その後は特に何もなくオリエンテーションを終え、午後には異常性の調査のための精神分析や身体能力を測るテストを経て、ようやく帰路についた頃には18時に差し掛かろうかという時間になっていた。
入社初日から随分遅い帰宅となっちゃったな……。
一応億餧にはホワイトな企業(一部に目を瞑れば)という謳い文句があったはずだが、どうやら調査を受ける時間は就業時間には含まれなかったようだ。
まあオレも今日は時間があるからと顔なじみの研究員さんと長く話してしまったため、それも原因にはありそうだけども。
明日からも暫くは現場に出ずに訓練を行うらしい。
今年はどうやら、俺と同じようなこれまで超常には全く関わってこなかった人────研究員さんは一般枠と言っていた────が多かったようで、どうせなら今のうちに連携して動くための訓練も行ってしまおうという事で例年よりも長くこの期間が取ってあるそうだ。
そのため、明日以降の身体面の調査は訓練のデータを用いることで済ませるので、勤務時間後に行うのは10分程度の精神分析だけで良くなるそうだ。
オレだけ他の新人よりも長く拘束されるのを気にしてくださったのだろうか。そうだとすればありがたいな。
っと、あのオレンジ色のショートヘアーはもしかして…………。
「あれ、鬼一君? どしたの、こんな遅くまで……ってああ、研究部門の調査か」
はい、と頷くと、天野さんは気の毒そうな表情に変わった。
「あんまり長く拘束されるようなら文句言っときなよ~? 研究に関わることだとあそこの人たち自重しなくなるから」
「いや、今日はオレも長く話し込んじゃったんで……。それに、色々と知らないことも教えてもらえるんで悪くないっすよ」
「あ~、そっか…………でも、研究部門の人とはあんまり深くかかわんない方が良いよ。特に鬼一君は」
少し暗い表情でオレを窘める天野さん。もしかして何か誤解されているのだろうか。
「ちょっと話が難しいこともありますけど、そんな悪い人もいませんし別に大丈夫ですよ」
「んー、そういう事じゃなくて……あんまり人のこと悪く言うのは好きじゃないんだけどね。あそこの人たちは奇心体が絡むと人が変わるって言うか、ネジが外れちゃうって言うか」
「今は大丈夫でも、もしかしたらいつか…………ってごめんね、聞いててあんま気持ちの良い話じゃなかったね」
どう答えるべきか。親しくなった人を悪く言われたことに怒るべきか、天野さんの過去に何かあったのだろうかと心配するべきか。
普通は前者の反応を示すだろう。
だが、事実として研究部門の先輩と話が噛み合わなくなることはあったのだ。その全てが奇心体に関わる内容であり、そしてその全てにおいて彼らの目は濁っていた。
憎悪なんて表現は生温いほど黒く、暗く、そして冷たい眼。
あの眼に恐怖を感じつつ、しかし何も言えなかった鬼一には、この場で言葉を返すこともまた不可能だった。
「……」
「……」
場を沈黙が支配する。心地よさの欠片も無い、とにかく気まずい沈黙。
「あの……!」
「な、なに?」
先に耐えられなくなったのは鬼一の方だった。彼はどうにかこの空気を変えようとして……声のボリュームをしくじった。
たとえ心配だったからとはいえ、相手の仲の良い人を悪く言ってしまった後の気まずい沈黙。
付き合いが長い友人ならまだしも、相手は今日出会ったばかりの後輩である。そんな彼に急に大声で話しかけられればどうなるかと言えば……思わずビクッと反応してしまった天野の肩を見れば一目瞭然であろう。
「そういえば、天野さんも遅くまで残ってらしたんです、よね。残業ですか?」
「ああ、えっと……。それは、ちょっと調べ物とかをしてたからで……」
「えと、その調べ物ってのは聞いても……?」
「もうちょっと昇格したいから、そのためのスキルを磨きたくてね」
ぎこちなさは残るものの、どうにか会話を繋げられたようである。とりあえず一安心と、鬼一は前の雰囲気に戻らないように話を膨らませようとする。
「何かやりたいことでもあるんですか?」
「まあ……ちょっとね」
「あー、すいません。踏み込み過ぎちゃいましたね」
