時はしばらく遡り、山向こうのセーフハウスにて。
『天野くんっ、c1cad4君はいるかい!?』
昨夜のうちに作っておいた朝食を食べ終え、軽く洗い物も済ませてソファに身を預けていた天野。そんな彼女に着信を知らせた端末からの第一声が、コレであった。
「えっと、何かあったんですか?」
いつも余裕綽々といった振る舞いのイメージが強かった栄薪さんの珍しく焦りが前面に出た様子に、私は思わず間の抜けた質問をしてしまった。しかしその問いに対して返ってきたのは、まるで予想だにしていなかった内容。
『奇心体に奇襲を受けた! 通信妨害が入ったからc1cad4君の力を借りたい!!』
「え────?」
「話は聞こえたけど、コレに潜ってもいいの?」
『私が許可する! この通信も切れるかもしれないから早く頼む!』
「ほいほーい、っと」
自慢では無いが、私はそれなりに長く億餧に勤めているという自負がある。その経験の中で、どこかの支部が襲撃を受けるらしいという情報を聞くことはあっても、どこかの支部が奇襲を受けたという話を聞くことは一度も無かった。
そもそも軽く喧嘩を売れられるような組織ではないというのもあるし、その手の動きに対して億餧はかなり敏感であったというのもある。この前の京都本部での事案だって、数日前には敵側の計画は判明していたのだ。
そんな積み重ねがあるが故の衝撃に思考の停止した私を置いて、c1cad4はスルリと手元の端末に入っていった。どうやら栄薪さんの指示に従って対処しに向かったらしい。
「…………」
それに対し、私は黙って呆然としているだけ。
脳内ではこの数日で関わった人々の顔が浮かんでは消え、様々な事柄がぐるぐると渦を巻いている。だというのに何もできずにいる自分が嫌になる。
これは何だ。恐怖か? 疑念か? 諦観か?
私は何をしてるんだ?
何を、したいんだ?
そんな中、不意に自分に呼びかける声が聴こえた気がした。
その感覚に従って瞼を下ろし、意識を内側へと沈みこませると────ああ、やっぱりか。
『こんな時にごめんね。でも、お姉さんに伝えておきたいことがあるんだ』
いつの間にか、《夢魘の集積》と呼ばれている少年が目の前にいた。
────伝えたいこと?
『うん。ボクたちのせいで、お姉さんが苦しんでいたみたいだったから。…………あのね、ボクたちはただ生存したかっただけの残留思念なんだ。“生きること”じゃなくて“生存すること”だけを望んだ、醜悪な集合体がボクたちなんだ』
だから、もういいのだと。誰でもないボクたちなんか気にしないでいいのだと。
最後にお姉さんみたいな人がいると知れただけで十分だから、ボクたちを拒絶していいのだと。
そう、彼は語った。
それを聞いて、私は。
────あの日、あの瞬間に、私は壊れた。ヒトデナシになって、自分自身も分からなくなって。
────でも。
“天野さんは生きてるじゃないですか”
そんな私に確かな
“だから、俺は天野が優しいやつだって信じるよ”
そんな私を信じてくれる人がいた。
“それってさ、何か悪いことあるの?”
“物事を疑うという姿勢はそう悪いものではないんじゃないかな”
そんな私を肯定してくれる人たちがいた。
“天野さんに救われたって思ってるヤツは少なくともここに一人はいますから”
そんな私に救われただなんて、言ってくれる人がいた。
だから、私は。
「私は、あの人たちみたいになりたい。強く、優しく、誰かに寄り添って歩けるような人に。そして、何よりも」
顔を上げる。瞼を開いて、両手を握りしめて、両の脚で地を踏みしめて。
思念ではなく、喉を振るわせて、自分自身の声で宣言する。
「私は、私に恥じないように────自分を誇れるように在りたい」
まだまだ懐疑の念は尽きないけれど。嫌悪は薄れないけれど。
だからこそ、それを抱えて歩いていくんだ。
これがウチの答えだ。
『お姉さんは眩しいね…………でも、きっともう大丈夫だよ。前を向けたんだから、きっとあなたは生きていける。ただ生存することを望んだボクたちよりも、ずっとずっと先まで進める』
「もう、何言ってるの? 君も一緒に行くんだよ」
そう言って手を差し伸べると、彼は驚きと、期待と、不安がないまぜになったような表情で口を開いた。
『……いい、の? ボクたちも一緒にいて────生きていても、いいの?』
「当然! さ、行こう? ウチたちの新しい
握った手を離さないようにギュッとする。
さぁ。手始めに、この陳腐な悲劇を笑い飛ばしてやろうか!
