京都にて人知れず大規模なテロが起こされている頃、とある場所にて。
鼻歌を歌いながら、上機嫌に陶器のカップを傾ける男がいた。
白銀の髪を背後から差し込む陽光に煌めかせ、特注の椅子に深々と腰掛け、優雅に紅茶を楽しむ様はそれだけで一枚絵のような美しさを伴っている。もしこの場に芸術家がいれば絵にせずにはいられなかっただろうと言える程だ。
「鬼一
呟くと共に下ろされた視線の先にあるのは、机上に置かれた一枚の報告書。
京都府内の孤児院出身。6歳の頃孤児院に入院してから億餧入社現在まで里親は見つかっておらず、高校卒業後は孤児院付近の雑貨店に勤務。事案C-716に巻き込まれた被害者として保護されたが、記憶処理に対する異常な耐性及び一般的な成人男性からかけ離れた身体能力などの異常性が見られたため、京都本部にて保護観察という扱いとなった。
本人の強い希望と適性の高さにより、現在は特殊職員として経過観察を行っている。※特殊職員に関してはC-Ex-001旭 継恫参照
また、孤児院に入所するまでの記憶を失っているようであり、その原因は現在までの調査で明らかになっていない。
入社前の調査によって何故か鬼の妖気を保持していることが確認されている。身体能力や危機察知能力の高さはこの妖力に起因するものと考えられるが、本人にその自覚はないため、おそらく記憶を無くす前の6歳までに得たものであると推測される。
また、孤児院に入院する際の手続きに一部不審な点が見られており、さらに入院前の来歴は依然として判明していない。そのため、継続した調査及び非常時に即時実行可能な処理手順の確立が要求されている────────
「さて、彼は億餧に何を齎すのか、非常に楽しみだよ。僕の予想が正しければ、もしかしたら彼は……。んふふ、場合によっては計画に引き入れるのも面白そうだねぇ」
広い執務室の中で男は独り、静かに笑う。彼が見据えているのは果たしてどんな結末なのか、今はまだ分かりそうにない。
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これまでの生涯、といってもオレの人生が始まったのは6歳からみたいなところはあるから実際の年齢よりは少ないけれど。
とにかくオレがオレとして生きてきたこれまでの間、ずっと感じていたのはたった二つの感情だけだった。…………別に、『オレは何も感じない冷たい人間だ』なんて絶望主義者や厨二病患者のようなことをいう訳じゃない。喜びも悲しみもしっかりと感じはする。
ただ、その二つ以外はどれも些細なもので、四捨五入すれば簡単に切り捨てれるようなものばっかりだったから。そう、なんでかは分からないけどもこの二つの感情だけがオレの中にあった。
一つは、疎外感。
孤児院の中にいても、外に出てても、ずっと『ここはオレの居場所じゃない』という感覚が付きまとっていた。周囲に溶け込めない白色の髪、同年代より目に見えて優れた身体能力、孤児院出身であること、孤児院に来るまでの記憶が一切残っていないこと、理由はいくらでも考えられた。
でも、どれもしっくりこない。どれも正しいようで、でも何かズレているようで。ただ漠然とココはオレの居場所じゃない、ココにはオレと同じ奴は、心を許せる相手はいないと感じ続けていた。
じゃあ何処に求めている場所があるのか、と聞かれても分からないけれど。カウンセリングの先生は色々と環境に変化があったからそう感じているだけで、
こんなことを感じ続けているオレの方がおかしいんだってことは理解している。今のご時世珍しいぐらいに孤児院のみんなは良い人で、自分は孤児の中では恵まれてるってことぐらいは理解している。
知識として知っているから。
でも、疎外感は忘れられないし、もう一つの感情は決して薄まらなかった。
もう一つの感情、『怒り』。
どうして、も何に対して、も分からない。ただずっと怒りを感じている。けれども決して外に向けようとは思えない。
孤児だからと眼を変える他人、記憶ごとオレから消えた両親、そもそもの孤児という境遇。怒りを向ける対象はいくらでも思い浮かんだけども、どれにも怒りは向けられない。
むしろそうやって考えるほど怒りが増していく。これじゃまるで自分で自分に怒ってるみたいだ、なんて思ったこともあったっけ。
総じて、自分でもよく分からない人間というのが自分だった。
対外的にはかなり良い奴で通してたからきっと誰にもばれちゃいないけど、オレも含めて誰もオレを分からないって、ホント嗤えるよな。
