げかけられた言葉に思わず顔が歪むも、その様は気取られぬように努めて平静な声で謝罪を返す。

 

「あぁー、そういえばありましたね、そんなの。忘れてました、申し訳ありません」

「気を付けたまえよ、あれじゃ本部の研究部門長殿にすぐに気取られる。それに、あそこに置かれてる《殺生石の欠片》はやろうと思えば未来も詠めるんだから、あんまり怪しまれる動きは控えてくれたまえ」

「研究部門長────ああ、妙心(みょうしん)さんですか。…………殺生石はともかく、あの人なら大丈夫でしょう。元とはいえ身内ですし。なんなら好奇心に従って上に報告せずに経過観察し始めそうですし」

「おや、これは一本取られた。確かに彼ならやりかねない」

 

 結局、間にあった不穏な雰囲気など忘れたかのように二人して笑ってから、彼らは別れたのだった。

 

 

 

 




 冴霧君と栄薪のやり取りがよく分からなかった人はジョージ・オーウェル著作の1984について調べるとたぶん分かるようになります。
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