そう言って目を開いた彼女の髪は、太陽のような橙に染まっていたのだった。
******
「はぁ、はぁ、はぁ……」
息を切らした鬼一の荒い吐息が耳に届く。既にアイツが参戦してから15分以上は経過しているため、それも仕方のない話だろう。
むしろ、新人でありながらこの密度の戦闘を熟せている時点で十分すぎるぐらいだ。
そう分析している俺自身も、動きが少しずつ鈍ってきている。今だってヤツの攻撃を躱した後の反撃が間に合わなかった。深化を使って狩り切れなかったのが痛かったな。
『■■■■■■■■』
対して、襲撃してきた奇心体からは変わった様子は見られない。
ここまでの戦闘の大半を異形に行わせていた上、未だに俺たちから
そう、手下の異形を順調に処理していった俺たちだが、最後の最後で詰め切れなかったのだ。
原因はヤツが周囲に漂わせている黒いベールのような謎の物体。便利屋が “抉られた空間”と言ったソレは見た目こそ黒色のベールが揺らいでいるようだが、それに反してとんでもなく硬かったのだ。
……まあ空間が断裂しているらしいので当然ではあるか。
とにかく。風見の狙撃や鬼一の攻撃は軽くはじき返され、俺の一撃までもが防がれた、と言えばその硬さが分かるだろうか。俺の場合は雑魚狩りに少し手間取ったせいで消耗していたのもあるが。
しかし、有効な攻撃手段を持たないのは相手も同じ
よって、本来ならば俺が再度深化を発動できるまで回復するのを待てばこの事件は終わったはず
さて、なぜ俺はさっきから過去形でしか語っていないのか。
「────くッ!」
それは、ヤツが防御に使っていた黒のベールを攻撃に転用したからだ。
さっきも言った通りコレは断裂した空間そのものであるため、文字通りの防御不能な攻撃である。黒の剣で『弾け』ばどうにか軌道をそらせるが、それのできない鬼一は躱す以外の選択肢が存在しない。
これが鬼一の消耗の原因である。
そして俺も定期的に黒の剣の力を使わさせられているせいで思うように回復できていない。よって、深化の再発動は依然として厳しいままだ。
攻撃を凌ぐのにも神経を使うため、反撃など以ての外。苦し紛れの一撃など効果があるはずもない。体力だけでなく精神までもジリジリと削られているのが現状である。
一度は盛り返したはずの盤面が、また敵の側に傾き始めていた。真綿で首を締めるように少しずつ、ゆっくりと。
京都の連中の目はあるが、便利屋に出て来てもらうべきかもしれない。
そう思ったあたりで、視界の端を“橙”が横切った。
────は?
「天野さんっ!?」
かつてと同じように、いの一番に反応した鬼一が駆けだそうとする。
しかしながら、今から向かったところで間に合うような距離ではない。視線の先では、天野目がけて抉られた空間がねじれながら向かっている。
「はあああぁぁぁああああっ!!!」
対する天野は気合の籠った声と共に両腕を伸ばすと、その手を起点として円形に靄が広がった。柔らかく照らす陽だまりのような、初めて見る色。
そんなアイツの染めた髪に似た色の靄は、断裂された空間を吸収した。触れたそばから全て、逃すことなく。
これには無我夢中で動いていた鬼一も驚いたようで、素っ頓狂な声を出しながらこけそうになっている。
だが、天野の行動はまだ終わらなかった。まるで誰かに確認するように「いける!?」と叫ぶと、それに応えるよう周囲に4つほど橙の光球が生まれたかと思えば────
「いっけええええぇぇぇぇっ!!!」
そこから歪んだ空間が杭のように伸び、奇心体へと襲い掛かった。
「は……?」
「えぇ…………」
あまりにも突然すぎる展開に付いていけず、あんぐりと口を開けて固まる俺たち。おまけで間抜けな声のオプションまで付けられている。
新たな乱入者はそんな反応の一切を無視して巧みに抉られた空間を操ると、そのまま防壁ごと奇心体の肉体を貫いてその場に縫い留めた。
「あとはお願いっっ!!」
そこまでを果たすと振り返って俺たちに呼びかける天野。