高校まで12年ぐらい学校に通って色んな人に会って、その後就職までしたのにこの感覚は全く変わらなかった。だからきっとオレはこんな風によく分かんないまま生きて、よく分かんないまま漫然と死んでいくんだろうな、と諦めていた。
それが変わったのは突然だった。
変化は突然、なんて月並みな表現だとは思うけど、実際突然だったんだからこう表現するしかない。
いつも通り出勤して仕事を始めたら、なんかよく分かんない化け物が上から降ってきて、とりあえず状況が分からないなりに他の人を逃がして。逃がしたみんなの方に向かわないように近くにあった金属バットで足止めのようなことをしてたら、今度は変な服装の人たちが現れて銃を撃ち始めて。
そんな突然の、明らかな非日常。
普通はきっとそんな状況に陥ったら焦ってパニックになるはずなのに。オレに去来したのはコレだ、という漠然とした感覚。
やっぱり根本的にオレは壊れていたんだな、という少しばかりの苦々しい感覚と、ずっと探していたものの欠片が見つかったかもしれない、という喜びと。ないまぜになった感情を抱えたまま、オレの今の日常は始まったのだった。
「億餧。それに、奇心体」
どうやらオレを襲った非日常は名前が付けられるほど有名で、日常の裏側ではかなりありふれた話だったらしい。あの後助けてくれたどこか既視感を覚える職員さんの話を聞きながら、オレはそんなことを思っていた。
「はい。私たちの組織名と、貴方達を襲ったあの化け物の名です。本来ならば巻き込まれただけの貴方は記憶処理を施して一般生活に戻って頂くのが筋なのですが、貴方にもいくつか調査したい点が発見されまして。できれば同行していただきたいのですが……」
「調査したいってのは────」
「その身体能力の高さや奇心体を完璧に認知できている点、それに記憶処理に対する耐性の高さについてなどについてですね。あ、もちろん非人道的な実験などは一切しませんよ。そこは安心してください」
「はぁ」
元々歪な人間だとは思っていたが、どうやら専門家からしても異常な点がオレにはあったようだ。
いや、そんなことよりもだ。
今考えるべきはどうやってこの非日常────つまりはこの億餧という組織────との
何せこれまで一度も無かった兆しを感じたんだ。絶対にこのチャンスを逃したくない。
それに……もしかしたら。もしかしたらの話だが、
ゾッとする、というよりも指先の感覚がなくなるようなもっと恐ろしい感覚に襲われる。
絶対に嫌だ、なんとしても彼らに付いていかなければ。幸いというべきか、向こうは同行すること────つまりは何かしらの関係を構築することを要求してくれた。ここからどうにか要求を上乗せするだけだ。
そんな風に悩むそぶりを見せていたからだろうか、職員さんは
「本事案については、ガス漏れによる大規模火災というカバーストーリーが公布される予定です。鬼一さんにつきましては、その火災に巻き込まれた結果入院しなくてはならなくなった、という形にすれば周囲に怪しまれることなどの問題は回避できるかと。急なお願いであり、また、大変失礼なことを要求しているのは重々承知しております。しかし、これも人類の発展のためなのです。どうかご理解いただけないでしょうか」
と重ねてお願いしてきた。この感じからして、あまり返事まで時間をかけすぎると脈無しとなってしまうかもしれない。
……かくなる上は直球勝負。これ以上悩んでも良案は浮かびそうにもない、ならば真っ直ぐ頼んでみよう。
「なら、いっそのことそちらの会社────億餧でしたっけ? に入社させていただくことはできないですかね」
「……我々に、ですか? 確かに鬼一さんならば十分億餧で活動できる素質はあると思われますが、しかし命を失う危険に晒されることもあり得る仕事ですよ。我々としても一般の方をそこまで巻き込むつもりはありませんし……その場の勢いだけでそういった事を考えるのはよしておいた方が宜しいかと思いますよ」
「んー。その場の勢いだけってわけじゃないんです」
「………?」
オレを助けてくれた職員さんが困惑した顔になった。そりゃあ、客観的に見たら急に妙な頼みごとをしてきたように映るだろう。でも、オレの目的のためにもここで説得し切らなきゃいけない。
「オレ、孤児院出身なんすよ。だから、人一倍家族は大事だと思ってて。ずっと、家族の────孤児院の皆のために何かしたかったんです。いつまでも厄介になるばかりじゃなくて何か恩を返したいって」
「………」
職員さんは静かに話を聞いてくれている。この調子ならいけるか?