「いや、そういうわけじゃなくてね。ただ……研究部門に不要な実験を減らしてもらいたいなーって。ほら、時間外労働なんかの問題もあるしさ」
「…………」
憐れ、逃げ出せたと思っていた話題は再び収束してしまった。
これには鬼一も「しかし まわりこまれてしまった」だとか「その気になっていたお前の姿はお笑いだったぜ!」とか呼びかける怪電波を受信してしまうほどダメージを…………
ハッ! なんだ今のは!? 軽く頭を振ることで毒電波を追い払い、正気を取り戻す鬼一。
結局「おれは しょうきに もどった!」なんていう言葉が脳裏に浮かんでいるあたり、大して意味は無かったようだが。
さて、落ち着いたとはいえそこに待ち受けるのは気まずい静寂である。はてさて、どうすればこれを払拭できるのか。原因が自分にあることは理解しているため、鬼一は必死に思考を回す。
一方、天野は天野で悩んでいた。
自分が失言をしたことは自覚しているが、彼女としてもここで変に誤魔化してあらぬ誤解を受けるのは後々困ったことに繋がるのが目に見えていたのだ。
オブラートに包んで語ったが、天野の望みは「無駄に奇心体を痛めつけるような実験を減らしたい」といったものであり、そしてこれがごく個人的な願望であることも理解している。
あくまでも動物愛護的な観点からの望みであるが、しかし今の億餧のスタンスは「人外にかける情けなど無し」といったものであるため、下手に過激派に漏れれば反逆者だとか難癖を付けられかねない。
故に先の発言は必要だったと思っているが……新人、それも一般枠からの入社である彼にそれが理解できるとは考えられない。
こんなドロドロした内情を話すわけにもいかず、かといって上手い言い訳も思い浮かばず。もはや八方塞がりに見えるこの状況はどうすれば打破できるのか……。
互いが自分のための言い訳ではなく、相手のためのフォロー方法を考えるがためにむしろさっきより長くなった沈黙。
先に口火を切ったのは、またもや鬼一の方であった。
「あのっ! オレはつい最近この世界を知ったばっかなんで、何が正しいのかは分かんないですけど……でも、目標を定めて行動できるってのは凄いと思い、ます」
「あ……ありがとう」
それは自分とは違うから。漠然と自分の異常さを理解しながら何も行動できなかった自分とは、まったくもって違うあり方だから。
あまりにもぎこちないフォローの仕方に段々と鬼一の顔が赤くなる。天野はそんな彼の様子や、失言してしまったのに怒られずにむしろフォローされてしまったことから恥ずかしくなり、同じように頬を染めた。
「「プッ……アハハ!」」
そして互いに目を見合わせ、相手の似たような様相に思わず噴き出した。
「イヤ、うん。ゴメンね、鬼一くん。にしても君、優しいね」
「全然そんなこと……天野さんがオレを心配して言ってくださったのは分かりますし」
「そうではあるけど。それでも怒らないのは優しいと思うよ、ウチは。ありがとね」
どうにか関係性に罅を入れずに済んだことに安堵しつつ、二人はそうやって笑いながら別れた。
ちなみに鬼一は最後に天野が見せた笑顔に照れて挙動不審になったとかならなかったとか。
******
そんな風に訓練と精神分析の日々を4日程過ごした頃、自分の過去────いつから、そしてどうして自分はこうなったのか────について考える程度の余裕が出てきた日のことだった。
「よし、今日の訓練はここまでにしよっか」
「えっ? でもまだ18時までには結構時間ありますよね」
「そーだけど、連携はかなり仕上がって来てるからね。残ってる課題点は……葵ちゃんが半歩遅れているのと柊君の視野が狭くなりやすい点ぐらいかな。それも強いて言えばってぐらいだし、みんな優秀だね!」
「うっ」
「はい……」
名指しで指摘された2人が呻き声を上げた。確かに言われてみればオレを含めた残りの3人よりも動きは悪かったが、あくまでも『言われてみれば』の範囲だしきっとすぐに改善できるだろう。
しかし、訓練を終えるのならば残りの就業時間は何をするのだろうか。……もしかして金曜日だし早めに上がれるのか?