「分かりました!」
「っ! 任せろ!」
諸々の疑念や衝撃を脇に投げ捨てて駆け出す俺と鬼一。その数瞬後に乾いた銃声が響き、奇心体を凍り付かせるパキパキという音が続く。
────いいアシストだ。
鬼一だけでなく風見にも反応が遅れたことに何とも言えない感情を抱きつつの一撃で、襲撃してきた奇心体は倒れたのだった。
******
ザッ、ザッという山肌を踏みしめる音と、どこか調子の外れた鼻歌の旋律。
道なき道を進む彼は、夜闇に沈んだ樹林という景観にはまるでそぐわないほどに上機嫌だった。
「あの子にもいい仲間ができそうで良かった良かった」
────これで私も後憂無く計画を進められる。
そんな言葉を口の中で転がして飲み下しながら、彼は歩を進める。
「おや、思ったより早く着いてしまったな…………まぁ、いっか」
そうして辿り着いたとある建物の前で、口ぶりだけは意外そうに、しかしどうでもよさそうに呟かれる言葉。
実際のところは早くも遅くも無い想定通りの時間であるのだが、色々と思考を巡らせる彼は気付いていない。
ぐるぐると、るらるらと頭の中は巡る。現在から未来へと向かうのではなく、過去へと逆巻くように。
「なぜ……なぜぇっ!?」
「ミギウデサマ、どうか私共に宣託をっ!」
「見捨てないでくださいぃ…………どうか、どうかぁっ!!」
「ゴミがひぃ、ふぅ、みぃ、よぉ……うーん、大漁大漁」
右手で回して弄んでいたマスケット銃を無造作に向けると、何のためらいも無く引き金を引き絞る。
「Remove」
適当な動作に反して狙い通りに命中した弾丸は、そのまま狙い通りの効果を引き起こす。
「ひぃっ!」
「な、なに!? なんなの!?」
「誰だっ!?」
一方、突然隣の同志が頭部を消し飛ばして倒れたのを見た群衆はパニックを引き起こした。
右へ左へ前へ後ろへ。我先に逃げ出そうとする恐慌の中、彼は人の波を縫うように中心へと向かう。既に結界で蓋をしているため、逃げ出される心配が無いからだ。この結界は便利屋ぐらいでしか破れないだろう。
……もっとも、到着前に一匹分逃げ出されていたようだが。先頭で先導していた
「ごきげんよう、お集りのゴミの皆さん。さて、気分はどうかな? ……ああ、返事は求めていないんだ。ただの皮肉さ」
いつの間にかそこにいた、自分たちとは異なる白色に身を包んだ誰か。
一種のカリスマを伴うその声に直前の動作も忘れて顔を向けた群衆だが、しばらくの硬直を挟むと理解した。彼がその手に武器を握っていることを。
「ふむ、ご協力感謝しよう。おかげで全員覚えられたよ」
「────それでは、ごきげんよう」
その事に誰かが声を上げる前に、狐のような偉丈夫が続きを語り。
そうして最初と同じ言葉で演説を終えると、彼は蒼色のラインが入った白のマスケット銃の引き金を引いた。
パン、という安っぽい音と共に倒れるさっきまで人であった躰。その音が連続する度に一つ、また一つとかつて命であったモノが増えていく。
そんな骸を踏みつけてでも逃げようとする者。泣き崩れて叫ぶ者。狂気に身を委ねて祈る者。決死の覚悟で立ち向かおうとする者。もはや怒号という言葉では足りなくなった祭壇場の中央で、彼は踊るように引き金を引き続ける。
未だ残る加護で埒外の身体能力となっているはずの群衆をヒラリヒラリと捌きながら。余裕のある笑みを微塵も崩さずにしながら。
「ふぅ、ゴミ掃除の後っていうのはやっぱりスッキリするものだね」
そうして一つの例外も無く処理し終えると、大きく伸びをしながら祭壇場を出る。
彼は理解している。この中には、どれだけ歪であろうと縋るしかなかった者も居たであろうことを。興味本位が狂気に染められた者も居たであろうことを。
しかし、彼はそれら一切を些末事と切り捨てて砲口を向けた。なぜなら、ココに居たのは須らく彼の一線を踏み越えたモノたちだったからだ。
ただそれだけで、彼は一切の罪悪感を受けずに引き金を引いたのだ。