これまでの言葉に嘘はない。全部思ってることだ。あくまで全てを語っていないだけで、そしてそれを向こうが察することもない……はず。
「もしかしたら、いつかあの化け物が孤児院を襲うかもしれないんですよね? ならオレはそれを防ぎたいんです。だから、お願いします。どうかオレを億餧に入らせてください」
「なるほど…………そこまで仰るのでしたら、分かりました。上に掛け合ってみましょう」
「っ! ありがとうございます!」
どうにか説得は成功したようで、春に近付き仄かに暖かくなってきたある日にオレは億餧に入ったのだった。
******
そこからはあっという間だった。
大急ぎで必要な知識を教えてもらい、拳銃などの基礎的な装備を扱えるように訓練し、最低限の基盤が出来上がったころには他の新人の入社時期ということで入社して。その間にオレの検査なんかも並行して行われていたからこの2週間はとにかく慌ただしくて、まさに飛ぶように過ぎ去っていった。
でも、巧妙に覆われていた日常の裏側を知る度に心が惹かれていたから、不快感なんかは一切無くて。むしろこれから始まる非日常が待ち遠しいくらいだった。
「まさかここまでの逸材だとは思ってませんでしたよ。入社前の準備には一月程かかるのが普通なんですけどね」
「いやいや、
「そう言ってもらえると嬉しいですね。おっと、もうこんな時間ですか。確かこの後は他の人たちとの顔合わせ、午後には精神分析の予定でしたか。頑張ってください」
「うっす。半月ぐらいでしたけど、本当にありがとうございました!」
「どういたしまして。それでは私はこの辺りで」
「ああ、最後に。おそらくですが、これから君は色々と大きなこと────それこそ、時代の変遷とでも呼べるものの中心へ巻き込まれていくでしょう。私
「え…………? は、はぁ。分かりました?」
「ええ。では、今度こそさようならです。あなたの未来に幸多からんことを」
…………どういう事だろう? 最後に随分意味深なことを言われたな。
まあ、とりあえず気を取り直して。
というわけで無事億餧に入社できたオレは、あの日から色々と便宜を図ってくれた職員さん────虎熊さんと別れて本格的に活動していくことになる。いつまでも頼りきりというのも申し訳なかったのでありがたいような、一方で心細さも感じるような。
「えーと、確か顔合わせの後は軽めのオリエンテーションだったっけ。っと、付属棟207室だからここか」
どうやら到着したのはオレが一番最後だったようで、円形に配置されたパイプ椅子は一つを除いて全て埋まっていた。一応これでも時間よりは5分ぐらい前のはずだったけど……。
「よし、みんな揃ったみたいだし、ちょっと早いけど始めよっか! まずは自己紹介からかな? ウチは天野
最初にそう言ったのはショートヘアを明るく橙に染めた女性職員だった。その見た目の雰囲気とマッチした溌剌とした声に、向日葵のように人好きのする明るい笑顔。
億餧に秘密結社みたいなイメージを持っていた身からすると、こんな明るい人がいるというのはかなり意外だ。虎熊さんも親切な人だったしもしかしたら良い人が多いのだろうか。そうだったらかなり有り難いんだけども。
なんてことをぼんやりと考えていたら、いつの間にかオレにまで順番が回って来ていた。一応最後のトリに当たるけど……何かボケたりした方が良いだろうか。
…………イヤ、流石に無いな。反応に困られて何とも言えない表情を向けられる光景が余裕で浮かんでくる。
「えーっと、鬼一 謍縁って言います。この春まで別の所で働いてたんすけど、色々あってここで働くことになりました。運動神経は結構いい方なんで、迷惑はかけないと思います。これからよろしくお願いします」
「ん、よろしくね! ちなみに鬼一君は入社前の訓練を半月で終わらせたらしいから、めちゃくちゃセンスがいいよ。だから自信持って頑張っていこっか!」
記憶に残らなそうな無難な自己紹介にも笑顔でフォローしてくれる天野さん、控えめに言ってもすげー良い人だよな。
思えば、孤児院のみんなもそうだけど優しい人にはかなり恵まれてきた気がする。そんな風に、少しは周りを見れるだけの余裕が出てきたと思うと、やはり嬉しさが込み上げてきた。
「はい! 精一杯頑張らせてもらいます!」
******
「ふぅ……行きましたか」
多くの者が所属する億餧の京都本部でありながら、人払いでもされているかのようになぜか人間が一人もいない廊下にて。
ここまでうまく誘導してきた青年を見送った彼は、最低限は戦えるように育てはしたが、さてこれからどうなるかと思考を回していた。
思い返すのは訓練初日に質問されたこと。
“────オレって前に虎熊さんと会ったことありましたっけ?”
当然ながら今の彼と虎熊が出会ったことは一度も無い。だからそんな質問が飛んでくることはありえないことだったはずなのだ。
「記憶が戻ってきたのか、それともあの子の記憶が混ざってきたのか…………なんにせよ、少し関わり過ぎましたかね」
咄嗟に「食べ歩きとかよくやっているので、それで見かけられたのかもしれませんね」と誤魔化しはしたが、少し動揺してしまったため怪しまれたかもしれない。
特に彼は昔から他者の感情の機微に敏感だったため、違和感を持たれたことは確実だろう。
「ま、既に賽は投げられたんですし。悩むだけ無駄ですかね」
そう呟いて、思考を切り上げると共に歩きはじめる。
■■■に関わらせた時点で彼のことはマークされているだろう。そうなれば当然自分の事もバレているはずだ。九州からは遠く離れているとはいえ、あの狐のような男にダル絡みされるのも面倒臭い。
「みなさん、やることは終わったし帰りましょうか」
一緒に潜入した部下に連絡を入れ、帰路につくように指示する。ここでやるべき事は数日前にはほとんど終わっていたため、すぐにでも発てるだろう。
「さてさて、鬼が出るか蛇が出るか。一世一代の大博打といきましょうか」
自分がこんな例えを出していることに、そして何よりも軽々しく嘘が吐けるようになってしまったことに皮肉気に笑いながら、随分と離れてしまった輝かしい日々を懐かしみながら、虎熊■■は自分があるべき場所へと帰っていく。
彼が立ち去った廊下には何の痕跡も残っておらず、まるで最初からそこには誰も居なかったかのようだった。