「というわけで今から面談をしようと思います! 仕事で不安な事とか分かんない事、プライベートの悩みでも何でも質問してね。あ、場所は隣の防音室使うし、ウチも当然誰かに漏らしたりしないからそこは安心して!」
全然そんなことなかった。いやまあそりゃそうか、うん。新人なんだしそりゃそうだな。
どうやら順番は名簿順のようで、さっき動きが半歩遅れていることを指摘されてた葵が天野さんに付いていった。
しかし、待ち時間は休憩でも軽い自主練でも好きにしていいとは言われたがどうしようか。正直身のこなしについては既に職員レベルだと天野さんにお墨付きをもらったし……。
「えーっと、鬼一……だっけ? その、どうやったらそんなうまく動けるのか聞きたいんだけど……いい、かな。いや、軽いアドバイス程度でもいいし、無理ならそれでもいいんだけど」
なんてぼんやり考えていたら柊に話しかけられたでござるの巻。
何で急に茶化したかって? 柊が明らかに気まずそうな────というかなんなら怯えてそうなレベルの様子だからだよ。
別に何かした覚えも無いんだけどなあ。
「ん、全然いいよ。柊君はたしか視野が狭くなりやすいって言われてたっけ」
「あー、そうそう。自分でも前から自覚はあったんだけど……どうにも上手くいかなくて」
ふむ、自覚はあるが改善は難しいと。でも普段は周りに気を使ったりみんなの意見まとめたりしてるし、むしろ視野の広いリーダー格って感じだったけど……。
となると、変に気負いすぎてるとか?
「もしかして、訓練の時に『自分が上手くできなきゃ』みたいな風に思い詰めてたりする? それか少しでも動きが遅れたらめっちゃ焦っちゃうとか」
「……確かに、言われたらそうかも」
「やっぱり? 普段の感じならむしろ視野自体は広い方だと思うし、そこまで気負わなくていいと思うよ。あとは……ルーティーンを作るとか? 例えば、銃床とかマガジンを爪で数回たたくとか。何でもいいけど落ち着けさえすればどうにかなるんじゃない?」
俺の提案に柊は『なるほど』といった様子で驚いている。こういうのって自分からだと分かりずらいもんな。
「ありがとう。いや、マジで参考になった。にしても、鬼一って思ってたより滅茶苦茶良い奴だったんだな」
……? オレが怪訝な顔をしていると、少し焦ったように柊が付け足した。
「あ、いや、貶してるわけじゃなくて。なんか普段の感じだと、ちゃんと話は合わせてくれるけどコッチは見てないっていうか。顔は笑ってるけど心から笑ってるわけじゃなくて、何か奥に押し込めてそうな感じだったていうか。だからあんまり俺らに興味ないのかなーって思ってたんだよ、ゴメンな」
「────ッ!!」
…………視界が揺れる。酩酊感とは違う、ひどく不快な感覚。
誤魔化していた本性を暴かれた動揺と不安感、そして自分の異常さを改めて突き付けられたことへの落胆。それらが綯い交ぜになり、視界が暗くなる。
何も言葉が出せずに口を開いては閉じる、ただそれしかできない。
結局その後何かを話すことはできず、面談から戻ってきた葵によって自分の番が告げられたことで柊との会話は終わったのだった。
……最悪の気分だ。
「や、鬼一君。それじゃ面談を────って、どうしたの!? なんかすっごい顔色悪いけど大丈夫? 何かあったの? 相談にならなんでも乗るけど……もし体調悪いなら今日はやめる?」
「いや、そのなんて言うか。これは違くて」
言葉が、思考がまとまらない。普段付けていた『明るくて気さくな鬼一謍縁』の仮面が剥がれ落ち、自分が分からなくなる。ああ、いっそのこと何もかも投げ出して、吐き出して楽になりたい。
────そんなことしてどうすんだ?