もっとも、その事を言ったところで「心外だなぁ、それじゃまるで私が狂っているみたいじゃないか」と嗤われるだけだろうが。
そんな、研究成果である試作品の実証もできたことで、上機嫌に無人となった建物を出た彼に近付く足音が一つ。
「やあ、遅かったね。虎熊童子」
「貴方がいるってことは……終わった後ですか」
振り向きながらの言葉に答えたのは、真っ赤になった肉塊を引きずる誰かであった。
「私としても目障りだったからね。久々に体を動かしておきたかったってのもあるし」
「残念です。まあ、それなら帰るとしましょうかね。最低限逃げ出した
木々と生い茂る青葉のせいで月明かりも射さないそこでは、陰になったその顔を窺うことはできない。読み取れるのは、おおよそ人間と呼んで差し支えない姿形をしているであろうという事ぐらいだ。
「虎熊童子、まだ君のスタンスは変わっていないのかい?」
「……貴方と同じですよ」
「ハハッ、そうかい。分かっているだろうけど、私の計画を邪魔するようなら────」
「しませんよ。そもそも、とっくの昔に私たちの時代は終わってるんですから。舞台に上がるとしても、求められる役を超えて出しゃばるつもりはありません。ま、ただの脇役ですね」
明らかに
元々仲の良い知人同士であるのか、両者とも誰であろうとそういう態度を取っているのか、はたまた────
「────ただ、あの子たちがどうするかは分かりませんがね」
そう見せかけているだけか。
「フッ、ハハハ……ああ、そうだ。そうだね。むしろそれでこそだ」
「悪趣味なのは変わりませんね。いえ、今回は『無計画』と表現すべきですかね?」
「おやおや、これは手厳しい。どっちでも大して差は無いだろうに」
そう言うと、白狐は相手の横をすり抜けて立ち去ろうとする。言外に会話はここまでだと告げているのだろう。
しかし、相手はそうではなかったようで。
「……伍穀士行ッ、貴方は今でも────」
「変わるわけが無いだろう。彼女こそが私の根幹だ。…………それと、その名は疾うの昔に捨て去った。今の私は逆巻壊。逆巻かせ、壊す者だ。二度とその名で呼ぶな」
「そう、ですか。……それが今の
吹き付けた強い風が木々を揺らし、月の
照らされたその場にいたのは。憎悪を露に顔を歪めたかつて陰陽術の黎明を支えた者と、そんな彼に悲し気な眼を向けるかつて妖の頭領と在った鬼…………そんな、実に対照的な残された二人であった。
「さらばだ、虎熊童子。もはや何人であろうと、私の道と交わることは有り得ない」
「……ええ、さようなら。久々に話せて楽しかったですよ、サカマキさん」
突然のご報告となりますが、今話をもって本作品『願いと思考』の更新を無期限停止とさせていただきます。
理由を端的に表現するのならば、この作品を書くモチベーションが湧かなくなりました。
実は私は本作以外に二次創作を一タイトル執筆しておりまして、そちらとのUA・評価数・お気に入り数・感想数などの差があまりにも大きくなったのが一番大きな要因です。まあ下駄履かせて貰っといて何言ってんだって話ではありますが。それでもさすがに百倍規模で開いた差は無視できないものでした。
また、連載初期の話のクオリティが正直見てられないほど低いというのも要因の一つとなっています。単純な表現の甘さだけでなく構成や言葉選びなどまで酷すぎて、「そりゃこんな駄文じゃUA伸びないわな」というのが正直な感想です。
その結果、今の状態で執筆したところでまともな文は書けないという判断に至り、連載を停止する事にしました。
とはいえ処女作という事もあり思い入れはかなりある作品ですので、一からリメイクして書き直したいという思い自体はあります。もしかしたら、いつかまた書く事もあるかもしれません。
もしまた本タイトルを見かけることがありましたら、その時は暇つぶしのお供にでもしていただければ幸いです。
最後に、こんな作品の後書の最後まで読んでくださったあなたに、最大限の感謝を。
2024/07/26 RH-