どうもこうもない。ただ楽になりたい、それだけだ。
────それで何になる? 慰められたいのか? お前は悪くないって、仕方なかったって? ハッ、みみっちいな。
五月蠅い。もう疲れたんだ。いいだろ、少しぐらい。
────ま、一理あるか。何一つ思い出しちゃいねえし進んでもいねえが、後戻りせずに耐えてきたのは事実だしな。ご褒美ターイムってな。
思い……出す? いや、そもそもお前は一体────
────おおーっとォ、オレとの問答はここまでだ。どのみち既に賽は投げられたんだ。嫌でもすぐに顔を合わせることになる。
ハッと顔を上げると、天野さんが心配そうにこちらを見ていた。
さっきのは……? 分からない。もう何も分からない。
だからオレは、分かりやすい救いを求めて口を開いた。
「変な相談するんですけど、いいですか? ……ありがとうございます。その、オレ、昔から────」
内に抱えていたものを全部吐き出した。
疎外感や謎の怒り、
その間、天野さんは何も言わずにただ頷いてくれていた。
「これまで、よく頑張ってきたね」
────あ。
話し終わった後に言われたその一言で、何かが決壊したのが分かった。
「『他人と違うのは当たり前』とか、『みんな違ってみんないい』みたいな綺麗な言葉は思いつかないけど。でも、鬼一君が頑張ってきたのは分かるよ。それに、そうやって悩んでる時点で十分人間臭いってウチは思うかな。生物学的にも間違いなく人間なわけだし、なんちゃって」
少しおどけたりしながら話される一言一言が、どこか深い所に染み込んでいく。瞳から流れる雫が止まらない。
何の意味もない単語が、口から勝手にこぼれていく。
「オレ、ずっと。ずっと、分かんなくて。不安で」
「うん、大丈夫。頑張ったね」
落ち着くまで背中をさすられて数分、段々と恥ずかしさが強くなってきた頃。
「うん、落ち着いたかな? あんまり力になってあげられた気はしないけど、ゴメンね。まあ、みんな色々悩みはあると思う。もちろん、ウチにだって」
珍しく暗い表情になった天野さんは、「でも────」と言葉をつなげた。
「でもね。それでもみんな生きているし、生きていくの。その悩みに折り合いを付けて。それを受け入れるのか、それとも変えようとするのかは人それぞれだけど。きっとそれが『生きる』ってことだから」
……生きる、ということ。
何だかようやくスタートラインに立てたような気分だ。
「本当にありがとうございました。おかげで、初めて前向きになれそうです」
「あはは、ちょっと大げさじゃない? まあ、どういたしまして!」
照れくさそうに頬を掻く天野さんに、最後にもう一度礼をしてから部屋を出る。面談前の気分はどこへやら、晴れやかな気分で元の部屋へ戻ると、早々に柊に謝られた。
「あー、鬼一? 変なこと言ってさっきはスマンかった。気にしないでくれ」
「……柊さ」
突然呼び捨てにした俺に対し、ビクッという効果音が似合いそうな反応を返す柊。
……あれ? コレ思ったより深刻な感じだな? ならば……
「貶してるわけじゃないって言ってたけど、さっきのアレは普通に貶してんだろよ~。気ぃ付けろよ~?」
気にしていないことを前面に押し出す。
そうすれば、柊は予想通り鳩が豆鉄砲を食ったような顔で固まった。
「あの一言のおかげでようやく一歩踏み出せそうな気がするんだよ。ショックではあったけど、まあそれでチャラだ。だからそんな気にしないでいいよ」
「……そうか。ならまあ、そういう事にさせてもらおうか。ありがとな。あと、鬼一ってそんな感じで笑うんだな。なんつーか“らしい”な」
「なんだそりゃ」
意識もしてないのに口角が上がる。“らしい”か。
うん、良い感じだ。これなら明日からも頑張れそうだ。
そうして入社してから一週間が経った頃に、あいつは現れた。
収容部門で働いている先輩たちの防護服ともオレたち新人に配布された新品の黒の作業服とも違う、高校の学生服のような黒にほど近い濃紺の服。艶やかに光沢を放つ濡羽色の黒髪。何よりも印象的だったのは、同年代とは思えないほど冷めた切れ長の瞳。
一見して美形と言えるのに、腰に謎の西洋剣をさげているせいでどことなくコスプレのような印象を受けるその青年。
「……旭
そんな彼────旭 継恫に、これまでほとんど感じてこなかった親近感を覚えたのは何故だろうか。
展開が急すぎると思ったそこの貴方、書いてる最中に私が一番思ってました。文章力の無さが恨めしい……。
正直この辺りでの展開(鬼一君の精神的な苦しみ・救済とか)は最低でもプラスもう1話ぐらいは掛けて丁寧に描写する方が良いよなぁと思ったんですけど、間に入れるエピソードが浮かばなかったんです(見苦しい言い訳)
いやもう真面目に申し訳ない……。